酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

活動休止を宣言した吉田拓郎の思い出

2022-07-23 18:40:25 | 音楽
 睡眠障害の日々、ぼんやりテレビを見る時間が増えた。チャンネルサーフィンしていると「罪の声」(2020年)が始まり2時間半弱、最後まで見てしまう。丁寧に作られた作品で、同年の映画ベストテンに選ばなかった理由がわからない。そういえば、同作に出演している火野正平をテレビでよく見かける。「にっぽん縦断こころ旅」ではナビゲーターとして全国を自転車で回り、再放送されている「必殺商売人」の主要キャストだ。

 かつては不良、プレーボーイが〝売り〟だった火野も73歳。これからも枯れた感じで重宝されていくだろう。一方で76歳の吉田拓郎が芸能活動休止を宣言した。フジテレビの特番は、俺と同世代の古くからのファンにとって、拓郎像の本質に迫っていると言い難い内容だった。

 拓郎との出会いは中学の教室だった。昼休みに誰かが持ち込んだラジカセから、♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか……が歌い出しの「イメージの詩」が流れる。「凄い曲やな」と級友か漏らした感想が、その場にいた全員の心境を表していた。

 フォーク黎明期を支えたシンガーやファンは拓郎を裏切り者と見做していた。関西フォーク界の重鎮は地元ラジオ局で拓郎を批判していたが、後に拓郎がDJを務める深夜放送に招かれ歓談していた。〝人たらし〟も拓郎の魅力のひとつだろう。だが、全共闘世代など1960年代の学生運動を担った人たちの目に、拓郎は日和見と映ったようだ。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は安保闘争後の虚脱感を表現した曲として知られる。同じ役割を担ったのが、拓郎と岡本おさみ(作詞家)のコンビだ。「おきざりにした悲しみは」、「落陽」は喪失感を覚えた人たちに付き添った名曲である。♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる(「祭のあと」)の歌詞に癒やされた団塊の世代も多いはずだ。

 シングルとアルバムは連続してオリコンチャート上位に入り、森進一が歌った「襟裳岬」はレコード大賞を受賞する。フォーライフ設立、つま恋や篠島での大規模野外コンサート、ジャンルを超えた楽曲提供など時代を切り開いた突破者だった。「アジアの片隅で」が購入した最後のアルバムで、その後は洋楽一辺倒になる。

 カラオケで歌える曲は枚挙にいとまないが、「猫」のラストシングル「僕のエピローグ」が記憶に残っている。作詞は吉田拓郎で、閉塞感に包まれていた俺の青春時代を癒やしてくれた。一番好きなアルバムは松本隆が作詞を担当した「ローリング30」だ。拓郎は浅田美代子と結婚したばかりだったが、別離がインプットされたダウナーな曲も多い。松本の心情が反映されていたのだろう。

 同作には「爪」、「裏街のマリア」、「冷たい雨が降っている」、「外は白い雪の夜」など珠玉の名曲が収録されている。「舞姫」はアルバム未収録だが、拓郎と松本による最高傑作だ。♪舞姫 不幸は女を 舞姫 美しくする 男をそこにくぎづける 「死にましょう」女の瞳の切っ尖に 「死ねないよ」淋しさだけが押し黙る 舞姫 人は死ぬまで 舞姫 運命という 糸に引かれて踊るのさ……。この曲をカラオケで歌うたび、涙腺が緩むのを覚えた。

 「夏休み」は投下後の広島を歌った曲という。消えてしまったのは、麦わら帽子、たんぼの蛙、姉さん先生、畑のとんぼ……。改めて歌詞を見ると寂寥感が滲んでいる。福島原発事故で拡散した放射能は、広島に投下された原爆の1000倍に当たる。この先、日本の風景から何が消えているのか想像するのが怖い。

 拓郎も参加した広島フォーク村名義のアルバムタイトルは「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」だ。ジャンルを問わず、日本に<新しい水夫>が現れることを期待している。
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