将棋名人戦は、羽生が行方8段を4勝1敗で下して防衛を果たした(通算9期)。行方は今シリーズ、終盤の入り口まで優勢を築きながら、羽生マジックに幻惑されたのか、いつの間にか逆転を許すケースが目立った。不惑を越えて桧舞台に立った行方は、まさしく〝遅れてきた青年〟といえる。敗戦を糧に創造性と粘りに磨きが掛け、更なる飛躍を期待している。
FIFAにメスが入ったが、腐敗の根源とされるプラッター会長が5選を果たした。俺はサッカー界が清廉だった25年前を思い出していた。セリエA放映開始に際し、WOWOWがW杯制覇直後のドイツ代表を取材する。マテウスとクリンスマン(ともにインテル所属)は、「莫大な金が動く米スポーツをどう思いますか」と問われ、「世界で最も注目を浴び、地元ファンと密着して戦う私たちの価値は、金では決して測れない」と矜持を示していた。
FIFAは世紀末から、テレビ局、広告代理店、スポーツ用品メーカー、政治家らと連携し、サッカーを〝金の成る木〟に育て上げる。主導したのが98年に会長に就任したプラッターだった。グローバリズムはこの30年、世界の仕組みを根底から変え、格差拡大と拝金主義を蔓延させた。その縮図といえるのがサッカー界だ。
人々の脳裏に、暦日とともに印字されている出来事がある。顕著な例は、1945年8月15日(敗戦)、1960年6月15日(安保闘争)、1995年1月17日(阪神淡路大震災)、2011年3月11日(東日本大震災)である。
一方で、個人的に忘れられない歴日がある。俺にとっては2012年5月27日だ。ダービー当日の朝、実家に電話を入れた。皐月賞馬ゴールドシップを不動の本命と信じていた母に、ディープブリランテを薦めるためである。偶然居合わせた妹とも話したが、午後に開催される友人宅での音楽の集いを楽しみにしていた。
ダービーでPOG指名馬ディ-プブリランテとフェノーメノがワンツーし、欣喜雀躍したのも束の間、母から翌朝、妹の死を伝える電話が入った。妹は実家経由で自宅に戻った後、帰らぬ人になる。発見が遅れたのは、義弟が徹夜で職場に詰めていたからである。膠原病の悪化で生死の境を彷徨った妹は退院して日常に復したが、薬の副作用に苦しみ、遠からず訪れる死を覚悟していた。
異性にモテない俺、信じられないほど惹きつけた妹、適当な俺、堅実な妹、ぶっきらぼうな俺、気遣い出来る妹……。まさに愚兄賢妹の典型で、〝愛する力〟に大きな差があった。葬儀では数十人が妹の死を悼み、棺の前で泣き崩れる。「俺が死んだら何人が泣くだろう。笑う奴がいるかも」……。こう独りごちた俺と妹には。埋めようのない開きが生じていた。
俺が帰省時、親類宅で歓待されるのも、妹が絆を繋いでくれたおかげだ。妹は病を抱えながらピアノを学び、アラフォーになって子供たちを教えていた。死の直後には童話が自費出版される。厳しい状況でも前向きに生きることを、妹は身をもって教えてくれた。
俺がマトモな人間なら、競馬とはいわないが、せめてPOGはやめるべきではないかと考える向きもいるはずだが、今も続けている。妹ほどではないが、俺は競馬にも恩を施されている。無能な俺が今の仕事に就き、雇い止めにならないのも、競馬に詳しい(と見做されている)からである。〝趣味は身を助く〟の希なケースだ。
明日のダービーにはPOG指名馬タンタアレグリアが出走する。予想というより願望で軸に据えるが、買い材料もある。内枠が圧倒的に有利なダービーで②番というのは恵まれたし、芝左回りで<2300>と適性もある。ホープフルS(昨暮れ)のパドックで、同馬がフェノーメノに重なった。
3年前、フェノーメノの鞍上だった蛯名は昨年、イスラボニータで2着に敗れる。僅差の2着2回に共通しているのは、ディープブリランテの岩田、ワンアンドオンリーの横山典と、勝ち馬のジョッキーの積極策に苦杯をなめたことだ。〝同じ轍を踏まない〟との決意を秘め、蛯名は23回目のダービーに挑むはずだ。単勝は8番人気(22倍前後)で気楽に乗れるのもいい。
相手筆頭は良くも悪くも皐月賞で異次元の脚を見せた⑭ドゥラメンテだ。3歳馬レーティングでは現在、世界一にランクされている。他に⑬リアルスティール、⑦レーヴミストラル、①サトノラーゼンを絡めた馬連、三連複を買ってレースを楽しみたい。ちなみに、タンタアレグリアとは至上の歓喜という意味である。
FIFAにメスが入ったが、腐敗の根源とされるプラッター会長が5選を果たした。俺はサッカー界が清廉だった25年前を思い出していた。セリエA放映開始に際し、WOWOWがW杯制覇直後のドイツ代表を取材する。マテウスとクリンスマン(ともにインテル所属)は、「莫大な金が動く米スポーツをどう思いますか」と問われ、「世界で最も注目を浴び、地元ファンと密着して戦う私たちの価値は、金では決して測れない」と矜持を示していた。
FIFAは世紀末から、テレビ局、広告代理店、スポーツ用品メーカー、政治家らと連携し、サッカーを〝金の成る木〟に育て上げる。主導したのが98年に会長に就任したプラッターだった。グローバリズムはこの30年、世界の仕組みを根底から変え、格差拡大と拝金主義を蔓延させた。その縮図といえるのがサッカー界だ。
人々の脳裏に、暦日とともに印字されている出来事がある。顕著な例は、1945年8月15日(敗戦)、1960年6月15日(安保闘争)、1995年1月17日(阪神淡路大震災)、2011年3月11日(東日本大震災)である。
一方で、個人的に忘れられない歴日がある。俺にとっては2012年5月27日だ。ダービー当日の朝、実家に電話を入れた。皐月賞馬ゴールドシップを不動の本命と信じていた母に、ディープブリランテを薦めるためである。偶然居合わせた妹とも話したが、午後に開催される友人宅での音楽の集いを楽しみにしていた。
ダービーでPOG指名馬ディ-プブリランテとフェノーメノがワンツーし、欣喜雀躍したのも束の間、母から翌朝、妹の死を伝える電話が入った。妹は実家経由で自宅に戻った後、帰らぬ人になる。発見が遅れたのは、義弟が徹夜で職場に詰めていたからである。膠原病の悪化で生死の境を彷徨った妹は退院して日常に復したが、薬の副作用に苦しみ、遠からず訪れる死を覚悟していた。
異性にモテない俺、信じられないほど惹きつけた妹、適当な俺、堅実な妹、ぶっきらぼうな俺、気遣い出来る妹……。まさに愚兄賢妹の典型で、〝愛する力〟に大きな差があった。葬儀では数十人が妹の死を悼み、棺の前で泣き崩れる。「俺が死んだら何人が泣くだろう。笑う奴がいるかも」……。こう独りごちた俺と妹には。埋めようのない開きが生じていた。
俺が帰省時、親類宅で歓待されるのも、妹が絆を繋いでくれたおかげだ。妹は病を抱えながらピアノを学び、アラフォーになって子供たちを教えていた。死の直後には童話が自費出版される。厳しい状況でも前向きに生きることを、妹は身をもって教えてくれた。
俺がマトモな人間なら、競馬とはいわないが、せめてPOGはやめるべきではないかと考える向きもいるはずだが、今も続けている。妹ほどではないが、俺は競馬にも恩を施されている。無能な俺が今の仕事に就き、雇い止めにならないのも、競馬に詳しい(と見做されている)からである。〝趣味は身を助く〟の希なケースだ。
明日のダービーにはPOG指名馬タンタアレグリアが出走する。予想というより願望で軸に据えるが、買い材料もある。内枠が圧倒的に有利なダービーで②番というのは恵まれたし、芝左回りで<2300>と適性もある。ホープフルS(昨暮れ)のパドックで、同馬がフェノーメノに重なった。
3年前、フェノーメノの鞍上だった蛯名は昨年、イスラボニータで2着に敗れる。僅差の2着2回に共通しているのは、ディープブリランテの岩田、ワンアンドオンリーの横山典と、勝ち馬のジョッキーの積極策に苦杯をなめたことだ。〝同じ轍を踏まない〟との決意を秘め、蛯名は23回目のダービーに挑むはずだ。単勝は8番人気(22倍前後)で気楽に乗れるのもいい。
相手筆頭は良くも悪くも皐月賞で異次元の脚を見せた⑭ドゥラメンテだ。3歳馬レーティングでは現在、世界一にランクされている。他に⑬リアルスティール、⑦レーヴミストラル、①サトノラーゼンを絡めた馬連、三連複を買ってレースを楽しみたい。ちなみに、タンタアレグリアとは至上の歓喜という意味である。