酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

白い怪物と女たち~宝塚記念&POG

2015-06-28 12:13:10 | 競馬
 14日は参加したが、24日の「戦争法案に反対する国会包囲行動」はパスした。サボった俺が言うのもおかしな話だが、国会の会期延長が決まったこともあり、メディアの扱いは極めて小さかった。

 最新の世論調査では戦争法案成立反対は80%前後で、内閣支持率は急落している。潮目は変わりつつあるが、拍車を掛けそうなのが、安倍応援団の浅薄さだ.萩生田自民党副幹事長、加藤副官房長官ら安倍首相側近が仕切る勉強会で、言論弾圧を主張する意見が相次いだ。首相の盟友、百田尚樹氏は「沖縄の新聞など潰してしまえ」と発言した。天皇は沖縄地方紙の愛読者だから、世が世なら、百田氏は〝非国民〟の誹りを受けても仕方がない。

 ベイスターズは巨人に連勝して一息ついたが、交流戦で実感したのはセ・パの野球の違いである。俺が思い出したのは1983年夏の甲子園決勝で、圧勝した池田をパ、小技が通じず惨敗した広島商をセに重ねている。今月6日、横浜スタジアムで西武戦を観戦した。ソロ5本で1対5と粉砕されたが、パワフルな西武の投打に清々しさを覚えた。

 3時間後に迫った宝塚記念の予想を。<GⅠ馬6頭の対決>とメディアは煽っているが、牡馬勢があまりに手薄だ。現役最強を競うはずのキズナとエピファネイアが故障でリタイアし、昨年の皐月賞&有馬記念で②着だったトゥザワールドは休養。フェノーメノは引退し、トーホウジャッカルも菊花賞①着以来のぶっつけだ。

 となれば、ゴールドシップに牝馬が挑む<白い怪物と女たち>の構図になる。春天皇賞でファンを震撼させたゴールドシップは気紛れな天才肌で、鞍上の横山典と個性が近く、大ポカだってあり得る。美女?に囲まれた今回は、集中力を欠いても不思議はない。

 10年前の宝塚記念で、ハーツクライ、ゼンノロブロイ、タップダンスシチー、リンカーンら強力牡馬陣を蹴散らしたのは、11番人気の牝馬スイープトウショウだった。他の牝馬も連下に狙えるが、一押しは◎⑪ヌーヴォレコルトで、○⑮ゴールドシップ、▲⑬ラキシス、注⑥デニムアンドルビーだ。

 俺にとって、今週のメーンは既に終わっている。土曜東京5Rの新馬戦(1800㍍)に、POG指名馬エンジニア(シーザスターズ産駒)が出走した。ちぐはぐなレースぶりだったが、3着は好走といっていいだろう。推定上がり3F33秒8は勝ち馬に次ぐタイムで、素質の片鱗は見せた。距離適性はわからないが、いずれ勝ち上がると思う。

 先日、POGドラフト会議で30頭を指名した。上位10頭は以下の通りである。

リライアブルエース(牡・ディープインパクト/矢作)
ハートレー(牡・ディープインパクト/手塚)
ココファンタジア(牝・ステイゴールド/友道)
キャニオンロード(牡・ネオユニヴァース/古賀慎)
クラシックリディア(牝・ハービンジャー/石坂)
タンタビクトリア(牝・ディープインパクト/国枝)
アイアンマン(牡・ディープインパクト/池江)
キャプテンロブロイ(牡・ゼンノロブロイ/萩原)
クイックモーション(牝・ディープインパクト/木村)
アレイオブサン(牡・ステイゴールド/須貝)

 関東≧関西の縛りがあるので東西15頭ずつ。牡16頭、牝14頭で厩舎にも偏りはない。種牡馬はディープインパクト&ハービンジャー=7、ネオユニヴァース=4、ステイゴールド&ゼンノロブロイ=3、キングカメハメハ&ワークフォース=2、マンハッタンカフェ&シーザスターズ=1。ベタな指名といえる。

 格差社会の最たる例が競馬サークルだ。マイネル軍団の岡田繁幸総帥は「ダービー直前特集」(グリーンチャンネル)で「社台以外にとって、サンデーサイレンスは公害」、「父系、母系にサンデーの血を受け継いでいない馬はGⅠで勝てない」と話していた。氏の言葉はPOG参加者の〝常識〟で、生産牧場まで社台系に絞って選択する人までいる。

 社台系の高馬は名門厩舎に委託され、一流ジョッキーが騎乗する。勝ち組サイクルの中心に君臨していた武豊だが、社台から絶縁状を突き付けられ、ケガも相俟って低迷した。その武豊に手を差し伸べたのが個人馬主たちである。

 昨夜、「競馬予想TV!」500回出演を果たした水上学氏は、<ミルファームは柴田大、嘉藤ら不遇な騎手の腕を認め、チャンスを与えてきた」(要旨)とブログに記してきた。その水上氏が推していたのが②トーセンスターダムで、鞍上は武豊とくれば、義理と人情大好き人間として無視できない。上記4頭から馬連、ワイドで買い足すことにする。

 POGに興じることによって、競馬を見る目が養われ、騎手の能力にも物差しが持てるようになった。弊害といえば<愛情で馬券を買ってしまうこと>。員数合わせで指名した馬でも可愛い。人気薄でも馬券を買ってしまうが、大抵外れる。愛は勝負事に邪魔なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代がミューズに追いついた?~「ドローンズ」が咲かせたラディカルな大輪

2015-06-24 23:12:45 | 音楽
 大場プロデューサー企画のオルタナミーティング第6弾の開催が決定した。「PANTA×遠藤ミチロウ LEGEND LIVE」(11月28日、阿佐ケ谷ロフトA)である。PANTAさんとは反原発デモに同行した際、自然体で優しい個性に魅せられた。大場さんと顔を合わせるたび、「PANTAさんのイベントを」とお願いしてきたが、実現するとは夢のようだ。

 ニール・ヤングの新作「ザ・モンサント・イヤーズ」(国内盤は来月末リリース)が話題になっている。TPPとも関わってくる遺伝子組み換えを告発する内容で、俎上に載せられている企業はモンサントやスターバックスだ。ウィリー・ネルソンの息子たちとの共作で、発売を心待ちにしている。

 PANTA、ミチロウ、そしてニール・ヤング……。骨太で孤高のロッカーたちは、後輩たちに<ロックとは何か>を突き付けている。第一線のバンドで唯一、答え出しているのがミューズで、ラディカルな姿勢を前面に、反抗の空気を先取りしてきた。新作「ドローンズ」発表に合わせ、ミューズについて、他の評者と異なる視点で記したい。

 初来日(00年)時のチケットを偶然入手し、渋谷で彼らを見た。〝蒼い雛〟が第一印象で、煌めきとパッションに溢れていたが、前途洋々とは程遠かった。1stアルバムが全英チャート29位という数字は、耳が肥えて辛辣なUKのメディアやファンにスルーされていた証左といえる。フジロックやサマソニにブッキングされるUKニューカマーの大半は、5位以内のチャートアクションでデビューを果たしているからだ。

 ミューズはグラストンベリー'04でヘッドライナーに抜擢され、欧州全域で「史上最高のライブバンド」と認められる。〝不毛の地〟アメリカでのブレークに一役買ったのは、ペリー・ファレル(オルタナ界の顔役)で、自身が主宰するロラパルーザ'07で彼らをヘッドライナーに迎えた。ファレルの〝ミューズ愛〟は4年後、ロック番付を覆す。先にブッキングしていたコールドプレイをセカンドステージに追いやり、メーンステージのヘッドライナーにミューズを据えた。同時間帯対決は動員力でもミューズの圧勝に終わる。

 そして新作「ドローズ」が全米1位を獲得した。遂に時代が彼らに追いついたのだ。バンド自身、最高傑作とコメントしている通り、2nd「オリジン・オブ・シンメトリー」と並ぶ出来栄えだと思う。ロックは瞬間最大風速を競う音楽で、閃きは大抵、時とともに褪せていく。13年目で「ウィッシュ」を発表したキュアー、15年目で「カリフォルニケーション」を世に問うたレッド・ホット・チリ・ペッパーズに匹敵する偉業といえる。

 フジロック'07で来日した際、マシュー・ベラミーはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンへの敬意を語っていた。反政府ゲリラ(ケニア土地自由軍)のリーダーだった父(後に国連代表)に影響を受けたトム・モレロと、サパティスタの闘士ザックが結成したレイジは、斬新な音楽性とラディカルな思想で世界を震撼させた。ミューズのハイライトのひとつは、レイジの活動20周年イベント「LAライジング」(11年)のオファーを受け共演したことである。

 彼らの変化は4th「ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイション」(06年)に表れていた。メッセージ性の強い曲が収録されていたが、中でも「サイツ・オブ・サイドニア」はボブ・マーリーの「ゲット・アップ、スタンド・アップ」の21世紀版というべき直截的なプロテストソングだ。

 ジョージ・オーウェルの「1984」にインスパイアされた「レジスタンス」(09年)のオープニング曲「アップライジング(叛乱)」をウェンブリースタジアムで演奏した際、ステージ上でフードに棍棒という出で立ちの100人前後の若者が、〝権力との対峙〟と呼ぶべき寸劇を演じる。そのシーンが拡大されて現実になったのが、数カ月後に発生したロンドン蜂起である。

 前作「ザ・セカンド・ロウ」(12年)もメッセージ色の濃いアルバムで、「アニマルズ」では資本家を揶揄していた。ツアーでは巨大なピラミッドを逆さまに吊るし、「ヒエラルヒーの象徴としてのピラミッドを倒立させたのは、変革に寄せる僕たちの希望の表れ」とマシューは語っていた。ちなみに同作では4~5分のキャッチーな曲が目立ったが、そこに回帰と進化が窺えた。「ドローンズ」にも鋭さとクオリティーをアップさせたポップチューンが並んでいる。

 コンセプトアルバムを志向する点で、本作は前2作の延長線上にある。1曲ごとにダウンロードして聴くという風潮を踏まえた上で、マシューは「だからこそアルバムにはトータルなテーマ性が必要になる」と語っていた。タイトルの「ドローンズ」とは、日本でも物議を醸したハイテク飛行物体で、コントロールルームでの操作で進行するバーチャルな戦争の主役を担うとみられている。ミューズは屋外ライブの会場でドローンを飛ばす予定という。

 マシューは掉尾を飾るタイトル曲の製作意図を以下のように語っている。<被害者を弔う歌なんだ。この作品は名もなき忘れ去られた人たちによる、この世のものならぬコーラスで締め括られている。彼らに正義は決してもたらされることはなく、ロボットに殺害されたまま終わっていく。ここに人道というものが抱える本質的な悲劇が晒されている>……。

 本作のコンセプトは、<情報統制、洗脳、教化が進む社会で、人々はどのように自我と自由を取り戻していくか>だ。敵の象徴として現れるドローンズとの闘いに敗北した人々は、尊厳を守るため再度立ち上がる。ラストでは革命の凱歌と亡き者たちへのレクイエムが高らかに謳われ、「アーメン」で締め括られる。

 フェスで反原発を訴えたバンドに対し、「うざい」という書き込みが殺到する日本では、ミューズの示した壮大なテーマは正しく受け入れられないだろう。だが、欧州全域で広がりつつある反グローバリズム、反資本主義のムードに、ミューズは見事にマッチしている。

 フジロックは外せない用事とバッティングし参戦できない。その代わりといっては何だが、サマソニでマニック・ストリート・プリーチャーズを見る予定だ。「ホーリーバイブルツアー」の再現となれば、見逃したら悔いが残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「未明の闘争」~保坂和志が踏み入れた曠野

2015-06-20 20:10:52 | 読書
 俺が中野区議選で関わった杉原浩司さん(緑の党)が、「報道特集」(13日、TBS系)でクローズアップされていた。「武器商談会」(パシフィコ横浜)会場に単身現れ、武器輸出に抗議の声を上げている。独りで闘う姿勢に、俺は任侠映画のヒーローを重ねていた。ちなみに杉原さんの活動は海外メディアでも紹介されている。

 準備不足もあって落選したが、山本太郎参院議員は「霞が関は誰よりも杉原さんの突破力を恐れている」と応援演説で話していた。杉原さんは反原発を軸に、秘密保護法や集団的自衛権に「NO」を突き付けている。様々な市民運動を束ねる存在で、ガザを空爆したイスラエル大使館への抗議活動でも先頭に立っていた。信念と情熱の男を、微力ながらも支えていきたい。

 前稿に記した「国会包囲集会」で、大江健三郎のアピールはなかった。高齢でもあり、集会等の参加は控えるつもりだという。ケチをつけることが多かったが、<知識人としての責任>を全うした大江に敬意を表したい。

 大江を引き継げる作家としてまず浮かぶのが、小説や数々の論考で日本の現状を鋭く抉る星野智幸だ。平野啓一郎や中村文則も、社会にコミットする機会が増えている。知名度ではノーベル賞作家に遠く及ばないが、協力すれば〝大江枠〟は埋められる。彼らの明晰かつ奥深い洞察は、既に大江を凌駕している。

 老眼で字が読みづらくなったせいか、読書が進まない。直近でいえば、読書以外に目を使う機会が増えたことも大きい。差し迫ったPOGドラフトに向け情報をため込んでいる。POG関連誌(紙)は細かい活字がぎっしりで、虫眼鏡なしでは読めない。情けない話だ。

 この間、内外のミステリーを1冊ずつ読んだが、ブログに感想を記すほどではではない。そろそろ〝重い本〟をと手にしたのが保坂和志著「未明の闘争」(13年、講談社)である……と書いたが、以前の2冊、「季節の記憶」と「残響」(ともに中公文庫)の印象から、〝重い〟はずはないと高を括っていた。

 今思えば、奇妙なタイトルに作意――この本と闘争する覚悟はありますか――が込められていたのだろう。そして俺は、見事なまでに完敗した。以下の感想は普段以上に説得力がない。 

 山梨生まれで湘南に育ち、西武百貨店コミュニテイーカレッジに就職し、後に作家に転身する……。主人公の私≒保坂自身で私小説かと思いきや、冒頭に謎が仕掛けられていた。葬儀に参列した篠島(元同僚)の姿を、私は池袋で目撃する。テーマは<生と死の境界>と勝手に判断してページを繰っていくと、映画好きの中国人ホステスが「雨月物語」について論じ、さらに幼馴染のアキちゃんがドストエフスキーの「分身」について滔々と語るのだ。

 「季節の記憶」では圭太少年を先導役に、会話は形而上にジャンプした。「未明の闘争」で圭太に近い役割を担っていたのが、ガテン系バイク乗りのアキちゃんだ。直感が鋭い自由人のアキちゃんは平易な語り口で、<世界をどう認識するか>というテーマに斬り込んでいく。哲学に造詣の深い私をタジタジとさせるアキちゃんはある意味、主人公の分身といっていい。

 常識的な小説から逸脱した作品であることに気付いていく。保坂は記憶の箱から取り出したジグソーパズルをばらまき、時空を行き来してピースを再構成していく。アキちゃんの冗舌がいきなり少年時代の犬の散歩シーンになり、不倫旅行が唐突に猫の描写に変わる。和歌山の友人宅を訪れたと思ったら、時間はたちまち遡り、10代の頃の私がライブハウスにいる。

 タイプは違うが、古井由吉の小説を読んでいる時のような不安と混乱に惑うばかりだ。壊れたのか? いや、意識的に壊したのだ。日常(踏襲)に甘んじることなく闘争(変革)を選び、保坂は曠野に踏み入れた。俯瞰すると、以下のような光景が浮かんでくる。

 保坂はテレビ局の巨大なコントロールルームにいて、リモコンを握っている。半世紀を超える無数の記憶から気紛れに、いや明確な意図を持って選んだ場面を次々に映し出していく……。このように構築された本作のシーンの連なりを、俺は理解出来なかった。完敗とはこういうことだ。

 保坂は大の猫好きで、本作にも自身が飼う猫、近所の猫コミュニティーが描かれ、猫を哲学している。登場人物と猫の個性も、底で繋がっているのだろう。〝起〟の篠島の幽霊?と〝結〟の猫のゴンちゃんが、〝承転〟抜きでショートし、ジ・エンドとなる。

 循環して流れる時間に、俺の思考回路と体内時計まで歪んだ。本作と格闘するうち、猫が脳内に忍び寄ってくる。夢の中、公園にたむろしていたのはカラフルな模様をした子猫たちだった。手を差し伸べた刹那、目が覚めたが、夢で覚えた安らぎと癒やしこそ、保坂ワールドのそもそもの肌触りである。

 俺と同年(1956年)生まれの保坂は、本作を57歳時に発表した。石川淳が58歳で著わした「紫苑物語」は飛翔の出発点で、椎名麟三が同年齢で世に問うたパンク精神に溢れた「懲役人の告発」はキャリア最後の精華になった。近いうちに読むカズオ・イシグロは60歳、笙野頼子は59歳……。凡人アラカンの俺は心身の衰えを嘆くばかりだが、彼らをお手本に、老いを磨く方法を見つけたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和の記憶を大切に~国会包囲集会に参加して

2015-06-16 23:28:23 | 社会、政治
 珍しくNHKの7時のニュースを見た。下村文科相が国立大学長らを前に「日の丸掲揚と君が代斉唱」を要請し、あきれられていた。鉄面皮にも道徳や倫理を説くが、汚れた実態は国民が知るところだ。<愛国心とはならず者の最後の避難場所>(アミュエル・ジョンソン)を地で行く政治家ではないか。

 ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事(共和党)が大統領選出馬を表明した。「ジェブは父や兄と違って成熟した政治家」という支持者の言葉に噴き出してしまう。成熟してない(=稚拙な)大統領が計12年にわたって君臨するのがアメリカなのか。民主党ではヒラリー・クリントン氏が最有力とされる。<ブッシュ家VSクリントン家>の底の浅い政治ショーで大騒ぎになりそうだ。

 一昨日(14日)、戦争法案に反対する国会包囲集会に参加した。2万5000人(主催者発表)が集まり、渋谷では数千人の若者が抗議の声を上げるなど、全国で集会、デモ、講演会が開催された。潮目を変えたのは国会の憲法審査会ではないか。

 日本人は権威に弱い。〝改憲派の重鎮〟小林節慶大名誉教授を含む3人が、「集団的自衛権は違憲」と断じ、殆どの憲法学者の同じ見解であると知るや、羊が虎(憲法学者)の威を借る狐になる。「安保法制を合憲と考えているまともな憲法学者は皆無」というが、産経や読売はまともではない絶滅危惧種を血眼で探しているはずだ。一方で、集会の参加者数を気にしていた安倍首相は当日夜、橋下大阪市長と会談し、維新取り込みを図っている。

 集会ではジャーナリストの佐高進、鳥越俊太郎両氏、各党の代表クラスが次々にアピールする。これまで街頭、メディア、本、ネットなどで内外問わず安保法制反対派の声に触れてきた。全て正しいと思うが、びねくれ者ゆえ、しっくりこない点も多々ある。へそ曲がりの感想を手短に記したい。

 果たして日本は軍事大国になるのだろうか。CIAで日本分析を担当してきた調査官は<少子高齢化の日本の軍備増強は難しい>と語っている。首相の〝仮想敵国〟中国も、足下を見て嗤っているのではないか。ウルトラCは大幅な移民受け入れだ。村上龍が「歌うクジラ」で描いた日本軍は外人部隊だった。政権中枢が見据えているのは<労働力=外国人、軍隊=日本人>の構図かもしれない。首相支持派には排外主義者が多いが、〝大義〟のために移民を受け入れる覚悟は出来ているだろうか。

 戦争する国としない国の違いは、テレビドラマに表れる。「CSI科学捜査班」シリーズには惨たらしい死体が溢れ、検視官の解剖も事細かく映し出される。一方で日本の「科捜研の女」では、きれいな死体しか登場しない。ドラマに限らず日本のメディアは、東日本大震災の折にも死体を〝隠した〟。日本人が囚われている<清潔志向>と真逆にあるのが戦争である。自公政権が戦争する国を目指すなら、広告代理店を動かし、メディアに〝死への対処〟の変更を迫る時機だろう。

 映画「フルメタル・ジャケット」などで興味深いのは、海兵隊やシールドの訓練シーンだ。描かれる不条理や非合理を、日本人は忌避する。高校野球や大相撲のしごきは非難の的だが、軍隊とは反近代的かつ非人間的な集団にならざるを得ない組織で、対立を嫌う草食化した青年たちの意識と相容れない。若者だけでなく日本人のメンタリティーは戦争や軍隊と対極にあるから、「戦争法案反対!」と拳を振り上げつつ、俺は切迫感を覚えなかった。

 山本太郎議員が明晰に分析したように、若者の貧困が<戦争する国>に巧みに組み込まれているという背景はある。貧しいから、大学に進学したいから、奨学金が返済できないからという理由で、アメリカでは多くの若者が入隊する。同じことを日本で起こすべく準備は進行中だ。

 首相の祖父、岸信介元首相は安保条約を締結するために選ばれた。巣鴨プリズン出所後、社会党入党も選択肢のひとつだったが、衆院選当選から4年後、首相の座に就く。〝見えざる手〟の強大さに驚くしかないが、ミッションを果たして辞任する。55年後の現在、孫もまた〝見えざる手〟に操られているのだろうか。上記の米大統領選の結果も、日本に大きな影を落とす。クリントン氏は中国重視で知られるからだ。

 首相が〝わが軍〟と呼ぶ自衛隊は、国民を守るだろうか。歴史を見れば答えはNOだ。沖縄は捨て石にされ、南方戦線で兵士は見殺しにされる。敗戦直後、関東軍は満蒙開拓民を置き去りにして遁走する。

 安保闘争の原動力は、加害と被害双方の戦争の記憶だった。55年後の今、大切なのは平和の記憶である。「憲法9条」がノーベル平和賞を受賞すれば、流れは大きく変わるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大丈夫であるように」~Cocco&是枝の至高のコラボ

2015-06-13 20:27:33 | 音楽
 前稿で記したベイスターズは、あれから接戦で負け続け、ついに貯金0になった。スタートラインと考え、長い目で応援することにする。首位と最下位が4・5ゲーム差とセは大混戦だが、どこが日本シリーズに出場しても、パワフルなパ球団に粉砕されそうだ。

 明日は戦争法案反対国会前集会に参加する。大江健三郎がこの手の集まりで切り出す「市民の皆さん」に心に響かなくなって久しい。格差と貧困が進行する日本において、市民のイメージが曖昧になってきた。<全ての市民が活動家にならないと民主主義は崩壊する>(マイケル・ムーア)は、日本の現状を穿つ至言といえる。知人によれば、若者の姿が集会で目立つようになっているらしい。潮目が変わったのか、この目で確認したい。

 けなしてばかりで申し訳ない大江だが、<想像力こそ世界と繋がる武器>は永遠の真理だ。辺野古移設、戦争法案、原発再稼働、格差と貧困は、想像力を駆使することで絡まった根っ子が見えてくる。「DAYS JAPAN」6月号では沖縄を特集していたが、<琉球とパレスチナ>と題された松島泰勝龍谷大教授と広河隆一発行人の対談が興味深かった。キーワードは<屈辱とアイデンティティー>で、沖縄とパレスチナは集団的自衛権と想像力の糸で紡がれている。

 録画しておいた「大丈夫であるように―Cocco終らない旅―」(08年、是枝裕和)を見た。日本映画専門チャンネルが「海街diary」公開に合わせて組んだ是枝特集の一環で、アルバム「きらきら」発売直後の全国ツアーを追ったドキュメンタリーだ。

 Coccoといえば、主演作「KOTOKO」(11年)の感想を以下のように記した。<痛みと変容をテーマに掲げる塚本晋也監督、痛さで知られるCocco(原案・企画・美術も担当)……、二つの痛さの中和を期待していたが、痛さの二乗といえる作品だった>……。

 「大丈夫であるように――」観賞後、Jポップに関心が薄い俺は、Coccoが何者なのか調べてみた。沖縄出身で、作品に何度も登場する少年は17歳時に出産した息子である。ツアーファイナルが武道館2DAYSというから、思っていた以上の知名度をだ。骨太のドキュメンタリーを世に問うてきた是枝が、なぜCoccoを対象に選んだのか……。その理由は少しずつ明らかになっていく。

 30歳(撮影当時)にしては表情やしぐさが幼く、自分のことを「あっちゃん」と呼ぶ。子供が子供を育てているみたいだ。耳目を集める表現者の多くは、体を厚い皮膜で覆って防御するが、Coccoは対照的だ。自身を曝け出し、「あっちゃんは弱い。しっかりしなくちゃ」と繰り返し、ライブの後、悔しくてひとり泣く。話していても、Coccoはすぐ泣き声になる。撮影中、Coccoが黒砂糖以外を口にするのを見なかったとテロップにあった。Coccoは本作公開直前、拒食症で入院している。

 社会派の是枝がCoccoに注目したのは、真摯な生き様に加え、沖縄へのこだわりだ。子供の頃の夢を聞かれ、アメリカと沖縄の不条理な関係を踏まえた上で、「外国人留学生のための寮を造りたかった」と語っている。辺野古移設が全国的に報じられる前、Coccoは「ジュゴンの見える丘」(07年)を発表し、ファンから送られた短冊を米軍が設置した鉄条網に張り付けた。沖縄戦について繰り返し言及し、鎮魂の思いを込めた曲が幾つもある。

 感銘を覚えたのはCoccoの鋭く柔らかな観応力だ。彼女の元に青森のファンから手紙が届く。核燃料再処理工場が建設された六ケ所村について記されており、Coccoは青森公演の際、当地を訪ねた。その夜のステージで彼女は「今まで知らなくてごめんなさい」と謝る。被害者の立場から「沖縄を忘れないで」と訴えてきた自分の無知を恥じ、俯瞰の目で国家に蹂躙される沖縄と六ケ所村を同一の地平で捉えていた。3・11後、大切な人の命とコミュニティーが津波や放射能で奪われる現実に反応したCoccoは、支援活動に加わった。3・11以前から彼女の中で、<沖縄―福島―六ケ所村>は一つの回路で直結していたのだ。

 崇高な意志、魂を削るような表現への情熱だけでなく、本作にはCoccoの純粋さ、優しさが形になった曲が盛り込まれている。復習としてベスト盤を聴いてみることにした。ちなみにCoccoは昨年、舞台「ジルゼの事情」で初主演し、高い評価を得る。シンガー・ソングライター、童話作家、そして役者として活動の場を広げているCoccoは、「きっと、大丈夫」だ。

 ラストでCoccoは夜の浜辺をスコップで掘り、ファンレターと自分の髪を燃やす。幻想的な光景に是枝の最高傑作「ディスタンス」(01年)が重なった。希有な表現者との出会いに、是枝は大いなる刺激を受けたはずだ。いずれCocco主演作をと期待している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルサ、ベイスターズ、NBA、なでしこ~初夏のスポーツ雑感

2015-06-09 23:09:04 | スポーツ
 バルセロナがCL決勝でユベントスを下し、リーガ、国王杯を併せ3冠を達成した。一応バルサファンの俺だが録画に失敗し、ハイライトで得点シーンを見ただけである。

 バルセロナといえば先月の市長選が世界に衝撃を与えた。昨年1月に結党後、党勢を急激に拡大した左派政党ボデモスの支援で、アダ・コラウ氏が女性として初の当選を果たす。G7の開催地ドイツでは大規模な反対集会が開かれたが、かのNHKが<参加者は反資本主義を訴えていた>と報じた。反グローバリズム→反資本主義と、運動の質が尖鋭化かつ深化している欧州では、ボデモスを希望の星と見做す空気が充満している。

 先週末(6日)、横浜球場で交流戦のDeNA対西武を観戦する。ベイスターズは5本のソロを打ち込まれ、気持ちいいほどの完敗を喫した。今日も守護神の山崎がサヨナラ弾を食らい、引き分けを挟んで5連敗。心が折れそうな流れだが、ファンの気持ちは「ドンマイ」だ。モスコーソが久々に投げ、筒香もスタメンに復帰した。<オールスターまで5割をキープ→夏以降に再噴射してCSへ>が、俺を含めたファンの青写真である。

 6日の試合を振り返る。井納は初回、3者連続三振と上々の滑り出しだったが、2回に中村、メヒアの連続弾を浴びた。中村はともかく、ボール球をうまく使えば、2本目は防げたのではないか。3点差の4回裏、無死一塁で飛雄馬のバンドは消極策に映った。石川は連続死球を受け、ベンチに下がった。当人のダメージは大きかったはずだが、マウンドの菊池をびびらせるようなアクションが必要だと思った。スポーツは〝ルールのある喧嘩〟だからである。

 試合中、一塁側スタンドにさざ波が生じた。小泉進次郎議員が颯爽と現れたからである。政治家の十分条件といえるルックスの良さを利用している進次郎氏だが、中身が伝わってこない。安保法制、辺野古移設、憲法改正、原発、格差と貧困について、どう考えているのか。目立った言動がない以上、安倍首相と大差ないのだろう。

 夜は雨がぱらついたので食事だけで済ませたが、翌朝は中華街、山下公園、赤レンガ倉庫、水上バスと定番の観光コースを楽しんだ。最も好きな街は函館だが、横浜もなかなか魅力的だ。野球観戦とセットに、年内にあと2回は訪れたい。

 NBAには殆ど興味がないが、ファイナルを2戦続けて見た。初戦の試合前、国歌が斉唱され、アーミーが大きな国旗を会場内で抱えていた。NFLやMLBと違い、NBAにはカウンターカルチャーの色合いが強く、選手にはバッドボーイが揃っている。いつから変わったのか、それとも以前からそうだったのか……。いずれにせよ違和感を覚えた。

 ファイナルに至るまで一試合も見ていないので、あれこれ論じても説得力はないが、ウォリアーズを応援することにした。名前だけは知っていたが、キャバリアーズのレブロン・ジェームズが現在、NBAを支配する〝キング〟で、ウォリアーズのステフィン・カリーがその座を脅かすという構図か。

 久しぶりに見たせいか、目前の試合より、かつての記憶が甦ってくる。ウォリアーズのヘッドコーチは、ブルズ時代を含め、チャンピオンズリングを6度獲得したスティーヴ・カーだ。カリーにレジー・ミラーを重ねていたが、第2戦で精彩を欠き、敗因のひとつに挙げられている。3戦以降の奮闘に期待したい。

 サッカーの女子ワールドカップが始まった。世界ランク4位のなでしこジャパンは同19位のスイスに追い詰められたが、PKの1点を辛うじて守り切った。紙一重に十数チームがひしめいているのだろう。厳しい戦いが続きそうだが、耐えてしのぐ日本独自のスタイルでの上位進出を期待している。

 競技を問わず、シーズンゲームから贔屓チームを応援し、ポストシーズンやカップ戦を楽しむというのが、スポーツ本来の正しい観戦法なのだろう。〝1年限定の横浜ファン〟を宣言した俺は、野球の面白さを日々、再発見している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もしも建物が話せたら」~刺激的な6人の自己紹介

2015-06-06 05:54:43 | 戯れ言
 衆議院の憲法審査会に与野党の推薦で出席した3人の憲法学者、早大長谷部恭男教授、笹田栄司教授、慶大小林節名誉教授が<安保関連法案は違憲>と明言した。〝改憲派のドン〟小林名誉教授は仕事先の夕刊紙で、自民党改憲草案のお粗末な内容、政権の手続き無視に疑義を呈してきた。

 小林名誉教授は「安倍支持の憲法学者は日本で数人」と語っているが、戦前に起きたことを肝に銘じる必要がある。定説だった「天皇機関説」は軍や右派政治家によって葬られ、美濃部達吉教授は東大を去った。後釜に収まった右派の上杉慎吉教授に岸信介が背を向けたのは、前稿に記した通りだ。

 WOWOWはARTE(フランス)、rbb(ドイツ)など海外のテレビ局とドキュメンタリー「もしも建物が話せたら」(14年)を制作した。ヴィム・ヴェンダース(監修)の下、6人の監督が各自の視点で描いたオムニバス(30分弱)で、選ばれた建物は以下の通りだ。

♯1「ベルリン・フィルハーモニー」(1963年竣工/ヴィム・ヴェンダース監督)
♯2「ロシア国立図書館」(サンクトペテルブルク、1795年竣工/ミハエル・グラウガー監督)
♯3「ハルデン刑務所」(ノルウェー、2010年竣工/マイケル・マドセン監督)
♯4「ソーク研究所」(アメリカ・サンディエゴ、1963年竣工/ロバート・レッドフォード監督)
♯5「オスロ・オペラハウス」(ノルウェー、2008年竣工/マルグレート・オリン監督)
♯6「ポンピドゥー・センター」(パリ、1977年開館/カリム・アイノズ監督)

 建物が一人称で自己紹介する形を取っており、各作品に監督の個性と手法、問題意識が息づいている。共通するのは音響と映像へのこだわりだ。<建物とは調和、公共性、自由、寛容といった価値を体現する船>というのが感想だ。以下に各編を簡単に紹介する。

 ♯1「ベルリン・フィル」にはドイツ現代史の光と影が刻まれている。ホールと同時期、目と鼻の先で建設されていたのがベルリンの壁だった。ナチスに疎んじられた設計者のシャロン、ナチスとの関係が取り沙汰されたカラヤンが協力し、<楽器としての建物>のコンセプトを練る。竣工後、カラヤンは首席指揮者に迎えられた。

 ベルリン・フィルの構造は斬新だった。客席がジグザグに配置され、各ブロックからオーケストラを捉える。<一様化した群衆を靴箱のようなホールに閉じ込めることは、一様化した個人を生む>……。ナチス台頭を経験したシャロンは、多くの人たちが自由かつ有機的に繋がるユートピアを志向した。

 ♯2「ロシア国立図書館」は歴史の激流に対峙して生き残る。冒頭に示された<人が堕落するのは、始まりと終わりの区別がつけられないからだ>が。本作のテーマになっている。建物は足繁く通っていた人たちの印象を語り、秘めた思いを当人に代わって伝える。図書館は禁書令にも抵抗した。巧みに隠蔽された本たちは、流れが変われば何事もなかったように陳列される。幾つかの作品の一節と重ねながら、人生の意味を鋭く問い掛ける。

 ♯3「ハルデン刑務所」は、人権意識の高さで知られているが、本作は<管理と弧絶>を軸に語られる。建物は冒頭で、<私は千の眼を持つ。何が起きたかを全て知っている>と独白し、懲罰を受ける受刑者に、<人がルールを守るのは簡単ではない>と嘆いてみせる。逆説的な描き方に、俺はふと考えた。日本人は<自由という牢獄>に辟易したのではないかと……。

 ♯4「ソーク研究所」の創設者ジョナス・ソークは、ポリオウイルスを開発した際、「特許は誰のもの」と問われ、「ワクチンに特許など存在しない。太陽と同じように」と答えた。高邁な精神を持つソークは、革新的な建築家ルイス・カーンとともに、<芸術家が集うような空間>を創り上げた。

 両者は議論を重ね、コンセプトを深化させていく。自然や環境との共存だけでなく、<生き物を創るように、建物を造ること>……。研究所の空調システムは、人間の神経伝達の仕組みを模しているという。カーンは人間の心の奥に潜み、言葉になっていないもの――魂や精神――を取り入れようとした。<全ての物質は消耗した光である>、<最も重要なのは、異なった表現の中に共通性を見つけること>etc……。数々の箴言に刺激を受けた。

 ♯5「オスロ・オペラハウス」は、他の5編と色合いが異なる。冒頭とラストに現れるピエロが典型で、様々な演出が施されている。水面からスロープ状に続くオペラハウスはまるで氷山だ。生と死、一瞬と永遠、記憶と忘却、愛と別れ……。アンビバレンツを表現するのは女性たちの表情としぐさだ。切なさ、悲しさ、怯えを切り取った女性監督の繊細さに感嘆する。シュールで幻想的な夢を見ているような感覚を味わった。

 ♯6「ポンピドゥー・センター」にフランス文化の底力を感じた。現代芸術の拠点として建てられた同センターは〝生きているカルチャーマシン〟で、美術館、コンサートホール、劇場、映画館、図書館、パフォーマンススペースなどによって構成されている。人々が行き交う様子は、まるで巨大な空港だ。建物は自身を<20世紀のフランスの記憶であると同時に、未来のイメージ>と評していた。

 19歳で敗戦を迎えた亡き父は、戦中派特有のコンプレックスなのか、<量的に欧米に追いつけても、質(文化)では太刀打ちできない>と確信していた。彼我の差は大きいが、土壌に加えてここ数年、本作で示された調和、寛容、共生といった価値観は日本で大きく後退してしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そして、悪魔は目覚めた~「私の少女」に感じたこと

2015-06-02 22:57:19 | 映画、ドラマ
 タンタアレグリアは歓喜をもたらさなかった。2番枠を利して好位でレースを進め、直線入り口で3~4番手……のはずが、後方からの競馬に。上がり3Fはドゥラメンテに次ぐ34秒1だったが、⑦着に終わった、「体にまだ芯が入っていない」が蛯名騎手のジャッジで、ひと夏越しての成長に期待したい。

 安倍首相と祖父の岸信介元首相をセットで論じる記事に、書き手の勉強不足を感じている。岸は東大時代、〝国家主義のドン〟こと上杉慎吉教授に背を向け北一輝に私淑した。卒業後は満州国経営に携わったが、実権を握っていたのは甘粕正彦である。東条英機や関東軍とは折り合いが悪く、A級戦犯指定は正力松太郎同様、首根っこを掴み利用することをアメリカが意図したからだろう。

 巣鴨出所後、社会党入党も選択肢のひとつだった。ニクソン副大統領(当時)の来日(53年)をきっかけに、岸はアメリカの意を受け改憲派のリーダーになる。一方で、社会主義に理解があり、国民皆保険制度導入に積極的だった。反安倍は岸を諸悪の根源と見做しているが、〝坊主憎けりゃ袈裟まで憎い〟風の論調に説得力はない。

 岸―安倍ファミリーは親韓派の中枢で、朴ファミリーとも親交が深かった。幼い頃の安倍首相と朴大統領が、一枚の写真に仲良く納まっていても不思議はない。両国にとって重大な機密ゆえ、証拠は既に葬られているだろうが……。

 新宿で先日、韓国映画「私の少女」(14年、チョン・ジョリ監督)を見た。脚本も担当したチョン監督と主演のペ・ドゥナが35歳、キム・セロンは14歳……。3人の女性が織り成す同作をヒューマンストーリーと評する声もあるが、俺の意見は真逆だ。韓国映画に頻繁に登場する悪魔が、本作にも幼い顔を覗かせている。

 ソウルから田舎町の警察署長が異動してきたヨンナム警視(ペ・ドゥナ)は、日本でいえばキャリアになるのだろう、しくじったことが冒頭で仄めかされるが、<左遷の理由=同性愛>が、ストーリーに蛇のように絡んでくる。ヨンナムは赴任先で少女ドヒ(キム・セロン)に目を留める。家族に虐待され、学校でもいじめを受けていた。

 悪がはびこる町に、オーソン・ウェルズの「黒い罠」が重なった。若きボスのソンは、不法就労の外国人を使って事業を展開している。粗野で威圧的なソンは警察と癒着しており、ヨンセムと対立するようになる。ソンは母とともに養女ドヒに暴力を振るっていた。ヨンセムとソンはともにアルコール依存症で、自らの内側に溺れるように飲むヨンセムと対照的に、ソンは酒によって暴力への志向を呼び覚ましている。

 前々稿で記した「真夜中のゆりかご」の主人公アンドレアスとヨンナムには、刑事として、人間として葛藤するという共通点がある。ドヒを守りたい、でも、自身への戒めもあり、手を差し伸べるには限界がある。ドヒはバリアを巧みにすり抜け、ヨンセム忍び寄ってくる。部下がヨンセムに話したように、「ドヒは正体不明の怪物(=悪魔)」なのだ。

 ペ・ドゥナは日本に馴染みが深い。「リンダ リンダ リンダ」(05年、山下敦弘監督)で韓国からの留学生を演じた時、20代半ばだった。「ハナ~奇跡の10日間~」(12年)は卓球世界選手権で急きょ結成された南北朝鮮統一チームを描いている。ペ・ドゥナが演じたのは北朝鮮のエースで、作品の舞台は日本である。衝撃を受けたのは「空気人形」(09年、是枝裕和監督)で、見事な脱ぎっぷりだけではなく、彼女が醸すシュールで無垢な存在感に心を奪われた。

 一方のキム・セロンは薄幸が似合う美少女で、「冬の小鳥」(09年)と「アジョシ」(10年)で見る者に天与の煌めきを焼き付けた。スラリと伸び姿態を躍動させる本作では、危ういエロチシズムを発散させている。実年齢より幼く見えるペ・ドゥナ、妙に大人びたキム・セロンの好対照が、一つ一つのシーンに緊張感を与えている。

 愛情を計算できるドヒは、二転三転する結末のシナリオライターでもあった。ヨンセムは既にドヒの保護者ではない。俺は続編に期待している。実現すれば、殻を破った悪魔がソウルを闊歩し、ヨンセムと対峙するだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする