酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ダムネーション」&「脱成長ミーティング」~共通する世界観

2017-11-30 23:48:49 | カルチャー
 25日は午後、第23回ソシアルシネマクラブすぎなみ上映会(高円寺グレイン)で「ダムネーション」(14年、ベン・ナイト&トラヴィス・ラメル共同監督)を観賞し、夜は「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)に参加した。

 まずは「ダムネーション」から。製作に携わったパタゴニアはアウトドアのファッションメーカーで、CSRに留意し環境保護に取り組んでいる。全米で7万5000基あるダムの負の側面を暴き、ダムバスターたちの思いに迫った作品だ。かつて米国経済を支えたダムは現在、多くが無駄な存在になっている。

 前川前文部次官のように、内部告発する者もいる。ダム保持と管理を担当する陸軍工作隊の幹部が<効率的ではないダムは税金の無駄>と訴えたが、受け入れらなかった。ダムの維持、新設に関わる政官財の癒着は甚だしいが、最大の罪は生態系の破壊だ。

 河川を遡上するサケの通路を遮られ、<サケの文化>を奪われた先住民族の証言に、日本のアイヌが重なり、池澤夏樹の小説を思い出した。「静かな大地」では明治政府に弾圧されたアイヌを、「氷山の南」ではアイヌとアポリジニの少年の交流が描かれていた。アメリカの先住民族-アイヌ-アポリジニにとって、自然と調和が最大の価値である。

 ダム撤去を訴える側は<水は人間の体の中の血液>と考え、ダムバスターたちはアートで思いを表現する。ある活動家の言葉、<行動なき感傷は魂を殺す>が心に刺さった。今後の俺の指標になるかもしれない。

 第14回「脱成長ミーティング」のテーマは「楽しい縮小社会~小さな日本でいいじゃないか」だった。講師の松久寛京大名誉教授は関西で「縮小社会研究会」を主宰している。<縮小社会≒脱成長>で、東西の〝同志〟の連携は広がっていくだろう。メガバンク行員、研究者、官僚、農業従事者に加え、介護の現場を知る人たちの発言に感銘を覚えた。

 本題に入る前に、絆について……。エネルギー関連のNGOでインターンを務めるK君(立命館大4年)は、「ソシアルシネマクラブすぎなみ」代表である大場亮さんの仲介で参加した。ちなみに「ダムネーション」公開時にコメントを寄せていたのが「脱成長ミーティング」共同発起人の高坂勝さんである。

 K君との京都話を聞いていたのが、もうひとりの共同発起人の白川真澄さんで、俺と中学の同窓生であることが判明する。常に冷静で論理的な白川さんが76歳と知り、驚いてしまった。散会後、K君と席を設け、鋭い感性に感心する。供託金問題が民主主義の桎梏になっていることを、K君はたちどころに理解した。

 閑話休題。故森毅京大名誉教授を彷彿させる松久氏の語り口は、ユーモアと毒に満ちていた。ざっくばらんで隙も多く、本人いわく、批判されることも多いらしい。理系(専門は機械理工学)の論理と、文系のファジーさがいい案配で入り混じっている。

 グリーンズジャパン主催「時代はゼロ成長か」(10月14日)で水野和夫氏は「政官財が成長は無理と考えていることが、ゼロ金利になって表れている」と話していた。松久氏も数々の数字を挙げて、日本に成長は不可能だと強調する。

 1人当たりのGDPは17位で、OECD加盟国で貧困率は最も高い。しかも、日本の成長が身を削る長時間労働によって達成されたことは。ドイツやフランスの労働環境と比べても明らかだ。次々に明らかになる大企業の不祥事も制度疲労というべきで、この国は<縮小=脱成長>に向かう時機に来ている。

 アベノミクスとは、会社が社員を奴隷化するために用いるツール(人事考課制度)と似ている。給料アップは難しく、希望のない社員に適当な目標を設定して支配すという仕組みに国全体が囚われている。成長、進歩という量的拡大に、政党もメディアも縛られているのだ。

 松久氏は「核のゴミを出すだけ」と原発に批判的だが、<再生可能エネルギーが世界を救う>という理想を科学者の目で否定していた。<少子高齢化→人口減>についても、松久氏は自然の摂理として受け止め、歓迎すべき状況と受け止めているように感じた。

 縮小社会も脱成長も量から自由になり、質の向上を志向する。ベースとして支えるのは「ダムネーション」が掲げた共生、寛容、調和の理念であり、世界観といっていいものだ。AIが社会を変えようとする現在、個としての構えが重要になっていることを再認識した週末だった。

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美術館、映画館、複製画家~ゴッホに親しんだ晩秋

2017-11-26 22:37:37 | カルチャー
 会社を辞め、ブログを書き始めてから勤勉になったが、この1カ月、インプットの量に脳が悲鳴を上げている。今稿は門外漢の美術だから尚更だ。先週は美術館、映画、ドキュメンタリーでフィンセント・ファン・ゴッホに親しんだ。様々な伝説と謎に彩られた画家である。

 まずは「ゴッホ展~巡りゆく日本の夢」(東京都美術館)の感想から。日本の浮世絵がゴッホに与えた影響を、作品を並べて掲示していた。鑑賞者の多くは美術通で、漏れ聞こえてくる会話に理解の深さが窺えた。美大生と思しきカップルをガイド役に、こっそり、いや、気付かれていたはずだが、後をついて回り、解説に聞き入っていた。

 ゴッホといえば情熱と狂気をキャンバスに込め、淡色系の日本画と対極に位置する画家というイメージを抱いていた。本展で筆致、構図、色遣いの共通点を示されると、〝巡りゆく日本の夢〟のサブタイトルがリアリティーを増してくる。

 翌日、TOHOシネマズ六本木ヒルズで「ゴッホ~最期の手紙~」(17年、ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン共同監督)を観賞した。ゴッホが死の直前、弟テオに宛てた手紙を託されたアルマン(ダグラス・ブース)が、パリ、アルルとゴッホゆかりの地を訪ねるという設定だ。

 本作の肝は斬新な手法だ。実写映画として撮影し、CGアニメーションでゴッホの絵と合成させるため、俳優たちはグリーンバックを背景に演技する……。と書いてもチンプンカンプンだ。120人以上の画家による6万2450枚の油絵を基に、高解像度写真や3D技術を駆使して完成に至った〝動く肖像画集〟といえるだろう。美術に関心のある方はぜひ映画館に足を運んでほしい。

 銃による自殺が通説だが、本作は新たな仮説を提示している。純粋過ぎることは、時に周囲との確執を生む。「耳切り事件」でゴッホと世間との溝は決定的になった。困窮に喘ぎ、放浪を続けるゴッホを支えてきたテオもまた、厳しい状況に追い詰められていた。

 ゴッホの理解者であり、論争相手でもあったのがガジェ医師(ジェローム・フリン)で、本作ではゴッホの死の真相を知る者として登場する。著名人を含む多くの日本人がガジェ家を訪ねた際に署名した芳名録は「ゴッホ展」に展示されている。観賞後、俺はあることに気付いた。「ゴッホ~最期の手紙~」に日本の痕跡が全くないことだ。

 一昨日、ドキュメンタリー「中国のゴッホ 本物への旅」(NHK・BS1)を見た。世界の複製画市場を席巻しているのが中国で、広東省深圳市にある大芬油画村では1万人以上が油絵の複製を制作している。中国は欲望の渦の中心で、高層ビルが林立する深圳の夜景に圧倒された。

 ゴッホは28歳で画家になり37歳で亡くなったが、魂の継承者は多い。そのひとり、趙小勇も大芬油画村で工房を営み、ゴッホを20年描き続けてオランダの業者に送っていた。趙は夢の中に現れたゴッホと会話するほど心酔している。本物を見たいと訪れたアムスステルダムで、趙はショックを受ける。自分の絵を買い取っているのは土産物商であることを知った。

 ゴッホ美術館で、ゴッホの作品に触れ、趙は打ちのめされる。ゴッホに近づきたいという願いは無意味だったと実感する。平面上の距離ではなく、ゴッホが異次元に聳える画家であることを思い知らされたのだ。趙は帰国後、方向転換を試みる。複製ではなくオリジナルの作品を描くことを決意した。趙が敬愛する祖母、街並み、工房を題材に描いた絵が紹介されていた。作風はゴッホに似ているが、自立した画家としてスタートを切るのに相応しい作品だと思う。

 美術館、映画館、そしてドキュメンタリーと、眺める場所によってゴッホは異なる像を結んでいる。ゴッホとは巨大でカラフルな蜃気楼なのだろう。
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「婚約者の友人」~宿命と不条理という名の悪魔

2017-11-23 22:27:36 | 映画、ドラマ
 昨暮れから今年にかけ、オックスフォード大出版局が〝2016年の言葉〟として選んだ<ポストトゥルース>を至る所で耳にした。<脱真実あるいは真実後の時代>を象徴するフレーズを最初に目にしたのは辺見庸のブログで、<リアルタイムに自己と現実を客観化することが至難の業になった>と記していた。

 インテリ層限定ゆえ世間に広がらず、来月発表される流行語大賞にノミネートされなかった。候補をチェックして〝決まり〟と思える「忖度」は、それこそ政権への〝忖度〟で受賞を逃すだろう。「他者の心を推し量る」という意味だが、〝他者=最高権力者〟となれば、きな臭さを拭えない。

 「相棒~シーズン16」第6話の「ジョーカー」では、貴い犠牲と愛が政官の忖度を抉っていた。杉下(水谷豊)が法の正義を説く場面も決まっていたし、甲斐(石原浩二)と衣笠(大杉漣)の暗闘の行方も気になる。長年の「相棒」ファンは大河内(神保悟志)の悲恋を描いた「シーズン2」第18話「ピルイーター」)を思い出したに違いない。

 シネスイッチ銀座で「婚約者の友人」(16年、フランソワ・オゾン監督)を見た。モノクロームとカラーを織り交ぜた本作の時代設定は第1次大戦終結直後だ。戦勝国フランスから青年アドリアン(ピエール・ニネ)がドイツの小さな町を訪れる。戦死したフランツの墓前に花を手向け、号泣する様子を目にしたフランツの婚約者アンナ(パウラ・ベーア)は、心を強く揺さぶられた。

 「欧州各国で大ヒット」、「映画祭で絶賛」と鳴り物入りの作品だが、エンドマーク直後はピンとこなかった。ハリウッド的予定調和に慣らされていることもあるが、最大の理由は、「この映画には悪魔が登場する」という予告編を見た時の直感が外れたことである。

 悪魔、あるいは悪魔的個性が登場し、陰翳を浮き彫りにするモノクロ映画に魅せられてきた。マルセル・カルネの「悪魔が夜来る」、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの「悪魔のような女」、イングマール・ベルイマンの「第七の封印」、ロマン・ポランスキーの「水の中のナイフ」、イェジー・カヴァレロヴィチの「尼僧ヨアンナ」と挙げればきりがない。

 敵国兵士の墓前に跪く謎めいた青年とくれば、恐らく悪魔的……。そう睨んだアドリアンは繊細なバイオリニストで、悪魔と程遠い。アドリアンが語るフランツとの友情に、アンナのみならず、フランツの両親も深い感銘を覚える。恋の芽生えが繊細なタッチで描かれるが、アドリアンの告白で暗転する。アンナ役のパウラ・ベーアは撮影当時、20歳だった。内に秘めた強靱さを目力で表現する新星に、俺は高峰秀子を重ねていた。

 前稿のテーマは戦争と武器だった。対峙した敵を殺さざるを得なかった100年前と、ボタンひとつで殺傷可能な現在では<戦争の形>は異なる。ドローン操縦者も罪の意識に苦しんでいることを考えれば、アドリアンのトラウマは想像を絶するはずだ。アンナとアドリアンを分かつ宿命と不条理こそ、まさに悪魔的だった。嘘の連鎖に縛られたアンナは、絶望の闇に吸い込まれていく。

 アドリアンが奏でるショパンの遺作「ノクターン」、ヴェルレーヌの「秋の歌」、詩、そして、謎めいたラストシーンの後景に飾られたエドゥアール・マネの「自殺」……。アートが伏線としてちりばめられた格調高いミステリーだった。原題が「フランツ」である理由を今も探している。

 ドイツ国民が敗戦後に抱いた復讐心、憎悪の連鎖も描かれていた。本作のベースになった「私の殺した男」(1932年)のエルンスト・ルビッチ監督は30年代半ば、ドイツを出国する。ユダヤ人のルビッチは、ナチズムの恐怖を最も速く予感していたひとりに違いない。
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「亡国の武器輸出」~NAJAT集会に参加して

2017-11-19 22:38:42 | 社会、政治
 「科捜研の女~シーズン17」第3話「折り鶴が見た殺人」(11月2日放映、テレビ朝日系)の背景に描かれていたのは、ハイテク企業顧問の女性の不戦の誓い、自社製品の武器転用を阻止するという覚悟だった。

ドラマのテーマと重なる集会に先日(15日)、参加した。武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)主催、「亡国の武器輸出~日本版軍産複合体の今」(文京区民センター)である。講演者は青井美帆氏(学習院大教授)、池内了氏(名古屋大名誉教授)、そして知人でもある杉原浩司氏(MAJAT代表、緑の党東京共同代表)である。

 辺見庸はブログで「世界」最新号に掲載された笠原十九司氏(中国近現代史研究者)の「戦争の<前史>と<前夜>」に言及していた。笠原氏は歴史修正主義者が巣くう政権中枢をメディアが補強する現状は<戦争前史>で、遠からず<戦争前夜>を迎えると警鐘を鳴らしていた。集会参加者は笠原氏と認識を共有している。

 質疑応答を含め、3人の論点を簡潔に紹介したい。まずは「9条改憲の動きと武器輸出三原則」をテーマに話された青井氏から。上記した「科捜研の女」に登場した女性にも共通するが、武器輸出のバックボーンは<道義・倫理・矜持・良心>であることが、青井氏の言葉に滲んでいた。

 外為法に基づく政令によって武器輸出三原則の運用を変更したのは野田政権で、官房長官談話による〝騙し討ち〟だった。安倍政権で閣議決定した「防衛装備移転三原則」には正統性が伴っておらず、<平和国家としていかにあるべきかが武器輸出三原則の本籍>と捉える青井氏は、憲法の精神に則り、議論を尽くして原点に返るべきと強調していた。

 池内氏のテーマは「軍学共同の現状と反対運動の課題」である。2013年、<大学や企業と連携を深め、防衛について応用可能な民生技術(デュアルユース)の活用に努める>旨、閣議決定され、委託研究制度がスタートした。17年度の予算は6億円から一気に110億円にアップしたが、大学からの応募は微減する。日本学術会議による決議(1967年)を継承し、<戦争目的の研究は行わない>との声明を今年発表したことが理由のひとつに挙げられる。

 国民の現憲法へ支持は根強く、学問の軍事化を望んでいない。その点をシンポジウム等で訴えることが、軍学共同を抑止する手段になる。一方で、公募に応じ採択される企業は増加している。可能性としての話だが、池内氏は加計学園の獣医学部について興味深い指摘していた。新設に向けた4条件に、生化学兵器開発に向けた動物実験が含まれているとの見方があるという。いずれ、真実は明らかになるだろう。

 杉原氏のテーマは「武器輸出する平和国家は存在し得ない」だった。杉原氏は俯瞰の目で、武器の流れをチェックしている。日本の武器輸出は難航しているが、日米のみならず日英、日仏間で共同開発は進展している。今年5月の自衛隊法改定により、中古武器の無償譲渡が解禁された。来年3月にフィリピンに譲渡される武器は、反政府勢力鎮圧に用いられる可能性が高い。官邸は「武器輸出版ODA」創設を財務省に指示しているという。

 UAEといえば競馬のドバイワールドカップで馴染みが深いが、サウジアラビア主導の連合軍の一員として、イエメン無差別空爆に手を貸している。NAJATは現在、UAEへのC2輸送機輸出を踏みとどまるよう川崎重工にアクションを起こしているのだ。AIの軍事利用など示唆的な内容を含んでいた。

 質疑応答コーナーで、<武器輸出入禁止を実現した後の国家像は>という俺の抽象的な質問が取り上げられた。平和国家は当然だが、憲法9条の精神を他国に広げていくことが必要だと、杉原氏は語っていた。武器輸出入というテーマは、憲法や教育のみならず、社会全体を見つめ直すきっかけになることを確信できた。
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ミューズ@横浜アリーナ~エンターテインメントと世界観の鮮やかな融合

2017-11-16 22:37:52 | 音楽
 一昨日(14日)、横浜アリーナでミューズを見た。新作発表を来年に控えたエクストラツアー(フェスを含む)の一環なのだろう。主力は20~40代だが、俺に近いアラカンの客もチラホラ見かけた。

 デビュー直後(1999年)に彼らを認めたのが「ロッキング・オン」誌で、<今回のステージは、スピード感と洗練度、そしてエンターテイメント度においてピカ一ではないか>との渋谷陽一社長の評は的を射ている。10代前半にバンドを結成してから四半世紀、SMAPは壊れたが、マシュー・ベラミー、ドミニク・ハワード、クリス・ウォルステンホルムの3人は今も強い絆で結ばれている。

 ショーケースライブ(2001年)はガラガラだったし、翌年のZEP東京も満杯ではなかった。それでもマシューは、好きな女の子に自分の全てを伝えようとする少年のように熱かった。過剰なまでのサービス精神こそ、成長の糧だと思う。

 ♯1「ディッグダウン」、♯2「サイコ」、♯4「ヒステリア」、♯5「プラグ・イン・ベイビー」、♯7「ストックホルム・シンドローム」、♯8「スーパーマッシブ・ブラックホール」までタイトで尖った流れに圧倒される。♯11「マッドネス」、♯15「タイム・イズ・ランニング・アウト」、♯16「マーシー」と人気チューンが続き、マシューは♯14「スターライト」で客席に降りてスキンシップした。

 不惑直前にはきついはずだが、外国人がコンサート評を書き込む際の締めの常套句“as usual”そのまま、超絶のパフォーマンスを普通にやってのける。酷な連戦を厭わぬボクサーの如く、不断の鍛錬に支えられているからだ。公式、非公式問わずアップされたライブ映像でファンを増やすミューズは。はYoutube時代の申し子といっていいだろう。 

 フジロック07に出演した際、ミューズはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに受けた影響を強調し、その後の3枚のアルバムで<世界観>を提示した。レイジ20周年記念フェス「LAライジング」に招請されたことを「キャリア最高の出来事」とマシューは語っていた。ラディカルでコアなレイジのファンにも高い評価を受けた。
 
 ミューズは<世界観>を示してライブを締め括った。♯17は欲望に破壊尽くされた国家をテーマにした「ザ・グローバリスト」から、無人攻撃機への反撃を誓う「ドローンズ」へのメドレーだ。叛乱を呼び掛ける♯18「アップライジング」、「権利ために闘え」とアジる♯19「ナイツ・オブ・サイドニア」にバンドの意志を感じた。「レジスタンスツアー」でステージに巨大な三角形を逆さに吊るした意味を聞かれ、「三角形はヒエラルヒーの象徴。逆さにした意味はわかるよね」とマシューは語っていた。

 大統領選でバーニー・サンダースのキャンペーンに加わったフォスター・ザ・ピープルも新作は全く売れなかった。〝反資本主義的〟と見做されることはショービジネス界で御法度といえる。レイジの〝後継バンド〟ミューズは全米でアリーナツアーを敢行するため、あざとい戦略を用いているはずだ。大統領選でヒラリーと並んだ写真をSNSに載せたのも苦肉の策だったのか。

 当日のライブはバンドのフェイスブックでストリーミング配信された。復習として視聴し、<チーム・ミューズ>の底力に感嘆する。リアルタイムでこれほどの動画を制作するには、メンバーの立ち位置、表情、指の動き、照明、スクリーンの映像、ファンのリアクションを完璧に把握しておく必要がある。綿密に準備された奇跡の一発録りといっていい。

 1stアルバムが全英29位だから、鳴り物入りで来日する他のUK勢と比べて、未来が開けているとはいえなかった。それでも<チーム・ミューズ>は確信を持って雛を怪鳥に育て上げた。さらなるパフォーマンスの進化と世界観の深化を期待している。

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「沈黙法廷」、そして「女神の見えざる手」~女たちの光芒

2017-11-13 22:55:53 | 映画、ドラマ
 先週末はドラマと映画で、女たちの光芒に魅せられた。まずは録画してまとめて見た「沈黙法廷」(全5回=原作・佐々木譲)から。東京と埼玉で連続して起きた老人不審死事件の容疑者として、家事代行の山本美紀(永作博美)が逮捕される。物証はなかったが、美紀は毒婦と書き立てられた。

 WOWOWドラマが高品質を維持している第一の理由は、定評ある小説を脚色していること。第二の理由は豪華なキャスティングだ。優し過ぎることが誤解を招き、他者を不幸にしてしまう女性を演じた永作を、男優陣がもり立てていた。突然姿を消した美紀を信じ続ける恋人を市原隼人、やさぐれ弁護士を田中哲司、真相を追う刑事を杉本哲太……。それぞれの情熱、正義、執念が紡がれて冤罪を食い止める。

 警視庁と埼玉県警の不毛な縄張り争い、TVディレクター(甲本雅裕)が体現するメディアの軽薄さ、そして、絶望的な貧困と高齢化社会……。社会性の濃いドラマだが、見る者がカタルシスに洗われるのは、普遍的な愛と孤独をテーマに据えていたからだ。

 日比谷シャンテで「女神の見えざる手」(16年、ジョン・マッデン監督)を観賞した。俺が見た回はチケット完売の盛況だった。銃規制を俎上に載せた本作の主人公は敏腕ロビイスト、リズ・スローン(ジェシカ・チャステイン)である。ネタバレは最小限にとどめたいが、Yahoo!のレビュー(4・25点)通りの快作だった。

 映画通の友人に意外な事実を知らされた。米国での評価はイマイチで、数館限定公開ゆえ、興行成績は惨憺たるものだったという。だから、本作を見て驚いたという。この落差の背景にあるのは、体制(閉塞した二大政党制)に刃向かう者は許さないという権力側の意志ではないか。監督は英国人で、米仏合作と欧州テイストが濃いからこそ、米国を蝕む病巣を直視できたのか。

 俺はフランク・キャプラの「スミス都へ行く」(1939年)を本作に重ねていた。キャプラは社会主義者のレッテルを貼られ、ハリウッドから事実上追放される。<米国映画史上NO・1>と謳われる「素晴らしき哉、人生!」(46年)も政権の意を酌んだ批評家の集団リンチを浴び、興行的に惨敗した。

 無敵のロビイストに上り詰めたリズに仕事が舞い込む。銃規制を望む世論を恐れた米国最大の圧力団体、全米ライフル協会に、賛成派の切り崩しを依頼されたのだ。<信念より金>を選ぶのが当然の業界で、リズは叛旗を翻し、規制推進のキャンペーンを進める事務所に移った。〝チーム・リズ〟は妨害と闘いながら、議員たちの間に支持を広げていく。

 米国では、先進国で当然と見做される医療保険制度が社会主義的と攻撃され、<銃規制=自由の侵害>という主張がまかり通っている。政治を動かす〝見えざる手〟を形作るのは、潤沢な資金と謀略であることを本作は示唆していた。政治力学を知り尽くしたリズも、正しい目的を追求しながら、見えざる手、禁じ手、時には看過出来ない魔の手を使う。

 自身の抹殺のために開かれた公聴会で、リズは鮮やかな逆襲に転じる。違法な過去の手続きと、それに伴う罰も、心身のリフレッシュも計算ずくだったことに、観客は気付かされる。銃規制法案の可否だけでなく、米政界の腐敗を暴くためにリズは差し違えた。共和党も民主党も、こんな映画を自国民に見せたくはない。だから本作も不当に葬られた。

 ラストシーンでリズの驚いた視線の先、一体誰が立っていたのかは、観客に委ねられている。リズに決定的に足らないのは愛だ。だから、俺はある答えを想定したが、無理筋かもしれない。酷いシーンも想定の範囲内だ。見えざる手に従った銃撃者がリズを待ち構えていても不思議はない。

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「ナニカアル」~林芙美子の疼きに感応した桐野夏生

2017-11-10 12:22:23 | 読書
 トランプ大統領のアジアツアーが佳境に入った。日本政府の卑屈さは米主要メディアで嘲笑の的だが、この国の保守派は安倍首相の矜持のなさを責める風もない。トランプは日本で拉致被害者家族と面会し、韓国では元従軍慰安婦を抱擁した。まさか〝人権派〟? そんなはずはない。

 前稿でオバマを<死の商人の頭目>と記したが、日韓に高額の武器輸入を強要したトランプは上を行く。米中で28兆円の商談を成立させるなどディール(取引)外交そのもので、軍需産業とグローバル企業を潤している。

 <トランプ-安倍-金正恩>のトリオが吠えるほど空虚になる戦争という言葉がリアルに響く小説を読んだ。桐野夏生著「ナニカアル」(10年)は、偶然発見された林芙美子の手記の形を取っており、〝辻原登の十八番〟、虚実ない交ぜのメタフィクションの手法を用いている。従軍体験を綴った手記のラストに大胆な推理が用意されていた。

 林芙美子は一作も読んでいないが、脳内の引き出しに<林芙美子-成瀬巳喜男-高峰秀子>がセットになって仕舞われていた。当稿を書く際にチェックしてみると、このトリオが成立したのは「稲妻」、「浮雲」、「放浪記」の3作だけだった。「ナニカアル」の林芙美子と重なった「あらくれ」の原作は徳田秋声である。記憶を整頓出来ないのは、数ある俺の欠点の一つだ。

 林、成瀬、高峰、脚本の水木洋子(「ナニカアル」に登場)にとって代表作である「浮雲」を辛口に評してきた。ゆき子(高峰)の一途さに比べ、兼吾(森雅之)の弱さに苛立ちを覚えたからである。本作でW不倫の相手である斎藤謙太郎(毎日新聞記者)の個性も兼吾に近い。「浮雲」を「情婦マノン」(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)の劣化版とまで書いた記憶がある。「ナニカアル」を読んで、目からウロコの思いがした。自身の不明を恥じ、前言を訂正したい。

 俺は<男は常に積極的で、女性を守るべき>という男権主義に無意識に囚われていた。林は強靱な〝あらくれ〟で、他の作家たちにルンペンプロレタリアートと揶揄されるように、底辺から這い上がってきた。尋常の男が太刀打ち出来るはずもなく、フェロモンを発散していたに相違ない。〝美魔女〟桐野は、林の奔放さ、規格外の生き様に共感を抱き、その情念、憤怒、悲しみを自身に重ねて「ナニカアル」を執筆した。

 林は従軍作家として中国に派遣され、南京と漢口への一番乗りを果たす。そのルポは評判を呼び、朝日新聞の部数を伸ばしたが、9月8日の稿<「時間」~堀田善衛が問う南京大虐殺の真実>に記した日本軍の蛮行には触れていない。軍に行き先を決められ、検閲されている以上、限界があった。

 1942年秋、林は南方戦線に派遣される。斎藤との逢瀬も実現したが、そこに罠が用意されていた……。と書く俺も、桐野の仕掛けた罠にかかったようだ。東京と南方のカットバックで、林は女の生理で戦争への忌避感を募らせていく。

 戦争とは何か……。これは現在の日本と無縁ではない。秘密保護法がもたらす自由の簒奪と社会を覆う閉塞感、上からの統制と下からの集団化、そして排外意識と排除の論理だ。自由を貫こうとする林は、南方を回りながら不可視の「ナニカ」を感じる。斎藤を巡る蠢きも「ナニカ」の影だった。

 桐野は林芙美子に感応し、一体となって乾きを描き切った。英米支局に赴任経験のある斎藤に<君は戦意高揚に協力しただけ。「放浪記」しか後生に残らない>と指摘され、気持ちは急激に冷める。東京での再会シーンはあまりに切なかった。でも、「ナニカ」は確かに存在した。形になった愛として……。

 桐野はキャリアを積むにつれ、ミステリーの範疇を超えたスケールを獲得した感がある。「ポリティコン」など他の作品も少しずつ読んでいきたい。人間の心の闇を抉ってきた桐野のこと、座間の事件にも関心を寄せているはずだ。

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ステレオフォニックス、モグワイetc~読書の供に新譜あれこれ

2017-11-06 23:11:01 | 音楽
 犯罪者(安倍首相)と道化師(トランプ大統領)のツーショットに辟易したが、トランプはいつ失脚しても不思議ではない。大統領選時の選対幹部に続き、ロス商務長官にもロシア疑惑が「パラダイス文書」で発覚した。ロス長官はプーチン大統領の親族が経営する企業から莫大な利益を得ていたという。

 <トランプ=右派>の看板を信じている人は、「なぜロシアと親密なのか」という疑問を抱くかもしれない。陰謀史観に与するつもりはないが、<安倍-トランプ-金正恩>を兵器産業の掌で踊るパペットトリオと見る識者もいる。ちなみに、平和主義者の仮面を被ったオバマ前大統領は兵器産業幹部を引き連れて外遊し、<死の商人の頭目>として名を馳せた。

 冬の気配が忍び寄ってきたものの読書の秋、老眼で文字を追うのに難儀しながらページを繰っている。読書の供として重宝しているアルバムの感想を記す前に、ロック界のゴシップあれこれ……。

 「ロッキング・オン」のHPを毎日チェックしているが、最も登場頻度が高いのはノエル&リアムのギャラガー兄弟だ。解散して8年が経っても、英国でのオアシス人気は不動で、兄弟のバトルが格好のネタになっている。巻き込まれたのが両者と交遊のあるポール・ウェラーだ。「歌詞面については標準以下」と新作を評された〝喧嘩屋〟リアムはすぐさまツイッターで反撃する。ちなみにポールはノエルのソロアルバムに参加していた。

 上記の「パラダイス文書」で租税回避を暴露された著名人の中に、ボノの名があった。アフリカなど途上国のNGOから〝上から目線の慈善は無意味〟と批判されているボノは、親族が経営する化粧品会社(原料はアフリカ産)で富を得ている。今回の件で限界が露呈した。

 ようやく本題……。4枚の新作を紹介する。まずは、グリズリー・ベア(GB)の5年ぶりの新作「ペインテッド・ルインズ」から。メランコリックなメロディーに彩られ、聴き込んでいくうち、脳裏のスクリーンに幾つもの水彩画が浮かんでくる。かといって淡色ではなく、曲ごとにカラフルな表情を見せている。

 2010年前後、俺はGB、ダーティー・プロジェクターズ(DP)、ローカル・ネイティヴズ(LN)の3バンドに多大な期待を寄せていた。その後、彼らはどうなったか。GBは活動停止を経て復活したが、DPは個人プロジェクトに回帰し、史上最高のライブバンドになる可能性を感じたLNは失速した。俺の見る目がなかったといえばそれまでだが、インディーズの壁を越えられなかった。

 一方で、〝インディーズの雄〟というべきザ・ナショナルは着実に地歩を築いてきた。新作「スリープ・ウエル・ビースト」はバンドの不変の姿勢を感じさせるアルバムだ。「アリゲーター」(05年)以降、本作を含め5枚のアルバムを聴いているが、いずれもハイクオリティーで抑揚が効いている。静謐さを増した本作は熟練の職人芸といっていい。長身のフロントマン、マット・バーニンガーのボーカルスタイルはモリッシーを彷彿させる。

 モグワイといえばダウナーな音の塊にぶちのめされる感があったが、9th「エブリ・カントリーズ・サン」に、万華鏡を覗き込んだ時の燦めきと奥行きを覚えた。柔らかく優しくなった世界に吸い込まれていくような気分を味わった。以前のライブでは、壁に遮られて立ち尽くすような感覚に陥ったが、本作を聴いて次の機会が楽しみになった。

 最後に紹介するのは俺にとって今年のベストアルバムだ。といっても還暦を過ぎてアンテナが錆び付いた今、お馴染みのアーティストの新作を聴くにとどまっているから、サンプルは少ないけれど……。

 3日に世界同時発売されたステレオフォニックスの10th「スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ」はロックの普遍性を体現している。骨太なビートと心地良いメロディーがいい案配にブレンドされ、シャープなグルーヴに高揚感を覚えた。成熟の裏返しでもある喪失も歌詞にちりばめられていた。

 ザ・フーの「ババ・オライリィ」に歌われているように、ロックファンは「十代の荒野」を彷徨っている。還暦過ぎの俺も迷い人のひとりだ。ステレオフォニックスのケリー・ジョーンズは〝フーの息子〟のひとりで、ロジャー・ダルトリーに「普通にやっていけばいい」とアドバイスされたことがあるという。ケリーが実践していることを本作が示している。
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「野良犬」~戦後をビビットに映す傑作

2017-11-03 13:37:41 | 映画、ドラマ
 今回は犯罪特集。現在進行形のリアルな犯罪と4Kで甦った名画だ。

 <犯罪者が、じぶんの犯罪を帳消しにするために、国会を解散し、勝つのをみこして総選挙にうってでた。そして勝った。このプロセスぜんたいが犯罪を構成していることを、あのおとこは知っている。政治とは人民をまきこんだ犯罪そのもの、またはその変形であることを、あのおとこは熟知している>……。

 辺見庸はブログ(10月24日付)でこう記した。〝あのおとこ〟とはもちろん、安倍首相を指している。そして、<この結果は、けっして狂気の産物ではない。戦争が、おどろくべきことに、狂気の産物ではないように、これはむしろ知性と理性と文化の結合である>と続く。日本の現実を穿つ辺見らしい言葉だ。

 SNSが介在した座間市の事件で、〝首相の犯罪〟は掻き消されてしまった感がある。SNSは悪意が巣くう〝タコ壺〟を形成しているが、容疑者逮捕のきっかけも、SNSを利用した〝おとり捜査〟だった。テレビでは専門家(元刑事や心理学者)が容疑者の狂気に言及しているが、明快な答えに至っていない。

 メーンテーマとなる映画のラストで、熟練の刑事が新米に「犯罪者の心理は作家に任せておけ。俺たちは犯罪者を憎めばいい」と語るシーンがあった。<神と悪魔、罪と罰、正気と狂気>をテーマに据えてきた中村文則は、いずれ同事件をベースに小説を書くだろう。「私の消滅」では宮崎勤が重要なポイントになっていた。

 ようやく本題。〝メーンテーマとなる映画〟こと「野良犬」(49年、黒澤明監督)をTOHOシネマ新宿で観賞した。全国の映画館で開催中の「午前十時の映画祭」の一作に選ばれ、上映されている。約30年ぶりの再会で、「面白い」という感触は残っていた。映画館で見るのは初めてだったが、戦後の空気をビビットに映す傑作であることを再認識した。

 新米の村上刑事(三船敏郎)はバスの中でコルトを掏られた。上司の中島(清水元)の温情で免職を免れた村上は灼熱の東京を、野良犬の如く獲物(自身の銃)を求めて疾走する。コンビを組むのはベテラン刑事、淀橋署の佐藤(志村喬)だ。両者は役柄を離れても親密で、三船は終生、志村を父のように慕っていたという。

 ドキュメンタリータッチで、村上の目に映る東京に重なるのはNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」だ。リストラされたタケシ(山田孝之)が1945年にタイムスリップするという設定だったが、49年の東京にも浮浪者、浮浪児が溢れ、有象無象が闇市を闊歩していた。

 圧巻だったのは、後楽園球場で拳銃ブローカーの本多(山本礼三郎)を追うシーンだ。佐藤の「野球狂がこの試合を見逃すはずがない」という予測は的中し、本多は巨人対南海戦のスタンドに姿を現す。別所引き抜きの遺恨もあり、ファンの耳目を集めた試合である。5万余を巻き込んだ大掛かりなロケだった。

 村上と佐藤が捜査で訪ねる先は一様に貧しく、台詞に滲む怒りと怨嗟に、撮影時の事情も窺える。東宝争議で黒澤らは別会社(新東宝)で映画を製作することになる。社会と映画界に渦巻く抗議の声への配慮もあったのではないか。村上、そして彼の銃を入手した遊佐(木村功)は対として描かれていた。復員時、全財産が入ったリュックを盗まれるという経験を共有している。

 カットバックの多用で緊張感は途絶えず、三船の野性がスクリーンから零れていた。価値観の顛倒とアプレゲールの生き様も描かれている。<逆説の美学>と<対位法>に基づく音楽の使い方が斬新で、白眉というべきは野良犬(村上)が狂犬(遊佐)を追跡するシーンだった。<オーソドックスと実験を織り交ぜながら普遍性を維持する>……。黒澤の神業に圧倒されて映画館を出た。

 昼過ぎの歌舞伎町に戸惑いを覚えた。闇化粧を見慣れているが素顔も悪くはない。

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