25日は午後、第23回ソシアルシネマクラブすぎなみ上映会(高円寺グレイン)で「ダムネーション」(14年、ベン・ナイト&トラヴィス・ラメル共同監督)を観賞し、夜は「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)に参加した。
まずは「ダムネーション」から。製作に携わったパタゴニアはアウトドアのファッションメーカーで、CSRに留意し環境保護に取り組んでいる。全米で7万5000基あるダムの負の側面を暴き、ダムバスターたちの思いに迫った作品だ。かつて米国経済を支えたダムは現在、多くが無駄な存在になっている。
前川前文部次官のように、内部告発する者もいる。ダム保持と管理を担当する陸軍工作隊の幹部が<効率的ではないダムは税金の無駄>と訴えたが、受け入れらなかった。ダムの維持、新設に関わる政官財の癒着は甚だしいが、最大の罪は生態系の破壊だ。
河川を遡上するサケの通路を遮られ、<サケの文化>を奪われた先住民族の証言に、日本のアイヌが重なり、池澤夏樹の小説を思い出した。「静かな大地」では明治政府に弾圧されたアイヌを、「氷山の南」ではアイヌとアポリジニの少年の交流が描かれていた。アメリカの先住民族-アイヌ-アポリジニにとって、自然と調和が最大の価値である。
ダム撤去を訴える側は<水は人間の体の中の血液>と考え、ダムバスターたちはアートで思いを表現する。ある活動家の言葉、<行動なき感傷は魂を殺す>が心に刺さった。今後の俺の指標になるかもしれない。
第14回「脱成長ミーティング」のテーマは「楽しい縮小社会~小さな日本でいいじゃないか」だった。講師の松久寛京大名誉教授は関西で「縮小社会研究会」を主宰している。<縮小社会≒脱成長>で、東西の〝同志〟の連携は広がっていくだろう。メガバンク行員、研究者、官僚、農業従事者に加え、介護の現場を知る人たちの発言に感銘を覚えた。
本題に入る前に、絆について……。エネルギー関連のNGOでインターンを務めるK君(立命館大4年)は、「ソシアルシネマクラブすぎなみ」代表である大場亮さんの仲介で参加した。ちなみに「ダムネーション」公開時にコメントを寄せていたのが「脱成長ミーティング」共同発起人の高坂勝さんである。
K君との京都話を聞いていたのが、もうひとりの共同発起人の白川真澄さんで、俺と中学の同窓生であることが判明する。常に冷静で論理的な白川さんが76歳と知り、驚いてしまった。散会後、K君と席を設け、鋭い感性に感心する。供託金問題が民主主義の桎梏になっていることを、K君はたちどころに理解した。
閑話休題。故森毅京大名誉教授を彷彿させる松久氏の語り口は、ユーモアと毒に満ちていた。ざっくばらんで隙も多く、本人いわく、批判されることも多いらしい。理系(専門は機械理工学)の論理と、文系のファジーさがいい案配で入り混じっている。
グリーンズジャパン主催「時代はゼロ成長か」(10月14日)で水野和夫氏は「政官財が成長は無理と考えていることが、ゼロ金利になって表れている」と話していた。松久氏も数々の数字を挙げて、日本に成長は不可能だと強調する。
1人当たりのGDPは17位で、OECD加盟国で貧困率は最も高い。しかも、日本の成長が身を削る長時間労働によって達成されたことは。ドイツやフランスの労働環境と比べても明らかだ。次々に明らかになる大企業の不祥事も制度疲労というべきで、この国は<縮小=脱成長>に向かう時機に来ている。
アベノミクスとは、会社が社員を奴隷化するために用いるツール(人事考課制度)と似ている。給料アップは難しく、希望のない社員に適当な目標を設定して支配すという仕組みに国全体が囚われている。成長、進歩という量的拡大に、政党もメディアも縛られているのだ。
松久氏は「核のゴミを出すだけ」と原発に批判的だが、<再生可能エネルギーが世界を救う>という理想を科学者の目で否定していた。<少子高齢化→人口減>についても、松久氏は自然の摂理として受け止め、歓迎すべき状況と受け止めているように感じた。
縮小社会も脱成長も量から自由になり、質の向上を志向する。ベースとして支えるのは「ダムネーション」が掲げた共生、寛容、調和の理念であり、世界観といっていいものだ。AIが社会を変えようとする現在、個としての構えが重要になっていることを再認識した週末だった。
まずは「ダムネーション」から。製作に携わったパタゴニアはアウトドアのファッションメーカーで、CSRに留意し環境保護に取り組んでいる。全米で7万5000基あるダムの負の側面を暴き、ダムバスターたちの思いに迫った作品だ。かつて米国経済を支えたダムは現在、多くが無駄な存在になっている。
前川前文部次官のように、内部告発する者もいる。ダム保持と管理を担当する陸軍工作隊の幹部が<効率的ではないダムは税金の無駄>と訴えたが、受け入れらなかった。ダムの維持、新設に関わる政官財の癒着は甚だしいが、最大の罪は生態系の破壊だ。
河川を遡上するサケの通路を遮られ、<サケの文化>を奪われた先住民族の証言に、日本のアイヌが重なり、池澤夏樹の小説を思い出した。「静かな大地」では明治政府に弾圧されたアイヌを、「氷山の南」ではアイヌとアポリジニの少年の交流が描かれていた。アメリカの先住民族-アイヌ-アポリジニにとって、自然と調和が最大の価値である。
ダム撤去を訴える側は<水は人間の体の中の血液>と考え、ダムバスターたちはアートで思いを表現する。ある活動家の言葉、<行動なき感傷は魂を殺す>が心に刺さった。今後の俺の指標になるかもしれない。
第14回「脱成長ミーティング」のテーマは「楽しい縮小社会~小さな日本でいいじゃないか」だった。講師の松久寛京大名誉教授は関西で「縮小社会研究会」を主宰している。<縮小社会≒脱成長>で、東西の〝同志〟の連携は広がっていくだろう。メガバンク行員、研究者、官僚、農業従事者に加え、介護の現場を知る人たちの発言に感銘を覚えた。
本題に入る前に、絆について……。エネルギー関連のNGOでインターンを務めるK君(立命館大4年)は、「ソシアルシネマクラブすぎなみ」代表である大場亮さんの仲介で参加した。ちなみに「ダムネーション」公開時にコメントを寄せていたのが「脱成長ミーティング」共同発起人の高坂勝さんである。
K君との京都話を聞いていたのが、もうひとりの共同発起人の白川真澄さんで、俺と中学の同窓生であることが判明する。常に冷静で論理的な白川さんが76歳と知り、驚いてしまった。散会後、K君と席を設け、鋭い感性に感心する。供託金問題が民主主義の桎梏になっていることを、K君はたちどころに理解した。
閑話休題。故森毅京大名誉教授を彷彿させる松久氏の語り口は、ユーモアと毒に満ちていた。ざっくばらんで隙も多く、本人いわく、批判されることも多いらしい。理系(専門は機械理工学)の論理と、文系のファジーさがいい案配で入り混じっている。
グリーンズジャパン主催「時代はゼロ成長か」(10月14日)で水野和夫氏は「政官財が成長は無理と考えていることが、ゼロ金利になって表れている」と話していた。松久氏も数々の数字を挙げて、日本に成長は不可能だと強調する。
1人当たりのGDPは17位で、OECD加盟国で貧困率は最も高い。しかも、日本の成長が身を削る長時間労働によって達成されたことは。ドイツやフランスの労働環境と比べても明らかだ。次々に明らかになる大企業の不祥事も制度疲労というべきで、この国は<縮小=脱成長>に向かう時機に来ている。
アベノミクスとは、会社が社員を奴隷化するために用いるツール(人事考課制度)と似ている。給料アップは難しく、希望のない社員に適当な目標を設定して支配すという仕組みに国全体が囚われている。成長、進歩という量的拡大に、政党もメディアも縛られているのだ。
松久氏は「核のゴミを出すだけ」と原発に批判的だが、<再生可能エネルギーが世界を救う>という理想を科学者の目で否定していた。<少子高齢化→人口減>についても、松久氏は自然の摂理として受け止め、歓迎すべき状況と受け止めているように感じた。
縮小社会も脱成長も量から自由になり、質の向上を志向する。ベースとして支えるのは「ダムネーション」が掲げた共生、寛容、調和の理念であり、世界観といっていいものだ。AIが社会を変えようとする現在、個としての構えが重要になっていることを再認識した週末だった。