酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ムーンエイジ・デイドリーム」~デヴィッド・ボウイの魂の彷徨

2023-10-23 20:34:06 | 音楽
 1970年代から80年代にかけ、京都で<デヴィッド・ボウイを嵯峨野で見かけた>という都市伝説が流布していた。これが真実であったことを数年前、「デヴィッド・ボウイの愛した京都」(WOWOW制作)で知る。京都だけでなく、ボウイの魂の彷徨に迫ったドキュメンタリー「ムーンエイジ・デイドリーム」(2022年、ブレット・モーゲン監督)をWOWOWで見た。

 劇場では見逃したが、ライブ&インタビュー映像を含め、ボウイが真情を語るモノローグも収録された貴重な作品だった。熱烈なファンというわけではないが、それでもアルバムは15枚以上持っている。ボウイは光を乱反射する透明なプリズムとしてロック史を煌めかせた。タイトルは5thアルバム「ジギースターダスト」収録曲から取っている。

 ボウイとは何か……。異星人としてロックシーンに登場した時、あれこれ否定的に叩かれていたが、一貫して変わらない姿勢があった。第一は自らの個性に則った上での自由の希求で、今風にいえば<多様性>に価値を置いていたのだ。ボウイは本作で<体制の外で活動する高潔な人に魅力を感じる。社会階層の中心が嫌いで、中道に引き込まれたくない>と語っている。訃報に接し、英誌「ガーディアン」は<世界中のアウトサイダー、偉大なフリークスたちに心の拠りどころを与え、「異形であることを恐れるな」と鼓舞した偉大なイノベーター>(要旨)と記していた。

 ボウイに影響を与えたのはジョン・コルトレーンや「路上」(ジャック・ケルアック)を薦めてくれた異父兄テリーだった。ボウイは「テリーは統合失調症で終生、病院で過ごした」と語っていた。「戦場のメリークリスマス」(1983年、大島渚監督)でボウイが演じたセリウズ少佐の贖罪を込めたモノローグに、半生と重なる部分を感じた。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。

 ボウイは自殺したテリーに自らを重ねていた。「デヴィッド・ボウイの愛した京都」で武田好史氏は、<ボウイは次の一歩が死へのダイブになりかねない、前人未踏の地点を歩み続けた。死への通路が無数に用意されている京都の魔力に惹かれ、同時に生を実感していたのではないか>と分析していた。

 ボウイはLAに拠点を移したが、薬に溺れるなど生活のリズムを崩してベルリンで再出発を期す。音楽サークルとは距離を置くボウイだが、ベルリン3部作を共同制作したトニー・ヴィスコンティとブライアン・イーノとは晩年に至るまで親交があった。ヴィスコンティは本作のプロデュースも担当している。ボウイは<体制の外で活動する高潔な人に魅力を感じる>と語っていたが、不遇だった頃のルー・リードやイギー・ポップにも手を差し伸べている。

 ベルリンや京都で自らの奥深くを旅したボウイの次の一手はアメリカへの帰還だった。本作で自身を<究極の振り子>と評したボウイは、一方の極点に達すると、正反対であるもう一点へ自然と引き戻された。1980年代、ボウイはMTVの寵児になる。当時、パンク/ニューウエーブに漬かっていた俺は、自ずとボウイから離れた。当時をボウイは<金を稼ぎ、大規模ライブもやった。でも、もういい。人生の真空地帯に来た>と振り返っている。更なる〝チェンジ〟の時機が訪れたのだ。

 政治的な発言は控えていたボウイだが、時代を変革する場所に立つ機会に巡り合った。1987年、西ベルリンで野外コンサートを開催した。壁の向こうに4本のスピーカーが設置され、数千人の東ドイツ市民が集まり、「壁を壊せ」と声を上げた。チェコ共和国初代大統領に就任したハヴェルの<音楽だけで世界は変わらない。しかし、人々の魂を呼び覚ますものとして、音楽は世界を変えることに大きく貢献できる>の言葉をボウイは体現したのだ。

 ボウイは<僕は社会の優れた観察者で、分野ごとにカプセル化している。毎年かそこら、その年が何だったのかをどこかに刻印するために、どうなるかより、その年の本質を捉えようとする試みなんだ>と本作で語っている。だからこそ、ボウイは変化を先取り出来たのだろう。

 「アースリング」(1997以降)、ショービジネスの一線から退いた作品群こそボウイの真骨頂ではないか。10年のインタバルを経て発表された「ザ・ネクスト・デイ」、そして「ブラックスター」は研ぎ澄まされた瑞々しい作品だった。蛇行と遡行を繰り返して半世紀、ボウイが駆け抜けた足跡に圧倒された。ロックに目覚めた頃からボウイとずっと一緒だったことの喜びを噛み締めている。
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PANTAさん追悼~流転し続けた自由な魂

2023-07-17 18:55:33 | 音楽
 PANTAさんが亡くなって10日経った。遅きに失した感はあるが、思い出を記すことにする。初めて会ったのは11年前。仕事先の整理記者Yさんに誘われ「PANTA隊」の一員として反原発集会に参加する。PANTAさんに驚かされたのは優しさと気配りだ。カリスマ然とは無縁で、様々な問いをぶつけた俺に丁寧に返してくれた。

 「『裸にされた街』が一番好きです」と伝えたが、思わぬアンサーがあった。10日ほど後、「アコースティックライブ」に足を運ぶ。アンコールが終わった時、PANTAさんと目が合った(気がした)。すると、「裸にされた街」のイントロが流れたではないか。俺は痛く感動した。代表作を尋ねると、答えは「クリスタルナハト(水晶の夜)」だった。同曲収録曲を演奏する際、「俺はもちろんイスラエル支持ではない。今のイスラエルはパレスチナに対するジェノサイド国家」と前置きしていたのを思い出す。

 クリスタルナハトとは、ユダヤ人が経営する商店やシナゴークをナチスが襲撃し、900人以上が殺された夜を指す。「30周年ライブ」に足を運んだが、記憶に残っているのは「メール・ド゙・グラス」を歌うシーンだ。♪ヤバーナ(日本人)のニュースは聞いたかい シノワ(中国)で途絶えたままでいるが……という歌詞がある。水晶の夜の前年、南京大虐殺が始まった。PANTAさんはMCで、「日本人が誰も歌っていない南京、重慶、関東大震災(における朝鮮人虐殺)について、いつか曲にしたい」と話していた。

 菊池琢己とのプロジェクト「響」による「オリーブの樹の下で」(2007年)も傑作だった。重信房子さんの裁判を傍聴し、往復書簡で交流を深めたPANTAさんは、彼女の詩に曲を付けたアルバムを発表する。女性革命家ライラ・ハリッド(パレスチナ評議会議員)を歌った「ライラのバラード」や「七月のムスターファ」などライブのハイライトになった曲も多い。ライラは来日した際、重信さんの支持者に寄せたメッセージで、<彼女を裁くことは、抑圧された人々の連帯行為を裁くことであり、更に正義を、解放闘争の戦士を裁くこと>(概略)と記していた。

 PANTAさんは数々の名盤を発表している。頭脳警察を<パンクの魁>と捉えることも出来るが、アシッドフォークに分類する論者もいる。ギターとパーカッションの編成はT・レックスそのもので、PANTA&HALの「マラッカ」にマーク・ボラン追悼の「極楽鳥」が収録されている。グラムロックへのオマージュが強い。

 1980年3月に発表された「1980X」をニューウェーヴ的と評するのは事実誤認だ。キュアーの2ndアルバム「セブンティーン・セコンズ」は80年8月、エコー&ザ・バニーメンの1st「クロコダイルズ」は同年7月、ニュー・オーダーの1st「ムーヴメント」は81年11月……。ニューウェーヴの主要バンドが形を整える前に、UK勢に先行してニューウェーヴ的な音を奏でていた。

 PANTAさんの創造性は世紀が変わっても衰えることはなかった。上記した「オリーブの樹の下で」は2007年で、12年には頭脳警察名義で画期的なアルバム「狂った一頁」を発表する。同名の映画(1926年、衣笠貞之助監督/川端康成原作)に感銘を受け、ライブ形式でサントラを制作した。日本的な情念に根差した詩を、変調を繰り返す分厚いサウンドに塗り込めている。闇を舞う言霊と音霊を捉えたようなアルバムだった。

 「乱破」(19年)はPANTAさんが楽曲を提供した芝居「揺れる大地」と連動した濃密なアルバムだった。反骨精神と知性に和のテイスト、自嘲とユーモアが織り込まれ、50年来の盟友TOSHIとのコンビネーションも完璧だった。芝居も見たが、終演後、出口近くで歓談していたPANTAさんに挨拶すると、「フェイスブック、やってる? 繋がろうよ」と言われ、帰宅して友達申請する。俺のことを覚えてくれていたのだ。

 PANTAさんは時代を牽引した同志たちへの思いをMCで語っていた。遠藤ミチロウもそのひとりで、2度のジョイントライブが記憶に残っている。ともに1950年生まれで、山形大学園祭実行委員会のメンバーだったミチロウが頭脳警察を呼んだことが出会いのきっかけだった。ミチロウも4年前に召されている。

 PANTAさんは一部で〝裏ジュリー〟と呼ばれていたらしい(自称?)。沢田研二に提供した「月の刃」を歌う際、「反原発や護憲を訴えるジュリーにお株を奪われ、裏PANTAになった気分」と笑いを誘っていた。40年以上前、帰省した俺は伯母宅を訪れた。伯母は当時60歳前後で、〝元祖イケメン好き〟だった。俺が「ニューイヤーロックフェス」にチャンネルを合わせると、偶然にもPANTA&HALが演奏していた。伯母の第一声、「この人、鼻筋通ってえらい二枚目やな」には正直驚いた。

 PANTAさんについて、多く語り継がれていくことだろう。幸運にも素顔に接することが出来た俺にとって、PANTAさんは角張ったパブリックイメージではなく、しなやかで優しい人だった。50周年ライブの際、HPでリクエストを募ったところ、1位に輝いたのは「万物流転」である。ファンはPANTAさんの自由な魂を知っていたのだ。
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活動休止を宣言した吉田拓郎の思い出

2022-07-23 18:40:25 | 音楽
 睡眠障害の日々、ぼんやりテレビを見る時間が増えた。チャンネルサーフィンしていると「罪の声」(2020年)が始まり2時間半弱、最後まで見てしまう。丁寧に作られた作品で、同年の映画ベストテンに選ばなかった理由がわからない。そういえば、同作に出演している火野正平をテレビでよく見かける。「にっぽん縦断こころ旅」ではナビゲーターとして全国を自転車で回り、再放送されている「必殺商売人」の主要キャストだ。

 かつては不良、プレーボーイが〝売り〟だった火野も73歳。これからも枯れた感じで重宝されていくだろう。一方で76歳の吉田拓郎が芸能活動休止を宣言した。フジテレビの特番は、俺と同世代の古くからのファンにとって、拓郎像の本質に迫っていると言い難い内容だった。

 拓郎との出会いは中学の教室だった。昼休みに誰かが持ち込んだラジカセから、♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか……が歌い出しの「イメージの詩」が流れる。「凄い曲やな」と級友か漏らした感想が、その場にいた全員の心境を表していた。

 フォーク黎明期を支えたシンガーやファンは拓郎を裏切り者と見做していた。関西フォーク界の重鎮は地元ラジオ局で拓郎を批判していたが、後に拓郎がDJを務める深夜放送に招かれ歓談していた。〝人たらし〟も拓郎の魅力のひとつだろう。だが、全共闘世代など1960年代の学生運動を担った人たちの目に、拓郎は日和見と映ったようだ。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は安保闘争後の虚脱感を表現した曲として知られる。同じ役割を担ったのが、拓郎と岡本おさみ(作詞家)のコンビだ。「おきざりにした悲しみは」、「落陽」は喪失感を覚えた人たちに付き添った名曲である。♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる(「祭のあと」)の歌詞に癒やされた団塊の世代も多いはずだ。

 シングルとアルバムは連続してオリコンチャート上位に入り、森進一が歌った「襟裳岬」はレコード大賞を受賞する。フォーライフ設立、つま恋や篠島での大規模野外コンサート、ジャンルを超えた楽曲提供など時代を切り開いた突破者だった。「アジアの片隅で」が購入した最後のアルバムで、その後は洋楽一辺倒になる。

 カラオケで歌える曲は枚挙にいとまないが、「猫」のラストシングル「僕のエピローグ」が記憶に残っている。作詞は吉田拓郎で、閉塞感に包まれていた俺の青春時代を癒やしてくれた。一番好きなアルバムは松本隆が作詞を担当した「ローリング30」だ。拓郎は浅田美代子と結婚したばかりだったが、別離がインプットされたダウナーな曲も多い。松本の心情が反映されていたのだろう。

 同作には「爪」、「裏街のマリア」、「冷たい雨が降っている」、「外は白い雪の夜」など珠玉の名曲が収録されている。「舞姫」はアルバム未収録だが、拓郎と松本による最高傑作だ。♪舞姫 不幸は女を 舞姫 美しくする 男をそこにくぎづける 「死にましょう」女の瞳の切っ尖に 「死ねないよ」淋しさだけが押し黙る 舞姫 人は死ぬまで 舞姫 運命という 糸に引かれて踊るのさ……。この曲をカラオケで歌うたび、涙腺が緩むのを覚えた。

 「夏休み」は投下後の広島を歌った曲という。消えてしまったのは、麦わら帽子、たんぼの蛙、姉さん先生、畑のとんぼ……。改めて歌詞を見ると寂寥感が滲んでいる。福島原発事故で拡散した放射能は、広島に投下された原爆の1000倍に当たる。この先、日本の風景から何が消えているのか想像するのが怖い。

 拓郎も参加した広島フォーク村名義のアルバムタイトルは「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」だ。ジャンルを問わず、日本に<新しい水夫>が現れることを期待している。
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ロッキング・オン最新号に青春時代が甦る

2022-06-23 22:56:34 | 音楽
 グリーンズジャパン(緑の党)入会以来、集会やデモに参加し、時にイベント主催者の一員であったことはブログに記してきた。だが、コロナ禍に加え、昨夏の脳梗塞での入院が決定打になり、政治にコミットする機会は減った。そんな俺だが、杉並区長選の行方が気になっていた。参院選に向けて幸先良く野党統一候補の岸本聡子氏が接戦を制し、ホッとしている。

 欧州を拠点に市民運動に関わっていた岸本氏は2年前、グリーンズジャパン企画のオンラインセミナー<気候危機とコロナ危機 新しいシステムを求めて>の講師を務めた。<コモン>(全ての人にとっての共用財、公共財)の意味を説き、内容は水道、食料、教育、エネルギー問題に及んだ。〝世界標準の民主主義〟を知る岸本氏に期待したい。

 怠惰な日常でブログのテーマが見つからず、何となく近くの本屋に入ると、ロッキング・オンの表紙が飛び込んできた。「アンノウン・プレジャーズ」(1979年)のレコードジャケットで、<ニューウェイヴ/ポストパンク 1978-1987>の文字が躍っている。購入してパラパラめくっていると、青春時代の思い出が甦ってきた。

 現役ロックファンは引退したから、最近はCDを購入することもなく、ライブに足を運ぶ機会もない。だが、20代前半から30代半ばまで、パンクに浸ったというわけではないが、UKニューウェイヴに引き込まれる。1979年から87年までの愛聴盤を年ごとに以下に記したい。1アーティスト、1アルバムの縛りで、メランコリックで叙情的な俺の好みに沿って選んだ。

<1979年> パブリック・イメージ・リミテッド「メタルボックス」
<80年> ジョイ・ディヴィジョン「クローサー」、クラッシュ「サンディニスタ!」、エコー&ザ・バニーメン「クロコダイルズ」
<82年> スージー&ザ・バンシーズ「キス・イン・ザ・ドリームハウス」、エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズ「インペリアル・ベットルーム」、デペッシュ・モード「ア・ブロークン・フレイム」、スクリッティ・ポリッティ「ソングス・トゥ・リメンバー」、XTC「イングリッシュ・セツルメント」、ダイアー・ストレイツ「ラヴ・オーバー・ゴールド」、ティアーズ・フォー・フィアーズ「ハーティング」
<83年> ザ・ザ「ソウル・マイニング」、ファン・ボーイ・スリー「WAITING」
<84年> スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」、スミス「ザ・スミス」、コクトー・ツインズ「トレジャー」、ペイル・ファウンテンズ「パシフィック・ストリート」、アズテック・カメラ「ハイ・ランド、ハード・レイン」、ディス・コータル・モイル「涙の終結」、レインコーツ「ム―ヴィング」、ジュリアン・コープ「フライド」
<85年> プリファブ・スプラウト「スティーヴ・マックイーン」。キュアー「ヘッド・オン・ザ・ドアー」、ジーザス&メリーチェイン「サイコキャンディ」
<86年> ニュー・オーダー「ブラザーフッド」、ストラングラーズ「夢現」、モーマス「サーカス・マキシマス」

 思い出せるのはこんなもの。クラッシュはパンクの代表バンドだが、「サンディニスタ!」は音楽的にもメッセージ的にも従来の方法掄を打ち破るポストパンクの魁というべき一枚だ。スージー&ザ・バンシーズとストラングラーズはパンクの括りかもしれないが、上記したアルバムは完全にニューウェイヴの音になっている。

 <UKニューウェイヴ/ポストパンク>の代表格はジョイ・ディヴィジョンとキュアーであることは、同誌が併せてインタビューを掲載していることからも明らかだ。内向の極致を示したジョイ・ディヴィジョンはフロントマンのイアン・カーティスの自殺で解散する。メンバーチェンジで再出発したニュー・オーダーは、エレクトリックとシンセサイザーを導入し、ロックの可能性を一気に拡大する。

 キュアーは1980年以降、最も影響力のあるバンドで、<UKニューウェイヴ>の枠にとどまらず、ナイン・インチ・ネイルズなどUSハードコアバンドに絶大な影響を与えている。まあ、キュアーの魅力については語りつくしているから割愛するが、最高傑作は「ディスインテグレーション」(89年)だ。

 UKに限定して記したが、アメリカにもポストパンクバンドは幾つも存在する。代表格はロック史上最も革新的なバンドといっていいトーキング・ヘッズで、11年で制作した8枚のアルバムはすべて愛聴盤だ。「マーマー」(83年)でデビューしたREM、そしてグランジへの道を開いたソニック・ユースは最も好きなバンドの一つだ。最高傑作は「デイドリーム・ネイション」(88年)だ。

 ロックは俺に何を与えてくれたのか。65歳の俺とどう繋がっているのだろう。それは救いであり、癒やしだった。あのバンドが新作を出すまで生きていよう……、そんな風に考えたこともある。ロックは俺を大人にせず、〝10代の荒野〟に閉じ込められたままだ。俺を一言でいえば、ガキ老人といったところか。

 最後に、枠順が確定した宝塚記念の予想を。エフフォーリア、オーソリティ、タイトルホルダー、ディープボンドの4強が上位を占めるだろう。だが、少額投資で中穴を狙う年金生活馬券師は、無理を承知で⑪パンサラッサを軸に据え、単勝と馬連を買うことにする。逃げてくれたらそれでいい。
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「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」~音楽に救われた前半生を振り返る

2020-10-17 22:58:01 | 音楽
 おととい(15日)、64回目の誕生日を迎えた。この10日余り、ビートルズの「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」が脳内で木霊している。俺は〝永眠のリハーサル状態〟だが、父は64歳の頃、司法書士、塾経営をこなす傍ら、家庭菜園、囲碁クラブ、パチンコ、仲間内の旅行と慌ただしい日々を過ごしていた。その父が召されたのは69歳……。俺にどれほどの時間が残されているのだろう。

 今回は音楽を軸に前半生(30歳まで)を振り返る。幼い頃、母、亡き妹に加え祖母が同居していた。3代の女性が歌番組を好んだこともあり、俺も小学生時代、歌謡曲に詳しかったが、偶然ラジオで聴いたビートルズの「シー・ラブズ・ユー」に痺れたことがきっかけで、グループサウンズ、「ザ・モンキーズ」を経て嗜好が変わった。

 中学生になると深夜放送に夢中になり、「ヴィーナス」(ショッキング・ブルー)、「トレイン」(1910フルーツガム・カンパニー)、「霧の中の二人」(マッシュマッカーン)で洋楽ファンになる。同じ道を歩んでいた同級生たちは中3の頃、揃って〝転向〟する。新3人娘(小柳ルミ子、天地真理、南沙織)の影響は絶大で、俺が一歩進んでロック派になったのは「ウッドストック」、「ギミー・シェルター」、「レット・イット・ビー」を見たからだと思う。

 ザ・フー、クラッシュ、エコー&ザ・バニーメン、キュアー、スミスら贔屓のバンドと次々に出合ったが、邦楽ロックではルースターズ、PANTAを追いかけた。PANTA&HAL名義の2枚のアルバムは80年代前後、世界観とサウンドストラクチャーで世界の頂点に到達していた。最も心を揺さぶられたのは、めんたいロックの流れを酌むザ・バッヂだ。

 彼らの上京後初ライブを偶然、エッグマンで見た(当時ザ・レイン)。友人のバンドとの共演で、彼らを知る者は皆無のアウェイ状態だったが、瞬く間に知名度を上げ、新宿ロフトをフルハウスにするまでになった。ジャムの来日公演(82年)で前座を務めた後、シーンから消えた。好きな女の子が突然消えたような喪失感に沈んだが、バッヂは世紀が変わった頃に再評価され、俺の中の〝未完のストーリー〟は完結した。

 「MUST BE UKTV」(BSプレミアム)は80年代に活躍したアーティストによるスタジオ ライブを収録している。懐かしさを覚えたが、プリファブ・スプラウトを除いて感興を覚えなかった。一方で、居酒屋ランチを食べていて心が潤むことが頻繁にある。有線放送の「赤いハイヒール」で零れた涙が、鶏野菜スープに塩味をペーストする。「ザ・カバーズ」(BSプレミアム)では宮本浩次が歌う「木綿のハンカチーフ」に胸が熱くなった。

 それぞれ太田裕美の4th、5thシングルで、傷と恥多き青春時代の記憶と重なったのだろう。ともに作詞は松本隆、作曲は先日亡くなった筒美京平さんである。齢を重ねると童心に帰るというが、俺はロックで研ぎ澄ました湿っぽい感性を取り戻したのか。

 俺の部屋の棚にはCDが溢れている。失意と孤独に苛まれていた暗い青春期を救い、癒やしてくれた作品の数々だ。他の人にとってはゴミの山かもしれないが、音楽に限らず小説や映画の数々により、俺は何とか東京砂漠の隅っこで生き長らえている。
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泣きの入った男たちが放つ光芒~木村一基新王位、そしてマニック・ストリート・プリーチャーズ

2019-09-28 23:48:35 | 音楽
 竜王挑戦者決定三番勝負、王位戦七番勝負……。豊島将之名人と木村一基九段が相まみえた3カ月にわたる「真夏の十番勝負」は26日、木村の王位獲得で大団円を迎えた。銀河戦決勝(24日オンエア)で渡辺明3冠を下すなど、鋭さを増した豊島の優位は動かないと予測していたが、〝千駄ケ谷の受け師〟が初タイトルを戴冠に輝いた。

 午後4時前後、AI、棋士ともに木村有利の見立てだったが、辛酸を舐めてきた木村ゆえ、一抹の不安を覚えた。後ろ髪を引かれる思いで、マニック・ストリート・プリーチャーズのライブ(Zeppダイバーシティ)に向かう。マニックスもまた、木村と同じく〝泣きが入った〟男たちだ。

 公演の感想は以下に記すが、帰宅して結果を確認し、木村のインタビューに心が潤んだ。46歳は将棋界では〝老いの入り口〟だ。羽生善治九段でさえタイトル通算100期目前で喘いでいる。今回の木村戴冠には、〝中高年の星〟を応援するファンの願いが後押しした。勝負の世界では空気が結果を左右することがしばしばある。敗れた豊島には来月、広瀬章人竜王との頂上決戦が控えている。

 マニックスは俺にとって人生と重なるバンドだ。今回のライブは5th「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」(98年)20周年を記念したツアーの一貫で、サポートアクトはアジアン・カンフー・ジェネレーションが務めた。初めて聴くバンドだったが、開放感あるギターサウンドに和みを覚える。

 アジカンは25分ほどでステージを去ったが、自身が主催したフェスに出演してくれたマニックスへの敬意を語っていた。興味深かったのは「洋楽のライブに人が集まらなくなっている」とMCしていたこと。<内向きの日本>と<国際標準>の乖離を前々稿、前稿で記してきたが、ロック界でも同様のことが起きている。

 「ディス・イズ゙――」はヴァーヴ「アーバン・ヒムズ」(97年)、マンサン「SIX」(98年)、トラヴィス「ザ・マン・フー」(99年)とともに、オアシスとレディオヘッドが失速した後、UKロックを牽引した一枚だ。前半はほぼ「ディス・イズ゙――」の曲順通り、後半は代表曲が次々に演奏される。

 ラグビーW杯開催中でもあり、来日中のウェーズ人が多く詰め掛けていた。小規模のハコでマニックスを聴けたことは僥倖だったはずだ。客席とのやりとりでホーム感を覚えたのか、2時間弱の気合の入ったショーになった。齢を重ねてソリッドかつシャープになっており、ジェームスの声にも艶があった。13th「レジスタンス・イズ・フュータイル」(18年)は「ディス・イズ――」に迫る傑作だったが、収録作「インターナショナル・ブルー」を後半に演奏した。

 「ディス・イズ――」セットのラストは、スペイン市民戦争時の詩に着想を得た「輝ける世代のために」だ。<これを黙認すれば、おまえの子供たちは苦しみに耐え続けなければならない>というフレーズが3・11直後、若年層の体内被曝を憂えた俺の脳裏に鳴り響く。再び政治に関わるきっかけになった曲だった。

 妹が翌年召された時、「エヴリシング・マスト・ゴー」を毎日のように口ずさんでいた。リッチー・エドワーズの失踪(08年に死亡宣告)を経て作られた同曲の歌詞は、<全ては過ぎ去っていく>という諦念、無常観に近い。妹の死が、リッチー不在に打ちひしがれたバンドと重なり、喪失の哀しみを共有したことでマニックスとの縁はさらに深まった。

 ラストの「享楽都市の孤独」のPVは日本で制作された。イントロが流れた時、あやうく涙腺が決壊しそうになり、沈黙のまま唱和する。

 ♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し 頬に微笑を誘う 民族戦争を企て 他人種に致命傷を与え ゲットーを支配する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は安売りされていく 永遠に……

 四半世紀前、マニックスは反資本主義を歌詞に織り込んでいた。ジェームス、ニッキー、それにリッチーの3人の詩人が、マニックスの知性と世界観を支えている。アンテナが錆び付いて新規開拓は難しいが、馴染みのバンドやアーティスト――マニックス、そして前稿で紹介した頭脳警察etc――とともに老いていきたい。

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今こそ乱破者に~頭脳警察の知性と世界観に心を撃たれる

2019-09-25 22:22:37 | 音楽
 前稿の枕で<内向きの日本>と<国際標準>の乖離について記したが、ラグビーW杯では<タトゥー>が物議を醸す。タトゥーは〝反社〟の象徴と見做され、ある温泉地で日本人観光客にアンケートしたところ、90%弱が解禁反対だった。タトゥーが伝統や文化に根差し、敬意の表現であることを受け入れる時機に来ている。

 先週20日、全世界で「グローバル気候マーチ」が開催され、数百万の若者がパレードした。日本でも5000人以上が街角でアピールする。グレタ・トゥーンベリさん(16歳)の訴えはスウェーデンから瞬く間に世界に広がった。<気候正義>の奔流が、環境やエネルギー問題を一貫して訴えてきた「グリーンズジャパン(2012年結成)の認知度を高めるきっかけになることを、会員のひとりとして切に願っている。

 さて、本題。ロックを聴いて半世紀……、レジェンドを3人挙げるならピート・タウンゼント(フー)、ロバート・スミス(キュアー)、そしてPANTA(頭脳警察)になる。頭脳警察はギター(PANTA)とパーカッション(TOSHI)の2人組で、1969年にデビューした。Tレックスに触発されたのか同じ編成だった。発売禁止が続き、〝叛逆〟のパブリックイメージが付き纏う。音楽的にはフォーク色が濃いが、実験性と攻撃性はパンクの魁だった。

 PANTA&HAL名義で発表した「マラッカ」と「1980X」は当時のUKニューウェーヴを凌駕する最先端で、40年後を照射する預言がちりばめられている。ホロコーストへの転換をテーマにしたソロ作品「クリスタルナハト(水晶の夜)」、パレスチナに視点を定め重信房子氏(元日本赤軍最高幹部)と共作した響名義の「オリーブの樹の下で」など傑作を次々に世に問うてきた。

 頭脳警察の新作「乱破」のお披露目公演となる「頭脳警察50周年2ndライブ」(21日、渋谷・マウントレーニア)に足を運んだ。「50周年1stライブ」(4月、花園神社水族館劇場)以来、今年2度目の頭脳警察である。劇団Nachlebenの「揺れる大地」公演のテーマ曲も収録されていた。

 第1部は「乱破」を曲順通り、第2部ではHPで募集したリクエストのベストテンを演奏し、4人の若者によるサポートで分厚いサウンドが奏でられた。愛嬌とサービス精神に溢れたTOSHIの一挙手一投足にも目を奪われる。アンコールでは冒頭に登場した尺八奏者がフィーチャーされ、「コミック雑誌なんていらない」でライブを締めくくった。

 和のテイストが濃い♯1「乱破者」、エッジが利いた♯2「ダダリオを探せ」、切々と訴えかける♯3「戦士のバラード」、1930年代の満州と80年後の東京を行き来した芝居が甦る♯4と♯5「揺れる大地Ⅰ・Ⅱ」、俺の心に最も染みた♯6「紫のプリズムにのって」、自嘲とユーモアを込められた♯7「俺は笑っている」、PANTAの恋を想像させる♯8「アウトロ」……。予測を遥かに超える濃密なアルバムだった。

 以降はアルバム未収録曲もしくはセルフカバーで、何曲かはセットリストに入っていた。♪革命(Revolution)、進化(Evolution)、退化(Devolution)」のリフレインが印象的な♯9「R★E★D」では歌詞を変え、♪香港からSOSと歌っていた。人気アーティストの幇間に堕した音楽メディアが頭脳警察を取り上げることはないが、現在の日本を穿つ傑作を多くの人に聴いてほしい。

 PANTA自身、順位は意外と話していたが、「ふざけるんじゃないよ」、「銃をとれ」、「さようなら世界夫人よ」、「赤軍兵士の歌」など定番曲がベストテンに含まれていた。1位は90年、16年ぶりに発表した「頭脳警察7」の掉尾を飾った「万物流転」で、PANTAは納得の様子だった。「何も変わらなかったことに絶望して作った」とあるステージで話していたを聞いた記憶がある。

 密かにランクインに期待していたのは「時代はサーカスの象にのって」(作詞/寺山修司&高取英)と、「狂った一頁」(衣笠貞之助監督)の幻のサントラ収録曲だ。ともに頭脳警察名義で発表されているが、コアのファンの間でも知られていないようだ。とりわけ後者はライブ音源(限定発売)だったから仕方ないか。

 50周年イベントは今後も準備されており、来春にはドキュメンタリーも公開される。動員力も飛躍的に増加し、今回は立ち見の人もいた。PANTAは「抹殺寸前だった頭脳警察が、なぜか生き残っている」とMCしていたが、知性と世界観が彼らを生き永らえさせている。頭脳警察は今、フレッシュなのだ。


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初夏のロック雑感~獄友イノセンスバンド、そしてイエモン

2019-06-04 23:20:54 | 音楽
 1日深夜、英ダービーを見た。起伏に富んだ深い芝で世界のトップジョッキーが腕を競う。アンソニーヴァンダイクの優勝タイムは日本ダービーより10秒以上遅く、①③着馬は日本で〝走らない〟が定着したサドラーズウェルズ→ガリレオのサイアーライン。日英のターフの景色は別世界だ。

 スピードに特化した府中で2日、安田記念が行われた。2年前にPOGで下位指名したアーモンドアイとダノンプレミアムの対決に心が躍ったが、競馬の恐ろしさを思い知らされる結果に終わる。アーモンドは不利を克服して③着と能力の一端を見せたが、ダノンプレミアムはまさかの殿負け……。さすがプロというべきか、伊藤正徳元調教師はグリーンチャンネルで、パドック→返し馬におけるダノンの硬さと右トモの運びの悪さを指摘していた。
 
 今回は初夏のロック雑感を記したい。まずは「冤罪3部作」一挙上映会(ソシアルシネマクラブすぎなみ主催)連動企画として開催された「獄友イノセンスバンド ライブin阿佐ヶ谷」(阿佐ヶ谷ロフト)から。小室等&こむろゆいの父娘、谷川賢作、河野俊二の4人にその都度、メンバーを加えるフレキシブルな構成だ。2日夜は李政美、谷川と別ユニットで活動している佐野岳彦、見田諭がステージに立った。

 リーダーは谷川で、「獄友」主題歌の作詞を谷川俊太郎に依頼し、アルバム制作を進めた。第2部冒頭でパット・メセニーの曲を河野とセッションするなど、幅広い音楽性、そして毒舌が光っていた。佐野と見田は若々しくシャープなパフォーマンスを披露し、李は在日コリアンとしての矜持と情念を滲ませていた。

 娘との漫才のようなやりとりで和ませる小室は75歳。自身が作曲した「だれかが風の中で」(「木枯し紋次郎」主題歌)で10代の頃にタイムスリップし、ノスタルジックな気分に浸る。小室は初心を忘れぬ〝風にそよぐ葦〟で、時代閉塞に抗い続ける「炭鉱のカナリア」を自任している。その精神は荒ぶるパンクロッカーだ。

 俺は専ら、ロックを〝読書の供〟に用いている。最近ならイールズ、エディターズ、グリズリー・ベアらのCDを棚から取り出し、心地良い刺激を受けながらページを繰っている。アンテナは錆び付き、進取の気性も衰えているから、購入するのは馴染みのバンドばかりだ。まずはザ・ナショナル(US)の8th「アイ・アム・イージー・トゥ・ファインド」から。

 彼らのライブを見た時、マット・バーニンガー(フロントマン)の声質にイアン・カーティス、仕草にモリッシーを連想した。インディーズ(4AD)ながら壮大なロックアンセムで英米のチャートを賑わせたが、キャリアを積むにつれ4ADらしく実験的になってきた。本作には多くの女性アーティストが参加し、静謐で美しく、アンビエントで開放感に満ちたサウンドを創り上げた。

 フェスのヘッドライナー格に上り詰めたフォールズ(UK)は、ニューウェーヴのメランコリックなムードに裏打ちされた豊饒なポップを奏でてきた。5th「エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビー・ロストPART1」は初心に帰った感がする。エキセントリックでアート色が濃かった1st「アンチドーツ」を彷彿させる本作は、PART2と対になっているという。年内に発売された折には併せて感想を記したい。

 サンプルは少ないが、両作は年間ベストアルバム候補と思いきや、〝伏兵〟が現れた。ザ・イエローモンキーが19年ぶりの新作「9999」の発表会を武道館で開催し、曲順通り演奏するシーンがBSスカパー!でオンエアされた。バンドの登場が想定外なのか、お約束なのかはともかく、曲のクオリティーの高さと、年齢に相応しい枯れた佇まいに感銘を覚える。掉尾を飾ったのは「刑事ゼロ」の主題歌だった。

 別稿(5月11日)で浅井健一をここ30年の邦楽NO・1ロッカーに挙げた。平成ベストロックアルバムを挙げるなら「セキララ」(シャーベット名義、実質的には浅井のソロアルバム)、「オリーブの樹の下で」(PANTA、響名義)、そしてザ・イエローモンキーの「SICKS」だ。「9999」は「SICKS」に匹敵する傑作だと思う。

 仕事先の夕刊紙で五木寛之は<昭和は豊饒な歌の時代だった>と綴っていた。平成は歌が壊れた時代とも言えるが、上記3作のソングライター、浅井、PANTA、吉井和哉は日本語と格闘し、ロックと融合させた。浅井はイメージをカラフルに紡ぎ、PANTAはラディカルな知性と先見性を表現する。そして吉井は、もののあはれ、無常観を織り込み、切ない刹那を織り込んだ。

 「最近の歌はなっていない」と言い出すのは、年寄りになった証拠だろう。でも俺の耳には、社会の逼塞と軌を一に、歌が退屈で凡庸になっているように聴こえている。


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遠藤ミチロウ追悼~ピュアなロッカーに心を濾し取られた3年半

2019-05-08 11:51:16 | 音楽
 GW後半、風邪をひいて普段以上に惰眠を貪っていた。連休明けの昨朝、仕事先でT君から「ミチロウ、死んじゃったね」と告げられる。死因は膵臓がんで享年68。なぜか俺のアンテナに引っかかっていなかった。ショックで眠気が吹っ飛び、心が潤むのを覚える。亡くなったのは先月末で、今月になって公表されたという。

 スターリン時代を知らない俺が初めて遠藤ミチロウのライブに初めて接したのは2015年11月、第7回オルタナミーティング(阿佐ヶ谷ロフト)でのPANTAとの共演だった。わずか3年半の縁だったが、ミチロウは俺の記憶の壁に深い爪痕を刻んでくれた。

 前稿の最後、<憲法と天皇制>をメインに据えると予告したが、次稿もしくは次々稿に回し、ミチロウの思い出を記すことにする。

 15年に発表された「FUKUSHIMA」は情念、怒り、絶望、祝祭、自虐と露悪、喪失感、贖罪、鎮魂が混然一体となったアルバムで、途轍もないエネルギーを放射していた。♯3「NAMIE(浪江)」、♯8「俺の周りは」、♯11「放射能の海」、♯12「冬のシャボン玉」がとりわけ心に響いた。

 俺がミチロウにシンパシーを抱いた理由は三つある。第一に、PANTAと半世紀近い交流があること。頭脳警察を山形大学園祭に呼んだのが実行委のメンバーだったミチロウだ。同年(1950年)生まれの両者だが、並んで立つと〝父子〟のように見えた。そのライブでミチロウは、竹原ピストルらがカバーしている「ジャスト・ライク・ア・ボーイ」で締めくくる。

 ♪まるで少年のように街に出よう どこまでも続く一本道の そのずーっと先の天国あたり 何を見つけたのか それはお楽しみに……。この曲を口ずさみながら書いている。

 第二の理由は、大学時代に影響を受けた先輩と同窓(福島高校)だったこと。福島に思いを馳せる時、ミチロウとその先輩がオーバーラップするのだ。「FUKUSHIMA」は3・11以降、故郷への思いを込めた弾き語り集である。自身がメガホンを執った映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(15年)は、3・11を挟んだツアーを追っていた。あづま球場で開催されたスターリンのライブに圧倒されたが、居酒屋で数人を相手に演奏する姿は吟遊詩人である。

 「お母さん――」のテーマは<家族、福島との絆>だった。故郷喪失者だったミチロウは3・11を機に、「プロジェクトFUKISHIMA」を立ち上げ、フェスを開催する。久しぶりに実家を訪れた様子はまさに〝放蕩息子の帰還〟で、母との会話に笑ってしまった。ミチロウの母が健在だったら、息子の死をどう受け止めただろう。老母を持つ我が身に重ね、そんなことを考えてしまった。

 ミチロウは膠原病を患い、14年7月からの50日間の入院生活を綴った詩集「膠原病院」を発表する。俺がミチロウにシンパシーを抱く最大の理由は、妹が膠原病と闘って力尽きたからである。膠原病の罹患者は女性が多いが、ミチロウは還暦を過ぎて発症した。

 死と向き合ったミチロウは、「墓場がどんなに放射能に汚染されても 墓場が僕のふるさとだから」と絶望を綴り、「不治の病は気づかぬ内に 人間そのものが不治の病」と自身の状況と日本社会を重ねていた。「ただ不幸を弄ぶことはできる 表現者ならそれぐらい開き直れ 不幸は表現の肥やしだぞ」と自分を叱咤したミチロウは退院後、身を削って歌い続けた。

 病室から眺めた隅田川花火に東京大空襲を重ね、広島の原爆の日には、3・11と重ねて「神様は試した どれだけ人間が愚かなのか 僕らは試した 自分達の愚かさを 二度目は自爆した ヒロシマからフクシマへ 放射能の想いが通じた」と詠んでいた。

 知性、世界観、人間性を称揚してきたPANTAに、ミチロウも匹敵する。40年近く友人だった渋谷陽一氏(ロッキング・オン社長)は訃報に触れ、<とても批評的な言葉を持ったアーティストだった。インタビューをする度に、その知的な言葉の力に感心した。しかし彼の素晴らしさは、その批評的な言葉を超える肉体的な表現を実践するデーモンがあったことだ。(中略)知性が表現を規定したり抑圧することがなかった。誰もが彼の人柄の良さに魅了された>と同誌HPに記している。

 「お母さん――」で見せたミチロウの素顔は優しかった。自身を浄化するようなシャウトとメークは、繊細と狂気のアンビバレンツを表現するための儀式だったのか。「FUKUSHIMA」でカバーした「ワルツ」(友川カズキ作)の3番をミチロウに手向けたい。

 ♪切なさを生きて君 前向きになるのだや君 物語はらせんに この世からあの世へと かけのぼる 生きても 生きてもワルツ 死んでも 死んでもワルツ 出会いも 出会いもワルツ 別れも 別れもワルツ……。 

 俺はこれから、身を剥がされるような別離を幾つ積み重ねるのだろう。それが老いるということなのか。

 
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頭脳警察at花園神社~時代は今こそ「銃をとれ」

2019-04-11 22:29:46 | 音楽
 先日7日、歴史的イベント、頭脳警察50周年1stライブ(花園神社水族館劇場)に参加した。PANTAが楽曲を提供し、同会場で開催中のNachleben「揺れる大地」公演との連動企画である。PANTA(ギター、ボーカル)とTOSHI(パーカッション)を4人の若いメンバーがサポートしていた。

 今世紀末を舞台にした奧泉光著「ビビビ・ビ・バップ」(16年)では、1960年代後半の新宿がバーチャルに再現され、新宿騒乱当日、頭脳警察は花園神社で「銃をとれ」を演奏していた。寺山修司、高橋和己、大島渚らとともに、頭脳警察は熱い時代のイコンであり、いまだにフレッシュだ。フルハウスの満員で、若い世代も多く詰めかけていた。

 安田講堂攻防戦、公害への抗議、連続ピストル射殺事件、ベトナム反戦運動の拡大、大菩薩峠での赤軍派逮捕、佐藤首相訪米阻止行動、創価学会の言論妨害……。1969年はまさに嵐の一年で、アングラ演劇とフォークゲリラが時代の象徴だった。

 今回のライブは、当時のパトスを再現しつつ、成熟が加味されていた。PANTAがMCで、「俺たちが半世紀後も生き残っているなんて不思議」と話していたが、発禁処分の連続で抹殺寸前だった頭脳警察は、世界に先駆けたパンクバンドでありながら、フォーク色が濃かった。

 オープニングで寺山修司「アメリカ」を朗読し、寺山と高取英が共作した詩に曲をつけた「時代はサーカスの象にのって」を歌った後、PANTAは高取への弔意を示す。「コミック雑誌なんていらない」からタイトルを引用した内田裕也は、同名の映画で脚本と主演を担当した。今回のライブには、同志たちへの「惜別」の思いが込められていた。

 一番盛り上がったのは「揺れる大地」で、劇団メンバーがセットの上と客席に登場し、PANTAと唱和する。芝居は門外漢だが、歌詞に感銘を覚えたこともあり、楽日(16日)のチケットを申し込んだ。最も心に染みたのは「さようなら世界夫人」だ。原作者ヘルマン・ヘッセは崩壊するドイツへの哀悼を込めたとされる。

 ♪世界はがらくたの中に横たわり かつてはとても愛していたのに 今僕等にとって死神はもはや それほど恐ろしくないさ さようなら世界夫人よ さあまた 若くつやつやと身を飾れ 僕等は君の泣き声と笑い声には もう飽きた

 PANTAは原詩の精神を保ちながら、自身の世界観を織り込んだ。世界夫人とは、そして死神とは何か。日本の現状を踏まえ、あれこれ思いを巡らせている。切なく美しい「さようなら世界夫人」は、俺にとって日本のポピュラーミュージック史上ナンバーワンの曲である。

 頭脳警察は90年、一時的に再結成し、7thアルバムを発表する。収録曲「万物流転」は詩的かつ知的なイメージに彩られていた。MCで「何も変わらなかったことに絶望して作った」と前置きしていた。「銃をとれ」と「ふざけるんじゃねえよ」で締め括る。♪無知な奴らの無知な笑いが うそで固められたこの国に響き続ける……。安倍政権を連想させる歌詞だ。

 昨年から今年にかけ、欧米で熱気が蔓延している。バーニー・サンダースの影響を受けて社会主義を掲げる米民主党オルタナティブは徐々に浸透している。フランスのイエローベスト運動は階級闘争の様相だ。日本でも深刻な貧困と格差で<板子一枚下は地獄>の状況だ。サブタイトル通り、今こそ「銃をとれ」の叫びが相応しい。闘い、抗うため、心を高揚させるためのツールとして……。

 目取真俊の小説を読んで、<暴力の内包>が必要であることを学んだ。<憲法9条があったから、日本は戦争と無縁だった>など、沖縄を捨象して語るリベラルに苛立ちを覚える。「戦争しか知らない子供たち」と歌ったPANTAも、目取真と同じ地平に立つ。

 1969年、日本のGDPは世界2位になり、老人医療無料化が自治体に広まった。富を国民に還元する仕組みが崩壊した50年後、頭脳警察の世界観、知性、そして憤怒が褪せることはない。
  
 2日後、日本橋公会堂に足を運び、第7回「春風亭一之輔 古今亭文菊 二人会」を堪能した。古典を現代風にアレンジする一之輔、伝統に殉じる文菊……。芸風は対照的で、一之輔「新聞記事」→文菊「お見立て」→文菊「長短」で進行し、一之輔が枕抜きで披露した「百年目」に、文菊へのライバル意識を感じた。馴れ合い、楽屋ネタが一切ない清々しい会だが、来年はチケットを取れるだろうか。
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