酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「デモクラシーNOW!」が暴くオバマの真実

2008-11-30 00:49:29 | 社会、政治
 「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の医療費を何で私が払うんだ」……。国民皆保険の精神を理解できない麻生首相にはあきれ果てた。選挙の洗礼を受けずに首相が次々に交代する事態は、明らかに民主主義の原則に反している。

 インドのムンバイで多くの人命が奪われた。国内におけるイスラム教徒の厳しい現実、カシミールでの分離独立の動き、信じ難い格差が背景にあるとはいえ、暴力で言論を封殺するテロは民主主義と対極に位置する。

 この秋、民主主義について考える上でヒントになる番組(朝日ニュースター)を発見した。米独立系テレビ局が制作する「デモクラシーNOW!」で、3カ月のタイムラグがある。英国を代表する女性ジャーナリスト、エイミー・グッドマン氏を進行役に、自由闊達な議論が展開される。

 11月下旬に放映された♯73が興味深かった。著書「あなたは大統領になれない」で2大政党制の虚妄を突いたジョン・マッカーサー氏は、「誰でも大統領になれるという一般通念は、米国に大衆民主主義が存在するという国民的妄想を助長する」と大統領選の狂騒を切り捨てる。溯上に載せられたのはオバマ次期大統領だった。

 シカゴ民主党幹部の意を受け、最低賃金引き上げに反対したこと。イラク撤退を訴えて予備選を勝ち抜いた民主党候補を応援しなかったこと。グローバル経済の推進者であるルービン氏(クリントン政権の財務長官)と繋がりが深いこと。集めた政治資金(300億円)のうち、ゴールマンサックス、リーマンブラザーズ、シティーグループからの献金が目立つこと……。

 マッカーサー氏はオバマ氏の問題点を挙げるだけでなく、クリントン夫妻の悪行も暴いていく。民主党で<草の根候補>に相応しかったのはオバマ氏ではなく、前回(04年)立候補したディーン氏だった。クリントン前大統領は次回(08年)のヒラリー擁立に向け、陰湿な工作を仕掛けてディーン候補を潰した。

 ゲーツ国防長官は留任し、ヒラリーは国務長官就任を要請されている。マッカーサー氏の危惧は現実になりつつあるのではないか。一方でオバマ氏の暗殺を心配する声もある。ニューディールのような社民的政策や軍事費削減を掲げたら、タニマチは黙っていまい。白人至上主義者を実行者に仕立て、陰でほくそ笑むはずだ。
 
 日本では「DAYSJAPAN」が孤軍奮闘しているが、「デモクラシーNOW!」はメディア寡占化が進むアメリカで防波堤の役割を果たしている。資本の軛から解き放たれた内外のジャーナリストたちに、今後も注目していきたい。

 前々稿、前稿で闘病中の妹について記したところ、メールや当ブログのコメント欄に多くのお見舞いの言葉をいただいた。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。 



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紅葉の京都にてPART2~波乱の1週間に感じたこと

2008-11-27 00:26:19 | 戯れ言
 「えらい持ち上げてくれたな。面映いわ」
 「死ぬかもしれんと思うてたから。死んだら誰でもええ人になるんや」

 一昨日(25日)の俺と妹との会話である。19日には年内もつかという病状だったが、酸素マスク着用時間も減り、病院食を取れるようになった。母と妹の夢については前稿で記したが、理知を超えた力が働いたのかもしれない。

 腎臓内科、呼吸器、泌尿器、膠原病の専門医と研修医から成る医療チーム、献身的な看護師さんたち、妹を見舞ってくれた親戚や知人の皆さまに、この場を借りて感謝の気持ちを述べたい。入れ代わり立ち代わり病室を訪ねる担当医や看護師さんが総じて美人に見えた。志の高さや誠実さがオーラになって、彼女たちの全身からこぼれているせいだろう。

 妹の快復を喜ぶと同時に、「医師は社会的常識が欠けた人が多い」との麻生首相の発言に腹立たしさを覚えた。医療現場を荒廃させ、国民皆保険の存続を危うくしたのは政治の責任だ。<最も社会的常識が欠けた人が多い>のは永田町ではないか。強欲、冷酷、虚言、大言壮語、付和雷同、二枚舌、面従腹背、健忘症の輩が蠢いていることは首相自身、十分承知しているはずだ。

 俺がしがみついているマスコミ関連も、傲岸、非礼、曲学阿世の<非常識人の集合体>だ。格差が最大の業界で、欧州で制度化されている<同一労働/同一賃金>には断固反対するはずだ。辺見庸氏が大手マスコミ記者を<背広を着た糞バエ>と罵倒したのは正鵠を射ている。

 小泉毅容疑者の行為は許せないが、メディアはなぜ肉親にマイクを向けるのか。父子といっても別人格で、没交渉で暮らしている以上、カメラを回さないのが良識だ。人権を当たり前のように蹂躙するメディアに怒りを覚える。俺だっていつ不始末をしでかすかわからない。そんな時は<糞バエ>を無視するよう母に話しておいた。

 妹を見舞う途中、嵯峨嵐山駅で下り、渡月橋⇒宝厳院⇒天龍寺⇒常寂光寺⇒祇王寺のありきたりのコースを散策した。紅葉は人の心を和ませるというが、人口密度の高い真昼間では風景と感応するのは難しい。次回は早朝もしくは夕暮れに嵯峨野を訪ねるか、穴場(実家近く)でひっそり楽しむことにする。

 ジェットコースターに乗っていたような1週間だった。少し安堵しているが、妹の病気は完治しないし、楽観できる状況ではない。一日も早く日常生活に復帰できるよう心から祈っている。





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紅葉の京都にてPART1~病と闘う妹を見舞う

2008-11-24 10:44:59 | 戯れ言
 先日(19日)、馴染みの床屋で店主とロック談議に花を咲かせていた。ザ・フー来日公演の感想を話していると、義弟から電話が入る。潤んだ声が深刻さを表していた。妹の病状が急変したという。

 薬の服用で日常生活に支障はなかったが、妹は膠原病と闘っており、京都市内で検査入院中だった。帰省する旨を義弟に伝えて携帯を切ると、店内にフーの「ビハインド・ブルー・アイズ」が流れている。胸がむず痒くなり、外に出るや涙腺が決壊した。

 無信心の俺だが、妹の代わりにこの命を奪ってくれとひたすら神仏に祈った。本人から翌夕(20日)、「ましになった」と携帯メールが届き、驚くと同時に安堵する。輸血などの処置もあって熱が下がり、前日から持ち直したのだ。人望ある妹のこと、快復を願う人々の気持ちが天に通じたのかもしれない。

 22日まで入院中だった母もタクシーで駆け付け、妹に付き添ったという。京都駅から病院に直行したが、物々しい医療機器と酸素マスクを着けた妹の姿を目の当たりにして、涙がこぼれそうになった。

 酸素マスクのせいで話し声は聞きづらいが、妹の目は力に溢れていた。家族を守り、地域の活動もこなし、ピアノを教え、童話を書きためる……。積極的に生きる妹にとって、管にがんじからめの現状は歯がゆいだろうが、前向きな気持ちは失っていない。病と闘う姿は気高さに満ちていた。

 妹思いと映る俺だが、決して優しい人間ではない。妹に<正しく愛する力>が備わっているから、受けたものの幾許かを返しているだけだ。愛されないと悩む人もいる。俺も時々そんな思いに打ちひしがれるが、その原因は<正しく愛せない>自分自身にあると妹に教えられた。

 妹は20代前半まで大企業のOLで、異性から異様なほどモテていた。順風満帆の人生は、発病とともに暗転する。絶望の淵を体験したことで、若くして<正しく愛する力>を身に付けたのだろう。妹は下の世話を含めた祖母の介護も厭わなかった。周囲は感心したが、本人は当然のことと受け止めていた。

 母は18日夜、白いインコが自分の方に飛んでくる夢を見た。母にとって夢の中の白い鳥はいい知らせの前触れなのだが、待ち受けていたのは妹の急変だった。その妹は19日夜、熱にうなされながら亡き父の夢を見た。妹が近づくと父は悲しげな表情で立ち尽くしていたという。母の夢は結果として吉兆で、妹の夢は娘に三途の川を渡らせなかった父の決意の表れだと信じている。

 母と義弟の妹への愛の深さに、家族の絆、肉親の情に勝るものはないことを知る。東京砂漠の乾生動物たる俺の心も、人並みの湿度を取り戻した数日間だった。





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出でよ、21世紀のクラッシュ

2008-11-21 00:54:49 | 音楽
 病床に伏す妹を見舞うため、急きょ帰省する。今回は中1日の更新だが、次稿はいつになるかわからない。

 予告通りザ・クラッシュについて記したい。先日「ザ・クラッシュ・ライヴ/レヴォリュ-ション・ロック」(DVD)を購入した。ライヴ映像を中心にバンド史に迫ったドキュメンタリーである。82年2月、厚生年金会館の5列目で体感したパフォーマンスが、記憶の扉から飛び出してきた。

 ロックの未来について、当ブログで以下のように記した(07年12月11日)。

 反グローバリズムに立脚し、民族音楽とデジタルとの融合を追求するフェルミン・ムグルザ、グルーヴ・アルマダ、ジュノ・リアクターらの試みが浸透し、ロックを資本主義から解放する日を心待ちにしている……。

 この時、念頭にあったのはクラッシュだった。ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズは、バンド結成以前からジャマイカ移民のコミュニティーに出入りしていた。ロックバンドは換骨奪胎(=パクリ)が得意だが、レゲエの形式だけでなく精神まで取り込んだクラッシュは、ジャマイカ人が認めた唯一の白人バンドである。

 「ロンドン・コーリング」で世界規模の成功を手にしたクラッシュは、レコード会社の期待を意識的に裏切った。ニカラグア革命の担い手に因み、次作を「サンディニスタ」と名付ける。レゲエとダブに加え、スカ、ゴスベル、カリブソに、産声を上げたばかりのラップまで導入した革新的な3枚組は、メンバーの想定通り売れなかったが、コアなファンや次世代のロッカーから熱烈に支持された。

 本DVDには未収録だが、ミックが「食って、買って、死ね。それがアメリカだ」とアジった後、「ステイ・オア・ゴー」を歌う場面が記憶に残っている。反米と社会主義を掲げるバンドの姿勢は、マニック・ストリート・プリーチャーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに引き継がれた。

 二十数年前、渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)はDJを務める番組で、「クラッシュほどフォトジェニックな(見栄えのいい)バンドはない」と語っていた。当時はピンと来なかったが、本作を見て納得する。ステージでジョー、ミック、ポール・シムノンが織り成す角度、所作と表情の決まり方に、振付師を雇っていたのではと勘繰りたくなった。

 クラッシュはザ・フーの'82北米ツアーでオープニングアクトを務める。メンバーはフーの険悪な人間関係にあきれたようだが、“クラッシュ(崩壊)”したのはクラッシュの方だった。フーは活動停止後、召されたキース以外の3人で何度もツアーに出ている。クラッシュはといえば、ジョーとミックは和解したものの再結成はなかった。

 知的かつラディカルで、前衛であることを自らに課したクラッシュは、ハイパー資本主義のシステムに胡坐をかき、<ロックの魂>を腐らせている最近のメジャーバンドたちと対極に位置している。ジョーの没後6年、「出でよ、21世紀のクラッシュ」と心から叫びたい。


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ピートに借りを返した日~ザ・フー単独公演に寄せて 

2008-11-19 01:25:54 | 音楽
 閉塞した社会では、テロ、薬物、自殺、怪しい宗教が蔓延する。厚生事務次官経験者とその家族が襲われた。事件の早期解決を望むと同時に、政治家には停滞感を払拭する策を講じてもらいたい。解散総選挙も一つの案だと思うのだが……。

 さて、本題。16日(さいたまスーパーアリーナ)、17日(日本武道館)と、ザ・フー来日公演に足を運んだ。

 フルハウスの武道館では開演前に多くの観衆が立ち上がり、「ジーン・ジニー」(デヴィッド・ボウイ)に合わせて手拍子が起きる。ピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーが登場するや、観衆の興奮は最高潮に達した。日本での不遇の40年に終止符が打たれた瞬間だった。

 キース・ムーンは没後30年、ジョン・エントウィッスルは6年前に召されている。ピーク時のパフォーマンスは映像で接するしかないが、ピートとロジャーは4人のサポートメンバーとともに鋭く厚い音を弾き出していた。ドラムを叩いていたのは、キースの理解者だったリンゴ・スターの息子ザック・スターキーである。

 フーは昨年、グラストンベリー(世界最大のロックフェス)最終日にヘッドライナー(トリ)を務めた。史上最高のライブバンドは、多少くたびれても若者と伍していける。武道館でのロジャーは絶好調で、「愛の支配」では入りの部分で混乱したものの、カタルシスに溢れた“L~O~V~E”で締めていた。恐るべき64歳である。

 オープニングはデビュー曲「アイ・キャント・エクスプレイン」(65年)で、3曲目まで初期のナンバーが続く。ロジャーがマイクを回し、ピートが左手をグルグル振るたび大歓声が起きる。「フー・アー・ユー」、「ビハインド・ブルー・アイズ」、「シスター・ディスコ」、「5・15」、「無法の世界」、「マイ・ジェネレーション」と代表曲が次々に演奏される。

 楽曲の骨格がしっかりしていることをあらためて実感した。過剰な加工で芯がない最近のメジャーバンドの音と比べ、フーやストーンズの曲は素裸でも鑑賞に堪える。頑丈な骨をしなやかな筋肉が包んでいるのだ。 

 「ババ・オライリー」でピートが歌う“Don't cry, Don't raise your eye,it's only teenage wasteland”を他の観衆とともに合唱した。ロックとは実年齢と関係なく、“teenage wasteland”(10代の荒野)を彷徨う者の音楽である。青春時代の夢や煩悶が、詰め掛けた中高年ファンの胸に去来したに違いない。

 アンコールは「トミー」中心のセットだった。映画「ウッドストック」(70年)で感銘を受けた「シー・ミー・フィール・ミー」を38年後に生で聴けた幸せに浸っていた。<ピート=絶対的な父>、<ロジャー=反抗する息子>を演じてきた2人がラストで肩を組み歓呼に応える。葛藤と恩讐を超えた友情と信頼に胸が熱くなった。

 「CSI科学捜査班」の主題歌は、スピンオフを含めフーの楽曲で統一されている。<21世紀の最先端の科学>と<70年代のロック>は一見ミスマッチだが、制作サイドの洞察力に基づく決断だと思う。

 トラウマ、DV、自閉症、登校拒否、バーチャルリアリティーへの逃避、薬物依存、暴力への志向、マインドコントロール……。69年発表の「トミー」はその後の世界を予言するアルバムだった。フーが追求したのは<疎外からの解放>で、エリオットの影響が濃いピートの歌詞は若者の道標でもある。

 「フーを聴いて自殺を思いとどまりました」という内容の手紙が、思春期の少年たちからピートの元へ数多く届けられたという。82年の北米ツアーでは学校をサボって会場に駆けつけるキッズが続出し、社会問題になっている。かくいう俺も、フーには大きな借りがある。落ち込んだ時に「四重人格」をヘッドホンで聴くのが、20代の俺にとってのサイコセラピーだった。

 パンクという形式のルーツはアメリカだが、爆発したのは英国だ。フーはポール・ウェラー(ジャム)やジョン・ライドン(セックス・ピストルズ)らパンクスに慕われ、<パンクのゴッドファーザー>の称号を獲得する。来日公演に参加した若者の多くは、フーに影響を受けたパンク、パール・ジャム、オアシスを入り口に“御本家”に辿り着いたに違いない。

 フーについて書いていると止まらないから、この辺りで切り上げる。<ロックの革命家シリーズ>は3回でジ・エンドのはずだったが、延長することにした。次稿ではフーと因縁浅からぬクラッシュを取り上げる。

 フーと並び、日本で不遇なバンドといえばキュアーだ。フーは今回の来日で環境が一変した。キュアーの単独公演を心待ちにしている。



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パティ・スミスという名の永久磁石~色褪せぬパンクの女王

2008-11-16 01:17:38 | 音楽
 麻生首相の家庭教師役とされる人物が、田母神論文を絶賛している。偏った歴史観を植え付けたことは、麻生氏の失言(=本音)の数々からも明らかだが、漢字ドリルぐらい勉強させてほしかった。国民が首相の無学を笑うなんて、健全な状況とは言えないからだ。

 さて、本題。今回は予告通り、パティ・スミスについて記すことにする。

 パティは67年、著名な文化人との交際を夢見てニューヨークにやって来た。ボブ・ディラン、アンディ・ウォーホール、ダイアン・アーバス、ビートニクの詩人や作家、役者の卵、ボヘミアン、モーターサイクリストらNYに集う者が醸すスノップで先鋭的な雰囲気に刺激され、ミーハーだったパティも表現者を目指すようになる。

 ランボーを敬愛するパティは、詩人として地歩を固めていく。胎動するNYパンクに触発され、朗読会のバックでギターを弾くレニー・ケイとともにパティ・スミス・グループを結成する。「ホーセス」(75年)でデビューした時、パティは29歳だった。

 5年前、赤坂BLITZでパティ・スミスを見た。当時パティは57歳だったが、男を引きつけてやまない磁力はいささかも衰えていなかった。オーラとフェロモンが全身からこぼれ、詰め掛けた男どもは老いも若きも、<この人と一晩過ごせば人生が変わる>と感じたはずだ。普遍的な美人とはいえないが、ミック・ジャガーを女性にしてノミで彫ったら、野性と意志を秘めたパティの顔になる。
 
 先日、ドイツでのライブを収録したブートレッグDVD「パティ・スミス/ロックパラスト'79」を購入した。「ビコース・ザ・ナイト」(スプリングスティーンとの共作)など、4枚のアルバムから満遍なく選曲され、活動停止(翌80年)前の集大成といった内容になっている。

 <NYパンクの女王>がパティの定冠詞だが、クラッシュやジャムをパンク度を測る物差しにすると、違和感を覚えるかもしれない。「ロックパラスト」で感じたのは、パティがあらゆる音楽――ジャズ、ブルース、ロックンロール――に敬意を払っていることだ。精神はパンクでも、形式はオーソドックスなロックといえる。

 詩人としての評価が高いパティだが、声量あるボーカリストで唸るようなシャウトが印象的だ。ギターも弾くしクラリネットも吹く。もちろん踊るし、ステージで縄跳びまでしている。「マイ・ジェネレーション」で「ロックパラスト」を締めくくっていた。

 今日(16日)と明日、本家の「マイ・ジェネレーション」に触れることになる。次稿はもちろん、ザ・フーの来日公演リポートだ。

 最後に、エリザベス女王杯の予想を簡単に。◎⑮カワカミプリンセス、○⑬ベッラレイア、▲①レインダンス、△⑯リトルアマポーラ、△⑪ムードインディゴ。馬券は⑮1頭軸の3連単で<⑮・⑬><⑮・⑬・①・⑯・⑪><⑬・①・⑯・⑪>の計15点。


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甦った「ベルリン」~ルー・リードが描いた宿命の愛

2008-11-13 00:22:49 | 映画、ドラマ
 新自由主義は地に墜ちたが、爪跡から滲む血は止まらない。才能豊かな無名のロッカーたちが、世界のあちこちで叫んでいるはずだ。<レーベル=広告代理店=プロモーター=メディア>のビッグマネー環流システムに胡坐をかく飼い犬(メジャーバンド)の首を食いちぎらんとして……。

 ロックはこの半世紀、社会の動きにビビッドに反応し、抵抗をエネルギーに進化してきた。現在の状況でパンク、グランジ並みのムーブメントが起きないとしたら、それは<ロックの精神>の死を意味する。

 今稿から3回、ロックを変えた革命家たちを紹介する。先日「ルー・リード/ベルリン」(07年、ジュリアン・シュナーベル監督)をバウスシアター(吉祥寺)で見た。20年前、「キュアー・イン・オランジュ」を見た映画館である。

 余談だが、ルー・リードとキュアーはデヴィッド・ボウイを結び目に繋がっている。不遇だったルー・リードをサポートしたボウイは、ロバート・スミスが最も敬意を払うアーティストでもある。

 冒頭、<1973年、ルー・リードはアルバム「ベルリン」を発表。商業的に失敗に終わり、ライブでの演奏を封印した>というテロップが流れる。本作は発表後33年を経た「ベルリン」初演(06年、ニューヨーク)の模様を収めたドキュメンタリーだ。普遍的に楽しめる映画ではないし、お薦めするつもりもない。「ベルリン」が人生のサントラなんて、決して褒められたものじゃないからだ。

 俺もルー・リード同様、「ベルリン」を封印していた。80年代前半、UKニューウェーヴに交じって「ベルリン」も頻繁にターンテーブルに載せていたが、CD版購入(87年)後は全く聴いていない。暗い情念が溶け出るのを本能的に避けていたのだろう。

 一曲が終わると、次の曲のイントロが頭の中で奏でられている。20年のブランクを超え、アルバムの中身を完全に記憶していた。♯1「ベルリン」から♯2「レディ・デイ」に流れる瞬間に鳥肌が立ち、♯9「ベッド」に繰り返し現れる“And I said oh oh oh oh oh oh what a feeling”の歌詞を心でハミングするうち、涙が出そうになった。

 パフォーマンスとカットバックするのが、ストーリーに基づくイメージフィルムだ。「ベルリン」は主人公(アメリカ人の青年)、謎めいたキャロライン、ジムの三角関係を軸に進行する絶望、嫉妬、倒錯、哀しみに彩られた宿命の物語だ。弔鐘のような余韻とともに「悲しみの歌」で幕を閉じた後、アンコールで3曲披露される。そのうち2曲はベルベット・アンダーグラウンド時代の「キャンディ・セッズ」と「スイート・ジェーン」だった。

 ニコを加えたベルベッツの1st(67年発表)は、バナナのジャケットが有名なアンディ・ウォーホールのプロデュース作だが、アメリカ国内では発売後1年で数千枚しか売れなかったという。「宿命の女」、「毛皮のヴィーナス」、「ヘロイン」など同作収録曲に、「ベルリン」の断片が窺える。

 ルー・リードは限られた声域のモノローグで、奥深く赤裸々なメッセージを聴く者に伝える。ボブ・ディランとともに、ロックを文学の領域に高めた最大の功労者だ。若い頃は重症のジャンキーだったが、還暦を超えた今は健康そのものだ。ギターを弾く太い腕は筋トレの賜物だろう。
 
 最後に妄想を。「ベルリン」の人物設定は映画「キャバレー」(71年)に似ており、インスパイアされた部分もあったかもしれない。あれこれ詮索されることを嫌ったのも、封印の一つの理由ではないだろうか。

 ルー・リードとベルベッツは、イギー・ポップ&ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズとともにパンクの3大始祖だ。次回は直系のパティ・スミスについて記すことにする。
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雑感あれこれ~筑紫氏、オバマ、小室逮捕……

2008-11-10 00:13:42 | 戯れ言
 この10日あまり、いろいろなことが起きた。まとめて感想を記したい。

 まずは訃報から。筑紫哲也氏が亡くなった。TVキャスターとしての筑紫氏は、反骨と野性を封印した感は否めないが、一貫して直観力、バランス感覚、行動力に秀でたジャーナリストだった。冥福を祈りたい。

 西武がアウエーで連勝し、日本一の座に就いた。第6戦に岸、第7戦に石井一と涌井を投入した渡辺監督こそ、WBCで采配を振るう資格がある。台湾で3年間、選手兼コーチを経験したことが、人心掌握の術を学ぶ上でプラスになったはずだ。

 オバマ新大統領はF・ルーズベルトのニューディールを継承する可能性がある。新自由主義否定の流れは決定的で、<官から民・規制緩和・市場原理主義>をコーラスした“小泉合唱団”も今や解散状態だ。<良識と倫理に基づく資本主義>が世界の合言葉だが、大恐慌後にファシズムが勃興した1930年代を教訓に、対策を講じるべきだ。

 例えば、当時の日本。ハリウッド映画に親しみ、ベーブ・ルース一行を熱烈に歓迎した国民が、「鬼畜米英」を叫ぶのに10年もかからなかった。とかく日本人は洗脳されやすい。「日本は侵略国家ではなかった」という田母神前航空幕僚長の極論が、いつの間にか“国是”になる危険性もある。

 閉塞感に覆われた社会で大麻が浸透している。関東学院大ラグビー部の大麻栽培事件以降、関大生、法大生が摘発されたが、ここ数日、慶大生、同大生の逮捕が相次いだ。大麻は煙草より無害で、性感染症の蔓延の方が深刻という声もあるが、若者を食い物に利潤を得る組織が蠢いているなら問題だ。

 詐欺容疑で逮捕された小室哲哉は70年代、PANTAや白竜のバックミュージシャンを務めていた。青年小室の高い志が窺えるが、成功によって天動説の信者になったとしても不思議はない。芸術の価値は後々への影響によって測られる。ギネス級の売り上げを記録した小室だが、音楽は人々の記憶に残るだろうか。

 仕事先で思わぬ余禄に与った。書評掲載本のバーゲンセールで、「またの名をグレイス」(上下、マーガレット・アトウッド/岩波書店)、「21世紀の歴史」(ジャック・アタリ/作品社)、「悪刑事」(森巣博/徳間書店)を定価の1割強(1000円)で購入する。次回(3カ月後)が待ち遠しい。

 Uターンを前提に話を進めていたインド旅行には参加できなくなった。残念でならないが、機会を改めて訪れたい。



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新作「4:13ドリーム」に寄せて~キュアーと過ごした30年

2008-11-07 01:00:29 | 音楽
 オバマ勝利、小室哲哉逮捕については、次稿で感想をまとめることにする。今回は小室と同い年(49歳)のロバート・スミス率いるキュアーについて記したい。

 「あんたが最後に聴いたポップミュージックは何? パール・ジャム、それともキュアー?」……。

 「ダイハード4・0」(07年)でハッカーの青年がマクレーン(ブルース・ウィルス)の趣味の古さをからかう台詞に、欧米でのキュアーの認知度の高さをあらためて認識できた。

 キュアーとの出会いは30年ほど前だ。輸入盤を購入したが、スカスカ、ぬるい、学生サークル的といった印象で、同時期デビューのジョイ・ディヴィジョンの方をひいきにしていた。就職したらロック卒業のはずが、元祖ニートで籠もりがちになり、キュアーとの距離は一気に縮まった。

 死に彩られた4th「ポルノグラフィ」(82年、初の国内盤)とポップな「日本人の囁き」(83年、日本企画盤)を、迷い猫と遊びながら日当たりの悪い部屋で聴いていた。アンビバレントなキュアーは、欝と躁を行き来する俺の心的風景と重なっていた。キュアーとは俺にとって、切なさに満ちた万華鏡であり、闇と光を操るプリズムでもあった。

 キュアーの新作「4:13ドリーム」を聴き、気分はあの頃にタイムスリップした。ギター2本にベース&ドラムというシンプルな構成で、6分台の♯1を除き、2分台2、3分台4、4分台6とコンパクトな曲が並んでいる。

 ♯2~♯4の軽やかな転調、ガレージロック風の♯6、メランコリックな♯7、切迫感に満ちた♯8、浮遊感を覚える♯9とクオリティーの高い曲が並んでいるが、初期のミニマル的志向を彷彿とさせる♯12“The Scream”が新鮮だった。最近のロックは、オーバープロデュースで芯のないタマネギみたいな音になっている。そんな風潮へのアンチテーゼなのか、ロバートは曲の骨格を浮き彫りにする手法を選んだ。

 キュアーは<ポストパンクの旗手>、<ニューウェーヴの中心バンド>、<オルタナの創始者>としてロック史にその名を刻む。UK勢以上にメタリカ、レッチリ、ナイン・インチ・ネイルズ、コーン、グリーン・デイらコアなUSバンドから支持されているが、神輿に乗らず自然体で活動を続けている。メイクを施すロバートは、自らをトリックスターと位置付けているのかもしれない。

 俺がロッカーの優劣を決める一つの基準は<サービス精神>だ。ロバートは恐らく嫌な奴だが、ファンへの愛情はニール・ヤング並みで、代表曲を網羅した3時間近いショーを平気でこなしている。悪魔憑きとも思えるロバートの声は、涸れることはないだろう。

 ライブでの実力を見せ付けたのが「キュアー・イン・オランジュ」(88年)だ。吉祥寺の映画館で2日にわたり計4度見た。完璧な演奏、お城という舞台装置、ライティングのコラボレーションが相まり、ロック史上NO・1のライブ映像と断言できる。「ショウ」(93年)ともどもVHSは廃盤だが、DVD化を心待ちにしている。


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大統領選を前に~「シッコ」が抉るアメリカの病理

2008-11-04 00:11:53 | 映画、ドラマ
 米大統領選が目前に迫った。政治の原則はよりましな選択の積み重ねだ。オバマ勝利を願ってはいるが、<まし>というのは意外に難しい。

 8年前はましな候補に思えたゴアだが、今では当時の敵と組んで原発を推進するなど、怪しい動きが目立っている。エイズ禍のアフリカに中国やブラジルが製造した安価な治療薬を輸出する計画にストップを掛けたのが、製薬メジャー代理人のゴアだった。<不都合な真実>には事欠かない人物である。

 さて、本題。WOWOWでマイケル・ムーアの最新作「シッコ」(07年)を見た。テーマはアメリカの医療問題で、シリアスなトーンにムーアらしいユーモアと皮肉が織り交ぜてある。ムーアは冒頭、アメリカに5000万の保険未加入者がいることを示しつつ、「本作は2億5000万の加入者のための映画」と念を押していた。

 アメリカには公的医療保険制度が存在しない。民間の保険会社が医師を雇い、手術や検査の妥当性をチェックするシステムはHMO(健康維持機構)と呼ばれている。利潤追求の<民>が公共の利益を重視するはずもない。医師たちは加入者の要求を却下するごとにサラリーが上がる<死に神>と化している。

 東京で先月、病院をたらい回しにされた妊婦が死亡したが、「シッコ」でも同様の悲劇を追っていた。高熱で苦しむ18カ月の娘を母親が搬送した病院は、加入する保険と契約外だった。診察を懇願する母親は門前払いを食らい、娘が保険会社指定の病院に運ばれた時、心肺停止状態だった。

 良心の呵責に苛まれた<死に神>から告発者が出たこともあり、国民皆保険制度導入の機運が高まる。先頭に立ったヒラリー・クリントンは、保険会社の飼い犬たち(上下院議員)に<社会主義者>のレッテルを貼られ、沈黙を余儀なくされる。後に業界と和解したヒラリーだが、当時のダメージを払拭できず、予備選でオバマに敗北した。

 上述の母娘だけでなく、ムーアは保険加入者の実情を詳らかにしていく。医療費がかさんで破産した裕福な共稼ぎ夫婦、<死に神>に診療を却下され夫をガンで亡くした女性、医療費を払えず貧民街に捨てられる患者たち……。「僕らは何者だ? これが僕らの国か? 入院費を支払えないからと市民をゴミ同然に歩道に捨てる国……」とムーアは自問自答する。

 アメリカのテレビ局は隣国カナダの保険制度を<社会主義的>と決めつけ、サービスと技術は最悪と攻撃する。真偽を確かめるためカナダを訪ねたムーアは、自国メディアがいかに権力者に管理されているかを痛感する。報道された内容は根も葉もない嘘っぱちだった。

 ムーアは引き続き英仏に渡り、医療制度をつぶさに調査する。両国ともカナダ同様、医療費は無料でサービスは行き届き、医師のモチベーションは極めて高い。英仏の識者はムーアに<国民皆保険制度こそ民主主義の基礎>と異口同音に説き、国民が隷属するアメリカの現状に批判的な姿勢を隠さなかった。

 <マジカル・ミステリー・ツアー>のラストは感動的だった。グラウンドゼロ復興に携わったにもかかわらず、正当な医療を拒まれた救助員たちも同行する。9・11容疑者が収容されるグアンタナモ基地前で、「我々にもアルカイダ並みの医療を」と抗議活動を行うはずだったが、実現しなかった。その足で仮想敵国キューバに入り、丁寧な治療を施される。母国の2400分の1の値段で服用薬を入手した女性は、感激と怒りで涙ぐんでいた。

 本作を資本主義独裁国の悲惨な出来事と嗤うわけにはいかない。小泉政権下で通過した「後期高齢者医療制度」は、米議会が03年に可決した「メディケア処方箋薬改革&近代化法」の精神を受け継いだものだ。

 他の先進国では<アメリカの常識は世界の非常識>だが、我が国は例外だ。「シッコ」が描いた現実が、そのまま日本の未来になったら……。想像するだけで背筋がひんやりする。



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