俺はひねくれ者だから、〝国を挙げて〟なんて枕言葉には忌避感を抱いてしまう。とはいえ、W杯グループEの組み合わせには興味があった。ロシアのウクライナ侵攻で事情は変わったが、ドイツは脱原発に舵を切ったし、俺が属するグリーンズジャパンの友党である緑の党が大きな力を保持している。
スペイン、とりわけバルセロナでは<コモン>を重視し、市民のための変革を実践している。コスタリカはアメリカの庭で非武装中立を掲げているのだ。かつて、<国が勝たなくてはならない戦いはサッカーではなく、民主主義を守り、国民の生活を安定させること>と記したことがあった。その点でいうとこの20年、日本の国力は衰退した。賃金は上がらず、民主主義も風前の灯で、国民はニヒリスティックに声をひそめている。反比例するように、サッカーは強くなった。
文壇で活躍する作家たちは、日本の現状に厳しい視線を向け、多様性の尊重を作品に織り込んでいる。奧泉光、島田雅彦、池澤夏樹、星野智幸、中村文則、柳美里、多和田葉子、桐野夏生ら枚挙にいとまないが、平野啓一郎もそのひとりだ。平野が2018年に発表した「ある男」を映画化した作品(22年、石川慶監督)を新宿ピカデリーで見た。
小説と映画ではポイント、構成に違いがあるのは当然だが、平野の問題意識と世界観がスクリーンに隅々にまで行き渡ったミステリーに仕上がっていた。キーワード、いや、キー絵画というべきは、原作でも言及され、映画の冒頭とラストに現れるルネ・マグリットの「複製禁止」だ。鏡の前に立つ男の顔でなく、背中が写っている構図が作品のベースになっていた。
横浜で人権派弁護士として活動する城戸章良(妻夫木聡)の元に電話がかかってきた。城戸は宮崎に赴き、かつて離婚裁判を担当し、現在は実家で文具店を営む谷口里枝(安藤サクラ)に相談を持ち掛けられる。里枝は離婚後、絵が好きで、林産業会社で働いていた谷口大祐(窪田正孝)と結婚する。前夫との間に生まれた悠人に花を加え、4人家族で平穏な日々を送っていたが、大祐は不慮の事故で亡くなってしまう。
旅館業を営む実家と疎遠だった大祐の一周忌に参列した兄恭一によって、遺影が大祐が別人であることを里枝は知らされる。<あなたの亡くなったご主人をXと呼ぶことにします>……。城戸は里枝にこう伝えた。谷口(X)は何者とすり替わっていたのか。唯一の手掛かりだったのはXが遺した絵だったが、城戸は戸籍売買で刑務所に収監されている小見浦(柄本明)に面会し、Xの正体に迫ろうとする。
小見浦は城戸が在日であることを指摘する。城戸は日本国籍を取得した在日3世で、本作にもヘイトスピーチを報じるニュース映像が流れていた。小説では3・11の衝撃で、城戸の脳裏に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実が甦る記述がある。ラスト近くのスマホの画面で効果的に仄めかされていたが、城戸と妻香織(真木よう子)との間に隙間風が流れていた。小説で城戸は離婚も射程に入れていた。
原作でも死刑廃止に向けた議論が織り込まれていたが、別稿で「死刑について」を紹介したように、平野の中で膨らんだ死刑廃止への思いが、映画で重要な意味を持っていた。Xの本名は原誠で、有望なボクサーだったが、死刑執行された殺人者の息子であることに苦しんでいた。
谷口と原が抱えていたのは、絶望と慟哭、自身の痕跡を抹消したいという願いだった。谷口とXの調査に没頭する城戸に協力したのは、谷口の元恋人の美涼(清野菜名)だった。城戸→谷口→原のベクトルは遡行し、ピースの欠けたジグソーパズルがプリズムで乱反射して、城戸、谷口、原の虚実をも映し出していく。
平野は「決壊」以降、<分人主義>に基づいて小説を著してきた。<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。「決壊」の主人公は<分人>が整合性を失くして破滅した。社会性がペーストされた「ある男」で谷口や原は別人格を獲得し、コミュニティーに浸透していく。
過去は上書き可能なのか、人間は複製可能なのか……。城戸の懊悩がラストシーンで鮮明になる。バーで「複製禁止」の絵を前に、城戸が「僕は……」と語りかけたところでフェードアウトした。続く言葉は 城戸章良、谷口大祐、それとも原誠……。自分という迷路で城戸もまた彷徨する。余韻が去らないラストだった。
平野は初期からSNSの功罪を追求し、<分人主義>を掲げ政治的なメッセージを発信しているが、真骨頂は愛を語ることだ。里枝一家の丁寧な絆の描き方に感銘を覚える。上記以外にも、眞島秀和、でんでん、きたろうらが良質なヒューマンミステリーを支えていた。
スペイン、とりわけバルセロナでは<コモン>を重視し、市民のための変革を実践している。コスタリカはアメリカの庭で非武装中立を掲げているのだ。かつて、<国が勝たなくてはならない戦いはサッカーではなく、民主主義を守り、国民の生活を安定させること>と記したことがあった。その点でいうとこの20年、日本の国力は衰退した。賃金は上がらず、民主主義も風前の灯で、国民はニヒリスティックに声をひそめている。反比例するように、サッカーは強くなった。
文壇で活躍する作家たちは、日本の現状に厳しい視線を向け、多様性の尊重を作品に織り込んでいる。奧泉光、島田雅彦、池澤夏樹、星野智幸、中村文則、柳美里、多和田葉子、桐野夏生ら枚挙にいとまないが、平野啓一郎もそのひとりだ。平野が2018年に発表した「ある男」を映画化した作品(22年、石川慶監督)を新宿ピカデリーで見た。
小説と映画ではポイント、構成に違いがあるのは当然だが、平野の問題意識と世界観がスクリーンに隅々にまで行き渡ったミステリーに仕上がっていた。キーワード、いや、キー絵画というべきは、原作でも言及され、映画の冒頭とラストに現れるルネ・マグリットの「複製禁止」だ。鏡の前に立つ男の顔でなく、背中が写っている構図が作品のベースになっていた。
横浜で人権派弁護士として活動する城戸章良(妻夫木聡)の元に電話がかかってきた。城戸は宮崎に赴き、かつて離婚裁判を担当し、現在は実家で文具店を営む谷口里枝(安藤サクラ)に相談を持ち掛けられる。里枝は離婚後、絵が好きで、林産業会社で働いていた谷口大祐(窪田正孝)と結婚する。前夫との間に生まれた悠人に花を加え、4人家族で平穏な日々を送っていたが、大祐は不慮の事故で亡くなってしまう。
旅館業を営む実家と疎遠だった大祐の一周忌に参列した兄恭一によって、遺影が大祐が別人であることを里枝は知らされる。<あなたの亡くなったご主人をXと呼ぶことにします>……。城戸は里枝にこう伝えた。谷口(X)は何者とすり替わっていたのか。唯一の手掛かりだったのはXが遺した絵だったが、城戸は戸籍売買で刑務所に収監されている小見浦(柄本明)に面会し、Xの正体に迫ろうとする。
小見浦は城戸が在日であることを指摘する。城戸は日本国籍を取得した在日3世で、本作にもヘイトスピーチを報じるニュース映像が流れていた。小説では3・11の衝撃で、城戸の脳裏に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実が甦る記述がある。ラスト近くのスマホの画面で効果的に仄めかされていたが、城戸と妻香織(真木よう子)との間に隙間風が流れていた。小説で城戸は離婚も射程に入れていた。
原作でも死刑廃止に向けた議論が織り込まれていたが、別稿で「死刑について」を紹介したように、平野の中で膨らんだ死刑廃止への思いが、映画で重要な意味を持っていた。Xの本名は原誠で、有望なボクサーだったが、死刑執行された殺人者の息子であることに苦しんでいた。
谷口と原が抱えていたのは、絶望と慟哭、自身の痕跡を抹消したいという願いだった。谷口とXの調査に没頭する城戸に協力したのは、谷口の元恋人の美涼(清野菜名)だった。城戸→谷口→原のベクトルは遡行し、ピースの欠けたジグソーパズルがプリズムで乱反射して、城戸、谷口、原の虚実をも映し出していく。
平野は「決壊」以降、<分人主義>に基づいて小説を著してきた。<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。「決壊」の主人公は<分人>が整合性を失くして破滅した。社会性がペーストされた「ある男」で谷口や原は別人格を獲得し、コミュニティーに浸透していく。
過去は上書き可能なのか、人間は複製可能なのか……。城戸の懊悩がラストシーンで鮮明になる。バーで「複製禁止」の絵を前に、城戸が「僕は……」と語りかけたところでフェードアウトした。続く言葉は 城戸章良、谷口大祐、それとも原誠……。自分という迷路で城戸もまた彷徨する。余韻が去らないラストだった。
平野は初期からSNSの功罪を追求し、<分人主義>を掲げ政治的なメッセージを発信しているが、真骨頂は愛を語ることだ。里枝一家の丁寧な絆の描き方に感銘を覚える。上記以外にも、眞島秀和、でんでん、きたろうらが良質なヒューマンミステリーを支えていた。