酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ウオーキングの効用~死の淵からの帰還

2005-02-27 00:39:02 | 戯れ言

 古典落語に「黄金餅」という演目がある。人情噺に分類されてはいるが、ホロッとくるわけでもないし、勧善懲悪でもない。人の業の深さを描いた噺だが、古今亭志ん生は工夫を重ね、十八番に仕上げた。聞かせどころの一つは、葬送の列が江戸の町を歩く場面である。

 「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下を出て……」で始まり、「一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に来た時には、随分みんなくたびれた、あたしもくたびれた」で締める。時間にして1分弱、幾つもの地名が出てきて楽しめる。

 半生記の「なめくじ艦隊」によると、志ん生はよく歩いたようだ。電車賃にも事欠いたからである。市井に身を投じれば、人々の会話、流行り廃り、木々花々の移ろいに触れることが出来る。軽妙で人を逸らさない志ん生の話芸は、貧乏が生んだといえるかもしれない。

 志ん生ほどではないが、俺もテクテク歩いている。歩き始めたのは健康を取り戻すためだ。97年夏、手足が痺れ、体が動かなくなった。水分を大量に摂っても、いつも喉が渇いている。気力は失せ、精神的にも瀕死の状態だった。

 近くの内科医院に駆け込んだ。検査の結果、全項目が赤で、臨界点の2倍、3倍の数値もあった。「ここに来るのが1カ月遅かったら、糖尿病か脳溢血で倒れていただろう」と、医者は病状を分析してくれた。原因は糖分の過剰摂取である。80年代半ばから十余年、俺ぐらいコカ・コーラボトラーズに貢献した消費者はいないはずだ。アメリカ人みたいに訴訟は起こさないから、表彰状の一枚ぐらいくれないだろうか。

 あの頃の休日――それも暑い時期――の食生活を再現してみる。昼過ぎに起き、夕方にそば屋をはしごする。大盛りそばを計2枚、いや、3軒で3枚ってこともあった。帰途、スーパーに寄り、スプライト1・5㍑、ピーナツチョコにあられ、あずきアイス1箱(5~6本入り)を買う。夜はコンビニで弁当2個、ファンタオレンジとウーロン茶をそれぞれ1・5㍑、さらにポップコーン1袋を購入する。寝るまでに殆どを消費した。

 異常に走った理由を思い巡らすと、20代後半までの貧乏生活に行き当たる。一人でも苦しいのに、猫が迷い込む。アパートの立地条件も最悪だった。目の前が酒屋、右向かいがパン屋、左隣が米屋で、あらゆる種類のジュース自販機が立ち並んでいた。飲みたい、でも、おにぎりとキャットフードが先……。あの頃「銭形金太郎」が制作されていたら、恥も外聞もなくエントリーしただろう。

 就職して経済的に楽になると、反動でジュースを買い漁った。その積み重ねで、上記の食生活に至る。なぜ会社の健診を受けなかったか、訝る向きもあろう。最大の理由は、血液検査への恐怖だった。あやしい病気や習慣――思い浮かぶものは各自異なるだろうが――が、万が一にも発覚すれば、目も当てられない。

 97年に話を戻す。赤点だらけの通信簿を突き付けられ、「生死の狭間」とまで脅されたら、奮起せざるをえない。一日に1時間ほど歩くことにした。食生活も改善する。炭酸飲料は月1回、アイスクリームは断って、野菜を摂るようにした。生まれて初めて節制し、1カ月ごとに検査する。数値はどんどん下がっていった。半年余りで赤点をすべて消し、「学会で発表したいぐらいだよ」と医者に言わせしめた。

 こうして、歩くことが生活の一部になった。歩いていると、いろいろなことに気付く。「消えた猫たち~哲学堂公園にて」の項で、「猫も鳩も減った」と書いたが、俺の観察は正しかった。都はカラス撲滅に成功したが、カラスを天敵にする鳩が増えた。その結果、鳩のフン害による苦情が殺到し、都は昨年末から捕獲に努めているという。

 俺は今、視線を上げて歩くよう心掛けている。カラスと鳩が減れば、得をするのはスズメだ。大量発生したスズメが電線を揺らしている場面を、いち早くキャッチしたい。

 先週当たったから、調子に乗って競馬予想を。中山記念は⑭トーホウシデンから④エアシェイディ、⑥メイショウカイドウに。阪急杯は⑤カリプソパンチから⑩ギャラントアロー、⑪ゴールデンロドリコに。確実に外れるだろう。
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「一神教」と「二進法」~日本文化を壊すもの?

2005-02-25 16:15:10 | 社会、政治

 寝屋川で起きた小学校襲撃事件について、さまざまな分野の専門家が発言していた。その中に、「最近の少年たちは疲れてくると、白か黒かに分けてしまう傾向がある」という分析があった。

 1980年以降、流暢に英語を話し、ロジックを巧みに用いる和製アメリカンが有能と目されるようになる。成果主義の輸入と作業のマニュアル化も、この頃に始まった。並行して、アナログからデジタルにツールが切り替わる。結果として、「一神教」的思考と「二進法」的感覚が、社会の主調音になった。

 入社した20年前、一家言ある風変わりなおじさんたちと席を並べていた。頑固おやじ、ボヤキ好き、世捨て人、インテリ風……。棲み分けはあったが、互いを尊重する、鷹揚でいい加減な職場だった。平均年齢が下がるにつれ、論理で他者を否定する傾向が強まっていく。退社する頃、正しさの定義が数人単位で異なる「タコツボ社会」と化していた。

 白か黒、敵か味方、正か邪……。若い世代が「こちら」と「あちら」を峻別する傾向は、ブログ界の左右激突にも窺える。だが、「疲れていない大人」の俺も、決め付けによって思考停止に陥ることは多い。以下に典型的な例を示したい。

 光州事件が起きた1980年、韓国の軍事独裁政権を容認する日本政府に対し、俺も抗議の声を上げていた。その後、韓国とフィリピンの民主化が軌を一にして進行する。俺は感銘を受けつつ、事態の推移を見守っていた。当時知る由もなかったが、独裁政権打倒→民主化の流れを作ったのは、悪の根源と断じてきたネオコン人脈だったのである。

 この事実を知り、脳天直下の衝撃を受けた。同時に、物事を複眼的に捉える必要性を教わった。とはいえ、アメリカの掲げる「自由と民主主義」はご都合主義のダブルスタンダードで、内政干渉の意味合いが強いという確信が揺らぐことはないが……。

 さて、明日は2月26日。69年前のこの日、青年将校がクーデターを目指して決起した。彼らが心酔していたのは、三島由紀夫や岸元首相にも影響を与えた北一輝である。

 北一輝は幸徳秋水らと交友があったが、大逆事件への連座を逃れ、中国に渡り、辛亥革命や五四運動に積極的に関わった。尖鋭な革命論に、トロツキーとの共通点を指摘する声もある。革命に必要な武力の担い手を下級兵士に求めるなど、現実を見据える力もあった。皇室崇拝者(見せ掛け)にして社会主義者、法華経に傾倒する仏徒、世界的視座を持つ革命家、大アジア主義者、夢想家かつリアリスト……。その世界は迷宮のような広がりを持っている。

 そもそも日本は八百万の神の国で、多様性を認める風土なのだ。複層的な多面体であることが、日本的偉大さの証明なのだろう。北一輝以外に同様の資質を持った思想家を挙げれば、田中正造、南方熊楠、宮本常一といった辺りか。いずれも「一神教」や「二進法」では測れない怪物たちだ。

 日本の土壌に根差し、言葉を超えて精神を感応させる巨人は、21世紀に現れないような気がする。
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サッカーとの微妙な関係~CL再開の日に

2005-02-23 03:05:38 | スポーツ

 人生を振り返り、結果が逆だったらと思うことは幾つもある。スポーツで選ぶなら、74年W杯、地元の西ドイツとオランダとの決勝戦だ。当時は熱心な野球ファンで、サッカーといえば地元ヤンマーの試合を数回見た程度。そんな俺でも、クライフ率いるオランダに心を奪われた。

 ドイツ人以外の何億というサッカーファン――初心者の俺も――は、輝きに満ちたオランダを応援した。逆の目が出た時、頭をぶん殴られたようなショックを覚えたものである。救いなのは、オランダ革命の日々として大会が記憶されていることか。06年ドイツW杯で、オランダが32年前の雪辱を果たす場面を、既に思い描いている。

 世界のサッカーに触れる機会が増えたのは90年以降。WOWOWがセリエAを中継したのは大きかった。情報を仕入れるほど、頭が混乱してくる。W杯が最高の権威と考えていたが、次第にあやしくなってきた。クロアチアは戦乱をくぐり抜け、98年フランスW杯に出場したが、エースのボクシッチは「自分にとって最優先はW杯ではなく、ラツィオでのリーグ制覇だ」と言い切っていた。

 「W杯を超える」がウリのヨーロッパ選手権だが、尻込みする選手が多いのも理解出来る。疲れ切った体に鞭打つほどのモチベーションが見いだせないのだろう。無名軍団ギリシャの優勝も、必然の結果といえるかもしれない。

 トップクラブと所属選手が目指すのは、チャンピオンズリーグ(CL)と国内リーグの優勝だ。両方ダメになった時に備え、国内カップもおろそかに出来ない。目標が状況によってどんどんスライドしていく。おまけに、選手たちの多くは各国代表でもある。二兎どころか、三兎も四兎も追う状況で、心身に掛かる負担は大きい。

 そんなこんなで90年半ばから、NFL>欧州サッカーと、俺の中で序列が定まった。NFLではチームも選手も、スーパーボウルVに至上の価値を置いて戦っている。かつてのエルウェイ、現役のブレイディーといった名QBは、サラリーキャップ制度の下、志願して低年俸でプレーしているほどだ。米メジャースポーツの「一兎を追う」システムは、単純でわかりやすく、感情移入も容易である。

 WOWOWが開局した頃、特番で当時インテルに所属していたマテウスとクリンスマンにインタビューしていた。
Q「アメリカのスポーツ選手みたいに、ビッグマネーが欲しいと思いませんか」
A「サッカーという世界一のスポーツで、僕たちは誰にも負けない敬意を勝ち取っている。お金なんて必要ない」

 サッカーじゃドイツは「敵国」だけど、あの時ばかりは格好良さに痺れたものだ。あれから十余年、サッカー界はどうなってしまった? 選手は金にまみれ、体はボロボロ。W杯や欧州選手権では、強豪国が無残な試合を見せている。臨界点は近づいている。衆知を結集してサッカー版「京都議定書」を策定しないと、競技自体の価値が揺らいでしまうのではなかろうか。

 なーんて文句を言いつつ、CLの決勝トーナメントをスカパーで楽しむことにする。無職ゆえ、たっぷり時間もある。応援するのはマンチェスターUとバルセロナだ。マンチェスターはロックの都。ジョイ・ディヴィジョン、ニューオーダー、スミス、プライマル・スクリームにオアシスとくれば、応援せざるをえない。バルセロナといえば、儚く散った共和国の首都であり、クライフともゆかりのある土地だ。

 ちなみに、俺の本命はインテル。国内リーグで優勝の可能性が低い分、全力投球出来ると考えているのだが……。
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七色の貌を持つ男~鬼才の死を悼む

2005-02-21 02:41:16 | 映画、ドラマ

 19日、岡本喜八監督が亡くなった。冥福をお祈りする。重いテーマを見事に捌き、軽妙な作品に仕上げる鬼才だった。

 若い頃、名画座やオールナイトで手当たり次第、映画を見た。脳内の仕分け人が優秀なら、作品は監督別にきちんと整理されているだろう。でも、俺は曖昧にしか物事を覚えられない。岡本監督の部屋は、居候がゴロゴロしてるわ、居るべき人が家出してるわと、大きな混乱を来していた。作品によって印象が大きく違うせいもあるだろう。以下にぼんやりした記憶を辿りつつ、岡本監督作品を分類してみた。

 第一に、デビュー間もない頃の作品。当時は「スターシステム」の時代で、ベテラン監督でないと自分の色を出せなかった。岡本監督も同様である。

 第二に、破天荒なパワーと諧謔に満ちた作品群。「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」は中国戦線を舞台にした戦争映画だ。正編は戦場の狂気をサラリと描き、続編はコメディー色が濃い。「肉弾」は終戦の日、「吶喊」は幕末を舞台にした青春群像劇だ。ともに死ぬことを運命付けられた若者たちが描かれており、戦中世代の反骨精神が見え隠れする。「ダイナマイトどんどん」はヤクザ映画を題材にした傑作パロディー。「近頃なぜかチャールストン」は、「国家と個人」という奥深いテーマを扱った快作だ。「ジャズ大名」は荒唐無稽、抱腹絶倒の反戦映画か。「大誘拐」は完璧なエンタテインメントで、北林谷栄演じる刀自の台詞に、監督自身のメッセージが込められている。これら以外にも、DVD化、ビデオ化されていない絶品、佳品は多い。

 第三に、「江分利満氏の優雅な生活」「殺人狂時代」など、市川昆監督に通じるクールでオーソドックスな作品。代表作に挙げられるドキュメンタリータッチの「日本のいちばん長い日」もこのジャンルだろう。

 岡本監督は職人ゆえ、題材が何であれ一定のレベルに達しているが、熱烈なファンが物足りなさを感じる映画もある。また、俳優、脚本家、制作者として関わった作品も多い。「黒木太郎の愛と冒険」(森崎東監督)など、面白さに加え、本人が出演していることもあり、昨日まで岡本作品と勘違いしていた。

 追悼特集と銘打ち、テレビで何作か放映されるだろう。近作など未見の映画も多いから、ガイド誌をチェックしておきたい。残念ながら、俺の一押しである「独立愚連隊」と「独立愚連隊西へ」がラインアップされることはないだろう。チョゴリを着た従軍慰安婦が登場するからだ。

 さて、ブログに書いた通り、土曜(19日)夕にOGたちと会った。久しぶりだったが、屈託ない会話で盛り上がり、楽しいひとときを過ごすことが出来た。皆さん、多少ふっくらしていたが、キツネとタヌキの分類は以前と同じだった。そして、前回の競馬ブログ。俺などG1しか予想しないのに、競馬ファンから多くのトラックバックを戴いた。どうもありがとう。おまけに予想も的中したから、言うことなしである。

 南風に慣れていないから、悪いことが起きないか心配である。働いていた頃、ささやかな幸運のツケは、仕事の失敗で払っていた。無職の今、何が起きるのだろう。足を挫く? 財布を落とす? パソコンが壊れる? 当分は謙虚かつ慎重に振る舞うことにする。
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世代交代の予感~フェブラリーSは4歳勢で

2005-02-19 01:36:43 | 競馬

 競馬予想をメーンに据えるのは昨年末以来だ。スパイキュールの故障とマイネルセレクトの回避は残念だが、フェブラリーSには好メンバーが集まった。今年最初のG1は、「世代交代」をキーワードに可能性に賭けることにする。

 まず、消さなければならない。物差しはメイショウボーラーだ。ガーネットS、根岸Sで完敗した馬たち、①ストロングブラッド、④カフェオリンポス、⑧サイレンスボーイ、⑫ハードクリスタル、⑮トップオブワールドの5頭には「サヨナラ」を言うしかない。2年ぶりのダート戦になる②ヘヴンリーロマンス、前走で疲れが出た⑪ピットファイター、交流戦で賞金稼ぎをしている9歳馬⑬ノボトゥルーの3頭も厳しいだろう。

 腹を括って人気馬も消す。⑥タイムパラドックスはここ16カ月、休みなく使われ17戦7勝、2着1回と安定している。でも、連対は1800~2300㍍戦だし、武豊騎手をもってしても、東京マイルでは厳しいのでは。さらに、⑨ユートピア。メイショウに機先を制せられ、粘っているうちに後続に差される気がする。

 4歳勢に期待して、◎⑭メイショウボーラー、○⑦シーキングザダイヤ、▲③アドマイヤドン、☆⑤パーソナルラッシュ、△⑩ヒシアトラス。メイショウを軸に3連複、3連単を考えている。⑦シーキングの鞍上ペリエが有馬以降、絶不調なのは気になるが……。

 注目は⑤パーソナルだ。3歳9月に古馬混合重賞に勝ち、BCクラシックにも挑戦している。ゲート、東京大賞典凡走と不安はあるが、超大物に育つ可能性もある。調教評価は真っ二つだ。あるスポーツ紙は大絶賛、ある専門紙には「動きが悪い」と書いてある。俺は前者に乗り、馬連流しも考えている。

 18日、イギリスでキツネ狩りが禁止された。動物愛護の精神と人道的見地から、労働党が多数を占める国会で議決されたのである。キツネはともかく、狩猟用の馬、その種牡馬はどうなるのか、気になるところだ。

 キツネといえば19日夕、辞めた会社のOGたちと一席を設ける。「リッチなOGが無職中年を支援する会」にしたかったが、現実は甘くない。いや、自業自得というべきか。女子社員をキツネとタヌキに分類し、「おまえはキツネだ。男を騙すぞ」とか、暴言の限りを尽くしていたのだから。

 ちなみに、集う予定はキツネ3人、タヌキ1人、中間が1人。かつてのキツネも三十路を超え、内面も外見も円くなっているかもしれない。「タヌキに化けたな」と言ったら、許してくれるだろうか。

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「崖に咲く花」or「砂漠のオアシス」~NGOの現在

2005-02-17 00:20:38 | 社会、政治

 14日、NGOの集まりに参加した。会社時代の後輩が所属する組織である。テーマは「イラクとスリランカの現状」で、スライドを交え現地スタッフの報告を聞いた。以下に、内容を記したい。

 まずは、戦禍が癒えぬイラクについて。このNGOはユニセフと連携し、学校修復に取り組んでいる。アメリカの空爆や対イラン戦争で、多くの学校が破壊された。再建なった教室での子供たちの笑顔が印象的だった。

 学校修復となると、机や椅子が必要になる。安価で流入する中国製を搬入すれば手っ取り早い。だが、NGOは雇用確保という観点で、イラク人が作製したものを使うよう関連部署に働きかけた。NGOは自助精神を生み出すモチベーターの役割も果たしている。

 手に負えないのは治安の悪化だ。折衝窓口の役所もテロの標的で、イラク人スタッフも公然と英語を話せない。政治色のない営利誘拐が横行し、欧米人や日本人はその対象になっている。これらの事情で、世界各国のNGOは、イラク事務所をヨルダンの首都アンマンに移した。

 日本に伝わらないバグダッドの現状も知ることができた。フセイン時代は安定していた水道、電気、灯油の供給が現在、大きく滞っているという。冬のバグダッドは氷点下になるというから、市民生活は大変だ。原因は限定できぬらしいが、反米に根差した政治的サボタージュという見方もある。選挙は終わったが、スンニ派とシーア派の対立、クルド人の位置づけなど、解決が難しい課題が山積している。

 津波被災地スリランカでも、NGOの果たす役割は大きい。物資の流通、医療の補助、家屋再建の協力は言うまでもない。だが、物理的な援助より、精神的な励ましの方が意味を持つこともあるという。家族を亡くして喪失感に苦しむ人たち、トラウマを抱えた子供たちへのメンタルケアも、NGOの作業の一環なのだ。仏教が国教的扱いを受けているスリランカだが、多くの宗教がせめぎあっている。被災者の共同生活で配慮すべき最大の問題は、信者間の軋轢であるという。

 3人のスリランカ人留学生が、先生と一緒に参加していた。被害を聞いて帰国した学生が、現地の様子を日本語で説明してくれた。彼らは学校全体を巻き込み、自前の救援活動を展開している。これこそ真の国際交流といえるだろう。NGOだけでなく、友好的な日本社会にも感謝の言葉を述べていた。

 厳しい環境下、NGOは命懸けで奮闘している。だが、善意と良心を束ねても、むき出しの国家のエゴ、民族間や宗教間の対立で、憎しみが日々噴き出している。NGOはまさに、崖に咲く花であり、砂漠のオアシスといえるだろう。

 某グループ総帥が典型だが、日本の金持ちは財布の紐を締めるだけで、社会的貢献に価値を置いていない。結果として、多くのNGOは資金的に苦しく、活動の幅も縮まってしまう。また、日本には国としての理念が存在しないから、対立が渦巻く世界で体を張るには、かなりの覚悟が求められる。ちなみに、当該NGOのメンバーは殆どが女性だ。「和魂」は今や、女性のものになりつつあるのかもしれない。

 話は変わるが、最近、ブログを始めて良かったと感じたことがあった。スーパーボウルの一文に、多くのトラックバックを戴いた。来季は予想の段階から交流したいと思った。と同時に、ある疑問が頭をもたげてきた。皆さんはどこで俺のブログを見つけたのだろう? 悩んだ揚げ句、「キーワード検索」という機能を知った。インディーズブログを自負する以上、営業は控えていたが、4カ月経って気付くとは、恥ずかしい話である。

 知ってしまうと試したくなる。マニックスについて検索し、TBを送ってみると、多くの方からお返しやコメントを戴いた。日本じゃマイナーなマニックスだが、コアなファンが多いことを知り、大いに感激した。来月はソニック・ユース。同じような反響はあるのだろうか。
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遠くて遠い国フランス~ナショナリズムと自由の調和

2005-02-14 15:44:34 | 社会、政治

 以下に三文芝居のシナリオを。
 
 団地のある棟玄関、F男が佇んでいる。J子がヒールの音を立てて近づいた。
J子「あら、F男さん、どうしたの」
F男「お話ししたいと思って」
J子「A男が来るまでならいいけど」
F男「最近、格好も言葉遣いも変です。昔のあなたはどこに消えたのですか」
J子「しょうがないわよ。A男の趣味なんだから」
F男「あなたみたいな人が、粗暴なA男なんかと」
J子「惚れてるんだから仕方ないの。こっちから喧嘩売って、ひどい目に遭ったりしたけど、仲直りしてからはベタベタだし」
 駐車場からA男が現れる。人目を憚らずキスする二人の背後、F男はすごすご消えていく。
A男「俺はF男みたいに理屈っぽい野郎は大嫌いだ。おまえ、まさか……」
J子「F男さんは紳士よ。あんたこそ怪しいわ。6棟合同自治会じゃ、C子に遠慮してるじゃない。C子、あんたに突っかかってるけど、見えないとこじゃ……」
A男「おいおい、疑ってるのか。俺はC子みたいなわがまま女、大嫌いだ」
 嬉しそうにしなだれたJ子を抱き上げ、A男は階段を上っていく。

 言うまでもないが、A男はアメリカ、F男はフランス、J子は日本、C子は中国である。

 1920年代の駐日大使クローデルについては別項で紹介したが、有名無名を問わず、フランスには親日家が多い。禅、武士道、伝統文化、映画、アニメ、ゲームなど、あらゆる分野で「日本オタク」が存在するという。片思いされている日本人はというと、フランスについてさほど詳しくはない。だが、マスコミの報道を見る限り、フランスは日本と異質な社会に思えてくる。

 フランス人に驚かされるのは、過剰とも思えるナショナリズムだ。「ラ・マルセイエーズ」が流れると肩を組み、自らを「ラ・グランド・ナション」(偉大な国民)と呼んで涙ぐむ。保守派からトロツキストまで、上流階級から労働者まで、階層や思想を問わないのである。

 こういう国は失敗を認めないものだが、フランスは違う。1980年以降、ドイツ占領時代のナチスへの協力が歴史教科書に取り上げられている。先月、アウシュビッツ解放60周年式典が行われた。記憶が薄れたのか、ニュース番組の放映時間は当事国ドイツでさえ計17分、アメリカではたった3分だった。ところがフランスでは2時間近くが割かれ、「自らの過ち」をも提示したのである。

 アラン・レネ監督の「夜と霧」公開に際して政府が介入した事実が、公開50年後に明らかになった。フランス警察のナチス協力を証明するスチール写真が公開時、政府の指示で改変されたという。事は映画だけに済まされない。警察官僚のトップに登り詰めた者が21世紀に入り、ナチス協力の咎で告発され、収監されたのだ。

 日本の一部論者――いや、今は多数派か――なら「自虐史観」と目くじらを立てそうな歴史の書き換えが、国を挙げて行われている。もちろん、フランスには冷徹な戦略と野望がある。血を流すことによって民主国家としての信頼を勝ち取り、アメリカに対抗するという……。フランスの試みは成果を上げ、EUでの発言力は増す一方だ。

 先週末、入試改革をめぐってフランス各地で10万規模の高校生がデモをし、政府側が譲歩したという記事を読んだ。日本では考えられないことだが、フランス滞在が長かった友人によると、10代の少年少女のデモなど珍しくないという。彼いわく「向こうの三つの子供の方が、日本の大人より自己を主張する」……。

 フランスでは、確立した個と自由がナショナリズムの単位になっている。日本とは成り立ちが違うが、新たな国の形を志向する時、ヒントになるかもしれない。

 ブログに書いた中曽根氏と大江氏の番組は、個別に収録した映像をカットバックしただけで、見るべき価値は全くなかった。節度を保ちつつ、互いの意見に異を唱えるという「闘論」のお手本を期待したが、見事に肩透かしを食らってしまった。

 今日は夕方からNGOの報告会に参加する。俺には珍しく、実り多いバレンタインデーになりそうだ。
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清冽さと温かさ~マニックスに感じたもの

2005-02-12 07:45:01 | 音楽

 ブログに書いた通り、泣く予感はあった。10日、渋谷AXでのマニック・ストリート・プリーチャーズ。クチクラ化した俺の心を熱く潤してくれた。

 前座が終わり、マニックス用にセットが変わる。真ん中にジェームズのマイクスタンド、その後ろにショーンのドラムセット、向かって右に飾り付きのニッキーのマイクスタンド。あれ、左側がガラ空きではないか。3人編成なのに、どうして? 謎はすぐ解けた。そこに立つべき男がいる。生死も定かではないリッチーだ。開演前、俺は既に涙ぐんでいた。

 “Lifeblood”の1曲目、“1985”で幕を開ける。繊細な感じの新作収録曲も、ライブでは骨太の味付けが施されていた。3曲目は“If you tolerate this your children will be next”。スペイン市民戦争時に描かれた共和国軍のポスターから着想を得たという。いかにもマニックスらしいが、美しく切ないメロディーに胸がかきむしられた。

 ソプラノにアルトが加わり、ジェームズのボーカルは説得力を増していた。ヒマワリというかケシというか、毒々しいニッキーの存在感も強烈だ。若者たちにとってマニックスは「知的なグリーンデイ」なのか、会場のボルテージも上がる一方だ。二つのバンド、意外なことに平均年齢は三つしか違わないのだが……。

 リッチー作詞のピストルズ賛歌“You love us”で興奮は高まり、“Motorcycle emptiness”の大合唱に、俺もちょこっと参加する。ラストはリッチー失踪後、最初に作ったという“A design for life”。ジェームズがマイクスタンドを空っぽの左に移す。「リッチー、一緒に歌おうよ」と言いたげに。涙腺が決壊し、洪水になる。まずい、マニックスはアンコールなしだ。メンバーがステージから去ると、すぐに明かりがつく。ゴシゴシ顔をこすって会場を出ると、冬の夜風で涙を乾かし、徒歩で帰宅した。

 どうしてこんなにマニックスに魅かれるのだろう。パンクでありながら情感溢れるメロディー。詩人を兄に持つニッキーと、太宰まで読み込んでいる読書家ジェームズが紡ぐ奥深い詩。そして、悲劇的なドラマの数々……。

 “This is my truth tell me yours”のライナーノーツの冒頭、「不幸であり続けることがバンド存在の理由」と書かれていた。的を射ている。スキャンダラスな発言や奇行の数々で、マニックスは英国で最も嫌われる「負け犬バンド」になった。反抗を体現していたリッチーが姿を消した95年とは、毒消しされたブリットポップの興隆期である。マニックスは終わったと、誰もが思った。

 4作目“Everything Must Go”で状況が一変し、次作“This is ~”との2枚で「UK国宝バンド」に駆け上った。頂点を極めた様子は、DVD化された99年大晦日のライブ映像に収められている。新ミレニアムのカウントダウンをBBCが中継した。ジェームズは「世界で20億人が見てるぜ」と5万人の観衆にカマしてたっけ。ヨーロッパ諸国に豪州やNZを合わせても、せいぜい2億人ぐらいだと思うが……。

 広く支持を得ると円くなるものだが、マニックスは尖鋭さを増していく。ミレニアムライブでは社会主義労働者党(SLP)代表が大画面に登場し、メッセージを伝えていた。SLPとはオルタナティブ左翼、革命的左翼の一党派で、地方議会はともかく国会に議席を得ることなどありえない。でも、マニックスは公然と支持を表明している。

 サパティスタ解放闘争、反グローバリズム運動を担いつつ、音楽的にも前衛だったレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンが「自壊」した今、マニックスに懸かるものは大きい。その知性と攻撃性ゆえ本国で最も愛されるバンドも、日本じゃ受けないまま終わるのだろう。おかげであのマニックスを間近で見ることが出来る。「よし」としなくては……。
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憂国とナショナリズムの現在~11日を前に

2005-02-10 16:47:29 | 社会、政治

 なんて、大上段に構えても、俺の刀は竹光ほどの切れもない。とはいえ、11日を前に感じたことを述べてみたい。

 憂国というと、保守側の論理と考えられているが、1970年以前はそうでもなかった。

 戦前、農村の疲弊を目の当たりにした若者は、憂国の思いに駆られ変革を試みた。彼らが弾圧を経て辿り着いた国家社会主義とは、「天皇親政の下、万民の平等を目指す」という思想である。「マルクス主義」「民主主義」と「天皇親政」の違いはあるものの、「万民の平等を目指す」という目的は同じというのが転向の論理だった。ちなみに「アカ」とレッテル貼りされた転向者、偽装転向者の多くは、関東軍関連の部署や特務機関で働いている。思想の左右はともかく、彼らを「憂国の士」と認知する寛容さ(いい加減さ)が保守の側にあった。

 戦後、GHQが右に舵を切ると、共産党は反米愛国路線に転じる。三島由紀夫はこの辺りの経緯を「公然たる民族主義は、革命の空想と癒着した」と「文化防衛論」で述べている。ちなみに三島は、三派系全学連の反基地闘争を「ナショナリズムの糖衣をかぶったインターナショナリズム」と規定していた。三島の分析が百%正しいとは言わないが、左翼の論理が民族主義やナショナリズムを内包していたことは間違いない。

 状況を決定的に変えたのは三島の自決だった。70年11月25日以降、憂国、愛国は保守、民族派の専売特許となる。

 当時、数万人を動員した学生集会では「最後の血の一滴まで闘い抜くぞ」といったアジテーションが響き渡っていた。三島は自らの純粋さゆえ、「こいつら、体を賭す覚悟でいる」と深刻に受け止める。機先を制する意味で、凄まじい死に様を提示したのだろう。

 三島を焦らせた若者はその後どうなったか。何も血を滴らせる必要はないが、初心を忘れず世の中を変えようとしたのだろうか? ほんの一部の人を除いて、NOである。多くは政治活動で得た小知恵やロジックを用いて世を渡り、社会のイニシアティブを握った。今日、かつて彼らが「反動」と一刀両断した思想が、日本の主流になった。この現実こそ、団塊の世代の力のほどを示している。

 岸元首相の孫であり、思想的にも直系の安倍氏が、次の首相候補である。もはや保守派が、憂国を唱える必要はない。憂国はむしろ、中堅より左のリベラルからラディカル、反米を唱えてファウルラインを越えた新右翼の看板になったのではないか。

 最近、「女性天皇」の地ならしが行われている。皇室典範会議で座長を務める吉川弘之氏は、「国民がそれ(女性天皇)を望むならその方向で」と話していた。天皇制に美学と価値を見いだした三島など、生きていたら卒倒したに違いない。俺はといえば、天皇制がこの国の桎梏と考えたこともある「非国民」だが、それだからこそ、契約みたいに語られる皇室の軽さに衝撃を受けた。

 ナショナリズムが必要で、皇室がその軸たりえないのなら、崇高かつ普遍の理念を準備せねばならない。一番まずいのは、「反○○国」「反○○主義」というように、アンチが軸の相対主義に陥り、ナショナリズムを堕することだ。

 昨日(9日)、W杯予選の北朝鮮戦が行われた。試合も面白かったが、サポーターのフェアかつ友好的な態度に感銘を受けた。日本が成熟した社会であることを世界に示せたと思う。この辺りに、日本が掲げるべき理念のヒントがあるのではなかろうか。

 12日夜、衛星第1で興味深い番組が放送される。中曽根康弘氏と大江健三郎氏が戦後60年や憲法について語り合う企画だ。対極にある両者がどのように議論を進めるか、後学のためにも見ておきたい。
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スーパーボウル観戦記~落胆×虚脱の結末

2005-02-08 03:41:45 | スポーツ

 目が覚めると午後2時。結果を絶対知らないために、パソコンは立ち上げない。携帯も切った。イーグルスの勝利を念じつつ、録画したスーパーボウルを見る。

 第1クオーター(Q)は、イーグルスの自滅がペイトリオッツの反則で相殺された形。お互いDF陣の健闘が目立っていた。第2QにイーグルスがTDを奪い、このまま前半終了かと思いきや、痛いミスが出る。平均より15yd短かったパントが、結果的に勝敗を分けたと思う。TDを奪われ、仕切り直しとなった。

 ハーフタイムショーはポール・マッカートニー。12分ほどのステージを「ヘイ・ジュード」で締めたが、昨年のグラストンベリーフェス同様、六十路おやじが健在ぶりを見せつけた。

 第3Qに逆転TDを食らい、ここまでと観念したが、突如マグナブのパスが冴え始める。同点にすると、判官びいきの観衆がイーグルスに声援を送り始める。それでも屈しないのが鬼のペイトリオッツ。第4Qにそつなくリードを奪うと、3点差で逃げ切った。

 スーパーボウルが終わると虚脱感に襲われる。野球ファンが10月に感じるものと同じだろう。まして、シーズン前から絶対勝つなと願っていたペイトリオッツの連覇である。この5カ月は何だったのかと、暗い気分になってしまった。

 ここで、NFLの人気のほどを示してみよう。資本主義において、エンターテインメントの価値はお金で測られる。スポーツなら放映権料だ。NFLは年間5250億円でほぼ均等に分配される。一チーム平均160億円、一試合で20億円になる。アテネ五輪で日本が払った契約金は180億円だから、NFL9試合分に過ぎない。ちなみにMLBは、ヤンキースが60億円前後だが、10億円に満たないチームも多いという。NFLとはレベルが違うのだ。

 こんなに面白いものが終わってしまった。虚しさから逃れるため、別のつっかい棒を探す。まずは10日、渋谷AXでマニック・ストリート・プリーチャーズ。CDで予習するうち、心と目が潤んでくる。“if you tolerate this your children will be next”を生で聴いたら泣くかもしれない。マニックスは世界一ラディカルかつ、泣かせるバンドなのだ。DVDを見ても、ファンは最初から涙目になっている。

 そういや9日には北朝鮮戦。在日Jリーガーが選出されたせいか、北朝鮮代表の露出があまりに多い。移動中や食事中にもカメラが回っている。選手たちは総じて初々しくフレンドリーだ。金正日は勝利より、日本での「反北朝鮮ムード」緩和を重視しているのではなかろうか。

 これぞ下衆の勘ぐりか。ちなみに予想は、2―0で日本の勝ち。冷静に考えるとこんなもんだろう。
コメント (2)
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