酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

怒りと安らぎ

2006-06-29 02:31:45 | 戯れ言
 「俺はフリーの校正者」と言えば聞こえはいいが、能力にも営業力にも欠けており、実態は日雇い労働者以下である。浜辺に揚がった魚の如く、腐ったはらわたをさらす日が続いても、「何とかなるさ」と鷹揚に構えている。楽天家、能天気、キリギリス……。まさにホームレス予備軍だ。

 そんな俺だが、先週末から在宅&出張校正がバッティングし、寝食どころかW杯まで忘れて仕事をした。昨日朝、「眠眠打破」2本でドーピングし、中野坂上駅に向かった。ホームは通勤地獄を超える惨状を呈している。小学生で溢れ返っていたのだ。遅れて入線した電車にも、同じ年恰好の子供たちがすし詰めになっていた。エレベーターなら通過だが、通勤電車はそうもいかない。車両に押し込まれた瞬間、大声で叫びそうになった。

 過呼吸症候群に悩んでいた時期、床屋さんに行くにも覚悟が必要だった。洗髪タイムが試練だったのである。満員電車と無縁だったので大事に至らなかったが、「発作」の前兆が昨日甦った。つり革につかまって目を瞑ると、子供たちの会話が聞こえてくる。区の小学校が合同で国会見学を行うらしい。最悪の時間帯を選んだ世間知らずの教師たちに、猛烈な怒りが込み上げてきた。30分遅らすだけで、どれだけ多くの人が、殊更不快な思いをせず職場に向かえただろう。怒りの効用か、息苦しさは次第に治まっていった。

 余裕を持って家を出たのに、電車は遅れに遅れ、10時ぎりぎりに出版社に着いた。モルディブやセブの観光案内、熱帯魚たちの生態に触れているうち、怒りはどこへやら、不思議な安らぎに包まれていた。仕事とセラピーを兼ねているようで、感謝、感謝である。

 夜はデザイン事務所に在宅作業分を納品し、タワレコ新宿店でミューズの新作“Black Holes And Revelations”を購入した。キャッチーではないが、心に染むアルバムだと思う。感想ならびに「ミューズ論」は近日中に記すつもりだ。サマソニに行こうかな。チケット、残ってるんだっけ?
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Wカップ'82の思い出

2006-06-27 00:11:31 | スポーツ
 ここ数回のW杯は、仕事絡みであり、賭けの対象でもあった。試合そのものを満喫するのは82年スペイン大会以来である。

 24年前と'06ドイツ大会には共通点がある。82年大会のブラジルはジーコら黄金のカルテットを擁し、今回同様、断然のV候補だった。ユベントス騒動で揺れるイタリアだが、82年大会も深刻な事態に直面していた。エースのロッシが八百長疑惑で出場停止処分を受けており、W杯がみそぎの場だったのである。
 
 あの頃はプー、現在はフリーと個人的状況も似ている。就職(84年)後は<お気楽人間>のパブリックイメージを守ってきたが、プーの頃はニート、ヒッキーそのものだった。82年当時はW杯への関心も低く、日本時間深夜や早朝の試合は、NHKが午後に録画で放送していた。最も記憶に残る試合は、肝心な部分を見逃した1次リーグのブラジル対ソ連である。ソ連が1―0でリードの後半30分、バイトがあり、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。

 夜のニュースを見て驚いた。ブラジルが残り15分で2点を取り、逆転勝利を収めていたのだ。トップクラスの実力を維持した80年代のソ連だが、「個」の自由を認めない社会の仕組みがサッカーにも反映し、大魚を逃し続けていた。今さらながら<組織VS奔放>の「濃密な15分」を見逃したことが残念でならない。

 イタリアはロッシの不調が響き、ギリギリの戦いを強いられていた。起用し続けるベアルゾット監督も批判の矢面に立たされていたが、ロッシが突然噴火する。ハットトリックでブラジルを奈落の底に突き落とすや、準決勝、決勝で計3点を挙げ、優勝に大きく貢献した。負け犬からMVPに輝いたロッシこそ、俺の中の<W杯NO・1ヒーロー>である。

 当時のブラジルを何かに喩えるなら、手順を踏んで「勝利の女神」の心を掴まんとしていた純情な若者といったところか。恋が成就したかに思えた刹那、札付きの女たらし(ロッシ)が現れ、愛する者をさらっていく。ジーコの失意は、今回と比べものにならなかったはずだ。

 82年大会は政治の影に覆われていた。フォークランド紛争の当事国イングランドとアルゼンチンは対戦しなかったが、連帯を弾圧したソ連は、2次リーグでポーランドと相まみえる(結果は引き分け)。スタンドにはソ連批判と連帯支持の横断幕が掲げられ、世界中がポーランドを応援した。優勝国イタリアも、<マフィア=スイス銀行=法王庁=政界>の複合汚染に喘いでいた。

 さて今大会、オランダが早くも散ってしまった。好きゆえ欠点も知り尽くしている俺にとり、<想定内>の事態である。俺の中で<オランダ代表≒松井秀喜>だ。ともに<何か>に縛られ、爆発力が期待できない。オランダ代表にとっての<何か>とは、恐らくシステムだろう。バルセロナで「夢の演出者」になったライカールトの監督復帰こそ、オランダW杯Vの条件ではなかろうか。

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第47回宝塚記念~波乱の目がない壮行会?

2006-06-25 00:27:49 | 競馬
 競馬と株の決定的な違いは、インサイダー情報の効用ではあるまいか。

 村上ファンド事件で明るみに出たが、株取引におけるインサイダー情報は、ジョーカー以上の威力を発揮する。買い占めや売り抜けで利ざやを稼いだ政治家は、相当数に上るはずだ。

 競馬はというと、厩舎の取材が馬券に結び付くとは限らない。競馬場での記者席近くの投票所は、平均回収率を下回るという。この事実が、競馬におけるインサイダー情報の意味を物語っている。

 この間、ミクシィでGⅠ予想を綴ってきたが、春シーズンは意外なほど好調だった。掉尾を飾る宝塚記念は、ディープインパクト壮行会の趣で、ギャンブルより運用に相応しい堅いレースになりそうだ。

 阪神2200㍍は紛れが多く、藤沢厩舎や外国人騎手にとって鬼門だったが、今年は切れ味が生きる京都で行われる。良馬場確実で、ディープ仕様に芝が調整されたという(インサイダー情報)。ディープが負ける要素はなく、対抗も人気通りでリンカーンだ。

 アイポッパーとカンパニーが2、3着候補だ。前者は臨戦過程(目黒記念は余計)、後者は距離延長が不安だが、人気両馬を買う以上、絞るしかない。コスモバルク、シルクフェイマス、ダイワメジャーら先行勢は、ペースメーカーで終わるとみて、まとめて消した。

 結論。◎⑧ディープインパクト、○①リンカーン、▲⑨カンパニー、△③アイポッパー。3連単は⑧を1着固定で<⑧><①・⑨・③><①・⑨・③>の6点。アクシデントがあった場合に備え、馬連①⑨も少額買う。

 ディープが凱旋門賞を制覇したら、国民栄誉賞を与えてもいいと思う。錚々たる顔ぶれに馬が交じっていてもいいではないか。ポスト小泉の面々に、そんなパフォーマンスは期待出来ないけれど……。

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「品格」って何だろう

2006-06-23 01:33:04 | 戯れ言
 「国家の品格」(藤原正彦著)がベストセラーになったせいか、<品格>という言葉が独り歩きしている。

 <品格>って何と問われても、すんなり答えは出てこない。小泉首相、小沢民主党代表、石原都知事を例に挙げ、彼らに<品格>はあるのかと問われても、適度な物差しがないゆえ、答えに窮してしまう。

 数年前、面白い記事を読んだことがある。会議などで横文字を織り交ぜる頻度が高い人ほど、<品格>に欠けると記されていた。当時は勤め人ゆえ、上司の顔を思い浮かべた。ほぼ全員が<低品格>に該当したので、がく然とした記憶がある。

 かくいう俺だが、<品格>とは無縁の存在だ。裃も着ないし、背伸びもしない。<品格者>と見做されることはありえないから、人を騙すことはないと開き直っている。一方で、<品格者>に見えながら、「?」が付く人も少なからずいる。福井日銀総裁、村瀬社保庁長官、和田画伯らの来し方の業績を否定する気はないが、彼らが<品格詐欺者>であることに疑問の余地はない。

 日本人が拠りどころにするべきは武士道と、藤原氏は主張されているが、全面的に賛成する気にはなれない。塩野七生さんは騎士道と武士道を比べ、以下のように論じていた。<武士道には民を守るという発想がない。同時期の西洋では、街全体が城壁で囲まれ、騎士が非戦闘要員を守った。そのことが民主主義の萌芽になった>と。

 支配の便法に組み込まれた瞬間、武士道は桎梏と化す。典型は戦前の軍隊だ。明治以降の数々の棄民政策も、「城壁外の民に冷たい」武士階級の伝統だし、組織のために身を削る人たちも「お上絶対」の遺伝子を受け継いでいる。「五輪の書」、「葉隠れ」、「子連れ狼」などに表れる美学と精華は、個としての武士道に限られるのではないか。

 <日本の品格形成>に最も寄与したとされるのは、一万円札で睨みを利かせる福沢諭吉だが、近隣諸国では評判が悪い。福沢が説いた「脱亜入欧」はアジア蔑視以外の何ものでもなく、侵略を下支えした思想だった。<品格>とはかくの如く、切り口や角度によって見え方が違ってくるものなのだろう。

 立花隆氏が「同時代を撃つ」で記していたが、フランスでは政治家に<品格>を求めないという。人間性が歪んでいようが、異常性癖の持ち主だろうが、職分で成果を上げれば目をつむるという姿勢である。寛容というより、現実を勘案した上での知恵なのだろう。「ヘソから下は別人格」を許容しなければ3分の2はクビというのが、彼の地の国会議員の実態らしいから……。

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ザ・フーの現在

2006-06-21 01:42:54 | 音楽
 当ブログに頻繁に登場した後輩が、留学先のリーズを離れクロアチアに向かう。彼女のメールやWEB上の日記で、英国学生事情の一端を知ることができた。先日、垂涎もののライブリポートが更新されていた。6月17日、ザ・フーが「ライブ・アット・リーズ」の舞台(リーズ大)に帰ってきたのだ。
 
 フーはデビュー当時から<疎外>を追求していた。「トミー」(69年)では外部と交流を絶った少年の解放と挫折を、「四重人格」(73年)では熱狂と高揚で自らを見失った青年の苦悩と再生を描いた。両作はコンセプトとストーリーを敷衍する形で映画化され、成功を収めている。自閉、社会的不適応、トラウマ、多重人格、サイコセラピーなど、今日的テーマを30年以上も前に提示する先見性、知性には驚くしかない。フーは同時に、ライブバンドとしても傑出した存在だった。

 パンクロッカーは通過儀礼であるかのように、ツェッペリンやピンク・フロイドをこき下ろした。ビートルズやストーンズでさえ控えめながらけなされたが、フーだけは例外だった。ポール・ウェラー(ジャム)はフーの崇拝者、ジョン・ライドン(ピストルズ)はピートの飲み友達、北米ツアー(82年)で帯同したのがクラッシュとくれば、「ゴッドファーザー・オブ・パンク」の称号も当然だ。以後の世代にも影響力が強く、ノエル・ギャラガー(オアシス)、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)ら信奉者は後を絶たない。

 フーの人気が地球上で一番高いのはアメリカ東海岸だ。ヤンキースタジアムやフェンウェイパークからの中継では、フーの曲を頻繁に耳にする。今季のNBAファイナル第1戦では、「サンシャイン」から選手紹介が始まった。全米NO・1の視聴率を誇る「CSI科学捜査班」やスピンオフ(兄弟番組)の「マイアミ」、「NY」でも、「フー・アー・ユー」、「無法の世界」、「ババ・オライリー」、「バーゲン」といったフーの曲が主題歌に使われている。ニューヨーカーのスパイク・リーは、「サマー・オブ・サム」(99年)でフーへの敬意を表していた。

 生き残ったロジャーとピートは、還暦を迎えてもツアーを続け、野外フェスに登場している。ドラマーはリンゴの息子ザックだ。余談になるが、ビートルズとフーは仲が良い。リンゴはキースの理解者だったし、ポールとピートの絆は強い。36年ぶりの「ライブ・アット・リーズ」はDVD化されるという。フロアの8割を占めた50代の「元祖キッズ」は、ステージの彼方に鬼籍に入ったキースとジョン、そしてビートルズの面影をも追っていたに違いない。ロックは彼の地において、芳醇な文化である。
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サッカーと国民性

2006-06-19 01:12:30 | スポーツ
 月に数日、海洋誌の校閲を担当している。魚たちが紡ぐ美しくも奇妙なドラマに仕事を忘れ、読者気分で和んでいることも多い。登場頻度が最も高いのは小国モルディブだ。04年の地震と津波で被った痛手からも回復し、世界から観光客やダイバーが集っている。

 モルディブはイスラム教国だが、厳格な社会ではない。奔放さは恋愛行動に表れている。結婚10回以上の人はザラ、<結婚―離婚>を繰り返すカップルも多いという。戒律と国民性の棲み分けが興味深い。

 W杯に浸りながら、試合の彼方にある国民性に思いを馳せることもしばしばだ。ドイツ、スペイン、イングランドあたりは、<国民性≒サッカー>ではないか。違和感を覚えるのはイタリアだ。情熱的というイメージが強いが、サッカーになると堅くなる。オランダもズレている。ワークシェアリング推進、同性婚法可決、安楽死公認、大麻OKと、現実に即した柔軟な施策で世界を驚かせてきたオランダだが、サッカーは実にシステマティックだ。

 日本選手にさしたる個性はないが、メディアの反応には特徴がある。オーストラリアとクロアチアは、欧州トップリーグのレギュラーをズラリと揃えている。日本より強いと考えるのが冷静な分析だが、オーストラリア戦後のメディアの論調は<まさかの敗北>だった。

 日本のメディアは戦前、排外主義を駆り立て、好戦ムードを煽った。戦争とサッカーを同列に論じるのは無理があるが、<絶対負けられない戦い>と悲壮感をかき立てる手法には危うさを覚えてしまう。

 2戦を終え1分け1敗と、決勝T進出は絶望的になった。次期監督にはトルシエでも呼び戻し、無名性の<管理サッカー>に徹してみるのもいいだろう。国民は大人しいのに、サッカーだけ自由だったり、攻撃的だったりすることはありえないのだから……。

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恥ずかしながらブログ再開

2006-06-17 19:06:43 | 戯れ言
 2月末、仰々しい「結びの辞」でブログを締め、その後はミクシィで日記を公開してきた。秋以降の再開を想定していたが、随分早めに帰ってきた。「恥ずかしながら」の心境である。

 理由①…思ったより仕事が暇だから
 理由②…①ゆえ、個人的にやりたかったことが進捗しているから
 理由③…お茶漬け風に流すつもりのミクシィ日記が、脂っこくなってきたから

 この4カ月弱、不思議でならないことがあった。当ブログのアクセスIP数が、一定の水準をキープしていたからである。11日など91の端末からアクセスされ、閲覧数は200を超えていた。更新を止めたのに、多くの人が覗いてくれている。

 翻ってミクシィはというと、35人のマイミクさんが折を見て寄ってくれるが、「あしあと」は最大でも20台だ。内容が変わらないのならブログ再開と考えるのは、人並みの自己顕示欲があれば当然の帰結である。

 再開の最大の理由は、「書き殴れる」ようになったこと。その分、中身は薄くなったが、スピードは格段にアップし、時間を食わない。五十の大台を前にして、積み重ねの重要さを体感できた。

 次回からは「書き殴って」いくつもりだが、いきなりネタ切れ状態である。W杯が終わるまで、読書や映画と無縁の日々が続く。映画評などミクシィ日記からの転載(多少は拡充)もありうるが、マイミクさんはご斟酌を願いたい。

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