酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

香港の現在を写す「誰がための日々」

2019-02-26 23:00:30 | 映画、ドラマ
 NHKBS1は世界のトップニュースを僅かなタイムラグでオンエアしている。編集抜きで接する〝世界標準〟はレアで価値が高い。外交関連ではアメリカと並び中国が主役を演じている。

 アメリカの制裁に苦しむイランの首脳が北京を訪れ、良好な関係を確認していた。中印の断絶は報じられている通りだが、インドの敵国パキスタンは一帯一路に距離を置く。好機とばかり接近するアメリカに肘鉄を食らわし、パキスタンは軍事面でロシアやサウジアラビアと連携を密にしているようだ。対米従属の日本と対照的に、各国がしたたかに外交戦略を練っていることが窺える。

 中国の干渉に窒息しつつあるのが香港だ。別稿(17年8月24日)で紹介した「十年」(15年)は2025年の香港を見据え、気鋭の監督5人がメガホンを執ったオムニバスで、中国への怒りと警戒感に満ちていた。「十年」同様、雨傘運動の挫折を経て製作された「誰がための日々」(16年、ウォン・ジョン監督)を新宿ケイズシネマで見た。

 1997年に英国から中国に返還(主権委譲)されてから、香港では自由が侵食されてきた。家族の絆をメインに据えた本作にも、同国の閉塞感が滲み出ている。監督と妻の脚本家フローレンス・チャンは実際に起きた事件をベースにストーリーを練ったという。

 主人公のトン(ショーン・ユン)はエリートサラリーマンだったが、火傷がもとで寝たきりになった母(エレイン・ジン)を介護するため仕事を辞めた。大陸出身でプライドの高い母と口論が絶えず、アクシデントで母を死なせてしまう。判決は無罪だったが躁鬱病を発症し、入院を余儀なくされた。効果的なカットバックで、トンの心象風景が浮き彫りになっていく。

 トンは退院後、疎遠だった父ホイ(エリック・ツァン)のアパートに同居することになる。夫婦仲は最悪で、トラック運転手として稼いでいたホイは家に寄りつかず、母の介護に一切協力しなかった。トンの弟は香港に見切りをつけアメリカで暮らしている。金銭は援助するが、家族とは距離を置いている。

 原題の「一念無明」は、不要なこだわり(一念)に縛られて大切な人の気持ちを理解出来なくなり、暗闇(無明)を彷徨うことを戒める仏教用語だ。トンは家族だけでなく、かつての婚約者ジェニー(シャーメイン・フォン)とも疎遠になっていた。新生活スタートのはずが、トンは母の介護のために会社を辞めた。事件が起こり、1年の入院を強いられる。

 トンとジェニーの再会後のエピソードが本作の肝かもしれない。苦境に陥っていたジェニーは教会に通い、〝トンを赦す〟という心境に至る。教会にトンを招き、洗いざらいぶちまけた後、「トンも救ってください」と牧師と会衆に語りかけるのだ。退院後、順調に社会と折り合ってきたトンだが、この場面で症状は逆戻りする。

 俺はジェニーの言動に復讐の意志を酌み取ったが、「ジェニーに悪意はなかった」と語る監督にとっては、「一念無明」を象徴するシーンなのだろう。トンは壊れ、スーパーマーケットでの〝チョコ一気食い〟がSNSで世界中に拡散する。<香港の閉塞感が滲んでいる>と記したが、世界共通のネット社会の病理、弱者が更なる弱者を鞭打つ仕組みが描かれている。

 トンがホイと暮らすアパートは負け組が息を潜める場所だった。隣室の女性ユーは大陸出身で香港居住権がない。トンは大陸の戸籍がないユーの息子と親しくなり、協力して起業を試みるが、自身の奇行で頓挫する。負け組たちは決して優しくなく、世情に与する。ユーが先頭に立ち、父子の追放を画策するのだ。

 ホイとトンの父子に、「モンローが死んだ日」(NHKBSプレミアム)の高橋智之(草刈正雄)と美緒(佐津川愛)の父娘が重なった。美緒が所属した劇団の主宰者かつ元夫は、智之と美緒について<お互いの存在が苦しみで、苦しみのためにお互いが存在する>と評していた。「モンローが死んだ日」はラストにカタルシスと癒やしを覚える鏡子(鈴木京香)と智之の秀逸な愛の物語で、再放送をぜひご覧になってほしい。

 「誰がための日々」は、絆とか共感とか夢とか、人々が好む言葉を拒否している。酷薄な現実を描き切ることが、希望へのスタートラインだと言いたいのだろう。ウォン・ジョンの次作に期待している。
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「猫はこうして地球を征服した」~第三の本能を身につけた悪魔

2019-02-22 11:51:46 | 読書
 イスラエルによるジェノサイドで深刻な人道危機に陥っているガザ地区から3人の画家が来日し、講演を行った。NHKは「ガザは世界最大の監獄」と報じている。世界標準と真逆なのは、国連でイスラエル制裁案をことごとく潰してきたアメリカだ。

 前々稿で記したが、米共和党幹部がイスラエルを批判したイスラム系女性下院議員2人を脅した。公民権運動のシンボル、アンジェラ・デイビスにも火の粉が降りかかる。BDS(イスラエルボイコット)を支持していることにユダヤ系団体が抗議し、人権賞授賞を取り消されたが、国際的な批判を浴びて旧に復した。

 全てを<敵・味方>の二元論で片付ける方は、俺を<反米・反ユダヤ主義者>に分類するだろう。だが、それは全くの見当違いだ。デイビスに連帯の意思を表明したのも、反トランプを明確にするリベラル・左派を支えているのもユダヤ系市民だ。イスラエルが国連決議に則り、パレスチナとの共存に舵を切ることが、欧州で浸透しつつある反ユダヤ主義を沈静化する端緒になるのではないか。

 多様性、共生に価値を見いだす俺は、〝反○○〟〝××派〟の枠組みに囚われることを忌避する。〝反イヌ、ネコ派〟に縛られているのは、犬に吠えられ、猫に甘えられてきた半世紀の体験が蓄積されているからだ。

 猫の日(2月22日)に寄せて、「猫はこうして地球を征服した~人の脳からインターネット、生態系まで」(アビゲイル・タッカー著、インターシフト刊)を読んだ。データ満載の研究書だが、自身と猫との来し方を交え、ファジーに感想を綴りたい。

 猫ブームはヒートアップする一方だ。「盗まれた顔~ミアタリ捜査班」(WOWOW)、「モンローが死んだ日」(NHKプレミアム)で猫は名脇役だったし、前稿で紹介した「眠れる村」でも奥西元死刑囚の妹さんが猫と交遊していた。想田和弘も観察映画「牡蠣工場」と「港町」で猫を語り部的に用いている。

 俺は長年、猫と親しんできた。小学生の頃から、実家で猫を駆ってきたし、大卒後の引きこもり時代、部屋に住み着いたシャムと三毛のハーフのために、自身の食費を削っていた。40代になってウオーキングを始めたが、折り返し地点の哲学堂公園では、ホームレスのおじさんたちに交じって野良猫に餌をやっていた。現在の仲良しは帰省時に交流する従兄宅のミーコである。

 本書は猫愛度を測るリトマス紙でもあった。「あなたの愛する女は恐ろしい罪人。見限った方がいい」と言われたら、俺はどうする? 本作を読む限り、罪人≒猫だ。大型ネコ(ライオンやトラ)の威厳と獰猛さは語り尽くされているが、ソファに丸まっているイエネコが、大きい親類以上に凶暴な肉食獣であることに〝猫愛者〟は気付かぬふりをする。

 猫の悪行で甚大な被害を受けているのはオセアニアだ。オーストラリアでは哺乳類の天然記念物や絶滅危惧種を食い尽くされ、生態系はガタガタになっている。〝犯人〟はイエネコ(飼い猫と野良猫)軍団……、といっても猫は集団行動を嫌うから、個々の狩猟が積み重なった結果だ。

 猫の〝美徳〟何やら怪しい。鼠を捕ることで船乗りに重宝されたが、行き着いた先で定着し、侵略者として環境破壊を導く。大都市では膨大な廃棄食料を漁るドブネズミと共存している。好意的に報じられている猫セラピーだが、犬の方が効果的というデータが紹介されていた。

 トキソプラズマ症についての論考に、妄想が爆発した。世界の人口の3分の1が感染しているが、大半の人は徴候が出ない。猫も感染源のひとつである。トキソプラズマは猫から人間の脳に感染し、愛をプログラミングされているのでは……。ライオンに食べられそうになったエピソードで、著書はその可能性を仄めかしていた。そして今、インターネットが感染拡大のツールになり、猫愛が猛スピードで蔓延している。

 野生を維持した猫が、去勢と不妊手術、ふんだんな餌付けで特技を封じられ、リビングの主人になっている。交尾と狩猟という本来の得意技を発揮出来ない猫だが、第三の本能、即ち人間馴致を身につけた。「ニャー」という鳴き声は人間の赤ん坊を真似たのとの仮説も示されていた。

 神話や小説の基本テーマといえる神と悪魔の混在を体現しているのが猫だ。騙すより騙されることに癒やしを覚えているのは俺だけではない。猫が人間界にテリトリーを確保したのはここ30年ほど。今世紀末、両者の関係はどうなっているのだろう。
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「眠る村」~現在日本を穿つドキュメンタリー

2019-02-19 23:44:43 | 映画、ドラマ
 先週末、「武器『輸出』反対ネットワーク」結成3周年集会に参加した。終了直前、杉原浩司代表から、米国からの輸入が拡大したことを勘案し、武器『取引』反対ネットワーク」に名称を変更するとの発表があった。略称NAJATは継続する。

 「これでいいのか? 増える軍事費・壊れる暮らし」と題された集会で、福好昌治氏(軍事評論家)が安倍政権下の防衛費増、高端正幸氏(埼玉大准教授)が逼迫した暮らしをテーマに話す。高橋氏の講演は消費税など様々な問題にリンクしているので、後日改めて取り上げたい。本稿では福好氏の指摘に絞って紹介する。

 <日本を戦争出来る国にするため、質量とも自衛隊を充実させる>なんて絵空事……。福好氏だけでなく、井筒高雄氏(元自衛隊レンジャー部隊)ら軍事問題のエキスパートは<原発が林立し、農産物をはじめ輸入に頼る国に戦争は不可能>と断言する。自衛隊幹部の見解は同じだという。

 米兵器爆買いの前提は、同国の安全保障政策の一環であるFMS(同盟国に装備品を有償で提供する仕組み)だ。爆買いの煽りで、自衛隊は深刻な状態になっている。各種備品が自費になり、訓練経費も削減されたという。その結果、防衛産業の衰退と自衛隊の弱体化を招いた。安倍首相の勇ましい発言は、米国隷属を隠すためのポーズと福好氏は考えている。極めて刺激的な講演だった。

 ようやく本題。ポレポレ東中野で「眠る村」(2018年、東海テレビ製作)を見た。第二の帝銀事件として世間を騒がせた名張毒ぶどう酒事件(1961年)の真相に迫っている。三重と奈良の県境に点在する葛尾地区で開かれた懇親会で毒入りぶどう酒を飲んだ5人の女性が死亡し、12人が病院に搬送された。警察の威信を懸けた尋問で自白に追い込まれたのが、2015年に獄中で亡くなった奥西勝元死刑囚(享年89)である。

 当初、疑惑の目を向けられたのが懇親会長で、執拗な取り調べに気力が萎え、自白寸前に追い込まれたと告白していた。当時から変わらぬ<警察-検察-裁判所>の悪習は、「相棒」でも頻繁に取り上げられる自白絶対主義で、取調室の暴力が冤罪と死刑を生んでいる。警察の内部文書にも<絶対に自白を取れ>と記されているという。被害者である母が入院した際、お腹にいた男性は、<奥西さんには友人が少なく、富も力もなかったから、ターゲットにされたのではないか>(論旨)と語っていた。

 事件の起きた葛尾地区は果たして特別な場所だろうか? 事件から半世紀経ち、日本の空気は変わったのだろうか? 異物を排除する閉鎖的かつ排他的な共同体は、現在日本に無数に存在する。「眠る村」とは、日本全体にムラの論理が浸潤していることを示すメタファーだ。森友・加計問題、統計不正の根底にあるのは忖度と同調圧力だ。奥西元死刑囚が犯人にでっち上げられる過程で、住人たちは警察と検察の意に沿うよう証言を大幅に訂正した。

 東海テレビは名張毒ぶどう酒事件について数本のドキュメンタリー、3本の劇場公開作を製作した。仲代達矢は3作のナレーションを担当し、「約束」では奥西役を演じていた。別稿(2月3日)で紹介した「共犯者たち」では権力に屈した検事の名前が明かされていたが、「眠る村」では再審請求を却下した裁判官たちの顔を大写ししていた。

 共同監督として鎌田麗香、斎藤潤一(ともに東海テレビ社員)がクレジットされている。斎藤はこれまでの作品を担当し、その映像が「眠る村」に織り込まれていたが、本作でメガホンを執ったのは〝3代目〟の鎌田だ。琉球朝日放送在籍時から沖縄をテーマにドキュメンタリーを撮り続けている三上智恵、東京新聞の望月衣塑子記者とともに、瀕死メディアを救う存在になるかもしれない。

 「科捜研の女」の榊マリコなら、「科学は嘘をつかない」と奥西無罪を宣言するだろう。弁護団が提示した最新技術による鑑定に基づく証拠の数々を無視した裁判官たちは、官邸に忖度した官僚たちと変わらない。奥西死刑囚の妹、岡美代子さんの「裁判所(=裁判官)は私が死ぬのを待っている」の言葉が胸に響いた。
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「雪の階」~奧泉光が仕掛けた壮大な文学の実験

2019-02-16 19:35:03 | 読書
 藤井聡大七段が朝日杯将棋オープンを連覇した。昨年は広瀬現竜王、羽生九段を準決勝、決勝で破ったが、今年の決勝の相手は絶好調の渡辺明棋王だった。藤井は中盤でリードを奪い、最終盤で鋭い切れ味を見せた。対局に色を添えたのは、高見叡王と深浦九段によるユーモアたっぷりの解説だった。

 昨年の米中間選挙で、イスラム教徒の女性下院議員2人(ともに民主党)が誕生した。<多様性>を象徴するラシダ・トレイブ(ミシガン州選出)とイルハン・オマール(ミネソタ州選出)だが、保守派の攻撃に晒されている。ゲイを公表し、自身も<多様性>の価値を体現するグレン・グリーンウォルド(ジャーナリスト)が以下のようにツイートした。

 <マッカーシー共和党院内総務は、イスラエルを批判したトレイプとオマール両議員を罰すると脅している。米国の政治指導者が自国における言論の自由を侵すことも辞さず、多大な時間を費やしてイスラエルを擁護していることに驚かされる>……。

 最近の小説を読み漁ったことで<多様性>の意味に気付いた。それが緑の党入会のきっかけになったのだが、それはともかく、日本文学のトップランナーは<多様性>を作品の軸に据えている。そのひとり、奧泉光の最新作「雪の階」(2018年、中央公論新社)を読了した。

 メタフィクションとマジックリアリズムの手法を駆使した「東京自叙伝」(14年)、極大(人類の危機)と極小(個の遺伝子)の連なりを希求したSFエンターテインメント「ビビビ・ビ・バップ」(16年)、そして本作……。短いインターバルで大作を発表する奧泉は、キャリアのピークを迎えているらしい。

 「雪の階」の舞台は二・二六事件(1936年)前夜だ。主人公の笹宮惟佐子は伯爵家令嬢で、数学が得意で囲碁も強い。論理と直観に秀でた女子大生だが、食虫植物のように男を翻弄する淫靡さを併せ持っている。唯一の友である宇田川寿子が失踪し、富士の樹海で遺体になって発見される。心中死との報道が世間を賑わせた。

 神秘主義者でナチスの優生思想の支持者であるピアニストの来日と寿子の死はリンクしている……。そう考えた惟佐子は、自身の少女時代、〝おあいてさん〟(遊び相手)として笹宮家に仕えていたカメラマンの千代子に協力を要請する。

 寿子は天皇機関説を唱える学者の娘、心中相手とされる陸軍士官は絶望的な格差を憂える皇道派に属していた。死出の旅路を共にするなんてあり得ないと惟佐子は直観していた。千代子は顔見知りの蔵原記者と調査を開始するが、ミステリアスな不審死が相次いだ。

 オルタナティブ・ファクト(起こり得た史実)を描いた小説ゆえ、当時の状況が織り込まれている。惟佐子の父は威勢良く天皇機関説を排撃する貴族院議員だが、魑魅魍魎が跋扈する政界を泳ぎ切る器ではない。アメリカに憧れる異母弟が〝洗脳〟によって瞬く間に底の浅い愛国者に様変わりする辺り、1930年代の日本の空気を反映していた。

 ソ連やドイツの間諜が蠢き、物語の系は絡まったり、よじれたりしつつ、惟佐子周辺に収斂していく。実験性とエンターテインメントを巧みに混淆させ、物語を紡ぐ奧泉の手腕に感嘆させられた。千代子と蔵原のサイドストーリーに癒やしとカタルシスを覚える。

 「石の来歴」と「浪漫的な行軍の記録」を紹介した稿で、奧泉を〝遅れてきた戦争文学者〟と評したが、反戦の思いは惟佐子、千代子、榊原の言動に滲んでいた。ミステリーの形式を採ることについて著者自身、「長編についてきてもらうための有効な技法」(要旨)と語っていた。バラエティーに富む登場人物、造詣の深い分野への蘊蓄など、奥泉ワールドは万華鏡の趣がある。

 二・二六事件は<天皇親政を目指したクーデター>とされるが、革新派将校の理論的主柱だった北一輝は10代の頃から反皇室主義者で、大逆事件に連座する可能性もあった。<木偶として担いだ天皇を実権獲得後、政治の世界から追う>道筋を見据えた革命家が、実像に近いのではないか。岸信介は北一輝に師事した。安倍首相の皇室軽視、国家社会主義的施策に、岸の、そして北の影が窺える。

 惟佐子の血脈が、二・二六事件に重なっていく。皇室を渡来者の末裔と断じ、日本古来の聖なる血を受け継ぐ神人が日本の新時代を切り開く……。そう刷り込まれた惟佐子の記憶の片隅に、神秘的な心象風景が焼き付いていた。惟佐子の決断に結末が委ねられる。

 タイトルの「階」の読みは「きざはし」で、階段の意味だ。著者は<我々もまたどこかの階段の途中にいて、なにかしら不穏な空気を感じている>と作意を述べていた。二・二六事件から80年余、この国の空気は冷め切り、悲しいほど淀んでいる。
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「バハールの涙」が謳う〝拠って立つこと〟の貴さ

2019-02-13 01:02:49 | 映画、ドラマ
 先週末、緑の党グリーンズジャパンの第8回定期総会(全水道会館)に足を運んだ。2014年に入会以降、反原発集会、しあわせの経済世界フォーラム、供託金違憲訴訟裁判、脱成長ミーティング、オルタナミーティング、ソシアルシネマクラブすぎなみと、濃淡の差こそあれ、緑に彩られたイベントに参加し、ブログで紹介してきた。俺は非公認の〝広報部員〟といったところか。

 選挙(統一地方選、参院選)に向けて議論が白熱したので、一言居士の俺もマイクを握ってしまった。いわく<アメリカ民主党支持者に社会主義が浸透している(57%が肯定)。格差拡大が進行する日本の現状を踏まえ、リベラルだけでなく左派とのチャンネルも維持するべき>……。休憩時間、某会員から<社会主義とは旧来のものですか>と質問された。俺はブログで<多様性、共生、地域分散を包含する社会主義>を提唱しているが、説明不足だったことに悔いが残る。

 3・11後、〝拠って立つことの意味〟に気付き、井戸端会議風に政治や社会を語ることが虚しくなって緑の党に入会する。二人の女性の生き様を通し、〝拠って立つ〟ことの貴さ〟を謳う「バハールの涙」(18年、エヴァ・ユッソン監督)を新宿ピカデリーで見た。

 クルド人でヤズディ教徒の弁護士バハール(ゴルシフテ・ファラハニ)はISに夫を殺され、息子を戦闘員育成のため連れ去られる。自身も性奴隷として繰り返し売買され、辛うじて脱出した後はクルド人武装勢力に加わる。バハールが指揮官を務める女性たちの戦闘部隊「太陽の女たち」(原題)に同行するのは、シリア内戦の取材で夫を亡くしたフランス人ジャーナリストのマチルド(エマニュエル・ベルコ)だ。PTSDに苦しみ、砲弾を浴びた際のケガで左目は見えない。

 「彼女が消えた浜辺」、「パターソン」が記憶に鮮やかなゴルシフテ・ファラハニがバハールを演じ、マチルド役のエマニュエル・ベルコは監督、脚本家としても活躍している。極限の戦場で「太陽の女たち」を取材するマチルドはバハールの勇気と統率力に感銘を覚え、バハールもまたマチルドのジャーナリスト魂に敬意を払う。両者に友情は、共有する子供への思いに根差していた。

 苛烈な現実に対峙するバハールに重なったのは、圧倒的スケールでクルディスタンを描いた「砂のクロニクル」(91年、船戸与一)に登場するシーリーンだ。本作を見て、日本で語られる戦争が絵空事と思えてくる。AIやドローンの活用で戦争の形は変わってきたが、彼の地では息詰まる白兵戦だ。

 マルクス・ガブリエルやユヴァル・ノア・ハラリら知のトップランナーは<GAFA=グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル>を管理資本主義を主導するプラットホームと指摘していたが、本作ではスマホが<自由と解放ためのツール>だった。

 クオーター制を採る緑の党では、女性の活躍が目覚ましい。アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相は緑の党党首だし、昨年行われた韓国ソウル市長選ではシン・ジエ候補が4位と善戦した。若年層に支持を伸ばし、党勢の伸張は目覚ましい。米中間選挙でも女性の進出が目立ち、スペインのポデモスも女性たちに支えられている。「バハールの涙」に描かれている女性たちの芯の強さと知性も、世界の流れと重なっている。

 ISとクルド武装勢力には夥しい数の武器が流れている。主な輸出元はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の常任理事国だから、国連など信用出来ない。ISの残虐行為は常軌を逸しているが、戦争は必ず人間を狂気に追いやる。バハールの上官がISの自爆兵のことを「カミカゼ」と呼んでいた。日本は〝狂気の輸出国〟だったのか。

 緑の党大会のトークセッション「地域から希望を!」でゲストとして招かれた井筒高雄氏(元自衛隊レンジャー隊員)は、地域経済、女性の地位向上、地球温暖化、格差と貧困、憲法9条の各テーマを<戦争>をキーワードに明晰に分析していた。「バハールの涙」のテーマにも通底するものを感じている。

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「幻の湖」~邦画史上最悪の失敗作を観賞する

2019-02-09 23:26:43 | 映画、ドラマ
 スカパーでドラマの再放送を楽しんでいる。多くは一度見た作品で、記憶が少しずつ甦り、いつしか画面に釘付けになっている。〝再会〟頻度が圧倒的に高いのは渡瀬恒彦で、「十津川警部シリーズ」など主演作は膨大な数だ。周囲の力を引き出す〝親和力〟ゆえ重宝されたのだろう。

 ポスト渡瀬の一番手は内藤剛志か。内藤とは同世代で、自主映画(主に長崎俊一監督)、日活ロマンポルノも観賞している。「事件」、「三屋清左衛門残日録」など北大路欣也ともよく出会う。初めて見た主演作が「宮本武蔵」(1965年)だから、50年来の馴染みだ。ちなみに、印象に残っている映画は「仁義なき戦い 広島死闘編」、「ダイナマイトどんどん」あたりで、本題で紹介する「幻の湖」にも出演している。

 邦画史上最高の脚本家は橋本忍だ。昨年夏に亡くなったこともあり、脚本を担当した作品がスカパーでオンエアされている。数は少ないがテレビドラマでも傑作を残している。代表作は「私は貝になりたい」(1958年)だが、TBSチャンネルが追悼特集で放送した「正塚の婆さん」(63年)にも感銘を受けた。

 東京のベッドタウンで、裁判員制度を先取りしたかのような「検察審査会」に11人の市民がくじで選ばれる。その中のひとり、おくに(三益愛子)は家族も手に負えない意地悪婆さんだ。暴力団絡みの地上げで、背景に学校招致を巡る汚職がある。他の委員の腰が引ける中、おくにだけが市長を追及する。「十二人の怒れる男」、橋本も脚本チームに加わった「悪い奴ほどよく眠る」(60年、黒澤明)を彷彿させ、社会派の面目躍如というべき内容だった。

 絶対的な地位を築いた橋本は、東宝35周年記念作「日本のいちばん長い日」(67年)の脚本を書いた。その流れで50周年記念作「幻の湖」(82年)の製作、脚本、そして監督まで担当することになった。怖い物見たさで、〝邦画史上最悪の失敗作〟とされる本作を日本映画専門チャンネルで観賞した。

 「あの男は気を付けた方がいい」とか、「ファッキンクレージーな女」なんて悪評を聞いた人間に、好意や親近感を抱いたこともある。そんな臍曲がりだが、汚名に相応しい失敗作だと思う。興行成績も最悪で、業界で信頼をなくした橋本は事実上、筆をおくことになる。

 主人公は雄琴のトルコ嬢(現在はソープ嬢)のお市(南條玲子)だ。お市の勤める店は、戦国時代の女性にちなんで源氏名を付け、日本髪に着物で接待する。お市の親友は同僚の米国人ローザ(デビ・カムダ)と犬のシロだ。忽然と現れたシロを先導役に、お市は琵琶湖の周りを走っている。シロを追いかけたお市は、湖畔で笛を吹く長尾(隆大介)と出会い、不思議な縁を感じた。

 銀行員の倉田(長谷川初範)や店のマネジャー(室田日出男)らの気遣いで平穏な日々が流れたが、シロが殺されてムードは一変する。行き着いた犯人は高名な作曲家の日夏(光田昌弘)だが、罪に問うのは難しい。日夏もランナーで、東京、そして琵琶湖周辺での追走劇に「フレンチコネクション」が重なった。シロの骨を埋めた場所で長尾と再会した南條は、笛の由来を聞かされる。

 時空は400年前にワープする。長尾はお市の方(関根恵子)の侍女みつ(星野知子)と恋仲だった。みつは白無垢で吊るされ、みちが命を守ろうとした幼い君は串刺しの刑に処される。残虐な仕打ちを命じた織田信長を北大路が演じていた。シロはみつ、もしくは若君の生まれ変わりで、日夏の前世は信長か。愛する者を奪われたお市の怨念が、トルコ嬢のお市に憑依した……。橋本は宿命に彩られたドラマを脳裏に描いていたのだろう。

 本作で裸身を晒したため、その後は〝濡れ場〟女優的な扱いも受けた南條だが、拙くても初々しく、感情を迸らせる演技に好印象を抱いた。本作の最大の欠点は平板さである。橋本が名匠と組んだ作品は歯切れ良く、緊張感に満ちていたが、本作は不要な説明台詞やテロップが目立ち、2時間ドラマに近い。

 ローザは実は諜報員で、長尾はNASAの一員として宇宙から琵琶湖を見る……。この辺りも完全に消化不良だった。アイデアは暴走し、ストーリーは破綻したが、誰も橋本にアドバイス出来ないまま公開日を迎えてしまったのだろう。俺は〝失敗の達人〟だが、橋本が躓いた真の理由はわからない。
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「疎外と叛逆」~マルケスとジョサの友情と決別

2019-02-06 22:12:57 | 読書
 ペイトリオッツがラムズを破り、6度目のスーパーボウル制覇を果たす。自らの支持者であるHCとQBをホワイトハウスに迎えるトランプの笑顔を想像するだけで不快になる。俺はアンチペイトリオッツだが、史上最悪の誤審に救われてNFCを制したラムズを応援する気にはならなかった。

 元49ersQBコリン・キャパニックは差別がまかり通る社会に抗議し、2季前のプレシーズンマッチで国歌斉唱時に起立せず跪いた。追放されたキャパニックへの支援はロック界に広がり、ステージで跪くロッカーたちが相次いだ。SNSで沸騰した「跪け」の声に応えず、ハーフタイムショーで普通に演奏したマルーン5は今、逆風に晒されている。辺野古移設に異論を唱えたローラへのバッシングとは対照的に、<思想信条を明確にする>ことを求める先進国との違いを実感している。

 ボルトン大統領補佐官は会見でノート裏の書き込みをチラ見させ、軍事行動を仄めかした。<マドゥロ大統領=悪の独裁者、グアイド暫定大統領=善の改革者>の構図を信じている方は、17年前を思い出してほしい。CIA-軍-保守派-資産家によるクーデターで監禁されたチャベス大統領は2日後に解放された。「デモクラシーNOW!」など米独立系メディアは今回も石油メジャーの暗躍を指摘し、トランプ政権の動きに批判的だ。

 そのベネズエラで初めて会った偉大な作家2人をテーマに据えた「疎外と叛逆」(水声社、寺尾隆吉訳)を読了した。コロンビア出身のガルシア・マルケスとペルー出身のバルガス・ジョサは、ギュンター・グラス(ドイツ)とともに世界の文学界を牽引してきた。本書には♯1<両者の対話>、ジョサによるマルケス論の♯2<アラカタカからマコンドへ>、♯3<ジョサへのインタビュー>が収録されている。♯1をメインに以下に記したい。

 マルケスは10作弱、ジョサは10作以上読んでいる。俺が〝ジョサ派〟である理由のひとつは、世紀を超えても重厚な作品を世に問い続けているからだ。対話は1967年、リマで行われた。同年「百年の孤独」を発表し、時代の寵児になったマルケスに、9歳年下のジョサがインタビューする形で進行する。

 ジョサのマルケスへの敬意が言葉の端々に滲み、対話をきっかけに親友になった両者だが、9年後に決別する。公の場でジョサがマルケスを殴り倒す衝撃的なシーンはYouTubeで視聴可能らしい。様々な噂が流れたが、当事者が口を閉ざしている以上、真相は闇のままだ。訳者は<生真面目なジョサ、皮肉屋のマルケスと、対話に窺える個性の違いが、軋轢の芽になったのでは>(要旨)と推測している。

 南米では作家の地位が低く、中産階級の親にとって〝子供が絶対目指してはならない〟職業だった。息子の趣向を知った父は、ジョサを士官学校に入学させる。その結果、ジョサは反軍思想を育み、初期の傑作「都会と犬ども」を書き上げた。両者は生活にあくせくしながら修業し、20代後半にデビューした。

 <優れた文学が既成の価値観を称揚するようなことは皆無>(マルケス)、<文学の才能は、現実世界との不純な関係と表裏一体>(ジョサ)と両者は語っていた。世間との隔絶が作家を胚胎するのだろう。「文学は破壊的な行動で、反骨精神が時に社会を震撼させることに作家自身は自覚的なのか」というジョサの問いに、マルケスは「作家の政治的志向が物語の糧になり、破壊的な力を生むことがある」と答えた。

 ジョサはマルケスの本音を引き出すべく「百年の孤独」を熟読して臨んだことが窺える。ちなみに前年に発表されたジョサの「緑の家」は「百年の孤独」に匹敵する作品だが、文学を超える現象にはならなかった。南米における挫折、喪失感、孤独の意味を語るジョサに触発され、マルケスは<私は自分で思っているよりはるかに社会的・政治的な見地から孤独を描いていたことになる」と述べていた。

 南米文学に横溢するマジックリアリズムについて、「あなたはリアリズム作家なのか、幻想文学作家なのか」と尋ねるジョサに、<ラテンアメリカで起こり得ることを書いても、合理的説明が始まった瞬間、〝狂気の沙汰〟と論じられ、この大陸の真実は歪められてしまう>(論旨)と語っていた。当人が意識しているかはともかく、日本で最もマジックリアリズムに近いのは辻原登だと思う。

 構造、政治信条、伝統、伝説など全てを包含する<全体小説>を志向した両者は、フォークナーが南米文学に及ぼした影響力に言及する。ジョサは<奇抜で独特な示唆的文体>、マルケスは<語りの作法>を挙げていた。南米の現実に向き合うには、欧州作家の手法では太刀打ち出来ないと考えていたようだ。

 親友だった両者だが、突然の決別後、言葉を交わすことは一切なかったという。マルケスは82年にノーベル文学賞に輝き、互角以上の力量を持つジョサの受賞は28年後になった。その辺りの経緯は謎で、俺なりに推理はしっているが、ここでは書かないでおく。
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「共犯者たち」~正義に身を賭すメディア人の魂

2019-02-03 21:32:15 | 映画、ドラマ
 恵方巻を食べた。我が家では50年以上前から、既に食卓に上っていた。料理が得意でなかった母だが、卵焼き、キュウリ、ポークソーセージという具材をチョイスし、斬新な巻き寿司を編み出した。節分だけではなく、遠足や行楽のお約束になり、帰省して東京に戻る際、弁当として持たせてくれた。亡き妹に受け継がれたが、ここ数年、口にしていない。死ぬまでに食べたいソウルフードである。

 ベルギーでは中高生が地球温暖化を訴え週に1日、学校を休んでデモを続けている。4週目になる31日は各地で3万人以上が参加した。未来を見据えるティーンエージャーに、学校関係者を含め大人たちの目は温かい。世界で若い世代が社会に向き合っているが、日本で兆しは感じない。

 この国では今、永田町の地図に塗り込められた有象無象が醜い動きを見せている。国民民主+自由の野合に橋下徹氏も合流するかもしれない。原発推進の連合をバックにつけた保守連合だが、注目しているのは山本太郎氏の動向だ。筋を通すなら無所属で戦うべきだが、果たして……。

 ポレポレ東中野で「共犯者たち」(17年)を見た。サブタイトルは<記者が黙った、国が壊れた――主犯は大統領、共犯者は権力におもねる放送人>で、李明博、朴槿恵政権下の10年に及ぶメディア弾圧、記者たちの抵抗を追ったドキュメンタリーだ。現在の日本と重なる部分を含め、紹介することにする。

 MBCで敏腕プロデューサー(PD)として鳴らしたチェ・スンホが監督を務めた。局を支配下に置こうとする政権に抗して解雇され、独立メディア「ニュース打破」を立ち上げる。退任して数年経つ李明博に「あなたが国を壊した張本人」とマイクを突き付ける姿にマイケル・ムーアが重なった。チェは青瓦台(大統領官邸)の意のまま多くの局員を解雇したKBSやMBCの幹部、権力の横暴を黙認した検事たちの実名を挙げて告発する。

 日本における放送局への圧力といえば、安倍晋三首相(当時、官房副長官)らがNHK「戦争をどう裁くか~問われる戦時性暴力」(2001年)の内容を改変させた一件だ。前稿で紹介した朴元淳ソウル市長は、番組の背景にあった「女性国際戦犯法廷」で韓国側検事として慰安婦問題を裁き、昭和天皇ならびに日本国を「人道に対する罪」で有罪と断じた。

 NHKの〝安倍機関化〟の端緒というべき一件だったが、李、朴大統領時代の圧力の凄まじさに言葉を失い、同時に自身の不明を恥じた。前稿で韓国の民主化運動を評価する若森資朗氏(報告者)の発言を紹介したが、俺は韓国の民主化を〝過大評価〟していた可能性もある。

 マイケル・ムーアの<全ての市民が活動家にならなければ、民主主義は維持出来ない>という言葉は、本作を解く鍵になる。10代が起点になった米国産牛肉輸入再開反対デモも100日間続いた。民衆レベルでは民主主義が根付いているが、反動派の基盤も絶大だ。朴弾劾を求める集会やデモの広がりに、陸軍が戒厳令を敷き市民鎮圧を策していたことが昨年7月、明らかになる。

 財界-法曹界-軍-警察が形成する韓国保守層の強固さを本作に感じた。地縁、血縁、上下関係が重要視される韓国で、民主主義を維持するのは大変なのだろう。メディアさえ抑えれば何とでもなるという権力者の驕りが窺えたが、日韓には決定的な差がある。3・11直後、〝テレビは信用出来ない〟という空気が広まったが、8年後の今、旧に復している。世論調査によると、日本人の90%はテレビを信頼しているという。

 身を賭して独裁と闘った韓国では対照的で、テレビを信頼している人は20%前後だ。李、朴両政権に抗議する街頭闘争で、KBSやMBCの記者は「権力の犬」、「マスゴミ」と罵られる。民衆の声に奮起し、局内で立ち上がった良心的な記者たちのある者はクビになり、報道局から異動させられる。スケート場に左遷されたPDもいた。

 チェ・スンホは同志たちのその後を追う。<抗議の声を上げたことに誇りを持っている>(論旨)と語る者もいて、存在証明を果たしたメディア人の魂に敬意を抱く。一方で、権力におもねった放送人の多くは、今も汚れた海で反省のそぶりもなく抜き手を切っている。


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