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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

タンタアレグリアは歓喜をもたらすか~蛯名に託す日本ダービー

2015-05-30 20:33:06 | 独り言
 将棋名人戦は、羽生が行方8段を4勝1敗で下して防衛を果たした(通算9期)。行方は今シリーズ、終盤の入り口まで優勢を築きながら、羽生マジックに幻惑されたのか、いつの間にか逆転を許すケースが目立った。不惑を越えて桧舞台に立った行方は、まさしく〝遅れてきた青年〟といえる。敗戦を糧に創造性と粘りに磨きが掛け、更なる飛躍を期待している。

 FIFAにメスが入ったが、腐敗の根源とされるプラッター会長が5選を果たした。俺はサッカー界が清廉だった25年前を思い出していた。セリエA放映開始に際し、WOWOWがW杯制覇直後のドイツ代表を取材する。マテウスとクリンスマン(ともにインテル所属)は、「莫大な金が動く米スポーツをどう思いますか」と問われ、「世界で最も注目を浴び、地元ファンと密着して戦う私たちの価値は、金では決して測れない」と矜持を示していた。

 FIFAは世紀末から、テレビ局、広告代理店、スポーツ用品メーカー、政治家らと連携し、サッカーを〝金の成る木〟に育て上げる。主導したのが98年に会長に就任したプラッターだった。グローバリズムはこの30年、世界の仕組みを根底から変え、格差拡大と拝金主義を蔓延させた。その縮図といえるのがサッカー界だ。

 人々の脳裏に、暦日とともに印字されている出来事がある。顕著な例は、1945年8月15日(敗戦)、1960年6月15日(安保闘争)、1995年1月17日(阪神淡路大震災)、2011年3月11日(東日本大震災)である。

 一方で、個人的に忘れられない歴日がある。俺にとっては2012年5月27日だ。ダービー当日の朝、実家に電話を入れた。皐月賞馬ゴールドシップを不動の本命と信じていた母に、ディープブリランテを薦めるためである。偶然居合わせた妹とも話したが、午後に開催される友人宅での音楽の集いを楽しみにしていた。

 ダービーでPOG指名馬ディ-プブリランテとフェノーメノがワンツーし、欣喜雀躍したのも束の間、母から翌朝、妹の死を伝える電話が入った。妹は実家経由で自宅に戻った後、帰らぬ人になる。発見が遅れたのは、義弟が徹夜で職場に詰めていたからである。膠原病の悪化で生死の境を彷徨った妹は退院して日常に復したが、薬の副作用に苦しみ、遠からず訪れる死を覚悟していた。

 異性にモテない俺、信じられないほど惹きつけた妹、適当な俺、堅実な妹、ぶっきらぼうな俺、気遣い出来る妹……。まさに愚兄賢妹の典型で、〝愛する力〟に大きな差があった。葬儀では数十人が妹の死を悼み、棺の前で泣き崩れる。「俺が死んだら何人が泣くだろう。笑う奴がいるかも」……。こう独りごちた俺と妹には。埋めようのない開きが生じていた。

 俺が帰省時、親類宅で歓待されるのも、妹が絆を繋いでくれたおかげだ。妹は病を抱えながらピアノを学び、アラフォーになって子供たちを教えていた。死の直後には童話が自費出版される。厳しい状況でも前向きに生きることを、妹は身をもって教えてくれた。

 俺がマトモな人間なら、競馬とはいわないが、せめてPOGはやめるべきではないかと考える向きもいるはずだが、今も続けている。妹ほどではないが、俺は競馬にも恩を施されている。無能な俺が今の仕事に就き、雇い止めにならないのも、競馬に詳しい(と見做されている)からである。〝趣味は身を助く〟の希なケースだ。

 明日のダービーにはPOG指名馬タンタアレグリアが出走する。予想というより願望で軸に据えるが、買い材料もある。内枠が圧倒的に有利なダービーで②番というのは恵まれたし、芝左回りで<2300>と適性もある。ホープフルS(昨暮れ)のパドックで、同馬がフェノーメノに重なった。

 3年前、フェノーメノの鞍上だった蛯名は昨年、イスラボニータで2着に敗れる。僅差の2着2回に共通しているのは、ディープブリランテの岩田、ワンアンドオンリーの横山典と、勝ち馬のジョッキーの積極策に苦杯をなめたことだ。〝同じ轍を踏まない〟との決意を秘め、蛯名は23回目のダービーに挑むはずだ。単勝は8番人気(22倍前後)で気楽に乗れるのもいい。

 相手筆頭は良くも悪くも皐月賞で異次元の脚を見せた⑭ドゥラメンテだ。3歳馬レーティングでは現在、世界一にランクされている。他に⑬リアルスティール、⑦レーヴミストラル、①サトノラーゼンを絡めた馬連、三連複を買ってレースを楽しみたい。ちなみに、タンタアレグリアとは至上の歓喜という意味である。
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「真夜中のゆりかご」~緊張とカタルシスに溢れた秀作

2015-05-27 23:36:26 | 映画、ドラマ
 翁長沖縄県知事の訪米に先立ち、菅義偉官房長官は「前知事の辺野古埋め立て承認に瑕疵はない。環境や住民の生活に配慮しながら進めていく」と述べ、工事継続の方針を示した。民意が圧殺されている現状を、翁長知事はどのように米国政府に伝えるのだろう。

 戦争法案が国会で審議されているのに合わせ、ある婦人団体が駅頭で街宣していた。時間があったので足を止め、耳を傾ける。主張の軸は<平和憲法があったから、日本は海外で戦争することはなかった>と、<若者が殺し殺される事態を絶対許さない>の2点である。その場に大江健三郎がいても、訴える内容は同じはずだ。

 平和憲法下でも、日本人は自らの手を血で染めてきた。イラク戦争において、〝実行犯〟アメリカを助ける〝従犯〟として、日本は十二分に機能してきた。<戦争>という言葉が与えるイメージも、世紀をまたいで変化している。〝日本軍〟に求められているのは肉弾戦ではなく、テクノロジーを駆使した、罪の意識が希薄なオペレーションではないか。

 安倍政権は悪辣な攻撃を次々に仕掛けてくるが、そのたびに言葉のカウンターパンチを放っていても、疲労感が残るだけだ。抗議する側は、創造力と想像力が試されている。映画「NO」ではチリの独裁政権を斬新な方法で、しかも短時間に転覆させた経緯が描かれている。広島フォーク村のアルバムタイトルをもじれば、<古い船を今動かせるのは新しい水夫>なのだ。

 カンヌ映画祭の各賞が決まった。パルムドールを獲得したのはジャック・オーディアール監督の「Dheepan」である。前々作「預言者」(09年)は審査員特別グランプリを獲得したが、日本公開は3年後だった。フィルムノワールの系譜に連なる同作は俺の年間ベストワンで、移民問題を背景に、実験とエンターテインメントを融合させていた。

 昨年度のパルムドール受賞作「雪の轍」の公開が来月末であることを考えると、カンヌは日本じゃ商売にならないのだろう。そういえば、映画界の救世主として世界を震撼させているグザヴィエ・ドランの新作「マミー」も、客の入りはイマイチだった。

 ようやく、本題……。日比谷で先日、デンマーク映画「真夜中のゆりかご」(14年、スサンネ・ビア監督)を見た。ビア監督の「未来を生きる君たちへ」(10年)も上記「預言者」同様、俺の年間ベストワンである。デンマークとアフリカをカットバックで描き、想像力を駆使して<世界>と繋がっていた。

 「真夜中のゆりかご」にスケール感は覚えなかったが、喉元に刺さる棘のような印象である。棘は鋭く長くなって、ストーリーが進むにつれ、内臓まで抉っていく。デンマークの美しい自然を背景に、2組のカップルの心の曠野と迷路を描いている、いずれご覧になる方も多いはずで、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 敏腕刑事のアンドレアス(ニコライ・コスター=ワルドー)は、シモン(ウルリッヒ・トムセン)とコンビを組んでいる。妻アナとの間に息子アレクサンダーが生まれ、順風満帆に思えた。アンドレアスは捜査の過程で、幼児虐待の現実を知る。両親は麻薬ディーラーのトリスタンと娼婦サネだった。

 高い生活水準を誇るデンマークで、実家が金持ちなのだろう、アンドレアス夫妻は海に面した別荘のような豪邸に暮らしている。移民と思しきトリスタンの根城は街中のぼろアパートだ。格差は明白だが、豊かさは必ずしも明るさに繋がらない。

 ベビーカーを押して深夜に散歩する妻、アレクサンダーを保護するかのように助手席に乗せて車で外出する夫……。エキセントリックな妻に夫は言葉を失うなど、澱んだ空気が夫妻の間に流れていた。悲劇は起こるべくして起きたと思えるが、実家を含めた家族の葛藤は、普遍的なテーマといえる。

 「上質な北欧ミステリー」と銘打たれている通り、重厚な心理サスペンスの趣である。法の下の正義とは何か、法を超越した正義は存在するのか……。自身の行為、そして明らかになった真実によって、奈落の底に落ちたアンドレアスを救ったのは、相棒のシモンだった。償いと贖罪が、アンドレアスの人生のテーマになる。

 「真夜中のゆりかご」の邦題も悪くはないが、原題の「セカンド・チャンス」の方が的を射ていると思う。氷のように張り詰めた緊張感は、サネが示した母性と秀逸なラストで一気に解ける。心和むカタルシスに癒やされた秀作だった。
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センセイの鞄~他者との距離の取り方は?

2015-05-24 12:07:29 | 読書
 前稿で記した羽生名人が行方8段を下し、名人位防衛に王手をかけた。守りの勝負手を連発し、形勢を覆したというのがプロの分析であえる。怪しい〝マジック〟がファンを魅了してきたが、羽生は美学を求めるタイプではない。勝負師としての辛さが窺えた一局だった。

 Y2Jことクリス・ジェリコがツイッターで、自身のファンを公言しているAKBの小嶋陽菜をWWE国技館公演に招待した。日本で下積み時代を過ごしたジェリコは、リベラルな親日家だ。王者として来日した際も広島平和記念資料館に足を運び、カメラに向かって「誰が原爆を落としたんだ?」と問い掛けていた。現在はセミリタイア状態で、日本限定の復活になるだろう。

 旧聞に属するが、車谷長吉が17日に亡くなった。享年69歳である。誤嚥は〝反時代的毒虫〟に似つかわしい死因なのか。ともあれ、最後の文士の冥福を心から祈りたい。車谷といえば「赤目四十八瀧心中未遂」で、原作の魅力を膨らませた映画は、俺にとって21世紀の邦画ベストワンである。

 最も感銘を受けた小説は「赤目――」の下敷きといえる「萬蔵の場合」だ。別稿で<ケシのように毒々しく、薔薇のように危険で、カタクリのように儚い>と同作を絶賛した。夏目漱石の「それから」に匹敵する恋愛小説が俺の評価である。

 私小説作家を標榜する以上、作品の主人公は作者と重なるはずで、車谷も不器用なタイプだろう。他者との距離を考えさせられる小説を読了した。「センセイの鞄」(川上弘美、01年/文春文庫)である。

 川上は、俺の中で〝無名〟に分類されていた。だから、半年ほど前に何となく購入した本作も〝マイナー作家の知られていない作品〟と思い込んでいたが、あれこれ調べて驚いた、本作は〝人気作家のベストセラー〟で、ドラマ化(WOWOW)作品は多くの栄誉に浴している。

 38歳のツキコは行きつけの居酒屋(サトルさんの店)で、30歳年長の高校時代の国語教師(松本)と飲み友達になる。センセイ、ツキコさんと呼び合う二人は、さりげない会話を交わし、礼儀正しく? 別れる。約束しているわけではないから、長く顔を合わせないこともある。偶然が必然になり、二つの魂は少しずつ相寄っていく。ちなみにドラマでは小泉今日子がツキコを、柄本明がセンセイを演じている。

 湿度と温度が近いのは保坂和志、長嶋侑らの作品で、男女の距離感でいえば川上未映子の「すべての真夜中の恋人たちへ」に重なる。「すべて――」の冬子ほど、ツキコは初心じゃない。友人に婚約者を寝取られたり、会社の同僚にキスされそうになったり、高校の同窓生(小島)に交際を迫られたり……。車谷の作品では、男女血まみれのインファイトになるが、本作は無限に続くような静謐なアウトボクシングだ。

 センセイは山歩きで足腰を鍛えており、ツキコより歩くのが速い。孤独が滲む背筋をピンと伸ばし、あくまでセンセイとしてツキコと接する。羽目を外しそうになるツキコを「お嬢さん、お行儀が悪いですよ」とたしなめるなど、毅然とした父親的な存在だ。「ツキコさんは国語が得意ではなかったですね」が口癖で、芭蕉の句に言及するなど会話に教養が滲んでいる。

 四季の移ろいを織り込んだ17章から成り、鳥、虫、月、花にツキコの思いが仮託されている。白眉といえるのは、ツキコが合羽橋(什器食器類の問屋街)を訪れるシーンだ。ツキコは刃物に目を留め、「そこに肌が触れれば、すっと切れて赤い血がにじみ出るだろう。鋭い刃先を見ているうちに、センセイに会いたくなった」と独白する。官能的な描写に、川上の、いや、女性たちの生理を感じた。

 女性たちにとってセックスとは何なのか……、読み進むうち、下劣な俺の下世話な疑問が頭をもたげてきた。ツキコは好男子の小島と頻繁に酒を飲む。〝寝よう〟とモーションを掛けられるたび、心のスクリーンでセンセイの像が大きくなる。小島はツキコにとって、〝センセイへの思いを確認する媒体〟なのだ。

 センセイは巨人ファン、ツキコはアンチ巨人。贔屓チームを巡って気まずくなるのが微笑ましい。センセイに誘われた旅の行き先に、亡き妻の墓があった。シュールで壊れた振る舞いを繰り返した妻は、センセイと息子を捨て、男を次々に代えながら島に流れ着く。妻はセンセイにとって、女性と言う解けない謎の象徴だったのか。

 センセイの鞄は、形見としてツキコに遺された。ツキコは真夜中、センセイと過ごした日々を思い出し、あれこれ語りかけ、鞄の中をのぞく。<からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっている>……。余韻が去らないラストに、俺の中にも漠とした空虚が広がっていった。

 最後に、3時間後にスタートするオークスの予想を……。評価が定まった古馬牝馬でさえ、ヴィクトリアマイルのような大波乱になる。桜花賞から800㍍延びるオークスでは何が起きるかわからない。レッツゴードンキ、ルージュバック、ミッキークイーンの3頭が有力と考えているが、俺には外せない馬がいる。POGで指名馬のアースライズだ。現在13番人気だし、外しても諦めがつく。少額投資で2分半の夢を見たい。
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羽生と志の輔~未踏の荒野を歩む匠たち

2015-05-20 23:51:54 | カルチャー
 沖縄での反辺野古移設集会、オスプレイ墜落事故、川崎の簡易宿泊所火災、伊方原発の新規制基準合格……。ブログのテーマになりそうな出来事が相次いたが、何を書いても言葉は芯を失くし、フワフワ浮いてしまうだろう。自身の拠点に錨を下ろして行動することが、意志ある人たちと繋がる第一歩になる。

 大阪都構想について真剣に考えたことはなかった。「間違っていたんでしょうね」と薄ら笑いを浮かべ、「敵を作る政治家は使い捨て」と自己分析してみせた橋下市長の会見に、「やられた」と独りごつ。知事選出馬の経緯、原発を巡る迷走からも明らかだが、橋下氏は狼少年だ。いったん身を引いて負のイメージを消した後の再起動――来夏の参院選立候補、安倍内閣への入閣など――が一部メディアで囁かれている。

 橋下市長、石原元都知事、そして安倍首相……。ここ10年の保守三羽烏の共通点は日本の伝統への冷淡さだ。橋下氏は伝統芸能への助成金をカットし、石原氏は江戸期の文化遺産を顧みなかった。安倍〝日本州知事〟はTPP、辺野古移設、原発再稼働によって日本の環境や風土破壊を試み、格差を宗主国並みに拡大させている。日本的情緒や感性にどっぷり漬かっているアラカン男は、この国における保守派の本籍を訝っている。

 桜、蛍、花火、紅葉が脳内カレンダーにインプットされているが、文化でいえば将棋と落語だ。今回は先日オンエアされた2番組、「ETV特集 激突!東西の天才」(NHK、再放送)と「志の輔らくご in PARCO 2015」(WOWOW)について記したい。前者は羽生善治名人とチェスの元世界王者カスパロフの対局と対談、後者は立川志の輔のPARCO正月公演を収めている。

 将棋界と落語界には似ている部分がある。ともに、自らを伝統という鋳型に填め込むことがキャリアのスタートになる点だ。トップ棋士は定跡や過去の対局をベースに、斬新な戦術を編み出している。左脳的な情報整理と右脳的な閃きを併せ持つ羽生は、脳科学の貴重な研究対象であり、対談した詩人や哲学者を瞠目させてきた。

 カスパロフは番組の最後で「未来を切り開くには努力しかない」と強調し、羽生も同意していた。才能の絶対値がものをいう世界で君臨する2人を支えたのは不断の努力だったのか。その点は落語でも変わらない。

 生では見たことがない志の輔だが、PARCO公演はここ数年、WOWOWで楽しんでいる。落語界の天才といえば、誰しもが志の輔の師匠である談志を挙げる。古典でも定評のある志の輔だが、新作に軸を移した。その高座に感じるのは、カスパロフのいう<努力>である。志の輔とはまさに、努力する天才なのだろう。

 談志は数々の古典をたちまち記憶し、独自の味付けでファンを魅了した。同じ路線なら師匠超えは難しいと志の輔は直感したのではないか。だから新作を目指したというのは、底の浅い見方だと思う。三遊亭白鳥の新作はパワフルで破天荒だが、〝逸脱〟と見做す人もいる。だが、志の輔の新作は将棋界の俊英たちのように伝統(=定跡)に則っているのを感じる。

 カスパロフと羽生は人工知能と人間を、対立項ではなく伴走者として捉えていた。幸いなことに、人工知能が落語家の脅威になることはないだろう。名人たちの間、自虐的なユーモア、豊かな表情を人工知能が凌駕するのは不可能に思える。

 オンエアされた噺は、スマホに縛られた現代人をテーマにした「スマチュウ」、志の輔の故郷である富山の薬売りを取り上げた「先用後利」の2席だった。北陸新幹線開通の際には志の輔もPRに一役買ったようで、その映像も挿入されていた。藩と商人が協力して構築した売薬システムをテーマに、人情噺に仕上げる志の輔の力量に感嘆した。

 升田幸三元名人は<新手一生>を掲げ、81枡に創造の痕を刻んだが、世紀をまたいで状況も一変した。新手に専売特許はなく、盤面に現れるや研究会などで丸裸にされ、<新手一勝>になっている。最先端の戦法をトップ棋士が採用し、厚みを加えていくが、この辺りは落語も同様だ。東西の名人が長いスパンで工夫を凝らし、噺の幅と重みが増していく。

 志の輔が目指すのは年ごとの<新手一生>だ。まさに茨の道といえるだろう、20代ピークが定説の将棋界で、44歳にして4冠を保持する羽生名人、61歳にして開拓精神を失わぬ志の輔……。未踏の荒野を歩む2人の匠を見守っていきたい。
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「モーダルな事象」~豊饒でミステリアスな奥泉ワールド

2015-05-17 23:56:15 | 読書
 大阪都構想が住民投票で否決され、橋下氏の政界引退が決まった。感想は次稿の枕で簡潔に記したい。

 又吉直樹(ピース)の的を射た書評には注目していた。読み手として既に一流だったが、書き手としてもハイレベルであることが、三島由紀夫賞の最終選考で明らかになる。「私の恋人」(上田岳弘)に僅差(3対2)で及ばなかったが、高村薫、辻原登、平野啓一郎、町田康、川上弘美といった錚々たる顔ぶれに「火花」が絶賛されたのだ。

 10代の頃から読書を〝格闘〟と位置付け、目前に聳える作品を選んできた。作者の世界観と感性に対峙する至福を共有する同志は、今や絶滅危惧種らしい。仕事先のOさんはそのひとりで、故船戸与一の膨大な作品群を読破している。

 辺見庸のブログにアップされた船戸追悼文「完全無虚飾人」(日経掲載)に、詩人辺見の洞察を感じた。1944年生まれの両者は飲み仲間であったという。<正史と燦爛たる光にはかんしんをしめさなかった。外史と惨憺たる敗者に、ことのほか敏感だった>と船戸文学の本質を抉り、<かれはこの世でもっともわざとらしくないひとだった。(中略)おそらくかれは、ひとという恥の根茎に感づいていた>と船戸の佇まいを記している。

 加齢(アラカン)のせいで、読書は格闘の度を増している。気力、体力の衰えに加え、小さい字が読みづらくなってきた。老眼用の眼鏡を誂えるつもりだが、最新の〝対戦者〟は「モーダルな事象~桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」(05年、文春文庫)である。豊饒にしてミステリアスな奥泉ワールドを堪能し、格闘の疲れは読了後、たちまち癒やされた。

 先に読んでいたのは続編「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(11年)の方で、別稿(14年5月12日)で感想を記している。肩書が助教授から准教授になったのは時の流れだが、桑幸(通称)のキャラ――自虐的な低レベルの日本文学研究者、無様で哀れな中年男――は変わらない。諧謔とユーモアが全編に溢れていた。

 奥泉は純文学とミステリーを融合させているが、「桑潟幸一准教授の――」はその色彩が濃く、テレビ朝日でドラマ化(全3回、佐藤隆太主演)されている。俺は「前編も軽いに相違ない」と高を括っていた。ところが、注文したパスタとサラダは前菜に過ぎず、胃にズシリ堪えるメーンディッシュが次々に運ばれてきた。

 太宰治と交流があった無名の作家、溝口俊平の遺稿集発見が起点になる。桑幸は「日本近代文学者博覧」編纂時、心ならずも溝口の解説を担当した。心ならずというのは、太宰を希望したのに叶わなかったからで、当の桑幸が溝口の名を失念していたほどだ。

 「研修館書房編集部」の名刺を持つ男が桑幸の元を訪ねてくる。遺稿集連載に際し序文執筆を依頼してきたのだ。一読した桑幸は極辛の評価を下すが、意外にも読者の反響は良好だ。遺稿集発刊に向け、「天竺出版」の編集者もコンタクトを取ってくる。溝口は大ブームを巻き起こし、桑幸も余禄に与ることになった。

 遺稿発見の経緯が不透明で、展示会やら映画化など倍速で話が進むことに、桑幸は訝しさを感じていた。2人の編集者が相次いで殺されたことで身の危険を覚えた桑幸は、悪夢にうなされるようになる。環に閉じ込められた桑幸の魂は肉体から遊離し、溝口が暮らしていた敗戦目前の久貝島(瀬戸内海)に赴く。島で何が行われていたのか、小説家は溝口にとって仮面だったのか、遺稿を書いたのは果たして……。謎は深まるばかりだ。

 狂言回しになって時空を彷徨う桑幸に代わり、諸橋倫敦(大手出版社社員)と北川アキ(フリーライター兼歌手)の元夫婦が、全国を回りながら真相に迫っていく。何となく別れた2人だが、離婚後も互いの欠点をカバーし合う名コンビだ。かつて奥泉を<遅れてきた戦記作家>と評したこともあったが、本作にも戦争へのこだわりが反映している。謎の大陸アトランティスにまつわるコイン、怪しい宗教団体と製薬会社、秘められた一家の歴史が絡まって、光と闇が交錯する重層的な物語が展開する。

 アキがジャズシンガーという設定ゆえ、モードジャズにちなんだタイトルかと思っていたが、作者の意図は別だったようだ。ユーザーインターフェースにおけるモードから採ったのではないか。ユーザーが同一の入力をしても、状態によって検索結果が異なるケースをモードと呼ぶ。真実という果実も齧り方によって、行き着く芯が違ってくることが、本作のベースになっていた。

 自身の齧り方に殉じて迷宮の住人になった桑幸は,堕ちることにより環から自由になった。「さよなら、桑幸」のはずが、6年後にすくい上げて復活させた辺り、作者のキャラへの愛着が窺える。〝筋金入りのダメ男〟に親近感を覚える俺も、第3部、そして元夫婦探偵の再登場を心待ちにしている。
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「マミー」~煌めく才能による濃密なサンクチュアリ

2015-05-13 23:51:43 | 映画、ドラマ
 アパルトヘイトについての発言で物議を醸した曽野綾子氏が「年収120万円は貧しいといえない。貧困層とは水や電気を使えない人」(論旨)とのたまい、世間をまたも呆れさせた。残念なことに閣僚や与党中枢には、曽野氏と変わらぬ〝非庶民感覚〟の持ち主がゴロゴロいる。

 労働者派遣法改正案が審議入りした。政府答弁はまやかしで、派遣労働者の声は怨嗟に満ちている。山本太郎参院議員は先月、緑の党の区議選候補の応援に駆け付け、「正社員の平均年収は520万円で、非正規労働者は3分の1。とりわけ若者は厳しい状況に置かれている」と訴えた。

 若者の怒りを吸収する〝自由〟な枠組みを作ることが喫緊の課題だ。現在の不穏な流れを見ていると、一歩踏み出すことの意味を痛感する。山本議員や三宅洋平氏、リベラル&ラディカルの市民団体を、接着剤、緩衝材として繋ぐことが緑の党の役割といえる。

 若者たちが関心を失くしているのは政治だけではない。タワレコや紀伊國屋書店、映画館でもシニア層の姿が目立っている。この映画には若者が大挙詰め掛けているに違いない……、そんな期待と予感とともに先週末、ヒューマントラストシネマ有楽町に足を運んだ。

 グザヴィエ・ドラン監督はカナダの若き天才(25歳)で、超イケメンであることも相俟り、映画の救世主と目されている。欧米だけでなく韓国でも多くのファンを動員した新作「マミー」(14年)は、才気迸る刺激的な作品だった。だが、客席は4割弱の入り……。日本だけが〝事件の埒外〟に位置しているようで、寂しい気分になった。

 オープニングで以下のテロップが流れる。<とある世界のカナダで2015年に新政権が成立し、S18法案が施行される。発達障害児を抱える親が経済的困窮、身体的かつ精神的な危機に陥ったケースでは、養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障する>……。

 ポリティカルフィクション風の出だしだが、ダイアン・デュプレ(アンヌ・ドルヴァル)とスティーヴ(アントワン=オリヴィエ・ビロン)は法案にピンポイントで該当する母子だ。夫を亡くして数年経ち、再出発を図るダイアンは、注意欠如多動性障害(ADHD)を抱えるスティーヴを施設から引き取った。

 ネットで検索すると、発達障害、ADHDを克服した起業家、科学者、俳優ら著名人の名が数多くヒットする。マグマをプラスに転化できれば畏るべき才能を発揮するケースがあるという。スティーヴも内なる音楽的才能に気付いてはいるが、問題行動を繰り返す日々だ。

 ドランがケベック州生まれということもあり、主要言語はフランス語だ。ドランをジャン・コクトーに重ねているのか、カンヌ映画祭では熱狂的に迎えられている。ご覧になった方は正方形の画面に衝撃を受けるはずだ。視界を凝縮し、見る側の求心力と緊張感を保つ狙いを感じた。設定とテンポ、そして技法……。ドランは斬新なクリエーターといえるだろう。

 妖艶でフェロモンが零れ落ちるダイアン、アンファン・テリブル(コクトーの小説のタイトル)そのもののスティーヴが醸し出す濃密な空気を中和させるのが、隣家のカイラ(スザンヌ・クレマン)だ。高校教師だったカイラは心に傷を負い、失語症になっている。カイラはスティーヴの家庭教師になり、母子と緩やかな弧をつくった。「マミー」ならぬ「マミーズ」状態に、スティーヴは回復に向かい、夢の実現に思いを馳せる。

 スティーヴの過失と弁護士の介入で、舞台は暗転し、円は嫉妬で尖った四角形になる。<愛と希望、いずれを選ぶのか>がHPなどの〝公式見解〟だが、へそ曲がりの俺は穿った見方をしている。母子の微妙なキスは本作の肝だが、遮る手がなければ歯止めは利かない。禁忌を恐れたことも、ダイアンが選択に至った理由ではなかったか。

 「6才のボクが、大人になるまで。」、「きっと、星のせいじゃない。」、そして本作に共通するのが音楽の効果的な使い方だ。印象的だったのはオアシスの「ワンダーウォール」とともに長方形に画面が広がり、スティーヴがスケボーに興じるシーンだ。ちなみに歌詞を意訳すれば、「ワンダーウォール」は〝思いを寄せる女性〟になる。

 アラカンの俺はアンテナが錆びついているから、煌めきを正しく受け止められない。〝ドランって何者? どこまで進化するつもり?〟が偽らざる感想だ。オンエアをチェックし、旧作に触れることにする。
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沖縄と下北~点を繋ぐ信念と情熱の糸

2015-05-10 23:45:48 | カルチャー
 昨夏のガザ空爆に際し、イスラエル軍が国連施設を含めた無差別攻撃を指令していたことが、「沈黙を破る」(イスラエル元将校、兵士たちによる組織)の告発によって明らかになった。国連の調査とも合致する内容で、パレスチナは国際刑事裁判所に提訴する方向だ。

 空爆に抗議する集会やデモに参加し、点と点が繋がっていることを実感した。日本の安倍、イスラエルのネタニヤフ両首相の緊密な関係もあり、集団的自衛権、辺野古移設に反対する日本のリベラル、ラディカルはパレスチナに思いを馳せた。世界共時性の座標軸を見据え、共通の敵の存在を認識したのだ。

 英国総選挙の結果が出た。スコットランド国民党(SNP)が労働党の票を奪い、保守党勝利をもたらしたとの分析もある。反安倍に与する側なら、リベラルなSNPに強い共感を覚えるはずで、スコットランドと沖縄を同じ地平で捉える識者も多い。英国と日本もまた、点と点は繋がっている。ちなみに、英国緑の党は115万票を獲得したが1議席にとどまった。

 宮崎駿氏が「辺野古基金」共同代表に就任した。宮崎氏といえば、福島の子供たちのための保養施設「球美の里」(広河隆一理事長)のロゴマークをエザインしている。築地本願寺で来月開催される広河氏の講演会には足を運ぶ予定だ。

 WOWOWで再放送された2本のドキュメンタリーを紹介する。「失われた琉球の魂を求めて~復帰40年・甦る紅型~」(12年制作)と「愚安亭遊佐~ひとり芝居を生きる」(14年制作)だ。充実した作品に彩りを添えているのが、貫地谷しほりと壇蜜の柔らかいナレーションである。

 まずは前者から。紅型(びんがた)とは500年にわたって継承されてきた沖縄の染物だが、オリジナルは戦前に姿を消し、工法の伝承も途絶えた。紅型を作り続けた城間家16代目の栄市さんは、現代的なセンスを加味した伝統の復興を目指している。

 沖縄の苦難の歴史が背景になっている。明治政府はアイヌと琉球を、文化とともに弾圧した。紅型も同様で、沖縄戦で工房も焼失する。オリジナルに触れたいと願う栄市さんに、吉報が舞い込んでくる。琉球文化に敬意を抱いたドイツは130年前、多岐にわたる物品を購入した。スタッフはリストに含まれた紅型を、ベルリンの博物館で発見する。

 更に、大量の紅型が松坂屋の倉庫に眠っていることが判明する。復帰40年を記念して里帰りした紅型を目の当たりにした栄市さんは、<間の取り方>に感銘を覚えた。沖縄の花鳥風月、美しい自然、とりわけ海を取り込んだ紅型について、栄市さんは「紅型とは沖縄の人の分身。沖縄の人が沖縄の感性を持ち続け、紅型を作り続けることで、それを取り戻すことができる」と語っていた。

 愚安亭遊佐の存在を、このドキュメンタリーで知った。愚安亭遊佐は青森県むつ市の漁師の家庭に育ち、上京後は演劇に没頭する。作品の原風景は下北半島の海だ。母(1979年没)の人生をなぞったひとり芝居「人生一発勝負」が転機になり、父の言葉を通して故郷の歴史を綴る「百年語り」など、漁師の不屈の魂を描いた作品が多い。

 番組では新作「鬼よ」の公演に向けて稽古する愚安亭遊佐を追う。主人公は原子力船むつの寄港先になった関根浜で抗議活動を続けた兄幸四郎さんで、作品に鎮魂の思いが込められている。<国対漁師>の構図はやがて漁師同士の対立にすり替えられ、情に篤い兄は次第に孤立していった。兄の通夜が営まれたのは東日本大震災の当日で、愚安亭遊佐は「兄の死と津波は、どことなく因縁めいて見えた」と語っている。

 愚安亭遊佐は家族や故郷の思いをベースに芝居を作っている。だからこそ、メッセージは空疎ではなく血肉化され、見る者にリアルに伝わっていく。舞台に立つうち、愚安亭遊佐の心に「人生の連れ人たちが浮かび上がってくる」という。愚安亭遊佐はイタコの役割をも担い、死者と生者の魂を邂逅させているのだ。

 「鬼よ」の中の「あの海が埋め立てられていく姿は、おまえたち(国家権力)の暴力が起こしたことじゃないか」という印象的な台詞は、そのまま3・11後に汚染水を流出させた福島原発、そして辺野古移設の工事がピンポイントで連なっていく。

 二つの作品は、自然への憧憬を軸に、信念と情熱が世界を結ぶ過程を描いていた。10年後、愚安亭遊佐と同じ年になった俺は、どんな風に生きているのだろう。信念と情熱を欠片ほどでも身に着けていたいのだが……。
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「憲法の『空語』を充たすために」~刺激的で示唆に富む憲法読本

2015-05-06 23:43:55 | 読書
 GWは親類宅(寺)に泊まり、母が暮らすケアハウスを訪ねる日々だった。これまで鳩山元首相を酷評していた母が、「戦後史の正体」(孫崎享著)の影響か180度、見方が変わっていたのには驚いた。

 親類宅での話題といえば世紀の一戦で、フィリピンの貧困救済をライフワークにする従兄弟は、マニラの空港でパッキャオと鉢合わせしたことがあるという。判定負けは残念だが、50㌔前後から体重を増やして6階級を制覇したパッキャオこそ、史上最高のボクサーで、今回も莫大な額が寄付に回されるはずだ。従兄弟の更なる懸案は地震に襲われたネパールだ。被災した知人も厳しい状況下にあるという。俺も微力ながら協力したい。

 GWは京都で憲法について考えようと思い立つ。紀伊國屋で関連書を物色し、魅力的なタイトルの「憲法の『空語』を充たすために」(内田樹著、かもがわ出版)を手にした。著者が昨年、神戸憲法集会で行った講演を加筆修正した3章から成る小冊子である。第3章「グローバル化と国民国家の解体過程」は後日、自民党改憲草案について記す時に記したい。

 著者は以下のように、問題提起をする。<国会議員だけでなく、公務員は憲法を遵守する義務がある。なぜ、護憲集会の共催、後援を打ち切る自治体が続出するのだろう。地方公務員はなぜ、護憲集会を公共の施設で開催されるのに適さないと判断するのだろう>と。

 そして次のように仮説を立てる。<自民党改憲草案がそのまま憲法になった時、新憲法を支持する集会を、自治体はこぞって共催、後援するであろう>と。憲法を遵守すべき国会議員や公務員が、自らを前文に定義された「日本国民」であることを意識していないのは大きな問題だが、現憲法にも欠点はある。人間臭さがなく、人工的というイメージを拭えない点だ。

 一方で、憲法の理念に対する国民の理解不足もある。例えばアメリカの独立宣言(1776年)に「すべての人間は生まれながらに平等」という文言があるが、黒人差別が21世紀になっても残っていることは、最近の事件が示す通りだ。著者は次のように記している。

 <護憲というのは、あるいは立憲主義というは、憲法は国の最高法規だから守らなくてはいけないという静止的な話ではない。最高法規に相応しい重み、厚み、深みをいかに加えていくかの力動的活動が求められる>……。

 憲法とは達成目標といえるだろう。日本国民はこの70年、〝憲法に相応しい重み、厚み、深み〟を加えるために努力した。「憲法9条を堅持した国民はノーベル平和賞に値する」という著者の見解に俺も大賛成だ。

 第2次大戦時の日本の負け方が、現憲法の〝与えられた〟感を強くしたと著者は述べている。枢軸国に分類される可能性もあったフランス、そしてドイツ、イタリアの同盟国には戦争を遂行した権力側と闘った者がいて、<敗戦後に国家再建の足掛かりになる物語>に事欠かなかった。一方で日本にはレジスタンスは皆無で、<国体護持=天皇制維持>が担保されるまで戦争は続いた。主体が見えてこない現憲法だが、肉付けするのは国民の役割だ。

 安倍首相の解釈改憲を著者は「法治から人治へのプロセス」と指摘している。人治の端的な表れは短絡的な勝ちを求めるトップダウン式の株式会社で、典型は「反対なら次の選挙で落とせばいい」と語る安倍首相と橋下大阪市長だ。ブッシュ前大統領は2期目の選挙で「エンロンこそ国家経営の理想」をスローガンに掲げた。優勝劣敗と効率を最優先する株式会社的発想を、安倍政権は<小泉=竹中ライン>から継承している。

 彼らにとって<選挙=マーケット>で、平等と公正が原則であるべき立憲主義と相容れない。経営者気分の政権に、株式会社で働く有権者は疑問を持たず簒奪されている。株式会社の失敗は有限責任で、東電やメガバンクは破綻しても税金が投入される。一方で、国家は無限責任を背負う。中韓が戦時中の日本の蛮行を追及するのは最たる例で、外部化されず国民にも責任が問われる。

 本書は〝憲法初級〟の俺には刺激的で示唆に富む内容で、憲法を理想に向かう進行形と捉える視点が印象的だった。護憲派にもステレオタイプ化している部分がある。<9条があったから日本は戦争に関わらなかった>という主張に欺瞞を感じる。日本の基地から飛び立った米軍による殺戮に、日本も加担している。その点抜きに語られる護憲は、俺にとって<憲法論の「空白」>だ。
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「辺境の誇り」~アメリカ先住民と日本人を紡ぐスピリチュアルな絆

2015-05-02 11:20:19 | 読書
 今季絶望のダルビッシュに続き、田中にも暗雲が垂れ込め、岩隈まで離脱した。日本のメジャーファンの注目を一身に浴びているのが、笑顔のイチローだ。見事に老い、枯れたイチローは、ファンに愛されリスペクトされている。イチローは野球だけでなく、人生の達人でもあったのだ。

 一昨日(30日)、「白鳥・三三 両極端の会vol.9」(紀伊國屋ホール)に足を運んだ。三遊亭白鳥の「越後ヒスイ奇談」に続き、柳家三三が〝白鳥の新作をアレンジする〟という宿題に挑戦し、「メルヘンもう半分」を披露した。二つの演目に冒頭&締めのトークがリンクする構成で、笑いが途絶えることはなかった。

 アバウトでパワフルな白鳥、緻密な正統派の三三……。キャラは両極端だが、落語への情熱は変わらない。頻繁に噺に登場する桃月庵白酒、春風亭一之輔らは同志であり、切磋琢磨するライバルなのだろう。笑いを取るための熾烈な闘いが、落語界を高みに引き上げている。

 この人に誇りはあるのだろうか……。アメリカでの安倍首相の振る舞いに、そんな思いを強くした。宗主国へのへつらいにあきれ果て、真の絆に思いを馳せる。そんな俺にピンポイントで刺さったのが、「辺境の誇り~アメリカ先住民と日本人」(鎌田遵著、集英社新書)だ。

 鎌田はネイティブアメリカン(アメリカ先住民)をメーンに取材する気鋭のジャーナリストだ。洞察力とスケールの大きさに、虐げられた者の誇りと憤怒をテーマに据えた船戸与一が重なった。

 日米を俯瞰で捉える鎌田は、東日本大震災と原発事故の被災者、和歌山県大地町、「あ~す農場」を営む大村さんと、アメリカ先住民を繋いでいく。海を超えてシンクロする証言で、〝日米棄民同盟〟が浮き彫りになる。

 アメリカ先住民への弾圧の構図はそのまま、明治政府のアイヌ収奪、琉球処分に置き換えられる。悪しき伝統は、アジア各国での蛮行のみならず、自国民にも及んだ。その典型は、満蒙開拓民を置き去りにして遁走した関東軍だ。アメリカ政府もイラク戦争で自軍の劣化ウラン弾に被曝した兵士に手を差し伸べない。戦争とは、そして軍事同盟とは、敵だけでなく身内にも冷酷なのだ。

 村上龍の「半島を出よ」(06年)は、5年後を予言する先験的な作品だった。高麗遠征軍に制圧された福岡は、日本政府によって切り離され、辺境になる。「直ちに影響はない」と繰り返し失笑を買った枝野官房長官(当時)、五輪誘致のスピーチで「放射能はコントロール下にある」と世界に宣言した安倍首相……。両者の脳内地図で、福島は辺境に位置付けられているのだろう。原発候補地に辺境が挙がり、アメリカでも先住民居留区周辺に多くが建設された。

 アメリカ先住民は東北の苦しみと絶望に感応し、温い言葉で共感を表現する。鎌田はアメリカ先住民と日本人とのスピリュアルで崇高な絆を紡ぐ役割を担っていた。両者がともに志向するのは、自然との調和とコミュニティーへの愛着だ。

 アメリカ先住民は鎌田の取材に、「白人は自身の価値観を周りに押し付ける」と語っていた。捕鯨を批判する論理も一面的で、自分たちは絶対正しいという思い込みに則っている。「(グローバリズムによって引き起こされた)アフリカの疲弊に、どうして抗議の声を上げないのだろう」と疑問を呈していた。先住民を虐殺しても、アフリカの人たちが餓えても彼らの心は痛まない。「なのに、鯨は」と言いたげだった。

 映画「ザ・コーヴ」の舞台になった大地町から、多くの人がアメリカに渡った。当地で受けた厳しい差別は今も語り継がれている。大地町が強固な反対運動で原発建設を拒んだことを本書で初めて知った。漁業の町に、環境汚染をもたらす原発は不要という信念を貫いたのだ。

 兵庫で「あ~す農場」を経営する大森さんは、自然との共生を重視する点でアメリカ先住民と繋がっている。「人知を超えた自然は、想定外が想定内」と話す大森さんは、かつて大飯原発建設反対運動に関わった。被差別出身の大森さんは、<差別―被差別>の構図でアメリカ先住民にシンパシーを抱きつつ、鎌田に次のように語った。いわく<にとってのコロンブスは、天皇制だ。差別の歴史の方が、先住民差別より長い>……。

 本書には奥深い指摘や証言がちりばめられている、何より感銘を覚えたのは、人々の誇りと気高さ、そして他者の苦しみに感応する優しさだ。俺のレーダーはかなり錆びついているが、同書を、そして鎌田遵を偶然にせよ発見できた喜びに浸っている。

 これから京都に帰省する。GWは親類宅(寺)に泊まって、母が暮らす近くのケアハウスを訪ねる日々だ。時間があるので、憲法について考えるつもりだが、果たして……。
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