酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

過小評価された天才~左京が再び輝く夜は?

2005-11-29 04:14:33 | 読書

 小松左京といえば誰しも「日本沈没」(73年)を思い浮かべる。オイルショックの時期と重なり、400万部を超える大ベストセラーになった。俺もリアルタイムで読んだが、平板な印象が拭えず、他の作品に食指が動かなかった。

 再会は25年後(98年)である。「日本アパッチ族」の面白さに衝撃を受けた。折しもハルキ文庫から復刻版が発刊される。読み漁って実感したのは、作者の真骨頂が短中編ということ。以下に左京作品の特徴を挙げ、短編集「物体O」収録の作品を分類してみた。( )内は発表年である。

 A<時間(未来)をテーマにしたもの>…物体や精神が時空を超えて行き来するのはSFの常道だ。「お召し」(64年)に現れるパラレルワールドは、「漂流教室」(楳図かずお)に影響を与えたかもしれない。「終わりなき負債」(62年)では、ローン社会や遺伝子組み換えが当然のように描かれていた。

 B<シミュレーション>…個人や社会が想定外の事態にいかに対応するかが描かれている。「物体O」(64年)と「黴」(66年)がこのカテゴリーだ。自然科学全般から哲学、政治に至るまで、該博な知識と理解の深さが前提になっている。

 C<極大と極小の繋がり>…巨大な伽藍が一本の梁を抜いただけで崩壊する……。左京はこんなイメージに憑かれていたのかもしれない。極大と極小を結ぶ透明の糸は「物体O」と「黴」にも織り込まれていた。圧倒的なのが「彼方へ」(66年)のラストだ。膨張する宇宙に暮らす若者が、閉塞感や集団自殺を絡めて描かれていた。

 D<管理と本能の衝突>…意識や性欲まで管理された未来社会に風穴を開けるのが、反抗、欲望、ピュアーな愛といった人間的要素だ。「自然の呼ぶ声」(64年)、「五月の晴れた日に」(65年)、「袋小路」(70年)では、野性や感情の復活がテーマになっている。

 E<環境からの逆襲>…人類が自然からしっぺ返しを受けるというパターン。「牙の時代」と「静寂の通路」(ともに70年)がこの範疇だ。後者には携帯用コンピューターの端末、人工授精、代理妻 デレビ電話、性器整形、少子化問題が描かれている。

 F<ホラー>…得体の知れぬ存在に追い詰められる恐怖がテーマだ。「石」(64年)は異常に早熟の子供によって崩壊する家族の物語。

 掉尾を飾る「極冠作戦」(67年)には、あらゆる要素が盛り込まれている。舞台は「二度目のノア時代」を迎え、漂流する海上都市トウキョウだ。温室効果による地球温暖化、資源枯渇、地殻活動(地震)の頻発、中国の台頭、利潤追求で良識を潰すアメリカ、権力への盲従、知性の低下、追随外交など、タイムマシンで40年後を訪れたのでは訝るほど、今日的な問題が提示されている。若者を救世主に据えたのは、発表時(67年)の空気によるものか。

 「物体O」だけでなく、「時の顔」や「夜が明けたら」もクオリティーの高い短編集だ。一読すれば必ず、ストーリーテリングの妙、作者の洞察力と千里眼に驚かれるだろう。ベストセラー作家が世紀を超えた今、アンノウンな存在になっていることも、不思議に思われるかもしれない。
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「トーク・トゥ・ハー」~狂気もまた愛に渇く

2005-11-27 03:45:40 | 映画、ドラマ

 昨日(26日)未明、「朝まで生テレビ」を見た。少子化や非婚について、構造や制度とリンクして論じられていたが、事の本質は<愛の形>ではないだろうか。

 勤め人時代、女性が多い職場で「暴言」を吐き続けていた。最たるものは「女はサル」である。20~30代の女性が<階層・金・ルックス>で男を選ぶのは、<計算>ではなく、サルの群れで観察される<本能>そのものと感じたからだ。いわば先祖帰りだが、「目に見えるもの」を追求する社会で<愛の形>が変容するのは当然だと思う。

 前置きは長くなったが、今回はペドロ・アルモドバルの「トーク・トゥ・ハー」(02年)について記したい。看護師のベニグノとバレリーナのアリシア、ジャーナリストのマルコと女闘牛士のリディア……。2組の男女を軸にストーリーは進行する。ベニグノはアリシアに好意を抱き、ストーカー紛いに接近するが、思わぬ成り行きで願いが叶う。事故で植物状態になったアリシアが、勤務先のクリニックに入院したからだ。ベニグノはアリシアを献身的に介護し、日常の出来事や思いを語りかける。もちろん、アリシアは答えない。タイトルに込められた作者(脚本もアルモドバル)の意図が、ドラスティックな終盤部分で明かされていく。

 マルコは取材を通じて傷心のリディアと出会う。リディアはスタジアムで重傷を負い、昏睡状態でアリシアと同じクリニックに運ばれた。再会したマルコとベニグノは、時に反発しながら絆を強めていく。再び孤独に沈んだマルコは、旅先で悲しい知らせを受け、真実を探るためスペインに戻って来た……。

 オープニングでベニグノとマルコを隣り合わせで紹介し、ラストではエンドマーク後の愛の奇跡を仄めかせている。両方で用いられるバレエの舞台が印象的だ。官能的な映像にマッチした音楽、エピソードとして挿入されるサイレント映画の寓意など、繊細な気配りが隅々に行き渡っていた。

 アルモドバルは倫理観や常識を超越(=逸脱)している。「アタメ」(90年)では、精神病院を出た青年がポルノ女優を監禁して愛を得る。切り口がマイルドな「オール・アバウト・マイ・マザー」(99年)にも、売春、バイセクシュアル、エイズが背景に織り込まれていた。「あなたたちのお行儀のいい愛は贋物だよね」と、見る側の価値観を揺らして高笑いしているようだ。アルモドバルが描く<愛の形>は、「狂気」と「兇器」の刃でありながら、「許容」と「救済」の鞘をも用意している。設定の妙と洞察力に感嘆するしかない。

 本作を見て、愛に堪えるだけのパワーが自分に残っているのか試したくなった。ベニグノのように振る舞えば、確実に刑務所行きだけど……。

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JCターフ&ダート~予測不能を楽しむ祭典

2005-11-25 04:42:52 | 競馬

 まずはマイルCSの反省から。先週の「競馬予想TV!」で水上さんが、「デュランダルはスローペースでこその馬」と分析していた。俺のような半可通だと、<ハイペース=追い込み馬有利>と決め付けてしまう。競馬の奥深さをあらためて知ることができた。厳しい流れという読みは当たったが、バッサリ切った先行勢が2~5着と掲示板を占め、予想は完敗に終わった。

 今週はJCだ。外国馬の本気度や調子が掴めず、予想が難しいレースといえる。今回も名のある招待馬が揃った。バゴは凱旋門賞馬、ベタートークナウはBCカップターフを制しているが、いずれも昨年の実績で、近走は勢いが失せた気がする。04年の欧州年度代表馬ウィジャボードも一頓挫あったが、休んだ分、心身ともフレッシュな状態だ。ファロン確保も大きく、厩舎関係者の間で人馬の評価は極めて高い。牝馬というのも、最近のGⅠの傾向にピッタリだ。

 日本のエース格ゼンノロブロイだが、どうも釈然としない。有馬まで横山典のはずが、デザーモに乗り替わった。天皇賞でヘヴンリーロマンスに差し返されたのが、陣営のお気に召さなかったのかもしれない。横山典にとって痛いのは、天皇賞時のジョッキーシャッフルでハーツクライを手放したことだ。本格化の兆しが窺えるハーツにとって、東京2400㍍は最高の舞台といえる。鞍上ルメールが先週(マイルCSでハナ差2着)の雪辱を果たす可能性は十分だ。

 内々でレースを進めて粘り込みを図るアドマイヤジャパンを含め、横山典に因縁のある馬たちに注目する。天皇賞でお世話になったヘヴンリーも、「熟女の深情け」に期待して再度買うことにする。結論。◎⑯ハーツクライ、○⑥ウィジャボード、▲⑧ゼンノロブロイ、△④アドマイヤジャパン、注⑩ヘヴンリーロマンス。3連単は⑯1頭軸で<⑯・⑥・⑧><⑯・⑥・⑧><⑯・⑥・⑧・④・⑩>の14点。馬連は⑥⑯、⑧⑯、④⑯、⑩⑯に、牝馬同士の⑥⑩を加えた5点。

 JCダートは簡単に。外国勢は切ることにした。日本馬の力量をどうみるかだが、交流レースの比較が難しい。予想の「肝」を見いだせない以上、展開を読み、好位からレースを進めそうな馬を有力視する。◎⑭アジュディミツオー、○④ユートピア、▲⑪サカラート、△⑩カネヒキリ、注⑤タイムパラドックス。鞍上は印の順に、内田博、安藤勝、デットーリ、武豊、ペリエ……。実に豪華な顔ぶれではないか。馬券は⑭と④の2頭軸で3連複、3連単を買うつもりだ。

 JCターフ&ダートは、馬というより騎手の祭典って気がしてきた。どうせ馬券は当たらない。ならば、トップ騎手たちの駆け引きと豪腕に注目したい。

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21世紀へのボディーブロー~三島の死の意味

2005-11-23 03:04:30 | 社会、政治

 三島由紀夫の命日(25日)が2日後に迫っている。俺は当時(1970年)中学生で、三島の行為に異様さしか覚えなかった。その印象は、現在もさほど変わらない。三島の生涯は「予告された自死の記録」といえるだろう。最後の作品を「死」と定め、「奔馬」の主人公を敷衍してみせた。

 三島論で白眉なのが、清水昶氏による「荒野からの黙示」(80年)だ。清水氏は戦後を代表する詩人の一人である。三島は形にこだわったと氏は分析している。三島にとって美とは、形を帯びてこそ意味を持つ。究極の美に掲げたのが天皇だった。死とは肉体の死以外になく、殉死こそ至高の行為と考えた。ナショナリズムとは三島にとって、飛翔によって掴める崇高な理念だった。

 三島とは逆に、身を潜らせたのが石川淳だ。民衆の感性や情念の根に、柔らかなナショナリズムの核を見いだした。石川が「狂風記」を完結させたのは81歳の時である。埴谷雄高は「21世紀の作家は啓示によって死を表せばいい」と、三島の性急さを戒めていた。生き永らえていれば三島は79歳。いかなる「啓示」を伝えてくれたのか想像したくもなる。

 人は自分の尺度でしか他者を測れない。俺の物差しなど掌サイズで、三島を論じるなど不可能なのだが、逆もまた真だ。自己完結の回路に生きた三島は、他者を理解出来なかった。三島は全共闘が占拠する大学にも足を運んでいる。「最後の最後まで闘うぞ」「満腔の怒りをもって国家権力と対峙するぞ」といったアジ演説を、何度も耳にしたはずだ。「こいつら、俺と同じだ。体を張る(死ぬ)覚悟が出来ている」……。純粋な物差しの目盛りが、「革命前夜」と弾き出す。死の直前、自衛隊で飛ばしたゲキに、「幻想の革命」に追い立てられた三島の焦りが滲んでいる。

 キュアーやマニックスらUKロック勢には、日本文学に造詣の深い者が多いが、ストラングラーズも三島をモチーフに“Death&Night&Blood ”(「ブラック&ホワイト」収録、78年)を作っている。「あんたの頭は暴き立てられ、腐った思想はさらしものになっている」という辛辣な歌詞の通り、三島は政治的敗者と見做され、死の衝撃も風化していくかに思えた。だが、年を経るにつれ空気が変わってくる。

 「おまえたちは俺みたいに死ねるのか」というメッセージが、ジワジワ効いてきた。「答えがNOなら尻尾を巻け」と三島は言外に匂わせていたのだ。果たせるかな、団塊の世代は生活者として息を潜める。彼らが導いた日本はこの三十余年、見事なまでに保守化した。「脱亜入欧」に基づく排外主義的で空洞のナショナリズムが、そこかしこに芽吹いている。

 三島はあの世で、「おまえたちは駄目だったな。信じた俺がバカだった」と団塊の世代を笑っているに違いない。三島の死は左右を超え、あらゆる思想を無化させたボディーブローだったのだ。

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自由と規律~クラシコに見るアンビバレンツ

2005-11-21 06:07:22 | スポーツ

 20日未明から早朝にかけ、クラシコとアンダルシアダービーを楽しんだ。クラシコではバルセロナがレアル・マドリードを3対0で圧倒し、現在の充実ぶりを見せつけた。

 スペイン革命、ゲルニカ、ロルカ、ゴヤ、フラメンコ、ドン・キホーテ、闘牛、ガウディ、アランフェス協奏曲、アルモドバル、カタロニア賛歌……。とっかかりは何であれ、スペインに惹かれる者は多い。地中海の太陽の下、官能とアンニュイが息づく街に思いを馳せるが、スペインにはもう一つの顔がある。国民の大半は敬虔なカトリック教徒であり、フランコが死ぬまで生き永らえたファシスト国家だったのだ。

 <形あるもの=組織と規律>と<形のないもの=自由と情熱>……。スペインは二つのベクトルに引き裂かれた国である。市民戦争では反乱軍と共和国政府、リーガではレアルとバルサが、それぞれの精神を象徴している。互いのレーゾンデートル(存在理由)を懸けて衝突するのが、年に2回のクラシコなのだ。だが、<形あるもの>と<形のないもの>の相克は、スペインに限ったことではない。個人のレベルでも、誰だって心の内にアンビバレンツを抱えている。クラシコが世界最大級のイベントに成長したのも、スポーツを超えた普遍的なテーマを内在しているからだ。

 <勝利と威厳>の体現を義務付けられたのがレアルなら、<自由と抵抗>への志向を宿命付けられたのがバルサといえるだろう。俺はバルサを支持する。<形のないもの>を追求するのが人生の命題だし、オーウェル、キャパ、マルロー、クライフら、青年期に感銘を受けた者たちは、カタロニアと分かち難く結びついている。

 試合について簡単に。エトーのゴールで、アウエーのバルサにエンジンが掛かる。後半15分、31分とロナウジーニョがドリブル突破からゴールマウスを揺らすや、サンチャゴ・ベルナベウで拍手が起きた。レアルにとって屈辱的なシーンである。18歳のメッシの活躍は、バルサだけでなく、アルゼンチン代表にとっても大きな光明といえるだろう。

 クライフ以降、オランダとバルサの関係は深いが、現在の監督は選手時代、悪童のイメージが強かったライカールトだ。俺の中の「最強チーム」は、フリット、ライカールト、ファンバステンのオランダトライアングルを擁した時期のACミランだが、現在のバルサは「ドリームチーム」に近づきつつある。アヤックスのシステマティックな土壌で育ったライカールトだが、自主性を重視し、スペクタクルなサッカーを確立した。サッキの影響が濃く、独裁者として振る舞うファンバステン(オランダ代表監督)とは好対照だ。

 アンダルシアダービーは、ホームのセビリアが2人の退場者を出しながら、PKの1点でベティスを振り切った。同じ街(セビリア)同士、そこまでいがみ合わなくてもと思うのだが、チームとファンには増幅された憎しみが渦巻いている。

 代表の試合が耳目を集める日本と、クラシコやダービーマッチの方が熱狂を呼び起こすスペインとでは、事情が大きく異なる。サッカーもまた、文化や風土を測る物差しであることは間違いない。


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淀のマイルは「マーク屋」から

2005-11-19 01:09:33 | 競馬

 月1回放映される「武豊TV!」が待ち遠しい。トップジョッキーの視野の広さ、緻密な分析には驚くばかりで、若手騎手とのトークも楽しい。福永が番組内で、池添を「マーク屋」と命名していた。池添は自力駆けではなく、ペースメーカーを設定してレースを進めるタイプのようだが、マークする相手を見極めるのも能力のうちだ。相馬眼だけでなく、「相人眼」も試されるからである。

 マイルCSの主役は、その池添とデュランダルの「マーク屋コンビ」だ。V3なるかが注目されるが、確率は高いとみる。相手探しだが、2週前の登録時、3連単は<デュランダル―カンパニーの2頭軸>と決めていた。ところがカンパニーは、賞金順ではねられてしまう。多少気が抜けたので、リラックスして競輪風に楽しむことにする。

 逃げるのは横山典(ローエングリン)か。外からビッグプラネットが被せるかもしれないが、ローエンは完調手前、プラネットはスプリンター。共倒れの公算大だろう。ルメール(ダイワメジャー)と福永(ラインクラフト)の仕掛けを見て、武豊(アドマイヤマックス)とペリエ(ハットトリック)が動くだろう。ダンスインザムードは位置取りが難しい。前も後ろも気になるメンバー構成では、実績は認めても、掲示板がいっぱいとみた。

 一流騎手を軸に展開を整理すると、<横山典><ルメール・福永><武豊・ペリエ>といった感じか。脚を余すのは恥と考える外国人騎手、エアメアサイアに2度差された福永、デュランダルの凄さを知り尽くす武豊……。それぞれが勝利を求めて一呼吸、仕掛けを早めたら、レースは生き物、厳しい流れになるだろう。生き残ったハットトリックにデュランダルが襲いかかり、ゴール前でかわすというのが、俺の読みだ。

 展開面から、追い込み馬を有力視する。サイドワインダーは年齢(7歳)と乗り替わり、テレグノシスはコース適性と、それぞれ不安を抱えるのは承知の上だ。狙ってみたいのは大外アルビレオ。京都外回りのマイル戦は枠番の有利不利はなく、差し馬に向くコースだ。人気薄での一発を秘めた鞍上(岩田)と合わせて期待したい。

 結論。◎⑭デュランダル、○⑤ハットトリック、▲⑱アルビレオ、△⑬サイドワインダー、注⑮テレグノシス。3連単は⑭1頭軸で<⑭・⑤><⑭・⑤・⑱・⑬><⑤・⑱・⑬・⑮>の12点。馬連は⑤⑭、⑭⑱、⑬⑭、⑭⑮の4点。安全策の気もするが、秋GⅠシリーズをいい形で折り返したい。

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「死刑台のエレベーター」~シャープでクールなモノクロの刃

2005-11-17 00:22:10 | 映画、ドラマ

 シネフィル・イマジカで「死刑台のエレベーター」(57年)を見た。映画館やビデオを合わせ、数度目の観賞になる。「沈黙の世界」(56年)でクーストーとの共同監督を経験したルイ・マルは、本作で劇場映画デビューを果たす。ヌーベルバーグの旗手として、ゴダールとともに一世を風靡した。

 本作を何かに喩えるなら、中量級のボクシングだ。スタイリッシュで無駄がなく、軽やかなテンポで進行する。陰翳が際立つシャープな映像は、当時NO・1のカメラマン、アンリ・ドカエによるものだ。「マイルス、寒いよ」とは誰か(植草甚一氏?)の名言だが、マイルス・デイビスのクールなサントラも相俟って、切迫感はラストまで途切れない。

 ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。実業家のカララ、年が離れた美貌の妻フロランス(ジャンヌ・モロー)、カララを補佐する退役軍人のジュリアン(モーリス・ロネ)……。とくれば、お決まりのコースが設定される。道を外しているがゆえ純粋な愛が生まれ、「障害物」の排除が計画される。エレベーターの一夜が思わぬ事態を引き起こし、二つの殺人事件が交錯する。絡まった糸がほどけ、虎口を脱したかと思えた刹那、ドンデン返しが用意されていた。

 フランスは当時、インドシナ、アルジェリア、スエズの紛争当事国として悪名を馳せていた。戦争の醜さを「死の商人」カララに、無意味さを「インドシナの英雄」ジュリアンに仮託して、ストーリーに織り込んでいる。ドイツ人の実業家夫妻と無軌道なカップルが好対照に描かれていたが、背景にあるのは内外の政治状況だった。

 とりわけ記憶に残るのは、濡れねずみのフロランスがジュリアンを追い求め、夜の街を彷徨うシーンだ。マイルスの乾いたトランペットがフロランスの心象に寄り添って、見る者の心にも狂おしい波が寄せてくる。印象的なカットも数多くちりばめられていた。社長室の窓の外、手すりを歩いていた黒猫は、フロランスのイメージもしくは不吉な徴としてインサートされたのだろう。

 音楽と映像のコラボレーションは、ルイ・マルの他の作品でも試みられている。「恋人たち」ではブラームスを用い、刹那的な愛を描いていた。「鬼火」では絶望の淵にある男の心情に、サティのピアノを重ねていた。主演はそれぞれモローとロネである。一つ一つのシーンは秀逸でありながら、全体としてはムードに流された感が強く、俺の心に届かなかった。ルイ・マルでもう一作挙げるなら「地下鉄のザジ」だ。アナーキーで斬新な映像は公開当時(60年)、世界に衝撃を与えたことは想像に難くない。

 最後に、現在のフランスについて。人種差別を背景に暴動が頻発し、深刻な状況になっている。法に反した若者の保護者まで処罰対象になっており、サルコジ内相の不穏かつ強硬な発言も波紋を広げている。「自由の祖国」フランスが冠に相応しい内実を取り戻せるのか、今後の動向を注視したい。


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世界中で“Adios Amigo”~ラティノ・ヒートの死を悼む

2005-11-15 01:53:49 | スポーツ

 昨日(14日)夕、ヤフーのトップページにフリーズした。WWEのスーパースター、エディ・ゲレロ急逝の速報が載っていたからだ。

 ゲレロはメキシコのレスラー一家に生まれ、世界中で修行を積んだ。2代目ブラックタイガーとして新日マットにも上がっている。ルチャの変幻自在な空中殺法にグラウンドの攻防をミックスさせ、独特のスタイルを確立した。懐の深さで他の追随を許さぬ「ミスター・プロレス」といえるだろう。エディはエンターテイナーとしても秀でていた。ベビーフェイスとヒールの二元論でストーリーを進行させるのがアメプロの常だが、エディは第三のキャラを確立する。「ズルして、騙して、盗む」を掲げつつ、悪戯っぽさと愛嬌でファンに愛された。今年に入ると、エディはグレーゾーンに突入する。並の力量ではこなせないパラノイア、二重人格的キャラを見事に演じ切っていた。

 ビンス・マクマホン会長は目の肥えた興行主である。2㍍超の大男や筋肉マンだけでなく、スピードとテクニックを重視して小兵レスラーを登用している。95年以降の世界王者のうち、B・ハート、マイケルズ、ジェリコ、アングルは180㌢前後である。レッスルマニア04では、ともに170㌢そこそこのエディとベノワが戴冠した。ちなみにベノワも、新日で下積み時代を過ごしている。同時期(00年)にWWEに移籍した戦友が体格のハンディを克服し、晴れ舞台で夢を掴んだ。

 WWEトップ選手の訃報に接したのは、ここ数年で3度目だ。B・ピルマン(97年=薬物死?)、O・ハート(99年=転落死)と今回のエディだが、奇妙な符合がある。いずれもオースチンと浅からぬ因縁を抱えていたのだ。ピルマンはオースチンとのコンビ解消後、凄絶な抗争を展開する。マットに咲いた「悪の華」も、オースチンの毒にヤラれてスランプに陥った。ハートは掟破りの技でオースチンを欠場に追い込んだが、代償? に妻(デボラ)を奪われ、PPV放映中に非業の死を遂げる。オースチンが職場放棄したのは、エディとの抗争中だった。視聴率低迷打開の切り札としてオースチンが復帰するや、エディの死……。怪談めいているではないか。

 90年代後半、WCWはホーガン、フレアーらビッグネームを掻き集め、WWEにとどめを刺そうとしていた。だが、プロレス界にも桶狭間が起きる。オースチンはロックとミック・フォーリーを従え、勢力図を劇的に塗り変えた。俺が知る限り、この3人に迫る熱狂を呼び覚ましたのはエディである。03年からレッスルマニア04に至るまで、陽気な笑顔で声援を独り占めにしていた。

 エディの道のりは平坦ではなかった。交通事故で再起不能を囁かれた時期があった。薬物過剰摂取によるリタイアも経験している。栄光を手にしても、エディは内側に巨大な敵を抱えていた。エディの王座転落は、精神的負担を軽減するため、本人と上層部が協議した上で決定されたという。エディはファンを大切にし、自らの100%をマットで表現するよう努めてきた。だからこそ、想像を絶する重圧から自由になれなかったのか。享年38歳。“Adios Amigo”……。早過ぎる死を惜しむとともに、心から冥福を祈りたい。


訂正…恥ずかしい記憶違いに気付きました。ゲレロの世界王座獲得はレッスルマニアではなく、1カ月前のPPVでした。ベノワとともに歓呼に応えていたシーンが印象的だったので勘違いしてました。ベノワを祝福するためマットに登場したというのが、本当のところです(18日記)
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グラストンベリー05~最高峰のフェスを楽しむ

2005-11-13 02:59:55 | 音楽
 
 ハイロウズ活動停止の報が入ってきた。ブルーハーツ時代から日本のロックを牽引してきた甲本と真島に、まずは「お疲れさま」と言いたい。豪雨に見舞われた第1回フジロック、上半身裸で飛びはねる甲本に、不良外人たちが「イギー・ジャップ」と声を掛けていた。彼らを見たのは一度きりだが、懐かしい思い出である。

 さて、本題。「グラストンベリー・フェスティバル05」をスカパーで見た。フジロックが手本にした英国の野外フェスで、毎年6月下旬に開催される。規模といい、ラインアップといい、世界最大級のフェスだと思う。気になったアーティストを「老・中・青」にまとめて記したい。

 まずは同世代のじじいロッカーから。最初に登場するのがエルヴィス・コステロだ。初来日時、学生服でゲリラライブを敢行して警察に連行されていたが、今じゃすっかり円くなっている。ニュー・オーダーはジョイ・ディヴィジョン時代の「ラブ・ウィル・ティア・アス・アパート」が収録されていた。俺にとって大きな意味を持つ曲だが、聴衆のノリはいまひとつで、メンバーの表情に苛立ちが滲んでいた。対になる「ブルー・マンデー」は演奏したのだろうか?

 次は中堅。アッシュの変貌には驚いた。デビュー時のメランコリーと蒼さが消えている。試行錯誤の最中だろうが、再度のブレークを期待したい。プライマル・スクリームは憎たらしいほど完璧だ。Zepp東京でも感じたが、破綻のなさこそ唯一の欠点ではなかろうか。目玉というべきコールドプレイは、狂気、反抗、暴力といった要素と無縁なためか、画面を通して迫力が伝わってこない。対照的に毒を撒き散らしていたのがガービッジだ。「屑」というバンド名通り、チープな娼婦風のシャーリーが存在感を誇示していた。

 青年層の多くはニューウェーブ・リバイバルに括られる流行りの音だった。大人気のキラーズにしても、懐かしくて心地良いが、新鮮さや衝撃は感じない。インターポールのボーカルはイアン・カーティスの「黄泉がえり」だし、カサビアンはプライマル・スクリームの二番煎じではなかろうか。ホワイト・ストライプスには際立った個性があった。独特の歪みと始原的なリズムに、Tレックスの匂いが芬々と漂っている。粗削りなブロック・パーティーに、大化けの可能性を感じた。

 ミューズ、オアシス、モリッシー、PJハーベイ、スノウ・パトロールらがラインアップされていた昨年より落ちる気はしたが、旬のバンドの映像を楽しめた。来年以降も放映してほしい。

 最後に、リーズ留学中の後輩から届いたライブリポートを。Ordinary Boysはモッドパンク? の範疇らしいが、パフォーマンスの質も高く、広い年齢層の野郎どもに支持されているようだ。好ルックスのRoosterには黄色い歓声が飛び交ったが、ギグの中身は発展途上の印象が濃かったという。ともに大学構内で行われ、料金は2500円前後(学割)というから格安だ。ロックが文化として生活に根を下ろしていることが、行間から窺えた。羨ましい限りである。

 <追記> ここんとこ音楽誌を読まないのでロック事情に疎かったが、ブロック・パーティーが既にブレークしていたことが、更新後に判明。大化け中ってとこか。

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星が消えた女王杯~闇夜の手探り予想

2005-11-11 12:24:35 | 競馬

 秋GⅠ予想は4戦3勝と、気味が悪いほど好調だ。天皇賞はブログに書いた馬連だけでなく、単勝も追加して買っていたから、実入りはそこそこ大きかった。さあ、エリザベス女王杯といきたいところだが、軸馬に考えていたエルノヴァ(ドイツ語で新星)が賞金ではねられトーンダウン。星が消えた暗闇、手探りで予想してみる。

 牝馬の取捨のポイントは、一にメンタル、二に調子といわれるが、調教については夕刊紙(水曜発行)をチェックしている。締め切りの関係でトラックマンの見た目が記事になり、予定調和的な修正が加わらないからだ。「週刊競馬ブック」の「中間の気配から」のコーナーも参考になる。一頓挫あったとかローテが狂ったとか書かれた牝馬は、かなりの確率で連に絡まない。

 最初に消すのは、臨戦過程や調教に不安材料がある馬たちだ。ウイングレット、ブライアンズレター、ベストアルバム、マイネサマンサ、メモリーキアヌ、ヤマニンシュクル、レクレドールの7頭は見送ることにする。ペリエ騎乗でも掲示板が精いっぱいのクロユリジョウ、頭打ち感のあるオースミコスモ、春からの成長が感じられないライラプスも買わない。天皇賞時に「着飾ることに飽きた淑女」と評したアドマイヤグルーヴが、中1週で一変するとは思えない。ショウナンパントルがエアメサイアを逆転する可能性は極めて低いだろう。サミットヴィルが遠征の不利を克服して逃げ粘るのは難しいとみた。

 ご都合主義で13頭切り、残ったのは5頭だ。それぞれ秋華賞、天皇賞を目標に据えていたエアメサイアとスイープトウショウは、狙いを少し下げたい。中心は女王杯に照準を絞ってきたヤマニンアラバスタだ。京都外回りの2200㍍は差し、追い込みが有利なコースで、トゥザビクトリーでさえ中団からレースを進めたほど。スローからヨーイドンになりがちだが、有力馬が牽制し合えば、オースミハルカ(昨年2着)の前残りもある。お嬢に交じったガテン系おばさんって感のあるマイティーカラーだが、調教の動きは抜群で、混戦になれば浮上しそうだ。

 結論。◎⑫ヤマニンアラバスタ、○⑧スイープトウショウ、▲①オースミハルカ、△⑪エアメサイア、注⑦マイティーカラー。3連単は⑫、⑧の2頭軸で<⑫・⑧・①><⑫・⑧・①・⑪・⑦><⑧・①・⑪・⑦>の10点。馬連は①⑫、⑦⑫の2点。絶好枠を引いたオースミハルカの単勝も押さえる。

 水曜発行の東スポ1面の見出しは「女王不明」だった。女王とはWWEのトップディーバ、トーリー・ウィルソンのこと。「行方」がない分、謎めいているが、記事を読む限りサボタージュっぽい。自らと夫(キッドマン=解雇)への扱いに不満が爆発したようだ。栄枯盛衰が激しいのは競馬界とて同じ。グルーヴの3連覇はないと勝手に納得した次第だが、果たして……。

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