酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

不毛な教育論~必要なのはダイナミズム?

2006-11-29 00:43:22 | 社会、政治
 いじめ問題が頻繁に取り上げられているが、議論の大半は不毛だと思う。<学校は社会の縮図>で<子供は大人を写す鏡>である以上、大人社会を変えないで、教育現場がマトモになるはずがない。

 <小泉⇒安倍政権>は強者(アメリカや財界)におもねり、弱者に冷たい政策を遂行してきた。<政治のいじめ>を止めないで<学校のいじめ>を語っても、本質的な解決にならない。年金目減りや医療費引き上げで、高齢者の生活は逼迫の一途をたどっている。障害者自立支援法はいじめに近い希代の悪法だった。リストラと正規雇用抑制で「デジタル日雇い」や「ウオーキングプアー」が街に溢れている。こんな状況であるにもかかわらず、政府と財界は、法人税減税と「ホワイトカラー・エグゼンション」(残業代切り捨て)導入を画策している。

 いじめ蔓延を是正するには、<社会のダイナミズム>が必要だ。<強者>と<弱者>、<いじめる側>と<いじめられる側>が逆転するのは健全な図式だ。革命なんて声高に叫ばなくても、政権交代、政策転換ぐらいで、世の中は活性化する。このまま<竹中路線>が継続されたら、格差拡大はますます進行する。<いじめの食物連鎖>の常態化を経て、閉塞した<差別社会>が到来するだろう。

 憲法論でも同様だが、この国の教育についての議論は、自民党政権が永久に続くという前提で進められる。政治後進国の哀しい現実といえるだろう。先進国では保守系、社民系、左派がバランス良く勢力を維持しており、政権交代が頻繁に行われる。教育は政治から独立し、特定の勢力に与する必要はない。保守派のシラク大統領の下、フランスの歴史教育は左に舵を取った。教科書には自国民のナチス協力や戦争責任が記述されている。

 郵政造反組の自民党復党は、いじめを考える上で最悪の材料になった。少数派になっても信念を守り抜けば、いじめに悩む子供たちのお手本になったかもしれない。中川幹事長の出した条件もいじめそのものだが、お金(3000万円の政党交付金)目当てに尻尾を振った造反組に愕然とした。<矜持><気概>こそ、いじめに打ち勝つために必要な個人レベルの要素だが、政治家たちの辞書には載っていない。

 独り身の俺が何を言っても無責任な空論になるが、いじめ防止の具体策を挙げるとしたら、<1クラス20人制>だ。教員の目を行き届かせるには、20人でも多いかもしれない。当然、学校や教員の数が足らなくなる。「教育立国」の号令の下、公共事業が増え、中途を含め雇用も拡大する。いじめが減れば一石三鳥ではないか。
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今回は2本立て~ジプシーズ&JC予想

2006-11-26 00:19:00 | 戯れ言
 一昨日(24日)、恵比寿リキッドルームでロックンロール・ジプシーズを見た。ルースターズOBのプロジェクトでもあり、同世代のおやじたちも多く詰め掛けていた。ルースターズの屋台骨だった花田、唯一無二の怪物ドラマー池畑、布袋が嫉妬したという天才ギタリスト下山……。3人がアップのワンフレームで収まる位置で、ライブを満喫した。

 後期ルースターズでは火花を散らしていた花田と下山だが、ジプシーズでは様子が異なる。下山は花田を前面に立て、引き気味にバンドを支えている。轟音ツインギターと重ねた年輪ゆえの歌詞も胸に響いたが、心がそよいだのはやはり、ルースターズ時代の曲だった。「ネオンボーイ」「再現できないジグソウパズル」「パッセンジャー」に、青春期の傷が疼くのを覚えた。

 辛酸をなめ、生々流転したルースターズだが、今や神話に彩られたバンドになった。ブルーハーツ、ブランキー、ミッシェルガンらが、ルースターズの革新性、衝撃性、文学性に敬意を示したことが大きかった。ジプシーズの次回のライブにも足を運び、ノスタルジックな気分に浸ることにする。

 次はジャパンカップだ。秋華賞の稿(10月15日)で、<ディープインパクトは凱旋門賞で敗れた心身のショックが尾を引き、風船が萎んだように失速する>と予想した。天皇賞出否をめぐるゴタゴタ、凱旋門賞失格処分と、騒動続きでツキが落ちた可能性もあるが、今回のメンバーなら連軸は確保しそうだ。

 残念なのは<JCや有馬記念より香港>という図式が成立しつつあることだ。デルタブルースは検疫問題で香港ヴァーズに出走できず、渋々有馬に回る。菊花賞馬ソングオブウインドが代役で遠征することになった。JRA挙げての<ディープの花道作り>への反発と、深読みできぬこともないが……。

 ウィジャボードは牡馬混合戦ではパンチ不足だ。ノド鳴りはともかく、休み明けでハーツクライが本領発揮できるとは思えない。太めが懸念されるメイショウサムソンは、有馬に照準を定めている可能性がある。消去法でディープの相手を2頭に絞った。結論は◎⑥ディープインパクト、○②スウィフトカレント、▲⑩コスモバルク。馬連は②⑥、②⑩、⑥⑩の3点。3連単は3頭ボックスで6点。

 PATで馬券を買って仕事に向かい、時間差でレースを楽しむことになる。この秋、競馬は順調だったが、公私ともロクなことがなかった。今回は外れたっていい。

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世紀を超えたチャップリン

2006-11-24 00:07:19 | 映画、ドラマ
 ロバート・アルトマン監督が亡くなった。享年81歳である。複数の主観でストーリーを進行させ、時間と空間を切り刻む手法で群像劇を構築した。傑作、怪作ぞろいだが、「ニューヨーカーの青い鳥」と「ショート・カッツ」がとりわけ記憶に残っている。ご冥福をお祈りしたい。

 さて、本題。NHKで放映された「チャップリン 世紀を超える」は、未使用フィルム(アウトテイクス)発見を機に制作されたドキュメンタリーだった。

 チャップリンは終生、弱者の視点を失わなかったが、生まれ育ったロンドンの貧民街が原点だった。3歳まで生き永らえるのは希な場所で、這い上がる術はパントマイムだった。<演技者チャップリン>は体を張ったフィジカルな表現を志向する。サーカスの綱渡りのシーンも、2カ月練習して自ら演じていた。

 「独裁者」ではヒトラーをパロディーにしたが、<演出家チャップリン>はヒトラー顔負けの独裁者だった。アイデアが浮かべば次々試し、準備したストーリーを根本から覆している。撮影を繰り返す過程でギャクのレベルを上げる様子が、アウトテイクスに記録されていた。ドリフターズも故いかりや長介さんの下、本番ぎりぎりまでリハーサルを繰り返し、アドリブは一切なかったという。万人を笑いに誘うギャグは、身を削る作業によって誕生するものなのだろう、

 1930年代前半、チャップリンは世界を旅し、チャーチル、アインシュタイン、ガンジーらと歓談した。番組では紹介されなかったが、チャップリンは来日時、5・15事件のテロ対象者だった。相撲観戦で難を逃れたが、日本の国粋主義者は既にチャップリンを危険視していた。

 「モダンタイムズ」(36年)はフォードの自動車工場にヒントを得たとされるが、俺の妄想ではルネ・クレールの「自由を我等に」(31年)が元ネタである。「自由を我等に」では人間不要の工場まで想定されているし、2人の主人公が放浪の旅に出るラストも「モダン・タイムズ」とよく似ている。ちなみにフォードは、熱烈なナチス支持者だった。

 「独裁者」(40年)公開直前、ルーズベルト大統領自らチャップリンに圧力を掛けた。親ナチスの資本家と外交を慮ったからだが、チャップリンは屈しなかった。ヒューマニズムに溢れたラストの演説は、アメリカ国内で酷評され、チャップリンを容共的とみなす保守派からの弾圧は強まる一方だった。戦後は赤狩りの矢面に立たされ、事実上の国外追放処分でスイスに渡った。

 「独裁者」は4年前、フランスで再公開され上々の興行成績を挙げた。ベルリン映画祭でも最終日上映の栄誉に浴している。チャップリンはまさに、「世紀を超えた」普遍性を獲得している。

 「私は悲劇を愛する。悲劇の底には何かしら美しいものがあるから」――。チャップリンのこの言葉に、喜劇と悲劇を併せ持つ作品の神髄が潜んでいる。直筆のイラストには“Ⅰ stand alone”と書き込まれていた。孤立を恐れず真理を追求したチャップリンの気概は、フィルムの中に生き続けている。チャップリンの魅力を再認識できた90分だった。
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辺見庸氏の凄み~五臓六腑から吐き出す言葉

2006-11-21 09:46:56 | 読書
 存命中に限れば、最も尊敬している人間は辺見庸氏である。神髄はジャーナリストとしての著作にあるが、芥川賞に相応しい当代一の文章家でもある。その文体と精神に、高橋和巳に通底する部分を感じる。

 辺見氏は04年4月、講演先の新潟で脳出血を発症し、検査の過程で癌も発見された。意識混濁、記憶喪失に苦しみながら書き留めた「自分自身への審問」と「いまここに在ることの恥」は、自らの死と罪に向き合った「遺書」といえる内容だ。読み終えた今、氏の言葉は未消化のまま、しこりとなって胃に残っている。

 齢を重ねると牙を収め、天皇頂点のヒエラルキーに組み込まれるのが日本の風習だ。革新政治家、反骨が売りだった映画監督まで文化勲章を授かる現実に、辺見氏は怒りを隠さない。「世の中を変えようとして闘った」と振り返る団塊の世代の人間も少なくないが、彼らが主導した社会で「規範」「正義」「公正」が失われ、平和憲法が脅かされている現状を見ると、「初心」さえ疑わしくなってくる。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を実践したのは団塊の世代だが、辺見氏は警官が立っていようが、戦車が走っていようが、赤信号を独りで渡る気概を漲らせている。

 辺見氏と共通点を覚えるのは、写真家の福島菊次郎氏だ。福島氏はヒロシマを出発点に、身の危険を顧みず、反体制の側からシャッターを押し続けた。辺見氏と福島氏は、タルコフスキー作品の主人公のように、あるいは田中正造のように、孤独と絶望を噛み締めつつ、真理を求めて阿修羅の如く闘い続けている。ともに「対象」にぎりぎりまで迫る「表現者」で、地獄のような現場で「対象」を記録しながら、「表現者」として存在することの罪悪感に苛まれた。キャパのように「表現者」と「対象」との健全な割り切りができない、「日本的感性」の持ち主なのだ。

 「恥」では石川淳とチョムスキーを再度対比して論じている。石川は「マルスの歌」が発禁処分を受けた後、筆を折ってファシズムへの拒絶を示した。辺見氏はチョムスキーと対談した時、その感性が石川と対極にあることに違和感を覚えたという。チョムスキーにとって沈黙は無意味で、抵抗を示す言動にこそ意味がある。辺見氏は内なる「日本的感性」を自覚しつつ克服し、意志を形にする道を選んだ。

 辺見氏は<小泉⇒安倍>の流れに警鐘を鳴らし、追随するメディアに忌憚なき批判を浴びせている。その言葉の刃は内にも向かい、自らの五臓六腑を切り刻んで、血まみれの言葉を紡いでいるのだ。12月7日、「個体と状況について~改憲と安倍政権」と題された辺見氏の緊急講演会に参加する。辺見氏の身を削る言葉は、クチクラ化した俺の心をも震わせてくれることだろう。

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「恩」と「情」のマイルCS~笠松ワンツーはあるか?

2006-11-18 06:02:15 | 競馬
 競馬常習者になったのは20代後半だ。ホームグラウンドだったウインズ後楽園には各階ごとに縄張りがあり、常連の<小汚いオッサン>が集っていた。当時も馬券は当たらなかったが、「俺もこんな風になる」という予感だけは的中した。今の俺はパットで馬券を買う<小汚いオッサン>である。

 さんまやSMAPをCMに起用したが、若年層の競馬離れは止まらない。ファンの平均年齢は上がる一方で、今では俺と同じ50歳という。胴元(国)が多額のテラ銭(25%)を吸い取る仕組みに、利に聡い若者がのめり込むはずもない。仮想を楽しむ手段は他にいくらでもあるのだから……。

 さて、本題。本田騎手引退、ヤマニンシュクル競走能力喪失、ディープインパクト凱旋門賞失格と、余震が収まらぬ中、マイルチャンピオンシップを迎える。

 京都外回り1600㍍は枠順の有利不利はない。ここ10年の連対馬の脚質は、先行6、好位差し5、中団からの差し6、後方一気3と、バランスよくちらばっている。長い直線に備えて脚をためることが勝利の条件で、騎手の判断力の差が結果を左右する。

 皐月賞で単勝&馬連を的中させたにもかかわらず、ダイワメジャーは好きになれないタイプだった。頭打ちかと思ったが、最近の充実ぶりは著しい。ナマクラ四つの馬と決め打ち騎手(アンカツ)との好相性が、復活の理由かもしれない。五十を過ぎ、「感謝」を人生のテーマに据えた以上、皐月賞で受けた「恩」を返すしかない。2年7カ月ぶりにダイワメジャーを買うことにする。

 馬券を買い続けているのはシンボリグランだ。出遅れ癖があり、マイルは長い気もするが、「情」が移った以上、今回も買うしかない。不利があった安田記念でも7着だったし、柴山も癖馬を手の内に入れていい時期だ。ダイワとシンボリの鞍上は笠松の先輩後輩でもある。両者で決まれば、馬券は抜きにしてもドラマチックだ。

 結論◎⑩ダイワメジャー、○⑯シンボリグラン。横並びの△で①コートマスターピース、⑦ダンスインザムード、⑧ハットトリック、⑨ステキシンスケクン、⑬キネティクス、⑭キンシャサノキセキ、⑱デアリングハート。馬券は⑩⑯2頭軸で△に流す3連複7点。馬連とワイドは⑩⑯1点ずつ。単勝は⑯1点。

 二番が利かないから、今回的中する可能性はゼロに近い。女子マラソンに続き、ゆったり観戦することにする。

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仮想世界の住人たち

2006-11-15 00:44:49 | 戯れ言
 11日朝、プレステ3が発売され、量販店前には長蛇の列ができた。ゲームに全く興味はないが、ハマる気持ちは理解できる。俺自身、本、映画、音楽、スポーツに生かされている、仮想(おまけに下層)世界の住人なのだから。

 米中間選挙の投票日直前、民主党ケリー上院議員(前大統領候補)がイラク関連で失言をした。ブッシュ大統領がここぞとばかり、ラムズフェルド国防長官を前倒しで更迭していれば、共和党惨敗の流れは緩和されたはずだ。エリザベス女王杯の直線、カワカミプリンセスが距離ロス覚悟で外を回していたら、降着の憂き目を見ることなく勝てたのではないか……。ゲーム感覚とは、現れた結果に拘泥することなく様々なシチュエーションを想定し、パラレルワールドを楽しむことである。

 個人的な体験に置き換えたっていい。「あの時、強引に迫っていたら」と実らなかった恋に未練を残している男どもは多いだろう。ゲームなら「再チャレンジ」やリセットは可能である。逆の目が出て、頬をパチンと張られるかもしれないが、悔いが残るよりマシだ。

 若者にとって、今の日本は魅力があるだろうか。北芝健氏は「TVウワサの真相」で、「男を値踏みする女どもは売春婦と同じだ」と言い放っていた。政界トップの顔ぶれが示すように、閉塞した階級社会に移行しつつある。理念は嘲笑の対象になり、陰湿ないじめが蔓延しているが、ゲームの世界は違う。身を賭して守るべきものが存在し、国籍、性別、年齢を超えた参加者が、ネット対戦で技量を競っている。

 ゲームに浸る若者に眉を顰める年長の識者も多いが、「愛」「正義」「公平」が死語になった状況こそ問題だ。特権階級に属さない大半の若者は、未来を考えた時、暗澹たる気分になるのではないか。ゲームにはモラトリアム、シェルターの要素があることも否めない。

 ゲーム感覚で「核」を論じる政治家たちには失望するしかないが、「ニュース23」での石破元防衛庁長官の発言には安心した。「軍事オタク」とは俺の偏見で、石破氏は健全な保守政治家かもしれない。①核実験可能な場所がないこと、②NPT(核拡散防止条約)こそ日本外交の生命線であること、③NPT脱退が原発停止に繋がること、④日米同盟の趣旨に反すること……。石破氏は藤原東大教授とともにこの4点を挙げ、日本の核武装は不可能と断言していた。

 政治もゲームであるという。「核」を弄ぶ中川政調会長、麻生外相、石原都知事らがトップの座に君臨している以上、日本政界は三流ゲーマーの集団なのだろう。政治家たちはやらせの文科省官僚ともども、プレステ3でも購入し、正しいゲームの進め方を学んではいかがだろう。


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孝行娘たちの女王杯

2006-11-12 00:18:38 | 競馬
 ローテーション、調教、馬体重、展開、騎手の判断力など、競馬には様々な切り口がある。レースのグレードが上がるほど重要性を増すのは血統分析だが、普遍的な物差しがあるわけではない。

 例えば菊花賞。「3000㍍の適性抜群」とのメイショウサムソンの高評価に、俺もホイホイ乗ってしまった。一方で「競馬予想TV!」の水上、亀谷両氏は、「メイショウは母系(ダンシングブレーヴ)の瞬発力を受け継いだ可能性が大きい」と、距離不安を強調していた。メイショウ4着の結果にさすがと思わせた両者だが、ソングオブウインド(1着)はともに軽視していた。気鋭の血統評論家でさえ、潜在能力を見極めるのは容易ではないのだろう。

 先日、血統を検討しているうち、ある疑問に行き当たった。俺は果たして、血統に忠実な人生を歩んでいるのだろうか……。

 父系と母系の血が互いを潰し合い、中途半端に生きているというのが自己分析だ。父系は社交的に世を渡る<営業の血>で、母系は堅実な<役人の血>だが、俺はブログタイトル通り「酔生夢死」状態で、実利と無縁のご託を並べて悦に入っている。どのみち、親不孝であることは言うまでもない。

 さて、エリザベス女王杯。前置きが長くなったのは気分が乗らないからだ。秘密兵器が見つからず、人気馬を買うしかない。カワカミプリンセスが有力とみた。キングヘイローは素質(父ダンシングブレーヴ)を買われ、クラシック戦線を賑わせたが、気性難で力を発揮できなかった。カワカミは父を超えた孝行娘だが、そのキングヘイローを御し切れずダービーで惨敗し、非難の的になったのが、デビュー間もない福永だった。その福永が騎乗するフサイチパンドラは不完全燃焼のレースが続いているが、本気で走れば打倒カワカミの可能性もある。

 古馬勢ではスイープトウショウが断然だが、天皇賞時の馬体減(-12㌔)、中1週のローテ、ちぐはぐな調教、池添騎手の右手骨折と悪い材料が重なっている。今回に限り、ディアデラノビアが先着するとみた。鞍上岩田はデルタブルースでメルボルンCを制し、勢いに乗っている。

 結論。◎⑯カワカミプリンセス、○⑪ディアデラノビア、▲⑮フサイチパンドラ、△⑧スイープトウショウ。馬券は⑯1頭軸の3連単で<⑯・⑪・⑮><⑯・⑪・⑮・⑧><⑯・⑪・⑮・⑧>の計14点。最近フサイチの2歳馬に骨折が相次いでいる。関口氏ほどの運の持ち主なら、パンドラが孝行娘になって慰めてくれても不思議はない。単勝⑮、馬連⑧⑮、⑪⑮、⑮⑯も買うことにした。

 当たる自信は全くない。フーファイターズの追加公演(厚生年金会館)は1階1列目、厳しいと思っていたミューズ(東京フォーラム)のチケットも取れた。関口氏と違って運の絶対量が小さい俺に、いいことが続くはずはないのだから……。
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政治という名のショー~米中間選挙に思うこと

2006-11-10 00:29:40 | 社会、政治
 「表現者としてのプロレスラー」が前々稿のテーマだったが、政治家もパフォーマンスを競う時代になってきた。佐高信氏の言葉を借りれば、<メディアのペット化>が背景にある。小泉前首相が憲法前文を根拠にイラク派兵を打ち出した時、牙を剥いたメディアは皆無だった。政治部記者を「糞バエ」を断じたのは辺見庸氏だが、<記者クラブ>の弊害を説く識者は少なくない。

 さて、本題。ここ数日、アメリカ中間選挙の動向に注目していた。メディア(主にCNN)の現政権への論調はかなり厳しく、どん詰まりのイラク、雇用と医療保険、格差拡大が取り上げられていた。共和党大物議員のセックススキャンダルや汚職が明るみに出たことも、民主党圧勝の流れに拍車を掛けた。

 メディアの姿勢を含め、民主主義は十分機能しているかに見えるアメリカだが、根本的な疑問が消えることはない。どうして選択肢が、民主と共和以外にないのだろう。

 先日(5日)衛星第1で放映されたドキュメンタリーは、アメリカの格差拡大の実態を抉り出していた。経験豊富な警備員や看護師でも、時給は10~11㌦程度。3000万人の労働者は給料日直前、余剰金ゼロの綱渡り生活を強いられている。貧困層(4人家族なら年収200万円以下)はブッシュ大統領就任後、30%以上増加したという統計もある。好景気、株価上昇が庶民の生活と結びつかないのは、日本と全く同じ状況だ。

 イギリスでは労働党、フランスでは社会党、ドイツでは社会民主党、イタリアでは左翼民主党が中下流層の支持を得て、政権を争っている。北中欧、オセアニアでも社民系は政治の主流だ。格差社会アメリカで社民政党が認知されたら、多くの支持を集めることは間違いないが、2大政党が前提の制度上、起こりえない夢物語である。

 保守派から「容共的」と批判されたルーズベルト大統領(任期=1933~45年)でさえ、労働運動を厳しく弾圧した。マッカーシズムは特別とはいえ、平等、公平を掲げる者が有形無形の干渉を受けることは、マイケル・ムーアの作品にも描かれている。アメリカはまさしく<資本主義独裁国家>で、決まった枠組み内で展開される政治ショーは、矛盾を隠す目くらましといえるだろう。

 郵政造反組の復党が画策されるなど、日本でも政治ショーの幕が上がっている。来夏参院選は天下分け目の戦いといわれるが、<自民党+創価学会連合軍>に民主党が勝つのは極めて難しい。安倍政権は議席減を最低限にとどめて生き延びるというのが、現時点の幾分悲観的な予想だ。

 格差拡大が社会主義を育むことは、中南米の左翼ドミノを見るまでもなく自明の理だ。下流社会の住民としては、民主党が社民にシフトすることを切に願うが、小沢代表が左に舵を切ることは期待薄だ。「社会主義は時代遅れ」と主張し、<保守2党体制>を強力に推進したのが他ならぬ小沢氏だったからである。来夏の参院選は単なる「政治ショー」ではなく、ここ十数年の政治の流れを総括する「大河ドラマ」といえるだろう。


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「アモーレス・ペロス」~情熱の彼方にあるもの

2006-11-07 00:28:05 | 映画、ドラマ
 スカパーで放映された「アモーレス・ペロス」(99年)を見た。2時間半を超える大作ながら、緊張感が途切れることはなかった。アレハンドロ・ゴンザレス・イナリトゥ監督について何も知らないが、スタイリッシュかつ懐の深い驚異のデビュー作というのが正直な感想だ。ガエル・ガルシア・ベルナルは本作で注目を浴び、「モーターサイクル・ダイアリーズ」(04年)で世界的スターに駆け上った。

 「アモーレス・ペロス」は時間と空間を切り刻み、複数のストーリーラインで組み立てる<アルトマン様式>に則っている。冒頭の交通事故を留め金に時が遡り、三つのストーリーが進行する。翻訳すれば「愛の犬」のタイトルと通り、2匹の犬が重要な役割を果たしていた。興趣を削がぬよう、以下にアウトラインを紹介する。

 兄嫁スサナとの逃避行を夢見るオクタビオに、資金を稼ぐチャンスが訪れた。飼い犬コフィの才能を発見し、闘犬で大金を稼いでいく。スサナとの愛も深まり、桎梏になっていた兄ラミロを追い詰めたかに思えたが、どんでん返しが待っていた。チンピラのボスであるハロチョとの確執で事件は起き、冒頭のシーンに繋がる。

 デザイナーのダニエルは妻子を捨て、スーパーモデルのバレリアと新しい生活を始めるが、億ションの愛の巣には綻びがあった。交通事故後、バレリアの愛犬リッチーは床に空いた穴から姿を消した。リッチーはダニエルとバレリアの関係の変化を示す象徴として描かれている。

 スラムで犬たちと暮らすエル・チーボには、大学教授の座を捨てサパティスタ解放運動に身を投じた過去があった。長い獄中生活を経た今、警察関係者に雇われた殺し屋として生計を立てている。自らの存在を知らない娘マルに父としての言葉を伝えようと、エル・チーボは行動を起こす。

 メキシコは捉えどころのない国である。欧州的なサッカーとアメリカ的な野球が、ともにトップクラスの実力を誇っている。世界のボクシングを牽引する一方、土着信仰に根差したプロレスが熱狂を呼んでいる。アンビバレントな志向が共存する土壌は、政治に関しても同様だ。圧制や軍事政権の期間も長いが、20世紀のメキシコは、革命家や犯罪者が世界中から集うアウトローの聖地だった。

 謎めいたメキシコを解くキーワードは<情熱>かもしれない。「人間は愛と革命のために生まれてきた」とは太宰治の「斜陽」の一節だが、「アモーレス・ペロス」の登場人物たちも愛と革命に身を焦がしている。情熱の彼方に広がっていたのは頽廃ではなく、荒涼感漂う絶望だった。痛切なラスト、エル・チーボと魔犬コフィはいずこに向かうのだろうか。

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「表現者」としてのプロレスラー

2006-11-04 02:38:03 | スポーツ
 先月末、大木金太郎さんが亡くなった。頭突きで一世を風靡したが、得意技の後遺症(首の痛み)で引退を余儀なくされる。プロレスアナとして頭角を現した古舘キャスターは、「身を削ってリングに立つ男の哀切と恍惚」と哀悼の言葉を贈っていた。

 これも先月のニュースだが、係争中の大仁田関連の事件で、<プロレスにシナリオがあること>を裁判所が認定した。今さらの感はあるが、日本では「レスラーの演技」に否定的で、セメントマッチに価値を見いだすファンが少なくない。

 日米のエンターテインメントに対する態度の差を端的に示したのは、「報道ステーション」の松岡修造氏のコーナーだった。松岡氏はプロツアーに帯同した荒川静香を追っていた。荒川は完全な前座扱いで、プログラムに写真や名前も掲載されていない。公演後、用意した写真にサインして配る荒川に、「なかなか良かったわ。どこで頑張ってたの」とファンが声を掛けていた、観客の大半は、金メダリストを知らなかったのである。

 プロレス界でも状況は変わらない。アトランタ五輪レスリングのフリースタイルで金メダリストを獲得したカ-ト・アングルはWWE入団後、「自分にはショーマンとしての訓練が欠けている」と語り、ファーム団体でみっちりファンの反応を学んだ。一軍昇格後、カートは「表現力」とテクニックを兼ね備えたレスラーとして活躍している。

 「表現者」として天賦の才を持っていたのがアントニオ猪木だ。見えの切り方、阿修羅になる瞬間の凄みなど、鶴田浩二と並ぶ名優ぶりで、観客を惹き付ける能力は20代前半の時点で抜きん出ていた。到達した高みでは負けていないオースチンだが、挫折を繰り返した末の開花だった点に、猪木との違いがある。猪木は晩年、格闘路線におもねった。「表現者」としての栄光を打ち消すかのような姿勢が不思議でならない。

 WWEのPPV「アンフォーギヴン」のメーンには度肝を抜かれた。リング中央に立つ5㍍ほどのはしごがから転落したシナとエッジは、リング外のテーブルを一度ずつ突き破った。少しでも落下地点がずれたら、大惨事になりかねない。難易度の高いシナリオを楽々こなしていく両者の「表現力」に圧倒された。

 技術、反射神経、勇気、耐久性、瞬時の判断力、持久力、サービス精神……。アメリカの観客はこれらの要素を評価するから、プロレスラーは尊敬されている。日本のレスラーだって負けてはいないはずだ。人気回復の日は来ると思う。
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