酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ある男」~自分という迷路を彷徨するヒューマンミステリー

2022-11-27 18:28:20 | 映画、ドラマ
 俺はひねくれ者だから、〝国を挙げて〟なんて枕言葉には忌避感を抱いてしまう。とはいえ、W杯グループEの組み合わせには興味があった。ロシアのウクライナ侵攻で事情は変わったが、ドイツは脱原発に舵を切ったし、俺が属するグリーンズジャパンの友党である緑の党が大きな力を保持している。

 スペイン、とりわけバルセロナでは<コモン>を重視し、市民のための変革を実践している。コスタリカはアメリカの庭で非武装中立を掲げているのだ。かつて、<国が勝たなくてはならない戦いはサッカーではなく、民主主義を守り、国民の生活を安定させること>と記したことがあった。その点でいうとこの20年、日本の国力は衰退した。賃金は上がらず、民主主義も風前の灯で、国民はニヒリスティックに声をひそめている。反比例するように、サッカーは強くなった。

 文壇で活躍する作家たちは、日本の現状に厳しい視線を向け、多様性の尊重を作品に織り込んでいる。奧泉光、島田雅彦、池澤夏樹、星野智幸、中村文則、柳美里、多和田葉子、桐野夏生ら枚挙にいとまないが、平野啓一郎もそのひとりだ。平野が2018年に発表した「ある男」を映画化した作品(22年、石川慶監督)を新宿ピカデリーで見た。

 小説と映画ではポイント、構成に違いがあるのは当然だが、平野の問題意識と世界観がスクリーンに隅々にまで行き渡ったミステリーに仕上がっていた。キーワード、いや、キー絵画というべきは、原作でも言及され、映画の冒頭とラストに現れるルネ・マグリットの「複製禁止」だ。鏡の前に立つ男の顔でなく、背中が写っている構図が作品のベースになっていた。

 横浜で人権派弁護士として活動する城戸章良(妻夫木聡)の元に電話がかかってきた。城戸は宮崎に赴き、かつて離婚裁判を担当し、現在は実家で文具店を営む谷口里枝(安藤サクラ)に相談を持ち掛けられる。里枝は離婚後、絵が好きで、林産業会社で働いていた谷口大祐(窪田正孝)と結婚する。前夫との間に生まれた悠人に花を加え、4人家族で平穏な日々を送っていたが、大祐は不慮の事故で亡くなってしまう。

 旅館業を営む実家と疎遠だった大祐の一周忌に参列した兄恭一によって、遺影が大祐が別人であることを里枝は知らされる。<あなたの亡くなったご主人をXと呼ぶことにします>……。城戸は里枝にこう伝えた。谷口(X)は何者とすり替わっていたのか。唯一の手掛かりだったのはXが遺した絵だったが、城戸は戸籍売買で刑務所に収監されている小見浦(柄本明)に面会し、Xの正体に迫ろうとする。

 小見浦は城戸が在日であることを指摘する。城戸は日本国籍を取得した在日3世で、本作にもヘイトスピーチを報じるニュース映像が流れていた。小説では3・11の衝撃で、城戸の脳裏に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実が甦る記述がある。ラスト近くのスマホの画面で効果的に仄めかされていたが、城戸と妻香織(真木よう子)との間に隙間風が流れていた。小説で城戸は離婚も射程に入れていた。

 原作でも死刑廃止に向けた議論が織り込まれていたが、別稿で「死刑について」を紹介したように、平野の中で膨らんだ死刑廃止への思いが、映画で重要な意味を持っていた。Xの本名は原誠で、有望なボクサーだったが、死刑執行された殺人者の息子であることに苦しんでいた。

 谷口と原が抱えていたのは、絶望と慟哭、自身の痕跡を抹消したいという願いだった。谷口とXの調査に没頭する城戸に協力したのは、谷口の元恋人の美涼(清野菜名)だった。城戸→谷口→原のベクトルは遡行し、ピースの欠けたジグソーパズルがプリズムで乱反射して、城戸、谷口、原の虚実をも映し出していく。

 平野は「決壊」以降、<分人主義>に基づいて小説を著してきた。<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。「決壊」の主人公は<分人>が整合性を失くして破滅した。社会性がペーストされた「ある男」で谷口や原は別人格を獲得し、コミュニティーに浸透していく。

 過去は上書き可能なのか、人間は複製可能なのか……。城戸の懊悩がラストシーンで鮮明になる。バーで「複製禁止」の絵を前に、城戸が「僕は……」と語りかけたところでフェードアウトした。続く言葉は 城戸章良、谷口大祐、それとも原誠……。自分という迷路で城戸もまた彷徨する。余韻が去らないラストだった。

 平野は初期からSNSの功罪を追求し、<分人主義>を掲げ政治的なメッセージを発信しているが、真骨頂は愛を語ることだ。里枝一家の丁寧な絆の描き方に感銘を覚える。上記以外にも、眞島秀和、でんでん、きたろうらが良質なヒューマンミステリーを支えていた。
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「たまねこ、たまびと」~人と猫の理想的な距離とは

2022-11-22 21:54:50 | 映画、ドラマ
 羽生善治九段が挑戦者決定リーグ最終戦で豊島将之九段を破り、6連勝で藤井聡太王将(5冠)への挑戦を決めた。通算100期目のタイトルを目指す〝レジェンド〟羽生の復調ぶりは目覚ましい。将棋ファンは来年1月に切って落とされる夢の対決を心待ちにしている。一方の豊島は中盤で誤算があったが、最後まで粘った執念は称賛に値する。

 家の近くで三毛の野良猫ミーコに餌やりしていることを繰り返し記してきた。延べ10人以上のファンがいるが、大掛かりな工事が始まったことで本拠地が変わり、姿を見ない日が増えた。とりわけ熱心に気を配っている同世代の女性は「保護して飼いたい」と話していた。日を置いてミーコに会うと、「まだ飼われてなかったのか」と不安になる。

 尻尾を立てて「ニャー」と近づいてくるなど人懐っこいミーコだが、抱っこしようとすると身をよじって手をすり抜けていく。件の女性も手を焼いているかもしれない。冬が近づき、野良猫には厳しい日が待っている。幸せな〝飼い猫ライフ〟を願っているが、実現するだろうか。

 前稿で紹介した町田康は愛猫家で知られている。猫と人の絆を描いたドキュメンタリー「たまねこ、たまびと」(2022年、村上浩康監督)をポレポレ東中野で見た。タイトルの〝たま〟は多摩川で、当地に捨てられた猫とホームレスの絆が、写真家の小西修の視点で描かれていた。後半から妻の美智子さんが登場し、作品の2本の柱になる。

 野良猫とホームレスといえば、忘れ難い思い出がある。20年以上前、ウオーキングで哲学堂公園に足を運んでいた。仲間と思われたのか、野良猫に餌をやっているホームレスのおじさんに声を掛けられ、「これ、どうぞ」と用意していたドライフードを箱ごと渡したこともある。鳩や雀も集まる和やかな光景はある時、すべて消えていた。俺も花見シーズン以外、哲学堂を訪れることはなくなった。

 「たまねこ、たまびと」には哲学堂で体感した癒やしの空間が再現していた。人生の意味、他者、そして猫との接し方を問いかけてくる。小西は多摩川で野良猫の写真を撮り続けてきた。いや、野良猫というのは間違いで、その多くはホームレスの住まいで飼われている。ホームレスもささやかな収入を得ているが、自らの食費を削ってでも猫に餌をやる。小西は状況を知っているから、弁当などを頻繁に差し入れている。

 〝古巣〟多摩川で猫の世話をしているアパートの管理人も紹介されていた。多摩川で暮らす人々にはそれぞれの事情があり、捨て猫の多くは心身に傷を負っている。金属製の棒で殴られた痕が残っているケースもある。上記したミーコも抱っこは拒否するように、野良猫の多くはトラウマを抱えているのだ。人にも猫にも気遣いながら接する小西は、台風や大雨で姿を消したホームレスや猫の消息を追う。

 美智子さんは多摩川周辺の野良猫に20年以上、雨の日も風の日も餌を与え続け、外で暮らせないほど衰弱した猫は保護している。小西夫妻が接する猫たちの表情が哲学者然しているのを覚えた。ホームレスのおじさんに甘えて寄り添う猫、身を潜めて美智子さんを待つ猫に、人間と猫とのあるべき距離を見た。

 村上監督がゲストとしてトークしていたが、小西と美智子さんの関係について興味深い話をしていた。夫婦はともに猫愛を実践しているが独立独歩で、互いに干渉することはないという。今や猫ブームだが、アンチもいる。美智子さんは餌やりを咎められてもきちんと話をし、相手を説得している。彼女のような人たちが、猫ブームを支えているのだ。

 暇な俺は、Youtubeの動画を見る機会が多い。キュアーなど気になっているバンドの最新ライブ、将棋の解説、競馬予想サイトをチェックしているが、猫関連の多さに驚いた。元野良猫であれ、人気の猫種であれ、人に懐いていく様子は可愛いとしか言いようがない。子猫であれば尚更だ。でも、「たまねこ、たまびと」を見て、<猫を愛する意味>について考えてしまう。

 俺は小西夫妻のように、猫を普遍的に愛せないだろう。でも、飼っている猫だけは愛せるかもしれない。そんな俺が〝猫好き〟を自称することは出来るだろうか。作品中にも暴力を受けた猫が描かれていたが、村上の<もし自分がストレスを感じていたら、弱い者(猫)に暴力の刃を向けてしまうかもしれない>との言葉に説得力を覚える。俺の猫愛は発展途上だ。
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「権現の踊り子」~笑い、呆れ、叫び、身をよじりながら町田康を楽しんだ

2022-11-18 19:57:16 | 読書

 W杯開幕が迫ってきた。サッカーへの関心が薄れてきて、欧州CL、リーガ、プレミアを観戦する機会も減っている。選手についての知識もないし、どこが勝っても構わない……と言いつつ、1974年以来、48年間応援してきたオランダの優勝を密かに願っている。今回のチームは従来と異なり、守備型とのこと。グループリーグを1位で通過出来れば上位進出も可能だろう。

 ビッグクラブやUEFA関係者が危惧しているのは、若い世代のサッカー離れだ。例えば、イングランド……。若者はロックとサッカーに熱中というのは過去の話で、スマホとネットに時間を割く世代にとって、進化したプレミアはハードルが高く、のめり込めないとの声が上がっている。試合時間短縮、オフサイドルール緩和も検討されているが、効果はあるのだろうか。

 枕と関係ないが、今回は町田康著「権現の踊り子」(2003年、講談社文庫)の感想を記したい。町田作品を紹介するのは3年ぶり、7冊目(恐らく)になる。ツインピークスの「告白」と「宿屋めぐり」を、<21世紀の日本文学が到達した高みで、石川淳の「狂風記」彷彿させる土着的パワーに溢れている>と評したが、他の作品もパンクロッカーらしく、エッジの利いた鋭い言葉で、人間の業を切り刻んでいる。

 「権現の踊り子」は♯1「鶴の壺」、♯2「矢細君のストーン」、♯3「工夫(くふう)の減さん」、♯4「権現の踊り子」、♯5「ふくみ笑い」、♯6「逆水戸」の6編から成る短編集だ。整合性や予定調和を排し、積み重なった矛盾、欠落で主人公がバランスを失うというのが町田ワールドの景色だが、♯1~3までは破綻と下降を食い止めていた。

 町田の作品では〝連れ〟が登場し、主人公と馴れ合っているが、どこか噛み合っていない台詞は落語を彷彿させる。登場人物が自身の正義や信念にこだわって空回りするのも面白い。「工夫の減さん」の減さんは一応フォトグラファーだが、工夫することに命を懸けている。根底にあるのは金欠で、節約で生活を回しているが、飲み代で台無しになってしまう。ある意味、自分勝手な思い込みに殉じるのだ。

 タイトル作「権現の踊り子」に顕著だが、町田の作品には歌や踊りが頻繁に現れる。それも土着色が濃く、祝祭的なムードを醸している。そして主人公は、切り開くのではなく予測不能の世界に巻き込まれる。♯5「ふくみ笑い」は、<周りの連中が俺を嘲り陥れようとしている>という町田作品に典型的に表れる被害妄想、自嘲的なモノローグから世界は一変し、パラレルワールド、ヴァーチャルリアリティー、悪夢を超越したアヴァンギャルドなカタストロフィーへと突き進む。

 ……と、まともに論評しても仕方がない気もする。ページを繰りつつ、笑い、呆れ、叫び、身をよじるのが、町田との正しい付き合い方なのだ。町田の憤怒に共感し、偽悪的で自虐的な独白には親近感を覚える。そして、一瞬にせよ、仮初めの解放感を味わうことが出来るのだ。〝落語を彷彿させる〟と上記したが、ラストでは〝オチ〟を味わえることもある。

 ♯6「逆水戸」は「水戸黄門」のパロディーで、反権威、反骨精神、ユーモアに溢れている。登場人物はテレビドラマに即しているが、建前はどこへやら、揃って人間くさく、結末も真逆だ。「告白」の主人公は、「俺の思想と言葉が合一したとき俺は死ぬ」と口にしていたが、後半で「思想と言葉と世界がいま直列した」と感じる。色合いは違うが、本短編集にも、町田の基本姿勢が息づいていた。


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「犯罪都市 THE ROUNDUP」~マ・ドンソクの肉体のリアリティーにKOされる

2022-11-13 18:00:13 | 映画、ドラマ
 死刑制度廃止を願う俺は、葉梨康弘前法相が「(自らの職務は)死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」と複数回発言していたことに憤懣と絶望を覚えた。更迭された前法相は東大法学部卒、警察庁キャリア官僚の超エリートだが、見識の低さは日本会議、神道政治連盟、そして統一教会に紐付けされている。

 政治の劣化は日本だけではないが、先進国には〝ストッパー〟が存在する。民主党にとって悪材料が揃っていた米中間選挙で赤い波は起きず、上院は民主党が制した。トランプ前大統領が応援した候補の多くは質の悪さもあって落選する。<民主主義の危機>を憂えた穏健な共和党支持者が民主党候補に投票したことも、理由のひとつに挙げられている。

 母の検査の付き添いで帰省するなど忙しい1週間を過ごす。心身ともに疲れていた俺にとって、活力剤になる韓国映画を新宿で見た。「犯罪都市 THE ROUNDUP」(2022年、イ・サンヨン監督)である。前作「犯罪都市」に続いて主演を務めたマ・ドンソクはプロデューサーも兼任しており、実際に起きた事件について警察関係者に綿密な取材を重ねたという。

 本国で1200万人以上を動員したメガヒット作で、130カ国以上で公開予定される。日本でもリメークされるというが、マ・ドンソク演じるマ・ソクト刑事の存在感は空前絶後で規格外れだ。韓国映画を見ていると、〝どこかで見たことがある〟という既視感を覚えることが多いが、全身を筋肉の鎧が覆っている〝マブリー〟(マ・ドンソクの愛称)に匹敵する日本人俳優はいるだろうか。

 マブリーの比類なき存在感こそ本作の生命線で、リアリティーを支えている。ノンストッパブルな肉体の解放と愛嬌のアンビバレンツに、観客は惹かれ、カタルシスを覚えるのだ。マ刑事とチョン・イルマン班長(チェ・グイマン)は冒頭、ベトナム行きを命じられる。自白した犯罪者を韓国に移送するのが任務だった。

 2人は当初、物見遊山の気分だったが、当地の警察も巻き込む大事件に遭遇する。青年実業家が行方不明になったが、背景には韓国とベトナムの裏社会の繋がりがあった。暴走するマ刑事を止めようとするチョン班長だが、最初から手に負えないとは理解している。捜査の過程で実業家の遺体が発見された。

 本作のキャッチコピーは<最強VS最凶>だ。〝最強〟はもちろんマだが、〝最凶〟として煌めいていたのはカン・ヘサン(ソン・ソック)だ。メガヒット作にしては暴力シーンが多いが、冷酷非情な殺人を事もなげに実行するカンに重なったのは「ブラック・レイン」で松田優作が演じた佐藤だ。松田は「ブラック・レイン」公開直後、病で斃れたが、ソンは前途洋々だ。

 個性が対照的なマ刑事とチョン班長のやりとりはまさにバディで、衿川(クムチョン)警察強力班の3人のメンバーとのチームワークも決まっている。派手なカーチェースなどアクションも見どころ十分だ。第1弾でヤクザの頭目だったチャン・イス(パク・ジフォン)も、重要な役どころだ。マ刑事は破天荒だが、杓子定規ではない。

 理屈抜きのエンターテインメントを満喫した。第3弾もクランクインしているが、ソン・ソックを超えるような敵役、マ刑事を惑わすような悪女の登場を期待している。
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「地球にちりばめられて」~多和田葉子の創作の秘密に触れる

2022-11-08 22:56:03 | 読書
 NHK・BSで録画しておいたドキュメンタリー「広がる〝持続可能な交通〟-都市変革の最前線」(2022年、ドイツ制作)を見た。大気汚染、地球温暖化、スペース不足を解決に取り組むバルセロナ、ベルリン、パリ、コペンハーゲン、シンがポールの試みを取材したもので、共通するキーワードは<市民と車>で、通底しているのは<コモン>の価値の追求だ。

 <コモン>とは全ての市民にとっての共用財、公共財で、本番組で取り上げられた市民のスペースだけでなく、水道再公営化、食料、教育、エネルギー問題にも波及し、民主主義の本質を問うムーブメントになっている。とりわけ冒頭で紹介されたバルセロナでは、市民と行政が手を携えて改革を推進している。各市の具体的な取り組みは割愛するが、行政側の<哲学>と市民の側の<意思表示>に羨ましさを覚えた。

 本番組で取り上げられた〝サイクリストの街〟コペンハーゲンを起点にした小説を読了した。多和田葉子著「地球にちりばめられて」(18年、講談社文庫)である。多和田の作品にはいずれの場所でも疎外感を覚える旅人、散歩者が登場する。「地球に――」は6人の語りで構成されているが、基点ともいうべきHirukoは母国喪失者だ。「献灯使」では日本が放射能汚染を恐れる諸外国の意思で遮断されていたが、本作では日本が失われ、さらに日本人は性的能力が衰えているという設定だ。Hirukoは日本語を話せる者を探して欧州を漂流する。

 詩人でもあり、ドイツ語と日本語で小説を発表する多和田にとって、伝達の手段である言語はどのような意味を持っているのだろう。パンスカ(汎スカンジナビア語)を創出したHirukoは、ドイツ語、フランス語、英語と日本語を紡ぎ合わせて周囲と交遊する。Hirukoにとって最も大切な友人はデンマークの言語学者クヌートで、会話や語りに多和田の表現の秘密が隠れている。

 「雪の練習生」で、人間の手で育てられた熊の名前が「クヌート」だった。クヌートは他の動物と交流し、自身のアイデンティティーを探し始めたが、クヌートの元にゲイをカミングアウトしたミヒャエルが現れるという展開に本作は重なっている。インド人男性アカッシュはクヌートに愛を告白した。

 多様性を追求する多和田の精神が隅々に行き渡っている。Hirukoが英語を話さないのは、普遍語扱いされる英語がネイティブとして話されるアメリカは社会保険制度が整っていないから、送られることに不安を抱いているからだ。

 〝言葉遊び〟は多和田の作品にちりばめられている。「雲をつかむ話」の<飛んできたドイツ語が、わたしの脳の表面にぶつかった瞬間、ひらがなに変身した>というのが印象的だったが、本作では鮨もキーワードになっていた。エスキモー(イヌイット)のナヌークはテンゾという名の鮨職人で、言葉をなくしたSusanoは日本出身でナヌークの師匠でもある。幾重にも張り巡らされた多和田の仕掛けを全て解くなんて不可能だが、最後に6人の語り部が一堂に会する。個人的にナヌークに奨学金を提供していたクヌートの母までもが引き寄せられたのだ。

 お開きになった大団円は次なる旅へのスタート地点だ。本作は三部作の始まりで先日、完成を見た。「星に仄めかされて」、「大陸諸島」の順で読んでいきたい。
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秋の雑感~パンサラッサ、先輩との再会、アストリッドとラファエル、火野&中野、日本沈没、マスク事件

2022-11-03 19:00:21 | 独り言
 天皇賞秋は前稿枕で推した③パンサラッサが鮮やかな逃げを披露し、2着に粘り込んだ。同馬、矢作芳人調教師、縁で結ばれた吉田豊騎手には「あっぱれ」と言いたい。矢作師は地方競馬からの転入組で、30歳の頃に起こした事件で調教師は無理と思われていた。14回目に合格(2004年)という雌伏の時代を経て、トップステープルに上り詰める。パンサラッサの次走は香港だ。ドバイの再現を期待している。

 ネタが尽きたので、雑感をダラダラ記すことにする。先週末、大学時代の先輩Kさんと数年ぶりに会った。ちなみにKさんは天皇賞でジャックドールを本命視していたが、4着に終わる。考え方の基本、文化全般など、現在の俺があるのはKさんのおかげで、ブログに綴った小説や映画の多くはKさんもチェック済みだった。

 60歳以上はテレビ世代。俺と同様、ドラマ好きのKさんに「アストリッドとラファエル」(フランス制作、NHK総合)を薦めておいた。第1シーズンは終了したが、第2シーズンは来年春に放送予定という。犯罪資料局に務める自閉症のアストリッドとラファエル警視のコンビが友情を紡ぎながら難事件を解決していく。知的でユーモアに溢れた刺激的な内容だ。

 定年まで勤めていた出版社の系列会社でフルに働いているKさんだが、心配になったのは健康面だ。俺のように定期的に検診を受けているわけではないが、血圧が160前後というのは驚きた。不健康な俺でも最近は120前後だから、かなりヤバい。受診を勧めておいた。

 部屋でゴロゴロ、チャンネルサーフィンしている俺は、「にっぽん縦断 こころ旅」(NHK・BSプレミアム)にハマっている。火野正平が視聴者の思い出の場所を自転車で回り、手紙を読むというのがお約束だが、緩さ、どこか懐かしい風景、人々やスタッフと火野とのざっくばらんなやりとりに心がまったり和んでしまう。

 「科捜研の女」の最新シリーズも悪くない。57歳の沢口靖子の輝きはいまだ褪せず……と勝手に思っている。麻雀で応援しているのは渡辺洋香プロ(最高位戦)で、50歳前後だがキュートさは変わらず、団体のリーグ戦ではトップクラスを維持している。更に、俺の年齢に相応しい〝アイドル〟を見つけた。50代半ばの〝通販の女王〟中野珠子で、地上波、BS、CSを問わずテレビショッピングでスタジオを仕切っている。1年前なら「視聴者を騙しやがって」とチャンネルを替えたはずだが、キャピキャピ発散する中野の眩さに見入ってしまうから困ったもんだ。

 <俺が消える前に、日本は壊れないでくれ>と記したことがあるが、願いは叶わないだろう。政治の劣化は<岸信介-安倍晋太郎-安倍晋三>の3代が主導してきた統一教会(勝共連合)と自民党の癒着からも明らかだ。憲法改正、夫婦別姓、LGBT問題……。戦前回帰を支えてきたのはカルト集団だった。

 そして円安だ。かつて経済通の友人に<円が高いということは、日本の国力の反映>と教わったことがある。だが、この20年、円の価値は45%ほど下落した。国力は衰え、時給もアジア各国に追いつかれ、年金の納付期限を65歳まで延長する案が検討されている。先日見た「TBS1930」では、円安で収入が目減りした外国人実習生が日本を見捨てる可能性に言及していた。

 同番組では、日銀の失策を嘲笑する海外のファンドマネジャーの声を紹介していた。出演した識者はイギリスやスウェーデンを例に挙げ、「なぜ日本人は怒らないのか」と話していた。怒りの刃は権力ではなく、生活保護受給者ら弱者に向けられている。前々稿で紹介した「死刑について」で著者の平野啓一郎は、<社会に渦巻く憎しみから優しさを軸に据えた共同体に日本を変えていくべき>と結論付けていた。だが現実は、弱者が自らより弱い者を打つ酷薄な社会になっている。日本沈没の危機が迫っている。

 羽生善治九段が王将戦挑戦者決定リーグで永瀬拓矢王座を破って5連勝とし、藤井聡太王将(5冠)に挑戦する可能性が高まった。「AIも悩むような激戦」と動画解説者が評していた。その羽生は<藤井5冠は一手の隙も見逃さない>と語っていたが、その通りのことが竜王戦第3局で起きた。広瀬章人九段が優勢を築いていたが、緩手を突かれた。微差を着実に広げ勝利に近づく〝藤井曲線〟に衝撃の進化のスピードが表れている。

 将棋界を揺るがす事件が起きた。A級順位戦で上記した対局者の永瀬の指摘により、佐藤天彦九段が反則負けになった。マスクを長時間外していたというのが理由だが、佐藤は不服申立書を提出して受理された。拙速な連盟の対応と対照的に、佐藤の申立書は理に適っている。

 俺みたいな出来損ないの社会人でも、<まずは両対局者に問題を指摘し、最初は注意にとどめて今後に備えるべき>と考えた。将棋ファンの大半は同意見だろう。さらに、決定に至った経緯が不透明だ。永瀬の〝師匠筋〟である鈴木大介常務理事、A級在籍で利害関係にある連盟会長の佐藤康光九段が協議した上とされるが、一般社会では通用しない。

 16年の将棋ソフト不正使用疑惑騒動で分裂の危機にあった将棋連盟を救ったのは、デビューから29連勝した藤井5冠だった。救世主はそう簡単に現れない。抜本的な改革に着手しないと、将棋界の上昇曲線は保てないだろう。
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