酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

初夏の雑感~老化、三島バブル、健さん、ダービー、藤井聡太2冠

2021-05-29 20:45:01 | 独り言
 65歳まで4カ月半、老化を実感する日々だ。気力の衰えは甚だしく、いつも眠い。先週は総合病院で眼底検査を受けた。白内障、緑内障とも現状では措置の必要なしという診断だった。我が身同様、国の老化も進んでいる。いったん決めたら突き進む日本の〝病根〟は戦時中と変わらない。五輪を巡るこの間の経緯に暗澹たる気分を覚える。

 前々稿で映画「三島由紀夫VS東大全共闘~50年目の真実」を紹介したが、想定外のバブルが起きた。昨年の今頃は〝ステイホームバブル〟のさなかで3カ月ほど高止まりしたが、この数日間、訪問者数が急上昇したのだ。ブログの内容はいつも通り平凡だが、三島の神通力に驚かされた。

 緊急事態宣言下、BSやCSで映画を見る機会が増えた。先日は日本映画専門チャンネルで「現代任侠史」(1973年、石井輝男監督)を観賞する。同年、「仁義なき戦い」が封切られた東映は実録物に舵を切った。「現代任侠史」を最後の任侠映画と位置付ける声もあるが,橋本忍の脚本により、テンポ良く物語は進行する。

 高倉健演じるのは松田組元幹部の島谷だ。訳あって堅気になり寿司屋の主人になっているが、今もかつての同業者に慕われている。戦死した父の形見の刀をアメリカで入手したという設定で、その件を取材したジャーナリストの克子(梶芽衣子)と結婚の約束をする。任侠映画に不可欠な悲恋の要素たっぷりで、今更ながら梶のシャープな表現力に圧倒された。

 橋本の脚本には戦争について、人の生き死についての考察が込められている。義理と人情を守る者が利を追求する者に蹂躙され、怒りに震えた男がたった一人で斬り込んでいく……。予定調和の美学に浸ってしまった。安藤昇、小池朝雄らの目の演技をカメラが捉えていた。本作の起点はノミ屋の利権を巡る抗争で、作品中にもダービーのシーンが出てくる。総売り上げの2~3割がノミ屋を通して暴力団に流れていたとの台詞があったが半世紀後、壊滅状態という。

 あした開催のダービーは良血馬が揃ったが、皐月賞圧勝の①エフフォーリアがダントツ人気だ。俺が応援する⑭タイトルホルダーの生産者は、先日亡くなった〝マイネル軍団の総帥〟岡田繁幸氏の弟・牧雄氏が代表を務める岡田スタッドだ。2160万円で取引されたタイトルホルダーはかなりお得だが、セリ当時、体が小さかったからだという。ちなみに姉メロディーレーンは340㌔台で中長距離を走り続けている。

 タイトルホルダーはドゥラメンテ産駒で、父系にはノーザンテースト、トニービン、サンデーサイレンス、キングカメカメハのトップサイアーの血が流れている。母系も欧州の重厚な血脈だ。鞍上の田辺は37歳。実績は十分で初クラシックを手にしても不思議はない。皐月賞2着ながら人気薄で、馬連①⑭1点。3連単は両馬にグレートマジシャンら2、3頭絡めて買うことにする。

 将棋の名人戦は渡辺明名人が斎藤慎太郎八段を4勝1敗で防衛を果たした。ひと区切りついた感はするが、棋界は熱い夏を迎える。6、7月は棋聖戦、王位戦が耳目を集めることになる。ともに藤井聡太2冠がタイトルを保持し、棋聖戦は渡辺が、王位戦は〝藤井キラー〟で知られる豊島将之竜王が挑戦する。

 棋界を代表する2大実力者との熱闘を制したら、藤井時代が確立する。世間では大谷翔平が耳目を集めているが、藤井の天才ぶりを言い当てる言葉が見つからない。藤井の20連勝を阻止した深浦康市九段は、その後の解説で「藤井さんは地球の生まれとは思えない」と語っていた。〝将棋星人〟藤井の指し手に注目する夏になるだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「街の上で」~淡色の青春映画に甦る若かりし日の花火

2021-05-25 22:05:09 | 映画、ドラマ
 東京五輪は強行開催されそうだ。IOCのコーツ調整委員長が「緊急事態宣言下も開催は可能」と発言し、バッハ会長は「我々は開催に向け犠牲を払うべき」と語って、多大の犠牲を既に払っている国民の感情を逆撫でした。IOCが利権塗れの伏魔殿であることは周知のところ。彼らの懐を肥やすために感染が拡大しても、誰も責任は取らない。

 コロナ禍のビフォア&アフターで、社会の景色は全く変わってしまった。そのことを痛いほど感じたのは、新宿シネマカリテで観賞した「街の上で」(2021年)である。撮影は19年だったが、コロナ禍で1年遅れたという。舞台は俺と縁のない下北沢で、キャッチコピーは<誰も見ることはないけど 確かにここに存在している>……。淡色の青春映画だった。

 主人公の荒川青(若葉竜也)は30歳前後の植物系で、古着屋のスタッフだ。恋人の雪(穂志もえか)にフラれたが、未練タラタラだ。青が閑散とした店で読んでいる本は、冬子(古川琴音)が働く古本屋だ。冬子は不倫関係にあったオーナーの死に苦しんでいる。

 社交的とはいえず、不器用で他者との距離感をうまく掴めない青に、映画出演の話が舞い込む。学生の町子が監督を務める自主映画だった。演技経験のない青だが、喫茶店で本を読むだけでいい。ガチガチになって出演シーンはカットされたが、著名な役者の間宮(成田凌)、撮影スタッフのイハ(中田青渚)と知り合えたのは収穫だった。

 帰ってネットで検索する。初めて作品を見た今泉は長編、短編、テレビドラマで活躍している。ロングのカメラアイで基本的にワンテイクという演出が生むまったりした空気感は、付き合いのあるスタッフ、キャストによって醸成されていたのだろう。

 本作は2年前、ビフォアコロナの時期に撮影された。だから、登場人物はそれぞれ問題を抱えているものの、ぎすぎすしていない。コロナ禍なら、青の務める古着屋も、頻繫に訪ねるバーやレストランも、経営が立ち行かなくなっていたかもしれない。そもそも、クランクインも難しかっただろう。今泉に限らず、コロナを直視した作品を見てみたい。

 他の作品、例えば「ノマドランド」が新宿で公開されていなかったから、本作を見た。舞台の下北沢とは縁がないし、予告編を見てもエンターテインメントでないことは想定できた。寝るかもしれないと思っていたが、ありふれた会話に妙に刺さる言葉があり、〝何も起きない〟展開にも入り込めた。〝くすぐり〟の効果というべきか。今泉と大橋裕之(漫画家、俳優)による脚本も秀逸で、登場人物を巧みに紡いでいく展開にも感心した。

 青は30歳前後だが、他の殆どは20代だ。青とイハの恋バナに、若かりし頃の恋や青春を重ねていた。花火のように鮮やか? まさか、俺は青のように透明感はなく、愚かで暗く、惨めだった。1970~80年代と現在とは、若者の意識と感覚がまるで違うことを実感させられた。

 俺の従妹の息子はIT関連企業に勤めているが、部屋にテレビはないし、新聞も取っていない。理由を聞いたら「必要ないから」。ちなみに俺はテレビ好きだし、活字に拘泥している。俺と若い世代とでは、映画の感じ方がまるで異なるのではないか。

 年齢、性別、国籍を超えた普遍性は、現在も存在しているのだろうか。社会というのは今や、無数の<異邦>による構成物かもしれない。本作を見てそんな感慨を抱いた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三島由紀夫VS東大全共闘」~和やかで刺激的な言語空間

2021-05-20 23:23:12 | 映画、ドラマ
 先週末、<池尻成二さん(練馬選挙区)、漢人あきこさん(小金井選挙区)を都議会へ チェンジ東京! 市民の声を都政に届けよう>と題されたオンラインミーティングに参加した。池尻氏は区議5期の実績があり、小金井区議を4期務めた漢人氏は俺が所属する緑の党グリーンズジャパンの東京共同代表で、前回の都議選では次点だった。

 市民運動と連携してきた両者が都政に加われば、環境問題に鈍感で、社会的弱者とマイノリティーへの配慮が欠ける都政を改善する出発点になる。今回のミーティングでは、両者と信頼関係を築いてきた保坂展人世田谷区長、医療の現場、ジェンダー問題、格差と貧困などに取り組んできた議員や活動家からメッセージに心が熱くなった。

 言葉の意味を実感する映画を見た。日本映画専門チャンネルで録画した「三島由紀夫VS東大全共闘~50年目の真実」(2020年、豊島圭介監督)である。1969年5月、東大駒場キャンパス900番教室に全共闘が三島を招いた。安田講堂陥落後、文化的色彩を帯びたイベントをTBSが収録していた。演劇人で論客の芥正彦を筆頭に、全共闘のメンバーが壇上で三島と討論する。50年後の彼ら、そして三島が結成した「楯の会」の面々が当時を振り返る。

 当事者に加え、映像の合間に平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴、メディア関係者がコメントを残す。東出昌大がナレーターを務めていた。タイトルだけなら、対極に位置する両者が対峙する場面を想像するが、実際は異なる。三島のユーモアに1000人がひしめく会場は沸き、和やかで刺激的な空間が立ち上がった。

 俺は当ブログで、三島を〝政治音痴〟と記したこともある。だが、全共闘と自身を巡る状況を三島が把握していたことがわかった。内田は60年安保時と60年代後半の構図は変わっていなかったと語る。安保闘争で日本共産党は闘う大衆から遊離したことを吉本隆明、大島渚、高橋和己らが批判した。

 60年代後半も構図は変わらず、東大で民青(共産党の青年組織)は当局と手を結び、駒場を支配下に置く。全学連は民青の襲撃を警戒し、楯の会は三島を守るため周辺を固める。〝近代ゴリラ〟と揶揄された三島本人だが、全共闘に共感を抱いていた。暴力を否定せず、非合法を自任することが共通点である。

 68年はどのような時代だったのか。楯の会のメンバーは、「大学の門をくぐるたび、革命が起きるのではないかと焦燥した」と証言していた。五月革命時のパリを舞台にした「恋人たちの失われた革命」(2005年)でも、革命にリアリティーは覚えなかった。問題は武力で、三島は革命阻止の立場から自衛隊に期待していた。

 三島は言葉の有効性にこだわっている。対極の立場にある側に言葉はアクチュアルな機能を果たすのか……、三島はこの点にこだわって壇上に立った。冒頭で三島は、<反知性主義は知性の極致からくるのか、最も低いところから表れるのかはわからないが、全共闘が知性主義を壊したことは評価する>と語っている。

 全共闘のメンバーが次々に現れ、他者の意味、自然の意味を三島に問う。異彩を放っていたのは娘を連れて登場した芥だった。議論は観念的に傾くが、時間、空間、解放区、歴史、言葉と表現について持論をぶつけ合う。両者の討論を聞いた平野は、三島が<認識と行動>にこだわっていたと分析した。三島が行動する作家に転じたのは、認識を語っているうちは前に進まないとの確信があったからだ。

 後半部分で天皇がテーマになる。平野も言及していたが、三島は昭和天皇にアンビバレントな思いを抱いていたことは「剣」などの作品にも表れている。一方で三島は学習院高等科を首席で卒業した際、昭和天皇から銀時計を授与されている。3時間の卒業式の間、木像のように微動だにしなかった天皇の姿に三島は感銘を覚えたことを、討論の場で語っている。

 学生たちの失笑を買ったが、<昭和初期に天皇親政を志向した動きと現在の直接民主主義を目指す闘争に差を感じない。君たちが天皇と一言口にしたら、安田講堂に馳せ参じた>と語った。日本人の底にある原像を、三島は天皇と表現した。この点を理解しないと私の革命も君たちの革命も成就しないと語る三島は、学生たちの理解の外にあった。

 たばこをふかしながら笑う三島は実に楽しそうで、楯の会のメンバーに、痛快で愉快な体験だったと振り返っていた。平野は言葉の力を問うシンポジウムと捉え、芥は<媒体として言葉が力があった時代の最後>と振り返っていた。1年半後、三島は自衛隊市谷駐屯地に立てこもり、1000人の自衛隊員の前にアジテーションするが受け入れられず、天皇陛下万歳を三唱し、自決する。

 本作を見たら、急に三島を読みたくなり、「金閣寺」を手に取った。近いうちに感想を記すことにする。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辺見庸著「コロナ時代のパンセ」~キーワードは<老いと怒り>

2021-05-16 21:36:23 | 読書
 イスラエルのパレスチナへの攻撃が激しさを増している。〝報復の連鎖〟と報じるメディアは本質をあえて見過ごしている。イスラエルは軍事・セキュリティー分野で世界トップの技術を誇る。軍需産業の広報担当者は武器見本市で、ガザ地区への空爆を〝成果〟として誇らしげに語っていた。国連決議を次々に蹂躙する無法国家の横暴を追認する姿勢は、バイデン政権になっても変わらない。

 ブログを書き始めて16年半、辺見庸の著作、講演会を数え切れないほど取り上げてきた。新刊は日を置かず感想を綴ってきたが、この2、3年、変化が生じた。2度読んでもポイントが掴めなかったり、十数㌻で放り出してしまったりで、著作を紹介することは叶わなかった。

 辺見の研ぎ澄まされた思惟に、摩耗した俺のアンテナがついていけなくなったことが理由だろう。ためらいながら新著「コロナ時代のパンセ~戦争法からパンデミックまで7年間の思考」(毎日新聞出版)を手にした。2014年から21年初頭までの86章のパンセ(断片的な思考)が収録されている。共感出来る点は多く、読み進めることが出来た。キーワードは<老いと怒り>である。

 辺見は1944年生まれの76歳、俺は56年生まれの64歳……。知性と感性の差は歴然としているが、共通しているのは<老い>だ。辺見は自身の衰えだけでなく、家族や同世代の知人について綴っている。通所している施設で収容者を〝上から目線〟で眺めている自分に愕然としていた。年齢が近いホームレス、行き場を失った人々が街からフェードアウトしていく様子を、辺見は暗澹たる思いで受け止めている。

 以前から辺見の著書に、社会と世界の〝すがれ=尽れ、末枯れ〟と〝すさみ〟が滲んでいた。本作で<傍観者効果>と定義されているが、客員教授を務めていた大学の学生と戦争法反対のデモに参加した時、道行く人たちに<傍観という、人間のなにげない不作為のもつ無作為の加害のふかさ>を感じた。むろん、自身の無為をも穿っている。

 辺見は善悪の境界が薄れゆく現実に絶望し、欺瞞と私欲に塗れた政権を悪と断じて、排除の論理と軍靴の響きに警鐘を鳴らしてきた。本作の起点は14年だが、辺見は安倍-菅政権下、<人間の内面への切実な関心>と<貧者と弱者への共感>が失われたと記す。

 興味深かったのは日本における<社会>と<世間>に関する記述だ。当ブログで<戦争法に反対する人が、なぜ死刑を肯定するのか>と疑問を呈してきた。辺見はジョージ・オーウェルの「絞首刑」を引用し、<死刑こそ国家暴力の母型。戦争というスペクタクルの最小単位の顕示>と死刑と戦争を同一の視座で捉えていた。

 世間の<厳罰主義=死刑肯定>を味方につけているのが自公政権だ。辺見はテレビや新聞と距離を置いているから、政局を論じない。だが、日本社会を深いところで見据えている。天皇制に厳しい目を向けているおり、昭和天皇の戦争責任について繰り返し言及してきた。<天皇制-死刑-五輪-軍国主義>を同一の視座で捉えている。

 辺見の著作や講演は示唆に富んでいる。辺見がこれまで言及してきた中島敦や目取真俊だけでなく、西部邁、船戸与一、バーニー・サンダース、石牟礼道子らとの淡い交わりが本作には記されていたが、衝撃を覚えたのは芥川龍之介の「桃太郎」だった。1924年に発表された同作は、その後の日本軍によるアジア侵略を予見させる内容だった。辺見は常に俺にとって最高のブックガイドである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「童年往事」~寡黙な映画に込められた自由の息吹

2021-05-11 21:51:49 | 映画、ドラマ
 テストイベントが開催された国立競技場周辺で五輪反対デモが行われた。参加者は少ないが、国民の大多数の声を反映している。政府は開催強行の姿勢を崩さない。全国から医師や看護師を東京に集結させるというが、大阪を筆頭に医療崩壊の危機にある現状からも不可能だ。そもそも、選手を派遣する国があるだろうか。ワクチン接種の遅れといい、日本政府はコロナ禍で機能不全であることをさらけ出した。

 G7外相会議の共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する」という表現が盛り込まれた。香港やウイグル自治区への中国の強権的な対応に批判的な欧米諸国は、封じ込めのカードに台湾を用いている。WHOも台湾が総会に参加することに前向きの姿勢を見せている。民主国家、技術大国として台湾の存在感は増すばかりだ。

 新宿で唯一上映しているケイズシネマで先週末、「童年往事 時の流れ」(1985年)を見た。<台湾巨匠傑作選~候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督40周年記念大特集>の一環で、前々稿で紹介した「恋恋風塵」(87年)と同じく候監督作である。今回もソールドアウトの盛況で、同作を見るのは初めてだった。

 「恋恋風塵」はカラフルだったが、2年前に製作された「童年往事」は自伝的作品で、主人公アハ(遊安順)が生まれたのも監督と同じ1947年という設定である。一家は国共内戦前後、台湾に移り住んだ。本作は家族の物語で、アハには祖母、父母、姉と兄が1人ずつ、そして弟が2人いる。祖母と父にとって故郷は大陸で、台湾は異郷だったが、アハを含め子供たちは台湾に馴染んでいた。

 本作は簡単に入り込める映画ではない。カメラワークや音響でシーンを彩るアメリカ風エンターテインメントとは対極で、モノクロームで寡黙な水彩画に、最低限の台詞が重ねられている。外の軋轢音に父が窓の外を見やるシーンがあるが、大陸との緊張関係で事態が動いていたことが、翌朝の戦車でさりげなく示されていた。

 台湾近現代史を最低限、把握していないと理解するのは難しい。学校でも中国共産党系のグループが存在することが示されるが、子供の頃からやんちゃなアハは不良グループのリーダー的存在で、喧嘩のシーンもある。そんなアハが心を時めかした女学生で演じていたのは「恋恋風塵」でヒロインのアフンを演じた辛樹芬だ。アハは真面目になろうとするが、大学受験に失敗する。

 本作には家族の淡々とした日常が描かれている。病弱だった父が急死し、母が咽頭がんで亡くなる。そして認知症を患っていた祖母も召される。祖母がアハを海沿いに連れ出し、道行く人に橋の場所を尋ねるシーンが記憶に残る。そこは広東省で暮らしていた時、祖母の思い出が紡がれていた場所だった。英題は“The Time to Live and the Time to Die〟で、人間の生き死にが描かれている。アハは感情を高ぶらせることなく家族の死を受け入れていた。

 本作に限らず、1980年代の台湾映画は戒厳令下で製作された。厳しい検閲の下で製作された映画といえば、アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」などのポーランド映画、イラン映画を思い出す。「灰とダイヤモンド」のラストは当局のお墨付きだったが、マチェクの死に様が世界の映画史を変えた。イランの名匠たちは寓話に昇華させた作品の数々で世界に衝撃を与えた。

 候孝賢、楊德昌らは戒厳令下で自己の思いを作品に込めた。1987年に戒厳令が解除され、表現の自由が保障される。中国との距離の取り方で対立は続いたが、香港への弾圧が台湾人に変化をもたらした。ニューシネマの旗手たちがまいた自由の種が現在、台湾で大輪の花を咲かせつつある。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ禍のGW雑感~五輪、浅草、「特捜9」、将棋、「悪と仮面のルール」

2021-05-07 12:31:46 | 独り言
 GWは部屋でゴロゴロ、惰眠を貪っていた。衰えが身に染みた日々だったが、感じたことを以下に記したい。

 新型コロナは変異株の影響が深刻で、各地で医療体制が危機的な状況に陥っている。緊急事態宣言は今月末まで延長され、東京五輪開催は物理的に難しくなった。ワシントンポスト紙はIOCバッハ会長を〝ぼったくり男爵〟と皮肉り、<パンデミックのさなか、国際的なメガイベントは不合理>と論じた。コロナ禍や五輪の対応に、多くの国民は暗澹たる思いを味わっているはずだ。

 政治を私物化し、閣議決定乱発で民主主義を破壊してきた安倍前首相が蠢いている。五輪開催に前向きな姿勢を鮮明にし、菅続投を訴えた。地震が相次ぐ現状で、原発推進議連の会長に就任する。祖父(岸信介)顔負けの妖怪として3度目を目指しても、法廷で明かされる赤木メモの内容がストッパーになるだろう。

 不要不急の外出だが4日昼、浅草寺に向かった。東京で45年暮らしているが、初めの浅草である。観光客は少なく、土産物屋やお菓子屋さんの多くが店を閉じていた。昼飯は評判の水口食堂で、メニューも豊富で量もたっぷりだった。大谷が10号を放つと、隣席の3人連れがテレビに拍手を送っていた。

 10代、20代の頃、時代劇が好きだった。中村梅之助が俺のヒーローで、「遠山の金さん捕物帳」と「伝七捕物帳」を再放送で見ていた。BSで放映されていた「伝七捕物帳」にもしやと検索したら、「特捜9」で国木田班長役の中村梅雀が梅之助の息子だった。

 「特捜9」といえば、♯3「最高の日」が出色だった。何も起こらなかった一日の最後、村瀬(津田寬治)が刺され、次回に真相が明かされる。津田は降板の噂があり、ベテランのスタッフをリストラする局の姿勢に不信感を募らせていたようだ。芸能界にもコロナの冷たい風が吹き荒れている。

 将棋名人戦第3局を渡辺明名人が制し、2勝1敗と防衛に向けて前進した。挑戦者の斎藤慎太郎八段は初戦が大逆転勝ちだっただけに、次局が重要な意味を持つ。その渡辺は永瀬拓矢王座を破り、藤井聡太棋聖への挑戦権を得た。昨年のリベンジマッチは大きな注目を浴びるだろう。王座戦挑決トーナメントで、深浦康市九段が19連勝中の藤井を止めた。目を離した隙に、深浦のカウンターが見事に決まったようで、藤井にもこんなことが起きるのだ。

 映画館が休館なので、録画しておいた「悪と仮面のルール」(18年、中村哲平監督)を見た。中村文則原作の映画を見るのは「最後の命」、「去年の冬、きみと別れ」に次いで3本目である。「悪と――」はダークな中村ワールドの色調が最も色濃い作品といえる。

 主人公の久喜文宏(玉木宏)は<邪の家族>の一員で、整形手術で新谷弘一に成り変わる。久喜家は<悪の複合体>の中枢で、父亡き後、兄の幹彦(中村達也)が戦争を演出して富と権力を拡大する方針を継承している。劇場型テロを準備するグループにも資金を提供していた。

 文宏は幼い頃、久喜家の養女になった香織(新木優子)への思いを断てないでいる。絶対的な愛と思い出を軸に据え、文宏は香織を守るために殺人も厭わない。文宏が幹彦、テロリストの青年(吉沢亮)と悪、罪、殺人、神について議論を闘わせる場面は原作を踏襲しており、「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」を彷彿させる。

 ラストの車中のシーンが鮮やかだった。文宏は後部座席の香織に、文宏の友人として語りかける。双方の脳裏に、中学生の頃の記憶がフラッシュバックし、互いへの思いが甦った。香織はミラー越しに自分を見つめる男が文宏当人であることに気付く。

 本作は探偵(光石研)、刑事(柄本明)までも〝共犯者〟にして突き進む。文宏は、自ら、父と兄を、そして破壊願望に憑かれた若者、そして香織をも<閉鎖された幸福>から解き放つ役割を担っていた。エンターテインメントではないが、ふやけたGWの日常を抉る作品だった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「恋恋風塵」~水彩画の下絵に秘められた思い

2021-05-03 22:48:16 | 映画、ドラマ
 今年のGWは帰郷せず、東京で映画三昧の日々を送るつもりでいた。ところが緊急事態宣言で新宿の映画館は軒並み休館。唯一営業中のケイズシネマに足を運んだ。<台湾巨匠傑作選~候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督40周年記念大特集>と銘打たれ、候監督が演出、製作に携わった映画に加え、フォロワーの作品もラインアップされていた。

 「恋恋風塵」(1987年)は日本における最後の上映ということもあり、ネット予約開始(当日0時)の10分後に9割方、席は埋まっていた。製作時、台湾は分時点を迎えていた。88年1月、李登輝は総統に就任し、保守派を牽制しながら民主化を進める。空気を先取りしたのは台湾ニューシネマで、候孝賢と楊德昌(エドワード・ヤン)が旗手として世界で評価された。

 「恋恋風塵」は30年前、劇場ではなくレンタルビデオで見た。この間、日本と台湾の位置がどのように変わったのか、あれこれ考えてしまう。90年前後、日本は東アジアのトップランナーで、民主国家として近隣諸国の憧れの対象だった。ところが今、民主主義はこの国で腐臭を放っている。

 国連非加盟の台湾は、国連開発計画発表のジェンダーランキングで統計外だが、世界6位に相当するという。ちなみに日本は120位だ。女性の蔡英文総統の下、40歳のクロスジェンダー、オードリー・タンが無任所閣僚として有効な施策を進めている。台湾がコロナ禍を最小限に食い止めたのも、タンの功績大だ。

 彼、いや彼女の影響下にある30以上のサイトは、透明性確保のため政治家の発言を徹底的にチェックし、フェイクを公開する。報道の自由度ランキングは43位(日本は67位)だが、確実に順位を上げていくはずだ。安倍前首相や菅首相の国会での発言は、台湾なら集中砲火を浴びるだろう。

 ようやく本題……。「恋恋風塵」の冒頭は、1960年代後半の山あいの街、九份だ。中学生のアワン(王晶文)は幼馴染みのアフン(辛樹芬)と電車で帰宅中だ。俺と同世代で、九份の風景に子供の頃に暮らしていた園部町(現南丹市)が重なった。アワンは中学卒業後、台北に出て、仕事をしながら夜間学校に通う。アフンも1年後、追うように台北に来る。

 発展する首都、衰退する地方……。この構図は高度成長期の日本と変わらない。アワンとアフンは親しく交流するが、相手の変化を感じるシーンがあった。仕事で使っているバイクを盗まれたアワンは、別のバイクを盗もうとして、アフンに止められる。アフンが酒席で陽気に飲み、アワンの友人に服に絵を描いてもらうためにシュミーズ一枚になる姿に、アワンは表情を曇らせた。「木綿のハンカチーフ」(歌詞・松本隆)の一節、♪都会の絵の具に染まらないで帰って……を思い出した。

 さざ波は生じるが、体調不良になったアワンをアフンは新婦のようにかいがいしく看護する。だが、アワンが兵役に就いた2年の間に恋は終わった。「恋恋風塵」を日本語風に言い換えれば、恋は風の中、塵になった……となる。ラストで祖父と会話するアワンは、アフンに貰った服を着ていた。

 アワンが兵役中、中国から漁師一家が台湾に漂流しした。一家は差し入れられた饅頭に警戒していたが、大陸と台湾の関係を象徴していた。本作にも本省人と外省人の確執が微妙に表れている。アフンの結婚相手は郵便配達夫だった。外省人であることが仄めかされていた。政治的背景については今週末に見る予定の「童年往事」を紹介する時に記したい。

 淡い水彩画を重ねたような「恋恋風塵」は、寡黙なアワンの胸の奥を滲ませていた。アワンがニュースを見て気を失ったのは、炭坑でケガをした父を思い出したからだろう。アフンが去ったことを伝えられたアワンは兵舎で号泣する。感情を伝えることの意味を、還暦を過ぎて改めて思い知らされた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする