酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「バグダードのフランケンシュタイン」~〝モザイク国家〟を疾走する人造人間

2024-06-21 22:44:19 | 読書
 叡王戦第5局を伊藤匠七段が制し、藤井聡太八冠は七冠に後退した。二転三転の熱戦だったが、131手の6四桂から形勢は伊藤に傾いた。5五桂なら藤井優勢だったようだが、秒読みで正着を指し続けるのは藤井でさえ難しい。同い年のライバル関係で、将棋界はさらに盛り上がるだろう。持将棋を挟み藤井に10連敗していた伊藤だが、負け続ける中で掴んだものは大きかく、第5局では腹を据えた踏み込みで流れを引き寄せていた。

 この1年に限定しても、その国の小説を初めて読む機会は何度かあった。「ある一生」はオーストリア、「わたしの名は赤」はトルコ、「自転車泥棒」は台湾、「マイ・シスター、シリアルキラー」はナイジェリアと、各国文学事始めの感がある。今回紹介するのは初めて読むイラク産「バグダードのフランケンシュタイン」(2014年、アフマド・サアダーウィ著、柳谷あゆみ訳/集英社)で、ブッカー国際賞、アーサー・C・クラーク賞の最終候補に残った。

 舞台はイラク侵攻でサダム・フセインが逮捕され、米軍が駐留する2005年のバグダードだ。俺が抱いていたイラク像といえば、〝スターリンに憧れたサダム・フセインがつくり上げた独裁体制の下、不自由で一枚岩の国〟。色でいえば黒というイメージだ。だが、本作読了後、それが全くの的外れであることを知る。

 「バグダードのフランケンシュタイン」のタイトル通り、当地に現れた人造人間を巡る物語だ。メアリー・シェリー著の「フランケンシュタイン」と共通しているのは無尽蔵の体力と優れた知性、容貌の醜さ、そして孤独だ。バグダードのフランケンシュタインは原典のようにひとりの科学者によって造られたのではなく、自爆テロの巻き添えで亡くなった若い警備員のハスィーブのバラバラの遺体を繋ぎ合わせて出来上がった。腐敗した部位は、連日の爆弾テロの被害者の肉片で補強される。

 フランケンシュタインだけでなく、バグダードの街もまた多様な要素からなるモザイクタウンであることを本作で知った。脚本家や映画作家としてのキャリアを生かした斬新で実験的な手法による本作は、老婆ウンム・ダーニヤール、不動産会社を経営するファランジュ、古物屋ハーディー、ジャーナリストのマフムード、彼が懸想する自称映画監督のナワール・ワズィール、マフムードの上司サイーディー、スルール准将、ラストで本作の作者に擬せられる作家らのモノローグで綴られる。

 彼らの来し方、信仰も様々で、キリスト教徒のウンム・ダーニヤールはイラン・イラク戦争に応召して帰還しない息子の生存を信じている。多くはイスラム教徒だが、シーア派、スンニ派、アルカイダ支持のスンニ派、バアス党の残党らがせめぎ合い、爆破事件が収まらない。ユダヤ教の伝統を継ぐ建物もあり、バグダードの街並みが鮮やかに切り取られていた。

 あえて主人公を選ぶなら、ハーディーとマフムードだ。「名無しさん」と呼ばれるようになるフランケンシュタインの創造主はハーディーで、偶然知り合ったマフムードとは取材だけでなく、個人的な会話も交わすようになる。名無しさんの魂はハスィーブだが、部位を補強するうち、多くの人たちの報われず癒やされない思いが積み重ねられ、<壊れたもの、失われたものの記憶>が醸成されてバグダードを疾走する。

 現在のイラクも2005年と変わらず、幾つもの勢力がぶつかり合っており、大規模な反政府デモも開催されている。本作をきっかけに多くの小説が世界で読まれ、日本語にも翻訳されることを願っている。
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