酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「桜三月散歩道」~気分はすっかりジャパネスク

2007-03-31 00:16:22 | 戯れ言
 29日夕、井上陽水の「桜三月散歩道」に倣って花見と洒落てみた。新青梅街道から中野通りに連なる桜並木で、哲学堂や新井薬師にも足を踏み入れる。

 俺が陽水を聴いたのは70年代だ。過剰なセンチメンタリズムと抒情性に彩られたウエットな貌……、冷徹な観察眼と世間との阻隔感が窺えるドライな貌……。このアンビバレンツこそ、初期陽水の魅力だと思う。

 「桜三月散歩道」の歌詞を以下に紹介したい。

 ♪ねえ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが 川のある土地へ行きたいと思っていたのさ(1~3番共通)
 町へ行けば花がない 町へ行けば花がない
 今は君だけ見つめて歩こう だって君が花びらになるのは だって狂った恋が咲くのは三月

 ♪町へ行けば風に舞う 町へ行けば風に舞う
 今は君だけ追いかけて風になろう だって僕が狂い始めるのは だって狂った風が吹くのは三月

 ♪町へ行けば人が死ぬ 町へ行けば人が死ぬ
 今は君だけ想って生きよう だって人が狂い始めるのは だって狂った桜が散るのは三月

 作詞は漫画家の長谷邦夫氏で、「氷の世界」版とは別にソノシート版(原詞)がある(昨年11月、復刻CDが発売)。同曲の特徴である語りの中身は、「氷の世界」版とソノシート版では大きく異なる。ソノシート版では、長谷氏の少年時代を過ごした下町の風景が綴られている。

 ソノシート版で「町に行けば革命だ」の部分は、「氷の世界」版で「町へ行けば人が死ぬ」に差し替えられている。長谷氏は60年代、赤塚不二夫氏らとともに「文化革命」を担った前衛だった。「氷の世界」発表時(73年)、「革命」は死語になっていたのだろうか。

 「桜三月散歩道」は図らずも、次世紀を予言した曲になった。環境破壊が進み、「狂った(東京で)桜が散るのは三月」は遠からず常態になるだろう。「狂い」は桜の開花時期だけでなく、生態系すべてに及び、社会に、そして個人に浸透しつつある。しめやかな狂気ではなく、荒々しく血なまぐさい狂気が……。

 散策中に口ずさんだのは陽水ナンバーだった。

 ♪花見の駅で待ってる君にやっとの想いで逢えた 満開花は満開 君はうれしさあまって気がふれる

 桜とは、対象と主観を調和させ、独特の情緒を形成する日本的「もののあはれ」の象徴だ。刹那的な優美さを湛えた桜を、狂気へのとば口として描いた詩歌や小説は多い。「東へ西へ」にも同様の作意が感じられる。

 ♪目の前を電車がかけぬけてゆく 想い出が風にまきこまれる 思いもよらぬ速さで 次々と電車がかけぬけてゆく ここはあかずの踏切り

 西武新宿線のあかずの踏切りも、桜に見とれていたので気にならなかった。

 五十路突入後、気分はすっかりジャパネスクだ。黄昏時の桜を満喫し、心がそよぐのを覚える。美しく散るには老い過ぎた。腐らぬよう枯れたいが、煩悩多き身ゆえ、決してたやすいことではない。

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音楽への想いの表し方~好対照の番組を見て

2007-03-28 00:59:27 | 音楽
 NHK衛星第2で二つの音楽番組を見た。「全米ベストヒット」(25日夜)と「ライブ・フロム・アビーロード」(26日深夜)である。

 「全米ベストヒット」では、「ローリング・ストーン」誌選出の「ベストソング500」のうち上位100曲が放映された。①「ライク・ア・ローリング・ストーン」②「サティスファクション」③「イマジン」は順当だが、全体的には<看板に偽りあり>である。172人の選者は名を成したアーティスト、作家、業界人で、「俺たちの時代(60年代)がポップミュージックの全盛期だった。君たちも敬意を払い給え」といった、<アメリカ団塊世代>の権威主義が臭っている。若者よ、老人の繰り言に騙されるな! ロックとは考古学と無縁で、日々変化を遂げる音楽なのだから……。

 正鵠を射た「ベスト100」をアメリカで選出するなら、コーチェラ(世界最高級のフェス)に集う現役ロッカーやファンにも投票権を与えるべきだろう。90年以降の楽曲でランクインしたのは、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーンスプリット」(9位)1曲だけである。甚だしい時代錯誤は、<相対性理論以降もニュートン力学にしがみつく学者のマスターベーション>というべきか。

 いい意味での驚きも多少はあった。キンクスが2曲ランクインしていたこと。そして、15位の「ロンドン・コーリング」(クラッシュ)だ。在りし日のジョー・ストラマーの姿に触れ、厚生年金会館での衝撃が甦った。

 口直しになったのは「ライブ・フロム・アビーロード」だった。新旧のミュージシャンのスタジオライブに、インタビューが織り込まれていた。

 ポール・サイモン、プライマル・スクリーム、スノウ・パトロール、ミューズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズといったお気に入りに加え、デイヴ・ギルモアとフィル・マンザネラ、デーモン・アルバーンとポール・シムノンの共演も興味深かった。今回は番宣目的のオムニバス版だったか、4月以降はハイビジョンでロングバージョン(全9回)が放映される。音楽への想いに溢れたライブを楽しみにしている。

 最後に訃報を。植木等さんが亡くなった。享年80歳である。子供の頃の「シャボン玉ホリデー」、30年以上のタイムラグで見た「無責任シリーズ」が記憶に残っている。僧侶で社会運動家だった父の影響もあり、植木さんは自ら演じた「C調男」と正反対の実直な人柄だったという。ご冥福をお祈りしたい。

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「さよならG」の高松宮記念~好漢小牧に春よ来い

2007-03-25 01:09:20 | 競馬
  国際GⅠ以外、「G」が使えなくなった。4月からJRAの重賞格付けが「JPN1~3」に変更される。競馬界にもグローバリズムの波が押し寄せてきたということか。ちなみに昨日(24日)のペルー戦、高原と中村は自らが「JPN」を超えた「G」クラスであることを、プレーで証明してみせた。

 高松宮記念(中京、芝1200㍍)は来年以降、「JPN1」の格付けになる。「さよならG」の今回は、難解さなら「SG」クラスのレ-スになった。

 「マイル組」からスズカフェニックス、プリサイズマシーン、マイネルスケルツィ、「ダート組」からスリーアベニューが「スプリント組」のシマに乱入してきた。「なめんなよ」とドスを構えるのは、シーイズトウショウ、ビーナスライン、サチノスイーティーの姐御トリオに、晩成のエムオーウイナーだ。この2年の結果から「マイラー組」を評価する声も強いが、俺は「スプリント組」の意地を買うことにした。

 馬場状態、重の巧拙、ペース、展開と不確定要素も多い。人気馬を買う以上、4頭に絞ることにした。「スプリント組」から、桜の季節に相応しい和風血統の3頭を選ぶ。まずはニホンピロウイナー産駒エムオーウイナーだ。馬以上にいれ込む小牧太だが、数々の逸話(失敗談)に彩られる栗東の人気者だ。小牧山の桜に合わせ、満開といきたいところだろう。サクラバクシンオー産駒シーイズトウショウは、今回が引退レースだ。着順はともかく、美しい散り様を見せてほしい。カリスタグローリ産駒サチノスイーティーが次期スプリント女王の座を狙う。渋った馬場が味方しそうだし、吉田隼の思い切った騎乗にも期待したい。「マイル組」なら断然スズカフェニックスだ。アドマイヤマックスV(05年)の再現に向け、武豊の秘策が見ものだ。

 結論。◎⑫エムオーウイナー、○①シーイズトウショウ、▲⑧スズカフェニックス、△③サチノスイーティー。馬券は馬連4頭BOXで6点。馬単は<⑫・①・⑧><⑫・①・⑧・③><⑫・①・⑧・③>の18点。

 来週早々、花見をする。といっても中野通りから新青梅街道の桜並木を独りで歩く「桜三月散歩道」だが……。頭の中のBGMは、もちろん井上陽水だ。

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<身内の論理>が日本を滅ぼす

2007-03-23 00:44:39 | 社会、政治
 昨日(22日)、城山三郎氏が亡くなった。享年79歳である。ご冥福をお祈りしたい。「辛酸~田中正造と足尾鉱毒事件」を学生時代に読んだきり、その著書に触れることはなかった。仄聞する限り、氏は<公私の峻別>こそリーダーの資質と見做していたという。

 城山氏の思いと反し、この国では<身内の論理>が一層はびこる気配を見せている。石原氏の都政私物化は都知事選の焦点だが、国民の生命を脅かす<身内の論理=癒着の構造>が報じられている。薬害エイズ裁判で証人喚問されていた厚労省官僚が、中外製薬(タミフル販売元)に天下りしていたという驚愕の事実だ。

 <身外>で憤る者も、切り口を変えれば<身内>といえる。紐帯の切れた日本社会は、無数の<身内>が閉じこもる<タコ壺>の集合体かもしれない。

 たとえば、裏金で揺れる<球界タコ壺>。<アマ=被害者>を前提に議論は進んでいるが、アマ指導者の汚れた実態は週刊誌上、頻繁に取り上げられてきた。スポーツ紙を含めた<身内の常識>が露見し、ひとり西武を悪者に仕立て上げているように感じる。西武元オーナーの堤義明氏といえば、家訓である<身内の論理>を貫き、資産維持に努めた人物だ。裏金供与は<身内の人>が創設した球団に相応しい行為といえる。

 次に、女流棋士独立問題に揺れる<棋界タコ壺>。名人戦移行に続き、将棋界の<身内の論理>がファンの心を逆撫でしている。独立を促した<米長邦雄―中原誠>執行部だが、いつの間にか反対派に転じ、恫喝的手段で女流棋士切り崩しを画策中だ。<強けりゃ何をやっても許される>という<身内の論理>に加え、臍から下の不名誉な逸話に彩られた両氏の<身下の論理=女性への支配的な態度>が、暴走の背景にあるのだろう。底の浅さを露呈した両氏の更迭こそ火急の課題だが、棋界に自浄能力はあるのだろうか。

 そして、<政界タコ壺>。安倍首相は柳沢厚労相と松岡農水相を罷免できず、落選組から衛藤氏のみ復党させるなど、<身内の論理>にどっぷり浸かっている。「サンデープロジェクト」でも取り上げられていたが、日興コーディアル証券は首相と浅からぬ因縁があり、上場維持のため官邸が早くから動いていたという。

 従軍慰安婦問題で「河野談話」を継承した安倍首相だが、「広義」だの「狭義」だのの答弁で米マスコミを敵に回す。シーファー駐日米大使も「売春の強制は自明の理」と発言した。シンガポール・リー首相は太田公明党代表に「日本での(慰安婦関連の)議論に当惑を覚える」と語り、カナダ・マッケイ外相も麻生外相に遺憾の意を伝えるなど、波紋は<身外>に広がりつつある。

 <身内=岸元首相>に心酔する安倍首相だが、祖父の本質を理解しているとは言いがたい。妖怪ならぬネズミ男として<身内の論理>に溺れ、日本を<寂しい国>に貶めていく気配が漂っている。

 俺はといえば、どこの<身内>でもない。吹けば飛ぶようなデラシネだからこそ、身の丈以上のご託を並べていられるのだけれど……。

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石原3選に黄信号?~階級社会における都知事選

2007-03-20 02:06:01 | 社会、政治
 経済協力開発機構(OECD=先進30カ国で構成)の報告(06年)によると、日本の貧困率は加盟国中2位である。階級社会に移行した日本で、統一地方選挙が22日に告示される。首都決戦には石原慎太郎現知事、浅野史郎前宮城県知事、吉田万作氏(共産党推薦)、黒川紀章氏と濃いキャラがそろい、政策と離れた「政治ショー」の様相を呈してきた。

 一流の野次馬を目指す俺も、選挙戦を楽しむ準備を整えつつある。まずは最近3回の国政選挙(03衆院選、04年参院選、05年衆院選)の結果から、都内における各党の基礎票を調べてみた。平均獲得票数は自民党=200万票、民主党=213万票、公明党=81万票、共産党=53万票、社民党=29万票だ。基礎票の厚みと現職の強みで、石原氏優勢というのが直近の世論調査(朝日新聞)の結果だった。

 ところが昨日(19日)、思わぬ伏兵の出馬表明が波紋を広げた。創価学会員の桜金造氏が「打倒石原」を宣言する。タカ派の石原氏に学会が愛想を尽かしたとみるのが一般的だが、「報道ステーション」では学会票の浅野陣営流入を避けるための受け皿と分析していた。いずれにせよ、宗教団体がキャスティングボートを握る状況は健全と程遠い。<弱者の互助組織>として勢力を伸張させた創価学会が、<強者の仮面>を脱ぎ捨て、原点に回帰することを願いたい。

 俺が注目するのは勝敗ではなく、自らも一員である下層階級の選択だ。「強者の奢り」と「身内の論理」が露骨な石原氏だが、<階級>を超えた魅力があることも否定できない。もちろん、彼ら(我ら)の支持が浅野氏を浮上させるかもしれないが、そうなれば民主党は難題を抱えることになる。<社会主義は時代遅れ>を主張して政界再編を推進したのは、小沢一郎民主党代表その人である。階級社会の進行とともに需要を増すのは社会主義だ。米国型保守2党を志向した小沢氏が、かつて切り捨てた社会主義(社民主義)に乗っかって政権を目指すという<歴史の皮肉>に立ち会えるかもしれない。

 都知事選(75年)の敗北は、石原氏にとってトラウマになった。「選民意識」の塊である氏は、老境で負った傷を墓場まで引きずることは避けたいはずだ。かつて氏の秘書は、同選挙区の故新井将敬氏を中傷するビラを貼り、現行犯で逮捕されている。「殿の負け」を恐れる余り、陣営が再度、姑息な手段を用いることだってありうる。<低所得層への大幅減税>なんて「らしからぬ」公約を掲げてくれたら、アンチ石原の俺の気持ちも揺らぐかもしれない……。、

 最後に、船越英二さんの訃報について。市川崑監督とのコンビで、邦画史に残る傑作を世に問うた。「黒い十人の女」(61年)、「私は二歳」(62年)も印象的だったが、最高傑作は戦争の狂気と極限状態が描かれた「野火」(59年)だ。船越さんの鬼気迫る演技は、今も記憶の底に焼きついている。戦争が風化した今、若い人にはぜひ見てほしい。衝撃的な内容ゆえ、見る前に相当の覚悟が必要な作品である。とまれ、ご冥福を祈りたい。

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「鴉の目」~絶望の淵から立ち昇る言葉

2007-03-17 02:18:01 | 読書
 国際フォーラムでミューズを見た後、帰途の地下鉄で大道寺将司氏の第2句集「鴉の目」(現代企画室)のページを繰る。ライブの余韻で湿った心に、言葉の雨が染み込んできた。朧だった句の輪郭を、ようやく掴めたような気がした。

 辺見庸氏の講演会で句集の存在を知った。「万物を商品化する今日で唯一、言葉本来の神的響きを提示している」と大道寺氏を絶賛した辺見氏が、序文を担当している。

 大道寺氏は東アジア反日武装戦線「狼」のリーダーで、三菱重工爆破事件、昭和天皇乗車列車爆破未遂(虹作戦)などで起訴され、確定死刑囚として収監されている。「狼煙を見よ」(松下竜一著)で、大道寺氏らの素顔を知ることができた。メンバーがセクトと距離を置いていたことが、思想的な飛躍と同時に、躓きの要因になった。爆弾の破壊力を十分に把握できず、犯行声明のタイミングを誤ったことが、多数の死傷者を出す悲劇に繋がった。

 俳句は門外漢ゆえ、講演会で辺見氏が解題された5句から紹介したい。

 ☆あかときの悔恨深く冴えかえる~目が開いた時、氷のような後悔が全身に染み込むさまを詠んだ句。悔恨の深さに息を呑んだのは、<夢でまた人危めけり霹靂神>だ。悪夢にうなされていた作者が大音響で目覚めると、激しい雷鳴(霹靂神=はたたがみ)が轟いていた……。

 ☆まなうらの虹崩るるや鳥曇~「虹作戦」が未遂に終わった後の心的風景か。別稿(06年12月8日)と重複するが、辺見氏は「実行したのは彼ら、望んだのは我々」というボードリアールの言葉を引用し、<あの虹が懸かっていたら、私の内面の景色は変わっていただろう>と述懐していた。

 ☆ちぎられし人かげろうのかなたより~自ら関与した爆破事件と、現在のイラクやパレスチナの風景が重なっている。贖罪の思いと鎮魂の願いが窺える句だ。

 ☆母の日やもの言わで行く坂の町~作者の母は長年にわたり、息子たちの支援運動に携わってきた。「テロリストの母」として辛い日々を送る母を慮った句で、「坂の町」とは作者の出身地釧路である。句集には<その時の来て母還る木下闇>など、亡くなった母を想う句が収録されている。

 ☆秋の日を映して暗き鴉の目~表題作であり、大道寺氏はあとがきで作句の背景を明かしている。鴉と視線が合い、互いの暗い目のうちに、忍び寄ってくるかつての死、未来の死を見たのだろうと、辺見氏は解題されていた。<疎るる身とも知らずに鴉の子>も、作者の心情が投影された句といえる。

 言葉が柔らかいナイフのように、鈍麻した俺の心を抉るのを覚えた。他に印象に残った句を以下に記したい。

 ★気が付けば一人になりし雛の夜~超法規的措置で下獄し、日本赤軍に合流した妻あや子さんのことを想って詠んだ句かもしれない。
 ★竜天に夏草の根を引つ掴み~「狼煙を見よ」の作者で交流のあった松下氏の死を悼んだ句。大地に根を張り、生活者の側で執筆を続けた松下氏へのオマージュである。以下は句のみを。
 ★暮れぎはの影定まりて夏来る
 ★群れ飛びて独りと思ふ蜻蛉かな
 ★たましいの転生ならむ雪蛍
 ★初蛍異界の闇を深くせり  
 ★海市立つ海に未生の記憶あり
 ★死して咲く花実もあらむ流れ星
 ★人としてあること哀し梅一枝
 ★夕焼けてイカロスの翅炎上す

 「狼」が目指したのは、戦前の軍事侵略、戦後の経済侵略で、日本がアジアで見せた醜い貌を暴くことだった。彼らの問いが有効性を失っていないことは、従軍慰安婦問題をめぐる最近の動きが証明している。

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ミューズat東京~進化する孤高のバンド

2007-03-14 03:11:06 | 音楽
 11日(スタジオコースト)と12日(東京国際フォーラム)、ミューズのライブを堪能した。01、04年に続き3度目で、今回は台湾、韓国を含むアジアツアーの一環である。

 ブリットアワードでベストライブアクト、NMEでUKベストバンドに選出されるなど、07年に入って吉報が続くミューズだが、最大の栄誉は「イングランドの魂」ウェンブリースタジアムのこけら落としに指名されたことだろう。数万枚のチケットを40分足らずでソールドアウトにし、同場所で追加公演を行う。仏伊でも同規模の単独ギグが予定され、多くの夏フェスでメーンアクトを務めるなど、欧州全域で<ミューズ・シンドローム>が進行中だ。

 日本での盛り上がりがいまひとつなのは、大阪、福岡、名古屋のチケットが残っている(14日午前2時現在)ことが物語っている。<濃密なレディオヘッド>、<メタリックな様式美>、<ヘビーロックとクラシカルな旋律との融合>、<ニューウェーブの正統な継承者>、<21世紀のプログレ>……。それぞれのキャッチフレーズは確かにミューズの一部分を捉えている。だからこそ、分類好きでセクト的な日本のロックファンの目に、「ヌエ」のようなバンドと映るのだろう。

 前置きが長くなったが、まずはスタジオコーストのライブから。ステージ前では凄絶なモッシュが起きていたようで、後方で構えていた俺の近くで、息も絶え絶えにへたり込む女性もいた。初期の彼らに匂ったスノビズムやナルシズムは影を潜め、ジャム、あるいはブレーク以前のニルヴァーナのように、硬質でパンキッシュなパフォーマンスに徹していた。

 スタジオコーストのセットリストは初日と2日目で大きく異なっていたが、国際フォーラムではコンセプトを丸ごと変え、別の貌でギグに臨んでいた。“Sing For absolution”、“Feelng Good”、“Bliss”など前日演奏しなかった曲で、抒情的な空間を作り上げていく。ライティングや映像とのコラボも完璧で、ミューズの紡ぐイリュージョンに頬を拭うファンもいた。俺もまた、繊細で美しいメランコリアに陶然と立ち尽くしていた。ロックの魅力は最大瞬間風速かつ微分係数だが、ミューズはデビュー以来、<刹那的切なさ>を失っていない。
 
 今回のツアーで感じたのは、マシューのボーカリストとしての成長だ。声量や伸びでは及ばないが、総合力でボノ(U2)の牙城に迫りつつある。ギターとキーボードを自由自在に操る天才マシューを、クリス(ベース)とドミニク(ドラム)のリズム隊がしっかりと支えていた。

 セットリストの中心は4th“Black Hole And Revelations”の収録曲だった。それぞれの骨格を呑み込んでライブに参加したが、凝縮したものが溶け、心身に広がるような快感を味わえた。ミューズの楽曲はライブにおいて完成するといえるだろう。4thでミューズは、新たな領域に踏み込んでいる。“Invincible”に合わせて流れた映像は、変革のため立ち上がった人たちだった。“Assassin”(暗殺者)では「破壊せよ、悪魔の民主主義」とブッシュ政権を攻撃し、「皆で隠れて力を合わせよう」と呼びかけている。東京3DAYSの掉尾を飾った“Knights Of Cydonia”はボブ・マーリーの「ゲットアップ、スタンダップ」の本歌取りといえ、スクリーンに映った“you and I must fight for our rights”の歌詞を、若者たちが大合唱していた。ラディカルなメッセージを掲げたミューズは、メジャーアーティストとして異質な存在になりつつある。

 素晴らしいライブの直後に言うのもおかしな話だが、ミューズの本領は屋外において発揮されると思う。グラストンベリー'04での神々しい瞬間が証明したように、数万の観衆、開かれた空間と闇、カラフルなライティングこそ、ミューズが最も輝く場所である。フジロック'07初日、多くのファンが至高のライブを体感されることを願う。

 と、人ごとのように書いたが、「キュアーがフジロック'07参戦」という衝撃の情報がネット上を駆け巡っている。ミューズは自他共に認める<キュアー・チルドレン>だし、トム・ヨーク(レディオヘッド)はキュアーに絶対的な敬意を払っている。トリがミューズ⇒レディオヘッド⇒キュアーの流れになれば、俺もフジに行くしかない。

 そこは人騒がせのロバート・スミスのこと、フジといっても、「富士スピードウェイ」(ウドー主催)の可能性も否定できないのだが……。

 <追記・訂正> まずはウェンブリーの件。スタジアムの公式サイトで大々的に公表されたにもかかわらず、今月に入り、G・マイケルがミューズの直前にブッキングされたらしい。背景にはいろいろなことがあるのだろう。キュアーのフジロックが決定した。27日とのこと。ミューズが27日のトリという情報を信じて書いてしまったが、ガセだったのかもしれない。2日目以降にずれる可能性もあるが、ミューズ⇒キュアーの流れなら、1日券で済むのでラッキーだけど。
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フィールド・オブ・ドリームス'66&'88

2007-03-11 01:05:31 | スポーツ
 クラシコが数時間後に迫った。バルセロナとレアル・マドリードはリーガで精彩を欠き、チャンピオンズリーグでも轡を並べて敗退した。例年になく重苦しいムードで迎えるクラシコだ。

 昨季のバルセロナは「フィールド・オブ・ドリ-ムス」に値するチームだった。ロナウジーニョを軸にイマジネーション溢れるプレーを展開し、自由を希求するカタロニアの土壌にマッチした。今季のバルサはエトーの言動が波紋を呼ぶなど、「金属疲労」でケミストリーが失せている。オフに錆を落とし、夢の続きを見せてほしい。

 個人的な「フィールド・オブ・ドリ-ムス」は、ともに野球に連なるものだ。まずは1966年7月27日のボールパーク初体験から。俺は父と叔父に連れられ、甲子園で阪神対巨人を見た。

 白黒テレビで試合を見ていた俺は、カラフルなグラウンドとざわめきが醸し出す「野球の匂い」に、たちまち胸がいっぱいになった。巨人の練習中、連係が乱れ、三塁側スタンドの俺の足元にボールが転がってきた。苦笑いした土井が、グラウンドでグラブを構えている。「エイッ」とボールを投げるとストライクでグラブに収まり、土井が笑顔で会釈してくれた。

 巨人先発は悪童堀内だった。ダイナミックなフォームが魅力だったが、制球に苦しむことが多く、阪神に3点を先行された。「アカンな」とうなだれたが、巨人の反撃は目覚ましく、赤手袋(ホントに赤かった)の柴田が塁上を駆け巡り、ONが夜空にアーチを懸ける。後半立ち直った堀内は、開幕13連勝の新人記録を達成した。

 野球を「亡国病」と毛嫌いしていた父だが、おとなしく観戦していた。あの夜から四十余年、親しかった叔父とともに、極楽で仲良く碁を打っているに相違ない。

 二つ目の「フィールド・オブ・ドリームス」は、数々の逸話に彩られた<10・19>だ。88年10月19日、学生時代の先輩と川崎球場で、ロッテ対近鉄のダブルヘッダーを見た。連勝が優勝の条件だった近鉄だが、第2試合で引き分け(時間切れ)、力尽きる。飄々とした仰木監督、ベンチで動けなくなった中西コーチ、美しい敗者というべき阿波野投手、河内のあんちゃん風のいかつい選手たち……。当時の近鉄には魅力ある顔ぶれが揃っていた。

 <10・19>が伝説になったのは、野球の面白さが凝縮された試合内容ゆえだった。「ニュースステーション」が年末特番で、あの数時間を取り上げたことも話題になった。競輪の代わりに訪れた野次馬でさえ、息詰まる展開に魅入られていく。ラジオ中継を聞いていた者が「阪急がなくなったぞ」と叫ぶと、さざ波がスタンド全体に広がった。俺を含めた「負け犬」たちは、強者(3連覇中の西武)への敵意を秘めて近鉄を応援する。個々の情念が混ざり合って巨大な坩堝になり、異様な熱はグラウンドを超え、日本中に伝播した。

 「江古田組」を形成していた学生時代の仲間は、あの夜を境に、櫛の歯が欠けるように街を出ていった。<10・19>は俺にとり、青春期にピリオドを打つイベントでもあった。

 「フィールド・オブ・ドリームス」第3幕は訪れなかった。感性が磨耗したせいかもしれないが、音楽では夢の瞬間を数多く味わうことができた。きょうとあすは、ミューズが奏でるイリュージョンに浸ることにする。

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「わたしを離さないで」に見る日本文学の理想形

2007-03-08 01:51:08 | 読書
 カズオ・イシグロの最新作「わたしを離さないで」を帰郷中に読んだ。イシグロの作品に触れるのは、ブッカー賞受賞作「日の名残り」以来である。

 イシグロは1954年、長崎で生まれ、5歳の時に家族とともに渡英した。デビュー後、数々の文学賞に輝き、クッツェー(南ア)、ラシュディ(インド)、アトウッド(カナダ)らとともに英連邦を代表する作家として認知されている。

 キャシーの抑揚の利いた語り口で、内面世界が抒情的に描かれていく。原題”Never Let Me Go”はジャズのスタンダードだが、ジュディ・ブリッジウォーターは架空の歌手という。キャシーは少女時代、「ベイビー」の歌詞を字義通り解釈し、<奇跡的に授かった子供を奪われる母親の哀しみの歌>と信じていた。読み進むにつれ、物語の肝となるエピソードであることに気付く。

 緻密な構成でミステリーの要素も濃く、アーサー・C・クラーク賞の最終候補に残ったという事実は、SFとしてのレベルの高さも証明している。冒頭(キャシーの現在の心情)で、「介護人」と「提供者」のキーワードが提示され、第二章以降、キャシーの回想が綴られていく。外界と遮断された「ヘールシャム」で、キャシー、ルース、トミーが織り成す恋と友情は、普遍的な青春の風景だ。

 生徒たちは「キャシー・H」のように、姓はイニシャルで省略されている。情操教育が奨励される「ヘールシャム」の「保護官」たちは、生徒たちの未来を、段階を踏んで教えていく。キャシーたちの行く手に立ちはだかっていたのは、醜悪な仕組みの上に構築された巨大な「壁」だった。

 ネタバレは避けたいのでオブラートに包んでおくが、物語の背景は映画「アイランド」(05年)に近い。キャシーの語り口は無常観に彩られ、若者たちは過酷な定めを義務として受け入れる。ポール・セローが同じテーマで小説を書いたら、豊穣でスケールの大きいストーリーが展開し、叫びと怒りがパワーになって、「壁」を爆破したに相違ない。

 読了後にしみじみ伝わってきたのは、<日本文学の理想の薫り>だ。「もののあわれ」、「滅びの美学」、「自己犠牲」、「予定調和」、「矜持」、「恥の意識」といった日本で死語になった価値が、イシグロの作品に息づいている。ページを繰るうち、体の底から柔らかで儚い感覚が溢れ出て、自然に目が潤んでいた。懐かしさとともに、自分が日本人であることを再認識する。

 イシグロは村上春樹と親交が厚いらしい。「外国人」である前者が<ジャパネスク>なら、「日本人」である後者は<デラシネ風>だが、いずれかが(あるいは両方が)、ノーベル文学賞の栄誉に浴する日は来るのだろうか。

 車谷長吉に続き、「晩年の友」を発見できて幸いだった。「浮世の画家」と「わたしが孤児だったころ」は文庫になっているので、早速購入することにする。
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東京砂漠へUターン

2007-03-05 21:17:41 | 戯れ言
 併せて営まれた祖母の十七回忌、父の十三回忌のため1年ぶりに帰郷した。東京に先刻戻り、拙稿を書いている。

 実家は「氷川きよし記念館」の如く、ポスター、ブロマイド、カレンダーと「きよしグッズ」が溢れている。老人になると童心に返るというが、1927年生まれの母は「針の戻り」が思春期で止まったようだ。大音量でDVDを流されるのは迷惑至極だが、殺伐とした戦中に青春期を過ごしたことを斟酌すべきだろう。

 妹夫婦が子猫を連れてきた。シャム猫と日本猫の血が混じったハンサムボーイで、実に人懐っこい。猫は家につくというが、別宅でも警戒心なく寛ぎ、セットしたトイレで用を足すなど、お行儀もなかなかのものだった。

 法要が営まれた寺は親族で、俺が眠りに就く場所でもある。四季の移ろいもさやかな浄土宗の名刹で、俺には勿体ない「永の寝床」だ。戒名も生前に決められるなら、「酔生夢死無為無芸居士」がぴったりではないか。

 俺の立ち位置は左翼ライン際で、アンチ共産党ゆえ消去法で社民党(旧社会党)支持だが、政権交代への実効性を鑑み、民主党に一票を投じることもある。自民党に投票することなどありえないのだが、<思想信条と情の葛藤>が生じてきた。分刻みのスケジュールを縫って読経してくれた従兄弟は、今夏2期目を目指す自民党の参院議員(比例区)である。父の思い出を語りつつ目を潤ませた従兄弟の「情」に応えるとしたら、方法は一つしかない。

 法要のさなか、自分の血について考えてみた。父系だの母系だの御託を並べる競馬予想風に自らの来し方をたとえると、以下のようになる。

 父系から活発な「商人の血」を、母系から堅実な「役人の血」を引き継いだはずが、互いの長所を消し合ってだらしないレースを繰り返している。カイ食いはいいが、調教でもまじめに走らず、太めを解消できない。現状では、ハイペースでバテた先行馬をさばき、着を拾うのが精いっぱいか……。

 冴えない半生かもしれないが、少年時代から憧れていたのは時代劇に登場する長屋の素浪人だった。今の暮らしは、所期の目標を達成したといえぬこともない。

 粘着土壌は数日が限界だ。孝行娘の誉れ高い妹、人格者と評判の義弟、「心の息子」氷川きよしに母を任せ、放蕩息子は東京砂漠にUターンした。猫でも飼おうかと思い、アパートの契約書を確認したら、「ペット禁止、ただし牝猫は可」と記されていた。「牝猫=女性」と深読みできぬこともないが、果たして……。


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