酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

初夏の雑感~ビフォー&アフター・コロナの狭間で

2020-05-30 19:36:36 | 独り言
 ビフォー・コロナ(BC)とアフター・コロナ(AC)……。キリスト生誕に続き、コロナウイルスは世界に新たな紀年法をもたらした。日本はというと、PCR&抗体検査が進まず、ウイズ・コロナ(WC)がダラダラ続きそうだ。

 <中国独り勝ち>が確実なACに暗い予感を抱いている。共産党は「1984」(ジョージ・オーウェル著)に描かれた〝抑圧の完成形〟に近づいているからだ。天安門事件を記憶と記録から抹殺した〝成功体験〟を基に、「国家安定法」導入で香港弾圧に踏み出した。「国際報道2020」(BS1)で共産党主導の「攻撃的愛国主義」がSNSを蹂躙していると伝えた支局員は、政府批判の書き込みに集中砲火を浴びせる組織的な動きに紅衛兵を重ねていた。

 米トランプ大統領は香港抑圧に抗議し、中国への対応措置を発表したが、ピンボケ感は否めない。そもそも国内外に無数の分断を生んだトランプに、人格を語る資格はない。経済や技術で中国の後塵を拝しつつある米国の〝存在証明〟は、ACのキーワードになるべき<連帯・共生>を掲げることだが、トランプだけでなくバイデンにも荷が重い。米国の凋落で、精神を暴力で踏みにじるサイバー独裁が、ACを脅かす病原体になるだろう。

 米国ではコロナ感染者が170万人、死者が10万人を超えた。初動の失敗、疾病対策センター(CDC)の力不足が指摘されているが、根本的な原因は1970年前後にスウェーデンのテレビクルーが製作した「ブラックパワー・ミックステープ~アメリカの光と影」(2011年に再編集して公開)に行き当たる。黒人家庭を訪問して貧困と差別の実態を収めた映像に、<福祉も医療も遅れた米国は、不自由で非人道的な後進国>とナレーションを重ねていた。ちなみに全米では今、黒人のジョージ・フロイドさんが白人警官に殺害された事件で抗議活動が広がっている。

 マイケル・ムーアの映画、別稿(2014年8月)で紹介した「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ」(ダイヤモンド社)など秀逸なノンフィクションが米国の矛盾と闇を抉っている。黒人、移民コミュニティー、低所得者層の間にコロナ蔓延が広まったのはこの半世紀、<1%>の利益のみを追求した政策の帰結といえる。

 米国では既に4000万人近くが失業保険を申請した。バーニー・サンダースが予備選で掲げた政策――格差と貧困の解消、国民皆保険、福祉と医療の充実――がACに求められている。次期大統領がニューディールに倣って失業者を救済する以外、米国には選択肢がない。

 俺の周辺でもコロナによる変化が起きている。飲食店、行き着けの接骨院、歯科医院、内科医院も客足が遠のいている。床屋も営業日を減らし、髭を剃れなくなった。商業印刷(チラシ、パンフレット等)を担当する校正者も仕事激減で喘いでいる。省力化、時短化、経費削減が〝ACのキーワード〟で、上場企業社員でさえ大幅な年収減は避けられない。俺のような非正規は失職と背中合わせだ。

 弱者のための政策を掲げる宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)が都知事選立候補を表明した。宇都宮氏に対し、全ての都民は政局報道と〝宇都宮氏では勝てない〟という悪しき相対主義から距離を置き、<何が今、東京で、そして日本で求められているのか>を考えてほしい。宇都宮氏が選挙戦を通してACの新たな指標を示すことに期待している。

 杉原浩司氏(武器取引反対ネットワーク代表)が川崎哲氏(ピースボート共同代表)のブログを紹介していた。<米国からの武器購入費(1兆1000億円)をコロナ対策に使ったら、集中治療室のベッドを1万5000床整備し、人口呼吸器を2万台揃えられ、看護師7万人と医師1万人分の給与を賄える。PCR検査センターを130カ所設置でき、高齢者をケアするヘルパーを4000人増員できる>という内容だ。上記の宇都宮氏も五輪を中止し、コロナ対策費に差し替えることを訴えるだろう。

 ウイズ・コロナでPOGドラフト会議は中止になった。俺が一番若いぐらいだから参加者の平均年齢は高く、今季が最後になる可能性もある。ダービーには指名馬の⑨ダーリントンホールと⑮サトノフラッグが出走する。馬連⑨⑮は買うが、冷静に考えて厳しい。POGに参加して馬を愛することを知った。あしたはテレビに向かって愛を叫ぶだろう。
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「恋人たちの失われた革命」~モノクロームに乱反射する革命の幻影と恋の原像

2020-05-26 23:13:26 | 映画、ドラマ
 東アジアでは韓国の民主化闘争、台湾のひまわり運動、香港の雨傘運動と、革命への胎動を感じる出来事が起きているが、日本では革命という言葉に忌避感を抱く人が多い。<革命=身を賭す>という発想が、悪しき相対主義に囚われているうちに摩耗したからだろう。

 太宰治は人間の本質を突く表現を小説にちりばめてきた。その中のひとつ<人間は恋と革命のために生れて来たのだ>(「斜陽」)を想起させる映画を見た。パリ五月革命(1968年)を背景に描かれた「恋人たちの失われた革命」(2005年、フィリップ・ガレル監督)で、映画館休館後の旧作シリーズ4回目になる。

 シネフィルWOWOWで録画した本作では監督の息子ルイが主役フランソワを演じ、恋人リリー(クロティル・エスム)と出会うシーンでは元妻ニコの楽曲を用いていた。自らも革命に関わっていたガレルの〝プライベートフィルム〟の趣もある。3時間以上のモノクロームで、イメージの連なりが記憶と重なり、時に反転して脳裏のスクリーンに焼き付いた。

 格好の予習になったのがWOWOWでオンエアされた「激動のカンヌ 1968」だ。68年2月、〝ヌーヴェルヴァーグの父〟アンリ・ラングロワが自ら創設したシネマテーク責任者の座を解任された。ラングロワを慕うルイ・マル、トリフォー、ゴダールらが決起したことが、五月革命の発火点といわれる。

 デモのさなか警官隊に殴られたゴダールが最もラディカルで、学生や労働者との連帯、カンヌ映画祭中止を訴えていた。時代のパトスが充満していたが、「恋人たちの――」は革命の熱と距離を置いていた。フランソワが仲間の元を去った後、「みんな孤独だった」とモノローグする。警官隊に投げる石は、ブーメランになって自身の心を穿っていた。夜陰に紛れたデモ行進は、流浪の民の如き暗い情念を湛えていた。

 フランソワの周囲には芸術家肌が多く、マリフアナや阿片を回し飲みしていた。正面から体制と向き合うだけでなく、風俗紊乱を実践している。当時の新宿では、街頭で抗議する学生と、自由気儘に街を彷徨うフーテンが同居していた。

 「恋人たちの――」は前後半でトーンが異なる。前半ではアナキズムを信奉する若者が革命の幻影に惑う。政府と組合側が妥協し運動からダイナミズムが失われた後半は、フランソワとリリーが恋の原像を浮き彫りにする。フランソワは詩を書き、リリーは彫刻家志望だ。モノクロームの映像が、彫像のように美しいフランソワの純粋さを捉えていた。恋の芽生え、そして別れの決意と、リリーの心の揺れを長回しで追った2つのカットが印象的だった。

 ラストは三角関係の末の悲劇とも取れるが、違うと思う。夢見がちなフランソワ、夢を実現するために前向きなリリーとの差は埋め難かったのではないか。渡米したリリーはブルジョア男と一線を画し、アナキストになったことを手紙でフランソワに知らせている。

 リリーがフランソワに「この瞬間を忘れないで」と話す場面に、前々稿で記した「ワンダフルライフ」が重なった。最も印象に残ったのは恋人たちが夜の街を歩くシーンだ。フランソワは自作の詩をリリーに聞かせる。その一節「無のすさまじい喧騒」こそ、本作の主音だった。原題は“Les Amants Réguliers”で英題は「レギュラー・ラバーズ」即ちありふれた恋人たちだ。邦題はフェイクかもしれない。

 五月革命の精神は今も受け継がれている。イエローベスト運動だけでなく、10代が全国規模の抗議運動で、国民教育省の方針を撤回させたこともあった。翻って日本の全共闘世代は何を残したのだろう。彼らが主導した半世紀、集団化した日本は深刻な閉塞状況に陥っている。
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ポスト・コロナのキーワード~公共事業、普遍的価値の再生、アメリカ失墜

2020-05-22 12:37:23 | 社会、政治
 この2日間で死者が1万人増えるなど、新型コロナウイルスの猛威は衰える気配がない。薫風の候というには肌寒い東京で、<ポスト・コロナ>をキーワードに雑感を記したい。

 黒川東京高検検事長が辞職した。プチギャンブラーの俺は、〝ギャンブル=悪〟を前提としたバッシングに違和感を抱いている。〝競馬や麻雀で借金まみれになって犯行に及んだ〟という設定はいまだ刑事ドラマの定番だが、人生は博奕の連続だ。恋と結婚、就職や会社運営、コロナ対策を含めた政治的決断はギャンブルの要素が濃い。辞職後、告発の嵐に晒されそうな安倍首相を、黒川氏はヤメ検として支えるのだろうか。

 日々公表される新型コロナ感染者数を基に、関西3府県で緊急事態は解除されたが、警戒度との差が不思議でならない。夏の甲子園中止が発表され、箱根駅伝の開催を危ぶむ声がある。一方で、感染者数が日本の10倍で、危険情報レベル3(外務省HP)のドイツでは、無観客とはいえブンデスリーガが再開されるなど、ハイテンポで日常に戻りつつある。

 日赤など医療機関によると、PCR検査で判明する新型コロナ陽性率は0・6%前後。潜在的感染者は60万以上になり、専門家会議は五輪中止に直結する第2波を確実視しているようだ。日本では昨秋のSARS-X型インフルエンザ流行によって免疫を保持している人が多く、重篤化が抑えられているという説もある。いずれにせよ新型コロナは正体不明だ。

 <99%>の生活実感と程遠い株価の動きも、俺の理解を超えている。市場は今、クオンツ(数量的なデータ解析)とAIを駆使した戦場になっている。かつてのように人間が主役ならコロナ関連で相次ぐ絶望的なニュースで急降下するはずの株価が一定の水準を保っている。電脳の背後にポスト・コロナを見据えたブラックホールが存在するのだろう。

 連続ドラマW「鉄の骨」(池井戸潤原作、全5回)は、政官財の癒着を背景にした重厚なドラマだった。中堅建設会社に勤める富島(神木隆之介)、辣腕の尾形常務(内田聖陽)、談合を牛耳る三橋(柴田恭兵)の3人を軸に物語は進行する。来年以降、街に溢れる失業者を吸収する装置として、公共事業の必要性が増し、三橋のような調整役が幅を利かすことになりそうだ。

 米国では失業保険申請が4000万件に近き、国民皆保険どころか〝国民皆失業〟になりかねない。誰しも1929年の世界恐慌時に重ねている。革命の機運を抑えるためにも〝大きな政府〟が世界の合言葉になった。フランクリン・ルーズベルト米大統領のニューディール、高橋是清の時局匡救事業、ナチスドイツの経済政策が代表的で、公共事業で失業率低減を目指した。

 格差と貧困の解消、国民皆保険、福祉と医療の充実、公共事業の必要性を訴えたバーニー・サンダースの公約は、ポスト・コロナ時にこそ求められる。後継者と目されるオカシオコルテス下院議員が提唱するグリーンニューディールを新自由主義が終焉した今、ポスト資本主義に向けた出発点と考えている。

 安定した生活の上に成り立つ国家再生が米国民にとって喫緊の課題だが、大きな政府を志向しないと、超高層ハイテクビルと広大な廃虚が隣接するアメコミの世界が未来図になる。世界最強、いや最凶国になる中国のサイバー独裁と圧倒的な資金力に対抗し、自由の価値を謳うことが米国大統領に求められるが、トランプやバイデンには無理な注文か。

 この間、<ポスト・コロナ>についての幾つもの論考に触れた。共通しているのは監視の常態化、国内だけでなく先進国と途上国の間の格差拡大への懸念だ。経済、歴史学、哲学、生物学など分野を問わず、知のトップランナーは、痛みを分かち合う連帯、共生といった普遍的価値の重要性を訴えている。分断と軋轢を招くトランプが再選すれば、さらに多くのツケを日本に回してくるだろう。ポスト安倍の最低条件は、米国の忠犬ではなく愛国者であることだ。

 ポスト・コロナ時代に最も相応しい知性が身近にいる。「脱成長ミーティング」発起人でGDPに囚われない生き方を提示してきた高坂勝氏(グリーンズジャパン初代共同代表)だ。ワークシェア、自立と自給を志向し、「匝瑳プロジェクト」理事として80組の家族とともに農業、自然エネルギーによる電気供給、地域再生に取り組んでいる。コロナ禍で「脱成長ミーティング」の予定が立たないことが残念でならない。
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「ワンダフルライフ」~生と死のあわいで揺れるメルヘン

2020-05-18 20:54:17 | 映画、ドラマ
 「岩合光昭の世界ネコ歩き」に和んでいる方も多いだろう。自粛ポリス(犬)の目をしたたかにすり抜ける不良(猫)……。犬と猫にこんなイメージを抱いているが、いずれを好むかは個人の自由だ。別稿に記した「猫はこうして地球を征服した」(アビゲイル・タッカー著)には恐るべき猫の素顔――人間馴致の技を身につけた悪魔――が描かれている。マゾヒストの俺は、猫の魔力に逆らえない。

 岩合は「カナダ・ビクトリア編」で「野良猫は自由猫」と呟いていたが、ステイホームの東京で、コロナ禍は猫にも及んでいる。徒歩数分のマンション玄関に、少し前まで迎車が頻繁に横付けされていた。乗り込む艶やかな女性たちに〝そこ〟が何か想像していたが、彼女たちも自粛中だから、餌付けされていた野良猫も大変だ。恨めしそうな目を避けて通るには勇気がいる。

 映画館が休館中なので、録画しておいた旧作を紹介している。今回紹介する「ワンダフルライフ」(1998年、是枝裕和監督)は、俺の乾きを癒やしてくれた。ブログを始めて1カ月後、本作について記している。それも、たった3行……。ブログは当時、俺にとって備忘録だった。あれから16年、「ワンダフルライフ」は人生のゴールに近づいた俺を呑み込む影になった。

 簡単にストーリーを……。召された人が学校のような施設で1週間過ごし、<人生で一番大切な瞬間>を選ぶ。その思い出を映像化し、他の記憶は失くして死後の世界に旅立つのだ。面談と映像製作を担当するのは、死者でありながら<一番大切な瞬間>を選べなかった、あるいは選ばなかった者たちだ。本作に重なるのは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、柳田国男の「遠野物語」、映画「異人たちとの夏」で、生と死のあわいで揺れるメルヘンに浸れた。

 48歳の頃、<一番大切な瞬間>は頭に浮かばなかったが、今の俺には選択肢が2つある。シチュエーションは全く同じで、函館山から見る夜景だ。冴えない人生を灯してくれた2人の女性がそれぞれの夏、隣にいた。函館は俺の〝ソウルシティー〟で、映画「海炭市叙景」(佐藤泰志原作)のシーンの数々は心のスクリーンに焼き付いている。

 本作にはドキュメンタリー作家としてデビューした是枝の手法が滲んでいる。出演者には設定のみを伝え、自然な演技を即興で引き出したという。望月(井浦新、当時ARATA)、杉江(内藤剛志)、川嶋(寺島進)の3人が聞き役を担当し、しおり(小田エリカ)が助手を務めている。チームをまとめているのは中村(谷啓)だ。

 3人が面談する死者を演じていた由利徹、志賀廣太郎、内藤武敏、原ひさ子に加え、上記の谷、守衛役の横山あきおらは鬼籍に入っている。ベテランたちの柔らかい表情を引き出したのは是枝の演出力だ。亡き父や妹を思い出し、懐かしさと温かさを覚え、涙腺が決壊する。本作に記憶の旅へ誘われた方も多いはずだ。

 内藤剛志と寺島進といえば、今や刑事ドラマで存在感が際立つ〝豪の者〟だが、本作では淡々と自然体に演じていた。本作の主人公は望月で、3つの愛の結び目になっていた。しおりは望月に思いを寄せ、戦時中に亡くなった望月には許嫁がいた。京子(香川京子)は渡辺(内藤武敏)の妻になる。時空を超えて重なる3つの思いは、雨粒のように交わることなく消えていく。

 望月としおり、そして望月と京子の愛は、形になれば壊れてしまいそうな儚さと純粋さを帯びていた。渡辺と京子は熱くはないが日常の中で質感のある手触りで結ばれていた。いずれの愛も崇高な燦めきだ。銀座の公園で撮影された二つのシーンに余韻は去らない。

 危なっかしいしおりが現世らしき雑踏に踏み入れるシーン、そして望月、中村と月について交わす台詞が印象的だった。是枝は生と死の象徴である月に何かを託したのだろう。生きること、死ぬこと、愛すること、幸福の意味……。本作は見る者に優しく問い掛ける。是枝ワールドはエンドマークの後にも続くのだ。
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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がエンパシーの価値を教えてくれた

2020-05-14 23:20:11 | 読書
 板子一枚下は地獄……。職種、雇用形態、年齢、性別を問わず、日本人の殆どがこの言葉を実感しているが、安寧を保証されている〝貴族〟もいる。検察人事への怒りのツイッターが1000万件近く寄せられた。共通の思いは「三権分立を壊すな」「政権は身内のみに便宜を図るな」だ。自粛ポリスが幅を利かす今、個々人が思いを表現することが閉塞打破のきっかけになるだろう。

 脱成長、持続可能でオルタナティブな社会、気候危機への対応と反原発、地産地消とローカリゼーションetc……。ブログでは俺が志向する価値について頻繁に記してきたが、最も重視する<多様性とアイデンティティー>をテーマに据えたノンフィクション「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著、新潮社)を読了した。

 著者は福岡出身で英国在住の保育士で、渡英中に知り合ったアイルランド人との間にもうけた一人息子(ぼく)のスクールライフに迫っている。ページを繰りながら、バチバチ何度も脳内でショートするのを覚えた。感応した部分を中心に紹介していきたい。

 初等教育(5~11歳)を地域トップのカトリック校で過ごしたぼくは中学に進む際、開放的な雰囲気に魅せられ〝元底辺校〟を選ぶ。ミドルクラスや移民が「白人の労働者階級の子供が多い」という理由で避けられていた同校だが、学力アップに努めて中堅校になった。

 英国では表現力を育むため演劇教育がカリキュラムに導入され、ぼくの学校では音楽も重視されている。半世紀以上ロックに浸ってきた俺にとり、本作はロック読本でもある。著者一家が暮らすブライトンは1960年代、モッズとロッカーズが乱闘を繰り返した〝ロックの聖地〟だ。著者はめんたいロックのファンだったから、ルースターズも初期から聴いていたはずだ。著者は学校訪問の際、壁に張られたセックス・ピストルズのポスターに驚いた。母子の会話にはスミスなど多くのロッカーが登場し、ぼくもバンドを結成する。

 著者は失業者、低所得層が無料で子供を預けられる託児所で働いた経験がある。ぼくを連れホームレス救援施設でボランティアをするなど、格差と貧困に関心が強い。英国では教育格差も歴然で、スポーツにも及んでいる。水泳大会でエリート校が上位を独占する中、小柄なぼくの奮闘に拍手が巻き起こった。
 
 コービン労働党前党首支持者でぼくに優しい中国系の生徒会長、自身も移民なのにヘイト的言葉を吐く東欧系、貧困層の白人の同級生……。<多様性とアイデンティティー>など言葉にすれば薄っぺらでだが、時にぶつかり合いながら。ぼくは言葉の本質を掴んでいく。

 アイリッシュの父と日本人の母の間に生まれた英国人……。宿題のノートに書かれていた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、ぼくがアイデンティティーを見つける原点で、タイトルに相応しい。

 最も印象に残ったエピソードは「シティズン・エデュケーションシップ」(市民教育)の授業だった。先生は<エンパシーとシンパシー>の違いを教える。日本語に訳せばともに「共感」だが大きく異なる。著者はインタビューで<シンパシーは自分と考えの近い人に共鳴するという感情の動きで、例えれば「いいねボタン。エンパシーは、賛成できない意見を持っている人の立場を想像する「知的能力」>と答えていた。

 分断が隠せなくなった現在、エンパシーの方が大事と教えた先生は、「エンパシーとは何か、自分の言葉で述べよ」という問題を試験に出す、ぼくの答えは「誰かの靴を履いてみること」。想像力に溢れた煌きを感じる。混沌とした坩堝に放り込まれたことで、ぼくは多様性を体感し、他者への距離感とバランス感覚を学んでいる。

 話は逸れるが2014年2月、結成1年半のグリーンズジャパンに入会した。難病と闘いながら力尽きた妹の前向きな人生に心打たれ、残り少ない人生、拠って立つ基盤を見つけようと決意したからだ。入会理由を問われ、星野智幸や池澤夏樹の小説を念頭に<多様性とアイデンティティーを追求しているグループを探したら、ここに行き着いた>と答えた。その思いは今も変わらない。ちなみに、上記した<脱成長、持続可能でオルタナティブな社会――>もグリーンズジャパンの理念である。

 本作の後半で英国における友党の影響力が窺えた。緑の党支持の教員が多いブライトンでは、グレタ・トゥーンベリに呼応し、生徒たちが学校ぐるみで街を闊歩した。ところがぼくの通う元底辺校は、様々な理由でデモ参加を認めなかった。釈然としないぼくはノートに書き残す。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン」と。

 欧州で救世主的存在の緑の党に、ぼくは興味を持ったのかもしれない。一方でグリーンには色以外の意味がある。ぼくより50歳以上も生きている俺だが、いまだ10代の荒野を彷徨う青い未熟者のままだ。
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ハラリの危機感と希望~民主主義はポスト・コロナに生き長らえるか

2020-05-10 23:45:28 | カルチャー
 俺は地球温暖化による生態系破壊を新型コロナ発生の原因とひとつと考えている。世界的な生産活動休止で二酸化炭素排出量が急減しているが、残念なニュースもある。今年1~4月のアマゾン森林破壊面積は前年同期比55%増となり、過去最高を記録した。新型コロナは終息しても、新たなウイルスが人類を襲うだろう。

 ローソンの試みに心が和んだ。道の駅出荷を予定していた農家は自粛で大打撃を受けたが、新鮮さが命の産直野菜や果物はGW中、ローソンの一部店頭に並ぶ。配送を担ったのは経営難の高速バス会社だった。苦境に直面した者が手を携える<シェアする精神>こそ、ポスト・コロナの肝になるだろう。

 感染者の数は減っているが、世界は日本のPCR検査数の少なさに疑惑の目を向けている。BBCは<日本の感染者数は28~70万>との試算を紹介していた。日本政府は東京五輪開催を既成事実化するため検査数を最小限にとどめているのかもしれないが、世界の目は欺けない。

 人類はAI、ビッグデータ、5Gなどテクノロジーを駆使してウイルスを封じ込めようとしている。<連帯>と<民主主義>に多くの識者が言及しているが、ETV特集「緊急対談~パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」NHK・BS1)は示唆に富む内容だった。聞き手は道傳愛子キャスターである。

 歴史学者のハラリは冒頭、喫緊の課題を提示する。コロナ蔓延が国家崩壊に繋がりかねない第三世界への対応と、ウイルスの突然変異だ。スペイン風邪(実はアメリカが発生源)の例を挙げ、感染者増が致死率の高いに変異をもたらす可能性を指摘していた。史実に則れば、第2波に備えるためというスウェーデンの<集団免疫方式>は最悪の結果を招くかもしれない。

 民主主義は緊急時にこそ機能するべきと考えるハラリは、<ポスト・コロナで独裁が常態化するのではないか>と危惧している。ハラリは私権と自由の制限は終息後も継続され、拡大解釈した政権が〝お友達〟に便宜を図る可能性を指摘した。

 時代に先行したのが安倍政権だ。ビフォア・コロナで森友、加計、桜と隠蔽・捏造を繰り返し、身内のレイプ記者不起訴に続き、高検検事長を検事総長に据えようと画策している。コロナ蔓延は民主度を測る格好のリトマス紙だ。初動ミスを棚に上げ、安倍首相は「緊急事態対応を憲法に盛り込むべき」と憲法改正への執念を隠さない。

 ハラリは国民監視に警鐘を鳴らしている。個々の行動を把握する<ハイパー独裁>は中国から全世界に広がっているが、更に深刻なのは皮膚の下にまで監視が及びつつあることだ。健康アプリは体温、血圧、動悸だけではなく、その先にある感情までチェック可能で、「虐殺器官」(伊藤計劃、2007年)に描かれた生体情報収集が現実になっている。

 テルアビブ在住のハラリはイスラエルの監視体制に疑義を示す。<感染拡大阻止を治安当局が担当することに、パレスチナ人が納得しないことは理解出来る。保健機関を軸にウイルス蔓延をチェックすることが,イスラエルだけでなく全ての国に必要>と語っていた。

 最も記憶に残ったのは<EMPOWERMENT=市民に力を与えること>である。健康データだけでなく、気候変動などあらゆる情報を国家と個人が双方向で共有することが独裁を防ぐために必要と語っていた。むろん、市民の側にも責任は生じる。<民主国家では全ての市民は活動家であるべき>というマイケル・ムーアの言葉が甦った。

 トランプ大統領がWHOへの拠出停止を発表した直後、ハラリは100万㌦の寄付を発表した。「何億もの人が職を失っている時、生活に困っていない者は出し惜しみするべきではない」とのコメントを添えたハラリは、賛同のメッセージだけでなく、「なぜ母国イスラエルではなくWHOなのか」との非難を浴びせられる。

 ハラリは<テルアビブの病院は新型コロナの遺伝情報を中国とドイツから受け取り、イタリアとアメリカから最良の治療法を教わった。協力がなければテルアビブの病院は無力になり、ワクチンの開発は不可能>と答えた。ハラリは「連帯と協調こそ、現在の人類に求められている」と主張する。

 マルクス・ガブリエル同様、ハラリはユーモアと茶目っ気に溢れ、問いかけによどむことなく答える。柔らかく鋭い〝知の最前線〟に感銘を覚えた。「必ず人類はコロナを克服する」と繰り返し希望を語ったのが印象的だった。
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〝コロナのメス〟を握って「密林の語り部」を読み解いた

2020-05-06 21:41:33 | 読書
 GW中はたらふく食ってたっぷり寝るという無為な日々を過ごした。最終日のきょう報じられた<フランスで昨年末、新型コロナ感染者>というニュースが気になる。件の男性に中国渡航歴はなく、対策チームは感染経路を調査中という。

 東国原英夫氏(元宮崎県知事)と木村もりよ氏(医師、元厚労省医系技官)が先日、リモート出演の「TVタックル」でやり合っていた。テーマは新型コロナで、<初動のミスで日本は台湾や韓国に大きく後れを取った>という点で一致していたが、今後に向けては意見が分かれた。

 <自粛継続>を主張する東国原氏に対し、木村氏は制限を最小限にとどめ、第2波あるいは〝新ウイルス〟発生を見据えたスウェーデンの<集団免疫>方式を支持する。両者の激論を聞いて、PCR検査に消極的な日本政府は自粛を継続しつつ、スウェーデン方式に倣っているのではと勘繰ってしまった。

 インカ、アステカ両帝国滅亡の原因もパンデミックだった。スペイン人が持ち込んだ天然痘に免疫がなく人口が激減し、無抵抗状態に陥る。アメリカ大陸からのお返しは梅毒で、コロンブス探検隊が持ち帰り、欧州全域で広がった。

 インカといえばペルー、ペルーといえばバルガス・リョサ。1987年に発表した「密林の語り部」(1987年、岩波文庫)を読了した。リョサをドストエフスキーに匹敵する作家と称賛する俺は、当ブログでもその小説を数作紹介している。

 <マジックリアリズム>の手法を駆使しながら、社会の構造を穿つ<全体小説>のテーゼを実践したノーベル賞作家は、80歳を越えても重厚な作品を発表している。最新作「シンコ・エスキーナス街の罠」は、リョサが追求してきたテーマの一つ、官能とエロチシズムが色濃いという。

 「密林の語り部」の主人公である<私>は作家であり、ドキュメンタリー番組に携わっている。リョサの分身といっていいだろう。一枚の写真をとば口に、若き日の回想、語り部(タスリンチ)のモノローグ、番組制作者としての<私>の日常がカットバックして物語は進行する。時節柄、本作のページを繰る手に〝コロナのメス〟を握っていた。

 <私>はフィレンツェである写真に目を留める。フィレンツェといえば、コロナ蔓延を連想してしまうが、それはともかく、インディオたちにタスリンチとして接する男に、学生時代の親友サウル・スラータスを想起する。サウルは顔に大きな痣があり、仲間内でマスカリータ(小さな仮面)と呼ばれていた。

 サウルはペストが流行するたび虐殺の対象になったユダヤ人で、インディオを研究対象にする民族学者の卵だった。欧州留学の機会を断り、イスラエル(恐らくキブツ)へ向かうと広言していたが消息不明になり、数十年が経つ。異人意識に苛まれていたサウルは、インディオが暮らす山へと旅立ったというのが<私>の想像だった。

 サウルにとってインディオは研究対象ではなく、異人であることから解放される存在だった。サウルは放浪し、先達のタスリンチと交流する。彼らに学び、苦しみを咀嚼することでマチゲンガ族のタスリンチになったのだ。主語と主観、現実と空想が時空を超えて交錯し、壮大で重層的な物語が構築される。

 タスリンチの語りには神と悪魔が登場し、天地創造、神話、伝説、輪廻転生が描かれる。インディオたちの楽園を地獄に変えたのは環境破壊とグローバリズム(収奪)だった。その過程に、俺は新型コロナウイルス発生を重ねている。インディオにとってウイルスは<野生と共存する精霊>といえるからだ。

 1990年の大統領選で、リョサはフジモリに敗れた。俺は<西洋化した功利主義者のリョサが、土着的なフジモリに敗北した>という図式で捉えていた。「アンデスのリトゥーマ」(93年)で主人公が繰り返す「山棲みの連中(インディオ)を理解できない」はリョサの本音で、「つつましい英雄」(2010年)でリョサはようやくインディオと和解したのではないかと考えていたが、大きな勘違いだった。

 「密林の語り部」の<私>即ちリョサはインディオに強い関心を抱き、研究者に学んでいた。マ・ス・カ・リ・タ、マ・ス・カ・リ・タ、マ・ス・カ・リ・タ……。7章の最後、タスリンチの正体を確信した<私>の叫びに、サウルへの敬意と熱い思いが窺えた。大統領選前に、リョサはインディオを内在化していたのだ。

 キューバ革命にインスパイアされて「都会と犬ども」を著し、軍部独裁に抗議するなど〝叛逆する作家〟と評されていたリョサは右派に転向したともいわれるが、真実はどうだろう。小説を読む限り、一貫しているように感じている。
 
 ペルーは新型コロナにどう対応したか。ビスカラ大統領は素早い対応で感染拡大を封じ込めたと評価されている。外出禁止を破って4万人もの逮捕者が出たという。その辺りの事情はわからない。
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東京砂漠から〝コロナの春〟雑感~「オペレーションZ」、Badiucao、「1984年」化

2020-05-02 22:59:55 | 独り言
 先日夜、若い数人の酔っぱらいが高歌放吟して窓の外を通り過ぎた。家飲みの途中、コンビニに買い足しに出掛けたのだろう。「襟裳岬」のサビ、♪襟裳の春は何もない春ですの〝襟裳〟を〝コロナ〟に替えて絶叫していた。青春まっただ中の彼らの心に、いかほどの鬱憤が溜まっているのだろう。

 ゴールデンウイークは従兄宅(寺)に宿泊し、母が暮らすシェアハウスに通うのがお約束だった。施設がロックダウンされた今年は帰省を断念し、東京砂漠で息をひそめている。スケジュールは真っ白だが、コスパを重視し、松屋、吉野家、すき家でローテを組んでモーニングセットを食うことだけは決まっている。

 サッカー欧州選手権など内外のスポーツイベントは延期もしくは中止になった。将棋名人戦も順延され、NHK杯トーナメントも収録は難しく、当分の間、再放送が続く。無聊を慰めてくれるのはドラマで、「オペレーションZ~日本破滅、待ったなし~」(原作=真山仁、WOWOW/全6回)は現在の状況とリンクする内容だった。

 江島首相(草刈正雄)はデフォルト目前の財政を救うため、国家予算半減を実行すべく政策チーム「オペレーションZ」を立ち上げた。弱者切り捨てを看過出来ない厚労省と守旧派議員が〝抵抗勢力〟を形成する。真山といえば「ハゲタカ」だ。ドラマ(NHK)では鷲津(大森南朋)と柴野(柴田恭兵)が利益や理屈で測れない価値で結ばれたが、「オペレーションZ」も同じ構図だ。

 政権の座を追われた江島だが、情、絆、和の精神に根差すこと明かし、格差に喘ぐ若年層の支持を得て再度立ち上がる。前々稿で説いた<シェアする精神>は、江島の志向性と遠くないはずだ。「ハゲタカ」に続き、真山ワールドに魂を揺さぶられた。

 「中国と闘う風刺アート Badiucao」(BS1、オーストラリア制作)は、中国の本質を抉るドキュメンタリーである。30代のBadiucaoはバンクシーの影響を受けた上海出身の覆面ストリートアーティスト。オーストラリアを拠点に活動する彼の原点は、虐殺が隠蔽された天安門事件だ。

 バンクシーはパレスチナに連帯し、イスラエルに抗議する作品を分離壁に掲示するなど、常に弾圧と闘う側に立っている。Badiucaoのターゲットはもちろん中国共産党、習近平主席、人民解放軍だ。ルーブル美術館の「モナリザ」前でパフォーマンスするなど〝芸術テロリスト〟の精神を継承するBadiucaoを、当局が放置するはずはない。

 チベット、ウイグル、法輪坊、そして香港……。中国は自由を叫ぶ声を圧殺する<サイバー独裁>国家だ。香港での個展は、親族への脅迫もあり中止を余儀なくされた。ラストで素顔を晒したBadiucaoの勇気に敬意を表したい。

 その中国はポスト・コロナ時代、米国を上回る一強になるだろう。ニューヨークをはじめ米各都市が入手困難状態の人工呼吸器を、世界中に輸出する中国……。この好対照は近未来の風景を映している。残念ながら中国の<サイバー独裁>モデルは今、世界を席巻しつつある。

 中国がグーグルを遮断した時、「自由への圧力」と世界中で非難された。岸博幸慶大教授(小泉政権で安全保障担当)は「ニュースの深層」に出演した際、「仮面の下に〝皆殺しの発想〟を隠しながら自由を説いている」とグーグルを批判し、中国の締め出しを支持していた。あれから10年、最先端技術を駆使する中国が、自由を侵害する最凶の管理国家になった。

 米国は価値観を前面に中国と対峙するしかないが、トランプ大統領では不可能だ。気候変動対策、国民皆保険、学費無料、医療と福祉の充実、格差是正を公約に掲げたサンダースこそポスト・コロナ時代の指導者に相応しいが、〝悪しき相対主義〟に囚われた世論に勝てなかった。バイデンは習近平に太刀打ち出来ない。

 国内のニュース番組では、NTTドコモによる人口変動調査のデータが報じられている。思い出したのは20年前、歌舞伎町で監視カメラ導入が決まった際、プライバシー侵害と市民が抗議したことだ。刑事ドラマの影響もあって、〝警察に協力するのは当然〟という意識が広がっている。

 <1984年>化を支えているのは集団化だ。SNSを主武器に五人組、隣組の悪しき相互監視の風習が甦っている。コロナの毒は精神をも蝕び、憲法改正を容認する声が広がっている。
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