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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

愛の深淵をサディスティックに問う「入国審査」

2025-09-01 21:47:33 | 映画、ドラマ
 厚労省の発表によると、今年上半期の出生数は3・1%減の33万9280人だった。人口減はとどまらず、日本は今や終活期に入ったといえるだろう。参院選では外国人排斥を唱える参政党が大きく勢力を伸ばしたが、日本の人口における外国人の割合はOECD38カ国中36番目で、生活保護を受給している世帯は3%未満だ。

 俺は牛丼チェーンやファミレス、居酒屋で頻繁にランチを食べているが、店員の多くは外国人だ。先日訪れた新宿の老舗レストランでも2人のウエートレスは外国人だった。コンビニも同様で、工事現場やゴミ収集にも多くの外国人が携わっている。制度的不具合は別にして、労働力不足を補っているのは外国人で、擬制であっても共生社会が成立しつつあるのは確かなようだ。

 移民問題を背景にした「入国審査」(2023年、スペイン)を新宿ピカデリーで見た。アレハンドロ・ロハス、ファン・セバスチャン・バスケスが共同監督・脚本を務めている。低予算のインディーズ作品だが、世界の映画祭で数々の栄誉に輝いた。冒頭で、グリーンカードの抽選でアメリカへの移民ビザをゲットしたエレナ(ブルーナ・クッシ)は事実婚関係にあるディエゴ(アルベルト・アンマン)とともに、バルセロナからニューヨークに向かう。

 都市計画を学んだものの現在無職のディエゴはベネズエラ出身の38歳、ダンサーのエレナはスペイン生まれの32歳だ。空港に向かうタクシーのラジオから、カタルーニャ独立、トランプ大統領の壁建設関連のニュースが流れる。タイトルからして本作のテーマが奈辺にあるか見る側は推測してしまうのだが、製作サイドの巧みなミスリードであることがわかる。

 俺はパスポートを持っていないし、海外に行ったことはない。だから、ニューヨークでの入国審査を新鮮な気持ちで見ていた。ディエゴとエレナは突然、別室に連れていかれ、居丈高なバスケス審査官(ローラ・ゴメス)の質問攻めに遭う。時折目を泳がせるディエゴに、何か隠し事があるのが窺える。祖国ベネズエラはアメリカと良好な関係とはいえないし、冒頭のニュースから政治的な背景があるのではと臆測してしまう。だが、審査官が突きたかったのは別の問題だった。

 共同監督の実体験に基づく作品で、ともにベネズエラ出身だ。不条理な状況に追い詰められる可能性が描かれているが、ポイントは移る。バスケスの遠慮のない問いは夫婦生活に及び、かつてのディエゴの婚約に及ぶ。別々の部屋で各自が審問されるようになると、エレナの表情が変化が訪れる。<権力によるカップルの審査>から<エレナによるディエゴの審査>へと位相が変わった。

 女性の多くはディエゴの嘘を許せないだろう。嘘つきの俺は、ディエゴに少し肩入れしながら見入っていた。南米からEU圏に来たもののチャンスはなく、ならばと移民国家アメリカで夢を追おうともがくディエゴの気持ちが理解出来た。エレナへの思いが強いことは疑いようがないのだから……。

 スペインに強制送還かなと思っていたが、ラストは違った。ディエゴとエレナには愛の修復が試される。サディスティックといっていいほどカップルをいたぶった審査官たちは、遅めのランチタイムを満喫しているのだろう。
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「ニーキャップ」~自由に向けた言葉の弾丸が炸裂する

2025-08-22 22:13:03 | 映画、ドラマ
 酷暑の今、家でゴロゴロ、映画を見ることが多い。WOWOWで見た「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」(2023年、ヘティ・マクドナルド監督/イギリス)は心に響く作品だった。定年退職後、平穏な暮らしを送っているハロルドの元に、がんに冒され死を待つ元同僚クイーニーからお別れの手紙が届く。ハロルドは返事を投函せず、800㌔先のホスピスまで歩いて彼女に会いに行くことにした。

 ハロルドにとってクイーニーとはどんな存在だったのか、旅の過程で明らかになっていく。妻モーリーンとは息子デヴィッドの自殺で亀裂が入りこの25年、仮面夫婦だった。ハロルドは親切な人たちと出会うが、スロバキアからの移民でトイレ清掃しか仕事がない女医には、足の治療だけでなくお世話になった。アラブ系男性が投稿した記事がSNSで全英に広がり、ハロルドは一躍、時の人になる。

 時計やカードを自宅に送り返し、広大なイングランドの自然の中、ハロルドはナチュラリスト風になる。面影がデヴィッド似で、ドラッグを摂取している青年ウィルフと犬が旅に加わる。〝巡礼者〟のロゴ入りのTシャツを著た老若男女の大集団になったが、ハロルドは孤独を感じ、ウィルフと犬が姿を消すと、独りでホスピスに向かう。ウィルフは犬好きのデヴィッドのメタファーだったのか。

 モーリーンに「人生で何も成してこなかった」と言うハロルドは、デヴィッドに寄り添えなかったことへの悔恨と贖罪に打ちひしがれていた。25年を取り戻すように、ハロルドとモーリーンの心は紡がれ、淡々と相手の影と重なるような安らぎに包まれる。老い、愛、そして人生の意味を問い掛ける高齢者御用達の傑作だった。

 全くタイプが異なる作品を新宿シネマカリテで見た。「KNEECAP/ニーキャップ」(24年、リッチ・ペピアット監督)は実在するアイルランドのヒップホップトリオの伝記ドラマで、ニーシャ、リーアム、JJのメンバーが自らを演じている。現在、ロックに代わって時代と対峙しているのがヒップホップだ。代表格は今年のスーパーボウルのハーフタイムショーでトランプ大統領に「NO」を突き付けたケンドリック・ラマーだが、ニーキャップも尖っている。

 多少の創作もあるが主演格はニーシャで、父アーロ(マイケル・ファスベンダー)は潜伏中の闘士だ。母ドロレス(シモーヌ・カービー)が久しぶりに姿を現したアーロに言う「敗戦後もジャングルに隠れていた日本兵みたい」という台詞が印象的だった。アーロとその支持者は<アイルランド再統一>を訴え、その第一歩はアイルランド語を公用語にすることだった。

 麻薬取引で捕まったニーシャは英語使用を断固拒否する。通訳として呼ばれた音楽教師のJJは、ニーシャが手帳に書き残したアイルランド語のメッセージに才能を感じたのがバンド結成のきっかけだった。ニーシャとリーアムはJJのスタジオに集って活動をスタートしたが、ニーシャの恋人はプロテスタントで、叔母が運動弾圧の先頭に立つ刑事だった。

 貧困とドラッグがニーキャップの音楽の背景にあるが、メッセージ性の有効性とどう折り合いをつけていくか難しい。歌詞が放送コードに抵触する以上、ファンをいかに獲得するかにも工夫がいる。だが、ニーキャップは独自性と攻撃性で世界に支持を増やしていく。今年のコーチェラではイスラエルによるジェノサイドに抗議するメッセージを伝えた。

 作品中に流れる曲の数々、とりわけ「H.O.O.D」には感銘を覚えた。アーロは<アイルランド語は自由のための弾丸>と主張し、息子は音楽で実践した。ヒップホップは今、権力者と最前線で対峙している。
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移民国家アメリカを映す「フォーチュンクッキー」

2025-08-11 17:12:15 | 映画、ドラマ
 トランプ政権の移民政策に批判が高まっている。ETV特集「アメリカ 地殻変動の深層」(NHK)では、〝不法〟ではなく就労していた移民労働者が収監されている様子が報じられていた。トランプ就任以降、100万を超える不法移民が自主的に出国したというが、彼らこそ経済を下支えする存在だった。共和党を80年間支持してきたという高齢女性は米国が大切にしてきた価値観に触れ、<移民に冷たい共和党には今後投票しない>とSNSに投稿した。

 新宿シネマカリテで先日、移民国家を映すモノクロ・スタンダードの「フォーチュンクッキー」(2023年)を見た。ババク・ジャラリ監督はイラン出身のロンドン育ちだ。前々稿で紹介した「国宝」と比べると時間は半分で、製作費は100分の1ぐらいのインディー作品だが、各映画祭で絶賛された。ちなみに、「フォーチュン・クッキー」(04年)とは全くの別物である。

 原題“FREMONT”は作品の舞台であるカリフォルニア州のフリーモント市を指す。フォーチュンクッキーとは、北米の中華料理店で食後に提供されるクッキーのことで、割ると運勢や格言が書かれた紙が出てくる。起源は日本の辻占煎餅で、日系移民が強制収容所に送られた後、中国系移民が受け継いだ。主人公のドニヤ(アナイタ・ワリ・ザダ)はアフガニスタンからアメリカに渡り、中国系のリッキー(エディ・タン)が経営するクッキー工場で働いている。

 ドニヤが作業する様子に、アキ・カウリスマキ監督の「マッチ工場の少女」が重なった。ドニヤはアフガニスタンで起きたことで、過度の睡眠不足に苦しんでいた。米軍の通訳だったドニヤは米軍輸送機で出国したこともあり、故国を裏切ったという負い目を感じている。隣室のアフガン人男性から精神科医の診察予約カードを渡され、カウンセリングに向かう。アンソニー医師(グレッグ・ターキントン)はボランティア枠での無償診療を引き受け、アフガニスタンでのドニヤの体験に理解を示し、トラウマを和らげようとする。

 アンソニーはジャック・ロンドン著「白い牙」をドニヤに読み聞かせる。孤独を脱すること、愛する意味を説きたかったのだろう。突然死した前任者を継ぎ、ドニヤは言葉の書き手になる。インテリ女性に相応しい仕事だ。アンソニーはドニヤに「自分を愛しているかい」と尋ね、殻を破って前を向くよう諭した。「港にいる船は安全だが、海に出なければ船ではない」の教訓がドニヤの背中を押した。
 
 ドニヤは〝お手付き〟をしてしまう。メッセージに添え連絡先を書いてしまうのだ。偶然知った妻は解雇を要求するが、リッキーは意に介さない。地球儀をドニヤの前に置いて、「国境を接しているから、両国民は似ているところがあるんだよ」と語る。リッキーの妻がした嫌がらせが、ドニヤにフォーチュン、すなわち幸運をもたらすことになった。移動先で出会った修理工ダニエル(ジェレミー・アレン・ホワイト)はドニヤと同じ匂い――孤独とシャイ――を醸していた。まさに〝ボーイ・ミーツ・ガール〟である。ちなみにホワイトは今秋公開されるブルース・スプリングスティーンの伝記映画「孤独のハイウェイ」で主演しており、ブレークは確実だ。

 ドニヤの瞳の力がモノクロ画面に陰影を湛えており、彼女の心象風景を表現するシーンに心がきざした。炭酸水のように爽やかな余韻に浸れる作品で、移民国家アメリカの真実に触れたような気がした。
 
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「国宝」~宿命に彩られた壮大な叙事詩

2025-08-01 21:36:13 | 映画、ドラマ
 俺はひねくれ者だから、周りが騒ぐと背を向けたくなる。映画も同様で、社会現象化した「国宝」(2025年、李相日監督)はパスしようかと考えていたが、ようやく新宿ピカデリーに足を運んだ。6月上旬公開もほぼ満席で、人気の高さが窺える。まさに〝国宝級〟のエンターテインメントだった。

 李監督が吉田の小説を映画化するのは「悪人」、「怒り」に続き3作目だ。李は在日朝鮮人3世で初級、中級、高級と朝鮮学校に通った。李に驚かされるのは、感性が日本人以上に日本的であることで、「フラガール」、「流浪の月」にも濃密な和のメンタリティーが滲んでいた。日本と朝鮮半島に暮らす者の感性が近いことを、李は身をもって知っているのだろう。

 吉田は「国宝」の着想を練っていた10年前、本作にも出演し、演技指導を行った中村鴈治郎の知己を得て、黒衣として袖に立つことを許され歌舞伎界の内側に通じることになる。W主演というべき喜久雄(吉沢亮、少年時代は黒川想矢)、俊介(横浜流星、少年時代は越山敬達)は本作の準備のため、歌舞伎の所作や稽古に1年半を費やしたという。俺は「さらば、わが愛/覇王別姫」を重ねていた。

 天才的な演技力を誇る2人が演じる「関の扉」、「連獅子」、「二人藤娘」、「二人道成寺」、「曾根崎心中」、「鷺娘」はストーリーとリンクしていた。歌舞伎を見たこともない俺が言っても説得力はないが、3時間尺の長尺ながら時が経つのを忘れたのは、夢と宿命が蜃気楼の如く揺れる舞台に魅せられたからだ。

 上方歌舞伎界の看板、花井半二郎(渡辺謙)は立花組の新年会に招かれ長崎に赴く。余興の芝居で艶やかに女形を演じた権五郎組長(永瀬正敏)の息子・喜久雄に半二郎は衝撃を受けた。権五郎はその夜、敵組織の襲撃を受け絶命する。喜久雄は背中に刺青を彫るものの敵討ちを果たせず、花井宅にやってきた。半二郎は喜久雄の才能に気付いていたが、妻・幸子(寺島しのぶ)が抱いた懸念――俊介が抜かれてしまうのではないかという――は現実になる。「親戚の人はいないの」と問われた喜久雄は、「みんな原爆症で死んだ」と答えた。長崎出身の吉田らしい設定だ。

 半二郎のしごきともいえる指導にもひるまず、喜久雄は目覚ましい進歩を遂げていく。才能か血筋か……。女形を目指す2人は、葛藤を抱えながら友情を超えた絆に紡がれていた。喜久雄と俊介は春江(高畑充希)を介して結ばれている。背中に同じ刺青を彫った春江は修業時代の喜久雄を支えたが、主役の座を奪われて出奔した俊介と全国を回り、再起の時を待つ。血縁を超えて名跡を継いだ喜久雄だが、刺青やスキャンダルで梨園を追われ、旅先で芸を披露する。二度とスポットライトを浴びることはないと思われたが、先に復帰した俊介がチャンスを手にする。

 キャスティングの豪華さに目を瞠ったが、老いた女形で人間国宝の小野川万菊を演じた田中珉の存在感が光っていた。孤独な死の床にある万菊は、芸に全てを捧げ、死んでいく古いタイプの役者といえるだろう。「PERFECT DAYS」でもホームレスを好演していたが、本作でも慧眼で少年時代の喜久雄の未来を予測し、結果的にその復帰を助けることになった。

 喜久雄が隠し子の綾乃と神社に詣で、「日本一の役者になれるなら、何でもします」と悪魔と契約するシーンが印象的だった。喜久雄が舞台の彼方に見ていたものは何だったのか、再度見る機会があれば考えてみたい。義足になった俊介と喜久雄が恩讐を超えて演じる「曾根崎心中」に感銘を覚えた。生きること、死ぬこと、愛すること、憎むこと……。宿命と性が織り成す、歌舞伎を超えた壮大な叙事詩の余韻に今も浸っている。
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「でっちあげ」~綾野剛が<ファクト>の陥穽にはまる

2025-07-14 22:34:52 | 映画、ドラマ
 今回の参院選で、ジェンダーに冷淡で移民反対を唱え、復古的な憲法草案を作成した政党が勢いを増している。排外主義者が与するSNSで春頃から流れていたのは「生活保護受給世帯の3分の1は外国人」という記述。だが、実際に受給しているのは3%未満で事実無根だ。日本の人口における外国人の割合はOECD38カ国中36番目と低く、この状況で反移民的ムードが醸成されつつあることに作意的なものを感じてしまう。毎日新聞HPは<ファクトチェック>の重要性を説いていた。

 TOHOシネマ新宿で「でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男」(2025年、三池崇史監督)を見た。原作は2003年、福岡で起きた事件を綴ったルポルタージュ「でっちあげ 福岡『殺人教師』事件の真相」(福田ますみ著)だ。ロケ地は主に群馬市内で、一部は鎌倉で撮影が行われた。舞台の向井市は関東近郊か。

 主人公は希望ケ丘小で4年3組の担任を務める薮下(綾野剛)だ。薮下は教え子の氷室拓翔(三浦綺羅)に凄惨な体罰を行ったとして告発される。<日本で初めて教師による児童へのいじめが認定された体罰事件>として大きく取り上げられ、拓翔と母・律子(柴咲コウ)の原告側には大和(北村一輝)率いる550人の大弁護団が結成された。

 薮下が弁護人選びに苦慮したのは、メディアの影響が大きい。律子を取材した「週刊春報」は「週刊文春」を想起させる雑誌で、編集長は鳴海記者(亀梨和也)の熱意に押されて実名報道を認め、テレビ各社が自宅前に殺到する。殺人教師のレッテルを貼られた薮下に救いの手を差し伸べたのは湯上谷弁護士(小林薫)だった。湯上谷は<裁判は戦争>と言い切るが、勝ち目がないはずの闘いの幕が上がる。

 主人公の名前である薮下は芥川龍之介の「薮の中」にヒントを得たのかもしれない。公開後半月余りだが、ネタバレせずに書くのは厳しいので、ご覧になる予定のある方はここまでで……。緊迫したリーガルサスペンスで、律子と薮下の主観が真逆の<ファクト>を提示しつつ、時空を行きつ戻りつしながら進行する。

 律子の主観における薮下はおぞましい差別主義者で、参院選に出馬している候補を彷彿させる。冒頭で薮下は氷室家を家庭訪問する。手違いがあり、11時すぎに及んだ。薮下は礼儀を欠いた所作を繰り返しつつ、注意力散漫な拓翔をADHD(注意欠陥多動性障害)であると指摘する。自身がアメリカ人の血を受け継いでいると話す律子に、「だから拓翔君は髪が赤いんだ。劣った遺伝子を持っているから成績が悪いんです」と私見を述べ、アメリカの日本に対する行為を批判する。

 小学校の日常でも薮下の虐待はエスカレートし、「生きていても価値がないから死に方を教えてやる」と脅され、飛び降り自殺を図った拓翔を抱きしめたのが律子だった。絶体絶命に思えたが、法廷で罪状認否を問われた薮下は「すべては氷室律子さんと拓翔君によるでっちあげです」と声を絞り出す。

 本作に感じたのは冤罪を生み出す構図で、校長や教頭は氷室夫妻の強硬な抗議に事実確認せず、〝謝ればいい〟という姿勢に終始する。頑と否定出来なかった薮下も言質を取られて追い詰められていき、担任を外され、再教育研修を受けるに至る。薮下を支えてくれたのは妻・希美(木村文乃)と息子、そして息子の純也が拓翔の暴力を受けていた夏美(安藤玉恵)だった。湯上谷は日時を丁寧に照査し、真実に近づいていく。

 メディアの責任も大きい。猛雨の中、薮下は「大勢の人が信じたら、それが真実になるんですか。あなたたちが作り上げた真実が間違っていたら、私の声はどうすれば届くんですか」と鳴海に問い掛ける。明らかになるのは鳴海だけでなく、メディアが<ファクトチェック>を怠っていたこだ。律子は湯上谷の尋問で矛盾をさらす。裁判の根幹である<アメリカ人の血が流れている>ことを肯定するが、戸籍抄本を示されるや、そんなことを言った覚えはないと語る。拓翔のPTSDのからくりも、湯上谷に暴かれた。

 律子は壊れた。拓翔の嘘を守るために自身も嘘を重ねたのたのだが、それだけだとは思えない。マンションを出ていく薮下を見る視線も謎めいているし、薄幸の少女時代のトラウマが狂気の底にあるかもしれない。綾野だけでなく柴咲の名演が本作の肝だった。
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「ロスト・チルドレン」~イノセントな愛が煌めくダークファンタジー

2025-07-05 18:09:33 | 映画、ドラマ
 腰痛もましになったので、映画を2本見た。1本目はソシアルシネマクラブ杉並が企画した小規模な上映会(atカフェ・オクターヴ)で観賞した「SEED」(2016年、タガート・シーゲル、ジョン・ベッツ共同監督)である。本作が突き付ける問題は深刻だ。人類は1万2000年以上、種(SEED)を受け継いできたが20世紀に入るや、野菜の種子の94%が消滅する。気候変動に加え、種子市場を独占するモンサントら多国籍企業による遺伝子組み換え作物が席巻する。世界各国で農家が種子を保存し、翌年蒔くことが禁止されるようになった。

 在来種が失われている現在、ハワイ、南米、インド、アフリカなど世界で活動するシードキーパーたちの闘いを描いたのが本作だ。ハイパー資本主義は農業を破壊し、伝統や風習を踏みにじる。多様性は失われ、プライドを奪われたインドの農民たちの多くが自ら命を絶った。米価の高騰が続く日本も無縁の話ではない。農業について考える時機に来ている。

 2本目はシネマート新宿で見た「ロスト・チルドレン 4Kレストア版」(1995年、ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ共同監督)だ。4Kレストア版といえば「天国の日々」(78年、テレンス・マリック監督)を別稿で紹介した。マジックアワーに絞った撮影で自然の移ろいを捉えた奇跡のような映像を堪能したが、「ロスト・チルドレン」の音楽、ファッション(ジャン=ポール・ゴルチエ)とコラボしたマジカルな映像美に緊張は途切れなかった。

 アメコミ風でテクノロジーの進歩と廃墟が混在している近未来の幻想的な港町が舞台だ。雨と夜景が多いダークファンタジーで、CGを効果的に用いたメルヘンチックなシーンがちりばめられている。「デリカテッセン」で世界を魅了した監督コンビ〝ジュネ&キャロ〟による第2弾で、空気感は共通している。

 見世物小屋の怪力男ワン(ロン・パールマン)は弟ダンレーをカルト「一つ目教団」に誘拐される。街では子供の夢を盗もうとするマッドサイエンティスト軍団が徘徊していた。眠れないため老いてしまったクランク(ダニエル・エミルフォルク)は、博士(ドミニク・ペロン)と6人のクローンたちのお伽話を聞かされて眠りに落ちるが、見るのは悪夢ばかりだ。水槽に棲む脳(イルヴァン)の声役は「男と女」で知られるジャン=ルイ・トランティニャンである

 怪しい双生児の姉妹、正体不明のジョセフが登場し、物語の本筋を見失いそうになった。ダンレーを捜すワンに強力な助っ人が現れた。ストリートチルドレンのリーダー格の少女ミエット(ジュディット・ヴィッテ)である。ワンはミエットをカケラと呼び、腕に愛を誓うタトゥーを入れた。容貌魁偉の怪力男と少女の間に無垢な愛が生じる。ワンだけでなく、老いたクランクもまた少年のような純粋さを湛えていたが、ミエットの眼差しには修羅場をくぐってきた女性の成熟を秘めている。守られるべきダンレーの傍若無人ぶりもおかしく、キャラは齢と反比例していた。

 道を外したり、転げ落ちたり、はみ出したり……。普通に生きられない者たちのイノセンスの美しさに魅了された。

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テレビ桟敷で映画を愉しむ~「ランサム」、「無名」、「イル・ポスティーノ」

2025-06-25 22:34:38 | 映画、ドラマ
 都議選で自民党が負けた。裏金問題で支持者の離反を招いただけでなく、深刻な敗因が指摘されている。故安倍首相や高市元総務相らと近い自民支持層が参政党ら右派政党に流れたという分析だ。参院選の結果次第で維新や参政党が政権に加われば、保守連合政権は安泰かもしれない。リベラルや左派がどう対抗するかが注目だが、希望を抱いたのが、漢人明子候補が2期目の当選を決めた小金井選挙区だ。

 漢人都議は俺が会員になっているグリーンズジャパン共同代表で、立憲、共産、社民、生活者ネットの支持を得ていた。保守連合に対峙するためのモデルケースになるはずで、広範な年齢層に支持されている漢人都議を10~20代のボランティアが取り囲んでいた。若者の政治離れが取り沙汰される中、この国の未来に希望の灯が射すのを覚えた。

 この2週間あまり、腰痛が酷くて映画館に足を運べなかった。その代わり主にWOWOWで録画した映画を数本見た。印象に残った「ランサム 非公式作戦」(2023年、キム・ソンフン監督)、「無名」(同、チェン・アル監督)、「イル・ポスティーノ」(1994年、マイケル・ラドフォード監督)の3作について感想を記したい。共通するのは史実をベースにしていることである。

 まずは「ランサム 非公式作戦」から。内戦が続く1986年のレバノンで韓国外務省のオ書記官が拉致された。日本人と間違われたという経緯もあり、その後の混乱で忘れ去られた存在になる。関係者のみが知る暗号を使った電話が入り、生存が明らかになる。受電したイ・ミンジュン事務官(ハ・ジョンウ)はCIA関係者らを介して身代金を手にレバノンに赴くが、警察やギャングの暗躍で危機に直面する。ミンジュンに救いの手を差し伸べたのが、韓国人のタクシードライバー、キム・パンス(チュ・ジフン)だった。

 キャリアアップ(米国赴任)のため任務に邁進するミンジュンと、米国行きパスポートが欲しいパンスが丁々発止しながら友情を深めていく過程が面白い。外務省と全斗煥独裁政権を支えたい安企部との葛藤が進行する中、オ書記官とパンスは国連機で脱出する。細部に至るまで工夫が施され、目に見えるものを超える価値が謳われる。ユーモアとアクション満載のエンターテインメントで、ミンジュンの決断と機転がもたらしたハッピーエンドに快哉を叫んだ。

 「無名」の舞台は1930年代の上海だ。日本の傀儡である汪兆銘政権下、諜報機関(政治保衛部)主任のフー(トニー・レオン)の下で働くイエ(ワン・イーホー)とワン(エリック・ワン)は親友同士だ。政治保衛部を統括するのは満州国に幻想を抱く日本軍諜報部トップの渡部(森博之)で、子飼いのイエを送り込んでいる。森は中国で活動する俳優で、今回をきっかけに日本からオファーが届くかもしれない。

 ニュースを模した映像が挿入され、時空がカットバックする。人間関係も入り組んでいて訳がわからなくなり、再度チェックしてようやく筋が掴めた。<中国勝利3部作>の第3弾である以上、政治色は濃く、日本軍の蛮行も描かれている。蒋介石を〝軍閥指導者のひとりだが、国を治める器ではない〟と貶めるのも当然だろう。だが、<政治映画>と括るわけにはいかない。詩的な映像に彩られ、犬がメタファー(隠喩)に用いられた愛と革命の物語は、ラストで煌めきを放つ。キーワードは共産主義だ。

 「イル・ポスティーノ」は「無名」とタイプは異なるが、キーワ-ドが共産主義の愛と革命の物語である点が共通している。1950年代、ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人パブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)は亡命してナポリ湾の島に身を寄せた。パブロは愛を謳う詩人として世界中の女性から憧れの対象であると同時に、共産主義者の象徴でもあった。パブロは村唯一の郵便配達人であるマリオ(マッシモ・トロイージ)と親しくなり、一緒に散歩したり、恋の手助けをしたりする。内気なマリオがベアトリーチェ(マリア・グラツィア・クチノッタ)と結婚出来たのもパブロのおかげだった。

 本作が秀逸なのは、パブロがマリオに創作、いや詩作の意味と価値を伝えるシーンだった。とりわけ隠喩の手法を説き、マリオも試みる。世界最高の先生の下で、マリオは詩心を掴んだ。追放処分を解かれたパブロは帰国し、数年後に島に戻り、マリオの非業の死を知る。集会でパブロを称える詩を朗読する直前、警官隊に殺されたのだ。演じたマッシモは心臓を病んでおり、クランクアップの12時間後に召された。本作は神話のような輝きを放っている。
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「秋が来るとき」~罪をも曖昧な優しさに包まれる

2025-06-17 21:42:21 | 映画、ドラマ
 パレスチナへのジェノサイドについて繰り返し非難してきたイスラエルが、イランを攻撃した。アメリカはイスラエルによる迎撃を支援するなど、両国の最凶の軍事同盟は揺るがない。G7はイスラエルの自衛権を支持する声明を出したが、攻撃権も込みということか。アメリカ国内ではトランプ大統領が閲兵する形になった軍事パレードに抗議し、数百万人規模の集会が開催された。世界はあまりに騒がしい。人生の秋、いや冬を平穏に過ごしたい俺にとって……。

 新宿ピカデリーで仏映画「秋が来るとき」(2024年、フランソワ・オゾン監督)を見た。映画館、テレビを含めオゾンの作品に接するのは5度目になる。ゲイを公言するオゾンは、ジェンダー問題を作品に織り込んできた。まずはWOWOWで先日放映された「彼は秘密の女ともだち」(14年)の感想から。クレールは親友ローラの死を受け入れられないでいた。生まれたばかりの娘リシューを育てているダヴィッド宅を訪れたクレールは、女装した彼の姿に衝撃を受けた。

 女装したダヴィッドはヴィルジニアとして、街でクレールと会うようになる。ダヴィッドの女装は趣味なのか、性同一性障害の表れなのか、クレールを愛しているのはダヴィッドなのかヴィルジニアなのか……。クレールの夫ジルを交えた歪んだ四角関係は、交通事故に遭って昏睡状態になったダヴィッドが意識を取り戻す過程で収斂する。7歳になったリシューを学校に迎えにいったヴィルジニアの横に、妊娠したクレールが立っていた。父親は誰かは明かされていない。

 さて、本題……。「秋が来るとき」の冒頭、神父がマグダラのマリアについて説教している。イエスの足に涙をこぼし、自分の髪で拭って香油を塗ったマグダラのマリアは罪深い女(娼婦)だったが、悔悛しイエスに赦された。会衆者のひとりが老女ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)で、近くに住む旧友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)と支え合って暮らしている。

 娘ヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)の来訪を知ったミシェルは、マリーと狩ったキノコを調理する。不思議だったのは、ミシェルが丁寧に身繕いする様子で、娘との距離を感じる。夫と別居中のヴァレリーは露骨に金銭的な要求を突き付ける。キノコがあたって搬送され、「私を殺そうとした」とミシェルを詰ったヴァレリーは、孫のルカ(ガーラン・エルロス)を連れてパリに帰ってしまう。

 誰かのために何かをしたい……。ミシェルにとって第一の対象はルカで、あれこれプランを準備していた。出所したばかりのマリーの息子ヴァンサン(ピエール・ロダン)も気に掛けており、人生の再スタートに資金を提供する。ヴァンサンはミシェルからヴァレリーとの不和を聞かされ、仲立ちのためにパリを訪れる。

 ヴァレリーの転落死が伝えられ、ミシェルはシングルマザーとして出産を決意している女性警部に自らが娼婦であったことを明かす。娘はそのことを許せず、ミシェルに厳しく当たっていたのだ。ヴァレリーの死の真相は薮の中で、幽霊となって物憂げにミシェルを見つめている。マリーの葬儀に、ミシェルだけでなくかつての仲間が参列する。互いを思いやる〝マリアズ〟の目配せが印象的だった。

 明確ではない罪は予定調和的ではない優しい曖昧さに包まれ、物語は数年後に移る。大学から帰省したルカとヴァンサンに、愛に至る空気が流れる。美しい自然を2人と一緒に散策していたミシェルは、吹っ切れたように手を差し伸べた娘の幽霊に導かれて召された。余韻が去らない作品だった。
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「天国の日々」~マジックアワーが照らす青春の懊悩と憂愁

2025-06-09 18:34:14 | 映画、ドラマ
 環境活動家グレタ・トゥーンベリらが支援物資を届けるためガザ地区に向かった船が、イスラエル軍に拿捕された。昨年にも<パレスチナと共に立つ>とボードを掲げていたグレタは出発前、「ジェノサイドに世界中が沈黙しているという事実ほど危険なことはない」(要旨)と語っていた。

 現在、ドイツの研究所で分科会<資本主義を超えて>の座長を務めている斎藤幸平(東大准教授)は「報道1930」(BS・TBS)で<差別、格差、ジェンダー、環境、反戦などのカテゴリーが相互に関係し、人々の経験を形づくっていくインターセクショナリティー(交差性)が閉塞した世界を変える第一歩になる>と期待を寄せていた。インターセクショナリティーを体現しているグレタの勇気に拍手を送りたい。

 新宿シネマカリテで「天国の日々」(テレンス・マリック監督)を見た。1978年に製作された本作は5年後に日本で公開される。俺が見たのは今年4月、監督自身の監修による4Kレストア版だ。舞台は第1次世界大戦中のアメリカで、ビル(リチャード・ギア)は工場でトラブルを起こし、妹リンダ(リンダ・マンズ)と恋人アビー(ブルック・アダムス)を伴ってシカゴからテキサスの農場に移る。移動手段は貨車で、ビルとアビーは屋根の上で希望に溢れた表情を見せていた。

 だが、着いた先は天国ではなく厳しい労働が待っていた。その方が通りがいいという理由で、ビルが妹として紹介していたアビーに農場主チャック(サム・シェパード)が恋をする。語り手の妹リンダの主観が、三角関係の微妙な綾を表現していた。重病を患ったチャックの余命が幾ばくもないことを知ったビルは、プロボーズを受け入れることをアビーに勧めた。

 格差は当時も決定的で、資本家は欲望剥き出しで労働者を収奪する。死を意識したチャックは優しかったが、ビルとアビーが兄妹でないことに気付く。リンダはアビーの気持ちがチャックに傾きつつあることを知った。去ったビルが戻った時、イナゴの大群が襲来して収穫物を食い荒らし、炎が農場を焼き尽くした。その夜、ピストルを向けられたビルは、チャックをナイフで刺殺してしまう。

 オーソドックスな青春ドラマを彩るのはマジックアワーだ。マジックアワーとは日没後、太陽からの光線がソフトで柔らかく、金色に輝いて見える20分ほどの時間帯だ。マリック監督は撮影を担当したネストール・アルメンドロスと綿密に打ち合わせ、20分間にフィルムを回すことにした。撮影期間は延び、費用はかかったが、この冒険が奇跡のような映像を創り上げる。カンヌ監督賞を含め、マリックとアルメンドロスは、世界の映画祭で多くの栄誉に浴した。

 後半はニューシネマ風の逃避行だったが、アメリカではビルのような流れ者――ボヘミアン階級――が政治や文化の潮流を作った。反戦運動、ヒッピームーブメント、ウッドストックもボヘミアン抜きには語れない。アメリカが複層社会であることを再認識させてくれる映画だった。

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「新幹線大爆破」~正義と悪を倒立させる健さんの存在感

2025-05-14 21:26:24 | 映画、ドラマ
 名人戦第3局は藤井聡太名人(七冠)が完璧な差し回しで永瀬拓矢九段を破り、防衛に王手を懸けたが、将棋ファンの関心は、伊藤匠叡王に続き誰が藤井からタイトルを奪うかだ。上野裕寿五段(22)、藤本渚六段(19)、炭崎俊毅四段(16)あたりが候補に挙がっているが、超新星が現れた。竜王戦5組ランキング戦で上記の藤本六段、出口若武六段、山本博志五段、高田明浩五段を連破して本戦トーナメントに進んだ奨励会員の山下数毅三段(16)である。今回の活躍で次点1回を授与された。

 山下は既に次点1回を獲得しており、開催中の三段リーグで降級点(勝率2割五分以下)を取らない限り四段昇級(プロ入り)となるが、現在2勝2敗と苦しんでいる。連破した4人は、A級所属のトップ棋士でさえ簡単に勝てない新進気鋭だ。三段リーグはモンスターの卵がひしめき潰し合っている。将棋界は空恐ろしい魔界ではないか。

 <Netflixで「新幹線大爆破」が世界で高評価>という記事を見て、何で今更と思ったら、草彅剛主演のリブート版だった。合わせて再上映されたオリジナル版「新幹線大爆破」(1975年、佐藤純弥監督)を新宿ピカデリーで見た。学生時代に名画座で、30年ほど前にレンタルビデオで借りたから、今回が3度目となる。キャパ160弱だが8割程度は埋まっており、客層は幅広かった。

 主人公の沖田(高倉健)は経営する工務店が破産し、妻子と離婚していた。任侠映画で一世を風靡した健さんは当時44歳。実録路線に押され、東映のトップスターの座は菅原文太に奪われていた。本作も企画段階では菅原を主役に据える話が進んでいたという。結果はといえば、情念を迸らせる菅原より、憤怒に堪える健さんの方が適役であったことは明らかだ。〝健さんは大根〟が定説だが、弱さや優しさが滲み出る本作での存在感は圧倒的だった。

 乗客1500人を乗せた東京発博多行きのひかり109号に爆弾を仕掛けたという電話が国鉄本社に入った。<時速80㌔以下に落とせば爆発する>という内容で、同型の爆弾が仕掛けられた夕張線の貨物列車が爆発する。仕掛けたのは内ゲバで挫折した古賀(山本圭)で、沖田の下で働いた縁で同志になった。もうひとりはどん底で沖田に拾われた大城(織田あきら)で、見る側は負け組トリオに肩入れしてしまう。

 要求は500万㌦で、受け取った時点で解除方法を伝えるとの連絡が入る。名古屋、大阪、京都と停車しない109号内で混乱は高まる一方で、産気づいた乗客もいた。矢面に立つのは倉持運転司令長(宇津井健)、青木運転士(千葉真一)、菊池鉄道公安官(竜雷太)だ。現在と違って観客の情報源はラジオだけで、最新ニュースに耳を傾けている。奇矯な振る舞いをする企業戦士が続出した。

 1960~70年代、佐藤は時代の空気を反映させ、暴力団を素材にしながらその実、革命を志向する学生たちを描いていた。搾取される港湾労働者の側に立つヤクザが、自分が属する組織に刃向かうといったパターンもあるし、「安藤組シリーズ」の組員たちは、指名手配され流浪する学生活動家たちに重ねることが出来る。本作でいえば古賀だ。500万㌦をゲットしたらどこに行きたいと沖田に問われ、「革命が成功した国。人を信用出来るようになるかもしれない」と答えていた。

 <警察=正義VSテロリスト=悪>の図式が崩れていく。<誰一人の命も奪わない>を守る沖田たちと対照的に、警察は約束をことごとく破り、政府や国鉄当局も<人命最優先>の原則を、〝テロリストの要求は拒否する〟という強硬方針で蔑ろにしようとする。偶発的なアクシデントで爆弾の設計図は焼失し、1500人の命は風前の灯になる。国家と警察の非人道的な対応に怒りを覚えた倉持は国鉄の威信を懸けた方策を実行する。

 ラストの羽田空港はドラマチックだった。元妻の裏切りで人生の敗北を悟った沖田は、優しさゆえ警察のフェイクニュースに導かれ、退路を封じられた。海に飛び込もうとする沖田が背中に銃弾を浴び、ストップモーションで、館内は明るくなった。その時、拍手が起きる。多くの人が健さんと自身の来し方を重ねたのだ。健さんファンとはいえない俺だが、〝映画スター〟の価値を知った気がした。

 「スピード」が本作にインスパイアされたことは知られているが、「ヒート」のラストも影響が窺える。多少の粗はあるものの、緊張感が途切れぬエンターテインメントとスクリーンで再会出来て幸せだった。
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