酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

史上最高は誰?~WWEレスラーが選ぶオールタイムベスト50

2011-09-28 00:51:47 | スポーツ
 今の日本に善玉(ベビーフェース)は存在しない。悪玉(ヒール)の代表格は東電、小沢一郎氏、そして反社会的勢力だ。極悪は東電で、政治家、経産省、経団連、労働組合を味方につけ、国民の怨嗟と絶望を糧にヒール度を増している。

 元秘書3人への判決に異論を唱える識者は多いが、小沢氏は3・11以降、沈黙を守って東北の人たちを失望させた。代表選で原発推進派の海江田前経産相を担いで敗北し、ヒールから負け犬に転落する危機にある。

 ほしのあきとの交際に反対して三浦皇成を破門した河野調教師は、反社会的勢力との交友を理由にJRAから破門された。反社会的勢力を弁護するつもりは毛頭ないが、彼らを使って原発反対派を恫喝した真のヒールは政財界の紳士たちである。

 ベビーフェースとヒールの切り分けが困難になった今、個性豊かに自らを表現したレスラーたちを、「トップ50スーパースターズ」(DVD)で満喫した。WWE所属レスラーがオールタイムのグレーテストを選ぶという企画である。

 1位は革新性のショーン・マイケルズ、2位は格を誇るアンダーテイカー、3位は衝撃を与えたスティーブ・オースチン、4位は技術のブレット・ハート……。好みの違いはあるが、極めて妥当なトップ4だ。
 
 俺のトップはオースチンだ。ケーブルTVで初めて見た時、「猪木を超える表現者がこの世にいたのか」と感嘆した。WCWの前に崩壊寸前だったWWEは、オースチンを前面に反転攻勢に出て、天下統一を果たす。マクマホン会長がオースチンを「史上最高」と絶賛するのは当然だ。実働期間が短かった〝プロレス界の信長〟の強烈な毒と業は、ブライアン・ピルマン、ジェイク・ロバーツ、オーエン・ハートの悲劇が暗示している。

 以下、5~7位にロック、ハーリー・レイス、リッキー・スティムボートの名が並ぶ。8位のアンドレ、9位のレイ・ミステリオの大小コンビに続くのが、生き様でファンの心を捕らえたロディ・パイパーだ。レスラーは師匠や先輩から伝説を吹き込まれているから、旧世代のレスラーも多くランクインしている。

 日本に馴染みのあるレスラーでは、正統派のドリー・ファンクが46位、ハードコア路線に転じた弟テリーが22位にランクインしている。ホーガンはレッスルマニア公式本で「みんな合わせるのに苦労するほど下手」と酷評されていたぐらいだから、23位が精いっぱいか。

 17位のリック・フレアーは最晩年、若手の挑発に「俺はおまえみたいなひよっこと違う。ブロディやハンセンと闘ってきたんだ」と応えていた。ところが、会場は悲しいほど無反応。ブロディやハンセンの名を知っているのはプロレスオタクだけなのか。

 最後に俺自身のベスト10を、以下に記したい。

 1位のオースチンと2位の猪木は不動の2トップで、3位は自虐と苦痛を表現したインテリのミック・フォーリーだ。4位は人間風車で少年時代の俺にカタルシスを与えてくれたビル・ロビンソン。5位は無名時代、池袋のビジネスホテルを根城に修業したクリス・ジェリコだ。引き出しが多い親日派で、原爆資料館に何度も足を運んでいる。

 6位は命知らずのジェフ・ハーディーで、7位は会場を熱狂の渦に巻き込んだ故エディ・ゲレロ。8、9位は空中戦で度肝を抜いた初代タイガーマスクとレイ・ミステリオだ。10位は日本のプロレス界に貢献大のハンセン、ブロディ、T・J・シン、ブッチャーの4人を挙げたい。

 父もプロレス好きだったが、せいぜい40代前半までだった。この年(もうすぐ55歳)まで惰性でWWEを見ている俺は、かなりのガキに違いない。


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「アジョシ」~韓流映画の背景にあるもの

2011-09-25 04:28:31 | 映画、ドラマ
 ニューヨークが騒がしい。外遊中に原発再稼働を示唆した野田首相が国連で、<アラブの春>支援に760億円の借款を実施する方針を明かした。ウォール街では<アラブの春をアメリカに>をスローガンに、資本による搾取に抗議し、アメリカの民主化を訴える集会が数日にわたって開催された。

 アッパス自治政府議長がパレスチナの国連加盟を求める演説を行った。本会議に議案が提出されれば、賛成多数で可決される可能性は大きいが、アメリカは拒否権行使を前提に根回しを進めている。日本もアメリカに同調し、<悪の枢軸>の一員であることを隠せなくなるだろう。

 新宿で先日、韓国映画「アジョシ」(10年、イ・ジョンボム監督)を見た。「母なる証明」(09年)で無垢と邪悪のコントラストを表現したウォンビンと、「冬の小鳥」(09年)で眼差しの力を見せつけた天才子役キム・セロンの共演作である。期待を超えるエンターテインメントに仕上がっていたが、ご覧になる方も多いはずなので、興趣を削がぬよう作品の背景を中心に記したい。

 「(ウォンビンは)今まで見た中で一番カッコイイ! ジャニーズなんて問題にならない」
 「同レベルの人、他にもいるよ。例えば……」

 場内が明るくなった時、隣に座っていた30前後の女性2人がこんな会話を交わしていた。俺の頭に浮かんだ〝同レベル〟とは、「義兄弟~SECRET REUNION」のカン・ドンウォンである。ちなみに韓国で昨年、観客動員数ナンバーワンに輝いたのが「アジョシ」で、2位が「義兄弟」だった。

 〝現在に甦ったシェイクスピア〟〝ヌーヴェルバーグ以来の衝撃〟と絶賛された「息もできない」(09年)のような芸術性を誇る作品だけでなく、韓国はハリウッドを凌駕するエンターテインメントを量産している。映画以外は不案内だが、韓流ドラマや音楽が騒がれる理由も想像がつく。

 「アジョシ」は「レオン」をハードにダークに、スピードとアクションを満載した作品といえるだろう。細々と質屋を営むテシク(ウォンビン)を、隣に住む少女ソミ(セロン)は「アジョシ」(おじさん)と呼んで父親のように慕う。孤独な青年と少女の屈折した交流は、ソミの母が犯罪に手を染めたことでドラスチックに変化する。テシクとソミは麻薬取引、臓器売買をめぐる闇社会の抗争に巻き込まれていく。

 「義兄弟」ではベトナム人コミュニティーが描かれていたが、「アジョシ」で敵役を演じたボディーガードのラムもベトナム人という設定である。ラム役のタナヨン・ウォンタランは目の演技で、テシクへの友情、ソミの純真さに心を洗われていく過程を表現していた。

 「アジョシ」は「義兄弟」同様、朝鮮半島の悲劇を反映した作品で、主人公は国家の影を背負っている。テシクの過去と癒やせない傷が、ストーリーの進行とともに明かされていく。韓国には徴兵制があるが、ウォンビンは兵役中にケガをし、カン・ドンウォンは「義兄弟」撮影後に入隊した。2人の日常と作品を重ねると、背景にある分断国家の現実が浮き彫りになる。

 全身全霊を傾けてソミを守ろうとするテシクの姿に、騎士道精神と恨の文化の伝統を見た。絶望の底に光が射す瞬間のカタルシスを、ぜひ本作で体験してほしい。



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「さようなら原発集会」が問いかける市民の意味

2011-09-22 00:13:19 | 社会、政治
 台風15号が日本を縦断し、甚大な被害をもたらした。天災の猛威に触れた時、人間の驕りを思い知り、謙虚な気持ちになる。それが人災であれば尚更で、福島の事故を経た今、脱原発がこの国最大のテーマだ。

 先日19日、「さようなら原発集会」(明治公園)に参加した。周辺は人で溢れ、身動き取れず千駄ケ谷駅で引き返した人もいたから、実質10万人規模(主催者発表は6万人)の集会だったが、俺は違和感を覚えていた。

 第一の理由は、俺自身の〝欠陥〟にある。人が集まることへの不信感を拭えないのだ。俺が抗議集会やデモに頻繁に足を運んでいた1980年前後、参加者はせいぜい数百人で、2ケタってことも珍しくなかった。公安刑事に「数年前は20倍ぐらい集まってた。おまえら、惨めだな」と挑発され、妙に納得した記憶がある。でも、その20倍の人はどこに消えてしまったのか。

 第二の理由は、集会やデモが日常とあまりに近く、緊張感に欠けたことだ。午後1時に家を出て、40分後に会場に着き、フライング気味で出発したデモはスイスイ進む。歩き慣れた新宿通りから新宿駅南口を経由し、解散地点の小公園から徒歩30分で帰宅した。

 第三の、そして最大の理由は、会場のムードである。政治であれ、スポーツであれ、音楽であれ、その場に立ちこめる<気>がある。魂のモッシュで場を揺らすうねりが生じれば、俺の中で化学反応が起き、彼方に浮き上がる蜃気楼を見たかもしれない……。だが、俺を包んだのは躍動ではなく停滞だった。

 会場内外に林立していたのは全労連(共産党系)傘下の組織の幟で、それを目印に参加者がたむろしていた。明らかな動員である。票になるなら接近するが、引き回せないと判断するや離れていく……。反原発では共産党が日和見の伝統を捨てることを願うばかりだ。

 俺は浦島太郎状態の新参者だが、仕事先の整理記者Yさんはこの間、様々な反原発ムーブメントに関わり、若い息吹と胎動を肌で感じてきた。そのYさんに当日の感想を尋ねると、「運動を担ってきた若い連中、来てたのかな」と渋い表情で話していた。

 原発反対、子供が大事、人間大事……。このシュピレヒコール?を唱和できず、むっつりデモに連なりながら、脱原発の道筋を考えていた。<死の町>と事実を語った鉢呂氏が辞任し、<死の町>にした枝野氏が後任の経産相になる民主党政権は、自民党同様、全く期待できない。<核マフィア国家>を変えるためには、時限的な反原発党を立ち上げるしかないと思う。

 <民主主義では市民の集会やデモしかない>という集会でのアピールに、大江健三郎氏の限界を感じた。アメリカで今春、資本家の更なる収奪を固定化する反組合法に対抗するムーブメントが広がった。先頭に立ったマイケル・ムーアは<民主主義の成立条件は全市民が活動家であること>と繰り返し語っている。

 両者の市民のイメージは大きく異なるが、俺はもちろんムーアを支持する。良心や倫理と無縁の原発推進派が構築した壁に対峙するには、ムーアが描くアクティブで覚醒した市民が結集しなければならない。俺は怠惰な老兵だが、最後列に加わりたいと思う。ブログであれこれ書くのも、手段のひとつと考えている。



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魔性と聖性と~「人間昆虫記」に感じたこと

2011-09-19 01:52:06 | 映画、ドラマ
 3連休の中日はWOWOWを満喫した。オサスナに8―0と圧勝したバルセロナは、悪い流れを断ち切った。メイウェザーは試合再開直後、無防備なオルティスにパンチを浴びせてKO勝ちしたが、レフェリングを含め釈然としない結果だった。

 夕方からは録画しておいた「人間昆虫記」全7話(手塚治虫原作、70年発表)を一気に見た。設定を現在に置き換えて甦ったピカレスクで、不変かつ普遍のテーマを追求した手塚の作意が窺える。煌めいていたのが主役(二役)の美波で、色彩が異なる十村十枝子としじみを見事に演じ切っていた。若くして蜷川幸雄や野田秀樹の舞台で活躍している美波は、演技の引き出しが多いホープなのだろう。

 夏休みには蝉を採集し、バッタやキリギリスを捕まえるなど、子供の頃は虫と普通に接していた。虫が怖くなったのは後天的である。凝視すれば蝶やトンボは実にグロテスクだし、陽の下で生きる時間が短い虫は、妖しい怨念を秘めている。ちなみに十枝子は、疲れ果てると実家に身を潜め、亡き母(ミイラ?)に甘えていた。それは十枝子にとって、羽化と脱皮に必要な儀式だったのだ。

 十枝子としじみ以外に重要な役割を果たすのが、水野(ARATA)と蜂須賀(手塚とおる)だ。水野は十枝子の本質を見破って遠ざかり、蜂須賀は自らを抜け殻にした十枝子への思いを募らせる。水野を追う十枝子を蜂須賀が追うという展開で、物語は進んでいく。

 第一話「毛蚕の章」に映画「イヴの総て」(1950年)の影響が窺える。付き人の十枝子(=イヴ)は大女優敬子(=マーゴ)のすべてを盗んで取って代わる。上記の蜂須賀も十枝子に養分を吸い取られ、気鋭の演出家の地位から転落した。

 第三話「椿象の章」以降、舞台はアートから政財界に転じる。立て続けの成功に疑問を抱いて接近してきた雑誌記者、首相暗殺を企てたテロリストを、十枝子は蜘蛛のように糸で絡めて息絶えさせる。十枝子を操っていると錯覚した大物政治家(中村敦夫)とバイオ関連企業社長(鶴見辰吾)も、その一刺しで破滅へと追いやった。「天牛(カミキリ)の章」と題された第五、第六話のタイトルは、メスが種の保存のためオスを捕食するカマキリの生態に即している。

 本作が〝悪女物〟と一線を画すのは、十枝子を衝き動かすのが悪意ではないことだ。夢の骸を幾つも転がすことになる十枝子の模倣は、昆虫に置き換えれば擬態になる。十枝子の行動は計算というより本能に基づいているから、彼女の裏切りに誰も恨みを抱かない。負の感情は濾過され、食物連鎖や適者生存の法則を受け入れるように、男たちは安らかに斃れていく。

 魔性、幼児性、狂気を剥き出しに奪い尽くす十枝子だが、水野の心は手に入らなかった。水野は十枝子の面影を振り払いながら、しじみと心を重ねていく。与え、汚れ、赦しながら聖性に行き着いたしじみと水野の愛は、清冽な輝きを放っていた。

 残り少ない人生、利用価値の乏しい俺が十枝子に会うことはありえない。ならば、涙で心をすすいだしじみのような優しい女性に会えれば……なんて、都合のいい妄想に耽ってしまった。

 この時間(深夜2時前)になると、鈴虫の鳴き声が聞こえる。一句でも思ったが、浮かばないうちに眠くなった。明日、いや今日も残暑は厳しそうだが、「さようなら原発集会」(明治公園)に参加するつもりだ。




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「水の透視画法」~崩壊の象徴としての<3・11>

2011-09-16 02:06:13 | 読書
 3・11以降、原発の危険性を説く研究者やジャーナリストの声が、ようやく世間に届くようになった。彼らは<形の崩壊>を予見したが、3・11を<内面の崩壊>の象徴と捉えたのが辺見庸だ。

 先日、辺見の最新刊「水の透視画法」(共同通信社)を読了した。詩文集「生首」に続く単行本で、08年3月から11年3月まで地方紙に配信された連載をまとめたものだ。3・11を経て序章「予感と結末」、最終章「非情無比にして荘厳なもの」が加えられている。

 80弱の掌編はアフォリズム、リハビリの日常、犬との交流、私小説風と様々な色彩を放っている。俺はドストエフスキーを<R50の至高のエンターテインメント>と評したが、辺見は齢を重ねて自らの歪み、醜さ、老い、荒みを直視せざるをえない中高年御用達の表現者だと思う。

 中国特派員時代、数々のスクープで名を馳せた辺見が、五輪に沸く北京を訪ねた際に綴った「東風は西風を圧倒したか」に深い洞察が窺えた。<索漠とした空虚感>を覚えた辺見は、<歴史の血痕と暗部をすべて洗いながすような爆発的な光と音楽>を目の当たりにし、<この光景を見るために、(中略)無量無辺の犠牲者をつくらなければならなかったのか>と述懐している。

 先週末、渋谷に出た。駅構内で山手線、埼京線と西武池袋線と3件の人身事故を知る。現在の日本は「板子一枚下は地獄」なのだ。失業や貧困が遠からず我が身に降りかかり、自分も壊れてしまう……、そんな予感を必死で振り払っている人も少なくないだろう。プレガリアートの知人と会った辺見は、若い層に蔓延する無力感に思いを寄せつつ、<価値観の底がぬけているのに、そうではないようにみなが見事に演じている世の中ははじめてだな>とひとりごつ。

 <ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごくのであろうか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう>……。辺見は「交差点にて」で石川淳の「マルスの歌」(1938年、発禁処分)を引用し、日常の連続性の軋みを憂えている。辺見の目に映る日本は、3・11以前に壊れていたのだ。

 タクシー内で進行する「クロアゲハ」が印象的だった。運転手は「よさげなものがいま、いちばん悪いんじゃないですか」と客の辺見に問いかける。例えば、民主党……。よさげに見えた面々――枝野、安住、細野、玄葉――の本質を見誤ったのは、俺だけではないはずだ。

 <風景の上皮は二十年前と大して変わらない。今は万象の内実が狂っている>と、辺見は言葉と実体の剥落を嘆く。稿の最後に死刑囚2人への絞首刑執行を記し、<熱で黄ばむ空をクロアゲハがとんでいた。宙に黒い正弦曲線をひきながら、ゆらゆらと。鱗粉が散った>と結んでいる。

 全体を貫くのはペシミスティックなトーンだ。「『なにか』がやってきた」では、<戦争も恐慌も狂気も底なしのすさみも、見た目は安穏とした日常のなかに驚くほど細かもみこまれ、うまくコーティングされ、あたかも正気ぶって、とうにここにやってきている>と諦念と絶望を滲ませていた。

 新聞協会賞や講談社ノンフィクション賞を受賞したジャーナリスト、芥川賞作家、中原中也賞を受賞した詩人……。本作には辺見の資質のすべてが詰め込まれているが、俺の心に染みたのは、詩的イメージに溢れた日常の断片の数々だった。

 チケットが取れたら、世界死刑廃止デー企画「響かせあおう 死刑廃止の声」(10月8日)に参加する。「死刑はそれでも必要なのか――3・11の奈落からかんがえる」と題された辺見の講演も組み込まれているからだ。五臓六腑から吐き出された言葉に直に触れる日が待ち遠しい。


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「ゴーストライター」~格調高いポリティカルサスペンス

2011-09-13 00:14:37 | 映画、ドラマ
 原発先進国を自任するフランスの核廃棄物処理工場で爆発が起き、死傷者が出た。「現時点で外部への放射能漏れはない」という原子力報道官のコメントにデジャヴを覚えた。

 枝野氏は官房長官時代、放射能汚染について「直ちに影響はない」と虚偽の情報を垂れ流した。遠くない未来、多くの若者が白血病や甲状腺がんに罹ったら、刑事告発されても不思議はない。そんな御仁が、原発推進を企む省庁のトップに就任する。この国の行く末に、暗澹たる気分になった。

 経産相交代は低レベルの茶番だが、いつの時代も口の端に上るのが陰謀論だ。この100年、折に触れて陰謀の主犯と目されてきたのはフリーメーソンとユダヤ系財閥だが、最近ではCIAの暗躍が取り沙汰されるケースが多い。

 9・11から10年、アメリカ各地で追悼集会が開催された。新旧大統領はテロとの闘いを強調したが、〝世界最凶のテロ国家〟アメリカが憎しみの連鎖の起点であることを彼らは失念している。

 陰謀、CIA、テロとの闘い……。前振りで示したキーワードを基調にした映画を見た。ロマン・ポランスキー監督の「ゴーストライター」(10年/制作=仏・独・英)である。50年近い監督歴を誇るポランスキーならではの、格調高いポリティカルサスペンスで、男女の機微をスパイスとして効かせていた。

 アダム・ラング英元首相(ピアース・ブロスナン)は、なぜアメリカの無法な戦争に加担したのか……。これが本作のメーンテーマだ。男前で芝居がかったラングのモデルは恐らくトニー・ブレアだろう。ユアン・マクレガー演じるゴースト(ゴーストライター)が、自叙伝執筆を依頼される。

 前任者であるラングの補佐官マカラは、出来の悪い原稿を残して不慮の死を遂げる。莫大な報酬で引き継ぐことになったゴーストは、ラングが居を構えるアメリカの孤島で缶詰めになる。テロとの闘いという美名の下、ラングが下した決断が告発されたことで手空きになったゴーストの関心は、マカラの死の真相とラングの過去にシフトしていく。

 主人公なのに名前のないゴーストが、ラングに自己紹介する「僕はあなたのゴーストです」が本作の肝ゼリフだ。悲痛なラストにこのセリフの意味が鮮烈に示されるが、数日後に俯瞰の目で作品全体を振り返ると、重層的な後景が聳えてくる。

 ゴーストは主人公だけでなく、ラング、その妻、マカラ、エメット教授など登場人物すべてのメタファーに思えてくる。人は誰しも眩い表舞台に目を奪われるが、ポランスキーは百鬼夜行の濃い闇を照射し、真実への接近が死に繋がりかねない構図を浮き彫りにする。

 本作の仕組みは、日本にたやすく置き換えられる。田中角栄元首相はかつて、「中曽根はなぜか塀の内側に落ちない」と首をかしげた。CIAの指示通り原発を推進したから? 小泉元首相を筆頭に〝本籍ワシントン〟の政治家はごまんといる。怒りを覚える日本人が少ないのは、この国で健全なナショナリズムが死滅したからだろう。


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NFL開幕~アンビバレンツに満ちた至高のドラマ

2011-09-10 06:35:54 | スポーツ
 「死の町」、そして「放射能つけた」……。鉢呂経産相が意識の低さを露呈した。更迭は確実だが、誰が後任に据えられても、原発推進を目論む経産省に操られるだろう。

 なでしこジャパンが精彩を欠きながら五輪出場を決めた。ベストと程遠い状態で結果を出した点を称賛したい。サッカーでは、心身のコンディションが整わないと格下に足をすくわれる。典型的な例は、コパ・アメリカでのアルゼンチンとブラジルだ。

 NFLが9日(日本時間)開幕し、昨季王者パッカーズが一昨季王者セインツを42―34で下した。両者はNFCチャンピオンシップで相まみえるかもしれない。

 アメリカでは無数のNFLアナリストが独自の方法で分析しているが、スーパーボウル(SB)出場チームを的中させるのは至難の業だ。シーズンオフにコーチングスタッフや選手がガラガラポンになり、一からのスタートになるからだ。

 だが、今季は様相が異なる。4カ月半のロックアウトで、例年に比べ予想を立てやすい。チームを熟成させる時間が足りず、ルーキーなど若い選手がアピールする機会が減った。となれば、蓄積された厚さと文化がポイントになり、昨季の成績をなぞる可能性が高い。

 先入観を持たずに序盤は様子見し、11月以降、好みのスタイル――ハイリスクでギャンブル性が高いゲームプランを立てる――のチームにシフトするのが、俺の観戦法だ。ここ5年でいえば、ジャイアンツ、カージナルス、セインツ、パッカーズのNFC勢が、内容と結果で俺を満足させてくれた。

 億万長者のオーナーたち、莫大な放映権料(1チーム平均で年間100億円前後)、ルール改正によるエンターテインメント化促進と、NFLはハイパー資本主義の象徴だ。さらに言えば、カレッジを含めアメフトへの熱狂は、格差社会への不満を逸らす役割も担っている。

 とはいえ、一筋縄でいかないのがNFLだ。シーズン直前まで49ersのロースターに残った河口正史氏は、「NFLには社会主義が貫徹している」と経験から指摘する。サラリーキャップの徹底でチーム力の均等が図られ、ロッカールームでは日本的な自己犠牲と和の精神が奨励されるという。

 コーチ陣にはウォール街のワーカホリック風、マッドサイエンティストっぽい面々が揃っている。彼らの緻密な戦略を実現するのは、不良や問題児を含むフィジカルエリートだ。怜悧と放埓、規律と閃きが交錯し、光と影、歓喜と失望を浮き彫りにする。

 ひいきチームをあえて挙げれば、チャージャーズ(AFC西)とライオンズ(NFC北)だ。チャージャーズを率いるノーヴ・ターナーはNFL屈指の勝負弱いヘッドコーチで、数々のチームで辛酸を舐めてきた。今季はSB出場で汚名を返上するチャンスである。バリー・サンダース在籍時は応援していたライオンズだが、08年=0勝16敗、09年=2勝14敗と惨憺たる成績だった。俺の視界から消えた昨季は6勝を挙げ、浮上の兆しを見せている。目指せ! プレーオフだ。

 気まぐれな楕円形はなかなかの悪戯者で、言葉を失くすようなシーンを演出する。来年2月のSBまで、時に運と不条理が勝敗を決する至高のドラマを堪能したい。
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「グリコ・森永事件」~メディアの坩堝で身を焦がした頃

2011-09-07 01:24:44 | 独り言
 山下俊一福島医大副学長が「朝日がん大賞」受賞……。このニュースに衝撃を受けた方は多いはずだ。広瀬隆氏は「緊急報告会~福島原発で何が起きているか?」(3月23日)で、山下氏の〝悪魔ぶり〟に警鐘を鳴らしていた。その広瀬氏は明石昇二郎氏とともに、奇矯な安全宣言で子供たちをがんの危険に曝した山下氏を刑事告発する。

 山下氏の持論を常識にしようと企む<アメリカ―霞が関―財界>に操られた棄民政府は、「若者が発症した甲状腺がんは原発事故と無関係」と補償に応じないだろう。だが、一人ひとりの意志を重ねれば、漆黒の未来を変えることも不可能ではない。

 NHKスペシャル「グリコ・森永事件」を再放送で見た。ドラマ、トーク、ドキュメンタリーの構成で、刑事や記者たちの証言には、犯人逮捕に至らなかった悔しさが滲んでいた。

 最終回の「目撃者たちの告白」を見て、俺は犯人グループの力量を過大評価していたことに気付く。未解決に至った最大の理由は、大阪府警の自滅なのだ。職質の許可を求める現場の声を上層部が却下したことに、事件が公安マターでもあった可能性を感じさせる。事実、北朝鮮工作員や左翼活動家の関与が疑われていた。

 高村薫氏が記者たちのトークに加わったが、NHKを意識したのか発言がおとなし過ぎた。高村氏はグリコ・森永事件にインスパイアされ、差別の構造を前面に犯人グループの視点で「レディ・ジョーカー」を発表している。

 俺は84年4月からスポーツ紙で校閲を担当していた。ネットが普及していなかった時代、最新の出来事をリアルタイムで知る特権に浴していたのである。怒号と喚声が飛び交うフロアで、俺は校閲者というより野次馬として、共同通信が一報を伝える〝ピーコ〟に耳をそばだてていた。

 その年の秋に帰省すると、父が自慢げに「グリコ・森永事件の犯人、知ってるぞ」と言う。父は公務員時代の部下だったAさんが怪しいと睨んでいた。退職後も仕事柄、以前の職場を訪れていた父は、ある事実に行き当たる。Aさんが休暇を取った日(当日朝の電話を含め)、事件が進展を見たケースが多かったという。

 父によると、Aさんはカーマニアで頭脳明晰、事件の現場に土地勘があった。それだけで犯人と決め付けられたらたまらないが、後日談を聞いて気持ちが揺れた。犯人グループの目的が株価操作による差益取得なら、退職して実業家に転身したAさんのその後と符合する。

 父の死後、宮崎学氏の「突破者」を読んで妄想は加速したが、この辺りで止めておく。俺の中でAさんとセットになっている宮崎氏だが、捜査員が「キツネ目の男ではない」と断言している以上、Aさんも無関係なのだ。

 あの頃、世間を賑わせたのはグリコ・森永事件だけではない。週刊文春の報道(84年1月)からヒートアップしたロス疑惑騒動、夏に戦端を開いた山一抗争、翌年に劇的な展開を見せた豊田商事事件……。スポーツ各紙は社会ネタをメーンに据えることで売り上げを伸ばしていた。

 スポーツ紙、夕刊紙とも部数減が深刻な今、当時の活気をノスタルジックに思い出す。新米だった俺も、ミスを連発しながらメディアの坩堝で身を焦がしていた。


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「ミラル」~パレスチナの真実が訴えかけるもの

2011-09-04 03:35:30 | 映画、ドラマ
 台風12号が災禍をもたらす中、サッカーの夜が続く。ザックジャパンもなでしこジャパンも、苦しい展開で勝ち点3を拾っている。<国破れてサッカーあり>の感を強くした。

 野田首相は正体不明だが、個性もビジョンもないのに組織の真ん中に鎮座する〝野田もどき〟は、皆さんの周りにもいるはずだ。野田氏は想像力が欠落した日本社会に即したリーダーなのだろう。

 国家による情報操作に異を唱えるウィキ-リークスが、約25万件の米外交公電をサイトで公開した。グーグルが権力中枢と提携するなど、脳内までX線で検出される超管理社会が進行中だ。<絶対悪>を撃つための<必要悪>として、俺はウィキリークスを支持する。

 ユーロスペース(渋谷)で先日、パレスチナの女性に焦点を定めた「ミラル」(10年)を見た。歴史を正しく見据え、パレスチナ人の心情に沿った作品である。監督は「潜水服は蝶の夢を見る」と「ルー・リード/ベルリン」で才人ぶりを発揮したジュリアン・シュナーベルで、ミラル役は「スラムドッグ$ミリオネア」で可憐なラティカを演じたフリーダ・ピントだ。

 ユダヤ人はイスラエルという国の形を得るや、アウシュビッツの悲劇を反転させ、抑圧者の醜い貌でジェノサイドを実行する。本作はパレスチナ人の女性ジャーナリスト、ルーラ・ジブリエールの原作を映画化したもので、脚本も作者自身が担当している。ちなみにミラルとは、「人知れず道端に咲く赤い花」の意という。

 建国直前のイスラエルで、民兵が多くのパレスチナ人を虐殺する。家族を失った子供たちを保護したヒンドゥは、「ダール・エッティフル」を設立し、教育によるパレスチナ人の自立に貢献する。ミラルもヒンドゥの薫陶を受け、世界に羽ばたいたひとりだ。ヒンドゥはパレスチナ人にとって闇夜の灯だったが、宿命に翻弄された女性もいた。ミラルの実母ナディア、ナディアが獄中で出会うファーティマである。

 17歳になったミラルは、教師として訪れた難民キャンプでイスラエル軍の暴虐を目の当たりにする。親友の死と恋人ハーニの存在が、彼女を抵抗にのめり込ませた。暴力に対抗するには暴力しかないのか、理と知を結集して憎悪を克服する手段はあるのか……。本作は見る側にこう問いかけるが、俺はもちろん後者に与する。

 ミラルは従兄弟の恋人リサと親しくなり、家に招かれた際、イスラエルの軍人であるリサの父と言葉を交わす。25年前には垣根を超えた恋や友情が成立していた。北アイルランドも同様で、英国政府が強権(=狂犬)的な振る舞いに出る前は、カトリックとプロテスタントの信者たちは緊張感の中で共存していた。

 人は誰しも、差別意識や排外意識と、それを克服しようとする意志を併せ持っている。融和と交遊の礎になる個としての寛容と成熟を破壊するのが<テロ国家>だ。だが、希望を失くしてはいけない。世界の最底辺でコミュニティーを形成してきたユダヤ人なら、苦難の道を歩むパレスチナ人と共存できる……。「ミラル」の制作サイドは見る者にこう訴えたかったのだ。

 遠く離れた日本も、基地問題などでパレスチナと分かち難く繋がっている。俺も尽きかけた想像力をフル稼働して世界を感じていたい。「ミラル」は人間の崇高さを教えてくれるだけでなく、想像力を補給するための格好の作品だった。
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「シャーロック」~21世紀に甦った名探偵

2011-09-01 02:15:12 | 映画、ドラマ
 前稿の最後、<想像力を駆使して世界を体感することがすべてのスタートライン>と記したが、一昨日(30日)、想像力の放棄を示す事態に愕然とする。福島第1原発で作業に携わった男性が急性白血病で死亡したが、東電関係者は「放射能漏れとの因果関係はない」と説明した。

 想像力を少し働かせてみる。野田政権はいずれアメリカや経産省に屈服し、菅政権の脱原発を反故にするだろう。10年後、東北や関東で甲状腺がんに罹った若者は、<原発事故と因果関係はない>と切り捨てられる。棄民の伝統を踏まえた上で想像できる確実な未来だ。

 想像力を刺激されるドラマを堪能した。BSプレミアムが3夜連続で放映した「シャーロック」で、ビクトリア朝の名探偵が斬新に甦った。オープニングで煌めくTDKとSANYOのイルミネーションが、21世紀のロンドンが舞台であることを一瞬で印象づける。

 俺の読書ライフは中学生時代、ミステリーからスタートした。クラスメートの多くが創元推理文庫を鞄に入れていたが、ホームズ派は少数だった。当時の1番人気はヴァン・ダインで、その代表作「僧正殺人事件」と「グリーン家殺人事件」、「樽」(クロフツ)、「黄色い部屋」(ルルー)、「赤毛のレドメイン家」(フィルポッツ)が俺にとっての推理小説ベスト5だ。

 「シャーロック・ホームズの冒険」(NHK/グラナダTV制作)で、俺はホームズの魅力に気付いた。親しかった女性は筋金入りのシャーロキアンで、二人でビデオを繰り返し見た時間が懐かしい。彼女を含め、ジェレミー・ブレットを〝理想のホームズ俳優〟と見做すファンは多い。

 本作のホームズ(ベネディクト・カンバーマッチ)は凄惨な事件に大はしゃぎし、退屈な時は部屋で銃をぶっ放すなど子供っぽい。ワトソン(マーティン・フリーマン)は軍医としてアフガニスタンに赴いたという設定だ。ワトシンは原作と同じく事件の語り部だが、手段はブログだ。上から目線のホームズが癪に障るのか、名探偵の変人キャラを余すところなく記すことで読者を楽しませている。

 そもそもホームズは、下降志向の社会的不適応者だ。整理整頓が出来ず家主のハドソン夫人に叱られたり、ワトソンに阿片窟から救出されたり、調査のため貧民街で物乞いに変装したり、柔術の名人だったりとエピソードに事欠かない。東洋への憧憬は第2話「死を呼ぶ暗号」に受け継がれていた。

 本作で面白かったのはハドソン夫人を筆頭に、知人たちがホームズをゲイと確信し、ワトソンを恋人と勘違いしていることだ。アイリーン・アドラーが唯一の例外で、ホームズが女性を愛した形跡がないのは、観察力が鋭いからだ。第1話「ピンク色の研究」では、女性の性的行動を瞬く間に見抜いてしまうホームズの悲しい資質が描かれている。謎がたちどころに解けて幻想と無縁だから、ホームズに恋愛は不可能なのだ。

 ホームズは携帯とノートパソコンを手に、瞬時にパズルを解いていく。メールの内容やホームズの直観がテロップで画面に印字されるが、俺のような老いたアナログ人間は、展開についていくのが精いっぱいだった。第3話「大いなるゲーム」の宿敵モリアーティとの頭脳戦は、緊張感とスピードに溢れていた。モリアーティの人物像は、<ネット上の悪意の結晶軸>といえる。映画「シャーロック・ホームズ」(09年)同様、続編が確実と思わせるラストだった。

 この人、明晰過ぎて不幸だな……。俺がこう感じたのは、開高健とホームズだ。俺みたいに鈍な方が、生きるには楽かもしれない。女性もいっぱい好きになれるし……。
コメント (2)
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