酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ディス/コネクト」~断たれた絆は再生するか

2014-05-30 13:49:51 | 映画、ドラマ
 インターネット(IT)はアイデンティティーの浸潤をもたらし、真の意味のグローバリズムをもたらす……。十数年前、こんな風に喧伝されていたが、真逆の事態を導いた。ある意味、日本人向きのツールだったのか、無数のタコツボはサンクチュアリと化し、排他的傾向を強めている。

 河島英五は40年近く前、♪どちらも もう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ……と「てんびんばかり」の最後で絶叫していた。ITは現在、日本人の悪しきDNAというべき行動を伴わぬ相対主義を助長し、結果として権力を補強している。

 俺は混沌を好む十進法的人間で、当ブログの自己紹介に<あれやこれやグツグツ煮た鍋のような人間>と記している。ITに育まれた二進法思考の分類好きに、当ブログは正体不明と映るようだ。読者が一定の数を超えないのは、その辺りにも理由があると思う。

 さて、本題。バルト9(新宿)で先日、「ディス/コネクト」(13年、ヘンリー=アレックス・ルビン監督/米)を見た。重厚なテーマで完成度も高く、余韻が去らぬ傑作といえるだろう。東京では1館だけで、しかも空いていた。シネコンではなく単館系で上映していたら、お洒落なスノッブを動員できたかもしれない。

 ITに纏わる三つの事件と四つの家族の内実をカットバックしながら、ストーリーは進行する。以下に整理してみた。

 <A=ボイド家>…弁護士の父リッチは家族を顧みない。クラスで孤立している息子ベンは、SNSを悪用したいじめに遭い自殺を試みる。一命は取り留めたが意識は戻らない。ベンはミュージシャン志望で、シガー・ロスの大ファンだ。性同一性障害で苦悩の10代を過ごしたヨンシー(ボーカル)の曲がエンドクレジットで流れるが、〝シガー・ロス風〟のサントラが本作の奥行きを深めている。

 <B=ハル夫妻>…息子を失くして以来、デレックとシンディはセックスレスで会話もない。シンディはチャットにハマり、デレックはギャンブルサイトを覗いている。口座番号がネット上で盗まれ破産に追い込まれたが、容疑者としてシンディのチャット相手が浮上した。

 <C=カイルとニーナ>…ニーナは野心的なTV局リポーターだ。ポルノサイトでチャットした家出少年カイルのインタビューに成功して評価を高めるが、犯罪組織摘発に動いたFBIが介入する。調停に入るのは顧問弁護士のボイドだった。

 <D=ディクソン父子>…元刑事でネット犯罪関連の調査を生業にするマイクは、ハル夫妻の依頼にも丁寧に対応する。息子ジェイソンがベンの自殺に絡んでいることに気付いた。

 原題“DISCONEECT”が示す通り、主要な登場人物は絆が断ち切れている。孤独を癒やすため誰かと繋がりたいと切に願い、ネットの闇に沈んでいくのだ。今は孤独を愉しむ俺だが、十数年前までは男女を問わず接近戦を挑むタイプだった。スタンスが変わったのは、加齢による情熱の減退と数々の苦い経験で諦念が膨らんだからだが、本作を見てかつての傷口が疼いた。

 憎しみは噴き出すが、爆発寸前で踏みとどまる。当事者は互いの苦悩と絶望に観応し、手触りある絆に行き当たったのだ。カイルもまた、愛に至らぬニーナとの関係にピリオドを打ち、自身を庇護する疑似家族に戻っていく。

 昨年の勝ち馬はキズナだったが、手触りある絆を軸に今年のダービーを予想する。ドライな経済原理に貫かれる競馬サークルにおいて、大久保洋師と吉田豊騎手はアナログ的な師弟関係だ。メジロドーベルは厩舎ゆかりの名牝だが、大久保洋師はその孫ショウナンラグーンを最後のダービーに送り出す。同馬を軸に、トゥザワールド、イスラボニータ、レッドリヴェールを絡めて馬券を買いたい。
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「ブルージャスミン」~彼女が本当に失くしたものは?

2014-05-27 23:39:27 | 映画、ドラマ
 2年前のきょう(27日)、妹が召された。発見が翌朝になったのは、義弟が徹夜で職場(市役所)に詰めていたからである。膠原病が悪化した妹は、死の淵を彷徨った。奇跡的に退院にこぎ着け、日常に戻ったが、当人は日々、死を意識していた。知人の画家と完成させた童話の出版が2カ月に決まっていたが、「わたし、その頃にいるやろか」と母に漏らしていたという。

 死と向き合いながら、妹は周りへの気遣いを忘れなかった。葬送の儀で嗚咽、すすり泣き、号泣と数十人の目から涙が搾られたのは、彼女の優しさの証しといえる。京大病院で医師から厳しい見通しを聞かされ、暗澹たる思いで病室に戻った時、妹は笑みを浮かべ、遠くを見るような視線を遣っていた。あの時の高貴な表情が忘れられない。

 妹の死は、確実に俺を変えた。残った時間を精いっぱい生きることが最大の供養と考え、五十路にして初めて勤勉になった。俺は今、妹が敷いてくれたレールを歩いている。母のケアハウス入居で実家が消滅したが、親類宅(寺)が帰省先になった。妹が長年、信頼関係を築いていたからこそ受け入れられたのだ。俺は死ぬまで〝Sちゃん(妹)の兄〟として余禄に与り続けるだろう。

 さて、本題。銀座で先日、「ブルージャスミン」(13年)を見た。ここ10年、欧州に拠点を移していたウディ・アレンの最新作で、舞台は久々にアメリカ(サンフランシスコ)だ。冒頭の飛行機のシーンは、主人公ジャスミン(ケイト・ブランシェット)だけでなく、アレンにとっても帰還を意味していた。以下、ネタバレもあるがご容赦いただきたい。

 本作を「サンセット大通り」(50年、ビリー・ワイルダー)、「欲望という名の電車」(51年、エリア・カザン)に重ねた批評が目に付いた。堕ちていく女を演じ、アカデミー賞主演女優賞など栄誉を総なめにしたケイトの演技はグロリア・スワンソン、ビビアン・リーに匹敵すると絶賛する声も高い。邦画なら「西鶴一代女」(52年、溝口健二)の田中絹代だが、同じ列に座った女性2人組は「思ってたのと違って、暗くなかったね」と話していた。

 見終えた直後の印象は、宿命や業に彩られた50年代の名作と異なる。アレンは壊れ、堕ちるジャスミンを冷徹に描きながら、ユーモアとウィットのオブラートで包むことを忘れない。その分、重さは感じないが、象徴的なラストで「さあ、これから堕ちるわよ。見てて」とジャスミンが微笑む先に、本当の意味での崩壊と狂気が待ち受けているのだろう。

 ケイトは失くした富を惜しみ、リッチなセレブ生活の思い出に逃避しているだけではないか……。そんな風に感じていたが、ストーリーがカットバックしつつ進行するうち、ジャスミンが他者との正常な距離感を失った理由が浮き彫りになる。喪失感と贖罪に苛まれていたのだ。

 話は逸れるが、GWで帰省した折、母のお喋りのテーマは「転落」だった、母の次姉は京都北部の大地主の一家に嫁いだが、その繁栄ぶりが昨年、京都新聞丹波版に連載され、小冊子にもなった。お伽話は農地改革でつゆと消え、次姉は労働の意味を知らぬ夫と放り出される。開墾から始め、畑作業と牛や鶏の飼育に励んだ伯母の真っ黒な顔には、お嬢さまの面影などどこにもなかった。

 単純な母が本作を見たら、「生温い」と一蹴するだろう。ジャスミンは夫の逮捕で富を失ったが、這い上がれないほどの地獄だろうか。皆さんの周りにも、富を目安にした転落話はいくらでもあるはずだ。だが、思い出の曲として繰り返し流れる「ブルー・ムーン」の歌詞にあるように、ジャスミンが渇望するのは愛だった。<破産した女>は許容できても、<愛を失った女>と見做されることはプライドが許さない。だからジャスミンは、思い切った行動に出た。

 アメリカに戻ったためか、アレンは自らの負の部分もあえて作品に投影している。ジャスミンと妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)は里子の姉妹だ。ホーキンスがダイアン・キートンに似ていると感じたのは、俺だけだろうか。里子といえば、アレン自身のスキャンダルを連想する人は多いはずだ。ジャスミンの夫ハロルド(アレック・ボールドィン)が18歳の留学生と真剣に愛し合うという設定にも、アレン自身の趣向が反映されている。

 アレンの作品は30本近く見ているが、創作意欲は70歳を超えても全く衰えない。本作を含め高いレベルをキープしているから驚きだ。名匠の次回作にも期待している。
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輝ける世代のために~「美味しんぼバッシング」と闘おう

2014-05-24 22:40:23 | 社会、政治
 ここ数日、原発関連のニュースが相次いで報じられた。20日付から朝日新聞が連載している「吉田調書」で、吉田昌郎氏(福島第一原発元所長)の痛切な思いが明らかになる。「調書の中身は特定秘密に当たる」が菅官房長官の見解で、仕事先の夕刊紙が伝えた通り、秘密保護法(年内施行?)が適用されていたら、記者と情報提供者は逮捕されただろう。

 同調書は東電の対応、吉田氏自身の判断ミスを含む多岐にわたる内容だ。第1回で明かされたのは<福島第一原発所員の9割が事故の4日後、服務規定に反して第二原発に撤退していた>事実である。メディアも同様で、紙面やニュース番組で安全を強調しながら、大半の記者が圏外に去り、フリーランスだけが現地で取材を続けた。

 被曝を恐れた東電やメディア関係者を「責任感に欠ける」と頭ごなしに批判できない。問題なのは、調書公開まで誰一人、真実を伝えなかった点である。「私たちは逃げた。それほど危機的な状況になっているからだ」と心ある記者がクビ覚悟で世間に伝えていれば、民主党政府の情報隠蔽を崩せた可能性もある。

 福井地裁で21日、大飯原発の運転差し止めを命じる判決が出た。「大飯原発の安全技術と設備は脆弱。人格権を超える原理は憲法上見いだせない」とする内容だ。辺見庸氏はブログで<人格権とは人間存在やその尊厳と分かち難い諸権利の概念で、「幸福追求権」(憲法13条後段)から導かれる基本的人権の一つである。「生存権」とともに公法、私法を超えて普遍的概念であるべき>(論旨)と述べ、<至極まっとうな判決が画期的と評される日本は、あまりにまっとうではない>と記している。

 米政府機関とMITによる共同研究では<原発=コスト高、非効率>の結論が出ているが、原発は人格権、生存権、良心、倫理、正義に関わるテーマで、経済で測られるべきではない。福島の事故処理も進まぬ中、日本同様、地震国であるトルコへの原発輸出が決定した。まさに〝災禍の輸出〟だが、3・11当時、政権の座にあった民主党まで賛成というから暗澹たる気分になる。ちなみに、台湾では「日の丸原発」と呼ばれる日本製原発建設に反対する集会が数万人規模で開催されている。

 至極まっとうな判決に自民党首脳は「控訴審で変わるだろう」とタカを括っている。真意は〝圧力を掛ける〟ということだ。一方で至極まっとうな判決は、反原発側を勇気付けた、進行中の憂慮すべき事態「美味しんぼバッシング」に対抗し、手を携える動きが起こっている。

 日本政府が広島と長崎の被爆者にどれほど酷い仕打ちをしたかはご存じの通りだ。同じことが数年後、繰り返されようとしている。若い世代が甲状腺がんを発症し、東電や国への訴訟が相次ぐだろう。自公や民主が政権に加わっていれば司法は屈服し、<甲状腺がんと原発事故に因果関係はない>と敗訴が続くはずだ。「美味しんぼバッシング」は明らかに、未来に向けた布石である。

 広瀬隆氏はブログで<美味しんぼ騒動について「DAYS JAPAN」から知性的な反論>のタイトルで、広河隆一編集長のアピールを載せていた。同誌最新号には広河氏自らが測定したチェルノブイリと福島の放射線量をデータとして公開している。旧ソ連ゆえ〝民主的ではない〟と見做す向きも多いウクライナとベラルーシだが、原発事故後の対応は日本と真逆だった。情報公開に努め、事故と甲状腺がんの因果関係を認めた上で医療体制を確立する。福島の放射線量を知った責任者は、「ここに多くの人が暮らしているなんて信じられない」と絶句した。

 「DAYS JAPAN」最新号では、広河氏のリポートを小出裕章氏が解説している。広瀬、広河、小出の俺の中の〝反原発のキリスト〟3人が再び手を携えた。広瀬氏は反原発派の自治体議員の増加こそ国を根底から変える条件と考え、プロジェクトを進めている。昨日の講演会(埼玉)には三宅洋平、山本太郎の両氏もビデオメッセージを送ったという。

 元首相タッグの「自然エネルギー推進会議」は看板ばかり目立つが、そこに旧来の運動体、三宅、山本氏を支持するパワフルでフレキシブルな若者が加われば、自由な気風に満ちた反原発運動が広がるだろう。俺が会員である緑の党も、一つの軸になるはずだ。

 「輝ける世代のために」……。3・11以降、マニック・ストリート・プリーチャーズの曲名を繰り返し記してきた。先月末に足を運んだ講演会「チェルノブイリと福島」で広河氏とともに壇に立ったシネオカヤ・インナさんは、甲状腺がんに罹患しながら結婚し、出産した。国や自治体が早急に医療体制を確立すれば、多くの子供たちを救うことが出来ることを、インナさんは身を以って証明した。

 棄民国家の悪しき伝統を捨て去り、輝ける世代の希望を摘まないためにも、<福島は大丈夫>という管制の風評の誤りを知らしめる必要がある。「俺如きの言葉に騙されてたまるか」とお考えの方は、「DAYS JAPAN」最新号を一読してほしい。
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「すべて真夜中の恋人たちへ」~光と色彩が織り成す未完のラブストーリー

2014-05-21 23:36:41 | 読書
 まずは将棋の速報から。挑戦者の羽生3冠が森内名人に4連勝し、名人に復位した。30年近くも切磋琢磨してきた両者だが、今シリーズは技より気合のぶつかり合いといった印象だった。羽生の斬り込みに腰の重い森内が応える展開になり、スリリングで清々しい闘いを満喫できた。

 GW明けから小説を2冊、異なったペースで読んでいる。重厚で長冊の「コレラの時代の愛」(ガルシア・マルケス)は寝る前、睡眠導入剤としてページを繰る。同時進行で「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」に続き、「すべて真夜中の恋人たち」(川上未映子、講談社)を読了した。

 「へヴン」を紹介した稿を<邪念と煩悩の塊である俺にとり、「ヘヴン」は最高の濾紙だった。純水が心身の隅々に行き渡る瑞々しさに浸っている>と結んだ。「すべて――」は「ヘヴン」の次作で、主人公の冬子は俺と同業の校閲者である。今回は俺独自の〝校閲論〟も併せて記す。

 
 俺は夕刊紙、冬子は書籍で、同じ校閲といっても作業のリズムは大きく異なる。だが、集中力が求められる点は変わらない。その部分の決定的な差が、冬子=一流、俺=三流になって表れている。優れた校閲者は謙虚で、失敗の痛みを理解している。赤字を見つけてもそっと指摘し、見落とした人のプライドを守るのだ。失敗の連続だった俺は寛容な先輩たちに感謝しているが、能力不足ゆえ、受けた恩を全く返せていない。

 「適性もないのに、よく30年も続けたな」……。こう言われたら返す言葉はないが、俺はどの業種に就いていても最低ランクに位置したはずだ。唯一、人並み(偏差値50)にこなせるのが新聞の校閲だ。スピード勝負で100点を求められないし、作業上、チームスピリットが求められるからである。

 「すべて――」で冬子は、いくらチェックしても赤字は残るという校閲者の宿命に直面する。本屋で自身が担当した書籍を手にした瞬間、ミスに気付き愕然とする場面が印象的だ。ちなみに俺は、上記の「コレラの愛の時代」で誤植らしきものを見つけた。文中に<「国家」の詩の作者>とあったが、正しくは「国歌」ではないかと……。

 小説の主人公は、必ずしも作者の実像を反映しているとは限らない。本作の冬子は自己主張せず控えめだ。性体験は高校時代の一度きりだが、行為の直後、「ぼくは君をみてると、ほんとうにいらいらするんだよ」と詰られ、ジ・エンドだ。職場でも〝無視という名のいじめ〟に遭い、おのずと孤立してフリーになった。

 川上は小説で芥川賞、詩で中原中也賞を受賞し、俳優(映画「パンドラの匣」主演)、歌手として活躍する。奔放に生きてきたはずの川上が、真逆に見える冬子を主人公に据えた意図はどこにあるのだろう。冬子に仕事を差配する同い年の聖(出版社社員)を作者の投影と見ることも可能だが、川上は「冬子こそ私の実像」と解説するかもしれない。

 聖と冬子は光と影のコントラストで、好対照ゆえ親しくなり、相互に依存している。一歩踏み出した冬子は、聖の装いに身を纏う。本音を語ろうとしない冬子に、聖は「あなたをみてると、いらいらするのよ」と言い放つ。それでも友情は壊れず、聖は身をもって強い生き方を冬子に示す。

 30代半ばの冬子は、世間に蔓延する〝恋愛マニュアル〟とは無縁の慎ましさだ。彼女のモノローグに触れるうち、俺はなぜか疼きを覚えた。孤独とは、他者の意味とは、愛することとは……。誰もが、もちろん俺も、一度は悩み、そのうち直視を諦めて回路を閉じた命題に再会し、心を揺さぶられた。

 
 他者との距離を縮めようと、カルチャーセンターに通うことを思い立った冬子は、胸襟を開く手段として酒を用いる。酩酊状態で講座受付に赴くも、ソファで寝込み、バッグをすられる。窮状に陥った冬子の前に現れたのが50代後半の三束だった。

 時代遅れでアナログな恋愛、いや、未完のラブストーリーが展開する。プラネタリウムを訪れたことは前稿で触れたが、高校の物理教師という三束なら、壮大なページェントをロマンチックに解き明かすだろう。光と色の仕組みを説明する言葉に、人生への洞察を覚えた冬子は、次第に三束に惹かれていく。

 孤独ゆえに、微かな光に希望を見いだし、恋の予感が絶望と孤独を深める……。時代遅れでアナログな冬子の真情に、10代の頃の俺が重なった。ようやく壁を破り、自分と他者に向き合った冬子にもたらされたのは、悲痛な現実である。煌めく星のような美しい言葉で織り成された本作もまた、俺にとって「ヘヴン」同様、至高の濾紙だった。

 五十路になって涙腺が脆くなったと記しているが、心も乾季から雨季に移っている。寂寥と憂愁という言葉を、ようやく感覚で捉えられるようになった。心を洗ってくれる小説や映画のおかげである。
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プラネタリウム、「相棒」、リーガ最終決戦etc~初夏の雑感あれこれ

2014-05-18 21:16:06 | 戯れ言
 ネタ切れでもあり、今回は初夏の雑感を取り留めなく手短に記したい。

 知人に誘われプラネタリウム(足立区)を訪れた。子供連れ、カップルに混じり、俺より年長のおっさんの姿もある。光速が単位のスケールに、自身の小ささを思い知った。ロマンチックな清々しさに浸るはずだったが、俺の思考はあらぬ方に逸れる。館員の解説に出てくる星の名に馴染みがあるのは、競馬のレース(主にダート)に採用されているからだ。俺という微少な塵には、煩悩が高密度で詰まっている。

 待ち合わせた喫茶店で本日付の読売新聞をめくっていると、1面に「解釈改憲は可能」、3面に「原発ゼロで今夏は厳しい」の見出しが躍っていた。俺の意見と正反対だが、1000万読者を誇る読売は世論形成に大きな影響力を持っている。メディア幹部と政権中枢との蜜月は伝えられる通りで、マインドコントロールは確実に進んでいる。

 すき家の28店舗がバイト不足で営業休止中だ。外食産業やスーパーに限らず、東日本大震災の復興事業も東京五輪決定で人手不足に陥る見込みだ。地方都市では既に、外国人労働者の導入が進んでいるという。CIAの元分析官は「少子高齢化の日本で軍備増強は不可能」と断言していたが、村上龍が「歌うクジラ」で描いたように、安倍首相は<日本軍≒外国人部隊>を想定しているのだろうか。

 「相棒劇場版Ⅲ」を銀座で見た。YAHOO!レビューの低評価(5点満点で2・5弱)通りツッコミどころ満載だが、最大の「?」は室司(伊原剛志)率いる民兵組織が貧弱だった点だ。作品の背景にあるのは<反安倍>だ。〝強い日本〟が若者受けしていることを踏まえた上で、杉下(水谷豊)は室司の信念を「国防という流行り病」と斬って捨てた。カチンときた安倍支持者が辛い点をつけた可能性もあるだろう。

 細川護煕氏が体調を崩し、脱原発の活動を当分休止するという。小泉アレルギーを弱める緩衝材、反原発派の接着剤としての役割を俺は細川氏に期待している。それでなくても、トルコへの原発輸出に賛成した再稼働支持の民主党、原発以外は自公と同じの維新やみんなが新法人〝抱きつき〟を画策している。賛同人に名を連ねた左派やリバラルは気を揉んでいるのではないか。

 細川氏が76歳なら、ポール・マッカ-トニーは71歳……。そのポールの国立競技場公演が、体調不良で2日続けて中止になった。落胆している方も多いと思う。小学校低学年の頃、ラジオから流れてきた「シー・ラブズ・ユー」に電気が走って半世紀、音楽の魔法にかかった俺は、いまだに〝ポップの迷路〟を彷徨っている。ポールの回復と代替公演決定を心から願っている。

 バルセロナとアトレチコ・マドリードのリーガ最終節決戦は、1対1の引き分けでアトレチコが18季ぶりの優勝を決めた。逆転Vを信じてカンプノウに詰めかけた10万大観衆は、攻撃の要が相次いで途中交代しながら頑張り抜いたアトレチコに拍手を送る一方、動きの悪いメッシに大ブーイングを浴びせる。メッシは今季後半、精彩を欠いていた。W杯で汚名返上となるだろうか。
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「世界の果ての通学路」に見る子供たちの志の高さ

2014-05-15 23:49:04 | 映画、ドラマ
 「化け猫」、「泥棒猫」、「猫ばば」……。善行や美徳に縁のない猫が、飼い主一家の男児を助けてヒロインになった。カリフォルニアでの出来事である。男児の足を噛んだ犬に体当たりをかましたのが牝猫タラで、引き離した後も総毛立ちで威嚇するなど、あっぱれな〝忠猫〟ぶりだ。猫派で犬嫌いの俺には留飲が下がる映像だが、〝犯犬〟が殺処分になると知り、複雑な気分になる。

 国の形が変わろうとしている……と大上段に構えたものの、集団的自衛権行使に意欲を見せた安倍首相の会見について、何を語っても受け売りになる。自国の憲法について見解を持てないなんて恥ずかしい限りだ。学び、考え、そして行動を通じ、咀嚼した言葉をいずれ当ブログで記したい。

 ベネズエラの政変(02年)を追ったドキュメンタリー(アイルランド製作)をNHKで見たのが、憲法の意味に行き当たったきっかけである。CIAらによるクーデターを跳ね返して復帰したチャベス大統領の第一声、「憲法は国家の規範であり、何人もその尊厳を侵せない」に強い感銘を受けた記憶がある。晩年は独裁者と化したチャベスだが、初心は安倍首相と対照的に高邁だった。

 絶対王政の君主の如く憲法を玩具にする安倍首相を罵っていても仕方ない。俺の従兄弟はフィリピンが台風で被災したのを受け、基金を立ち上げた。頻繁に訪れる当地は確かに貧しいが、自由の気風に溢れていると彼は言う。冷蔵庫で腐った自由を解凍しなければ、政権にブレーキは掛けられない。

 ようやく、本題……。新宿で先日、「世界の果ての通学路」(12年/仏、パスカル・ブリッソン監督)を見た。世界の4組の子供たちが遠く離れた学校へ通う姿を追ったドキュメンタリーである。

 ケニアのジャクソン(11歳)は妹のサロメとともに、往復30㌔の道のりを通う。政情不安に加え、ギャングも出没する。野生動物の中でも、とりわけ象が子供たちの障害物になる。ジャクソンは高みで象の群れを観察し、進路を決める。日々がまさに命懸けの決断だ。パイロットを夢見るジャクソンにとって、通学で体験した〝危機管理〟は大きな糧になるだろう。

 アルゼンチンのカルロス(11歳)は妹ミカと一緒に馬で片道18㌔を通う。険阻な山道ゆえ、距離以上の難関だ。馬への思いが強いカルロスは、獣医を目指している。上記のジャクソンと共通しているのは、家族にとって重要な働き手であること、そして妹との絆だ。俺しい兄ではなかったことを、今更ながら反省した。

 モロッコのザヒラ(12歳)は毎週月曜朝、22㌔を歩いてのある学校に通い、金曜夕方に家に帰るというスケジュールだ。女性の教育には前向きではないイスラム社会の山あいの村では、モスクが学校の役割を果たしていた。ザヒラは家族の理解もあり、2人の友と通学している。少女3人組がアクシデントで難儀していても、当地の人が意外なほど冷たいことが不思議だった。字幕を見落したが、ザヒラは医師か教師になって社会に貢献したいと考えているようだ。

 インドのサミュエル(13歳)は足に障害を抱えており、歩行困難だ。彼を支えるのは2人の弟で、車椅子を押して片道4㌔を通学する。協力的な街の人たち、同級生たち、そして何より家族の愛情に感謝するサミュエルは、医師になって自分のような子供を助けたいと考えている。

 怠け者の俺の10代の夢は長屋の素浪人で、20代の夢は恥ずかしながらヒモだった。そんな自分と比べて観賞し、子供たちの学ぶことへの情熱と志の高さに感嘆した。本作に登場した子供たちと俺の志向は真逆だが、この国の教育の在り方が間違っている可能性もわずかながらある。

 子供たちは不自由な組織で飼い慣らされ、ランク付けされていくのが日本の学校の実態ではないか。直感でそこに気付いた俺は、規制を逃れ、嫌なことはせず、アラカンになって10代の理想(素浪人)を実現した……、なんて強くは言えない。沈まなかったのは悪運の成せる業と自覚しているからだ。
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「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」~奥泉光の自虐的ユーモアを愉しむ

2014-05-12 23:33:20 | 読書
 「美味しんぼ」の主人公のモデルは俺の旧友……。仕事先でこう話したら一笑に付された。自身の信用のなさの証しだが、紛う方なき真実で、彼が演出と脚本を担当している劇団HPにも紹介されている。彼が映像ディレクター、ライターとして活動していた頃、原作の雁屋哲氏と知り合ったのだ。

 その「美味しんぼ」が波紋を巻き起こした。福島に取材に行った主人公らが、疲労感を覚えたり、鼻血を出したりと体調不良を訴えたという設定で、井戸川前双葉町町長が「同様の症状の人が数多くいる」と語るシーンがあった.この記述に「風評被害を招く」として石原環境相、福島県知事らが相次いで抗議する。

 福島原発事故による体内被曝については別稿(4月27日)に記した。「チェルノブイリと福島」と題された講演会で、広河隆一氏は「沖縄の保養施設を訪ねる福島の家族に圧力が掛かっている」と語っていた。<福島=安全>の公式見解に反する者は村八分状態に置かれている。「美味しんぼ」のケースと背景は同じだ。

 甲状腺がんを発症した人たちが数年後に訴訟を起こしても、国や自治体は<原発事故との因果関係は不明>と却下することは疑うべくもない。棄民国家日本が原爆症患者に取った冷酷な政策が繰り返されるのだ。体内被曝を治癒する医療体制の確立こそが緊急の課題で、同時に廃炉への道筋を議論すべきだ。「自然エネルギー推進会議」は俺の目に、離婚成立以前に始めた婚活と映る。

 さて、本題……。奥泉光の「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(11年、文春文庫)を読了した。タイトルから「ガリレオ」の湯川学(福山雅治)のように颯爽としたイケメンを想像していたが、クワコーは真逆だった。2年前にドラマ化され、佐藤隆太が主役を演じたらしいが、原作を読む限りミスマッチだ。少し若くした大地康雄、斎藤暁あたりが適役ではないか。

 クワコーは沈没船の乗員だった。閉鎖が決まった大阪の女子短大(通称レータン)から、千葉の「たらちね国際大」に赴任する。学内の基盤固めを策した鯨谷教授の引きだったが、おいしい話には裏がある。沈没船から難破船への、さらに過酷な地獄への旅立ちだった。クワコーの手取りは月に11万強……。前職から3分の1に激減で、超耐乏生活を強いられる。

 奥泉は芥川賞作家の中でもトップクラスの文章家だが、本作では自虐的にクワコーの心理を表現している。給与だけでなくあらゆる不条理を受け入れ、抗議の声を上げることはない。右顧左眄するだけの小心者で、やることなすこと間が悪い。

 レータン→たらちねは、最も偏差値が低い大学間の転職で、クワコーもまた、最低の部類に属する研究者だ。人は大抵、環境が変わると心機一転する。クワコーも例外ではなかったが、小手先のイメチェンは意味をなさない。レータン時代の評判や言動はすべからくネットにアップされているからだ。文芸部顧問を仰せつかったが、部員たちは初対面からレータン時代のあだ名クワコーで呼ぶ。

 <遅れてきた戦記作家>というべき奥泉は、軍艦を舞台に重厚なミステリーを発表しているが、本作は諧謔とユーモアに満ちている。文芸部の面々は個性的で、文芸に殆ど興味がない。コミケ出展が年中行事で、趣味は揃ってコスプレである。言葉遣いは2ちゃんねるの書き込みそのままで、恥を次々晒すうち、クワコーの定位置は最下層と定まった。

 若い子に囲まれてはいるが、アバンチュールに発展しそうな空気は一切ない。部員たちにご馳走するだけの財力はないし、尊敬もされていない。彼女たちからすれば、男というより無様で哀れな物体なのである。温くピンボケな部のムードがクワコーにマッチしているが、異彩を放つのは〝ホームレス女子大生〟のジンジンだ。彼女の明晰な頭脳が事件を解決していく。

 クワコーは知り得た実力者たちの恥部を〝武器〟に使う器量はなく、驚くほど初心だ。「ホンマ、筋金入りのダメ男やな」と思いつつ、俺は親近感を覚えてしまった。前編に当たる「モータルな事象」も読むことにする。

 サッカーW杯の日本代表が決定したが、俺は40年前のドイツ大会で魅せられたオランダを今回も応援する。組織重視のファン・ハール監督が選手の創造性を引き出せるかは甚だ疑問だけど……。
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胎動の予感~宇都宮&想田のトークライブに参加して

2014-05-09 16:31:44 | 社会、政治
 ノーマ・チョムスキーは1966年を以下のように回想していた。<保守的なボストンでの最初のベトナム反戦デモは、私を含め参加者は少なく、葬送の列のようにおとなしかった>(論旨)……。その直後、小さなうねりが全米を覆う嵐になったことはご存じの通りである。

 台湾では学生が立法府を占拠し、韓国では高校生が反政府運動の中心にいる。対照的に日本の若者は、そして国民はと嘆く向きもあるが、ケミストリーは突然起きる。〝アイデンティティー拒否症〟の俺がこの年(57歳)になって緑の党会員になったのは、同党が起爆剤、接着剤になって自由が胎動する可能性を感じたからだ。

 一昨日(7日)、細川護煕、小泉純一郎の元首相タッグが「新エネルギー推進会議」を立ち上げ、設立総会には緑の党関係者も詰めかけた。俺はその日、宇都宮健児氏と想田和弘監督のトークライブ「デモクラシーを取り戻せ」(文京シビックセンター・スカイホール)に参加したが、そこにも緑の党会員の姿があった。

 都知事選で反原発派は苦渋の選択を迫られたが、亀裂は修復されつつある。細川支持者から上がった<反原発には右も左もない>を見事なまでに否定したのが、新法人の成り立ちだ。俺は<体内被曝した若年層を支える医療体制の確立こそ反原発運動の軸になるべき>と主張し、新エネルギーを巡る動きに懐疑的だが、それでも法人に集った顔ぶれには納得した。元首相2人が「選挙から距離を置く」と明言しても、〝法人は新党旗揚げへのリハーサル〟と煽るメディアもある。みんなや維新などが〝抱きつき〟を狙っているが、左派、リベラル色の濃い発起人、賛同人が、原発以外は安倍首相の考えに近い候補を〝仲間〟と認めるはずがない。

 法人に馳せ参じた著名人には宇都宮氏に近いメンバーもいる。ベテランの見識に宇都宮支持の自由の気風に溢れた若者が加われば、ケミストリーが起きても不思議はない。トークライブで宇都宮、想田の両氏は緑の党、三宅洋平氏に何度か言及していた。都知事選期間中、三宅氏は〝敵〟の細川氏と対談し、「次は3人(プラス宇都宮氏)で会いましょう」と提案する。その約束が現実になる可能性も十分だ。

 トークライブのテーマは<選挙制度を軸にデモクラシーを考える>だった。都知事選に2度出馬した宇都宮氏、「選挙1・2」で日本の選挙制度を抉った想田氏が、自身の経験を基に語り合った。進行役は「全日本おばちゃん党」の海老原ゆかさんで、3人は同様の企画で何度か顔を合わせているらしく、和やかな雰囲気でトークは進んだ。

 日本の民主主義はなぜ、<取り戻す>必要があるまで停滞したのか……。理由を探る議論は時に抽象的で不毛になるが、今回のトークライブで答えの一つが浮き彫りになった。それは、民主主義国家というにはあまりに制限された選挙制度である。公職選挙法のモデルは1925年の普通選挙法だ。治安維持法が制定された年でもあり、体制に異議を唱える勢力への凄まじい弾圧が始まった。先進国で例を見ない莫大な供託金を課して政治参加を規制する公職選挙法は明らかに違憲で、権力にとって〝転ばぬ先の杖〟である。

 都知事選で奇妙な現象が起きた。街頭演説で細川候補は1万人前後、宇都宮候補も数千人を集めたが、舛添候補はせいぜい数百人程度。結果は真逆で、偏向したメディアへの批判が高まったが、問題の根はさらに深かった。<制度=ゲームの規則>を牛耳る自民党は、内向きに組織を固めれば勝てるシステムを維持している。

 公職選挙法の縛りの多さに愕然とした。候補者名、写真、経歴がセットになったビラは、有権者が1000万人超の東京で30万枚しか刷れず、選挙カーから候補者の演説が聞こえる範囲のみ配布可能なのだ。<貧困と格差のない社会を目指す宇都宮候補>と候補者がいない車から政策を訴えると、警告がすぐさま来る。若者が工夫を凝らして宇都宮支持を訴えても、違反と見做されるケースが多い。「秘密保護法は言論の自由を封殺する」と反対の声が上がったが、選挙制度に異を唱えないと、民主主義は萎む一方になる。

 昨年10月、<民主主義の足腰を鍛える>ことを目指し再起を図った宇都宮氏は、細川氏を準備不足の〝青い鳥候補〟と評していた。「あなたでは勝てないから降りなさい」とまで言われた以上、憤りが消えないのは当然だが、想田氏は自身の作品を踏まえ、「選挙に勝つためには妥協と不純さが必要」と語っていた。<世の中を変えるためには身近なところから始めること>が今回の結論で、志のある人の地方議会進出を両者は推奨していた。

 辛淑玉氏は宇都宮候補の応援演説に集まった若者に感銘を受け、「共産党をハイジャックした」と叫んでいた。今回のトークライブで宇都宮氏は「不自由な組織に民主主義を語る資格はない」(論旨)と語っていたが、俺の耳に〝不自由な組織=共産党〟と響いた。共産党系の選対入りを阻むなど共産党と軋轢を抱えている宇都宮氏は、三宅氏とともに区議補選で緑の党候補の応援イベントに参加する。党のHPにもインタビューが連載されるなど、宇都宮氏のスタンスは心強い限りだ。

 最後に緑の党会員として宣伝を。本日午後7時半から「特報都市圏」(NHK総合、再放送は翌10日午前10時50分)で前共同代表の高坂勝氏が紹介される。タイトルは「広がるダウンシフター」だ。恐らく数分で、政治活動は抜きになるだろうが、多様性、共生、浸潤するアイデンティティーを志向する高坂氏の生き方に共感される方は多いはずだ。
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新緑の京都雑感

2014-05-06 22:41:28 | 戯れ言
 京都から先ほど帰ってきた。GWで感じたことを手短に記したい。メーンの行事は妹の三回忌で、敬虔かつ厳粛に過ごすべきなのに普段通り馬券を購入する。POG指名馬は明暗くっきりで、ピオネロは青葉賞⑤着でダービー出走を逃したが、ベッラレジーナはスイートピーS②着でオークスに挑む。2年前の指名馬フェノーメノが天皇賞を制したこともあり、満足いく週末だった。

 法要後の宴で親族と歓談した。体調不良で列席できなかったり、体のあちこちに軋みを抱えていたりと、忍び寄る老いには抗えない。膝と肩の痛みが治まらない俺だが、緩和するための最高の方策がダイエットであることは重々自覚している。

 いつものように親戚の寺に宿泊し、母が暮らすケアハウスに通った。寺で従姉妹と話し、彼女の夫と長男が大のギャンブラーであることを知る。競馬はリアル馬主、麻雀はかなりの打ち手という。帰省した折、卓を囲む機会はあるだろうか。

 住職の従兄弟とニュースを見ていたら、緊迫したウクライナ情勢が映し出された。「ようわからん」と言うと、従兄弟からプロの見解を教えてもらった。従兄弟の高校の1年先輩は元ウクライナ・モルドバ大使で、つい先日、話をしたらしい。日本のメディアは<プーチン=悪、欧米=善>の図式で報じているが、元大使の見解は「欧米のウクライナ政策は酷いの一言。プーチンは間違っていない」……。何の蓄積もない俺は、首を傾げつつ頷いていた。

 住職を継ぐ次男は28歳のサーファーで週1~2回、主に丹後半島で波乗りに興じている。前稿で「緑の党が最も浸透しているのは京都」と記した。試しに彼に「緑の党、知ってる?」と聞いたところ、即座に「三宅洋平のとこですか」と答えが返ってきたから驚いた。サーファー仲間には緑の党支持者が多いという。環境保護の思いとアート志向の強さが、認知度の高い理由だろう。進取の気性に富んだ京都の土壌も大きい。

 ケアハウスで母とぼんやりワイドショーを眺めていたが、韓国の客船沈没と地下鉄事故に時間を大きく割いていた。韓国は安全に無頓着な国と言いたげだが、安全を掲げていた福島の原発事故を徹底的に追及したマスメディアが日本にあっただろうか。最大の課題である若い世代の内部被曝から目を逸らし、自然エネルギーを煽る向きにも違和感を覚える。

 ストーカー殺人もしつこく伝えられていた。罪を憎みつつ、同年齢(57歳)の犯人と自分を重ねてしまった。仕事もなく、同性異性を問わす親しい人間がいなければ、心はパサパサの砂漠になる。俺にしたって、歯車が二つ三つ狂っていれば、取り巻く景色は全くの別物になっていたはずで、何かやらかしていても不思議はない。そんなことを考えながら眠りに就いたら、殺人犯にでっち上げられた夢を見た。

 「光陰矢の如し」というが、俺ぐらいの年になると、ジェット機の如く時は後方に流れていく。死を覚悟して生きていた妹が示してくれたのは<どんな状況でも希望と目標を失わないこと>……。アラカンの俺が前向きなのは、全て妹のおかげだ。
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憲法記念日に寄せて~辺見庸と佐高信の対談に触発される

2014-05-03 01:07:41 | 社会、政治
 数年後は別の日が「憲法記念日」になっているかもしれない。憲法を支えるべき自由の気風が、この国から消えてしまった。安倍政権を批判する人たちは、自身が属する職場やコミュニティーで起きている不条理に、「NO」を突き付けているだろうか。

 映画「日本国憲法」(05年、ジャン・ユンカーマン監督)は、憲法について考えるための最良のテキストだ。憲法研究会(高野岩三郎、鈴木安蔵ら)による自由と人権を尊重した草案がGHQにインパクトを与えた。映画は複数の証言によって、現憲法の原案が日本人によって作成されたことを明らかにしている。

 憲法という貴重な宝物を腐らせてしまったのは我々自身だ。マイケル・ムーアは「民主主義国家では、全ての市民が活動家にならないと自由は形骸化する」と繰り返し語っていた。その<市民観>が正しいことは、日本の現状が証明している。

 アイデンティティー拒否症の俺だが、闘う市民になるため、この年(57歳)になって組織の一員になった。入会したばかりの緑の党は、民主主義の手続きにこだわるグループだ。三宅洋平の発信力に期待する面は大きいが、若者をいかに振り向かせるかが課題だ。

 「週刊金曜日」は3週にわたり、辺見庸と佐高信の対談を掲載した。編集委員である佐高が辺見の本音を引き出す形になっているが、示唆に富んだ言葉のキャッチボールだった。当ブログに以前記した内容と重なる点を中心に、以下に紹介したい。ちなみに辺見は、「この憲法を守るためだったら犠牲にもなれる」と語っている。

 第1回の見出し<戦後民主主義の終焉、そして人間が侮辱される社会へ>に、両者の思いが集約されていた。安倍的ファシズムを支えているものに、両者はネットを挙げている。辺見は「非常に平板な構文の中で、簡単な単語を使って納得し合うのがファシズムの基本形の特徴」と語り、佐高は「真に打倒すべきシステム(IT)を、それによって社会が変革できると錯覚している」と言葉を繋いだ。

 無限の可能性を秘めていたITが閉鎖的なタコツボを無限に生み出したのは、日本独特の病理と言えなくもない。相手と向き合って言葉をやりとりし、思い悩んだ末に結論に至るという<十進法的発想>が消え、世の中に<二進法>が蔓延している。惑い迷った魯迅こそ今読まれるべきと、両者の意見は一致していた。

 辺見の詩人としての直観、<歴史的なファシズムのなかにはグロテスクがある>は的を射ていると思う。ナチスドイツのグロテスクな振る舞いを挙げれば切りがない。民主主義の先生面して日本に上陸したアメリカだが、同時期のマッカーシズムの狂気にチャプリンもキャプラも吹き飛ばされた。

 現在の日本はどうだろう。大企業の追い出し部屋などグロテスクとしか言いようのないが、「リストラが功を奏した」と市場は歓迎する。原発輸出も倫理と良心に関わる重大な問題だが、民主党も賛成した。再稼働を目論む連合がメーデーに安倍首相を招待したのも当然の成り行きか。

 舌鋒鋭い両者は相乗効果もあって、メディア、左派、良識的文化人をぶった斬りする。背景に見据えたのは集団化で、個として闘うジャーナリストや政治家がいないことを嘆いていた。3・11から3年余、反原発の国民の思いが形にならない。最大の戦犯は政治家だと思う。田中正造のように身を捨てる覚悟の政治家、坂本龍馬のようなオルガナイザーも見当たらない。

 辺見はこの対談について自身のブログで、「ヤキのまわった年寄りの、ただのうさ晴らしにおもえてきて、はげしくいやになる」と記していた。辺見は時に攻撃的だが、まず最初に自らを穿つ。この姿勢こそ、俺が辺見に惹かれる最大の理由だ。

 これからひと眠りし、妹の三回忌のため帰省する。ちなみに京都は、緑の党が最も浸透している地域だ。政治とアートがリンクしており、府の共同代表はともに20代前半だ。三宅は昨年の参院選後、3年間で政治の構造を変えたいと語っていた。京都がケミストリーの起点になりそうな予感がする。
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