酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ある一生」~心を打つ普通の男の生き様

2023-09-29 20:49:12 | 読書
 王座戦第3局は藤井聡太七冠が永瀬拓矢王座を破り、2勝1敗と八冠制覇に王手をかけた。永瀬は後手ながら主導権を奪い、差を広げていく。終盤でAIの評価値が95と永瀬に傾いた時、事件が起きた。藤井の▲2一飛に△3一歩と底歩を打てば勝ちは揺るがなかったが、4一飛と打ったことで評価値は藤井に振れた。

 囲碁将棋チャンネルで郷田真隆九段は「人間である以上、秒読みでエアポケットに落ちることはある」と解説していた。タイトル戦史上まれに見る大逆転が起きたが、精神的にタフな永瀬は落胆を押し隠し、藤井は研究パートナーを気遣って普段以上に謙虚な口ぶりだった。注目の第4局は来月11日に京都で行われる。

 来月15日に67歳になる。布団の中で来し方を振り返ると、目が冴えて眠れなくなることがしばしばで、消しゴムで消し去りたい愚行だらけの煩悩多き人生だ。そんな俺と違い、淡々と生きた男の半生を綴った小説「ある一生」(浅井晶子訳、新潮クレストブックス)を読了した。作者のローベルト・ゼーターラーはオーストリア出身で、2014年に刊行された本作はドイツ語圏で大ベストセラーになり、世界各国で高い評価を得た。

 ゼーターラーは作家デビュー以前、俳優や脚本家として脚光を浴びてきた。対照的に本作の主人公アンドレアス・エッガーは、日の当たらない場所で79年の一生を終えた孤独な男である。冒頭でエッガーは山の中、ヤギハネスと呼ばれるヤギ飼いと出会う。ケガをしていたヤギハネスを救助したが、「死っていうのは、氷の女なんだよ」という謎めいた言葉を残して姿を消した。

 時は遡行し、エッガーの少年時代が描かれる。私生児として親戚宅で過ごしたエッガーは奴隷のように扱われた。暴力的な農場主に鞭打たれ、体罰で片足が不自由になるが逞しく成長し、農場を去った。無口だが生活全般に通じ、村人から重宝され、自然と馴染んで山の呼吸に感応する。エッガーは29歳の時、宿屋で働くマリーという女性に恋をした。マリーのうなじには20㌢ほどの傷痕がある。心身に痛みを持つ二人は互いを癒やすように寄り添った。

 エッガーは安定した収入を得るため、ロープウエーを敷設する会社に就職する。そこで得難い人々と知り合った。ひとりはエッガーの足に不安を覚えながらも雇った部長で、時間の持つ絶対的な力を説いた後、「それぞれの瞬間だけは、ひとつたりとも奪うことはできない」と付け加えた。その言葉の意味をエッガーが理解したのは死の直前だった。

 もうひとりは会社の古株トーマス・マトルで、エッガーに人生や死の意味を教えてくれた。エッガーはマリーへの愛を伝えるため、マトルの協力で山肌に<君に、マリー>の燃える文字を浮き上がらせる。大文字焼きみたいなものだろう。本作が映画化されたらハイライトになるシーンで、〝脚本家〟ゼーターラーの面目躍如といえるだろう。ロープウエー敷設で大きな役割を果たしたエッガーは<自分が大きなものの一部になった>ように感じた。

 人生でただひとり愛したマリーと過ごした日々は長くは続かなかった。雪崩で彼女を失い、足の具合も悪くなって肉体労働は厳しくなったが、部長はエッガーに点検作業へのシフトチェンジを伝える。村にもファシズムの波が押し寄せ、エッガーは北方戦線に送られた。山岳地帯で戦闘に加わることはなかったが、捕虜として8年もの間、収容所で労働に従事する。山の過酷な環境で暮らしてきたことで、生き延びることが出来た。亡きマリーに書いた手紙に心を揺さぶられた。

 解放後、村に戻ったエッガーは〝天職〟を見つけた。山で迷った老夫婦を助けたことがきっかけで、観光ガイドを思いつく。山の生態を知り尽くしたエッガーは、無口ながらツアー客の信頼を得ていく。臨時の女教師アンナとの交友もあったが、エッガーは召されるまでマリーへの思いを貫いた。

 ヤギハネスとの思わぬ再会は、死の扉だったかもしれない。エッガーは周りと自分を比べることなく、来し方を肯定的に捉えていた。孤独と絶望を置き去りにしながら地に足を着け、歩くようにして人生を終えていく。俺が召される時、どのような一瞬が脳裏に煌めくのだろう。
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「君は行く先を知らない」~イランの荒野を往くロードムービー

2023-09-25 21:13:05 | 映画、ドラマ
 <悪の枢軸>というと、まずはアメリカで、その力を背景にイエメン空爆を主導するサウジアラビア、パレスチナへのアパルトヘイトを実行するイスラエルを継続するイスラエルを思い浮かべる。世間的には兵器で結び着くロシアと北朝鮮、そしてイランを<悪の枢軸>と見做す声は強い。イランの核開発を世界は注視しているが、最大の核保有国アメリカ、事実上の保有国イスラエルが進めるサウジでのウラン濃縮はスルーされている。

 民主主義、多様性について様々な問題を抱えるイランだが、映画の〝聖地〟といっていい国だ。イラン人監督は弾圧をかいくぐり、寓意によって物語を神話の領域に飛翔させる手法を身につけた。エンディングは時にミステリアスで、奇跡の煌めきを提示する。モフマン・マフバルバフは「イランが芸術性の高い映画を作り続けられたのは、ハリウッドの影響を受けなかったから」と分析していた。

 新宿武蔵野館で先日、イラン映画「君は行く先を知らない」(2021年)を見た。監督のパナー・パナヒは「人生タクシー」などで知られる巨匠ジャファル・バナビの長男である。ジャファル・バナビについては近日中に新作「熊は、いない」を観賞する予定なので、その感想を記す際に紹介したい。

 「君は行く先を知らない」はワゴンでイラン国境地帯を旅する家族のロードムービーだ。父(モハマド・ハッサン・マージュニ)、母(パンテア・パナヒハ)、長男(アミン・シミアル)、次男(ラヤン・サルアク)の4人家族に愛犬ジェシーが乗り込んでいる。ちなみに運転しているのは長男で、父は足を骨折してギプスをはめている。ジェシーは余命いくばくもないという設定だ。

 検閲を逃れるためか、イラン映画はメタファーを多用する。父の骨折は体制に縛られていることを表現しているように思えるし、ジェシーは死に瀕した自由の象徴なのだろう。ワゴンと接触した自転車選手を乗せて、正義について議論するが、その内容は社会の矛盾を剔出していた。ズルした選手は再び競技に合流するが、対照的に世間と折り合えないのが長男であることが明らかになっていく。

 君は行く先を知らない……。〝君〟とは次男で、天真爛漫な姿に「駆ける少年」(1985年、アミール・ナデリ監督)の主人公が重なった。同作が希求したのは自由で、生きる輝きが溢れていた。その次男だけが〝行く先を知らない。兄は結婚して遠くで暮らすと伝えられたが、実際は異なる。「旅人」の符合で呼ばれる長男は、国外脱出のため国境を目指している。父はワゴンがつけられていないか、前後左右に視線を送っていた。

 密出国の手配師と接触したが、目的の村に向かう分岐点を前に立ち止まった。家族の中にも迷いはある。長男が無事に出国しても再会出来る保証はない。仲介者に羊の皮を要求されたが、隠された意味はあるのだろうか。母には子供扱いされ、父との会話も噛み合わない長男だが、国外脱出を試みるぐらいだから信念はあるのだろう。

 音楽の使い方が効果的だった。次男が父のギプスに巻かれた包帯に描かれた鍵盤をなぞるとピアノの曲が流れる。ピアノが基調かと思ったら、ポップなイランの流行歌が流れ、助手席の母がアイドルのように口ずさむ。残された家族はこれからどのようにイランで息を潜めていくのだろう。閉塞から解き放たれる日が来ることを願ってやまない。
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「あしたの少女」~二つの視界が韓国社会の矛盾を撃つ

2023-09-20 22:43:33 | 映画、ドラマ
 酷暑の夏、読書は進まず、録画したドラマをゴロゴロ見ている時間が長かった。出色だったのは「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」(NHK総合)で、「レジデント・エイリアン~宇宙からの訪問者」(WOWOW)もユーモアと風刺が利いたコメディーだった。ともに次シーズンの放映を楽しみにしている。

 韓国映画「あしたの少女」(2022年、チョン・ジョリ監督)をシネマート新宿で見た。2部構成になっており、舞台は寒々とした全州で、実際に起きた事件をベースにしている。1部は女子高生のソヒ(キム・シウン)の主観で進行する。追い詰められたソヒは自殺し、2部ではユジン刑事(ペ・ドゥナ)が死の真相に迫っていく。

 冒頭でソヒはダンスしている。アイドルを目指しているわけでもないが、真剣さがあった。実はスタジオでソヒとユジンはすれ違っている。年上の女性たちの一団にいたのだが、さりげない設定に俺は気付かなかった。8年前のチョン・ジョリ監督のデビュー作「私の少女」で主演を務めていたのはペ・ドゥナで、役柄のヨンナム警視は同性愛が理由で左遷されたことが仄めかされている。本作のユジンも復職したという設定だった。

 「私の少女」でヨンナムが目に留めたドヒ(キム・セロン)は幼い顔に悪魔を覗かせていたが、本作のソヒは孤独と絶望を心に秘めた無垢でナチュラルな印象だ。中学時代にぐれていたソヒは実業系の高校に進学する。韓国の教育制度には疎いが、映画「不思議の国の数学者」には進学校の実情が描かれていた。本作は成績が下位の生徒が通う学校と企業の癒着を暴いていた。

 ソヒは担任教師の口添えで、大手通信会社の下請けであるコールセンターに派遣された。フロアにいたのは全て若い女性で、仕事の内容は顧客からの解約の申し出を阻止することだ。会社は厳しいノルマを課して実習生同士の競争を煽り、残業続きのソヒは、親友との約束も守れない。保証していた成果給も理由をつけて払わない実態に「自動車絶望工場」(鎌田慧著)を重ねていた。理解を示していたチーム長の自殺で、ソヒの心は擦り切れていく。

 本作で肝になっていたのは水と雪だ。ソヒは初雪を楽しみにしていたし、サンダル履きで待ち合わせの店に行ったが、先輩は現れず、瓶ビール2本を飲み干して凍てつく貯水池に向かう。捜査を担当したのはユジンだった。時空がカットバックし、異なる時系列でユジンはソヒの苦悩を追体験していく。

 会社の同僚、学校関係者を聴取するうち、ユジンは恒常的な腐蝕の構造を知る。実習生を送り込むことが学校や教育機関の評価に繋がるが、個々の生徒の勤務状況はチェックされない。会社と学校にとって、生徒はただの数字でしかない。チーム長が自殺した際、会社は遺書を家族に渡さず、労働者の弔問を禁じたが、ソヒだけが訪れた。

 ソヒの自殺にも言い逃れする会社にユジンは怒りを募らせたが、非人道的な対応は警察も一緒だった。敵はどんどん固く膨らみ、ユジンの表情は翳ってくる。見つかったソヒの携帯に唯一残されていたのがダンススタジオで踊るソヒの映像だった。両親に見せるためだったかもしれないが、冒頭よりスムーズで、ソヒの顔にも笑みが浮かんでいた。ユジンの、そして俺の頬にも涙が伝った。

 もがきながら自分を解き放ちたい……。ソヒはそんな風に感じていたのかもしれない。ソヒが見ていた世界をユジンも見ている。二人の孤独が混じって、憂色が濃くなった。
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早涼の候の雑感~パソコン詐欺、フェイクニュース、アメフト、将棋あれこれ

2023-09-16 17:00:07 | 戯れ言
 相変わらず暑いが、朝夕は涼しく感じるようになった。秋の気配が忍び寄っている。今回は雑感をあれこれ記したい。

パソコンでインターネットを閲覧している際、<「トロイの木馬」に感染している>との警告画面が張りついた。表示された番号に電話すると、マイクロソフト社員を名乗る男に繋がり、危機感を煽られる。詐欺かもしれない……、そんな疑念がもたげてきたのはアップルiTunesカードによる支払いを持ち掛けてきた時だ。

 セブンイレブンで顔見知りの店員に経緯を話すと、「詐欺です。うちの店でカードを買った人が話してました」と言う。早速110番し、警官に説明した。帰宅して警察に連絡したことを告げ、電話を切った。ただし、それで終わらない。パソコン修理業者に中身を点検してもらうと、幾つものウイルスに感染していた。「相棒」の青木のような友達がいれば助かるのだが……。

 前稿で<関東大震災直後、「朝鮮人が井戸に毒をまいている」「社会主義者が暴動を起こしている」といったフェイクニュースを流したのは警察だった>(要旨)と記した。SNS社会の現在、潤沢な資金を持つ組織(時に権力)がまき散らす情報の海で、俺はアップアップで抜き手を切っている。フェイクニュースの使い手といえばトランプだ。

 トランプ支持率が上昇している。連邦議会襲撃など4つの案件で起訴されているが、共和党支持者の60%弱が大統領選の最有力候補に挙げている。民主党政権の妨害というのが第一の理由らしいが、民主主義の破壊者が大統領候補なんて異常としか思えない。これがアメリカという国の現実だが、共和党支持者の多くはアメフトシーズン到来を喜んでいるはずだ。

 WOWOWがリーガエスパニョーラの放映権を失ったので、スポーツ観戦の比重はNFLに傾いている。驚かされるのがカレッジの規模の大きさと人気だ。10万人以上を収容するカレッジのスタジアムは全米で10以上あり、そのうちのひとつはブライアント=デニー・スタジアム(アラバマ大のホーム)だ。この春、キャンプを締めくくる紅白戦が行われ、10㌦払った10万人が詰め掛けたという。

 カレッジの試合で頻繁に出てくるのは「トランスファー」だ。選手が活躍の場を求めてチームを移る、即ち転校することを指していて、既に常態化している。選手たちはNFLを目指して出場機会を求めていることの証左で、愛校心とは無縁の世界だ。歪みを感じてしまうが、アメリカでは受け入れられている。

 王座戦第2局は後手の藤井聡太七冠が永瀬拓矢王座を下し、1勝1敗のタイになった。214手の大熱戦だったが、永瀬の粘りが度を越しているように感じたのは、俺の棋力ゆえである。本局は角換わり戦だが、「将棋フォーカス」(NHK・Eテレ)の特集で水匠(最強AI)開発者が<角換わりは先手有利で、後手が勝つのは難しい>と語っていた。〝後手にもチャンスあり〟派にカテゴライズされていた藤井は、後手の本局で角換わりを選び、右玉を採用する。

 秒読みの中、一進一退で進行した。ともにミスで評価値を下げたのは〝人間の証明〟というべきか。藤井の玉が入玉し、永瀬の玉も相手陣に接近する。持将棋になれば駒の点数で藤井の勝ちだが、そこに落とし穴があった。仮に藤井が<入玉宣言法>を選んでいたら、引き分け、負けのケースもあったという。藤井は最終盤で永瀬の玉を鮮やかに詰め切った。

 永瀬の言動から窺えるのは〝絶対的ベビーフェース〟の藤井に対し、意識的に〝ヒール〟を演じていることだ。王座戦開幕前に(藤井に勝つためには)「人間をやめなくては」と発言したのもその一例だ。研究会に誘ったのも永瀬で、藤井少年が名古屋に変える際、弁当を持たせたというエピソードもある。互いへの敬意に支えられた両者は、タイトル戦が終われば盤を挟んで真理を追究するに違いない。
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「福田村事件」が抉るSNS社会の不毛

2023-09-11 23:05:06 | 映画、ドラマ
 今年も月3~4本のペースで映画館に足を運んだ。「怪物」(是枝裕和監督)を超える作品に出合えないと思っていたが、〝強敵〟が現れた。新宿で先日見た「福田村事件」(森達也監督)は史実をベースにしており、衝撃度は「怪物」に匹敵する内容だった。両作には共通点がある。第一は監督がドキュメンタリーでキャリアを積んだこと。第二は永山瑛太が重要な役柄を演じていることだ。

 背景にあるのは1923年9月1日に発生した関東大震災直後に起きた朝鮮人、社会主義者虐殺で、福田村(現野田市)でも凄惨な事件が起きる。冒頭で澤田智一(井浦新)が妻の静子(田中麗奈)を連れ、ソウルから生まれ故郷の福田村に帰郷する。智一は三・一独立運動の際、ソウルで日本軍による虐殺を目の当たりにしていた。

 列車に乗り合わせていたのはシベリア出兵で戦死した夫の遺骨を抱く咲江(コムアイ)だった。駅前で咲江を迎える一団の中に、智一の同窓生である田向(豊浦功補)と長谷川(水道橋博士)がいた。田向は大正デモクラシーに共感する村長、長谷川は国家主義者として在郷軍人会分会長を務めている。咲江と不倫関係にあった船頭の倉蔵(東出昌大)は村八分状態だった。

 村の中、接近中の沼部新助(永山瑛太)をリーダーにする薬の行商団、東京で労働運動に携わっていた劇作家の平澤計七(実在の人物、カトウシンスケ)の三つの視点で物語は進行する。大震災直後、「朝鮮人が井戸に毒をまいている」「主義者が暴動を起こしている」といった流言飛語が流れた。平澤は亀戸署の刑事が一般人を装い、噂を流している様子を目撃する。朝鮮人暴動のフェイクニュースを流したのは、警察官僚の正力松太郞(後の読売新聞社主)だった。戒厳令が敷かれ、朝鮮人だけでなく平澤、大杉栄、伊藤野枝ら社会主義者、アナキストも殺害される。真実を伝えようとした恩田記者(木竜麻生)に望月記者が重なった。

 田向が自重を説く中、村でも自警団が結成された。5日後、千葉県福田村(現野田市)に現れた行商団15人のうち10人(妊婦のお腹にいた胎児を含め)が殺害される。その経緯を描いたラスト30分の緊迫感に息をのんだ。良き父、良き夫が中国戦線で見せた振る舞いは消しようがない。〝善人〟は集団の中で悪魔に変わるのだ。

本作を観賞して感じたことを挙げたい。第一はシナリオの素晴らしさだ。荒井晴彦、佐伯俊道、井上淳一がクレジットされていることからも、史実が丹念にチェックされ、複眼的思考で書き上げられたことは明らかだ。劇映画は初めての森だが、余韻を残してカットを繋げているのはシナリオのたまものだろう。

部落差別も本作の背景だが、さほど言及されていない。行商団は「穢多(えた)」と自称しているように被差別部落民である。「部落は朝鮮より上か」など話す仲間を新助は諫めていた。それどころか、朝鮮飴を売っている少女から大量に買い上げ、お礼に扇子をもらっていた。少女と扇子は後半に繋がっている。惨劇のさなか、行商団のメンバーが水平社創立宣言を暗唱している姿が印象的だった。

智一と静子の夫婦関係は、智一が自身の体験を伝えたことで和らいだ。静子は村民から行商団を守ろうと思い切った行動に出る。ラストで夫婦は利根川に舟を出す。「どこに行こうか」という智一の言葉が、日本の行く末を暗示しているようだった。不毛なSNS社会の今、当時と似たような風潮が日本を覆っている。
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「ソクチョの冬」~リアルとフィクションの境界を彷徨うアイデンティティー

2023-09-07 19:47:44 | 読書
 ジャニー喜多川氏の史上最悪レベルの性加害は事務所ぐるみで隠蔽されたが、忘れてならないのは共犯者の存在だ。立花隆氏が文藝春秋誌上で田中角栄元首相の金脈を追及した際、記者たちは「そんなこと知ってるよ」と吐き捨てた。BBCのドキュメンタリーと国連の動きがなければ、悪魔の所業は闇に葬られたままだった。強い者に媚びるメディアの体質は半世紀後も変わっていない。新社長に就任した東山紀之だが、自身の性加害を指摘する声が上がっている。

 暑さは続いているが、タイトルから涼感を期待して「ソクチョの冬」(早川書房)を購入した。著者のエリザ・スア・デュサパンはフランス人の父と韓国人の母の間に生まれたフランスとスイスの国籍を持つ女性作家だ。2016年、デュサパンが24歳の時に発表した本作はフランス語圏のみならず、全米図書賞翻訳部門など世界の文学賞を席巻した。

 韓国人の遺伝子を持ち、フランスで評価された女性作家といえば、デビュー作「砂漠が街に入りこんだ日」の著者であるグカ・ハンが思い浮かぶが、両者の事情は大いに異なる。フランスで生まれ育ったデュサパンは10代の時、初めて韓国を訪れ、その際に感じたことをベースに「ソクチョの冬」を書き上げた。

 一方のグカ・ハンは2014年、26歳で韓国から渡仏し、フランス語を初歩から学んでから6年で「砂漠が街に入りこんだ日」を書き上げた越境作家だ。最も著名な越境作家は多和田葉子で、グカ・ハンもあとがきでオマージュを表していた。デュサパンは自身のルーツを知るため韓国を訪れ、グカ・ハンは韓国や家族からの解放を志向してフランス語で書いたのではないか。両者のベクトルは逆向きなのかもしれない。

 舞台のソクチョ(束草)は南北軍事境界線から60㌔にある避暑地で、夏には多くの観光客が訪れる。氷点下20度以下になる極寒の舞台に重なったのは映画「告白、あるいは完璧な弁護」だった。主人公(わたし)はソウルの大学でフランス語を学んだがUターンし、パク老人が経営する旅館で働いている。そこにヤン・ケランというフランス人の中年男性がやってきた。ケランはバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)の作家で、主人公に考古学者を据えた連作集を執筆中だ。

 バンド・デシネは日本では絵本にカテゴライズされているようだが、実物は見たことがない。本作でわたしはケランが執筆している様子を壁一枚隔てて窺っているが、インクがギシギシ擦られる音に単色系の画集を想像していた。ケランに頼まれ、わたしは観光地を案内する。戦争を結び目に、ケランは故郷のノルマンディーとソクチョを重ねていたが、わたしは戦争が過去になったノルマンディーと、現在も〝継続中〟で傷痕が残っているソクチョとの違いを説明する。

 デュサパンが本作を書くきっかけになったのは、韓国の整形文化だった。他国では考えられないぐらい、韓流では整形が一般的になっている。わたしが働く旅館にも整形手術を受けたばかりの若い女性が滞在しているし、母や伯母、そして恋人のジュノまでもわたしに整形を勧める。淡々と進む本作の底に流れるのはアイデンティティーの模索なのだ。整形は本来の自分と変わり得る自分の橋渡しをするツールなのだから。

 わたしは父の面影をケランに重ねていたが、愛ではない。隣室で自慰をするが欲望でもない。ケランは「韓国料理は辛い」といってわたしが作る料理を食べなかった。だが、ともに時を過ごすうち、「君の物の見方が気に入っている」とわたしに言う。わたしはインクを軋ませるケランの創作の苦しみの一端を知ることになる。

 わたしはケランが女性を描くのに慣れていないことを直感する。進行中の作品で描いている女性が、永遠と確信出来ず、最後はインクで消してしまう。その音が、わたしには責め苦になった。わたしはケランが思い浮かべている女性が実在しているように感じ、自分と重ねている。わたしはリアルとフィクションの境界を、時に官能的に彷徨ったのだ。

 近くの魚市場で働く母とわたしには微妙な距離がある。一緒に暮らすのは無理だが、母を置いてソウルで生活することは出来ない。父に去られ、シングルマザーとして育ててくれた母との絆が興味深かった。
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漫画で学ぶ「サピエンス全史 人類の誕生編」

2023-09-02 21:40:33 | 読書
 9月になっても猛暑は続くという。心身はふやけ、ブログの更新もままならないが、脳の刺激材として最高なのが将棋だ。藤井聡太七冠が全冠制覇を目指す王座戦第1局が行われ、後手の永瀬拓矢王座が先勝した。AI的には藤井が優勢だった中盤で、解説の渡辺明九段は「藤井は駒不足の感があり、私なら後手持ちかも」と語っていた。さすがの慧眼で、対局者とともに〝棋界3強〟の実力を実感する。

 藤井の攻勢をかわす永瀬の妙手の連続に圧倒された。今回の王座戦では必然的に永瀬がヒールになるのは当然だが、メンタルと体の強さが棋力を支えている。第1局では、昼と夜に対局場の名物である陣屋カレーをパクつく健啖ぶりでファンを驚かせた。ビーフと伊勢エビの豪華版で、昼はデザートも付けている。タイトル戦ではバナナを1日平均6本平らげたという逸話も残している。王座戦を前に「藤井七冠に勝つためには人間をやめなくては」と語っていた。人知を超えた激闘が期待出来そうだ。

 これも脳を活性化させるための手段として、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史~文明の構造と人類の幸福」の漫画版(河出書房新社)を選んだ。石器時代から21世紀までの人類史を概観する原作はハードルが高そうなので、漫画版(上下2巻)を購入した。今回は上巻の「サピエンス全史 人類の誕生編」を紹介する。

 脚本はハラリ自身で、ダニエル・カザナヴが作画を担当している。暑さで溶けた俺の脳にも、鮮やかな画像とユーモアがちりばめられた台詞とともに染み込んできた。ハラリは歴史学者だが、生物学や科学にも踏み込んで人類史を提示している。50年前の世界史の教科書には、ネアンデルタール人が進化してホモ・サピエンスになったと記されていたが、ハラリはこの定説の誤りを指摘する。同列の数種のホモ・サピエンスを滅ぼしたのが、現在の我々ということになる。

 サピエンスはネアンデルタール人と拮抗していた。ともに二足歩行だが、脳みそはネアンデルタール人の方が大きく体も強かった。戦えば不利のはずだが、サピエンスが勝った。理由は7万年前、突然変異で起きた<認知革命>である。認知革命とは言語能力の獲得で、サピエンスはコミュニケーション能力を身につけた。本書では<現在の人間も噂が大好き。言語はそのために発達したのではないか>という仮説を提示している。

 ヒトが機能出来るのはせいぜい150人だったが、<認知革命>が上限を取っ払った。言葉は嘘や虚構を共有するツールにもなるからだ。隣の集落のAはライオンや熊を素手で倒せるという噂が広がれば、彼への敬意が高まりリーダーに推す声が上がる。サピエンスの遺跡に、頭がライオンで体がヒトという像が残っていた。空想の産物だが、その存在はリアルに信じられていたのだ。

 狩りをする時も戦争する時も、虚構を作る能力が連携と役割分担を生む。ネアンデルタール人は自分の目で確認したことは認めたが、経験を共有出来なかった。大規模なシミュレーションで作戦を立てるサピエンスに滅ぼされる。だが、嘘・フィクション・噂・虚構に基づく連携は、宗教の伝播、国家の成立にもつながる。ストーリーの共有が会社や法律と不可分であることを、ハラリはプジョーの歴史を例に示していた。

 <認知革命>に次ぐイノベーションが<農業革命>だ。サピエンスは1万2000年前、狩猟から農業に軸を移す。定住によって人口は増えるが、決して好ましい変化ではない。楽をしようとしたが、仕事はきつくなり、ハラリは<人類史上、最大の詐欺>とまで述べている。第3のイノベーションである<科学革命>については下巻を紹介する際に記したい。

 最終章<大陸をまたにかける連続殺人犯>はサピエンスの爪痕を抉っていた。世界各地で動物たちを滅亡に追い込むだけでなく、自然を破壊してきた。内容は多岐にわたるが、現代的なテーマを内包し、トータルに人類史をたどる刺激的な一冊だった。
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