酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

戦争との距離~旧日本兵問題が示すもの

2005-05-30 03:25:21 | 社会、政治

 戦争など遠い世界と感じていた日本人に、驚きのニュースがもたらされた。フィリピンでの旧日本兵生存情報である。

 終戦直前、フィリピンに駐留していた部隊は、米軍を迎え撃つためジャングルに散った。早期に救出された旧日本兵の証言によると、任務を果たすべく蛇やカタツムリを食べて飢えをしのいだという。彼らを支配していたのは、天皇への忠誠と厳しい軍律だ。北朝鮮における「将軍様」への熱狂は、かつて日本人が体現した「大元帥閣下」への傾倒の写し絵といえよう。南方戦線では、追い詰められた日本兵が手榴弾で戦車部隊に対峙した。「天皇陛下万歳」と叫んで突進する阿修羅の如き姿に、イギリス兵は凍りつくような恐怖を覚えたという。

 特攻隊が象徴する「日本風散華」は、意外な場所で封印を解かれた。33年前のこの日(1972年5月30日)、3人の日本人ゲリラがテルアビブ郊外のロッド空港を襲撃し、26人が死亡する惨事になった。自爆という日本の負の文化が赤軍を介してアラブ世界に浸透し、唯一死ねなかった岡本公三はパレスチナで英雄になった。

 暗礁に乗り上げた感のある旧日本兵問題だが、北朝鮮やパレスチナが不可視の回路で日本と繋がっていることを教えてくれた。戦後60年という節目でもあり、若い世代が「国家と個人」や「戦争と狂気」というテーマについて考えるきっかけになればいいと思う。

 今や各自の歴史観を問うリトマス紙になった靖国参拝だが、問題にしているのは中国、韓国だけではない。シンガポールのリー・シェンロン首相も繰り返し批判している。同国やベトナムは日本軍の強引な物資徴用に苦しんだ。食糧を取り上げられれば死に至る。犠牲者の数については諸説あるが、「型通りの反省」で霧消するはずもない傷が残っている。

 国内でも風向きが変わりつつある。中曽根元首相は自らの誕生会の席上、小泉首相のアジア外交の稚拙さを切り捨てていた。いわく「大きな歴史の流れを知った上で、進路を決める時期に来ている。遺憾ながら小泉内閣にはその意識がない」と……。JNNの最新の世論調査では参拝反対が61%に上り、賛成の34%を大きく上回っている。平和憲法下で培われた国民のバランス感覚を表す結果といえるだろう。

 話は岡本公三に戻る。寺山修司は「死者の書」で岡本について論考している。鋭い切り口で行為の底にあるものに迫っているが、読み返すうち、寺山の有名な歌を思い出した。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 1945年8月15日以降も戦い続けた旧日本兵たち(小野田さんや横井さんも)、フランス外人部隊を経てイラクで亡くなった斎藤さん、そして、死を望みながら生き残った岡本公三……。彼らはこの歌を、どのような思いで詠むのだろうか。
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重めのサンデー系を狙う~無理筋承知のダービー予想

2005-05-28 04:32:09 | 競馬

 オークスは中身の濃いドラマだった。レース直後、「負けパターンだったな」と福永に声を掛けた武豊こそ、先行した武幸と並ぶシナリオライターだった。「豊さんに締められた」と福永がコメントした通り、武エアメサイアはシーザリオの外から被せ、好位を許さなかった。武兄弟の意地、直線勝負に賭けた福永、クセ馬ディアデラノビアで3着のデザーモと、騎手の力量がクローズアップされたレースでもあった。

 ダービーもオークスに続きサンデー一族の饗宴になりそうだ。GⅠレースでは展開(スロー)も騎乗法(差し)もサンデー仕様に傾くから、自ずと結果も決まってくる。血統予想家の分析をまとめると、ディープインパクトは「グレードアップしたロサード」で、スピード競馬の申し子とのこと。連を外しそうもないが、武豊が慌てる場面も見てみたい。可能性は低いが、レースの質がしのぎ合いにシフトすれば、ディープ苦戦の確率も高くなる。出走表で中長距離に適性のありそうな「重めのサンデー系」を探してみた。

 まず目に付くのがアドマイヤフジだ。後方からのレースなら、掲示板が精いっぱいだろう。福永は「直線勝負」と話しているが、果たして? 勢いと運のある福永のこと、無策で臨むとは考えづらい。オークスのお返しとばかり、一つ内のディープに被せて先行すれば面白い。母アドマイヤラピスは牡馬と渡り合った名ステイヤーだったし、ここで好走すれば、菊花賞でも楽しめるはずだ。

 そのアドマイヤフジだが、京都新聞杯で3着に敗れた。レース後、同陣営は「あの馬は強い」と不利を克服して勝ったインティライミを絶賛していた。インティライミはサンデー産駒だが、母系には社台伝統の血が流れている。苦手な輸送、出遅れ癖に加え、調教を不安視する声もあるが、5~6番手につければ好勝負も可能だ。サンデー系からもう一頭挙げれば、デザーモ騎乗のブレーヴハ-ト。ローエングリンの弟という血統も魅力で、3連単の2、3着に狙いたい。

 ディープを軸に「重めのサンデー系」を狙う以上、ローゼンクロイツ、ペールギュント、ダンツキッチョウ、アドマイヤジャパン、シックスセンスら瞬発力に勝る「軽いサンデー系」はまとめて切った。馬券は買わないが、マイネルレコルト―後藤の積極策に期待したい。<スロー→ヨーイドン>のパターンが崩れれば、予想も当たるのような気がするからだ。

 まとめると、◎⑤ディープインパクト、○⑥アドマイヤフジ、▲⑦インティライミ、△①ブレーヴハート。オッズと相談しながら、3連単を中心に買うつもりでいる。

 ディ-プインパクトの単勝が1・0倍、2番人気のマイネルレコルトが89・9倍。前々日オッズには驚くしかない。ディープの不安は、むしろレース後ではなかろうか。高速馬場に切れ過ぎる脚……。故障発症なきことを祈りたい。
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プレイバックPARTⅡ~1968年の怒りはどこへ?

2005-05-26 15:05:19 | 戯れ言


 ダービーの追い切りが気になり、久しぶりに日刊ゲンダイを買った。1面は橋梁工事に絡む談合事件で、でたらめな税金の使い方と政財官の癒着を指弾し、「サラリーマンよ、立ち上がれ」と例の如く煽っていた。確かに最近の日本人は、お上に対して慎み深い。隷従と紙一重に思えてくるほどだ。

 日本人が怒っていたのはいつなのか、年鑑類のページを繰ってみる。行き着く先は1968年という巨大な坩堝だ。佐世保エンプラ寄港阻止、三里塚、日大と東大の全共闘、神田カルチエ・ラタン、新宿騒乱……。まさに政治の季節だった。「過激派」シールは発売前で、街も市民も怒れる若者に寛容だった。王子野戦病院反対のデモにはエプロン姿のおばさんも多数参加し、若者と一緒に気炎を上げていた。

 山谷では労務者が暴動を起こし、新宿では真っすぐに怒れないフーテンに唐十郎が合流していた。不良やヤクザも潰すべき相手に切っ先を向けていた。全国津々浦々、負けられない「大菩薩峠」がどれぐらい存在したのだろう。怒りの対象が見つからなければ自分を壊す。シンナーでハイになったまま昇天する若者が、後を絶たなかった。

 俺は小学生だったし、騒がしさは感じたものの、世の動きを理解していたたわけではない。大人たちに煽られたわけでもなかろうが、子供の間で流行していたのはスカートめくりだった。永井豪の「ハレンチ学園」の影響である。当時のませガキどもがいかほどの確率でセクハラおやじになったのか、調査すれば面白い結果が出るかもしれぬ。

 金嬉老も、永山則夫も、3億円事件の犯人も、パトスに炙られ怒っていた。心臓移植は最悪の結果に終わり、施術した医者は国中からの怒りに曝されていた。水俣病とイタイイタイ病が認定されたのも68年だ。遅きに失した感もあるが、患者の苦しみと怒りが一つの成果をもたらした。米軍基地から排出された薬品が原因で10本足のカエルが生まれ、沖縄の人たちは怒りと恐怖に震えていた。

 川崎競輪場や浦和競馬場では、八百長疑惑や不明瞭な裁定に、数千人のオッサンが怒っていた。射幸心が時代の空気になり、中央競馬の売り上げは前年比70%増と凄まじい上昇を見せた。当せん金が1000万円の宝くじに人々が殺到し、売り場には朝から長い列が出来ていた。

 甲子園の阪神―巨人戦では、王の死球を巡って大乱闘が起きた。熱い時代ゆえ、格闘技も盛り上がっていた。主役は沢村忠とビル・ロビンソンだ。真空飛び膝蹴りと人間風車の切れ味に、大人も子供もカタルシスを覚えていた。

 スクリーンでは耐えに耐えた後、高倉健や鶴田浩二が怒りを爆発させていた。ブラウン管ではヘルメット姿のコント55号が既成のギャグをぶち壊し、怒りの小金治が昼食のおかずになっていた。「平和憲法を持つ日本はメカケ」と発言した閣僚が国民の怒りを買って辞任したのも68年である。

 当時の日本は、怒りを帆にして水面を滑るが如くであった。あの情熱はどこに消えたのだろう。いや、どのように消されてしまったのか。政府の側からすれば、統制が殊の外うまく運んだということになるが、角を矯めて牛を殺したといえぬこともない。過剰さは無用にしても、世の中を進歩させる原動力は、矛盾や不公正に対する怒りなのだから……。
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銀幕に潜む悪魔たち~ワルシャワの光と闇

2005-05-24 03:04:52 | 映画、ドラマ

 この3カ月余り、BSやスカパーでポーランド映画が10本ほど放映された。録画した作品を見て、ポーランド映画独特の手触りをあらためて感じることが出来た。

 最初に見たポーランド映画はワイダの「灰とダイヤモンド」(59年)だった。25年以上も前のことである。マチェックとクリスチナが荒廃した教会を訪ねる場面が、強く印象に残っている。「すべて燃え尽きた灰の底、燦然と輝くダイヤモンドが潜むことを」。墓碑に刻まれた詩をクリスチナが読み、「君がそのダイヤモンド」だと、マチェックは囁いた。背景を知るために原作を読んでみて、「灰とダイヤモンド」がポーランドの苦難の歴史と切り離せない作品であることを知った。
 
 ポーランド生まれの監督が撮る映画には、悪魔が頻繁に現れる。絶え間なく襲う災禍に、敬虔なポーランド人は、神から打ち捨てられたと感じたはずだ。その不安と絶望に、悪魔がそっと寄り添ったのではなかろうか。
 
 カワレロウィッチの「尼僧ヨアンナ」(60年)は、悪魔憑きを扱った作品だ。スリン神父はヨアンナに宿った悪魔を引き受け、その手を血で汚す。深読みすればきりがなく、神=マルクス主義、教会=圧制国家、悪魔=自由を求める者と置き換えることも可能だ。悪魔と神父を惑わすのだから当然だが、ヨアンナを演じたルチーナ・ヴィエニシカの妖艶さも、作品の説得力を増している。見る側は官能的でモノクロームの世界を、外側ではなく、内側にあると感じてしまうのだ。

 ポランスキーは「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)で悪魔の子を描いた。公開後1年、妊娠8カ月だった妻のシャロン・テートが、マンソンらの集団に惨殺される。映画との不気味な符合に、ポランスキーは悪魔に魅入られた監督というイメージが定着する。「ナインスゲート」(99年)のテーマも悪魔だった。主要な賞を総なめにした「戦場のピアニスト」(02年)で、ようやく悪魔の呪縛から逃れたのかもしれない。

 ズラウスキの「ポゼッション」(82年)にも息を呑んだ。イザベル・アジャーニが演じるアンナに、グロテスクな魔物が憑依する。凍えるような緊張感と謎に満ちた作品だった。ズラウスキにはその名もずばり、「悪魔」(72年)という作品がある。機会があれば見てみたい。

 影、闇、夜であり続けたポーランドだが、ヨハネ・パウロ2世の法王選出と連帯の活動が、国民に希望を与えた。差し始めた光に、映画の中の悪魔は姿を消したのだろうか。何となく敬遠していたキェシロフスキの作品でも見て、確認することにする。
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江田三郎氏の遺志は今?~構造改革論の先見性

2005-05-22 22:10:14 | 社会、政治

 旧聞に属するが、天皇は終戦時に退位すべきだったと、菅直人氏がテレビで語っていた。この発言への反論もあったが、「左派=退位論」という切り分けには意味がない。かの三島由紀夫もまた、退位論者だったからである。退位せず神性をなくした天皇への忸怩たる思いが、「剣」などの作品に込められていた。

 天皇が退位していれば日本はどうなったか、菅氏なりの見解を示してほしい気もする。逆説的になるが、俺は現実肯定論である。天皇が退位していれば、皇室への信仰が維持され、アラブ世界やアメリカで進行中の宗教への回帰が、日本でも起きたと考えるからだ。

 前置きは長くなったが、本題に。菅氏に期待を掛けたのは江田三郎氏である。社会民主連合を結成して間もない1978年のこの日(5月22日)、同氏は急逝した。菅氏は子息の五月氏らと遺志を継ぐことになる。俺は江田氏に対し、その見識と良識ゆえ、政治の世界で「してやられる側」というイメージを描いていた。その存在の大きさを認識出来たのは、昨年読んだ一冊の本のおかげである。

 石堂清倫著「わが異端の昭和史」(平凡社ライブラリー)は、現代史を学ぶ上で一級の資料だと思う。戦前戦後の左翼の活動と弾圧の実態、理論や哲学、満州での抑留生活、接点があった人物について、詳細かつ明晰に記されている。共産党員だった石堂氏は構造改革論が受け入れられず、61年に離党した。軌を一にして、社会党内で構改論を主張したのが江田氏だった。ちなみに構改論とは、先進国における<レーニン―毛沢東方式>の武力革命を否定し、緩やかな変革を目指すという理論である。提唱者はイタリア共産党のグラムシだった。

 江田氏は60年代初頭、社会党書記長として「江田ビジョン」を提起した。「江田ビジョン」とは、アメリカの生活水準、ソ連の社会保障、イギリスの議会制民主主義を目指し、日本の平和憲法を守るという、極めて全うな内容である。党大会で採択されたが、左派の巻き返しで頓挫してしまった。

 「わが異端――」によると、共産党のホープだった不破哲三氏(現議長)も構改論に傾いていたが、圧力により翻意したという。同書に記された社共幹部の言動には、愕然とするばかりだ。中ソの指導者を詣で、「構改論はけしからん」とか「イタリア共産党は無視しろ」というご託宣を受けて帰国し、構改派の行動にブレーキを掛けていたのである。

 日本の革新勢力は現実を見失い、自家中毒に陥って衰退する。今じゃ社会主義を時代錯誤と斬って捨てる論者も多いが、他の先進国ではどうだろう? イギリスでは労働党、ドイツでは社民党、スペインでは社会労働党が政権を握っているし、フランスの社会党も党勢を挽回しつつある。イタリアでは旧共産党まで糾合した中道左派が影響力を保っているし、北欧や中欧では社民、オセアニアでは労働党が、政権党もしくは野党第一党の座を維持している。

 早い話、保守2党体制はアメリカと日本だけなのだ。福祉、反戦平和、環境、人権を主張する声が年々小さくなるという好ましくない状況に、パラレルワールドに逃げ込みたくなる。60年代前半、「江田ビジョン」を旗印に、先見性と勇気を持った人々が組織を超えて結集していれば、日本丸はどのような航跡を辿ったことだろうかと……。

 最後にオークスの感想を。有力馬の位置取りは予想外だったが、シーザリオのコースを締めた武豊の意気、逃げた武幸の思い切り、後手を踏んだ福永の開き直りと、見どころ満載のレースだった。ダービーも楽しみである。
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バラの薫りとエリモの春~オークスの楽しみ方

2005-05-20 22:49:35 | 競馬

 大井で出た1300万馬券は、ニュース番組でも大きく取り上げられた。70代の男性が出目に基づき購入したという。射幸心がズキズキ疼くが、スタンスを変えても仕方ない。オークスも「俺流」妄想予想で楽しむことにする。出馬表を眺め、サンデーサイレンスの威光に改めて驚かされた。サンデー一族(14頭)の運動会にゲストが交じった感じで、血統論など無意味に思えてくる。

 「武豊TV!」で明かされたエピソードを。桜花賞のレース直後、「あの馬、強いな」と横山典に話し掛けられ、福永は大いに焦ったらしい。「あの馬」とは、多くの不利を克服して2着に追い込んだシーザリオである。勘違いしたのは横山典だけではない。吉田稔を祝福する騎手までいたという。

 一流ジョッキーが早トチリするほど、桜花賞で強さを見せつけたシーザリオは、福永に手が戻って2枠4番。先行タイプにとって絶好枠だが、マイル戦で示した切れが、オークスでマイナスに作用しないだろうか。昨年は伏兵のダイワエルシエーロで逃げ切った福永だが、一本被りになると慎重に乗らざるをえない。ちなみに、01年テイエムオーシャン1・8倍→3着、03年アドマイヤグルーヴ1・7倍→7着、04年ダンスインザムード1・4倍→4着と、世紀が変わってから、断然人気馬はすべて連を外している。単勝2倍を切ったら、シーザリオに黄信号が灯る。

 東京芝はここ数週間、前残りの傾向がある。騎手のセンスや度胸が試されるが、その点で心強いのがジェダイト騎乗の藤田だ。シーザリオと前後する位置で先行し、仕掛けのタイミングを計るに相違ない。ジュダイトはエルフィンS、フィリーズRでエアメサイアと接戦を演じている。桜花賞上位組と差はないはずだ。

 サンデー系でもう一頭選ぶなら、母がオークス2着馬のエアメサイア。武豊の出方に注目だ。桜花賞では外枠ゆえ後手を踏んだが、もともとは先行タイプ。福永のオークス連覇、今季GⅠ4勝目を阻止すべく、早めにシーザリオをつつくかもしれない。

 シーザリオとは、シェイクスピアの「十二夜」に出てくる男装の麗人。翡翠の硬玉(ジェダイト)を発見したのは、ビルマに侵略した大英帝国軍である。メサイアとは、英国に居を移したヘンデルによる宗教音楽集とくれば、キーワードは英国だ。バラが咲き始めるのも今頃だし、ジェダイトはいつの間にか5月の誕生石に加えられている。

 都合のいい御託を並べたが、華麗な名を戴くお嬢たちが意地を張り合えば、ペースに関係なく消耗戦になる可能性もある。3頭揃っての失速は考えづらいが、非サンデー系から乱戦用にエリモファイナルを選んでみる。父がオペラグラス、母系がダイワエルシエーロと同じドクターデヴィアス、鞍上が内田博とくれば、一発やってくれそうな気がする。

 ということで、結論は◎⑱ジェダイト、○①エリモファイナル、▲④シーザリオ、△⑤エアメサイア。4頭の3連単と◎○の単勝で勝負する。完全な前崩れに備え、エリモファイナルから追い込み型への馬連も、少々買ってみたいが……。

 ピアノマンの話題で世界中が大騒ぎだ。ピアノマンといえばビリー・ジョエル、少しなまってジュエル(宝石)とくれば、ジェダイト……。お粗末でした。
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絶望の彼方~イアン・カーティスの死から25年

2005-05-18 06:46:33 | 音楽

 訃報ほど、人を厳粛な気分にするものはない。年齢が近ければ尚更だ。俺より年上なら三島由紀夫、高橋和巳、ジョン・レノン、年下なら尾崎豊、カート・コバーン……。同世代の者は、彼らの死と自らの来し方を重ね、生きる意味を問い直したことだろう。

 俺にも衝撃的な死があった。25年前のこの日(18日)、ジョイ・ディヴィジョン(以下JD)のボーカリスト、イアン・カーティスが自ら命を絶った。俺と同じ1956年生まれで、享年23歳である。JDは当時、日本では無名であり、イアンの死を知るまでタイムラグがあったと記憶している。「24アワーズ・パーティ・ピープル」の項(3月11日)と一部重複するが、JDとイアンについて、以下に記してみたい。
 
 内向きの音を指向したJDは、77年にデビューした。時節柄、パンクに分類されたのは致し方なかったといえる。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デヴィッド・ボウイ、クラフトワークから影響を受けたという。活動期間は3年と短く、2枚のオリジナルアルバムは、マーティン・ハネットがプロデュースしている。

 1stの“Unknown Pleasures”は、ミニマムなのに不思議な広がりを覚えるアルバムだ。“Disorder”のドラムの音を生み出すのにいかに手間を掛けたかは、「24アワーズ――」でも描かれている。モノローグのようなイアンのボ-カルと乾いたドラムが、JDの生命線だったのか。“Shadowplay”のプロモを見た時、イアンの奇妙な体の揺れに「尼僧ヨアンナ」を思い出した。そういや、モリッシーのアクションもかなり怪しい(妖しい?)。マンチェスターは悪魔憑きの街なのだろうか。

 骨格がくっきり浮き出た1stに、憂愁と絶望の衣を被せたのが2ndの“Closer”だ。この作品ほど内向きに研ぎ澄まされ、美しく沈んだ音は、あらゆるジャンルを通して聴いたことがない。 悲劇的な結末を知った上とはいえ、“Isolation”から“Passover”、“Heart and soul”からラストの“Decades”へと、イアンの影が無明に溶けていくように感じてしまう。まさに極北に位置するアルバムだ。

 イアンが最後に録音した曲が“Love will tear us apart”だ。邦訳すれば、「愛は僕たちを引き裂く」という哀切なタイトルになる。俺はこの曲を神棚に祀っていたが、音楽通の友人の分析に拍子抜けしたことがある。“Love will――”はストーンズの「アンジー」、クラプトンの「いとしのレイラ」に並ぶ不倫ソングの傑作だという。イアンが三角関係に悩んでいたのは事実らしいが……。

 ジョイ・ディヴィジョンとはナチス将校のための性的慰安施設で、デビュー前に名乗っていたワルシャワは、ナチスに蹂躙された街だ。イアンの死後、残った3人+1で結成したのがニュー・オーダー(以下NO)だが、そのバンド名もまた、ナチス絡みである。計算ずくとはいえ、誤解を生んだこともあった。そのNOが今夏、フジロックにやって来る。大トリという厚遇だ。楽しみにしている人には申し訳ないが、NOはかなり下手なバンドだった。果たして進歩したのだろうか。

 NOはイアンの闇を濾し取るや、デジタルロックという新たな方向性を模索する別バンドに生まれ変わった。JDの後継者と目されたのは、サマソニにラインアップされているエコー&バニーメンの方だった。ボーカルのイアン・マカロックは「イアン・カーティスの死を補うのは、同じイアンの彼しかいない」とまで評価され、期待に十分応えていたが、80年代後半に失速してしまう。見る者を狂気に誘うライブパフォーマンスはUK勢で白眉だったが、それもピーク時の話。とっくに磁力をなくしているに違いない。

 NOとバニーズ以外に、JDの系図に連なるアーティストを挙げてみる。同志的存在がキュアーやスージー&バンシーズ、継承者がバウハウス、シスターズ・オブ・マーシー、マイ・ブラッディ・バレンタインといった辺り。ナイン・インチ・ネイルズもヴェルヴェッツやボウイの土壌から生まれたバンドで、根っ子でしっかり繋がっている。JDの優秀な弟といった感じだろうか。

 開催中のカンヌ映画祭から、ニュースが飛び込んできた。イアン・カーティスの生涯を追った映画が制作されるという。自殺の真相を巡る議論にも、ピリオドが打たれるかもしれない。
 
 俺はあの日から25年も生きている。心も体もクチクラ化しているが、JDを聴くと隅々がショートして、思わずイアンに声を掛けたくなる。「そんなに背負うなよ。少しぐらい引き受けてやるからさ」と。
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「けんかえれじい」の奇跡~清順が描いた青春

2005-05-16 03:18:10 | 映画、ドラマ

 今月は鈴木清順監督の作品に触れる機会が多かった。衛星第2で「けんかえれじい」、スカパーで60年代半ばの5作品が放映されたからである。

 まず、初見だった3作について。

 「関東無宿」(63年)は純粋さゆえ破滅する若いヤクザを描いている。小林旭の渋い演技が冴え、伊藤弘子と松原智恵子のダブルヒロインも魅力いっぱいだ。大藪春彦原作の「野獣の青春」(同)では、宍戸錠が破天荒な風来坊を演じている。暴力団の抗争に刑事の心中事件が絡むミステリー仕立てになっていた。「刺青一代」(65年)は、高橋英樹が流れ者の鉄を演じている。鉄が単身乗り込む場面の斬新な映像、繰り返し現れる赤い靴のイメージ、和泉雅子のおきゃんぶりが印象に残った。

 「けんかえれじい」(66年)は、邦画史に輝く青春映画の傑作である。リアルタイムで見た人は、違和感を覚えたかもしれない。任侠物などで男を磨いてきた高橋英樹が、ピンボケな少年を演じていたからだ。

 岡山の旧制中学に通うキロクは、スッポンという良き先輩の教えもあり、喧嘩では知られる存在になっていく。硬派を装うキロクだが、下宿先の娘に惚れている。道子を演じる浅野順子の可憐さも、作品の付加価値だ。純情さや不器用さと同時に、キロクの欲望がユーモラスに描かれていた。屹立した●●●でピアノを弾くシーンなど、「障子破り」に匹敵する名場面ではないだろうか。

 戦争へと突き進む時代、キロクは無数の画びょうを素足で踏んでまで、軍事教練の担当将校に反抗する。結果として、会津の中学に転校したキロクは、喧嘩を続けながらも大人への階段を登り始める。北一輝や退廃的な女流歌人との出会い、道子との別離……。2・26事件を知ったキロクは、戒厳令が敷かれた東京に向かった。

 俺が「けんかえれじい」に惹かれるのは、清順らしからぬオーソドックスな作品だから。画面で弾ける躍動感や滑稽さは、岡本喜八を彷彿とさせる。キロクと道子が桜並木を歩くシーンは、カラーなら息を呑むような映像になったはずで、少し残念な気もする。

 高橋英樹と中尾彬がトーク番組で共演した際、「『けんかえれじい』は邦画史上、五指に入る傑作」と中尾が話すと、高橋は照れ臭そうな表情を浮かべていた。公開当時は低評価に甘んじていたが、口コミで支持者を増やしていく。「この映画、知ってる?」「見てないと思うけど」と、何人もの映画通が異口同音に本作の存在を教えてくれた。俺も見た後、宣伝したのは言うまでもない。

 日活で撮った最後の2本は、清順の異才ぶりを示している。「東京流れ者」(66年)では、義理に縛られる一匹狼を渡哲也が演じた。テーマ曲が繰り返し流れる中、清順の美学が炸裂する。宍戸錠主演の「殺しの烙印」(67年)は、アヴァンギャルドというより、確信犯的にぶっ壊した作品。当時の日活には、作品はスターに属し、作家性は二の次というルールがあった。清順の過剰なまでの映像へのこだわりや常識破りは、制約の多い会社への反抗だったに相違ない。

 「殺しの烙印」完成後に日活を解雇され、次にメガホンを執るのは10年後になる。このブランクで「けんかえれじい」の続編が頓挫した。洩れ聞いたところでは、悲劇的な結末が用意されていたという。作られなくて良かったと思う。「けんかえれじい」は暗示的なラストとともに、清冽で切ない青春映画として、人々の記憶に残っているからだ。
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コンスピラシーに煽られて

2005-05-14 08:56:52 | 戯れ言

 前項では海野弘氏の「陰謀の世界史」を紹介した。コンスピラシー(陰謀)セオリーほどエキサイティングなものは稀である。感染しやすい俺など、たちまち妄想性陰謀菌に侵されてしまった。今回は続編である。

 この100年、日本は陰謀仕掛け人にとってカモだったようだ。だからといって、諜報活動の必要性を説くつもりはない。現在の日本は外交技術を高める時期であり、諜報以前の段階と考えるからである。外交の基本は、国益と理念のバランスを取る「二枚腰」と、掛け捨て覚悟で保険を用意する「多チャンネル」……。イラクで人質問題が起きた時、「自己責任論」が声高に叫ばれ、パウエル国務長官(当時)をあきれさせた。小泉首相の意を受け北朝鮮と交渉した山崎氏は、「一元外交」論者から非難を浴びた。いずれも外交下手の日本だからこそ起きうる議論ではなかろうか。

 さて、本題。陰謀セオリー絡みで、関心のある事象を二つ示したい。

 まずはゾルゲ事件と日米開戦。ゾルゲを史上屈指のスパイと評価する説もあるが、ゾルゲ事件は近衛派の力を削ぐためのフレームアップとする論もある。意見の違いは大きいが、ソ連が日本の動向を正確に把握し、自らに刃を向けないことを確信していたのは事実である。

 毎日新聞社刊「昭和史全記録」で興味深い記事を見つけた。1941年5月の項で、陸軍省と金融機関の幹部による日米戦力比較が記されていた。製鋼能力20分の1、飛行機生産5分の1、船舶保有2分の1、工務労働者5分の1。軍需物資輸入額を見ると、アメリカへの依存ぶりに愕然とする。機械類は2位ドイツの3倍弱、鉄鉱石は2位中国の4倍以上、石油は2位インドネシアの5倍以上……。日本はアメリカに死命を制されていたのである。

 アジアへの侵略で遠心力が付き、数字を超えた空気(狂気)を生んだのかもしれない。巷間伝えられる米ソの陰謀――ルーズベルトとゾルゲグループによる――が予期せぬ相乗作用を生んだことも考えられるが、対米戦争は明白な国家的自殺行為だったと思う。いかに巧妙な陰謀でも、他国に「死ぬ意志」まで植え付けることが可能なのだろうか。

 二つ目は、82年にピークを迎えた反核運動だ。日本でも広島に20万人、東京には40万人が集まった。当時プーだった俺は、野次馬として代々木公園に赴き、フリーコンサートを楽しんでいた。お目当てのルースターズが登場した時、ヤバイと思った。ステージ前でデモの順番を待っていたのが、解放同盟の隊列だったからだ。バンドは案の定、差別語オンパレードの日本語バージョンで「レッツ・ロック」を演奏している。デモ隊は聞き流していたのだろう。糾弾の声が上がることはなかった。

 個人的な思い出を書いてしまった。世界中で大きな盛り上がりを見せた反核運動は、軍縮や環境問題について議論が深まる間もなく、熱は冷めてしまった。そのせいもあったのか、関わった人々にとって失礼な分析が流布し始めた。あのムーヴメントは、スリーマイル原発事故を受けてソ連が仕掛けた陰謀だったという内容で、傍観者の俺でさえ、腹立たしく感じたのを覚えている。流れに乗った程度にせよ、ソ連が関与したのなら、チェルノブイリであまりに大きなしっぺ返しを食らったことになるだろうが……。

 陰謀セオリーに肩入れすると、何でも怪しくなってくる。英国の総選挙で、労働党は35%の得票率で56%の議席を得た。他国の話とはいえ、釈然としない。アメリカの二大政党制って、意識的に作られた資本主義独裁の装置では? 民主主義さえ疑わしくなってくるから困ったもんだ。そういや民主主義、今や陰謀セオリーの結び目になったブッシュ大統領が、繰り返し発する言葉でもある。
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渡る世間に仏なし~「陰謀の世界史」を読む

2005-05-12 08:11:16 | 読書

 海野弘著「陰謀の世界史」を読み終えた。ジグソーパズルを俯瞰で組み立てるように、対象と距離を保つのが海野氏のスタンスだが、本書では一歩踏み込み、楽しみながら論を進めている感じがした。

 海野氏は陰謀について、「巨大なタコのようでもあり、私的な人間関係の混沌としたつながりのようでもある」と記している。章立てされた30本のタコ足は冒頭、一枚のイラストにまとめられていた。「世界を一つにまとめ、一握りの人間が支配する」という陰謀史観(コンスピラシー・セオリー)の本質を、端的に示す相関図といえる。

 常軌を逸した発想、荒唐無稽な説も多く、社会主義を信奉する人は一笑に付すかもしれない。だが、「下部構造が上部構造を規定する」という唯物史観の公式は、肉付けされぬまま白骨化し、博物館で眠っている。「真実とのズレ」という点なら、二つの史観に大差はないのではないか。

 登場する数々の陰謀説、たくさんの悪い奴らは、ページを繰るにつれ複雑に絡み合ってくる。1930年代――ヒトラー、F・ルーズベルトが登場する辺り――から、俺の方も気合が入ってきた。反ユダヤ主義、スパイキャッチャー、ケネディ暗殺、ウォーターゲートなど、陰謀史の「定番」にもワクワクしたが、それ以外で興味深かったエピソードを記したい。

 エドワード8世は世紀の恋で王位を捨てたとされているが、ヒトラー支持者ゆえ、英米両国から退位を迫られたという見方もあるという。英王室は独ハノーバー家の血筋ゆえ、ナチスに親近感を抱いても不思議ではない。本書で驚いたのは――俺も陰謀史観にハマったらしい――英米にも親ナチスの実力者が数多くいたことだ。ヘンリー・フォードの反ユダヤ主義への傾倒は有名だが、ヒトラーに資金を提供していたアメリカ財界の代理人がダレス兄弟だった。戦後、兄フォスターは国務長官、弟アレンはCIA長官として、アイゼンハワー政権を表裏から支えた。アレンはナチス残党を免責し、CIAに吸収していたのである。

 戦後のアメリカ大統領の中でも、後ろ暗さで抜きん出ているのがブッシュ父だ。名門出身で、石油利権でさらに財を積み上げ、CIA長官を経て大統領に就任したとなれば、真贋問わず陰謀セオリーのターゲットになるのも仕方ない。何より気になったのは、ブッシュ父が大統領選を戦った時の出来事だ。スタッフに元SSなど6人のナチス関係者がいたと、マスコミに暴露されている。湾岸戦争時、「ニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)」を提唱したが、「ワールド」を抜いた「ニュー・オーダー」は、ナチスのマニフェストだった。引っ掛かる符合ではないか。

 個性に乏しいジョンソン大統領だが、ケネディ暗殺への関連など、陰謀セオリーでは主役級の扱いだ。逆に悪役っぽいニクソンは、側近のキッシンジャーやヘイグにしてやられた男と、同情を買っている節もある。クリントンは若くしてトップに登り詰め、アメリカの民主主義制度ともども、世界で称賛されたものだが、実態は果たして? クリントンは早くから、CFR(外交問題評議会)、日米欧三極委員会、ビルダーバーガーズといったインサイダー組織に所属し、「見えざる手」によって、大統領への道を準備されていたという。

 10日夜、BS海外ニュースでアフガニスタンの実情がリポートされていた。アヘン生産量は世界の80%で、GDPの50%を占めるという。アフガニスタンのみならず、CIAの麻薬コネクションについては、本書でも詳述されている。CIA―マフィア―麻薬は不可分の関係という。麻薬はマインドコントロールの必須アイテムだ。ケネディ兄弟、キング牧師、ジョン・レノンの死……。それぞれの殺人犯とCIAによるマインドコントロールとの関連は、本書以外でも広く論じられている。

 CIAとマフィアが、麻薬で得た金をいかに運用しているか……。この問題こそ、現代最大のタブーかもしれない。ヴァチカン(法王庁)系の金融機関が一枚噛んでいる。ヨハネ・パウロ2世は、パウロ1世が30日足らずで死去した後、法王に選ばれた。パウロ2世は前任者同様、ヴァチカンからP2(フリーメーソン系組織?)を一掃しようとして、生命の危機に曝されたという。P2はイタリアのモロ首相暗殺など、多くのテロに関連したとされている。P2は法王庁で生き残り、今もマネーロンダリングに協力している。CIA―マフィアとヴァチカンを繋ぐ人脈を辿れば、ムソリーニやヒトラーに行きつくのだ。

 一部しか紹介出来ないが、悪い奴ばかり出てくる怖い話の連続で、実にエキサイティングな書物である。

 海野氏の著書のうち、一番のお薦めは「モダン都市東京」だ。大正デモクラシーから軍靴の響きが忍び寄る昭和初期まで、1920年代の東京を文学を切り口に論じている。都市論としても文芸評論としても一級品だと思う。

 本書に触発され、俺なりの「陰謀論」を書いてみたくなった。
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