酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ビートルズって何だろう~来日から39年

2005-06-29 05:49:16 | 音楽

 1966年のこの日(29日)、ビートルズが来日した。俺は当時9歳だったが、床屋で何曲か聴いたことがあった。理容師や美容師には流行に敏感な人が多いが、その店のおやじもカバみたいな風体に似合わず、音楽の趣味はかなり洒落ていた。
 
 年齢によってビートルズの捉え方は異なると思う。俺は辛うじてリアルタイムで聴いた世代だが、以下に、自分なりのビートルズ像を提示してみる。

 その①<ビートルズは超不良だった>…ビートルズは港町ハンブルクで腕を磨いた。かの地は気性の荒い客が多く、娼館も数え切れないほどあった。ビートルズは酒、女、ドラッグ、喧嘩で修業を積んだ後、小ざっぱりした坊ちゃん風のいでたちでデビューする。
 
 その②<ビートルズはアイドルだった>…ビートルズほどルックスの平均点が高いユニットは例を見ない。男っぽく芯が通ったジョン、プリティボーイのポール、シャイな男前のジョージ、癒し系三枚目のリンゴ……。SMAPにだって勝っているというとファンに叱られそうだが、世界中の少女が熱狂したのも当然だった。

 その③<ビートルズは演奏が下手だった>…日本公演の映像も見たが、目を覆うほど下手である。同世代のストーンズやフーはデビュー時から凄まじいライブを披露していたから、言い訳は利かない。

 その④<ビートルズは変わり身が早かった>…「ビートルズが『イエスタデイ』を歌っていた頃、俺たちは『ヘロイン』を世に問うていた」と、ルー・リード(ヴェルベット・アンダーグラウンド)は自慢げに語っている。お子様向きのビートルズと比べ、アメリカ勢はカウンターカルチャーとしてのロックを提示していた。ビートルズはスタジオに篭もると、1年足らずで「サージェント・ペパーズ」を発表し、トップランナーに返り咲く。この急激な進歩こそ、才能の証といえるだろう。

 その⑤<ビートルズは音楽地図を塗り変えた>…自作曲でヒットを連発したビートルズの出現は、音楽界のヒエラルヒーを覆した。石井宏氏が「反音楽史」で記しているように、先進国における音楽的才能は殆んどポップミュージックに吸収され、その結果、登竜門的な音楽祭で入賞するのは東欧やアジアの若者ばかりになる。クラシックが神学化、解釈学化しているのは事実だし、ジャズはロックに侵食された。創造を志向する少年が表現の場をポップミュージックに求めたことは、必然の経緯だった。

 その⑥<ビートルズは潔かった>…U2は25年、REMは23年、レッチリは21年、レディオヘッドは13年、オアシスは11年……。これは大御所バンドの活動年数だが、ビートルズはデビュー曲「プリーズ・プリーズ・ミー」から「アビイ・ロード」(実質的ラストアルバム)まで実働7年だ。密度の濃さと潔さには驚くしかない。

 その⑦<ジョンの悲劇は純粋さゆえだった>…ボブ・ディランにインスパイアされたジョンは、純粋さゆえ、政治にのめり込んでいく。ニューレフトと交流し、資金的に援助したことが、CIAやFBIの不興を買った。ジョンの死を米当局の謀略と結びつける論考も多いが、信憑性は高いと思う。作り手が危険分子ゆえ放送禁止扱いの「イマジン」は、「ライブ8」でこそ歌われるべき曲だ。アーティストの勇気に期待したいが、顔ぶれを見る限り難しそうだ。

 とまあ、毎度の如くダラダラ書いてしまったが、「ビートルズは何か」を一言で表すなら、「魔法使い」ってとこか。ポップという陽性の毒で、世界中を心地よく痺れさせてしまったのだから……。

 最後に個人的な話題を。ここ数日、会社の元同僚2人と会う機会があった。ともにずっと年下だが、俺より前に会社を辞め、自分の道を歩んでいる。OBが一員であるバンドを見るため吉祥寺に足を運んだ。スプリングスティーン風で、想像以上に楽曲の質も技術も高かった。破綻のなさが気になったほどである。OGの方は来月、パレスチナへ出発する。2カ月ほどNGOで活動した後、留学先のイギリスに向かうという。両者とも自らの立脚点を見据え、自由かつ着実に生きている。腑抜け浪人の俺だが、前向きに生きねばと励まされた次第だ。

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トニー・ガトリフが描くロマの世界

2005-06-27 07:48:04 | 映画、ドラマ

 マスコミで仕事をされた方はご存じだと思うが、用字用語の言い換えの凡例に、<ジプシー⇒ロマ>が含まれている。ジプシーが死語になった背景には、厳しい差別の実態があった。俺がロマに興味を持ったきっかけは、トニー・ガトリフ監督の「ガッジョ・ディーロ」(97年)だった。サビーナを演じたローナ・ハートナーの魅力に陶然としたことが大きかったのだが……。

 その起源はインドとされるロマだが、現在ヨーロッパで約900万人が生活している。人口にロマの占める比率が高い東欧では、第2次大戦後、雇用が確保されていたが、社会主義政権のドミノ倒しで状況は一変する。保護政策の終焉により、剥き出しの敵意に曝されたことは、「ガッジョ・ディーロ」に描かれた通りである。EUは人権擁護の観点から、加入を目指す東欧諸国にロマ政策の改善を求めている。

 とまあ、最低限の予習をした後、「モンド」(95年)、「ベンゴ」(00年)、「僕のスウィング」(02年)のガトリフ3作品をシネフィル・イマジカで見た。「ベンゴ」については項を改めるつもりなので、今回は2作品について述べたい。

 「モンド」は同名のロマの少年が主人公だ。老いたホームレス、郵便配達人、聖歌の歌い手、パン屋のおばさん、ストリートマジシャン、モンドに字を教える釣り人……。多くの者がモンドに心を奪われたが、誰より愛情を注いだのはベトナム系の老女だった。モンドは内なる<放浪の性>を自覚しているから、他人に対して距離を置いている。真の友は、雨や虫、木々草花に宿る精だった。遺伝子に組み込まれた流離の記憶は、眠りに就くや蠢き出す。モンドの魂は夢の中、時間や空間を超えて浮遊するのだ。

 モンドが姿を消すと、孤独と焦燥が街に染み渡っていく。老女はモンドが字を刻んだ石を抱き、楽しかった日々に思いを馳せる。<愛すればこそ傷つく>……。ガトリフが繰り返し描くテーマである。ニースの美しい自然を織り込んだ抒情詩的作品だが、ガトリフの怒りが投影されたと感じたシーンがあった。倒れたモンドを取り囲む人々の主観に、死んだ犬のカットがフラッシュバックされていた。ロマの血を引くガトリフが訴えたかったのは、人間としての扱いを受けてこなかった民族の苦難の歴史だったのか。深読みして外した気もするけれど……。

 「僕のスウィング」にも強い感銘を受けた。バカンスの間、祖母宅に預けられたギター小僧マックスは、マヌーシュギターを学ぶためロマの集落を訪れる。先生のミラルドは心で弾くことを教えるが、マックスはギターに身が入らなくなる。ボーイッシュなスウィングと出会い、恋心を抱いたからだ。スウィングには自然と感応するロマ独特の感覚が備わっていた。森の中の幼い二人の戯れに、官能的なそよぎを覚えた。

 マックスは別れ際、夏休みに綴った「ジプシーの日記」をスウィングに渡す。純粋な気持ちが記されているのに、スウィングは字が読めない。白人の少年とロマの少女の心は、壁に遮られて離れ離れになっていく。<愛すればこそ傷つく>のだが、痛みが大きいのはスウィングの方だった。ひと夏で随分大人びたスウィングは、すすり泣きながら日記を道路に置き、音を立ててドアを閉じた。

 この作品にもガトリフの問題意識が窺える。死を語るというロマのタブーを破り、老女が自ら体験したナチスによる虐殺をマックスに語る。当時のロマの犠牲者は50万人を下らないとされている。

 ロマを真正面から捉えているのはガトリフだけだが、「レッド・バイオリン」、「大理石の男」、「アンダーグラウンド」、「歌っているのはだれ?」でもロマは登場していた。「悪魔が夜来る」の吟遊詩人、ポーランド映画に頻繁に現れる悪魔たち、吸血鬼や狼男にも、ロマの文化に通底する部分があるのではないか。機会があれば、見落としてきたロマたちを、映画の中で再発見してみたい。

 再発見といえば、自分の中に潜むロマにも気付くことが出来た。自由を求めて飛翔する精神? そんな高尚なものではない。風呂嫌い、夢想癖、刹那的でありたいと願うこと……、せいぜいその程度のレベルである。

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春シーズンの締めくくり~博才ゼロ男の宝塚予想

2005-06-25 03:13:38 | 競馬


 俺に博才がないことは、皆さんがご存じの通りだ。GⅠは御託を並べて楽しんでいるが、他のレースはスタンスが違う。時計とにらめっこしながら馬場状態、ツキの流れ、馬体重、オッズをチェックしているが、泣けてくるほど当たらない。

 非才は承知ゆえ、他のギャンブルには手を出さないが、例外はロト6だ。自分に縁のある数字を3口分にアレンジしている。先日、半年分の出目をエクセルで資料化したが、眺めてみて愕然とする。俺の固定数字は殆んど「死に目」だったからだ。どうやら俺は、博打の神様から見放されたまま一生を終えることになりそうだ。

 さて、本題。宝塚記念の予想は、展開とペースを読むことが前提になる。昨年Vのタップダンスシチーはローエングリンの3番手につけ、3角先頭でしのぎ切った。前後半3Fは35秒6―36秒1だったが、今年も同様のラップを刻むのではなかろうか。他馬が行けば2~4番手でもいいと腹を括っているはずで、失速する場面は考えづらい。

 ゼンノロブロイは昨年、日経賞2着→天皇賞2着とオーソドックスな臨戦過程で挑んだが、4着に敗れた。有馬からの直行は2年前のシンボリクリスエス(1番人気で5着)と同じだが、厩舎の後輩でもあり、変則ローテは気になる。頼みのデザーモもごちゃつきやすい宝塚とは相性が良くないし、狙いを少し下げてみる。

 阪神芝2200㍍はトリッキーなコースで、トップ騎手は不利を「想定済み」でレースに臨むという。時計も掛かり始めているし(2分12秒台前半の決着?)、先行有利と考えるが、タップ以外に該当馬はいるだろうか。ビッグゴールド? ここ3走は逃げて結果を出しているが、前半3Fはすべて37秒台後半だし、Sペースが幸いしたとみていい。シルクフェイマス? 一つ外のビッグゴールドに被されて、内に閉じ込められるか、またも掛かってしまうか……、いずれにせよ最内枠が災いするような気がする。

 一頭忘れていないだろうか。強い、いや、強いかもしれない先行馬を。同距離のセントライト記念では前後半を35秒3―35秒4でまとめ、ベストパフォーマンスを見せたコスモバルクだ。鞍上の千葉津騎手は道営所属で、逃げに定評のある40歳のベテランだ。年も近いし親近感が湧いてくるではないか。予想というより、人馬セットで応援するというのが本当のところだ。

 グランプリゆえどの馬からでも狙えるが、上位人気を買う以上、馬券は絞るしかない。伏兵馬から選ぶならスイープトウショウか。安田記念では中団後ろを進み、アサクサデンエンを追い詰めた。先行有利とは矛盾するし、阪神も得意ではないが、前走で示した新境地に期待したい。

 結論。◎⑮タップダンスシチー、○⑦コスモバルク、▲⑥ゼンノロブロイ、△⑪スイープトウショウ。3連単は<⑮・⑦><⑮・⑦・⑥・⑪><⑦・⑥・⑪>の8通り。単勝、馬連、3連複はオッズ次第で考える。

 競馬も春シーズンの締めくくりだが、第7局までもつれた将棋の名人戦は、森内が羽生を破って防衛を果たした。NBAファイナル(スパーズV)ともども予想は外れたが、宝塚は果たして?

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“Electric Rainbow”~ベンジーの新作を聴いて

2005-06-23 03:36:11 | 音楽

 “Zhivago”から9カ月弱、Judeの新譜“Electric Rainbow”が出た。3月にSherbetsとして“natural”を発表した(別項=3月15日)ばかりで、浅井健一(ベンジー)の多作ぶりには驚くばかりだ。

 近作の閉じられた音にハマっていたから、新作には違和感を覚えた。“Zhivago”や“natural”の歌詞ではイメージの連なりが世界を形成していたが、新作では言葉がパズルのようにはめ込まれている感じがする。
 
 #1「毒りんご売り」から#4「冷麺」までの序盤の流れは聴き応え十分だし、キーボードを導入した締めの#11「本当の世界」、#12「blue moon flower」のミニマムな音にも納得している。だが、ビートルズ風ありロシア民謡風ありの#5から#10には、#8「silk」以外、いまひとつ馴染めない。弁護するわけではないが、聴き手が勝手にハードルを高くするのは酷に思えてくる。作り手側も時として、遊びや息抜きが必要になるからだ。

 タワレコで雑誌を見ていたら、隣で二人の女子高生がベンジーについて語っていた。
少女A「見て見て、ベンジー、カッコイイ」
少女B「オヤジでしょ、40代の」
少女A「年、関係ないよ、今度、一緒に見に行こ」
 ファン層は少しずつ変化した。ブランキー時代の汗臭い青年(中年)は減ったが、若いファンを吸収して一定数をキープしている。会場の後ろで目に付くのは熟女たちの姿だが……。

 新作に合わせてJudeで全国を回り、その合間にSherbetsで夏フェスに登場する。秋が深まった頃にはSherbetsでツアーに出るという。ライブの後はメンバーたちと飲み明かしているみたいだし、いつ練習し、いつ曲を作っているのか不思議で仕方がない。

 話は変わるが、「ライブ8」がフジ721で生中継される。キュアーやミューズも出るので録画する。同じくアフリカ救済を唱えた「バンドエイド」から20年たったが、状況はむしろ悪化している。ロックは資本主義にどっぷり浸かっているし、その力を過信してはいけない。

 U2クラスになると、イメージ戦略やパブリシティーの促進、レコーディングに最高級(給?)の人材を配置し、莫大な資本と時間を投入する。この仕組みの犠牲になったのがスプリングスティ-ンだ。“Ghost of tom joad”が全世界で200万枚しか売れず、採算割れとなる。その後数年アルバムを出せず、干されてしまった。ボノは至る所で正義を説いているが、U2はマニック・ストリート・プリーチャーズほど知的ではないし、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンほどラディカルでもない。「これも営業の一環か」と勘繰ってしまうのは、俺がへそ曲がりのせいかもしれない。

 「ライブ8」に勢ぞろいする産業ロッカーと比べると、ベンジーは恵まれている。CDの売り上げは3万枚前後? ライブだって渋谷AX(2000人強)を連日満杯にできれば文句はないだろう。だからこそ思いつきでアルバムを作り、ツアーに出て、ファンに近い場所で素を見せられる。この自由さ、気楽さこそ、ロック本来の姿であったはずだが……。

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「日本的」の滅び方~三島由紀夫が描いたもの

2005-06-21 04:24:37 | 読書

 誰しも衝動買いの経験はあると思う。恒常化すれば「買い物依存症」となり、抗鬱剤の服用で治癒可能というが、俺も重症だった時期がある。購買対象はCD、甘い物、本だった。CDなら一度は聴いたし、甘い物は毒に転じて体の底に堆積されているが、カバーにくるまって熟睡している本は数え切れない。

 昨夜のこと、ブログのネタに困って「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)を眺めていると、<近江絹糸100日間の大争議>の大見出しが飛び込んできた。ピカッと閃き、積読本から三島由紀夫の「絹と明察」を選ぶと、一気に読了する。とまあ、楽屋話になってしまったが、本題に。1954年6月、近江絹糸の組合はストに突入した。<日本的家族主義VS西洋的合理主義>という同争議の構図に惹かれた三島は、10年後に「絹と明察」を書き上げた。

 近江絹糸の労働条件は極めて劣悪で、組合は<格子なき牢獄からの解放>を要求した。会社は強硬一辺倒で、警察の警告を無視してスト破りに暴力団を使い、大量解雇を通告する。社長の「マスコミはアカ発言」、組合執行部の少年の抗議の自殺、近隣住民の同社への悪感情もあり、世論はスト支持に回っていた。労働省、法務省にも非を追及されるなど四面楚歌の中、会社が要求を呑むことで解決を見た。

 三島は社名を駒沢紡績に変え、社長の駒沢善次郎を主人公に、療養所で死を待つ駒沢の妻房江、フィクサーの岡野、芸者から寮母になった菊乃、岡野の教唆で争議を企てる大槻、その恋人弘子らを配し、物語を構成していく。駒沢は合理主義とは無縁で、工場では滑稽なほど家父長として振る舞っている。その言動に欺瞞、偽善は露ほどもなく、自ら信じるところに寸毫の疑いもない。和解後、麻痺した身を横たえ、駒沢は寛恕の境地に到達する。背いた者を許し、憎むべき者にも感謝の念を抱く。日本的土壌に還っていく駒沢に、三島は自らの未来を重ねたのかもしれない。三島の死に様は、曖昧さに溶けた駒沢と全く異なる形であったのだが……。

 駒沢の対極に位置するのが、ハイデッガーに心酔する知性の人、岡野だ。戦争中は翼賛体制を支え、戦後はフィクサーとして暗躍している。岡野は狂言回しとして実を得るが、形而上敗北した男として描かれている。大槻と弘子の幼くも純粋な愛、インテリ芸者から駒沢に一方的に傾倒していく菊乃の心理も、三島らしい筆致で描かれていた。

 戦後デビューの作家では、三島と開高健が表現力で双璧だと思う。冷たい言葉の塊を爆弾のように吐き出す開高がベートーベンなら、流麗なイメージの連なりを精緻に紡ぐ三島はモーツァルトか……。「絹と明察」にも言葉の魔法がちりばめられているが、文学史上の評価は芳しくなかった。

 通俗的、予定調和的な本作は、型に嵌った交響楽や荘厳な器楽曲ではなく、オペラに似た感じがする。<三島はかくあるべし>と念じるファンに敬遠されたのかもしれない。発表時期(64年)も悪かった。猪瀬直樹著「ペルソナ/三島由紀夫論」にも描かれていたが、三島は60年以降、トップランナーではなかった。伝統に依拠していたため時代遅れと見做され、安部公房や大江健三郎に寵児の座を奪われていたのである。

 本作がなぜ棚に寝ていたのか不思議だが、ブログを始めていなければ、読むことなく死んだに違いない。これもまた、一つの出会いである。三島の死についても私見はあるが、別項で記すことにする。

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戦争と巨匠たち~クルーゾーとアラン・レネ

2005-06-19 02:53:19 | 映画、ドラマ

 シネフィル・イマジカでアンリ・ジョルジュ・クルーゾーの「密告」(43年)とアラン・レネの「夜と霧」(55年)を見た。ともに戦争と関わりを持つ作品である。

 クルーゾーは「情婦マノン」(48年)、「恐怖の報酬」(52年)、「悪魔のような女」(55年)で知られる巨匠だ。人間の心の闇を照射し、フランス映画独特の苦味とハリウッド風の娯楽性を併せて表現していた。

 「密告」は占領時代、<フランス社会の腐敗を暴け>という号令で制作された。完成作品はナチス批判が色濃く、上映禁止になったというが、トリュフォー(32年生まれ)が11歳でこの映画を見て衝撃を受けたという証言もある。真相は藪の中だ。

 「密告」では、<カラス>の署名入りの手紙が街を混乱に陥れる様子が描かれている。当初はジェルマン医師とローラの不倫にターゲットを絞っていたが、中傷の対象が広まるにつれ、人々は<カラス>の正体を巡って疑心暗鬼になっていく。ストーリーが進むにつれ、入り組んだ人間関係やジェルマンの過去も明らかになる。<カラス>はローラの姉マリーなのか、薄幸のドニーズなのか、それとも……。自殺した入院患者の母、ドニーズの姪であるローランドも絡まり、息付く間もないサスペンスに仕上がっている。
 
 ラストは曖昧で謎めいている。キネ旬のデータベース等では<カラス>が明示されているが、別の考えを持つ方も多いだろう。<カラス>は複数の人間の悪意の集合体ではなかろうか。この作品は、無名性の下、真偽を問わず情報が増幅するネット時代に通じるテーマを内包している。

 解放後10年のアウシュビッツにカメラを据えた「夜と霧」については、別項(2月14日)でも記した。フランス警察がユダヤ人移送に協力した事実を示すスチール写真が修整された経緯を、当事者のフランス政府が半世紀を経て公表したのである。30分ほどのドキュメンタリーだが、繰り返し見ても衝撃が薄まることはない。<廃墟の下に死んだ怪物(収容所)を見つめる我々は、遠ざかる映像の前で希望が回復したふりをする。ある国のある時期の話と言い聞かせ、絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる>……。締めくくりのナレーションは現在も有効だ。人類というより、自分自身の罪深さを知らされる作品である。
 
 アラン・レネはその後、意識の流れと現実の狭間を映像化していく。「二十四時間の情事j(59年)、「去年マリエンバードで」(60年)など、「敷居の高さ」は否めなかったが、「恋するシャンソン」(97年)には驚いた。シャンソンの口パクをちりばめ、軽妙でユーモアたっぷりの映画を作っている。老境を迎えて頑固になる人、サバける人とそれぞれだが、アラン・レネは明らかに後者のようだ。

 クルーゾーは終戦後、敵国協力の咎で2年間の活動停止処分を食らっている。日本の映画監督は戦争にどのように向き合ったのだろう。軍部に屈しなかった映画人として語り継がれているのが亀井文夫だ。「戦ふ兵隊」では、リアリズムに徹することで戦場の悲劇を浮き上がらせていた。この厭戦映画がお蔵入りになったことは言うまでもない。

 成瀬巳喜男では「歌行燈」(43年)と「芝居道」(44年)を見た。前者は「滅びの美学」に通底する時代を超えた傑作だが、後者にはさすがに戦時色が窺える。かといっておもねった感はなく、毅然と撮影に臨んでいたのではなかろうか。

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一等星のその後?~オーディオスレイヴとフーファイ

2005-06-17 03:41:38 | 音楽

 浪人中ゆえCD購入は控えているが、この三十数年、ロックは俺にとっての必須アミノ酸だった、補給しないと干からびてしまうと自分に言い訳し、オーディオスレイヴとフー・ファイターズの新作を買う。ともに「その後」のバンドで、ファンは彼らの背後にかつての煌きを探している。

 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンからザックが抜け、サウンドガーデンのクリス・コーネルが加わったのがオーディオスレイヴだ。サパティスタ解放、反グローバリズムに関わるザックのラディカリズムは歌詞にも色濃く反映し、結果としてレイジのツアーに数百人のFBIが紛れ込むことになる。臨界点を迎えていたレイジが自壊し、オーディオスレイヴ結成に至ったのは必然の道筋だったといえる。

 「アウト・オブ・エグザイル」は1st同様、「柔らかさ」と「刺々しさ」が調和し、レッチリ的「枯れた感じ」も風味として加わっている。ビルボード1位というチャートアクションも納得がいくが、破綻のなさゆえ面白みに欠ける。ほぼ同時期に出たシステム・オブ・ア・ダウンの新作は、オーディオスレイヴより売れている。レイジファンが流れたのかもしれない。

 オーディオスレイヴといえば、マニックスに続くキューバ公演が話題になっているが、レイジ時代には起こりえなかった話だ。現役革命家ザックにとり、キューバなどスターリニスト国家の残滓としか映らないだろう。日本絡みでサマソニ来襲情報が流れているが、正式発表もないし、雲行きは怪しい。明日(18日)夜、スマッシュ日高代表がフジロックの「スペシャルゲスト」を明かすという。オーディオスレイヴだったら一発大逆転だが……。

 カート・コバーンの自殺でニルヴァーナが崩壊した後、デイヴ・グロールはフー・ファイターズを結成する。グラミーウイナー(ハードロック・パフォーマンス賞)となった前作から3年、自信を持って世に問うのが2枚組「イン・ユア・オナー」だ。1枚目は従来通りの王道ロックで、メロディアスで良質なポップチューンが詰まっている。疾走感と切迫感に溢れ、力強く骨太でもある。癒しと和みの音といえるアコースティックな2枚目と合わせ、バンドの奥行きを示す作品といえる。

 そのフーファイだが、フジにやって来る。97年の雨中の熱演を思い出すが、レイジが直後に空前絶後のパフォーマンスを展開したため、影が薄くなってしまった。今年のフジではコールドプレイの後だが、出し抜くチャンスもある。コールドプレイのライブは未体験だが、この手の完璧志向のバンドはアクシデントに弱いもの。台風に至らずとも風雨が激しくなれば、フーファイが貫録を示すことも可能だ。デイヴは照る照る坊主を逆さに吊るした方がよさそうだ。

 ポランスキーの「水の中のナイフ」(62年)を20年ぶりに見た。倦怠期の夫婦の隙に入り込む青年は、ポランスキー作品に頻繁に現れる悪魔といえぬこともない。青年役の俳優はカート・コバーンに似ていた。カートもまた、ロック界に降臨した悪魔だったのか。デイヴはフーファイ結成10年で、ようやくニルヴァーナの呪縛から逃れたのかもしれない。
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安保は遠くなりにけり~ダイナミズムの根底は?

2005-06-15 06:17:26 | 社会、政治

 1960年6月15日は日本の現代史上、最も重要な日である……と書いても、ピンと来る人は少ないはずだ。かく言う俺も、当時は三つのガキだったし、あくまで後学による感想に過ぎない。

 59年から翌60年に掛け、日米安全保障条約改定への反対運動が展開していた。「朝日ジャーナルの時代」を引っ張り出してみると、意外と思える記事が並んでいる。宮沢俊義氏(憲法学者)は59年11月に寄稿した一文で、国民の無関心を憂うと同時に、オープンな議論の必要性を説かれている。59年末の段階では、盛り上がりはなかったようである。

 唐牛健太郎全学連委員長と記者との質疑も興味深い。全学連主流派(ブント系)は既成の革新陣営(社共両党、労働組合)から疎まれていたばかりか、世論の冷めた目に孤立を深めていた。「時代の寵児」とは程遠く、「跳ね上がり」という評価が定着していたようだ。

 アイゼンハワー訪日反対デモを取材した江藤淳氏のルポも面白い。<反政府>ではなく<反米>を掲げ、混乱を収拾できない革新陣営にあきれているが、<反岸を反米にすりかえ(中略)国会を私しようとする総理大臣のペースにのせられてはならない>と、岸首相をもバッサリ斬り捨てている。保守派の重鎮というイメージが強い江藤氏だが、かつてはリベラル寄りだったのか。

 流れを把握していないから奇異に思えてならないが、5月19日に国会で強行採決され、終着点(6月19日に自動承認)が明確になってから、反対闘争は一気に拡大する。デモ隊が国会に突入した6月15日は、樺美智子さんの死と合わせ絵になって語り継がれている。悲劇的な結末で、鬼っ子扱いされていた全学連主流派もまた、輝ける星になって運動史に仕舞い込まれた。

 時差20年(80年前後)で安保について学んだが、吉本隆明氏の評論と大島渚監督の「日本の夜と霧」はインパクトが大きかった。共通するのは共産党批判で、運動の高揚に背を向け、党勢維持に専念して「前衛党」としての役割を放棄したという趣旨であった。説得力はあったが、世紀をまたぐと論点のズレが見えてくる。

 岸内閣総辞職後に池田内閣が誕生する。10月には浅沼社会党委員長が刺殺され、翌月に総選挙が行われた。結果は自民党が+9の296議席、社会党は-21の145議席、共産党は+2でようやく3議席……。安保闘争の広がりは投票行動に結びつかなかったようである。

 俺が何を言っても説得力はないが、安保闘争で生じたダイナミズムの根底は、革命への志向、体制への反発、反米意識ではなく、<戦争の記憶>だったと思う。56年の「経済白書」には「もはや戦後ではない」と記されていたが、あくまで生活水準に限ったものだ。原爆、空襲、戦場や軍隊で必然的に現れる狂気……。被害、加害を問わず、戦争の傷や死者の影が15年で消えるはずはない。安保改定により<戦争との距離>が縮まることを、国民は感じ取っていたはずだ。

 昨日(14日)、台湾の戦没者遺族が靖国神社への抗議活動を試みたものの、警察に制止された。<無理やり日本人として戦場に送られ死んだ者が、戦争肯定の靖国に祭られていることはおかしい>と主張し、分祀を強く求めている。また、従軍慰安婦などにつき問題発言を繰り返す中山文科相に対し、「外交上の配慮をするように」と細田官房長官が注意を促したものの、陳謝をめぐって一悶着起きていた。

 安保から45年、敗戦から60年……。日本はいまだ、<戦争との距離>を問われているようだ。<戦争の記憶>は砂粒ほどの小ささになっているが、放射性元素のように国内外に奥深く沈潜し、時に鈍い痛みを走らせている。

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岡本喜八のはてしなき境界線

2005-06-13 08:18:35 | 映画、ドラマ

 長嶋茂雄氏と俺には共通点がある。記憶の箱が壊れていることだ。サラリーマン時代、頻繁に名前――とりわけ女子社員――を誤って呼び、不興を買っていた。長嶋さんなら天才ゆえの愛嬌と許されるが、凡人にとっては何の得にもならぬ失態であった。

 混同するのは人名だけではない。若い頃、無計画に映画を見たせいか、<監督=作品>の組み合わせを正確に把握していない。顕著だったのが別項(2月21日)に記した岡本喜八作品である。幸いにして日本映画専門chで特集中であり、頭の中を整頓することができた。

 まずは、市川崑ファイルに紛れ込んでいた「江分利満氏の優雅な生活」(63年)と「殺人狂時代」(67年)。

 「江分利満氏――」は直木賞受賞作(山口瞳原作)を映画化したもので、ユーモアとペーソスを交えてサラリーマンの日常を描いている。「殺人狂時代」は奇抜な発想と遊び心に溢れた作品で、スタイリッシュな映像とミステリアスな展開が楽しめる。前者は市川監督の「私は二歳」(62年)、後者は同じく「黒い十人の女」(61年)と重なる部分があり、間違って分類していたようだ。

 比較的オーソドックスな作りから、コメディー、ドキュメンタリータッチと、岡本監督は実に芸域が広い。俺なりにベストワンを挙げるなら、「近頃なぜかチャールストン」(81年)か。

 主人公の次郎は冒頭、婦女暴行未遂でパクられ、留置場で奇妙な不良中高年グループと知り合った。彼らは戦争反対と平和主義を旗印に「ヤマタイ国」独立を宣言し、あばら家を不法占拠していた。次郎も仲間入りし、労働大臣(実態は使い走り)を任命される。8月15日を日限にヤマタイ国の存亡を脅かし、次郎の命まで狙っているのが、他ならぬ母と兄だった。ヤマタイ国周辺に、失踪した父、定年間近の警察官など多彩な登場人物を配し、テンポ良くストーリーが進んでいく。岡本監督の国家観と反骨精神が色濃く反映した作品でもある。

 森崎東監督の「黒木太郎の愛と冒険」(77年)は、疑いの余地なく岡本ファイルにしまわれていた。喜劇を作る職人である森崎監督だが、「黒木――」は破天荒な岡本ワールドに近く、主人公は型破りな言動で社会にぶつかっていく。「黒木――」主演の田中邦衛は「近頃――」でも重要な役を演じているし、財津一郎は両作品で存在感を見せつけている。岡本喜八本人が「黒木――」で怪演を披露しているのだから、自分の勘違いを弁護したくもなる。「近頃――」と「黒木――」はともにATG配給で、自らを軛(くびき)から解き放ったベテラン監督が、名優たちと一緒にマグマを爆発させた会心作といえよう。

 俺の中では<岡本喜八≒石川淳>の公式が成立している。分野こそ違うが、「聖と性」、「国家と個」、「現在と過去」、「骨太と諧謔」、「荒唐無稽と予定調和」の狭間に独自の世界を作り上げた。ボーダレスとかグローバルとか、カタカナにすると軽薄な感じになるが、岡本喜八こそ、境界線を無限の時空に広げた自由人であったと思う。

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三途の川への渡し舟?~アメリカ牛の危険な話

2005-06-11 02:04:24 | 社会、政治

 昨日(10日)、ジョハンズ米農務長官のコメントがBS1のニュースで紹介されていた。<アメリカ政府は消費者の健康を第一に考えている。一昨年12月以来、国内でBSE感染牛は見つかっていない。日本の輸入再開に向け全力で取り組んでいく>……。成長ホルモンを投与された米国産牛はEUなどに輸出できない。日本への圧力が一層強まることは間違いないだろう。
 
 この間の経緯は朝日新聞のHPでも「BSE問題特集」としてまとめられているが、どうもしっくりこない。ここ数日、北海道で2頭の感染牛が確認された。疑ってかかる必要もあるが、1年半の間、BSE感染が見つかっていない(見つけていない?)米国産牛同様、和牛の安全性も懸念せねばならなくなる。

 <O―157こそ米国産牛輸入問題の本質である>というのが俺の推論だ。門外漢の妄想かもしれないから訂正しよう。<BSE同様、O―157も米国産牛輸入問題の本質である>と……。ブログに書く以上、裏付けが欲しい。格好の味方といえるのが、エリック・シュローサー著「ファストフードが世界を食いつくす」(草思社、2001年)だ。

 日本におけるO―157騒動では、カイワレ大根やイクラが「逮捕」されたが、本家アメリカでは事情は異なる。「主犯」はあくまで牛肉なのだ。他の食品がO―157に汚染されていても、どこかで牛糞に触れたことが原因と考えられている。O―157は最も著名な菌だが、ベロ毒素を作り出す変異体は数十種類に上るという。

 <約20万人が食品由来の病気にかかり、うち900人が入院し、14人が死亡している>……。これは同書からの引用(270㌻)で、<>内の数字は一日当たりの統計だ。普通の国なら政府主導で調査や回収が進められるはずだが、実情は大いに異なる。情報は開示されず、食肉メジャーと結びついた共和党政権が、徹底的な検査や抜本的な改革にストップを掛けている。

 筆者は米国産牛を取り巻く不衛生な環境を、政府機関に身を置く者の証言や科学者の分析を交えて告発している。米国産牛の80%は肥育のため、猫や犬の死骸まで含まれた畜産廃棄物を与えられているという。草食の牛がタンパク質を与えられれば、想像を超えた病原菌が醸成される危険性もある。同書は秀逸な「ダークサイド・オブ・アメリカ論」であるばかりか、説得力あるホラーなのだ。

 同書では、ファストフード産業の伸長によるアメリカ社会の変容を、あらゆる角度から分析している。レーガン政権で反トラスト法が棚上げされ、農業でも寡占化が進行した。家族経営の農場は衰退の一途を辿り、負債を抱えて自殺するカウボーイが後を絶たない。食肉メジャーの傘下に入った養鶏場経営者の年収は1万2000㌦程度という。ちなみに、マイケル・ムーアの「ザ・ビッグ・ワン」に登場するブックチェーンの店員の年収は1万㌦を切っていた。

 前々項で「心は孤独な狩人」(マッカラーズ)を紹介したが、作品中のブラウントの言葉が甦った。<南部人の少なくとも三分の一は、ヨーロッパのファシスト国家の最下等農民と選ぶところのない暮しをし、死んでいく><そのほかにもっとひどい悪がある。(中略)大衆には、真理が見えない。毒のある嘘のために、彼らは知ることも許されてないんだ>……。ファストフード業界の劣悪な労働条件、農民や牧場主の疲弊、食品汚染の実態と国家的隠蔽が、「ファストフードが世界を食いつくす」で詳述されていた。マッカラ-ズの言葉は脱稿後70年を経ても、真実を穿っているように思えてくる。

 対米協調の小泉政権だが、米国産牛については何とかストップを掛けてきた。いずれ輸入再開になるだろうが、その時は自力でわが身を守るしかない。俺みたいな六無斎など野垂れ死んでも悲しむ者はいないが、家庭のある人、教育機関や福祉施設で働いている人は、牛肉は生産地をチェックしてから購入するなど、慎重に対処してほしい。

コメント (1)
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