酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

秋の夜長はノクターン~カズオ・イシグロという乳酸菌

2009-10-29 00:23:25 | 読書
 <溺れる犬は叩く>と<大衆への媚び>を金科玉条に蠢くメディアだが、〝らりピー〟こと酒井法子は賞味期限が切れつつある。新たな〝飯の種〟に浮上したのは、知人が次々に亡くなった女性結婚詐欺師(34)か。

 謎めいた笑みとささやかな癒やしだけで篭絡されそうな俺だが、幸いなことに、いや不幸にして肉食系女子のターゲットにはなりえない。貪り食う餌(財産)がないからだ。不審な死を遂げた男性(41)は自身のブログで、結婚の報告をしていたという。貶められた愛が哀しい。

 京都の夜はカズオ・イシグロの「夜想曲集」と過ごした。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように、音楽をテーマに出会いと別れを淡々と描いた珠玉の短編集だ。

 長崎生まれで5歳時に渡英したイシグロは、数々の文学賞に輝くなど英語圏を代表する作家だが、俺の中では〝日本文学の旗手〟だ。「わたしを離さないで」(07年3月8日)、「わたしたちが孤児だったころ」(07年9月)26日)と当ブログで2度取り上げたが、その中で以下のように記している。

 <「もののあわれ」、「滅びの美学」、「自己犠牲」、「予定調和」、「矜持」、「恥の意識」といった日本で死語になった価値が、イシグロの作品に息づいている>、<映画に例えるなら小津安二郎で、読み進むにつれ懐かしい湿感が心に染み込んでくる>……。

 映画「重力ピエロ」では、<人間の行動を決めるのはDNAか環境か>がテーマの一つだったが、イシグロ作品に色濃いのは日本人のDNAだ。

 「夜想曲集」に収録された作品を簡潔に紹介したい。疲れた心身に染み込む乳酸菌のような優しい読後感を覚える掌編たちだ。

 ベネチアを舞台にした「老歌手」は、復活を期す往年の大スターと楽団を掛け持ちする東欧出身のギタリスト(語り手)の触れ合いを描いている。愛し合いながら別れを決意した夫婦の心情に、語り手の生い立ちが重ねられている。

 「降っても晴れても」は、国外で英語教師を務めるレイがロンドンで友人夫婦と過ごす日々を描いている。定住者とボヘミアンの対比が面白く、セピア色に褪せた青春の日々が同世代の我が身に染みてくる。保養地モールバンが舞台の「モールバンヒルズ」の主人公は歌手志望の青年だ。結婚式やパーティーでの演奏で欧州を回るスイス人夫婦との交流には、希望の価値が込められている。

 微笑ましいのは「夜想曲」だ。醜男ゆえ芽が出ないサックス奏者のスティーブと「老歌手」で登場したトニーの妻リンディが、整形手術のため缶詰めになったハリウッドのホテルでコミカルな騒動を繰り広げる。「チェリスト」ではアドリア海沿いの街を背景に、気鋭のチェロ奏者と年上の女性が、生徒と教師として過ごす日々が綴られる。ラストに暗示された夢の終わりが痛く胸に迫った。

 昨日、新宿西口駅構内で、青年がバンジョーを弾いていた。「オー・シャンゼリゼ」演奏後、平均年齢の高い数人の聴衆からパラパラ拍手が送られる。一つの曲、一人のアーティストにはそれぞれのドラマがあるはずだ。くたびれたザ・フーのTシャツを着ていた青年にも、音楽をめぐる物語が幾つもあるに違いない。
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秋の京都にて~ささやかな平穏に感謝

2009-10-26 15:27:28 | 戯れ言
 前稿に続き、亀岡駅近くのネットカフェで更新している。

 空手形を切りまくった菊花賞は、POG指名馬セイウンワンダーが3着、アドマイヤメジャーは11着に終わった。 2着まで賞金獲得のルールなので得るものはないが、退屈な日々にスパイスを効かせてくれたセイウンに感謝している。母系からサンデーサイレンス~リアルシャダイの血を受け継いだ同馬は、決して早熟ではなく、長い距離に対応できることも菊花賞で証明した。古馬になってもGⅠ戦線を賑わせるのではないか。

 前々稿で野村監督を「自己愛の塊」と記したが、CS第2ステージ終了後のセレモニー(吉井コーチ、稲葉の提案?)には素直に感動した。「人を残すことが一番大切な仕事」という言葉通り、野村監督は勝負における名将のみならず、人材育成の名匠でもあった。郷土の大先輩に「お疲れさま」の言葉を贈りたい。

 今日(26日)は嵯峨野を訪ねるつもりだったが、雨で予定を変更し、一般にも開放されている大本教団構内を散策した。フライングして色づいた木々もチラホラで、紅葉の盛りには絶景となるだろう。雨の中、たったひとりで歩いていると、信仰心はなくとも厳かな気分になる。嵯峨野は恐らく観光客、修学旅行生で渋谷並みの人口密度だ。霊気も幽玄も人いきれで退散しているだろう。

 昨年の今頃、東京脱出のタイミングを計っていた。11月に母と妹が同時に入院し、Uターンの意思はさらに強くなったが、仕事の縁で東京に居残る。

 母は術後たちまち旧に復したが、妹が死の淵をさ迷ったことは当ブログに記した通りだ。ゴールデンウイーク時も病状は不安定だったが、夏に何とか退院する。現在も人工透析のために通院しているが、家事全般をこなし、車も運転できるようになった。

 妹は免疫力が著しく低下しており、猫のポン太を手放さざるを得なかった。新飼い主は母ゆえ、親孝行を兼ね〝心の息子〟に会いに実家を頻繁に訪れている。子供のいない妹にとって、五輪を前に調子を崩した〝心の娘〟浅田真央が気懸かりな様子である。

 妹が入院中の昨年暮れ、義弟宅に泥棒が入ってかなりの額が盗まれた。悪いことばかり続いたが、今年も半ば過ぎてから少し光が差してきた。俺は今、一陽来復という言葉を噛み締めている。

 今年の正月、母の指令で、氷川きよしと縁が深い赤坂氷川神社に詣でた。干支の土鈴を購入し、京都に送るためである。母によれば、妹が奇跡的に快復したのも、俺が世間の流れに反比例して安定した仕事を得たのも、義弟が昇格したのも、すべて氷川神社、いや、氷川きよしの御利益なのだ。くすんだ〝実の息子〟と好対照に、〝心の息子〟は眩い光を放つ御神体なのだろう。

 母は振り込め詐欺には決して引っ掛からないタイプだが、アキレス腱は〝実の息子〟ではなく〝心の息子〟だ。ファンクラブを装う者に「氷川きよし記念館建設のためにカンパをお願いします」なんて持ちかけられたら、財布の紐を緩めても不思議はない。

 来年の元旦は学生時代以来、約30年ぶりに京都で迎える予定だ。紅白歌合戦にも強制的に付き合わされそうだが、耳が遠い母は爆音でテレビを見るから、耳栓を用意した方が賢明だ。10日後のミューズが格好の耳直しになる。
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田原元騎手の転落と菊花賞

2009-10-23 14:30:14 | 戯れ言
 現在、亀岡に帰省している。前稿終わりに中2日の更新は難しいと記したが、ウオーキング中にネットカフェの近くを通ったらムズムズしてきた。書きたいことは書いておくというブロガー魂が頭をもたげてきたからである。

 秋の深まりとともに野球のポストシーズンが佳境に入り、にわかファンも楽しませてくれる。メジャーも緊迫したゲームが続いているが、パ・リーグCS第2ステージ初戦(日本ハム対楽天)の大逆転に鳥肌が立った。

 俺の人生を野球に例えれば、辛うじてコールド負けを免れた終盤8回といったところか。大差をつけられたまま、無抵抗でゲームセットを迎えるのも癪な気がするが、才能も努力も気概も持ち合わせていない以上、詮方なきジ・エンドだ。

 ニュースで「競馬界の玉三郎」こと田原成貴の逮捕(何度目?)を知る。貴公子然とした容貌と勝負師としての決断で数々の大レースを制した。その騎手時代を野球に例えれば15対0で5回コールド勝ちで、調教師としても「田原軍団」としてもてはやされるなど、洋々たる未来が開けていた。

 俺がウインズに通っていた頃、競馬界を席巻していたのは「岡部グループ」だった。「競馬研究」のMトラックマンがマネジャーとして、岡部、柴田善、蛯名らトップジョッキーに馬を振り分ける。グループには序列があり、最も有力な馬に騎乗するのは岡部と決まっていた。

 「5番(岡部騎乗)が行ったら、3番(柴田善騎乗)は控えるよ」……。ウインズにたむろするおっさんたちは、ラインで推理する競輪のように、展開を予想していた。岡部グループの自信度を一番よくつかんでいたのはMトラックマンだから、俺は馬券的中のため「競馬研究」を毎週購入するようになる。

 岡部グループが主流なら、小島太―田原成貴―藤田伸二という優等生と程遠い面々がアウトサイダー人脈を形成する。藤田の思い切りの良さと決め打ちに、田原の影響を感じるのは俺だけだろうか。ちなみに非体育会の吉田豊が藤田の弟分といわれるのもわかるような気がする。

 俺が田原の変調に気付いたのは、調教師時代、春の天皇賞(たぶん)をNHKで解説した時だ。口八丁手八丁のイメージと異なり、アナウンサーの問いも無視して黙りこくるなどまともに解説できない。その後の転落の予兆を感じた。

 田原、ショーケン、長谷川和彦etc……。周囲と融和できずチャンスを逃す天才たちを見ると、自業自得の部分もあるにせよ残念でならない。彼らはまさに「イカルス失墜」を演じている。低空飛行の俺など、堕ちようもないのだけど……。

 さて、その田原がマヤノトップガンで制した菊花賞に、POG指名馬セイウンワンダーとアドマイヤメジャーの2頭が出走する。馬券は控えめに馬連とワイドで⑫⑰のみを買う予定だったが、田原直系の仕事人藤田が駆る⑱ブレイクランアウトを含めた3連複を買い足すことにした。

 セイウンとアドマイヤのいずれかが2着以内に来れば、そこそこの実入りになる。空手形を幾つも切ったが、結果はいかに……。



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「太陽を曳く馬」~限りなく飛翔する高村ワールド

2009-10-21 01:00:02 | 読書
 「相棒~シーズン8」初回の2時間SPを見たが、中身は「?」だらけだ。爆破犯として国際手配された本多(古谷一行)が久しぶりに帰国するという設定だが、国内には80年生まれの娘がいる。まさか〝海外授精〟? 56歳の本多がテロリズムを志向する前(最初の爆破は71年)、小野田官房長(岸部一徳)は同志だったという。2人の出会いはいつ、どこ? まさか高校? 

 <後藤田―佐々>が着手した思想統制が結実した75年前後、ラディカルの一翼を担った小野田が警察庁に入庁するなんて絵空事だ。「相棒」は政治――とりわけ左翼、NGO関連――を扱うと必ずボロを出す。今回も<新左翼=テロリスト>という誤ったレッテルを見る者に刷り込んでいた。高視聴率を誇る番組なのだから、〝史実〟に即し、時系列を整理してシナリオを書いてほしい。

 さて、本題。今回は高村薫さんの新作「太陽を曳く馬」(09年8月発刊)について記したい。90年にデビュー後、瞬く間にミステリーの頂点を極めた高村さんと他の作家たちを分かつのは、構造の把握、正邪の見極め、怒りと情念、明確な立ち位置である。

 阪神淡路大震災、一連のオウム真理教関連の事件、9・11、そしてマーク・ロスコとの出会いを経て、高村ワールドは変容を遂げた。「晴子情歌」(02年)、「新リア王」(05年)で日本的情念、仏教をベースに<純文学>に移行する。<福澤家3部作>の最終章でもある「太陽を曳く馬」は想像を遥かに超えた地点に飛翔していた。

 評するとは、言葉を換えれば身体化するということだ。俺はこれまで自分の胃の容量に見合った音楽、書物、映画を貪り食い、稚拙な言葉で評してきた。だが、「太陽を曳く馬」の稠密で繊細な言葉の粒子は、目が粗い俺の濾紙では濾し取れず、30㌻ほどで放棄する。9月中旬は体調不良で、仕事とブログ更新以外に余力ゼロ状態だったこともある。〝高村信者〟として忸怩たる思いだったが、復調した10月上旬、高村さんが自著を語った書評番組(NHK)を見て、再チャレンジを決意する。

 <私は仏教もオウム真理教も現代アートも、そして殺人に至る経緯を理解していない。だから、未消化の混沌をそのまま提示した>(論旨)……。作者でさえ手探りなのだから、凡夫の俺が霧の中で立ち尽くすのも当然と慰められたのだが、高村さんの言葉が謙遜であったことを思い知る。

 前々作、前作から引き続いて登場する永劫寺僧侶の福澤彰之、その息子で2人を殺害する絵描きの秋道、永劫寺の雲水で事故死する元オウム信者の末永、二つの事件の捜査を担当する合田の4人が主要なキャストだ。合田は「レディ・ジョーカー」まで高村作品で中心的役割を果たしていたが、当時の破滅型から装いも新たに、<作者の分身>として知的な刑事に変身している。

 秋道は父彰之のみならず、他者とのコミュニケーションをすべて拒絶する青年だ。秋道はロスコ風の赤を基調した抽象画を書き殴っている時、音に邪魔されたという理由で同居女性と近所の青年を金槌状の凶器で殺害する。秋道は法廷でも自らの意思を語ることなく死刑判決を受けた。

 オウムを離れ、彰之が永劫寺に敷設した道場「サンガ」に身を寄せた末永は仲間に疎んじられ、やがて不審な死を遂げる。後段で曹洞宗の僧侶たちが道元と密教、フーコーやラカン、ウェーバーなどを駆使してオウムについて議論する場面では、作者とのレベルの差に打ちのめされ、ため息しか出なかった。俺が唯一感覚で理解できたのは、<オウム真理教は、宗教の顔をした人間の自我の拡大の物語である>との彰之の言葉だった。

 「太陽を曳く馬」は純文学を超えた<天上の文学>とでも規定すべきで、地上に降りてくる透明の糸に目を凝らしながらページを繰った。とりわけ胸を揺さぶられたのは、彰之が死刑囚の息子に送り続ける、決して読まれることのない切々とした手紙の中身だ。読了後、俺の胸には、寂寥と闇に覆われた荒野が広がっている。そこを今、雲水姿の彰之が彷徨しているはずだ。

 あす22日に帰省し、京都の秋を満喫する。残念ながらブログの方は、中2日で更新できそうもない。


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「空気人形」~不条理なメルヘンが突く愛の普遍

2009-10-18 00:50:07 | 映画、ドラマ
 加藤和彦さんが亡くなった。音楽界を震撼させたフォーク・クルセダース、海外に雄飛したサディスティック・ミカ・バンド、提供した名曲の数々……。多岐にわたる業績を語るには力不足だが、俺にとって記憶に残るのはソロ3部作(79~81年)で、中でも「うたかたのオペラ」は愛聴盤だった。偉才の冥福を心から祈りたい。

 楽天がCS第1ステージを制し、ダルビッシュを欠く日本ハムと相まみえる。野村監督の有終の美を願うファンも多いが、去就問題で露呈した人間性にうんざりした。〝自己愛の塊〟と断罪するのは忍びないが、野村監督は俺と同じく<正しく愛せない病>を患っている。

 愛にまつわる経験はDNAにインプットされないから、古(いにしえ)と同じ過ちが繰り返される。様々なジャンルで表現された〝愛の形〟でベストワンを挙げるなら、業田良家の「自虐の詩」だ。呉智英、夢枕獏氏らが<戦後日本文化の精華>と絶賛する同作は、読む者に号泣より深い慟哭をもたらしてくれる。

 業田ワールドは<人間の業>、<繰り返しの美学>、<日常の裂け目に覗く真実>、<不条理の彼方の普遍>に彩られている。是枝裕和監督は東京の下町を舞台に、「空気人形」を至高のメルヘンに仕上げた。

 映画館で俺の鼓膜を震わせていたのは、ビートルズの「エリナ・リグビー」だ。身寄りがない老女と孤独な神父の人生を歌った同曲は、本作の背景とぴったり重なっている。公園のベンチに座る老人(高橋昌也)、若さに嫉妬する中年女(余貴美子)、交番で寂しさを紛らわす初老の女(富司純子)、やさぐれ警官(寺島進)、人形制作者(オダギリジョー)etc……。錚々たる面々が脇を固めていた。

 ペ・ドゥナ演じる主人公のノゾミは、冴えないファミレス従業員の秀雄(板尾創路)が購入したダッチワイフだ。シリコーン製の精巧なラブドール(最低でも50万円!)ではなく、空気を吹き込んで膨らませる5800円の旧式の人形なのだ。

 秀雄はノゾミに職場の不満をぶちまけ、食事も2人分用意する。プラネタリウムの発光シールを天井に張り、仰向けになって星座の知識を披瀝する。秀雄が異常というなら、俺だって同類だ。大学卒業後、ニートの走りだった俺は、部屋に迷い込んだ猫に語りかけて心の渇きを癒やしていた。

 <わたしは心を持ってしまいました。持ってはいけない心を持ってしまいました>……。ノゾミはある朝、心を持ち、メイド服で街を彷徨う。ペ・ドゥナの伸びやかな肢体、童女のような表情、滑稽な動作、切ないモノローグの数々に心を強く揺さぶられた。レンタルDVD店でバイトを始めたノゾミは、同僚の順一(ARATA)に恋心を抱くようになる。

 ノゾミのモノローグでとりわけ胸に染みるのは、何度もリピートする<わたしは誰かの代用品。性欲処理のための空気人形>だ。果たしてノゾミは特別だろうか。あなたもまた、誰かの代用品であっても不思議はない。肌を寄せ合う夫、妻、恋人は、果たしてあなたのことだけを考えているのだろうか。性愛に限らず、人は交換可能な代用品かもしれない……。本作は見る側にこう問いかけてくる。

 ノゾミは真っ白なキャンバスに筆を走らせていく。知識を吸収していくが、生と死の感覚が理解できない。ノゾミにとって空気を注入された時が生、抜かれた時が死であり、それらは頻繁に訪れるものなのだ。老人がノゾミに教えた吉野弘の詩(「生命は」)が、本作のキーになってストーリーを進行させる。

 ラストも印象的だった。裂けた日常が縫い合わされた街を、タンポポの種のような柔らかい形がフワフワ舞う。それはきっとノゾミの魂で、孤独な登場人物たち一人ひとりに別れを告げる。ノゾミは一回性の死を手に入れることができたのだろう。愛を成就させる唯一の手段として……。

 最後に秋華賞の予想を。◎⑤レッドディザイア、○③ブエナビスタ、▲①ホクトグレイン、注⑩クーデグレイス、△②パールシャドウ。3連単は⑤1頭軸、馬連&ワイドは人気薄の逃げ馬①から手広く買う予定だ。少額投資でささやかなメルヘンを楽しみたい。外れるという結果は、はっきり見えているけれど……。


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生きてるうちが花?~53回目の誕生日に寄せて

2009-10-15 00:07:23 | 戯れ言
 今日15日は俺の53回目の誕生日だ。父と母方の祖父はともに60代で召されている。両方のDNAを受け継いだ以上、余命は15年前後と覚悟している。気分はすっかり晩年だが、こんな俺にも誕生日プレゼントが届く。

 ますは「相棒~シーズン8」のスタートだ。東映制作の同じ帯(水曜9時)を一年通して楽しむようになったから、以前ほど待ち焦がれたという感じではない。録画した初回2時間SPはまだ見ていないが、亀山(寺脇康文)と真逆な神戸(及川光博)が、いかなる道筋で名実ともに杉下右京(水谷豊)の相棒になっていくのか楽しみだ。

 さらに、ミューズの来日だ。クリエイティブマンの3A会員になり、武道館(来年1月12日)のチケットをゲットする。追加は確実と思ったが、ミューズは15日からヘッドライナーとしてBIG DAY OUTツアー(計6公演)でオセアニアを回る。無理にぶち込めば10日か13日だが、果たして……。

 8月から9月にかけ、自業自得で体を壊した。収入が安定すると食生活が贅沢になるものだが、何せ俺は大食いの貧乏舌で、最高のご馳走は回転寿司、ねぎしの「たんとろセット」、宅配のドミノピザだ。代わりといっては何だが、炭酸飲料をガブ飲みし、アイスクリームを箱ごと食う。和菓子にも目がない。

 不摂生は正直に体に表れる。いつも喉が渇き、水分を過剰に取る。頻尿になって眠りが浅くなるから、疲労感に苛まれ、気力も萎えてくる。先月28日、近くの病院で検査(採血、検尿)を受けると、血糖値やヘモグロミンなど赤点4つで、〝糖尿の兆候あり〟の宣告だ。

 俺は今、自分の運の強さを実感している。検査翌日(29日)に体調が上向き、ウオーキングをこなせるようになった。仮定の話だが、仕事が押して28日に病院に行かなければ、異変を放置して生活を改めず、死への階段を下りていっただろう。1日の違いが明暗を分けたのだ。

 取り立てて夢も希望もないが、映画のタイトルを借りれば<生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ>なのだ。10月以降、禁炭酸、禁アイスを実行し、水分摂取も抑えると体調は右肩上がりになる。3連休を静養に充てると気力まで充実し、読書と映画を楽しむ日々だ。

 コンビニやスーパーで、カロリーをチェックする癖がついた。当ブログの主要な読者層である30~40代の女性の方には「何を今更」と叱られそうだが、意外な発見が多い。

 休日は大抵、朝昼兼用で、サンドイッチ2個とオレンジジュースをコンビニで買うことが多い。時に気が変わり、菓子パン3個とコーヒー牛乳で腹を満たすこともある。値段は後者の方が安いが、カロリーは倍ということにようやく気付いた。菓子パン、畏るべしである。俺が今、気になっているのは<カロリーゼロ>と銘打った炭酸飲料だ。次回の検査時、どこまで信用していいのか医者に聞くつもりだ。

 職場で結婚した青年がいて、昨夜はカップルの門出を祝う宴が催された。まろやかに温かく時は流れ、さて2次会という段になるが、後ろ髪を引かれる思いで家路に向かった。理由はといえば、このブログである。

 駄文、戯言を心待ちにしている読者などいないことは重々承知だが、<中2日のルール>を守ることが半ば生きがいになっている。俺にとって53歳とは、人生で最も勤勉かつストイックな時期なのだ。


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リナレスまさかの転落~あまりに残酷なボクシングというゲーム

2009-10-12 03:51:22 | スポーツ
 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した。「?」が正直な感想だが、「核なき世界」を本気で目指すなら、以下のことを求めたい。その一、米軍がイラクで使用した劣化ウラン弾が核兵器の一種であることを認め、全世界に謝罪する。その二、原爆症と似た病状に苦しむ全世界の被曝者のため、原発にストップを掛ける……。後付けでいいから、高邁な理想が空洞でないことを証明してほしい。

 音を消してCDを聴き、本を読みながらキリンカップを眺めていた。カメラが執拗にアップで追った〝BADBOYS〟本田と森本は、<フォロー&サポート>を重視する岡田監督の覚えが悪いという。南アはともかく、14年のブラジルW杯で毒の花を咲かせるだろう。

 8日夕、整骨院で肩凝りをほぐしてもらいながら、〝WOWOW宣伝員〟と化していた。
俺「あさって試合するホルヘ・リナレスは、日本のジムに所属したボクサーでは最強だよ」
院長「勇利アルバチャコフより?」
俺「勇利どころか、ファイティング原田より上だと思う」
院長「勝ちますか?」
俺「負けられない状況だからね。無料放送だから見れるよ」
 会話の後、暗い記憶が甦ってくる。

 俺は学生時代、日本ランキングを諳んじるほどのボクシングファンだった。後楽園ホールに頻繁に通ううち、世界を狙えそうな選手に注目するようになる。
 
 この試合をクリアすれば日本王座挑戦。しかも相手は噛ませ犬。ポイント差を広げた終盤、ロープに追い詰めた相手の捨て身のフックがアゴに炸裂し、ホープはリングで大の字になる……。数カ月後、リングに立った彼は、デジャヴのようにマットに沈んだ……。

 目を掛けた選手の多くが、似たようなパターンでグローブを置く。疫病神の自覚がある俺は、代々木第二体育館ではなく、テレビ桟敷でリナレスの試合を観戦することにした。
 
 ベネズエラ人のリナレスは帝拳で技術を磨き、世界に飛翔した。24歳の若さで2階級制覇(WBCフェザー級、Sフェザー級)と世界にその名を轟かせる。ゴールデンボーイ・プロモーション(デラホーヤ代表)との契約は、野球に例えればヤンキースの一員になるようなものだ。

 契約当日、リナレスは促されて壇上に立った。現地アメリカやスペイン語圏の記者を前に、リナレスは日本語で帝拳関係者への感謝を滔々と語り始めた。壇から降りようとすると笑いが起き、デラホーヤが「通訳を」と声を掛ける。

 上記の本田と森本、イチローと松井など世界で活躍するアスリートは少なくないが、リナレスの〝日本人度〟は誰より高い。端正な顔立ちに武士(もののふ)の風情が滲み、書道が趣味という。求道的でストイックな帝拳の雰囲気も大きいが、礼儀正しく謙虚な〝日本人〟になり過ぎたことが、今回はマイナスに作用したのではないか。

 2年8カ月ぶりかつ国内最終戦、凱旋でもあり輝かしい未来を祝福する壮行試合……パウンド・フォー・パウンド(階級を超えた最強ボクサー)に向けたステップとして絶対負けられない試合に向かうリナレスは、重圧のせいか普段より蒼白く見えた。ゴングが鳴って1分13秒後、悪い予感は的中する。俺だけでなく、日本中のボクシングファンは凍り付いて、言葉を失くしたはずだ。

 挫折を味わったゴールデンボーイ2世が、元祖ゴールデンボーイ(デラホーヤ)の下で再起し、ボクシングだけでなく失われた日本人の美徳をアピールしてくれることを願っている。



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左翼と右翼の境界線とは?~ゲバラの命日に寄せて

2009-10-09 03:58:40 | 社会、政治
 別稿(8月13日)で「左翼、右翼について自分なりにまとめたい」と記してから2カ月……。ゲバラの命日(9日)を機に、遅ればせながら〝夏休みの宿題〟を提出することにする。

 歴史学者でも政治学者でもない俺にとって、無謀としか言いようのないテーマである。付け焼き刃で<左翼=ゲバラ、右翼=三島由紀夫>というリトマス紙を用意して検査した。設定レベルが高過ぎたせいか、世間で左翼あるいは右翼に分類されている人たちの殆どがフェイク(偽物)という結果が出る。

 まずは左翼から。ゲバラが示したのは、①形(権力、主義)に囚われないこと、②弱者や大衆の目線で平等と自由を説くこと、③身体を通して理念を表現する姿勢だった。革新政党幹部や組合指導者の左翼性を①~③に照らしてみると、仮面の下から別の貌が現れてくる。

 学生だった頃、「○○主義なんて意味はない。資質が人間の行動を決めるのではないか」と左翼を自任する友人に話した。彼は烈火の如く怒り、俺に<プラグマティスト>のレッテルを貼った。あれから30年、俺の直感は正しかったのではないか。

 旧ソ連の共産党幹部が日本に生まれていたら、自民党保守派の一翼を担ったかもしれない。ベルリンの壁を壊した活動家がアメリカに生まれていたら、反グローバリズムの闘士として体制に「ノー」を叫んでいても不思議はない。

 話は戻るが、貧困が増大する今の日本に〝左翼のシンボル〟は存在しない。左翼知識人はまさに絶滅種で、辺見庸、佐高信の両氏が最前線か。旧左翼も新左翼も衰退した焼け野原で、しがらみから自由な〝新々左翼〟が産声を上げる日を待つしかない。

 一方の右翼だが、三島を基準にすると合格はたやすくない。最低条件は日本文化への深い理解だが、右翼に分類されがちな小泉純一郎元首相、石原慎太郎東京都知事は果たして……。

 数年前、排外主義的ナショナリズムがこの国を覆った。相手国(中国と韓国)でも同様の機運が高まり、ネット上で対峙する。刃は国内にも向けられ、当ブログも〝反日的〟と攻撃を受けた時期があった。

 排外主義的ナショナリストから熱烈に支持された小泉氏と石原氏には、共通点が幾つかある。小泉氏は文化勲章廃止論者であり、石原氏は野坂昭如氏との対談で「皇室に対する敬意はない」と言い切っていた。小泉氏は横須賀生まれのアメリカンで、石原氏は選民意識が強い。ともに右翼と相容れない徹底した個人主義者で、皇室に傾倒した三島とは大きな違いがある。

 三島に排外主義的発想はなかったが、当然の道筋として、日本の文化と伝統を破壊するアメリカを敵視する。衣鉢を継いだ新右翼(一水会など)が反米愛国を掲げるのは当然の成り行きだ。

 〝本籍アメリカ〟や〝排外主義〟が目立つ右派知識人の中でまともに映るのは西部邁氏だ。<何かを絶対的に信じることに疑念を抱き、形あるもの(理論)より目に見えぬもの(情念)に価値を見いだす>という氏のスタンスに共感を覚える。そのうち右翼に転向しようかな。いや、〝ゲバラ標準〟なら、俺が左翼であった時間など一秒もないことになるのだが……。


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「上意討ち 拝領妻始末」~様式美から滲む愛の賛歌

2009-10-06 00:05:34 | 映画、ドラマ
 「空気人形」(業田良家原作、是枝裕和監督)を見るため新宿のシネコンに足を運んだものの、ソールドアウト。1日(映画の日)であること失念していた。

 テーマは飛んだが、代わりを準備していなければブロガー失格だ。今回は一昨日(4日)が14回目の命日だった小林正樹監督の「上意討ち 拝領妻始末」(67年)について記したい。

 小林正樹といっても、「東京裁判」(83年)ぐらいしかご存じないかもしれないが、作品の質では黒沢、小津、溝口の3大巨匠に匹敵する。「人間の條件 完結篇」(61年)から本作まで5作連続して国際映画祭で受賞するなど、内外で評価の高い監督だった。本作も小林独特の様式美に貫かれており、格調の高さと緊張感が全編に漂っている。

 1960年代、幕藩体制を背景にした作品が多く制作された。高度成長期、次第に比重を増していく会社の在り様を、藩に置き換え描くという試みだったようだ。本作にも〝サラリーマン物語〟の側面はあるが、封建社会において<職場の論理>は苛烈な形で表れる。

  ご覧になる機会は少ないと思うので、ストーリーを普段より詳細に記すことにする。

 会津松平藩士の笹原伊三郎(三船敏郎)は養子ゆえ、鬼妻の尻に敷かれて鬱々たる日々を送る〝公務員〟だ。親友の浅野帯刀(仲代達矢)は伊三郎と藩で一、二を争う武芸者で、三船と仲代が冒頭に揃うと、いやでも「椿三十郎」を思い出してしまう。

 笹原家に青天の霹靂の事態が持ち上がる。藩主の側室で男児までもうけたいちの方(司葉子)を、伊三郎の長男与五郎(加藤剛)に嫁がせよという<上意>だ。スタートはバラ色ではなかったが、与五郎といちは互いを包むような睦まじい夫婦となり、1女をもうける。そこで再び、悲劇が襲う。嫡子の急死でいちの子が世継ぎとなり、更なる<上意>でいちは大奥へと連れ戻されるのだ。

 録画しておいた本作を30年ぶりに見た。<非人間的な仕組みに弄ばれる一家の物語>という記憶より、ポジティヴな色合いが濃い作品だった。死を賭して愛を貫こうとする与五郎といちの決意に、伊三郎は感銘を受ける。「藩が何だ! 家督が何だ! そんなものより大切なものがある」……。愛の価値に気付いた伊三郎もまた愛に殉じ、理不尽かつ不条理な仕組みと戦う。

 本作を見て改めて感じたのは、武士道とは<上意下達、時に我が身を差し出しての奉公>とは無縁な、個々を律する倫理であるということだ。筋の通らない藩上層部の決め事を否定した伊三郎と帯刀は、個としての生き様、死に様としての武士道を体現している。

 本作はキネマ旬報1位に輝き、ヴェネチアでも評論家連盟賞を受賞した。だが、小林監督の最高傑作は、個人的には邦画史上ベスト3に入る「切腹」(65年)だ。オンエアされたら、当ブログで紹介したい。



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五輪、地震、競馬etc~秋の雑感あれこれ

2009-10-03 06:41:07 | 戯れ言
 2016年の五輪開催地が「シティ・オブ・ゴッド」の舞台、リオデジャネイロに決まった。世界有数の犯罪都市が7年後、貧困と格差をどこまで解決しているか注目したい。

 最初に脱落したシカゴはそもそもギャングの街で、腐敗した政治風土はつとに知られている。マドリード誘致の先頭に立ったサマランチ元IOC会長は、生まれ故郷バルセロナで強権を振るったファシストだ。東京開催について前稿で否定的に記したが、落選してみると他の候補よりましに思えてくるから不思議なものだ。

 サモア沖、スマトラと短期間に地震が相次いだ。俺にできるのはユニセフを通し募金することぐらいで、被災地救援の体制確立を願ってやまない。専門の部隊を国連に常設するのも一つの案だが、実現は難しそうだ。戦争や紛争は常任理事国が抱える兵器産業を潤すが、善意は商売にならないからだ。

 棋界の夏男、木村一基8段と山崎隆之7段が秋になって失速した。木村は3連勝後の4連敗で深浦王位に、山崎は3連敗で羽生王座に敗れ、ともに初タイトルはならなかった。とりわけ、あと1勝と迫りながら大逆転を食らった木村の心情は察して余りある。飄々と、時に自虐ギャグを交えながらの木村の解説に心が和むことしばしばだった。捲土重来に期待する。

 ミューズの5thアルバム「レジスタンス」が欧州主要国など16のナショナルチャートを制覇し、アメリカでも3位を記録する。ラディカルにシフトしながらグローバルに認知されたことは長年のファンとして感慨無量だが、最大のサプライズは韓国で1位を獲得したことだ。

 多くの欧米主要フェスでヘッドライナーを務めたミューズだが、日本ではフランツ・フェルディナンドやアークティック・モンキーズ以下の扱いだ。そのうちツアーもフェスも韓国だけで、日本は素通りなんてことにならないか心配だ。

 今週末から秋のGⅠシリーズが開幕するが、俺の最大の関心はPOGだ。昨年暮れに「競馬場の達人~岡田繁幸編」を見て、馬券へのスタンスが変わった。番組では、〝日本一の相馬眼〟であるマイネル軍団の総帥が札幌競馬場で、馬の形と血統を分析し、騎手の個性と展開を加味して馬券を購入する姿を追っていた。

 競馬全般への深い洞察、馬への愛情、社台への複雑な思いを滲ませる達人の語り口に感銘を覚えると同時に、惰性で馬券を買っている自分が恥ずかしくなった。その後、購入額は激減し、<知や理を超えた不可知のドラマ>を少額投資で楽しむようになった。

 さて、スプリンターズS。離婚を発表した田中裕二(爆笑問題)とくしくも本命が一致した。泣きっ面にハチは俺の常だが、芸能人は強い運を持っているはずで、傷心の田中を馬券が慰めても不思議はない。

 ◎⑤マルカフェニックス、○⑨ビービーガルダン、▲⑥グランプリエンゼルの3頭を軸に馬券を買う予定だ。田中の心情に乗るなら⑧アイルラヴァゲインとなるが、離婚は不幸と決めつけている俺は、まだまだ青いのかもしれない。



コメント (4)
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