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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

第45回衆院選~地殻変動に感じたこと

2009-08-31 00:19:05 | 社会、政治
 NHKにチャンネルを合わせ、民主圧勝を淡々と見守った。政権交代が閉塞感打破に繋がることを願っている。

 前稿に記したように、最も注目していたのは石川2区と兵庫8区の両田中候補である。石川2区で美絵子候補は森元首相に及ばなかったが、比例で復活を果たす。康夫候補は公明党幹部の冬柴氏を破った。

 自民党が激減する中、最も自民党的な森氏と古賀氏が生き残ったが、党再生の桎梏になる気がする。公明党重鎮が軒並み落選したことで、野党としての自公共闘は難しくなりそうだ。

 民主圧勝の源は〝混沌パワー〟だ。友愛を掲げる鳩山代表、黒幕が似合う小沢代表代行、社民的スタンスの菅代表代行、実直な岡田幹事長とトップ4は色合いが異なる。かつて世間を騒がせた宗男、真紀子、辻元の個性派3氏も、いつしか同じフレームに納まっている。

 政権交代でバラ色の未来が待っているわけではない。田勢康弘氏と御厨貴氏は一昨日(29日)、テレビ東京の番組で<選挙後の政界>を論じていた。政策が目に見える成果をもたらすまで国民もメディアも耐えるべきで、状況に応じた前言撤回もやむなしと語っていた。

 俺にとって自民党は強力な〝ヒール〟だった。この半世紀、<巨大な利益の分配装置>として大企業、官庁、警察、地方自治体、各業界団体、メディアに影響力を行使し、利害を調整しながら権力を維持してきた。「寄らば大樹の陰」の意識に支えられてきた自民党だが、状況が変わりつつある。

 枯木になることを見越し、各種団体や首長が相次いで宗旨変えする。ポッカリ開いた<巨大な利益の分配装置>に民主党がスルリと収まる可能性が高い。2大政党制を志向した小沢氏の願いは、皮肉なことに民主圧勝で潰えそうな気配だ。上記の番組で御厨氏は、自民党は「凡庸の団結」で地道に活動すべきと述べていたが、保守に純化して生き残りに懸けるのではないか。

 郵政選挙から4年、あまりにドラスティックな変化について、識者の分析がメディアを賑わせるだろう。<風>ならば向きは変わるが、<地殻変動>だったら元に戻らない。   

 日本は現在、アメリカともに最も貧困率が高い先進国だ。上流⇒中流、中流⇒下流、下流⇒貧困へと下へ向かって流動し、辛うじて踏みとどまっても、数年後は1段下に転落することを確信する国民も多い。民主党候補者は世論の変化を意識し、当選の弁で社民的な志向を明らかにしていた。

 政治の嵐の後は、本物の嵐(台風21号)が関東に接近している。風雨の中の出勤となりそうだ。



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食とグローバリズム~テーブルの裏側に潜むもの

2009-08-28 03:05:40 | 映画、ドラマ
 総選挙の投開票が2日後に迫った。昨27日付朝日新聞は民主の獲得議席を320と予測していた。俺が最も注目する石川2区と兵庫8区で、両田中(美絵子&康夫候補)が森元首相、冬柴元国交相をリードしているという。「ほんまかいな」が正直な感想だ。

 俺は最近、<肉付きのいい若い女性が増えている>との思い込みに囚われている。先日、愛知から上京した勤め人時代のOGに疑問をぶつけたところ、同意を得た。東京限定とはいえ、若い女性の食生活や価値観に変化が生じているのもしれない。

 さて、本題。今回は<食とグローバリズム特集>と銘打ってWOWOWがオンエアした作品について記したい。掉尾を飾った「ダーウィンの悪夢」(05年)は別稿(08年7月14日)で紹介したので省くことにする。

 まずは「ファーストフード・ネイション」(06年)から。「ファストフードが世界を食いつくす」(01年/エリック・シュローサー)をベースに、メキシコからの移民を低賃金で雇うファーストフード業界、食品汚染を公表しない行政とメディア、牧場主を駆逐する農業メジャーといった、食にまつわるアメリカの闇を暴き出している。ドキュメンタリーの形式を避けたことで原作の衝撃は薄れており、かなり退屈な映画だった。

 疲れていたので爆睡し、ふと目が開くと画面にブルース・ウィリスが……。「肉に糞が付くなんて当たり前さ。みんな平気で食ってる」と居直る工場責任者を演じている。ブッシュ父子のシンパなのに〝反米映画〟に出演する政治的嗅覚の欠落が微笑ましい。ちなみに大コケした本作のプロデューサーは、かのマルコム・マクラーレンである。

 反乱を企てる高校生たち、劣悪な労働条件下で足切断の重傷を負うメキシコ系の若者、パワハラ的セックス……。怒りと絶望が渦巻く「ファーストフード――」と好対照なのが「いのちの食べかた」(独墺共同制作/05年)だ。言葉を排して〝食〟の現場を淡々と描く斬新なドキュメンタリーである。

 熟練の技を発揮しつつ、労働者は生きた牛、豚、鶏を食材に換えていく。清潔で機能的なドイツの食の現場は、アメリカと比べると天国に映るが、見ているうちに既視感を覚えていた。罪の意識や感情から解放された流れ作業に、作品に関わった方には申し訳ないが、アウシュビッツを連想してしまった。

 前稿に記したブラーのデーモン・アルバーンは、ライブ8(05年)の中心メンバーを鋭く批判していた。<資本家や政治家に利用されて世論を誤誘導し、名誉を得るのはやめろ>という論旨に、気骨と知性を感じた。

 「ダーウィンの悪夢」ほど濃密ではないが、「おいしいコーヒーの真実」(06年)もアフリカを蝕む巨悪の正体――WTO、FRBといった〝公的機関〟を司祭に奉るグローバリズムと新自由主義―― を抉り出している。アフリカの現実に関心のある方には必見のドキュメンタリーだ。

 本作は〝ブラック・ゴールド〟の輸出国エチオピアからの視点で、コーヒー生産者と消費者との不幸な関係を描いている。多国籍企業の影響下にあるニューヨーク商品取引所がコーヒーの価格を決定し、買い叩かれた生産国では労働者が貧困に喘ぐという理不尽が固定化されている。

 構造を変えようと立ち上がったのが、エチオピアで農協連合会代表を務めるメスケラだ。世界最高品質のコーヒーを直接卸すルートを開拓し、富を少しでも多く農民に還元しようとするメスケラの行動に感銘を受けた。

 〝聖人ゴア〟は副大統領時代、製薬メジャー代理人として安価なエイズ薬のアフリカ輸入にストップを掛け、<アフリカ人を最も多く殺した男>の称号を得た。〝コーヒーの真実〟も同じ構図で、<食料メジャー=政治家=WTO>の巨大な壁を崩すのは容易ではない。アフリカを貧困から救う第一歩は、反グローバリズムの側に立ち、メスケラらの活動を援護することだ。

 食とグローバリズム、食品汚染、健康問題は、日本にとっても重要なテーマだ。農村を金城湯池にしながら、この国の農業を破壊した自民党の罪は重い。また、<自由貿易は保護主義より価値がある>との俗説を覆す時機に来ている。食料メジャーの血塗られた牙から国民を保護するのは、政府の義務と思うのだが……。






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温故に偏ったグラストンベリー'09

2009-08-25 00:32:45 | 音楽
 勤め人時代、高校野球トトカルチョに21回参加しながら的中はゼロだった。今夏、雪辱のチャンスが訪れる。現在の仕事場は当時と隣のビルで、朝刊紙と夕刊紙の違いはあれど同じ輪転機を使っている。組み合わせ決定後、印刷社の知人に声を掛けた。

俺「トトカルチョ、参加したいんだけど」
知人「3年ほど前に終わっちゃったよ」
俺「終わった! 夏の風物詩じゃない」
知人「締め付けも厳しいし、仕切る人もいなくなった。どこから買うつもりだったの」
俺「中京大中京。結構、自信あるけど」

 昨日の仕事中、歓喜を爆発させる中京ナインを眺めながら、複雑な気分になった。

 先日スカパーでグラストンベリー'09の総集編を見た。ヘッドライナー(トリ)は初日がニール・ヤング、2日目はブルース・スプリングスティーンで、〝知新〟で定評ある同フェスでは考えられない、〝温故〟のラインアップとなった。

 現役バンドの勢いを体感する坩堝から、紅白歌合戦のように序列化が進むサマーフェスの傾向は、俺が警鐘を鳴らす〝ロックの死〟が原因かもしれない。初期衝動や革新性を感じさせるバンドは減り、飼い犬ロッカーが幅を利かせている。還暦を超えてなお尖がっているニール・ヤングがトリを務めるのも当然かもしれない。

 アンテナの性能が鈍ったせいか、心に留まったのは既知のアーティストばかりで、「ビビッ」とくる発見はなかった。

 復活したスペシャルズのリードボーカルは、脱退後、ファン・ボーイ・スリーを率いたテリー・ホールだった。かつての美青年も年相応のおっさんになっている。スカバンドとしてスペシャルズと覇を競ったマッドネスも、太った体を背広に包んでいた。トム・ジョーンズの登場には仰天した。40年前のヒット曲「デライラ」を熱唱する69歳を温かく見守る聴衆を見て、自らの頭の固さを反省した。フェスとは世代を超えて楽しむお祭りなんだろう。

 陰翳とサイケデリアを発散させるUKど真ん中のブロック・パーティー、祝祭的ムードを醸すカサビアン、カレンOの存在感が光るヤー・ヤー・ヤーズ、ハイテンションのプロディジーが俺にとってのハイライトだったが、いずれも収録は1曲ずつと物足らなさは否めなかった。

 最終日のトリはブラーだった。同世代の王様扱い(オアシス)や神様扱い(レディオヘッド)と比べると決定打はないが、打率は明らかに高い。屈曲したポップ感覚とシニカルな詞が詰まった7枚のアルバムは、UKロックの教科書といえる。

 怜悧さと知性を併せ持つデーモン・アルバーンだが、ステージでは泣き顔になっていた。グレアム・コクソンとの和解による再始動は、数日後のハイドパーク2DAYSへと繋がっていく。本ライブでも感じたが、ブラーはファンと同じ目線を感じさせる稀有なバンドだ。新作を心待ちにしている。

 グラストンベリー'04で最終日トリに抜擢されたミューズは、フェス史に輝く名演(DVD発売)でトップバンドにのし上がった。彼らの5thアルバム「レジスタンス」が来月中旬に発売される。「ロッキンオン」記者がインタビューで、「本作はミューズにおける『サージェント・ペパーズ』ですね」と持ち上げていた。凶兆と言うしかない。メディアの大絶賛ほど怪しいものはないからだ。




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不気味なほど静かな革命~帰趨が決した総選挙

2009-08-22 05:35:19 | 社会、政治
 残暑は厳しいが、ニュースが涸れることはない。世界に衝撃を与えたのは世界陸上だ。30秒足らずで半世紀分の進化を見せつけたボルトは、まさしく〝ひとりタイムマシン〟である。

 辺見庸氏がETV特集で<パンデミック=感染爆発>を甦らせて半年余、新型インフルエンザの蔓延が深刻になっている。90年前に猛威を振るったスペイン風邪(死者5000万人)の再現にならぬよう願うばかりだ。

 総選挙投開票まで10日と迫り、朝日、読売、日経が相次いで「民主党300議席」と報じた。さらにショッキングなのが毎日の数字で、<民主318~330、自民68~108>ときた。小泉純一郎監督/主演の「郵政一点突破」から4年、小沢一郎脚本/制作の「政権交代」が熱烈な支持を集めている。

 ワイドショー政治と揶揄されるが、選挙報道に勝るエンターテインメントはざらにない。例えば<悪代官VS可憐な姫>の構図になった石川2区……。キングメーカーの森喜朗元首相を追い詰める田中美絵子候補に、大抵の男はノックアウトされるだろう。イケメンと美女が目立ち過ぎるきらいはあるが、国民の多くは〝ひとり水戸黄門〟の気分を味わっているに違いない。

 自民党が100以下の議席に落ち込めば一種の革命だが、底にあるのは格差拡大が招いた国民の左傾化だ。広瀬隆氏は「資本主義崩壊の首謀者たち」で、<貧困とは貧しさとは違う。日々の糧を手にすることなく、生きる手段もなく、相談する友も、一縷の希望もない状態>と記していた。失政により厳しい貧困が蔓延する日本で、1868年、1945年に次ぐ地殻変動が生じるのは当然ではないか。

 韓国や台湾が数十年に一度の変化を迎えたら、若者たちは大掛かりなデモンストレーションを展開するはずだ。不気味なほど静かな日本は、街角の騒がしさと投票行為は無関係なのかもしれない。抗議活動が全国で展開していた1970年前後も、衆院選では自民党が圧勝していた。

 無力感に苛まれている若者と対照的に、俺より上の世代は一様に怒っている。勤勉に働き続けて迎えた老後、年金のいい加減な管理が発覚するわ、医療制度は崩壊の危機に直面するわ、故郷は疲弊するわ……。農業を犠牲に輸出依存型の産業構造をつくり上げた結果に、国家への信頼も消えた。「私たちの50年を返してくれ」と叫びたくなる気持ちもよくわかる。

 直近の都議選で認識を新たにしたが、一票の意味が大きくなっている。理由不明(ゼネコンとの癒着?)の築地市場移転は白紙撤回だし、五輪に落選して予算が正しく使われることを期待している。流れに乗って非自公の知事が誕生すれば、教育現場における北朝鮮並みの言論封殺にもピリオドが打たれるだろう。

 格段に重くなった一票を、選挙区では民主党候補、比例区では社民党に投じるつもりだ。政権交代で刺激を受けた若者たちが、少しでも閉塞感から自由になることを切に願っている。





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「仮想儀礼」~漂流する〝家族〟が行き着く先は?

2009-08-19 00:19:36 | 読書
 金大中韓国元大統領が亡くなった。心から冥福を祈りたい。80年代前半、<不自由な国=韓国>に囚われた金氏の解放を求める集会が<自由な国=日本>で頻繁に開かれ、俺も何度か足を運んだ。

 流された貴い血を養分に自由の花を咲かせた韓国と対照的に、日本を停滞感が覆っている。衆院選が閉塞打破のきっかけになることを願っているが、最注目は田中康夫氏と冬柴鉄三氏が対決する兵庫8区だ。俺はスキゾ型ゆえ、冬柴支持者の異様な熱気に恐怖さえ覚えるが、信者たちは外部では窺い知れぬ絆で結ばれているのだろう。

 さて、本題。今回は宗教団体のライズ&フォールを描いた篠田節子著「仮想儀礼」(上下/新潮社)について記したい。映画化される可能性もあり、ストーリーの紹介は最低限にとどめることにする。

 都庁エリート職員だった正彦は、激務の合間を縫ってゲーム本「グゲ王国の秘宝」(原稿用紙5000枚)を完成させる。意気揚々と辞表を叩きつけたが、仲介者の矢口が失踪し企画はボツになる。正彦は職と妻を失い、作家になる夢も潰えた。

 本作の舞台は、俺の生活圏である中野新橋だ。正彦は新宿西口公園近くで矢口と偶然再会する。確執を抱えた2人だが、9・11の映像を見て刺激を受け、宗教団体の立ち上げを計画する。

 正彦はゲーム本を書く過程で仏教、密教、末法思想についての知識を蓄積しており、幻になったペンネーム「桐生彗海」をそのまま教祖名にする。「聖泉真法会」と名付けられた組織は細々と活動を開始した。

 信者を500人集め、ベンツに乗る……。金儲けを目的に掲げた2人だが、決して悪党ではない。教祖の正彦は常識人で、補佐役の矢口は優柔不断で優しい男だ。両者の個性は聖泉真法会の在り様にそのまま反映し、教義は曖昧で、謙虚、寛容、和を説くことになる。

 温くて緩い雰囲気に惹かれた生きづらい若者たち、家庭で疎外された女性たちが、集会所に足を運ぶようになる。トラブルはつきもので、正彦と矢口は傷ついた信者たちのために日々奔走する。

 本作には人が集まり、離れていく力学が描かれている。現世御利益を追求すれば腐敗し、真摯に向き合えば狂気と紙一重になる……。聖泉真法会もまた、宗教団体にとって必然というべき二つのコースを辿ることになる。正彦と矢口は、空っぽだったはずの教義を信者たちが血肉化し、創始者の思惑を超えて昇華させたことを思い知る。

 読み進むにつれ、家族の意味が重くなってくる。家族から弾かれ帰る場所のない者たちが世俗的通念から自由になり、信仰を儀礼として漂流する仮想家族となる。作者はラストで、救いとカタルシスを用意した。

 篠田作品を読むのは初めてだったが、スケールの大きさ、奥の深さ、ストーリーテリングの巧みさに感銘を受けた。信者だけでなく、中小企業経営者、作家崩れ、怪しげな宗教団体の指導者、政治家秘書など、キャラが立った登場人物が配されている。

 先日開催された職場の本のバザーで、篠田節子の新作「薄暮」(日本経済新聞出版社)をゲットした。いずれ当ブログで感想を記すかもしれない。



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「忍者武芸帳」~大島と白土が現在に突きつけるアジテーション

2009-08-16 01:23:51 | 映画、ドラマ
 同郷の偉才、山城新伍さんが亡くなった。「仁義なき戦い」シリーズ、「県警対組織暴力」、「資金源強奪」など、深作欣二監督作品におけるスパイスの効いた存在感が記憶に残っている。差別と芸能史についての書物を著すなど、芸能界きっての知性派でもあった。孤独のうちに召された名優の死を心から悼みたい。

 昨日は敗戦の日だった。戦争で想起する映画監督といえば岡本喜八で、この時季、その作品を幾度か取り上げてきた。今回は戦争の傷跡を含め、昭和を真摯に抉り続けた大島渚監督の「忍者武芸帳」(67年/白土三平原作)について記したい。

 ちなみに山城さんは1938年生まれで山城高卒、大島監督は32年生まれで洛陽高卒と、年の近い反骨の京都人だが、映画の世界では接点がなかった。大島監督は「やくざの墓場~くちなしの花」に出演したが、〝深作組〟の山城さんは同作にキャスティングされなかった。

 前稿に記したように<右翼・左翼>が死語になった21世紀の若者にとり、「忍者武芸帳」は?だらけの作品かもしれない。60年代を牽引した<大島=白土のコラボ>である本作は、静止画によるモンタージュ技法などと評されているが、換言すれば〝紙芝居に形を借りたアジテーション〟である。

 主人公の影丸は農民一揆や一向一揆を指導する忍者で、武士と闘う側の象徴と見做されている。後半では信長が最大の敵となるが、一向一揆の指導者である顕如も教団拡大のため農民を利用する裏切り者として描かれていいる。

 様々な術を駆使する影丸は、神出鬼没で不死身の男だ。分身の術の使い手とされるが、影一族の7人が影武者として日本各地で闘いの先頭に立っている。

 影丸の妹明美と重太郎との悲恋がサイドストーリーだ。信長の策略で重太郎は影丸を仇と信じ込むが、影丸が重太郎に語りかける台詞が本作の肝になっている。

 <大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>

 掲げる思想が正しければ、弾圧されても必ず後世に受け継がれ、花実を咲かせることになる……。本作の底には、「ゲバラ2部作」と同じく高邁な理想が流れている。無数の影丸たちが身を賭して守ってきた日本の地下水脈だが、この30年で枯れ果てた感がする。

 貧困と格差が深刻になった今、1920年代から30年代にかけての闘いを甦らせる必要がある。自分の無力を棚に上げ、「出でよ、影丸たち!」と声を大に叫びたい。



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<飲む・打つ・買う>の現在~死語は甦るか

2009-08-13 03:11:57 | 戯れ言
 台風と地震が同時に日本列島を襲った。亡くなった方の冥福を祈るとともに、被災地の一日も早い復旧を願うばかりだ。

 先日、知人女性が経営する居酒屋に足を運んだ時、店を手伝う10代の娘さんに「右翼って何? 左翼とどこが違うの」と尋ねられた。平野啓一郎の「決壊」にも学生の会話の形で描かれていたが、<右翼・左翼>は若者にとって死語になっているようだ。

 感覚だけで<右翼・左翼>をカテゴライズしてきたが、「何?」という本質的な問いに言葉が詰まった。<右翼・左翼>は多様な思想や運動の流れを汲む複合体である。自分なりに考えをまとめ、問いに対する答えを記したい。

 おとといファミレスで、もう一つの死語を発見した。隣のボックスに座った学生4人組のやりとりが、おのずと耳に入ってくる。割愛しつつ一部を再現する。

青年A「俺、飲む・打つ・買うは全部やってる」
青年B「何、それ」
青年C「たけしか誰かが、テレビ言ってたな」
青年D「飲むは酒で、打つはギャンブルで、買うは浪費だっけ」
青年A「惜しい。買うは女。落語くらい聞けよ」
青年B「風俗、行ってるの」
青年A「行ってるも何も、クラスの女、最低でも3人はバイトしてる。勘だけど」
青年B、C、D「……」
 その後も世知に長けた青年Aの独壇場だった。

 落語では江戸っ子の嗜みとして描かれる<飲む・打つ・買う>だが、辞書で引くと「男の悪行の代表」と記してある。自身の経験と照らし合わせてみよう。

 <飲む>と無縁の俺だが、アルコール抜きで体内に奇妙な物質を発酵させ、朦朧と酔生夢死を彷徨っている。 <打つ>は競馬のみだが、レートの高いPOGに参加してからは、新馬戦と未勝利戦が組まれた午後1時までがゴールデンタイムになる。賭け金は大幅に減ったが、より濃密な領域に足を踏み入れてしまった。

 <買う>とは即ち買春で、悪しき風習と考える人が多い。金銭を介した欲望の充足といえば身も蓋もないが、バブル期以降、恋愛まで金銭を軸に回転するようになる。高収入の男性に群がる女性の〝娼婦化〟を嘆く識者もいた。

 遊郭や風俗の成り立ちを社会的に論じるには力不足だが、〝擬似恋愛〟の側面もあると思う。殆どはゲームで終わるが、近松の心中物のように崇高な愛に至るケースは現在もある。もちろん、悲劇的結末も枚挙にいとまない。樋口一葉の「にごりえ」には遊女に入れ揚げた男のストーキングと無理心中が描かれており、草稿のタイトルは「ものぐるひ」だった。

 言葉は世の流れに敏感に反応する。<右翼・左翼>と<飲む・打つ・買う>は固定化、閉塞化した社会で棺に閉じ込められたが、灰になったわけではない。ひとたび地殻変動が起きれば有象無象とともに甦り、街を闊歩する日が来るだろう。



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境界なき被爆と被曝~「ヒバクシャ」が描く原子力の脅威

2009-08-10 00:17:57 | 映画、ドラマ
 田上長崎市長が平和祈念式典で、オバマ大統領の「核兵器廃絶宣言」支持を表明した。秋葉広島市長と同様の趣旨である。

 〝広域暴力国家〟の指導者を、そこまで称揚していいのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、日本映画専門チャンネルで「ヒバクシャ~HIBAKUSHA~世界の終わりに」(03年/鎌仲ひとみ)を見た。広島、長崎、イラクの被爆者、米ワシントン州の被曝者にカメラを向け、原子力の恐怖に迫ったドキュメンタリーを、三つのポイントに沿って記したい。

 第1のポイントは<広島、長崎以降の核兵器使用>だ。ボスニアとコソボだけでなく、湾岸戦争(91年)と米英軍による侵攻(03年)で、大量の劣化ウラン弾がイラクに投下された。原爆症患者に似た症状に苦しむ子供たちの姿がカメラに収められている。経済制裁による医薬品不足もあり、彼らの多くは十分な治療を施されぬまま召されていく。

 米政府は劣化ウラン弾による健康被害を否定し、帰還兵の「湾岸戦争症候群」もフセインの化学兵器に起因すると強弁している。オバマ大統領が真に高邁な精神の持ち主なら、劣化ウラン弾も核兵器の一種であることを認め、使用した国の代表として全世界に謝罪するはずだ。

 第2のポイントは<被爆と被曝の境界>だ。語り部役の肥田老医師は被爆者として、原爆症患者と向き合ってきた。核実験で被曝した米兵を診察したボードマン医師との出会いが、治療を進める上で大きな助けになったという。

 ボードマンは被曝(=被爆)の症状を「非定型性症候群」と定義する。イラクの子供たちや日本の被爆者に見られるように、白血病やガンなどの症状が、定型ではなく入り組んだ形で現れ、特定の疾病として断定できないことが「低線量被曝」の特徴という。

 ワシントン州ハンフォードの現実に愕然とした。長崎に投下された原爆を製造した当地の施設では、現在も核処理廃棄物処理が行われている。施設の風下に暮らす人々を襲ったのは、イラクより深甚と思える健康被害だった。政府を告発した牧場主トム・ベイリーの元を肥田医師が訪れる。両者の交流により、被爆と被曝に境界がないことが明らになっていく。

 〝非国民〟扱いされたベイリーは銀行から融資を断られ、原告団は切り崩されて5分の1まで減った。政府や御用学者は健康被害を全否定するが、当地で汚染改善に携わる者は正反対の見解を述べる。世界中のお金を集めてもクリーンにならないと語り、川の水(市街地の水道に使用)から被害が拡大することを危惧している。だが、汚染地域で生産された農作物は世界に輸出され、日本もお得意さんだという。

 第3のポイントは<原爆症患者に冷酷な日本政府>だ。被爆者たちが語る体験は声高ではないぶん心に染みるが、行政が長年にわたって被爆者を見捨ててきたことは、当ブログで繰り返し記してきた(05年3月23日の稿など)。先日の合意が選挙向けのパフォーマンスであることは、被団協・中村弁護団長の言を待つまでもない。

 チェルノブイリの事故と特定地域(北海道、東北、北陸)おける乳がん患者の死亡数、中国の核実験と日本国内の乳幼児死亡率……。肥田医師作成のデータが導き出す推論は衝撃的だった。核兵器だけでなくすべての原子力の廃棄が、世界の終わりから人類を救出する手段である……。本作は強い説得力で、人類に警鐘を鳴らしている。



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夏バテ、夏風邪、真夏の夜の夢

2009-08-07 02:58:48 | 戯れ言
 昨日は広島原爆の日だった。秋葉広島市長は平和宣言で、オバマ大統領の核廃絶宣言に連帯の意を表明した。オバマの理想は高邁だが、まずは国連でリーダーシップを執り、武器禁輸を進めるべきだ。兵器産業(大半が常任理事国)とグローバリズムが、アフリカを蝕む最大の要因だからである。

 9日は長崎原爆の日、15日は敗戦の日……。お盆と重なるこの時季こそ、生と死、戦争と平和、加害と被害に思いを馳せるべきなのに、頭と体がついていかない。ブログなんか休めばいいのに、義務感だけで駄文を垂れ流している。

 好物の炭酸飲料(とりわけカルピスソーダ)とアイスクリームは制限しているが、冷たい麦茶をガブ飲みして頻尿になり、夜中に何度も目が覚める。脳の中まで水浸しで、「読書の夏」どころか昼も夜も酔生夢死状態だ。

 不思議なことに食欲は落ちない。たらふく食って眠くなり、クーラーをつけっ放しで不貞寝した。喉がイガラっぽくなり、頭がズキズキする。風邪薬を服用してニュースをぼんやり眺めていると、世の中はハイスピードで回転していた。

 選挙戦、クリントン元大統領の訪朝、ピッツバーグでの銃乱射、台風接近、酒井法子さん失踪、押尾学逮捕、大原麗子さん急死……。

 別世界の出来事のように感じるが、裁判員が下した判決は残念だった。俺だったら「懲役10年」を主張し、他の裁判員を説得したはずだ。普段はおとなしいのに、他人に厳しい……。それが日本の平均的市民像かもしれない。 

 薬が効き始めたのか、またまた眠くなる。曖昧な現実と比べ、立て続けに見た夢は結構リアルだった。

 <夢①>…むさい居候が俺の部屋で傍若無人に振る舞っている。こいつ、誰だっけ? 覚めた時、最近顔を見たこともないジミー大西と気付く。夢とは大抵、脈絡のないものだ。

 <夢②>…手書きのラブレターを貰った。ブログを偶然見つけ興味を持ったという。アラフォーのバツ1というが、なぜ俺の住所がわかったのだろう。知人かな? ドキドキしながら手紙に記された携帯番号を発信した時、尿意で目が開いた。

 <夢③>…コンビニでPATに入金し、残金861万円の明細にぶッ飛んだ。投票履歴をチェックし、レースを間違えて馬券を購入したことに気付く。ちなみに的中した買い目は馬連②③、3連単②③④。ほくそ笑んだ時、けたたましくアラームが鳴った。
 
 高血圧ゆえ体はすぐに動くが、俺にとって何よりのカフェインは「おはよう日本」(NHK、6時台)の島津有理子キャスターだ。スポーツコーナーでのおちゃめな合いの手に心和んだ直後、部屋を出る。若く見えるが35歳(既婚)、東大経済学部卒……。経歴を知って、少し驚いた。







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麻生首相の功罪とは

2009-08-04 02:26:52 | 社会、政治
 山崎隆之7段が王座挑戦権を獲得した勢いで、ネット将棋最強戦を制した。棋界は競馬界と真逆の東高西低だが、久保の棋王獲得、若手四天王の活躍に刺激されたのか、西のプリンスが勢いを取り戻す。忌憚なき暴言とともに、今後の活躍を期待したい。

 田中康夫氏(新党日本代表)が「ニュースの深層」に出演していた。「幻の光」や「赤目四十八瀧心中未遂」では繁栄から取り残された街として描かれていた尼崎市(兵庫8区)が〝戦場〟になる。財源論への言及、全国知事会の正体暴露(=総務省)など、自らを<社会を変える触媒>と位置付ける田中氏の鋭い指摘に頷くことが多かった。

 総選挙の投開票日まで1カ月を切った。自民党の議席は100~200と予想されているが、<史上最低の首相>こと麻生太郎氏に全責任を被せるのは酷な気もする。

 格差拡大と地方荒廃の咎を負うべきは、日本の米国化に邁進した<竹中=小泉>ラインだ。官僚機構の肥大、輸出頼みの産業構造、年金問題は、自民党政権が半世紀かけて蓄積した負の遺産と言っていい。

 自民党の国会議員はかつて、「敵か味方か」から始まり、人の資質をたちまち見抜く慧眼の持ち主だった。<人物チェック能力>の急激な低下は、世襲議員増加と小選挙区制導入に起因する。麻生氏が永田町に籍を置いて30年、知性のなさと人権意識の欠落は数々の失言(=本音)で国民にさえ知れ渡っていた。担がれた方も身の程知らずだが、首相不適格者を担いだ方がより罪は重い。

 そんな麻生氏だが、生き残るシナリオはあった。首相就任直後に解散⇒惜敗して下野⇒総裁の地位を維持⇒小沢政権の行き詰まり⇒衆参同日選(来年)⇒首相返り咲き……。歴史にタラレバは禁物だが、野党党首なら国語力のなさを叩かれることもなかったはずだ。

 麻生氏についてはメディアで書き尽くされた感があるが、俺なりの視点で<功罪>を一つずつ挙げたい。

 まずは<功>の方から。俺は皇族が映った瞬間、テレビのチャンネルを替えるようなアンチ貴種だ。血筋だけで無条件に奉る傾向は看過できないし、底にある精神構造は、差別意識やアジアへの排外主義に通底している。

 麻生氏は皇族と姻戚関係があり、祖父は宰相、実家は民衆の血と汗と涙の上に財を成した。日本NO・1の貴種にとって、周りが〝下々〟に見えるのは当然だろう。麻生首相は愚かしい言動の数々で〝貴種幻想〟を木っ端微塵に粉砕してくれた。

 麻生氏の<罪>の一つは、漫画のパブリックイメージを損なったことだ。門外漢の俺でさえ、「子連れ狼」、「自虐の詩」、「エロイカより愛をこめて」などに強い感銘を受けてきた。巨大な果実の端っこを齧っただけでも、漫画という文化の豊饒さが理解できる。

 その漫画が麻生氏によって貶められたが、メディアの罪も大きい。「漫画しか読まないから漢字を知らないし、人情の機微が理解できない」なんて的外れも甚だしい論評を垂れ流している。麻生氏が世界に冠たる手塚治虫や白土三平の傑作群を読んでいるかは知らないが、<正しく漫画を読んでいない>が的を射た分析だと思う。

 俺が勝手に麻生氏とイメージを重ねているのは「悪い奴ほどよく眠る」の岩淵辰夫だ。ボンボンで銃好き(麻生首相はクレー射撃の五輪代表)が両者の共通点だ。辰夫はラストで自らも填め込まれた〝虚構のパズル〟に気付く。麻生氏は果たして……。
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