酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

庭園と紅葉のライトアップ~六義園で幽玄の世界に浸る

2012-11-30 13:39:11 | 戯れ言
 国連でパレスチナが国家として認められた。賛成139、棄権41で、悪の枢軸(アメリカ=イスラエル)を含む9国が反対に回る。圧倒的な結果に議場は拍手と歓声に包まれた。まだ正式な加盟国ではないが、独立国家樹立に向けた大きな一歩といえるだろう。

 都知事選が告示された。石原都政を暗澹たる思いで眺めてきたが、今回は光が射している。宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)の善戦が期待できるからだ。格差と貧困の克服、社会保障と福祉の充実、脱原発をテーマに掲げたことで、宇都宮氏への支持が広がっている。総選挙と連動し、風が吹くかもしれない。

 前稿で<読売、産経、文春、新潮は〝反未来キャンペーン〟を展開するだろう>と記した。想定通り読売は、本日付で<主要3党の政策、出そろう>と見出しを打ち、民主、自民、維新の公約を比較している。〝主要〟という部分に、卒原発の未来を嫌う読売の底意が透けていた。一方で、週刊文春は「安倍総理じゃダメだ!大合唱」と安倍叩きを前面に打ち出した。保守メディアの目にも、安倍氏は絶望的と映るのか。

 昨夕、六義園に足を運び、ライトアップされた紅葉を満喫した。庭園全体に様々な趣向が凝らされ、現出した幽玄の世界に陶然とする。文化はパトロンの財力で育まれるケースが多いが、六義園も同様だ。柳沢吉保が趣向を凝らして造った庭園に、将軍綱吉も頻繁に訪れたらしい。犬嫌いの俺でも、犬公方の気持ちがわかる気がした。季節、時刻、天候によって移ろう光景に魅せられたのだろう。

 「迷子になっちゃった」と彼女に謝る若者、「○○さん、いないよ」と困った様子のおばさん軍団……。闇の中、自然と人間の創意が織り成すページェントに魅せられ、はぐれる人も多い。超がつく方向音痴の俺も、同行の知人を何度も見失った。俺が携帯を手にするや、肩をポンと叩かれる。不安と焦燥でうろたえる俺の様子を観察し、楽しんでいたようだ。

 桜の時節はいまいちと感じた六義園だが、今回は感銘を受けた。自然より雑踏派だった俺も、齢を重ねるにつれ感性が〝和製化〟し、3・11と妹の死が、この傾向に拍車を駆けた。儚くて繊細、刹那の中に永遠を見るという日本文化の精髄を六義園で再認識した。春に桜、夏に蛍と花火、秋に紅葉が生活のリズムになりそうで、六義園にはリピーターとして来年以降も足を運ぶだろう。美学と格調ばかりじゃ疲れるので、日本人の性や業を笑いで包む落語でバランスを取っている。

 庭園を散策しながら、日本とは何かを考えていた。総選挙を控えたこの時期、日本を俎上に載せて語る人が多いが、安倍氏や石原氏の説く<硬質で居丈高なナショナリズム>に俺は与しない。脱原発派、反TPP派の結集軸は、動画サイトの党首討論で嘉田氏が述べたように、日本の風土と文化への愛着だ。<柔らかくオルタナティブなナショナリズム>が浸透し、選挙の結果に反映することを願っている。

 行き倒れにならない限り、俺の墓は四季の移ろいが鮮やかな親類の寺と定まっている。土に還る時が近づいた今、極楽のような場所で眠り就けることの幸せを感じている。
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「チキンとプラム」~望郷の念に根差したファンタジー

2012-11-27 23:54:09 | 映画、ドラマ
 先週土曜日、安倍晋三氏を支持する集会で、銀座・イトシア前は騒然としていた。硬く威丈高なナショナリズムの発露である。自民党は選挙後、維新の会と組むのではないか。俺にとって悪夢の内閣だが、希望の光が射してきた。嘉田由紀子滋賀県知事が立ち上げた「日本未来の党」に脱原発派が結集するからである。嘉田代表の主張する<卒原発>は当ブログで紹介した広瀬隆氏の主張に近い。

 メディアは早速、<一つのテーマでまとまるのはおかしい>と異議を唱える声を伝えていたが、それは違う。古賀茂明氏は<脱原発こそ公務員改革、地方分権の突破口>と語っていた。加えて環境、生存権、国家としての自立、言論の自由と、脱原発は国の成り立ちそのものに関わるテーマといえる。「国家の品格が今、世界から問われている」という嘉田代表の言葉に、俺は説得力を覚えた。ちなみに合流する各党は、反増税、反TPPでも一致している。政策に基づく連携なのだ。

 日本未来の党を支持する主要メディアは東京新聞、俺の仕事先の夕刊紙、週刊金曜日、ロッキングオンぐらいで、読売、産経、文春、新潮は〝反未来キャンペーン〟を展開するだろう。今回の選挙は、有権者がメディアを選別する絶好の機会になるはずだ。

 前置きは長くなったが、本題に。イトシア内の映画館で「チキンとプラム~あるバイオリン弾き、最後の夢~」(11年)を見た。ヴャンサン・パロノーと共同監督・脚本を担当したマルジャン・サトラビは少女時代に過ごしたイランを離れ、94年にフランスに渡る。アニメ作家として名を馳せたサトラビらしく、効果的にアニメが織り込まれていた。生きること、愛すること、そして、死ぬこと……。見る者に柔らかく問い掛ける作品で、余韻は去らない。死に神が登場するなど遊び心もちりばめられている。

 世界的なバイオリニスト、ナセル・アリ(マチュー・アマルリック)が死を決意したところから物語は始まり、最後の7日間、脳裏に様々な感情が去来する。彼が死のうと思った理由は示されているが、凡人の俺に、天才の心情を理解するのは簡単ではない。イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)との実らなかった恋が回想の軸になり、空白の30年間が埋められていく。

 偉大な芸術家は分野を問わず恋愛中毒だ。ナセル・アリが弾くバイオリンが人々を魅了するのは、イラーヌへの愛が音霊になって、弦と弓を震わせているからだろう。その点で、ふたりの愛は結実し昇華している。一方でナセル・アリは、妻ファランギース(マリア・デ・メディロス)には極めて冷淡だ。

 <ナセル・アリとイラーヌとの切ない愛の物語>が本作の評価だが、ひねくれ者ゆえ、穿った見方をしてみた。本当の主人公はファランギースではないかと……。惚れ抜いた芸術家と結婚したものの、夫の気持ちを繋ぎ止めるのは「チキンのプラム煮」だけ。嫉妬に駆られた行為も、情状酌量の余地はある。夫婦の志向の違いを受け継いだ娘(父似)と息子(母似)の対照的な未来は、皮肉とユーモアに満ちていた。

 本作の背景にあるのはイラン現代史だ。石油を国有化し民衆に還元することを目指した政府の試みは、アメリカの介入で頓挫する。語り部といえるナセル・アリの弟アブディが共産党員という設定も、その辺りの経緯を考慮してのことだろう。ヒロインのイラーヌという名は、国名イランから採ったという。本作はサトラビのイランへの望郷の念に根差したファンタジーなのだ。

 サトラビ=パロノーのコンビによる長編アニメ「ペルセポリス」(07年)は録画済みだ。予習ならぬ復習になるのは残念だが、近いうちに見ることにする。
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晩秋の雑感~勤労感謝の日と憂国忌の狭間で考えたこと

2012-11-24 12:19:58 | 戯れ言
 首都圏で電車通勤している方は実感されていると思うが、人身事故(≒飛び込み自殺)が増えている。格差と貧困も総選挙のテーマのはずが、訴える声は大きく響かない。株式評論家によれば、手際良くリストラを進める会社が株価上昇を見込める〝優良企業〟とのこと。〝アメリカナイズ〟という狂気が我が物顔で、この国を闊歩している。

 勤労感謝の日は、夕方から未明まで仕事だった。世知辛い世の中、辛酸を舐める同世代が多いのに、無能でテキトーな56歳に働き場所があること自体、ある種の奇跡だ。昨日は俺にとり、〝勤労できることに感謝する日〟だった。

 社会的不適応者の俺は、偶然が重なって会社員になった。ある時期まで楽しかったが、ストレスが次第にたまり始める。適性ゼロの管理職業務に心が耐えられなくなったからだ。人格的にも能力的にも、一段高い所から他者に接する資格は俺にない。会社を辞めなかったら、壊れて事件(暴力沙汰もしくは痴漢?)を起こし、お縄になっていただろう。

 退職後、紆余曲折はあったが、今は勤め人時代と同様、新聞の校閲に従事している。俺が唯一、偏差値50を発揮できる仕事だ。フリーだから身分保障はなく、出版不況の今、いつ雇い止めになってもおかしくない。とはいえ、会社員が縛られる相対性から解き放たれたのは幸いだった。社会の片隅でのんびり生きる長屋の素浪人という若い頃の夢は、半ば実現できたのではないか。

 あす25日は憂国忌だ。死して42年、三島由紀夫はあの世から、日本の現状をいかなる思いで眺めているだろう。三島の自刃は中学生だった俺にとって狂気の沙汰と映ったが、小説に親しむにつれ、捉え方が変わっていく。60年代前半の「憂国」や「剣」あたりから、作品の主音は死になった。自らの最期をプログラミングして、小説を書いていたのだろう。

 60年代後半、数万人規模の政治集会で、威勢のいいアジテーションが飛び交っていた。人は悲しいかな、自分の物差しから自由になれない。言行一致に価値を置く三島は、<左翼は本気だ。最後の血の一滴まで闘うつもりでいる>とおののいたに違いない。言葉に嘘が滲むなんて、三島の理解を超えていた。

 三島の死は左翼にとって強烈なボディーブローになる。「最後まで闘うぞ」と唱和した世代が、現在の閉塞状態を導いた。一方で三島のDNAは、右翼に伝わらなかった。〝本籍ワシントン〟を恥じぬ保守派、排外主義に凝り固まった右派は、ともに三島と無縁の潮流だ。

 三島の思想を受け継いだ鈴木邦男氏(一水会顧問)は22日付朝日朝刊で、「僕は左翼から親近感を持たれ、右翼からは裏切り者と見做されている」(要旨)と語っていた。三島の死により、ナショナリズムは右派の独占物となったが、3・11を経て、その掌から零れる。風土と自然への憧憬、家族と地域への愛着……。ナショナリズムの核というべき感性が、反原発を支えているのだ。鈴木氏もまた、リベラルやラディカルとともに運動に加わっている。

 まじめな話から一転、ジャパンカップの予想を。ナショナリズムに毒されているわけではないが、速い芝に対応できそうもない外国馬は買わない。牝馬3冠のジェンティルドンナも、血統的にベストは2000㍍以下なので、ここでは厳しいだろう。オルフェーヴルも本命には推さない。日本と馬場がまるで違うフランスで健闘したことが、マイナスに作用する可能性を危惧したからだ。

 となれば、理屈抜きに愛情で、POG指名馬フェノーメノを3連単の軸に据える。4番枠を利し、前めでレースを進めて粘るのが理想だ。相手は⑧エイシンフラッシュ、⑬ルーラーシップ、⑰オルフェーヴルの3頭で計18点……。射幸心に煽られ、明日は全く別の馬券を買っているかもしれない。

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「迷宮」に描かれた最高のデュエット~いびつな欠片が重なる時

2012-11-21 23:52:43 | 読書
 テレビを見ていて不思議なのは、総選挙最大のテーマであるべき<原発とエネルギー>が意識的に隠されていることだ。現状では原発推進派の民自公と維新が優勢らしいが、国民の過半数を占める脱原発派の意向は数字に反映されていない。小沢一郎、亀井静香、田中康夫の各氏は、受け皿を用意すべく秘策を練っているのだろうか。

 維新2トップの石原慎太郎代表、橋下徹同代行の「核兵器シミュレーション」、「政策より決断」といった発言が無批判に垂れ流されている。きっと反撃されるのが怖いのだ。強きに屈し、弱きをくじくメディアにも、いじめの精神が蔓延している。

 さて、本題。今回は中村文則の最新長編「迷宮」(12年)について。「掏摸」(09年)に衝撃を受け、旧作に遡りつつ、「悪と仮面のルール」(10年)、「王国」(11年)と新作を追いかけてきた。絶賛するだけでなく、「王国」を紹介した稿(11年12月19日)で以下のように記していた。

 <軽すぎる、いや、テーマは重厚なのに短過ぎるのだ。ドストエフスキー的課題を継承している作家に、複層的な枠組みで饒舌に語ってほしいと願うのは、時代遅れの感性なのだろうか>……。

 「シンセミア」全4巻(阿部和重、朝日文庫)、「母の遺産~新聞小説」(水村早苗、中央公論)と饒舌な作品を読んだ後だけに、この思いはさらに強まった。

 小説を医療に例えるのもおかしな話だが、上記2作は総合病院に似ている。問診、採血、レントゲン、内視鏡と丁寧な検査を経て病状が明らかになり、適切な施療が始まる。一方の中村作品は、場末のさびれた病院に担ぎ込まれた感じだ。得体の知れぬ医者がピンポイントで患部を抉り、麻酔は不十分のまま手術が始まる。あっけなく終了した途端、外に放り出された。確かに体は治っているが、心は疼いたまま……。「迷宮」もそんな印象だった。

 中村作品には主人公の置かれた状況を把握し、未来まで見据える絶対者が登場する。主人公と絶対者の対話がドストエフスキーに通じる雰囲気を醸し出しているのだが、本作で絶対者らしき人物は冒頭にしか登場しない。僕が少年だった頃、僕の中に棲むもう一人の僕(R)の存在を指摘した精神科医だ。一度は消えたRだが、その後も夢想に耽りがちな僕の中にしばしば現れる。

 偶然、いや実は必然的に知り合った紗奈江は、20年以上も前の一家惨殺事件で、唯一生き残った少女だった。紗奈江もまた何かから引き剥がされたという痛みを感じている。その苦悩に触れた僕は老弁護士、ルポライター、探偵(元刑事)らから情報を得た。事件直後の部屋の様子、紗奈江への警察や医者の質問が画像や音声で生々しく甦った。

 僕は彼女の告白で、贖罪の意識、家族の闇を共有する。二人の性の営みは生と死の境界を行き来するが、破滅には至らない。真っ暗な海の底、微かに射す光に目を細める番の深海魚のように、僕は紗奈江と<最高のデュエット>を奏でることを決意する。いびつな欠片が互いを補い、緩やかな円を作るのだ。

 棄てられた少年時代の喪失感と現在の崩壊感覚を3・11の衝撃に重ねた部分に、作家としての力量を感じた。勤務先(法律事務所)での僕の言動に作者の社会への距離感が窺え、鮮やかな裏切りに爽快さを覚えた。

 「迷宮」は他の中村作品同様、<魂の汚れを落とす石鹸>だったが、3時間も経たないうちに読み終えてしまったので、食い足りなさは否めない。スケールアップした次回作を期待している。
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戦争の虚しさに迫る「高地戦」

2012-11-18 22:44:05 | 映画、ドラマ
 人は戦い、いや、戦いを眺めるのが大好きだ。スポーツ観戦は世界中の男にとって恰好のガス抜きだし、三角関係や派閥争いはランチのおかずに欠かせない。

 戦いの最たるものは選挙だ。野合した石原氏と橋下氏にとって、原発、消費税、TPPは無視していい〝小異〟のようだ。脱原発にシフトする公明党が選挙後、自民党と組みのも不思議な話だ。俺もまた、この国を堕落させたひとりであることは重々承知しているが、希望は捨てていない。有権者の過半数を占める脱原発派が世論操作をはねのけて一票を投じたら、変化の大きな第一歩になるからだ。

 戦いが歪んで報道されることもある。ノーマ・チョムスキーらが「ガザで殺人を行っているのは誰か(=イスラエル)」と題するアピールを出した。ちなみにチョムスキーは「アメリカに民主主義を」と訴えるユダヤ人である。ナチスによるジェノサイドを反転させたイスラエルは、刃をパレスチナに向けている。リベラルが大半を占めるアメリカのユダヤ人は、オバマ再選に大きく貢献した。憎むべきはメディアを牛耳り大衆を洗脳するユダヤ系企業である。

 シネマート新宿で昨日、朝鮮戦争の真実に迫った「高地戦」(11年、チャン・フン監督)を見た。1953年冬から夏にかけてのエロック高地での戦闘を描いた本作は、「硫黄島からの手紙」(06年)に匹敵するスケールの大きい戦争映画だった。朝鮮半島のシビアな現実、そして分断国家の壁を超えた友情は、チャン監督の前作「義兄弟~SECRET REUNION」(08年)のテーマにもなっていた。

 カン・ウンピョ中尉(シン・ハギョン)とキム・スヒョク中尉(コ・ス)のダブル主役は、学生時代の友人という設定だ。戦争の狂気に蝕まれたシン大尉、ムードメーカー的なヤン曹長など、通称ワニ中隊には際立った個性が揃っている。人民軍も公平な目線で描かれていた。かつて捕虜になったウンピョを「祖国建設のため」と解放したヒョン中隊長に加え、「渇き」でフェロモン満開だったキム・オクビンが怜悧な兵士を演じていた。

 防諜部に取り立てられたウンピョだが、正義感に基づく発言を咎められ、勝者が絶えず入れ替わるエロック高地に送られる。2年ぶりに再会したスヒョクは気弱さが消え、清濁併せのむ逞しさを身に付けていた。ウンピョの目には逸脱と映ったが、死線をともに彷徨ううち、スヒョクの側に近づいていく。

 憎悪と怨嗟に満ちた高地とはいえ、敵は同胞だ。両軍に芽生えた奇妙な友情の輪に、ウンピョも加わるようになる。この戦争の大義は? 上官の命令は絶対的なのか? 以前と別の角度から戦争を眺めるようになったウンピョの行為が、ストーリーの中で大きな意味を持ってくる。シン大尉の精神を壊した浦項の悲劇、謎めいた「12秒」の正体が後半で明かされるなど、ミステリーの要素も濃い作品だった。

 「俺たちは無数の人間の命を奪ってきた。地獄に堕ちて当然なのに、生きてここにいる。きっとこの場所こそが地獄なのだ」……。スヒョクがウンピョに語る言葉が、本作の肝ゼリフだった。封印された12時間の戦闘が始まる直前、霧の中で対峙する両軍が「戦線夜曲」を唱和する。17歳でワニ中隊に配属されたナム二等兵が戦地にもたらした歌は、体制を超えて感情を強く揺さぶる詞に彩られている。「霧よ、晴れるな」と願ったのは、俺だけではないだろう。

 エロック高地には両軍合わせて数十万人の戦死者が埋葬されていた。最後の戦いで38度線が決定し、国連軍、中国、北朝鮮の三者が停戦協定に調印する。大義の下で兵士たちが流した血に、どれほど意味があったのだろう。本作に示された構図は世紀を超え、さらに醜悪に姿に形を変えている。死の商人と結託し、時に正義を説きながら民衆の命を奪っているのが常任理事国だ。

 映画館を出た時、新宿は豪雨だった。俺はあえて徒歩を選び、帰途に就く。濡れ鼠になりながら、心は虚しさでヒリヒリ渇いていた。いかなる感傷をも許さない「高地戦」は秀逸な戦争映画で、個人的に今年のベストワン候補になった。

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井の中で書き殴る備忘録~A君によるブログ分析

2012-11-15 23:08:09 | 戯れ言
 いきなり都知事選とダブルの総選挙である。劇場型とは無縁の野田首相が激情に駆られて自爆したなんて声もある。争点をぼかし、第三極がまとまる前に勝負に出たのだろう。相容れないはずの石原新党と減税日本が連携を目論むなど、我欲丸出しの三文芝居が公示まで耳目を集めるはずだ。

 俺はとっくにリトマス紙を用意している。脱原発が基準で、都知事選では宇都宮健児氏という最高の候補がいる。環境、生存権、言論の自由、公務員改革、自主独立、新しいビジネスモデルの確立……。脱原発こそがこの国の歪みを根本から正し、未来に希望を灯すテーマと確信している。

 ……なんて枕で書いても、訪問者は増えない。政治を検索ワードに用いるネットサーファーは少数派なのだ。

 ある大学院生と一席設けた。A君としておこう。社会学が専門で、研究対象はフェイスブック、ツイッター、SNS、ブログ、掲示板とインターネット全般だ。<タコツボ社会へ導く門番~グーグルってやっぱり怖い!>(12年1月18日)を読んで、当ブログに興味を持ったという。過去の記事をチェックし、コメント欄で俺のミクシィのハンドルネームを知ったA君から、〝取材〟の申し込みがあった。

 A君はブロガーを幾つものタイプに分類していたが、俺はコミュニケーションを求めない唯我独尊型だ。「最初は違いましたけど」と付け加えた辺り、調査は行き届いている。ブログを始めた頃、俺は訪問者数を増やすことに躍起だった。迷惑を顧みずトラックバックを繰り返し、ミクシィで足跡を残したが、少しずつ志向が変わる。今やブログは俺にとり、タイトル通り日記になった。「ブログは備忘録、不善を成さぬためのストッパー、いつ死んでも思い残すことがない遺書」と言うと、A君は笑って頷いていた。

 彼はブログが人気を得るための条件を挙げていた。

<1>テーマを絞ること。同好の士が相互に訪れ、友人の輪を広げる。ただし、純文学のような不人気分野は適用外。

<2>写真やイラストをふんだんに用い、ビジュアルであること。文字ばかりで、それも長かったりしたら誰だって敬遠する。

<3>職場、サークルなど、身近に体験を共有する人が多いこと。ブログが掲示板としての機能を果たすようになるが、最近はフェイスブックやツイッターに押され気味らしい。

<4>政治的な意見は避けること。ラディカルな論旨を展開すると、中庸を好む日本人から忌避される。

 他にもあった気がするが、俺は〝人気にならないブロガー〟の典型である。「読者、○○人ぐらいでしょう」と聞かれたので、A君のノートパソコンから当ブログの編集ページにアクセスして証拠を示すと、想定外の数字に驚いていた。

 A君との会話で、大学の現状、若者が抱く社会への違和感など多くのことを教えられた。パソコンに詳しくネットに精通している者は大抵、〝根拠のない自信家〟だ。二進法のデジダル人間に深みを感じることは稀だったが、A君は謙虚な若者だった。21世紀型電脳管理社会への危惧、無意識のうちの洗脳への恐怖を、3・11以降のメディアに覚えたという。

 指導教授が酒の席で、A君ら数人の学生に<教養とは何か>と尋ねた。それぞれの答えを鼻で笑った教授は、<教養とは点を線にすること>と意味不明な言葉を吐いた。A君が俺のブログを教授に見せると10分ほど閲覧し、<レベルはともかく、線になってる>と評したという。俺はアンチアカデミズムだが、面映ゆさを覚えた。

 A君は当ブログで紹介した中村文則や星野智幸を読み始めた。ただし、周囲に読者はいないらしい。ネットは文学を殺すのだろうか。いずれA君に見解を聞いてみたい。
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「反原発1000000人大占拠」~鈍色の空の彼方に虹を見た

2012-11-12 23:04:47 | 社会、政治
 橋下徹大阪市長(日本維新の会代表)が遊説先で、「核廃絶は無理。日本は平和ボケ」と語った。場所は何と広島である。自民党や石原新党との連携の布石で、脱原発と距離を置く意思を表明したとみるべきか。

 昨日は「反原発1000000人大占拠」に足を運んだ。単独行動の身軽さで雨の中、抗議エリアをハシゴしたが、最も心に響いたのは、福島の子供たちの集団疎開を目指すグループのアピールだった。小中学生の多くが甲状腺にできた嚢胞に苦しんでいるが、山下俊一県アドバイザーは全国の専門医に、同地区の親子がセカンドオピニオンを求めても応じないよう通達を出している。山下氏個人を憎むより、陰で操る本当の悪魔(政官財)を炙り出す必要がある。

 チェルノブイリで起きたことを狭い日本に敷衍すれば、福島における放射能汚染は関東圏で暮らす人たちと無縁ではない。現地でも募っていたが、少しでも余裕のある方は「未来の福島こども基金」(口座名「チェルノブイリから日本を考える会」)に浄財を寄付してほしい。同様の趣旨で活動しているグループは他にもあり、寄付先を上記に限定するつもりはない。

 賛助会員ながら寄付だけで済ましているのが「反貧困ネットワーク」だ。宇都宮健児代表(前日弁連会長)が<反貧困>と<脱原発>を掲げて都知事選立候補を表明した。早引けした俺は見逃したが、昨日も国会前で「原発のない社会は優しい社会」とアピールし、拍手と喝采を浴びていたという。

 現状では民自公3党に担がれそうな舛添要一氏が最有力だが、宇都宮氏にも当選の目はある。3・11以降、欧米を席巻した直接民主主義への志向がこの国にも浸透してきた。市民グループだけでなく、国民の生活が第一、共産党、社民党、新党きずなも宇都宮支持だ。ポスト石原が宇都宮氏となれば、下戸の俺でさえ祝杯を挙げたくなる。メディアが中立の仮面をかなぐり捨てた今、読売、産経、週刊文春、週刊新潮は連携して宇都宮氏を叩き、東京新聞、仕事先の夕刊紙、週刊金曜日は支持の姿勢を明らかにするだろう。

 この間の経緯は、総選挙に向けたモデルケースになる。脱原発は様々な切り口があるが、言論の自由を含め、日本の構造を根底から捉え直すテーマといえる。生存権と子供の未来を問うだけでなく、日本再興のビジネスチャンスに十分なり得る。古賀茂明氏は公務員改革の本丸に据え、田中秀征氏が「SIGHT」最新号で「脱原発とTPPは両立しない」と述べていたように、アメリカからの自立という側面もある。

 脱原発派が志向するものは様々だが、小異にこだわっていては前に進まない。必要なのは坂本龍馬タイプのオルガナイザーだが、前提になる連合は既に形成されている。脱原発集会では、右派、中道、左派が恩讐を超えて共闘する光景が繰り返されてきた。

 昨日は雨の中、全国から多くの人たちが参加した。それぞれが自分のメッセージを伝え、ボードを掲げている。一人一人の思いの強さに感銘を受けた。ドイツの例を見てもわかるように、国会で脱原発派が多数を占めるまでには時間がかかるだろう。だが、俺は希望を持った。鈍色の空の彼方、微かに見えた虹は、決して幻ではなかったはずだ。

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我が身に重なる「母の遺産~新聞小説」

2012-11-09 23:53:29 | 読書
 ボブ・ディランの予言通り、オバマ大統領が余裕で再選を果たした。医療と福祉の充実を社会主義的と否定する共和党右派は、他の先進国では失笑の的になるカルト集団だ。オバマがベターな選択であることは言うまでもない。<1%>は早速、意趣返しに出た。結果判明直後の株下落が報じられているが、重要なのは株とは無縁の<99%>のための政策ではないか。ミューズが「アニマルズ」で揶揄していたが、<1%>は倫理と良心を失くした獣の群れである。

 そのミューズと鉄拳のコラボについて、前稿の誤りを訂正する。起点は鉄拳で、「振り子」オリジナル版で既に「エクソジェネシスPART3(あがない)」がBGMに用いられていた。それを見たミューズサイドがフルバージョンのPV制作を持ち掛けたというのが真相らしい。鉄拳の最新PV「弱い虫」(馬場俊英)にも感銘を受けた。

 鉄拳は日本的な感性や情念を前面に押し出しつつ、ほんの数分で世界の人々を泣かせている。その資質に重なるのは業田良家だ。代表作「自虐の詩」は戦後の日本文化の精華といえるが、鉄拳はYoutubeの威力で、グローバルに認知されるアーティストになった。遡って過去の作品にも触れたいと思う。

 「母の遺産~新聞小説」(12年、中央公論社)を読了した。俺にとって水村美苗は3作目になる。「本格小説」(上下、02年)のプロローグでは、家族で渡米した作者自身の体験が語られる。プロローグの続編が「私小説」(95年)で、アメリカで暮らす美苗と姉奈苗のピリオドが打てない青春が綴られていた。

 時系列でいえば、「母の遺産~新聞小説」は「私小説」その後となる。主人公は熟年世代の美津紀で、姉奈津紀、母紀子、そして美津紀の夫哲夫を軸にストーリーは展開する。俺はドストエフスキーを<R50>に指定したが、老い、死、孤独、別離、再生を描いた本作も、中高年層にお薦めの小説だ。

 周囲の迷惑を顧みず、欲望の赴くまま波瀾万丈を貫いてきた紀子も、人生の最終局面を迎える。美津紀と奈津紀は介護に関わりつつ、紀子の父に対する仕打ちを許せなかった。心身の衰えもあり、姉妹は母からの一日も早い解放を願っている。

 読み進むうち、物語は我が身に重なってくる。俺の母は紀子と正反対で、家族のために生きてきた。それだけに妹の死はショックで、来年にもケアハウスに入居する。昨年亡くなった姉が胃瘻を施されるのを見て母は憤りを隠さなかったが、本作でも美津紀が同様の感想を漏らす場面がある。くしくも母は、紀子と同じく尊厳死協会に登録している。老人医療、生の尊厳、死へのソフトランディングと、還暦間近の俺自身にとって身につまされる作品だった。

 美津紀が抱える更なる問題は、哲夫との関係だ。パリでのめくるめく青春と冷え切った現在がカットバックされて描かれる。独り者には想像の域を出ないが、夫婦が愛情を維持するのは簡単ではないのだろう。母を送った後、物語は淡色から転調する。本作は読売新聞に連載されたが、桂家の歴史には、100年以上前に同紙に連載された「金色夜叉」が関わっている。祖母と母の淫蕩が一族の運命を左右した経緯が濃密に語られる。

 メーンタイトルの「母の遺産」は、後半に意味を持ってくる。美津紀が字句通り、数字に換算できる遺産の意味を知ったのは、哲夫宛の愛人のメールだった。だが、母の本当の遺産は、文化的な志向といえる。母の音楽や映画への執着は姉妹にも受け継がれた。美津紀の醒めた目に、大学教授の夫は軽薄でバックボーンのない男と映るようになる。

 骨休めのために逗留した箱根のホテルで、美津紀は再生へのきっかけを得た。自殺予備軍というべき客たちと交遊し、蹉跌を背負った彼らの生きざまを知った美津紀は、たまったものを濾過して東京に帰る。アバンチュールが気配だけで終わったのは、作者自身の慎み深さからだろう。ラストには美津紀の3・11への思いが綴られていた。

 アメリカ生活が長いと、考え方もアメリカナイズされる人が多いが、水村は例外的な存在だ。アメリカへの違和感と日本文化への傾倒をテーマに著した「日本語が滅びるとき」(小林秀雄賞受賞昨)もいずれ読んでみたい。

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「アルゴ」~細部にまで気配りされたエンターテインメント

2012-11-06 23:11:36 | 映画、ドラマ
 昨日(5日)は紀伊國屋寄席で匠の話芸を満喫する。6月上旬の末広亭から紀伊國屋、鈴本演芸場、そして今回と、落語に少しずつ馴染んできた。噺家5人はそれぞれ個性に溢れていたが、瀧川鯉昇の飄々とした「味噌蔵」、五街道雲助のオーソドックスな「夢金」に聞き惚れた。噺家はみな、鋭い視線で客席を観察している。「落語を聞いたって何の役にも立ちません」なんてへりくだりながら、笑いを取るために身を削っているのだ。

 落語だけでなく、鉄拳とミューズのコラボにも癒やされた。パラパラ漫画「振り子」に感銘を受けたミューズのオファーを受け、鉄拳が4分37秒のロングバージョンを作成し、「エクソジェネシスPART3(あがない)」のPVが完成する。「妻(恋人)と見て涙にむせんだ」といった世界中からの書き込みが、反響の大きさを物語っている。ぜひYoutubeでチェックしてほしい。

 先週末、新宿で「アルゴ」(米、12年)を見た。ベン・アフレックが監督と主演を務める話題作で、ソールドアウトの盛況だった。制作は「スーパー・チューズデー」(11年)で監督を務めたジョージ・クルーニーである。題材は1979年にイランで起きたアメリカ大使館人質事件で、6人の外交官が占拠直前に脱出し、カナダ大使公邸に匿われた。本作は実際に採用された救出作戦、架空の映画「アルゴ」でっち上げをベースにしている。

 国策映画かもと訝っていた。核開発疑惑に揺れるイランは、現在もアメリカの仮想敵国で、大統領選挙の年とくるから胡散臭いが、本作は普遍性を保っていた。登場するイラン人は厳格、頑迷ともいえるが、非は明らかにアメリカに亡命したパーレビ国王にある。その放恣と冷酷が国民を苦しめ、革命の導火線になったという史実が前提になっている。石油利権で動くアメリカへの批判も語られていた。

 緊張感はたっぷりだが、実話ゆえアクション満載ではない。人質救出に尽力するトニー・メンデス(アフレック)のクールさが、作品の基調になっている。人質たちは自然体で不安と勇気を表現していたが、異彩を放っていたのがメイクアップアーティスト役のジョン・グッドマンだ。容貌魁偉でユーモラスな佇まいが、張り詰めた空気を和ませている。

 国家中枢の混乱も描かれ、ハリウッドへの風刺も効いている。メンデスと息子の絆が重要なポイントになっていた。レッド・ツェッペリンやダイアー・ストレイツなど、音楽の使い方もなかなかで、細部まで気配りが行き届いたエンターテインメントといえる。

 CIAとハリウッドにしてやられたが、イラン人はそもそも映画に弱い。「アルゴ作戦」から三十余年、アッバス・キアロスタミ、モフマン・マフマルバフ、バフマン・ゴバディ、アスガル・ファルハーディーらが弾圧下で撮った作品の数々が世界を瞠目させてきた。テヘランは質の高さで他の追随を許さない映画の都といっていい。

 米大統領選挙の投票が始まった。当稿を書きながら今夜放送されたNHKBSの特番を見ていたが、医療や福祉の充実を社会主義的と断じるアメリカ保守派に狂気を覚えた。よって俺は消極的なオバマ支持だが、ともあれ明日、日本の実質的な指導者が決まる。年内解散の気運が高まる中、〝州知事候補〟たちは息を潜めてワシントンを眺めているはずだ。
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<差別とメディア>~「橋下VS週刊朝日」について再度考える

2012-11-03 13:42:03 | 社会、政治
 春秋の叙勲は4月29日、11月3日と、それぞれ昭和天皇と明治天皇の誕生日に発令されるが、今回に限らず受章者の名に絶句するケースが多い。叙勲制度は、天皇を頂点に置く差別構造の象徴で、憲法の精神に反する儀式……なんて考える俺は、時代遅れかもしれない。反体制として知られた表現者(とりわけ映画監督)が続々、受勲の栄誉に浴している。

 3・11以降、メディアは中立という曖昧さを捨て、旗幟を鮮明にするようになった。原発関連の記事を吟味すれば、推進派=読売・産経・日経の3紙で、孫崎享氏の主張に則れば〝本籍アメリカ〟の新聞となる。反対派=中日―東京グループ、批判派=毎日と色分けできるが、面妖なのは朝日だ。読者の顔色を窺って境界線を行き来している。

 立場を明確に読者を奪い合うという点で、夕刊紙は徹底している。俺の仕事先は小沢支持でアンチ石原、競合紙は小沢叩きで石原称賛……。現状分析から次期総選挙の獲得予想議席数まで正反対で、原発、尖閣問題、TPP、消費税についても対極だ。奇妙なことに最近、両紙の論調が一致した。週刊朝日と佐野眞一氏への批判である。

 橋下氏と週刊朝日の騒動について、別稿(10月25日)で<人権侵害ではない>と私見を述べた。その後、この問題をテーマにしたブログやツイッターをチェックし、戸惑いを覚える。連載継続を訴える解放運動活動家もいたが、多くのラディカルやリベラルが、俺と異なる意見を記しているからだ。

 差別意識とは何か、差別構造はいかに克服されるべきか……。記事は図らずも奥深い問題を提起したが、〝橋下勝利〟で収拾を見た後は沙汰やみになった。佐野氏、週刊朝日編集部、橋下サイド、そして昨年11月、橋下氏の出自を同日発売で特集しながら抗議を一切受けなかった週刊文春と週刊新潮も加わって、シンポジウムを開催すればいい。テーマは<差別とメディア>だ。

 佐野氏の愛読者ゆえ、俺が見誤っている点もあるはずだが、著書を読まず<佐野=差別主義者>と結論づける人が多いのは残念だ。日本とアジアを俯瞰で見据えた「東電OL殺人事件」はゴビンダさん釈放のきっかけになり、「あんぽん」では孫正義氏の世界観を育んだ朝鮮人差別に迫っている。佐野氏の著書には被差別の側、疎外された者が抱く怒り、情念、荒ぶる魂への共感が窺える。

 冷静に件の記事を読み返し、感じたことがあった。橋下氏の出自は既報の通りだから、<橋下の得もいわれぬパワーの根源は差別を受けた体験にあったのだろうか>と初回を締め、次号に繋げばよかった。取材を十分に重ねた上での結論――その金脈と人脈、手法を鑑み、橋下氏に力を与えたら大変なことになる――を冒頭に記したことは、佐野氏と編集部の作戦ミスではなかったか。ファイターの佐野氏は、手の内を早々に曝す愚を犯してしまった。

 駆け出し時代、記事の盗用で干された佐野氏だが、その後の充実した作品群で、出版界で絶対的な力を得た。傾倒するノンフィクション作家も多い。小学館、文藝春秋、新潮社、集英社など大手出版社から多くの著書(文庫を含め)が出ており、週刊誌での佐野批判はご法度だ。橋下支持の「週刊現代」だが、「別海から来た女」が同じ講談社から発刊されており、佐野氏を批判できない。差別者ではない佐野氏が、〝アンタッチャブル〟としてヒエラルヒーの頂点に立つという構図を、当人はどう考えているのだろう。

 今回の件を最も冷静に事態を見据えていたのが、日本文学を牽引するひとりである星野智幸だ。短文のツイッターで、ピンポイントで本質を突いた部分を紹介する(要旨)。<橋下氏の最大の弱点は政策で、直截的にその点を突くべきだった>と記事を批判しつつ、週刊朝日の連載中止を<メディアの死を証すような出来事>とし、<橋下市長の暴力的な言動をかえって正当化するだけ>と綴っている。

 <他者に対しては、自身のコメントを裏切らないような態度を取ってほしい>と橋下氏に的を射た注文を出していた。差別克服に向けたキーワードは、寛容と共生の精神、弱者への優しい眼差しだが、いずれも橋下氏の志向と相容れない。人権擁護を主張した以上、橋下氏に改めるべき点はある。差別意識を隠さない石原氏との連携を拒否したのは、その第一歩かな?

 ボーダレスの視点で日本社会を抉る星野の新作は、近いうちに発刊される。<柔軟で浸潤するアイデンティティー>に浸れる日が待ち遠しい。
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