酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

第76回日本ダービー~福永とセイウンは虹を掴めるか

2009-05-30 06:44:58 | 競馬
 欧州チャンピオンズリーグはバルセロナがマンチェスターUを下し、リーガ、国王杯に続く3冠を獲得した。俺はマンU有利とみていたが、サッカーの勝ち負けさえ当たらないのだから、競馬など的中できるはずもない。

 今回はダービーについて、予想を抜きに記したい。その心は「頑張れ、セイウンワンダー」である。

 昨年、日本最古(恐らく)のPOGに参加した。高レートであるにもかかわらず無手勝流で、良血馬と人気厩舎をことごとく外して指名する。大損害を被っても不思議はなかったが、15位(22頭中)で選択したセイウンワンダーが命綱になった。

 セイウンの注目度は極めて低かった。父グラスワンダーはGⅠで4勝を挙げたが、種牡馬として実績を残せず、社台から追われている。管理するのはPOGファンがノーマークの領家厩舎だ。朝日杯FSを制し、スクリーンヒーローとともに父の名を押し上げたセイウンだが、実績の割に評価はいまひとつだった。

 弥生賞でコケた後、主戦の岩田はアンライバルドを選ぶ。皐月賞では不利を克服して3着に入るも、内田は青葉賞馬アプレザンレーヴとのコンビを継続した。捨てられた形になったセイウンのため、領家師は武豊ら数人と接触したと報じられた。騎手、調教師として常に地味な存在だった領家師は、最後の夢を“馬と話せる男”福永洋一の息子祐一に託した。

 順風満帆だった福永だが、取り巻く状況はこの2年で大きく変化した。地方から移籍した岩田と内田にポスト武の座を瞬く間に奪われ、育ちのいいボンボンのイメージにも傷が付いた。

 07年の秋天皇賞のレース直後、コスモバルクを御せなかった五十嵐への暴言が表に出て、福永はファンの顰蹙を買った。「武豊TV!~新年SP」(08年1月)における岩田の衝撃発言「年下の生え抜きに陰湿な嫌がらせを受けた」で、いじめた側としてネット上で名指しされたのは福永だった。昨年春、競馬雑誌で岩田と対談し、騒動は終息したが、岩田⇒内田を経て乗り馬が回ってくる現実に、エリートとしてのプライドを刺激されているに違いない。

 競馬とは<馬主=生産者=調教師=騎手>が形成する冷徹なマネーゲームだが、一頭のサラブレッドの背景には、セイウンワンダーに限らず湿っぽい人間ドラマがある。POGに参加したことでレースを構成する情念の欠片になれたのは幸いだった。

 崖っぷちパワーを凝縮したセイウンワンダーの大爆発を願うが、思い通り運ばなくとも、負け慣れている俺はショックを感じないはずだ。2週間後に迫ったドラフトで“第二のセイウンワンダー”を指名すればいいのだから。
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前大統領の自殺&核実験~隣国からの衝撃の受け止め方

2009-05-27 02:11:41 | 社会、政治
 新型インフルエンザの感染は、週が変わって終息の方向に進んでいるようだ。暑い時季は潜伏して秋以降、強毒性に転じる可能性を専門家は指摘している。

 俺はといえば、慢性ネタ切れブロガーだ。盧武鉉韓国前大統領の自殺、北朝鮮の核実験と、隣国から相次いだニュースにパクッと食いつくことにした。

 俺はこの間、<日本より韓国の方が自由な社会>(趣旨)と繰り返し記してきた。韓国を称揚する意図はなく、自由から逃走して閉塞状況に陥った日本の現状を憂えているからだが、盧氏が自殺に至る経緯に、韓国政界の未熟さを覚えた。

 政権交代が頻繁かつスムーズに行われることこそ、民主主義成立の必要条件だ。次期総選挙の結果により、日本はようやく民主主義のスタートラインに立てるかもしれない。またしても首相の孫(鳩山氏)という構図はインドと同様、前近代性の証明といえぬこともないけれど……。

 一方の韓国は、民衆の流した夥しい血によって民主化を勝ち取り、ドラスティックな政権交代を繰り返してきた。常に用いられてきたのが、メディア―検察―警察を動員して前政権を悪者にし、現政権の支持率低下に歯止めを掛けるという手法である。儒教のマイナス面なのか、韓国では一族郎党が権力に寄生する傾向が強いが、盧一族への追及をフレームアップと断じる声も強い。

 日本はというと、首相経験者で唯一逮捕されたのが田中角栄氏だ。その田中氏を「あの男はなぜか塀の内に落ちない」と慨嘆させたのは、大勲位こと中曽根元首相である。岸元首相も多くの汚職に関与したが、CIAによる尻拭いもありセーフだった。入獄を免れた2人の共通点は、アメリカに忠実であることだ。

 小沢前民主党代表の秘書が逮捕された時、多くの識者が国策を訝った。流されやすい俺も影響を受けたが、次第に考えが変わっていく。自公ではなく、アメリカの意向を感じたからだ。小沢氏は23日、代表在任中の「第7艦隊発言」を緩和し、民主党が政権を取っても在日米軍削減や自衛隊増強に踏み込む意思がないと明言した。へそ曲がりの俺の目には、お仕置きに対する恭順の意の表明と映ったのだが……。

 盧氏は退任後、晴耕雨読の生活を続け、在任中から一転して人気者になった。死を惜しむ声はそのまま、李政権を攻撃する刃になっている。北朝鮮の核実験は、国民を団結させる外圧として李大統領に利用されるかもしれない。

 「寅さんシリーズ」をはじめ邦画好きの金総書記は、「北陸代理戦争」を見ているかもしれない。数人の手勢しかいない川田登(松方弘樹)は、暴力と度胸で大組織に自らの存在を認めさせていく。金総書記なら自らと川田を重ね、ラストで快哉を叫ぶだろう。

 国際社会の厳しい対応は当然として、自民党の数人の議員が「敵基地攻撃能力保有論」を主張し始めた。バックで糸を引くのは? 戦場では使いものにならない虚弱体質のくせに、言葉だけ居丈高な安倍元首相、中川前財務相といったボンボンたちだろう。専守防衛否定派を後押しする麻生首相の発言に、メディアの反応は鈍い。結託すべき俗情の行方を見守っているに違いない。

 現状にニンマリなのは常任理事国(米・露・英・仏・中)の軍需産業、死の商人たちだ。真実の扉を開くためには、目に見えるものを疑うことから始めなければならない。



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母から娘に受け継がれるもの~オークスを前に考えたこと

2009-05-24 02:35:50 | 競馬
 関東でも新型インフルエンザが蔓延しそうな気配だ。マスクは入手可能で、お米まで品薄になった神戸ほどの緊迫感はないが、今後のことはわからない。

 高野山決戦を郷田9段が制し、名人戦は2勝2敗の五分になった。4五桂というファンを喜ばせる手を機に棋勢が傾いたが、「羽生名人がどこで間違えたかわからない」とプロ棋士が口を揃える難解な将棋だった。

 さて、本題。今回はオークスの予想だが、これといった穴馬が見つからなかった。回りくどく記すつもりでいる。

 クラシック戦線で幅を利かすのが血統だ。<父が……だから距離は大丈夫>なんて眉唾で、熱心な競馬ファンは母系の方が重要と考えている。対象が馬のうちは角が立たないが、子供がグレたり、成績がいまひとつだったりすると、議論は教育から逸れ、夫婦で血統論を闘わせる羽目になる。

母「あんたの親類、ロクな人いないじゃない」
父「おまえの方こそ、2人の兄貴、地元で評判のゴンタだったろ」
母「今じゃ2人とも、あんたより羽振りがいいわ」
父「俺は頭で勝負する家系の出だ」
母「いい大学出たって、50前にリストラされるようじゃ」
父「……」
 
 競馬もまあ、似たり寄ったりである。

 無駄に半世紀を生きた俺だが、とてつもなく優秀な女性2人と親しくなれたのは幸いだった。アラフィフのAさん、アラフォーのBさんで、ともに高卒だ。俺が学歴に重きを置かないのも彼女たちと出会ったからである。

 Aさんは音楽、映画、芝居、文学の本質をたちまちキャッチする能力の持ち主で、俺が生半可に文化を語るのも彼女の影響大である。Bさんは美的センス抜群だが、芸術肌というより論理力と記憶力に優れていた。議論で圧倒され、ゲーム(花札やトランプなど)で完敗し、唯一の得意分野である大食いまでBさんの足元にも及ばなかった。

 Bさんは独身だが、Aさんは居酒屋を経営するシングルマザーだ。時々足を運んで旧交を温めるが、娘さん(次女)と店で話す機会があり、血統の意味を思い知らされた。波瀾万丈に至るまで母の資質を受け継ぎ、18歳にしてどこか醒めている。とりわけ文才に秀でており、周囲は作家デビューを期待している。志があれば道は開けるはずだ。
 
 オークス出馬表の母の欄には、Aさん、Bさんのような才女が勢揃いしている。生産者が考え抜いた末の配合の成功例だが、思い通りに進まないのは人間と変わらない。結果を出せない良血馬は、栄えある18頭の数十倍にも上るだろう。

 俺がピックアップしたのは⑦ブエナビスタ、③レッドディザイア、⑰デリキットピース、⑮ハシッテホシーノで、⑰と⑮からの馬連と上記4頭ボックスの3連単を買う。オークスは極めて平凡な結論だが、配当的妙味は東海Sだ。前売り9番人気の⑧エスケーカントリー、同11番人気の③ヤマニンリュパンを軸に高配当を狙う。

 来週はマンチェスターUとバルセロナが雌雄を決するチャンピオンズリーグ決勝、ダービーと胸躍るイベントが続く。



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変革者の実像~ボブ・ディランとイアン・カーティス

2009-05-21 02:01:08 | 音楽
 東京で新型インフルエンザの感染者が確認された。いずれ街はマスク姿で溢れ、着用しない者は非国民扱いされるだろう。新型インフル対策はもちろん必要だが、100人前後が日々自殺する現実から目を背けてはいけない。この国ではウイルスだけでなく、貧困と格差という名のがん細胞が増殖している。

 さて、本題。WOWOWで先日、ボブ・ディラン関連の「アイム・ノット・ゼア」と「ニューポート・フォーク・フェスティバル1963~65」、イアン・カーティスの実像に迫った「コントロール」が放映された。今回は映画を基に、ディランとイアンについて記したい。

 公民権運動の担い手、伝統的なバラットの継承者、ギンズバーグと並ぶ詩人……。称賛の形容詞は尽きることのないディランだが、グループサウンズ⇒モンキーズ⇒ビートルズでポップに目覚めた俺には、あまりに敷居が高かった。

 「アイム――」はディランの6つの個性を6人の俳優が演じる実験的な作品で、見終えた時、迷路に取り残されたような気分を味わった。対訳歌詞抜きの「ニューポート――」は退屈なドキュメンタリーだったが、音楽史に残る場面がカメラに収められていた。

 バンドを従え、エレキギターを手に「マギーズ・ファーム」と「ライク・ア・ローリングストーン」を演奏するディランに、観衆がブーイングを浴びせる。生ギター一本で歌うことが<反抗のスタイル>で、プラグを通すことは資本と体制に魂を売る行為とファンは考えていたようだ。

 「コントロール」の録画を見たのは、奇しくもイアン・カーティス(享年23歳)の20回目の命日(5月18日)だった。フォロワーの活躍もあり、ポストパンク/オルタナ/の創始者、マンチェスタームーヴメントの曙として絶対的な評価を受けるジョイ・ディヴィジョンのフロントマンがイアンだった。その青春時代から自殺への日々を追ったのが本作である。

 デヴィッド・ボウイとルー・リードの信奉者で、10代のうちに恋に落ちて結婚し、公務員(職業安定所)として働く傍ら、仲間と音楽を始める……。英国ではよくあるパターンだが、イアンは不幸なほど非凡だった。本作は“天才”イアンではなく、一人の青年としての懊悩を等身大で描いている。

 バンドが軌道に乗り始めた頃から、イアンは癲癇の発作に苦しむようになる。ステージで倒れたこともしばしばだったが、何よりイアンを追い詰めたのは妻デビーと恋人アニークとの関係だった。2人の間を行き来するうち、いずれからも距離を置かれるという悲劇的な結末を迎え、全米ツアー出発の日、自ら命を絶つ。

 イアンの詞が直截的な私小説であることを本作で知った。ロック史上最もダウナーなアルバムで、静謐な美に彩られた「クローサー」をぜひ聴いてほしい。本作では割愛されていたが、ジョイ・ディヴィジョンをプロのレベルに向上させたマーティン・ハネット(プロデューサー)の功績も忘れてはならない。

 ボブ・ディランとイアン・カーティスはタイプこそ違え、ともに音楽界に進化と深化をもたらした変革者だ。21世紀のロックシーンに、彼らと匹敵するアーティストはいるだろうか。


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新型インフル、民主党、裁判員……~ビニールハウス日本の現在

2009-05-18 00:23:51 | 戯れ言
 新型インフルエンザが関西で猛威を振るっている。感染者の大半が10代というのも気になる点だ。若者の“清潔信仰”が肉体の抵抗力を削いでいるのではと心配になってきた。

 年間3万人が季節インフルエンザで死亡する“震源地”アメリカでは、国民は鷹揚に構えている。「新型に感染したら、国が無料で救ってくれる」が医療制度の整わない国に住む人々の本音かもしれない。翻って関西ではイベント中止が相次ぎ、マスク購入のため多くの人が薬局に殺到した。

 “ビニールハウス”日本では、冷静な対応を呼びかける人は<K・Y>と非難される。困った風潮だ。そもそも空気を読むとは、長いものの巻かれる、周囲に流される、寄らば大樹の陰に繋がる。因習に抵抗し風穴を開けんと立ち上がった<K・Y>こそ、変革の推進力たり得るのだから……。

 <K・Y>を流行語にした若者の保守化は、日本の抱える最も深刻な問題の一つだ。時代閉塞を打破し、自由な社会を確立するための第一歩として政権交代に期待しているが、担い手たる民主党の“自殺行為”に愕然とする。
  
 小沢氏の評価、両候補のいずれが新代表に相応しいかについては議論が分かれる。俺にとって小沢氏とは、政官財の癒着構造の上に成立し、政教分離の原則を葬った<巨悪=自公政権>を下野させるための<必要悪>である。意識的に小沢氏をヒール化し、距離を置く岡田氏の方がましと誘導したメディアの論調に違和感を覚えていた。

 だが、小沢=鳩山ラインによる短期決戦強行はあまりにまずかった。投開票を延ばせば、両候補が露出する機会が増え、田中康夫氏が指摘した対立項――岡田氏は新自由主義に近く、鳩山氏は社会民主主義的――が明らかになり、鳩山氏への支持が高まった可能性もある。事を急いだ結果、鳩山氏は<世論にそぐわない代表>とのイメージと闘わねばならなくなったが、選挙直後に行われた毎日新聞の世論調査の結果に安堵したはずだ。

 矛盾だらけの裁判員制度実施が目前に迫ったが、国民の反応は冷ややかだ。俺なら喜んで参加するが、問題は秘密保持だ。例えばこのブログ……。「個人的事情で次回の更新は遅れます」と書けば、ピンと来る読者もいるはずだ。裁判で許しがたい事態(冤罪など)に直面すれば、罰は覚悟でぶちまけるかもしれない。

 裁判員は決して無作為ではなく、身辺調査を経た上で決定するという。俺に声が掛かる可能性は低いが、もし選ばれたら、死刑廃止論者として厳罰を主張する多数派の裁判員と議論を闘わせたい。裁判員同士は実名を明かさず、番号やアルファベットで互いを呼び合うらしいが、チャーミングな女性がいたら携帯番号をゲットしたくなるだろう。そのうち「裁判員の恋」なんてドラマが制作されるかもしれない。

 今回はとりとめない書き殴りになった。週に5日働いていると、ネタ探しは容易ではない。次回のテーマは何にしようか。


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「ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ」~死者を甦らせたマニックス

2009-05-15 03:24:43 | 音楽
 ブログを始めた年(04年)まで、NMEやQマガジンの年間ベストアルバム(10枚)は発表される時点(年末)で殆ど購入済みだった。その後、ロックへの関心が一気に薄れ、現役ファンを引退した。

 新陳代謝を繰り返し、新世代が既成勢力を駆逐してきたロック界だが、最近は死臭が漂うようになった。21世紀に入って、シーンを揺さぶるムーヴメントは起きただろうか。ハイパー資本主義のしもべになり、以下の<A>~<F>に忠実なバンドだけが、トップとして生き残っている。

<A>次回のアルバムまで最低でも3年のブランクを空ける
<B>その間、広告代理店が中心になって、売るため戦術を練る
<C>米民主党や英労働党の掌で踊る範囲で、良心的言動や慈善に努める
<D>スタジオでの厚化粧で、ipod向きの人工的で草食系の音を完成させる
<E>興行主、チケット屋、フェス主催者との打ち合わせで発売時期が決まる
<F>メディアに歯の浮くようなお世辞を書かせる

 お人良しの俺でさえ、大掛かりのトリックに騙されなくなる。ロックの魅力は微分係数の煌きと瞬間最大風速の勢いだ。キャリア10年を超えて最高傑作を発表したバンドなんて、キュアー、レッチリ、グリーンデイぐらいなのだから……。

 昨日(14日)、発売されたばかりのマニック・ストリート・プリーチャーズの新作「ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ」を購入した。90年代後半、“UKの国宝バンド”と称されたマニックスは、売り上げに基づく番付で後退したものの、着膨れした他のバンドと一線を画している。

 90年代で最もダウナーなアルバムを挙げるなら、ニルヴァーナの「イン・ユーテロ」とマニックスの「ホーリー・バイブル」だ。前者はカート・コバーン、後者はリッチー・エドワーズの心的風景を形にした作品で、カートの自殺は世界に衝撃を与え、リッチーの失踪(生死不明)はマニックスの音楽に陰影を刻んだ。

 本作は「ホーリー・バイブル」以来、4人で制作したアルバムになった。リッチーが遺した散文や詩を歌詞にし、プロデューサーには「イン・ユーテロ」のスティーヴ・アルビニを迎えた。鋭く繊細なリッチーの世界観をエッジの利いたサウンドに乗せ、アルビニ独特のスタジオライブのアナログ一発録り……。マニックスは素裸になって原点に戻った。

 ライナーノーツに掲載されたニッキーの楽曲解説も興味深い。UKニューウェーヴを意識して音作りをしたようで、ジョイ・ディヴィジョン、キュアー、エコー&バニーメン、スージー&バンシーズを聴き込んだ人はノスタルジックな気分に浸れるだろう。

 イントロに日本語が流れたり、曲の中にリッチーの肉声(恐らく)が被さったりと工夫も凝らされている。決してキャッチーではないが、虚飾を排した歌詞と音はロックに飢えた若者を強く揺さぶるはずだ。資本主義が曲がり角に立つ現在、時代の風もマニックス向きに吹いている。キューバ公演を実現させたマニックスは、一貫して新左翼を支持してきたからだ。

 マニックスの新作だけでなく、タワーレコードで久しぶりに衝動買いをしてしまう。他のアルバムは聴いていないが、感想は近いうちに記すつもりだ。満足できたら、数年ぶりにロックファンに復帰するかもしれない。



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「ミルク」~激しく、温かく、清冽に……

2009-05-12 00:25:15 | 映画、ドラマ
 小沢民主党代表が既定の方針通り辞意を表明した。岡田氏をはじめ、クリーンなイメージの枝野、長妻氏らが重要な役職を占めることを期待しているが、<新代表≒次期首相>の可能性が高い状況で、鳩山氏や菅氏が黙っているだろうか。

 銀座で先日、「ミルク」を見た。ショーン・ペンがゲイ活動家のハーヴィー・ミルクを演じ、オスカー(主演男優賞)を獲得した作品である。

 アカデミー賞授賞式当日、同性婚反対を唱える右派は会場周辺で、同作の8部門ノミネートに抗議した。彼らを意識したペンは受賞スピーチで「誰もが平等の権利を持つべき」と述べ、同性婚に寛容なオバマを大統領に選んだ米国民に感謝の意を表明する。

 4年前、ミルクの生涯を追ったドキュメンタリーについて感想を記した(05年4月4日の稿)。死に至る経緯を知っていたので、本作にさほどの感慨はなかったが、ミルクの闘いがすべてのマイノリティーに刺激を与えたことを再認識できた。ミルクの恋愛遍歴もたっぷり描かれ、ストレートの俺には濃過ぎるラブシーンも織り込まれている。

 ミルクは海軍除隊後、教師を経てウォール街で実績を挙げる。クレジット会社で働いていた時、若いスミスと出会った。ベトナム戦争やカンボジア侵攻への異議、スミスから受けた刺激、偏見に囚われないサンフランシスコの土壌が、40歳まで共和党支持者だったミルクを変えていく。拠点になったのが73年にオープンした「カストロ・カメラ」だった。

 ミルクの変化に重なったのがダイアン・アーバスだ。自らの資質に気付いたダイアンは30代後半、唐突に覚醒して写真界に衝撃をもたらす。ダイアンは独りで格闘したが、ミルクには仲間がいた。見えざる手に導かれるように、高い意識と行動力を併せ持った者たちが周りに集まってきた。ミルクは同性愛者に理解のあるモスコーニ市長の下、市政委員として活躍する。

 <1人のゲバラの背景に100人のゲバラがいる。いや、100人のゲバラが存在しないと1人のゲバラも生まれない>……。「28歳の革命」についての稿(1月29日)でこのように記したが、この言葉はそのままミルクに当てはまる。当時のサンフランシスコには100人どころか万単位のミルクがいた。

 「私が殺された時、このテープを公開してほしい。私のように目立つゲイの活動家は、臆病な人間にとって格好のターゲットである」(趣旨)……。本作は暗殺を覚悟していたミルクが肉声を録音するシーンで始まる。ミルクは想定外の道筋で殉教者になった。

 保守派が掲げた<同性愛者とその支持者を教職から追放する>とする「提案6号」に対し、ミルクらは“NO ON 6”をスローガンに闘った。カーター大統領とレーガン次期大統領が“NO ON 6”への支持を表明したこともあり、「提案6号」は80%の反対票で否決された。

 ミルクらの運動は一定の成果を収めたが、21世紀に入って暗雲が漂い始めた。ブッシュ政権下、同性婚を禁止する修正法案が多くの州で採択されたが、オバマ大統領の登場で流れは変わりつつある。「ミルク」の製作と公開は時機を得ていたといえるだろう。





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「グローバリズム出づる処の殺人者より」~インドの真実に迫る傑作

2009-05-09 02:46:55 | 読書
 「パンデミック」は既に'09流行語大賞の有力候補だが、世界の誰より早く流布させたのは辺見庸氏だ。2月に放映された「ETV特集~しのびよる破局のなかで」で辺見氏は、現在の危機を象徴するキーワードとして繰り返し用いていた。

 先の帰省中、「グローバリズム出づる処の殺人者より」 (文藝春秋)を読んだ。世界を席巻するインド系作家のひとり、アラヴィンド・アディガの処女作にしてブッカー賞受賞作で,「スラムドッグ$ミリオネア」に感銘を受けた人にお薦めの小説だ。本作の語り部バルラム≒ジャマール(「スラムドッグ――」の主人公)と想定して読めば、インド社会の真実が浮き上がってくる。

 殺人によって起業家になるチャンスを得た下層カーストのバルラムが、中国の温家宝首相に半生を綴った手紙を送るという奇抜な設定が用意されている。その語り口は自虐的かつシニカルで、ユーモアと皮肉に溢れている。「うち(インド)もひどいですが、お宅(中国)も似たようなものでしょうね」という論調だ。

 行政機構と警察の腐敗、絶望的な格差、残存するカースト制、はびこる拝金主義と暴力……。描き出される21世紀のインドは闇が濃く、<インドで過ごせば人生観が変わる>といった常套句を、著者は外国人のたわ言と嘲笑していた。

 魯迅は「阿Q正伝」で中国大衆の奴隷根性を抉ったが、アディガは99・9%の大衆がわずか0・1%の支配層に隷属するインド社会を「鶏籠」に譬えていた。バルラムのように殺人を犯し、報復としての家族惨殺を覚悟した者こそが「鶏籠」から逃げ出せるのだ。

 <「きみは人間か悪魔か?」 あなた(温首相)にそう訊かれたら――どちらでもでもない、とわたしは答えます。わたしは目覚めていて、あなたがたはまだ眠っている>……。ラスト近くのこの記述はなかなか刺激的で、共産党一党支配に縛られる中国への揶揄とも受け取れるが、「スラムドッグ――」と重ね合わせると、別の側面も見えてくる。

 インド社会では、下層カーストや貧困層の命の値段はゼロに近い。そのような仕組みに置かれたジャマールとバルラムは、這い上がるために犯した罪を悔いることはない。日本人のヒューマニズム、良心、死生観がインドの現実と相容れないことを、二つの傑作によって知ることが出来た。

 話はコロッと変わる。「グローバリズム――」の舞台バンガロールにちなんで名付けたのが、俺のPOG馬だった。馬のバンガロールは単勝1・7倍に支持されたマーガレットSで4着に終わり、NHKマイルC出走は叶わなかった。気合はゼロに近いが、④と⑯を軸に②⑦⑮を絡めて、馬連と3連単で少額買うつもりだ。




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新緑の京都にて~妹を見舞う日々

2009-05-06 02:22:18 | 戯れ言
 帰省中、忌野清志郎さんの訃報を知る。ファンではなかったが、フォーク、ブルース、ソウル、ロックを独自にブレンドし、反骨とコマーシャリズムの境界を行き来する柔軟な生き様に敬意を抱いていた。早過ぎる死を惜しむと同時に、心から冥福を祈りたい。

 体格差のハンディを克服してデラホーヤを一蹴したパッキャオが、“英国のスナイパー”ハットンをわずか2回で粉砕した。アジアの怪物は戦慄を与えつつ、異次元へと進化を遂げている。年内開催が濃厚なメイウェザーJr戦で、“史上最強”の称号を手中に収めるかもしれない。

 ゴールデンウイークは妹を見舞う日々だった。1日に外泊許可が下りたものの嫁ぎ先で転んでしまい、実家にたどり着くことなく病院にUターンという残念な展開だった。入院生活で足腰が弱ったことと貧血が原因だが、後頭部を強打したのに大事に至らなかったのは不幸中の幸いだった。

 膠原病と闘う妹だが、ここ数カ月は免疫力低下で生じた感染や貧血を発症し、“局地戦”を強いられている。先日も十二指腸からの出血が判明し、止血の措置を施された。輸血、検査、点滴の繰り返しに耐え、一つずつ症状を改善していくしかない。

 京大病院も1月まで入院していた市民病院同様、経営は苦しいという。保険制度は破綻の危機に瀕し、看護師や介護福祉士の労働条件も改善されていない。消費税や税金は高いものの、安くて質の高い医療制度を維持する欧州各国とは大きな違いだ。出生率や食料自給率の低下を含め、歪んでしまった日本の“繁栄の形”を再考する時機に来ていると思う。

 透析室でテキパキ働くスタッフの姿に触れ、仕事が編集関係でよかったとつくづく感じた。俺はしばしば校閲ミスを出す。むろん痛いし、自己嫌悪に陥るが、差別表現や不快語を残さない限り、読者を傷つけることはない。不注意な俺が医療現場で働いていたら、あるいはバスや電車の運転手だったら……。想像するだけで背筋が冷やりとする。

 義弟とともに、20代の主治医に病状の説明を受けた。データを提示しながらの丁寧な語り口に、若さゆえの使命感、情熱、名医を目指す志の高さを感じた。漢方との西洋医学との併用、家族を含めたストレスやフラストレーションへの理解の深さも窺えた。

 京大病院から二条駅まで、新緑の京都の街を歩いた。次に帰省する萩や菊の季節には、妹が外泊できるまで快復していることを切に願っている。東京から精神的支援を送るだけの俺はこの場を借りて、スタッフの尽力と周囲のサポートに感謝の気持ちを表したい。



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夢の話と天皇賞

2009-05-02 05:34:26 | 戯れ言
 草剛ではないが、素っ裸で街を歩いたことがある。現実ではなく、夢の中で……。今回は俺が見た夢の類型について記したい。

 類型Aは<裸で街を歩く>。正確に言えば、裸に近い格好で……。タオルケット、毛布、バスタオルだけを纏い、羞恥に身を刺されながら雑踏を歩くのだ。

 類型Bは<出発できない>。鉛のように重い体を引きずりながら、発車のベルが鳴るプラットホームを行き来する。乗ろうとした瞬間、鼻先でドアが閉まり、同じことを繰り返す。

 類型Cは<江古田を彷徨う>。江古田で2度引っ越しし、三つの部屋で四半世紀を過ごしたが、中野に引っ越してから見るようになった。複数の部屋に家具があり、いずれにも俺の生活臭が漂う。俺の本拠は何処? 混乱しているうちに目が覚めた。

 昨年後半からラインアップに加わったのは類型D<汚れたトイレ>だ。汚れの極致というべきトイレで、用を足すべきか躊躇している。俺が夢で見ているのは、自らの醜い心的風景に違いない。

 類型というほどではないが、リアルな競馬の夢を何度も見た。20年ほど前だが、ナナサワという名の馬が7枠で勝ち、枠連⑦⑦で大波乱になる夢を見た。すると週末、ナナサワは7枠に入る。もちろん⑦⑦に大賭けしたが、JRAに高額寄付して終わった。

 ギャロップダイナが勝ち、喝采を浴びる夢を見たのは85年の初夏である。これぞ正夢と信じて流し馬券を購入したが、たった1秒で紙くずになる。ゲートが開いた瞬間、騎手を振り落とした同馬は、空馬ながら1位で入線する。“絶対に買ってはいけない馬”と俺の脳にインプットされた同馬は同年秋、人気薄で天皇賞を制し、“シンボリルドルフを差した唯一の馬”として歴史に名を刻んだ。

 さて、あしたの天皇賞。閃きもお告げもないが、一筋縄では収まらない予感がする。有力馬にはそれぞれ気になる点があり、展開ひとつで何が勝っても不思議はない。

 本命は平凡に⑯スクリーンヒーロー。父グラスワンダー、母父サンデーサイレンスは、ダービーに出走するPOG馬セイウンワンダーと同じで、ここは応援するしかない。鞍上の横山典にとって、1番人気ロジユニヴァースで惨敗(14着)した皐月賞の借りを返すチャンスでもある。

 ギャロップダイナの再来を狙って、対抗は⑩ゼンノグッドウッド。ギャロップはノーザンテーストの直仔だが、ゼンノの血統表にノーザンテーストの名前が2度出て来る(4×3のインブリード)。ギャロップ同様、ゼンノも遅咲きだし、人気薄で怖い“穴男”武幸とのコンビもいい。

 馬券は馬連とワイドで⑩⑯、3連単は⑯1頭軸で<⑯・⑩・③><⑯・⑩・③・⑰><⑯・⑩・③・⑰>の14点。どうせ外れるのなら、遊び心で馬券を買いたい。
 
 今日から妹の見舞いがてら帰省する。次回の更新は遅れるかもしれない。
コメント (2)
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