酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「チェ 28歳の革命」~ゲバラが示した愛の形

2009-01-29 03:11:01 | 映画、ドラマ
 先日、「チェ 28歳の革命」(08年、ソダーバーグ)を見た。「チェ 39歳 別れの手紙」(31日公開)についても後日、記すつもりでいる。

 初めてゲバラの顔を見たのは68年のニュース映像だった。メキシコでは五輪開催が危ぶまれるほど抗議活動が広がっていたが、デモ隊が掲げていたのがゲバラの写真だった。彼の名を知ったのは数年後である。

 海外と比べ、ゲバラは日本で長らく無名だった。60年代後半、全共闘の学生たちに“革命家人気投票”を実施したら、1位は毛沢東かトロツキー、3位はレーニン、4位はローザ・ルクセンブルクという順になっただろう。

 死後42年、サルトルが「20世紀で最も完璧な人間」と評したゲバラは、自由と反抗のシンボルになった。その言葉は世界中で復唱され、生きざまと死にざまに共感する者は後を絶たない。「チェ 28歳の革命」で最も感動的だったのは以下の台詞だ。

 「革命家は偉大な愛によって導かれる。人間への愛。正義への愛、真実への愛……。愛のない真の革命家を想像することはできない……」

 愛と革命を同じ地平で語れる者はゲバラだけだ。多くの革命は革命家自身の手で汚されてきたが、ゲバラの説得力はさまざまなエピソードが例証になり、天上へと積み上げられている。

 「オーシャンズ」シリーズで知られるソダーバーグは、エンターテインメントの匠でありながら、インディーズの反骨とシニカルさを失っていない。本作では虚飾を削ぎ、仕掛けを最低限に抑えていた。闘いの日々(56~59年)と国連総会出席のためのニューヨーク来訪(64年)をカットバックすることで、ゲバラの思想と人間性を浮き彫りにしていた。

 最前線で闘い、すべての人間と同じ目線で接するゲバラは、稀有な存在と考えられている。歴史に“もしも”は禁物だが、ゲバラが早い段階で斃れていたら、キューバ革命は成就しただろうか。ゲバラのようなイコンが他に現れただろうか。俺の答えは絶対、ソダーバーグも恐らく「イエス」だ。

 1人のゲバラの背景に100人のゲバラがいる。いや、100人のゲバラが存在しないと1人のゲバラも生まれない。俺は歴史の真実を白土三平の作品で学んだ。時代の空気、正しい志向、集団の意志は、それらを体現する象徴を確実に生み出す。
 
 「報道ステーション」で先日、ゲバラ来日時(59年)のエピソードが紹介された。広島を訪ね、原爆資料館で惨状を目の当たりしたゲバラは、取材した唯一の記者(中国新聞)に、「君たちはなぜアメリカの責任を追及しないのか」と洩らしたという。

 帰国後、ゲバラがカストロに伝えた広島の悲劇は教科書に掲載され、次世代へと語り継がれた。キューバの若者は日本の同世代より、核兵器の恐ろしさを知っている。ゲバラの広島への愛が、アメリカの裏庭で大輪の花を咲かせたのだ。




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池畑潤二、50歳~聖地が育んだ心優しきモンスター

2009-01-26 00:49:42 | 音楽
 邦楽ロックの歴史教科書があれば、ルースターズに最も多くページが割かれるだろう。日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンド、もしくはジョイ・ディヴィジョンとして……。

 ロックの聖地福岡が育んだルースターズは、後世のバンドに多大な影響を与えた。ブルーハーツ、ブランキー・ジェット・シティ、ミッシェルガン・エレファントのメンバーは、「ルースターズ抜きに今の自分たちはない」と語っている。“日本のシド・バレット”大江慎也を83年まで支えたのが、ドラマーの池畑潤二である。

 昨年10月、池畑の50歳を祝うイベント「ビッグビート・カーニバル」が東京(恵比寿リキッドルーム)と福岡で開催された。夏以降、Uターンの準備を進めていたので予約をためらっているうち、タッチの差でソールドアウト……。一転して東京残留となり大きな悔いが残った。先日フジ721で東京でのライブの模様が放映された。

 池畑、花田裕之、井上富雄(ルースターズ結成時のメンバー)、クハラカズユキから成るオープニングユニットに、チバユウスケが加わる。ミッシェルガンはアマチュア時代、ルースターズのコピーバンドだったこともあり、チバの声は大江の曲にフィットしていた。

 続くは御大の石橋凌(元ARB)だ。いきなり「恋をしようよ」で♪ただ俺はおまえとやりたいだけ……と何度も絶叫し、いいとこ取りする。聴衆に「化けもん」コールを要求するなど、ドラマでの渋さをかなぐり捨てていた。そう、池畑は確かに「化けもん」だ。鋭く重く、奔放で的確なドラミングはまさに“日本のキース・ムーン”だが、本家と違って包容力ある親分タイプらしい。

 次に登場したのはルースターズと同じ年(79年)、福岡で結成されたヒートウェイヴだ。ここ数年、活動をともにしている池畑にとり、“第2の家”というべきバンドで、リーダーの山口洋の志向からフォーク色が濃い。

 SIONが現れた時には「おやっ」と思った。池畑がレコーディングに参加した際、親しくなったとのこと。ダミ声で自虐、孤独、絶望を歌うSIONは、その場の空気にマッチしていた。久しぶりに聴いた「俺の声」が胸に染みた。

 満を持してベンジーこと浅井健一がステージに立つ。ベースはもちろん渡辺圭一(ヒートウェイヴ)で、第1期JUDEの一夜限りの再結成となる。途中で花田が加わり「シルベット」などを演奏した。JUDEとはめんたいロックとブランキーの奇跡のコラボだったのだ。池畑の豪快なドラミングが映える「デビル」で締めた。

 トリは後期ルースターズの2枚看板(花田、下山淳)と池畑とのユニット、ロックンロール・ジプシーズだ。下山は大江が心身に不調を来した頃に加わり、頭角を現した。下山への反発が池畑脱退の理由の一つと考えていたが、生々流転を重ねて四半世紀、恩讐を超え、同じフレームで円熟の技を競っている。音楽によって紡がれた絆にジーンときた。

 参加者全員がステージに並び、大江の代表曲「ロージー」で大団円となる。チバ、ベンジー、石橋の順で歌い、各奏者が工夫を凝らしたソロを披露する。大江は福岡のみの参加で不在だったが、集まったすべての者の心の中にいた。

 歴史的イベントを見逃したのは痛恨事だったが、番組を見て傷は少し癒えた。現場にいたら、様々な思いがフラッシュバックし、頬が乾く間はなかっただろう。集まった若者の目に、「キモいおやじ」と映ったに違いない。



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オバマ新大統領に思うこと

2009-01-23 00:09:47 | 社会、政治
 黒人差別の深甚さを示すエピソードが、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(佐野眞一著)に記されていた。奨学生として米南部を訪れた大田昌秀氏(元沖縄県知事)は「有色人種用」トイレに入ろうとして、周囲から「白人用」を指されたという。

 第2次大戦と朝鮮戦争で体を張った仲間を、敵(日本人)より下に置くのが当時の南部の“常識”だった。あれから六十余年、差別との闘いで斃れた無数の人々を悼むと同時に、彼らの夢が叶ったことを素直に喜びたい。

 黒人大統領実現への貢献度や低所得層との距離を考えれば、ボブ・ディラン、ムハマド・アリ、ラッパーたち、スパイク・リーが壇上に立つべきだったが、前夜祭に集ったのは別の面々だった。大統領と大衆の乖離は、既に始まっているのだろうか。

 就任演説を聞き、以下のように茶々を入れてみた。

 「我が国は暴力と憎悪のネットワークと闘っている」…<アメリカ=イスラエル>こそ世界最大のテロ国家では?

 「一部の人々の貪欲さと無責任が経済を疲弊させた」…オバマ陣営最大のタニマチはウォール街である

 「医療費は高く、(金融詐欺で)多くの人々はホームレスになり、職を失った」…オバマ大統領を救世主と見做す人々に、ワシントンを訪ねる余裕はあっただろうか?

 「(アフリカの)飢えた人々に栄養を与え、農地と水を手に入れるために我々は働く」=「我々」が常任理事国を指しているなら、まずは武器禁輸に足並みを揃えてほしい

 <「候補者ビル・マッケイ」のラストのように、オバマ氏は当選後、撒き散らした言葉の重みに押し潰されるかもしれない>……。

 別稿(昨年2月9日)でこのように記した。オバマ新大統領は今、中下流層とパワーエリートのいずれに軸足を置くべきか、心身を引き裂かれるような感覚を味わっているはずだ。 

 寺島実郎氏は「報道ステーション」で、「オバマ政権は全方位、超党派を前面に押し出しているが、いずれバランスが崩れるのではないか」と危惧していた。オバマ氏には政治的に“うぶ”というイメージもあるが、実際は妥協上手のネゴシエーターだと思う。

 魑魅魍魎、百鬼夜行ぶりは日本の自民党をも凌ぐイリノイ州の民主党で、オバマ氏は出世の階段を上ってきた。改革派潰しへの加担、大資本優遇の追認など批判も多いが、トップに立てば豹変する可能性もある。オバマ氏は就任翌日、5本の大統領令を出したが、いかにイスラエルの暴走を抑えるかで真価が試される。

 当ブログではアメリカを「資本主義独裁国家」、「唯一無比のテロ国家」と悪しざまに記してきたが、不自由で非民主的な選挙制度の下、オバマ氏が最もましな候補だったことは間違いない。現状では「イエス・ヒー・キャン」だが、大衆の声に応えて「イエス・ウイ・キャン」が目に見える形になった時、オバマ暗殺が現実味を帯びてくる。



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安田講堂落城から40年~地下水脈はいつ涸れた?

2009-01-20 01:17:28 | 社会、政治
 40年前の昨日(19日)、東大安田講堂が落城した。俺は当時、小学6年で、訳もわからずテレビ画面を通して喧騒に触れていた。

 「俺たち(全共闘世代)が社会の中枢を占める21世紀、日本は素晴らしい国になっている」……。学生時代のこと、飲み屋で知り合った大手マスコミ社員の御託宣を畏まって承った。彼はこうものたまった。「君たちはなぜ闘わないの」と……。

 「全共闘って、赤信号をみんなで渡っただけじゃないですか」とビートたけし風に茶化したかったが、理屈では負けそうなので黙っていた。30年後の閉塞した状況を、彼はメディアの一員としてどのように総括しているのだろう。

 事の本質を穿つ思想は、次世代に確実に継承される。歴史の皮肉というべきか、日本の反体制運動の黄金期は、治安維持法施行直後の1927年から34年にかけてだった。小作争議が激発し、連鎖する労働者の決起と住民運動は子供や女性をも触発した。理不尽に怒った小学生は同盟休校に立ち上がり、マネキンガールやショーガールもストライキを打った。夥しい血が流れ、闘いは鎮圧されたが、<地下水脈>は戦後に氾濫した。

 日本において60年代の<地下水脈>は70年代後半、すっかり枯渇していた。キャンパスでは支配セクトがゲシュタボの役割を担い、学生のムーヴメントを芽のうちに潰していた。俺が知る限り、当時まともな自治会は京大同学会ぐらいではなかったか。

 海外ではどうか。数年前にアメリカの大学を訪れた友人は、タイムスリップの気分に浸った。毛派やブラックパンサーの流れを汲むラディカルの情宣活動を目の当たりにしたからだ。英国に留学した会社時代の後輩も、キャンパスの熱気に驚いたという。反グローバリズムからチャリティーに至るまで、ありとあらゆる活動に学生たちが関わっていたからだ。フランスでは高校生のデモが政府を追い詰めるなど、自由と反抗は往時と変わらない。

 サミット会場に押し寄せるデモ隊の規模を見ても、若者の馴致に成功した先進国は日本だけだ。辺見庸氏の講演会や様々な報告会で足を運ぶたび、大学が<無菌状態の温室>であることを思い知らされる。日本だけなぜ60年代のDNAが消滅したのか、4つの答えをひねり出した。

<答え①>…全共闘運動は文革の影響が大きく、受け継がれるべきリアリティーと中身がなかった
<答え②>…<後藤田正晴―佐々淳行>によるチェック体制確立により、若者はマインドコントロールされた
<答え③>…内ゲバ、セクト支配など負の遺産が大きく、若者が政治活動にアレルギーを覚えた
<答え④>…70年以降の3大闘争(日韓・狭山・三里塚)は主体の在り様を強く問う重い課題で、結果として間口を狭めることになった

 1世代下ゆえ全共闘世代には辛辣にならざるをえないが、活動を継続している方、矜持をもって生きている先輩諸氏に<答え①>は失礼かもしれない。その一方、運動で磨いた論理力を別の方面で用いている人、ゲバラが示した左翼の初心(他者への優しい視線)を失くしている人が少なくないことを挙げておきたい。

 日本に今後、広範な大衆運動が起きるとしたら、戦前と同じタイプではないか。くしくも80年前に発表された「蟹工船」が大ブームになった。理念ではなく生活実感と怒りに根差した本質的な闘いは、既に始まっている。




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「懺悔」~夢の中で見た夢

2009-01-17 02:17:58 | 映画、ドラマ
 ブログの材料をいつも探している。家庭人なら、日常の出来事でネタに困らないだろう。愛人でもいれば、ドロドロの恋愛日記を露悪的に公開する手もある。句心あれば自作を披露して悦に入るはずだが、無芸大食の六無斉にはいずれも当てはまらない。

 となれば、必死で見つけるしかない。ネットで訃報をチェックするのも悲しい習性だ。映画観賞も俺には“義務”だが、時に困った事態に直面する。最たる例が先週土曜に見た「懺悔」(84年、グルジア/テンギス・アブラゼ)だ。

 不眠気味で5日間の仕事を終えた週末、岩波ホールに足を運んだ。後頭部が鈍く痺れ、爆睡できそうな状態で本編に突入する。スクリーンは小さく、字幕の印字が薄いせいかはっきり読めない。2時間30分の眠気との闘いがスタートした。

 宿題(ブログ)があるから、股をつねったり、頭を叩いたりしながら画面を凝視する。冒頭はケーキ屋のシーンで、女主人ケテヴァンが豪華なデコレーションケーキを窓越し客に渡していた。居間の中年男がヴァルラム市長の死を伝える新聞を手に嘆いている。ケーキは祝いのはずだが……。俺はいきなり混乱する。

 レンブラントの絵のように薄明のシーンが続き、“落ちた”と思った瞬間、女性の叫び声で踏みとどまる。ヴァルラムの息子アベルの妻グリコが、庭に遺体を発見したのだ。ヴァルラムの遺体は3度掘り返され、ケテヴァンが逮捕される。

 法廷でケテヴァンが“犯行”に至った経緯を述べる。ヴァルラムのモデルはスタ-リンだが、ゴルバチョフが書記長に就任する前年の制作で、恐怖政治を戯画化して告発せざるを得なかった。ヴァルラムは道化のように歌い踊り、部下は甲冑を纏った騎士のいでたちである。

 <人並みにヴァルラムを葬れば、罪を許すことになる。私は自分と、すべての無実の犠牲者の名において遺体を掘り起こし続ける>(要旨)という肝の台詞は聞き逃さなかったが、回想、幻想、イメージが織り込まれ、夢の中で夢を見ているような感覚に陥っていた。音楽も印象的だが、ベートーベンしか聞き分けられない。クラシック通なら、監督の意図をより深く理解できるだろう。

 ヴァルラムとアベルは同じ役者が演じている。アベルが悪魔(ヴァルラム)と気付かず懺悔するシーンは「カラマーゾフの兄弟」を彷彿とさせるが、下敷きになっているのは創世記の「カインとアベル」だろう。カイン(ヴァルラム)の罪は息子を苦しめ、孫のトルニケを破滅に追い込む。アベルがケテヴァンの思いを引き継ぐシーンに息をのみ、冒頭のケーキ屋に戻る。

 すべて白昼夢だったのか、清々しい表情を浮かべるケテヴァンに老婆が道を尋ねる。
ケテヴァン「ヴァルラム通りは教会に通じていないわ」
老婆「教会に通じない道が、何の役に立つの」
 魂の救済と再生を希求するラストシーンは、ペレストロイカの魁ともいえるだろう。

 かつて俺は、出身高校が共学になった夢を見た。夢がいつしか事実と化し、同窓生に話して恥をかいたことがある。「懺悔」はまさに<夢の中の夢>で、1週間後の今、別作品に脚色されているかもしれない。<真実>に触れたい方は、“映画学徒”が集う岩波ホールへどうぞ。


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「みんなロックで大人になった」~及第点の“副読本”

2009-01-14 00:03:55 | 音楽
 NHK衛星第1で先日、「みんなロックで大人になった」(7回、BBC制作)が放映された。ロック史の教科書なら検定不合格だが、副読本と考えれば及第点だ。

 第1回「ロックの誕生」で、<モッズの反逆精神とアートを融合させたザ・フーが、ロックの扉を開けた>という斬新なテーゼが提示された。番組の基調は「マイ・ジェネレ-ション」で、ロジャー・ダルトリーが頻繁に証言する。フーのファンは欣喜雀躍したはずだ。

 <ベルベッツ⇒デヴィッド・ボウイ>の流れは理解していたが、第2回「アート・ロック」でシド・バレット(初期ピンク・フロイドのリーダー)がボウイのアイドルだったことを知った。第3回「パンク・ロック」で<ある時代の前衛は次世代のメーンストリームになる>というアートの公式を再認識する。

 第4回「ヘビーメタル」は門外漢なので飛ばして見た。第5回「スタジアム・ロック」は意味のない括りだった。アイドルであれラディカルであれ、飼い犬であれ野良犬であれ、人気が出れば大会場でライブを行うのはいつの時代でも説明無用の道筋なのだ。

 第6回「オルタナティブ・ロック」はニルヴァーナ一色だった。ニルヴァーナに影響を与えたバンドとして、権力と対峙しながらハードコアの地平を切り開いたウエストコーストパンクの雄ブラックフラッグ、メロディーとビートを融合させたピクシーズが挙がっていた。商業的成功と無縁のバンドに光が当たったことに、ファンとして素直に感動した。

 第7回「インディ・ロック」はスミスの貴重な映像以外、見るべきものがなかった。オアシスの2nd「モ-ニング・グローリー」(95年)は「アビイ・ロード」に匹敵する名盤だが、その後は果たして……。シリーズの掉尾を飾るのが革新性と無縁のフランツ・フェルディナンドというのもガッカリした。

 俺がロックの副読本を企画するなら、以下の4冊を準備する。

 ◆第1冊<ポップの毒>…ビーチ・ボーイズ、スパークス、エルトン・ジョン、XTC、スクリッティ・ポリッティ、マンサンを例に、狂気へ誘うポップの毒の恐怖を描く。

 ◆第2冊<異教の匂い>…ドノバン、トラフィック、ジェスロ・タル、レッド・ツェッペリン、クイーン、ミューズらを例に、ボヘミアン、ロマ、ケルティックといった異教的ムードを漂わせるアーティストの実態に迫る。

 ◆第3冊<ポストパンク/オルタナの系譜>…ジョイ・ディヴィジョンとキュアーをとば口に、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズら米オルタナ勢に至る水脈を辿る。

 ◆第4冊<イタリアンロックの復権>…キング・クリムゾンとヴィヴァルディが混ざり合ったようなPFM、ジャンルを超越したフォルムラ・トレ、ワールドミュージックを先取りしたイル・ヴァーロetc……。英米のロック史から削除されたイタリアンロックを紹介する。

 独り善がりで通る可能性が低い企画ばかりだろうが……。

 ラジオから流れたビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」でロックに目覚めて四十余年……。最も衝撃を受けた曲はセックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」(77年)で、ベストアルバムは時代を超越したキング・クリムゾンの1st「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)だ。

 今後ライブに行くのはキュアー、ミューズ、マニック・ストリート・プリーチャーズ、ソニック・ユースぐらいのものだろう。もう現役ファンとはいえないが、数え切れないほどの震撼、戦慄、陶酔、恍惚を与えてくれたロックに心から感謝している。




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「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読む

2009-01-11 00:36:06 | 読書
 16歳の里見香奈倉敷藤花が、男性棋士から公式戦初勝利を挙げた。相手は勝率7割5分を誇る俊英の稲葉4段というから驚きだ。終盤に定評がある里見は、これまでも公開対局で男性棋士を苦しめている。次期NHK杯で女流出場枠をぜひ確保してほしい。

 さて、本題。佐野眞一氏の最新作「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読んだ。佐野氏の最近の著書は「巨怪伝」、「旅する巨人」、「カリスマ」といった傑作群と比べると緩くなったことは否めないが、その分エンターテインメントにシフトしている。「沖縄――」もページを繰る指が止まらない600㌻超の力作だった。

 冒頭で<大江健三郎や筑紫哲也らによる「お約束の沖縄史」から沖縄を解放したい>(要旨)と延べた通り、新たな視点で沖縄に迫っていた。読了して再認識したのは、沖縄が一貫して戦時にあったことだ。<平和憲法を守ろう>とか<子供を戦争に送るな>といった革新勢力のスローガンは虚妄に過ぎない。日本は六十余年、最強の暴力装置アメリカに与した<テロ支援国家>であり、沖縄は最前線の基地だった。

 沖縄経済の基地依存、軍用地主の桁外れの財力と権力を詳らかにしつつ、著者は沖縄が抱える問題点を指摘する。基地の存在が第1次産業の育成を阻み、多額の助成金が製造業全般の発展を妨げてきたという。何度も登場する故山中貞則氏(通産相など歴任)は沖縄にとって慈父であり、子供をスポイルする過保護な愚父でもあったのだろう。

 太平洋戦争において捨て石にされ、戦後は基地の街だった沖縄は、知識人にとって贖罪の対象だった。だが、その沖縄が差別の加害者であったことを本書で知る。1953年に奄美諸島は日本に復帰する。外国人になった奄美諸島の出身者は、沖縄で苛烈な差別を受けた。官界や金融界で公職から追放され、就職や給与で厳然たる差別が公認される。

 行き場を失った奄美出身者の中からアウトローの世界に身を転じる者も少なからずいた。暴力団の抗争史に多くのページが割かれているが、読み進むうち「沖縄やくざ戦争」(76年)で千葉真一(現サニー千葉)が演じた狂気が重なった。著者は闇経済の規模の大きさが、実体経済(県民所得は全国最下位)より沖縄を豊かに見せていると分析している。

 牛肉をめぐるエピソードも興味深かった。佐野氏は「カリスマ」で、中内功氏の半生を戦後史に組み込む形で描いていた。その中内氏は非関税に目を付け、豪州から大量に輸入した子牛を沖縄で肥育し、本土に輸出して安価で売るシステムを構築した。沖縄はダイエーにとって飛翔のきっかけになる場所だったのだ。

 沖縄芸能史を知り尽くす2人が、沖縄最高のエンターテイナーとして南沙織や民謡歌手ではなく、独特の風貌を持つ瀬長亀次郎を挙げていた。瀬長は衆院議員や沖縄人民党書記長を歴任した抵抗の政治家で、聞き惚れるアジテーションは心を洗うカタルシスだったに違いない。

 “沖縄アンダーワールド”の趣もある本書を、佐野氏は<ゴーヤチャンプルー風のごった煮>と評している。著者自身が混乱しているのだから、当稿が取り留めない内容になったことをご容赦願いたい。


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「新幹線大爆破」~二人の健さんが奏でるエンターテインメント

2009-01-08 00:59:47 | 映画、ドラマ
 ユダヤ原理主義国家イスラエルが連日ガザを攻撃している。被害が国連学校に及んだことで国際世論に配慮したアメリカは、エジプトの調停案を支持する姿勢を表明した。

 和平を求める声が強まっているが、イスラエルは蛮行を継続するようだ。ホロコーストの被害者はトラウマの刃を反転させ、盟友アメリカと並ぶテロ国家の顔をむき出しにしている。

 テロリズムとは<暴力と恐怖で人々の行動を制限、支配すること>で、政治思想に基づかない行為も含まれる。広義のテロリズムを最初に扱った邦画は、先日WOWOWで放映された「新幹線大爆破」(75年、佐藤純彌)かもしれない。壮大なスケールを誇る娯楽作だが、興行的には失敗した。

 「スピード」(94年)公開時、本作との共通点が幾つも指摘された。両作は「暴走機関車」の脚本(黒澤明執筆)を親に持つ“兄弟”だから、似ているのは当然だ。「ヒート」(95年)のラストは「新幹線大爆破」にインスパイアされたのではないか。

 佐藤監督は60~70年代、左翼性を滲ませた映画を世に問うてきた。「組織暴力」、「暴力団再武装」、「実録安藤組 襲撃篇」などで、組合運動や新左翼へのシンパシーをヤクザの抗争に仮託して描いている。佐藤にとって前半期の集大成というべき本作のストーリーを簡単に記したい。
 
 東京発博多行きひかり109号に爆弾を仕掛けたとの電話が入る。80㌔以下にスピードを落とすと爆発する仕組みは貨物列車で実証済みで、1500人の命を守るため警察、国鉄の合同チームが立ち上げられる。前方で事故車が発生して対向車線に切り替えるなど、アクシデントが109号を次々襲う。産気づいた妊婦もいる車内は、パニック状態に陥っていく。

 特殊な爆弾を作ったのは、破産した工場主の沖田(高倉健)だ。元左翼活動家の古賀(山本圭)、天涯孤独の大城(織田あきら)との交遊で、私憤が義憤に拡大していく。完璧に思えた沖田の作戦だが、想定外の連続で破綻が生じてくる。

 ストーリーが進むにつれ、倉持指令室長(宇津井健)の存在感が増していく。109号をゼロ地点(山口の田園地帯)で爆破させるという政府決定、人命より犯人検挙を優先させる警察の方針に怒りを覚える倉持は、佐藤監督の心情と重なっている。表の高倉健と裏の宇津井健……。違った味の二人の健さんが本作を支えていた。

 タイプスリップしながら30年ぶりの再会を楽しんだ。国鉄は公開当時、赤字拡大とスト権ストで世間の冷たい視線を浴びていた。捜査陣の圧倒的な力量は、<後藤田正晴―佐々淳行ライン>による公安警察強化の反映だろう。リメークを望む声も強いが、ネットと携帯が幅を利かす現在に置き換え可能だろうか。

 本作以降、佐藤は邦画界を代表するヒットメーカーになり、高倉健は国民的スターに登り詰めた。「新幹線大爆破」は両者にとって過渡期の作品で、“埋もれた名作”といえるだろう。


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テレビ桟敷で寝正月

2009-01-05 00:09:28 | 戯れ言
 前稿の“決起宣言”はどこへやら、年末年始はテレビ桟敷でくつろいでいた。まとめて感想を記したい。

 メーンテーマを“経済と雇用”に据えた「2008大論争5時間SP」(朝日ニュースター)と「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)を合わせて見た。「大論争」は宮崎哲弥氏の仕切りで和やかに進行したが、ヒートアップした「朝生」は混乱のうちに終わった。司会を筆頭に出演者の自己顕示欲が強すぎるせいだろう。

 両方に出ていた穀田衆院議員(共産党)は「大論争」で、「キヤノンは内部留保3兆円、今年の利益は2800億円なのになぜ派遣労働者(1年分の人件費34億円)を切るのか」と倫理なき企業を批判していた。元旦の「朝生」に常連の姜尚中氏の姿がなかった。紅白で審査員を務めたと知り、かなり驚いた。

 ニューイヤー駅伝のゴール前の大接戦、ケニア勢とスーパールーキー柏原の箱根路激走と、日本人らしく駅伝を満喫した。“負けるな一茶”の心境でブレーキになった選手に声援を送ってしまうのは、齢を重ねたせいなのか、負け慣れたせいなのか……。

 NFL最終週は劇的なドラマの連続だった。白眉というべきはAFC東の直接対決である。昨季1勝15敗のドルフィンズがジェッツを下して地区優勝を果たした。ファーブ移籍でジェッツを追われたQBペニントンが古巣に引導を渡しただけでなく、昨季16戦全勝のペイトリオッツをプレーオフ戦線から弾き飛ばした。ハリウッドのシナリオライターがチームを組んでも、これほどのストーリーは書けないだろう。

 「アルマゲドン」で“破天荒なカリスマ”ジェフ・ハーディがWWE王座を手にした。ジェフは危険なシナリオを過激に演じ、ファンの支持を得たエクストリームの体現者である。村松友視氏や森達也氏は“プロレスは虚実の皮膜にあり”と説いているが、ジェフが演じる狂気(虚)が素顔(実)に限りなく近いことに不安を覚える。

 “1回限りの相棒”田畑智子はキュートでよかったが、亀山抜きの「相棒」元日SPは突っ込みどころが多かった。環境保護に取り組む者がテロに走ったり、金銭を求めたりという前提そのものに疑問を覚えた。犯人の個性にも矛盾がある。編集者ならペンによって過去の不正を告発するはずだし、監禁した男に食料を用意するほどの情があるなら、多くの人を巻き添えにする自爆を試みるはずもない。

 松本清張や宮部みゆきが支持されるのは、人が犯罪に至る過程を正しく哀しく描いているからだ。ファンゆえ辛口にならざるをえないが、最近の「相棒」は背伸びした分、足元が揺らいでいる。渡哲也がゲスト出演したことから、新相棒は石原軍団の若手、あるいは大物俳優の息子と予想する向きもあるが、果たして……。

 今日から仕事が始まる。「正月ボケが心配」と言いたいところだが、とっくにボケているので普段と変わらない。



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もっとラディカルに、もっとワイルドに

2009-01-02 00:23:46 | 戯れ言
 明けましておめでとうございます。読者の皆さまに幸多き年になることを心から祈っています。

 大晦日と元日の朝刊は暗いニュースを伝えていた。世界に広がる貧困、孤立したガザ、関西で相次いだタクシー運転手強殺、夜逃げ屋の流行、派遣を切られた人たちの犯罪……。俺は思わずミューズの「ナイツ・オブ・サイドニア」の歌詞を口ずさんでいた。

 ♪愚か者たちが王として君臨する今、時を無駄にするな。物事を正す時機が来たようだ。権利のために闘うんだ。生き残るために闘うんだ……

 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを公然と支持するミューズは、ラディカルさを増しつつある。発表時(06年)は先走り感が強かった「ナイツ――」だが、貧困が世界を覆い尽くす現在、新世代のプロテストソングになるかもしれない。

 07年は<恋でもしようか>、08年は<猫のようにしなやかなハンターになる>が年頭の誓いだったが、09年は悠長なことを言っていられない。俺もまた、手配担当者の掌で転がる中年派遣労働者なのだ。

 <もっとラディカルに、もっとワイルドに>を今年の目標に掲げたい。ブログにもあれこれ記してきたが、第三者的に政治を論じることがいかに無意味か、自らの経験から心得ている。扉を開いて、第一歩を踏み出したい。

 具体的に何を? 前稿に記した通り涙が出るほど怒っている以上、良心や慈善に基づいて行動するつもりはない。テロリスト? まさか! 第一候補は<反貧困ネットワーク>への参加だ。少しずつ行動の幅を広げていければと考えている。

 初詣でに行くことになった。中学生の頃以来だから、三十数年ぶりになる。いかに敬虔さと無縁の人間なのか、我ながらあきれてしまった。苦しい時の神頼みではない。母の指令を受けてのお参りである。

 昨年は母と妹の同時入院など凶事が続いた。俺もパッとせず、Uターンを考えている。一陽来復というが、母は元気になり、妹も2月までには退院できそうだ。厄除けに家族それぞれの干支の土鈴を送れというのが母のリクエストである。

 前回の帰省時、嵯峨野路の土産物屋で干支の土鈴を見た。京都の方が簡単に入手できそうだが、場所を指定されている。実のボンクラ息子より氷川きよしを心の拠りどころにする母は、氷川神社の土鈴が欲しいのだ。まるで頑是ない子供だが、人は老境に達すれば童心に帰るというから仕方ない。

 検索してみたら関東近辺で氷川神社は10社ほどあった。中野駅近くの沼袋氷川神社、東中野駅近くの中野氷川神社は俺のウオーキングコース内に位置している。ちなみに氷川きよしと縁が深いのは赤坂氷川神社という。いずれかに詣でることになるだろう。

 ネタに困ることもしばしばだが、ブログは今や俺にとって存在証明だ。今年も中2日のペースで更新していきたい。妄言に付き合ってくださる読者の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいだ。今年もよろしくお願いします。


コメント (5)
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