渋谷陽一さんが亡くなった。先鋭なロック評論家として頭角を現し、既成メディアへのアンチテーゼとしてロッキン・オン誌を立ち上げ、ラジオやテレビでシャープな分析を披露した。イベンター、プロデューサーに重心を移してからから、ロッキング・オンは飛躍的に成長し、今や絶対的な権威として業界に君臨している。
かつて反原発フェスを企画したこともあるロッキン・オンだが、邦楽中心のHPをチェックする限り、渋谷さんの初心は窺えない。俺みたいに偏屈なロックファンなら〝聴く価値なし〟と一蹴するようなバンドが絶賛されているのに呆れてしまう。渋谷さんの冥福を祈りつつ、<出でよ、21世紀の渋谷陽一>と叫びたい。
参政党支持を公表した浅井健一(ベンジー)が物議を醸した。右派(反米ナショナリスト)であることは知っていたが、シャーベッツの楽曲は繊細なイメージに彩られている。ブランキー・ジェット・シティ時代の名曲「ディズニーランドへ」でベンジーは、<ノイローゼになってしまった友達にディズニーランドに一緒に行こうと誘われたけど気が進まない。自分は冷たい人間の仲間入り>と自身の差別意識を穿っていた。参政党とは距離があると感じているのだが……。
鈴木慶一とPANTAによるユニットのオリジナルアルバム「P.K.O Panta-Keiichi-Organization」を購入した。2021年8月、肺がんで余命1年と宣告されたPANTAに、鈴木が「一緒に曲を作ろうよ」と声を掛けたことがきっかけで、23年7月にPANTAが亡くなった後も制作は続けられ、今年7月に完成した。
PANTAさんと呼びたいところだが、あえてPANTAで通すことにする。初めて会ったのは、仕事先の先輩に誘われ「PANTA隊」の一員として参加した反原発集会だった。俺にとってピート・タウンゼント(フー)、ロバート・スミス(キュアー)と並ぶロック界3大イコンのひとりであるPANTAは〝カリスマ然〟とは無縁の気配りの人で、一期一会とばかりぶつけた問いに丁寧に答えてくれた。
頭脳警察だけでなく半世紀にわたって傑作を発表してきたPANTAさんだが、PANTA&HAL名義で発表した「マラッカ」と「1980X」は当時のUKニューウェーヴを凌駕する最先端で、現在を照射する預言がちりばめられている。プロデューサーとして参加したのが鈴木(ムーンライダース)だった。全10曲が収録された本作は友情によって完成したPANTAの遺書で、ライナーノーツには曲ごとの二人のやりとりが記されていた。
PANTA=作詞、鈴木=作曲が基本だが、1曲のみ鈴木が作詞も担当している。ボーカルも両者が担当し、声が出なくなったPANTAはコーラスのみというパターンもある。ラディカルなPANTAのこと、刃のような言葉を遺書に織り込んだに違いないと想像される方もいらっしゃるはずだ。でも、本作は極私的ともいえる愛に裏打ちされていた。かつてPANTAがラブソングを歌った時、ファンの間で不買運動が起きた。だが本作でPANTAは、自らのパブリックイメージを打ち破った。
10月に69歳になる俺にとって最も肝要なのは愛である。だから、PANTAの歌詞には共感を覚える。余命宣告で時間を区切られたPANTAは歌詞に愛を織り込んだ。♯2「オーロラコースター」は若者のように愛を訴え、♯3「あの日は帰らない」では褪せた愛に思いを馳せている。♯5「逢魔刻はキミと」では人生の黄昏と愛と記憶を重ねている。
♯7「はばたけハル」は情熱的な愛が歌われ、♯8「虹のかなたに」では諦念が滲んでいる。鈴木が作詞した「クリスマスの後も」はPANTAの思いを慮って♪元気でいたいな そうクリスマスまでは その後もずっと一緒にいようね……と綴られる。♯10「不思議な愛の物語」は♪愛の詩 貝の殻 じゃあまたね……と結ばれる。聴くたびに心が痛くなる。いつか、PANTA、いやPANTAさんに再会出来る日は来るだろうか。