仕事先のN君は、世界を旅して見聞を広めている。今回の休暇で訪れたロシアは、安倍政権下の日本と空気が似ていたという。一見自由だが、「体制批判は許さない」がプーチン政権のスタンスだ。N君は<国民を監視する見えざる目>の存在を痛いほど感じた。
アンチ安倍派は、「ファシズム」、「戦前回帰」といった慣用句を用いて批判するが、縦軸と横軸を広げ、俯瞰の視線で眺めないと政権の本質は掴めないのではないか。メディアの貧困な表現とは対照的に、N君の直感は刺激的で新鮮だった。
星野智幸がブログで絶賛していた中島岳志著「血盟団事件」(13年、文藝春秋刊)を読了した。昭和初期のテロに迫った本書に、星野は「間もなく訪れる近未来を先取りして読んでいるような気分になった」という。「ロンリー・ハーツ・キラー」(04年)を書き上げる際、星野は血盟団関連の史料に当たった。「ロンリー――」で世の中のムードを変える青年の名は、血盟団の指導者、井上日召から取られている。
当ブログで<日本の反体制史で最も本質的な運動を展開した時期は1930年前後>と繰り返し記した。80年前、<格差と貧困>に喘いだ民衆は生活実感に根差した闘いを繰り広げる。頻発した労働者や農民による争議は死を覚悟したガチンコ勝負だったが、創意、パンク精神、ユーモアに溢れていた。
本書の前半で、井上日召の精神遍歴が記される。労働争議に関わったり、中国で革命に携わったりと波瀾万丈で、諜報活動の一翼を担ったこともあった。流浪の日々、絶対的な精神の核を追求した井上は法華経と出合い、人生観、宇宙観、国家間の合一を掲げる。啓蒙活動と宗教的修養を重視した井上だが、資本主義への憎悪は次第に高まり、<部分的な改良や、なにかでは(人々は)到底救はれない>と考えるに至った。
地縁で繋がる青年たちだけでなく、エリートの帝大生、海軍将校が井上の元に結集する過程はドラマチックだ。彼らは農民や労働者を窮状から救いたいという正義感、国を壊した政党や財閥への怒りを共有していた。「天皇と東大」(立花隆著)にも記されていたが、右翼青年の多くは左翼を、国の歪みを正す同志と見做していた。
井上を宗教家として慕う若者は、<革命とは哀れむべき人、悲しむべき人に、思い遣り、情を含めていくこと>と考えていた。井上自身、<革命は、大慈悲のある者だけが行ずる資格を持つ菩薩行>と語り、テロ決行を迫る青年将校を惑わせていたが、情勢は逼迫する。他のグループも様々な動きを見せる中、「一人一殺」に舵を切った。
本作に登場する著名右翼の人物像も興味深い。井上とその周辺の目に、大川周明は権力亡者、西田税は風見鶏、安岡正篤(細木数子のパトロン)は空虚なインテリと映っていた。農本主義者の権藤成卿には一定の敬意を払っており、支援も受けていた。本書とは離れるが、北一輝と井上を対比してみる。
井上にとって天皇は絶対的で、「一人一殺」は君側の奸を排除し、天皇と民衆が直で結びつく有効な手段だった。一方の北は大逆事件に連座する可能性もあった反皇室主義者で、天皇を木偶として利用し、革命成就後の廃位を視野に入れていた。井上は捨て石としての破壊(テロ)を、北はクーデターとその後の建設を志向する。井上は海軍、北は陸軍に強いパイプを築いていた。
井上と北のいずれが国家にとって危険であったかは、事件後の処遇で明らかだ。井上は無期懲役で入獄するが8年後に特赦となり、近衛首相のブレーンのひとりになる。四元義隆のように戦後も黒幕として影響力を保持した血盟団のメンバーも少なくない。一方の北は2・26事件後、直接的な関与を示す証拠はなかったものの、理論的指導者として銃殺された。
本書に描かれているのは、濾過するような純化であり、男たちの絆だった。<血盟団事件は、煩悶からの解放と理想社会の誕生を夢見て決行された宗教的供犠だったのである>と筆者は結んでいる。貧困と格差が進行する現在の日本に、権力に抵抗する軸はない。俺が危惧するのは80年前のように<情念と怒りのネットワーク>が形成され、暴力の形を取って噴出することだ。
アンチ安倍派は、「ファシズム」、「戦前回帰」といった慣用句を用いて批判するが、縦軸と横軸を広げ、俯瞰の視線で眺めないと政権の本質は掴めないのではないか。メディアの貧困な表現とは対照的に、N君の直感は刺激的で新鮮だった。
星野智幸がブログで絶賛していた中島岳志著「血盟団事件」(13年、文藝春秋刊)を読了した。昭和初期のテロに迫った本書に、星野は「間もなく訪れる近未来を先取りして読んでいるような気分になった」という。「ロンリー・ハーツ・キラー」(04年)を書き上げる際、星野は血盟団関連の史料に当たった。「ロンリー――」で世の中のムードを変える青年の名は、血盟団の指導者、井上日召から取られている。
当ブログで<日本の反体制史で最も本質的な運動を展開した時期は1930年前後>と繰り返し記した。80年前、<格差と貧困>に喘いだ民衆は生活実感に根差した闘いを繰り広げる。頻発した労働者や農民による争議は死を覚悟したガチンコ勝負だったが、創意、パンク精神、ユーモアに溢れていた。
本書の前半で、井上日召の精神遍歴が記される。労働争議に関わったり、中国で革命に携わったりと波瀾万丈で、諜報活動の一翼を担ったこともあった。流浪の日々、絶対的な精神の核を追求した井上は法華経と出合い、人生観、宇宙観、国家間の合一を掲げる。啓蒙活動と宗教的修養を重視した井上だが、資本主義への憎悪は次第に高まり、<部分的な改良や、なにかでは(人々は)到底救はれない>と考えるに至った。
地縁で繋がる青年たちだけでなく、エリートの帝大生、海軍将校が井上の元に結集する過程はドラマチックだ。彼らは農民や労働者を窮状から救いたいという正義感、国を壊した政党や財閥への怒りを共有していた。「天皇と東大」(立花隆著)にも記されていたが、右翼青年の多くは左翼を、国の歪みを正す同志と見做していた。
井上を宗教家として慕う若者は、<革命とは哀れむべき人、悲しむべき人に、思い遣り、情を含めていくこと>と考えていた。井上自身、<革命は、大慈悲のある者だけが行ずる資格を持つ菩薩行>と語り、テロ決行を迫る青年将校を惑わせていたが、情勢は逼迫する。他のグループも様々な動きを見せる中、「一人一殺」に舵を切った。
本作に登場する著名右翼の人物像も興味深い。井上とその周辺の目に、大川周明は権力亡者、西田税は風見鶏、安岡正篤(細木数子のパトロン)は空虚なインテリと映っていた。農本主義者の権藤成卿には一定の敬意を払っており、支援も受けていた。本書とは離れるが、北一輝と井上を対比してみる。
井上にとって天皇は絶対的で、「一人一殺」は君側の奸を排除し、天皇と民衆が直で結びつく有効な手段だった。一方の北は大逆事件に連座する可能性もあった反皇室主義者で、天皇を木偶として利用し、革命成就後の廃位を視野に入れていた。井上は捨て石としての破壊(テロ)を、北はクーデターとその後の建設を志向する。井上は海軍、北は陸軍に強いパイプを築いていた。
井上と北のいずれが国家にとって危険であったかは、事件後の処遇で明らかだ。井上は無期懲役で入獄するが8年後に特赦となり、近衛首相のブレーンのひとりになる。四元義隆のように戦後も黒幕として影響力を保持した血盟団のメンバーも少なくない。一方の北は2・26事件後、直接的な関与を示す証拠はなかったものの、理論的指導者として銃殺された。
本書に描かれているのは、濾過するような純化であり、男たちの絆だった。<血盟団事件は、煩悶からの解放と理想社会の誕生を夢見て決行された宗教的供犠だったのである>と筆者は結んでいる。貧困と格差が進行する現在の日本に、権力に抵抗する軸はない。俺が危惧するのは80年前のように<情念と怒りのネットワーク>が形成され、暴力の形を取って噴出することだ。