酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

57年前の東京五輪の真実に迫る「東京 夢と幻想のプレミアム」

2021-07-31 19:05:53 | 独り言
 五輪開催には反対だったが、テレビで観戦している人は多い。俺もそのひとりで、チャンネルを回すうち見入ってしまうこともある。27日2848人、28日3177人 29日3865人、30日3177人、31日4058人……。日本のメダルラッシュと感染者急増に、パラレルワールドを行き来している感がする。

 前回の東京五輪が開催された1964年、前年までのキューバ危機に代わり、世界はベトナムを注視していた。トンキン湾事件への報復を口実に、米ジョンソン大統領は北ベトナムを攻撃する。日本でも南ベトナムに肩入れする政府に反対する動きが広がった。

 世界の寵児になったのがモハマド・アリ(当時カシアス・クレイ)とビートルズだった。豊潤な文化の時代、同年に刊行された「他人の顔」(安部公房)、「荒魂」(石川淳)、「絹と明察」(三島由紀夫)、「日本アパッチ族」(小松左京)、「個人的な体験」(大江健三郎)に感銘を覚えた。

 映画では「砂の女」(勅使河原宏)、「飢餓海峡」(内田吐夢)、「怪談」(小林正樹)、「赤い殺意」(今村昌平)、「かくも長き不在」(アンリ・コルビ)、「突然炎のごとく」(フランソワ・トリュフォ)、「博士の異常な愛情」(スタンリー・キューブリック)あたりが記憶に残っている。

 「映像の世紀プレミアム15~東京 夢と幻想のプレミアム」を見た。東京が焦土と化した1945年から19年後の開催は奇跡といってよく、国家予算の3分の1(1兆円)が投入された。東京は様々な問題を抱えていた。交通事情は最悪で、渋滞した車は排ガスをまき散らしていた。解決策は首都高速と地下鉄網の充実だった。

 都民は衛生観念が乏しく、公衆トイレはゴミの山だった。都は<一千万人の清掃作戦>を掲げ、婦人会どころか自衛隊まで動員して街を大掃除する。東京浄化の過程でホームレスの姿が消えた。<破壊と創造>が進行し、〝水の都東京〟の光景は一変する。一掃された伝統への野坂昭如の〝弔辞〟が紹介されていた。

 「東京砂漠」にクールファイブの名曲を思い出すが、史実に基づいていることを知る。無計画な膨張と雨不足でダムは渇水し水飢饉になるが、旱天の慈雨で危機は回避された。五輪への関心は低く、知識層は大きな犠牲に疑義を呈していた。本作では東京を〝筆のオリンピック〟と評し、作家たちの言葉を伝えている。中でも五輪前後と〝祭りの後〟までルポルタージュした開高健と、開会式について綴った杉本苑子に感銘を覚えた。

 3月に太股を刺された米ライシャワー駐日大使は、手術用輸血で血清肝炎に感染する。貧しかった時代、輸血用血液の多くは日雇い労働者の売血で賄われていた。彼らを取材した開高は労災病院に赴き補償金を調査する。<命の値段はインドよりましだが、デンマークとは比べものにならない。どこが先進国なのか>と日本の現実を穿っていた。

 杉本は開会式に、43年の学徒出陣式を重ねていた。「あすへの祈念」と題された一文を以下に紹介する。

 <二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。(中略)  暗鬱な雨空がその上をおおい、足もとは一面のぬかるみだった。私たちは泣きながら往く人々の行進に添って走った。きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、何としてもあすにつなげなければならないとする祈りだけだ>……。杉本の言葉は57年後の今をも貫いている。

 本作に感じたのは戦争の記憶だ。五輪招致の推進役だった田畑政治は聖火リレーの開催場所に、日本軍の爪痕が癒えぬアジア各国を選んだ。沖縄を経てつながれたリレー最終走者の坂井義則は原爆投下の45年8月6日、広島で生まれた。アメリカへの気遣いを説く声に田畑は「アメリカにおもねる必要はない」と毅然と反論する。IOCとNBCに首根っ子を掴まれた現政権とは対照的な矜持を覚えた。

 閉会式は語り継がれるハイライトになった。整然と行進する〝日本的〟な光景とは真逆に、日本選手団に各国のアスリートが乱入するお祭り騒ぎになった。小学2年だった俺も大人たちと一緒に競技を見ていた。フランスの水泳選手に心が時めいた。あれは初恋だったのだろうか。

 本作を結んだのは開高だった。<(前略)一人の人間が自己を発見するには、一生かかってもまだ足りないくらいなのだというから(中略)いよいよわからなくなるのが当然かも知れない。もし、しいて答えを見つけようとするなら、問いつづけることのなかにしか答えはないはずであると答えるよりしかたあるまい>……。

 人生というレースの最終コーナーに差し掛かった俺に、〝問いつづける〟時間はどれほど残されているのだろう。
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「少年の君」~瑞々しく鮮やかな青春映画の奇跡

2021-07-27 22:51:32 | 映画、ドラマ
 炎暑とコロナ禍の東京で五輪は進行している。開催への経緯には納得していないが、選手たちにはベストを尽くしてもらいたい。将棋界も真夏の闘いが続いている。藤井聡太王位(棋聖)は王位戦第3局、叡王戦第1局で豊島将之叡王(竜王)を圧倒した。マスク越しに表情は読み取れないが、冷静で鳴る豊島の心情はいかほどか。王位戦、叡王戦に続き、竜王戦でも藤井と相まみえる可能性がある。

 新宿武蔵野館で先日、「少年の君」(2019年、デレク・ツァン監督)を見た。中国・香港合作映画で、前々稿で紹介した「ソウルメイト 七月と安生」(16年)は同監督の処女作で、「少年の君」公開に向けた限定上映だった。「ソウルメイト」を<年間ベストワン候補で、切ない余韻が去らないハイセンスな作品>と評したが、「少年の君」も匹敵する作品だった。

 原題「少年的你」は〝少年のような君〟という意味で、ボーイッシュなチェン・ニェンを「ソウルメイト」で安生役だったチョウ・ドンユイが演じていた。撮影時26歳のチョウはアンニュイで孤独な高校生を表現し切っていた。チェンは自分の進学のため借金を抱える母と別々に暮らしながら、全国統一大学受験(高考)を目指している。

 驚いたのは中国における大学受験への熱狂ぶりで、学校中が狂気に覆われている。ロケ先は重慶で、スケールの大きい街並み、心象風景に重なる映像と音楽に魅せられた。〝ボーイ・ミーツ・ガール〟は鮮やかでドラマチックだった。チェンは街角でリンチされていたシャオペイ(イー・ヤンチェンー)と知り合った。

 北京大学を目指す薄幸の少女と行き詰まりのストリートチルドレン……。対照的な2人だが、質の異なる闇を抱えていた。本作は「ソウルメイト」同様、人間の距離感、<二つの魂がいかに交錯し、互いの中に自身の影を発見出来るか>を問いかけている。チェンに同情を超えた感情を抱く青年刑事も、物語を結末に導く歯車だった。

 距離感が端的に表れるのはいじめだ。自分に何か言いたげだった級友のフーは校舎から飛び降り自殺し、生徒たちは彼女の遺体をスマホで撮影する。フーの苦しみに寄り添わなかったことへの自責の念から、チェンはフーの遺体に上着を掛けた。いじめの対象はチェンに移る。首謀者はお嬢さまのウェイだった。

 自身を無価値なチンピラっとみなしているシャオペイにとって、チェンは輝かしい未来が待ち受けるまばゆい存在だった。俺に出来ることは君を守ること……、そう誓ったシャオペイはボディーガードを買って出る。結果として、チェンとシャオペイは透明のアクリル板を挟んで向き合うことになる。言葉は不要だった。

 映画史上に残る名シーンで、笑顔で見つめ合っているのに見る者の涙を誘う。俺の目は潤み、客席のあちこちから嗚咽が聞こえてくる。ハンカチで目を拭っている女性もいる。死語になりつつある純粋な愛が見る者の心を震わせたのだ。若き2人の名演を引き出したデレク・ツァン監督の力量に感嘆する。

 冒頭とラストで、英語を教えるチェンは“was”と“used to be”の使い分けを熱心に教えていた。ラストで問題を抱えている少女の手を引いて歩くチェンを、シャオペイが見守っている。ハッピーエンドに思えるが、現在の中国と香港の関係に重ねることも可能だ。英題「ベター・デイズ」には、自由な香港への追憶、将来の香港への希望が込められているのかもしれない。

 別稿(昨年11月17日)で紹介した中国映画「薬の神じゃない!」のエンドロールで、<庶民の声を受けて政府は方針を転換し、薬価を飛躍的に下げた>とのコメントが流れた。共産党万歳と言いたげだが、「少年の君」でも同じことが起きる。<中国政府はいじめ撲滅のために努力している>(論旨)といったテロップがラストに流れた。

 中国はチベット、ウイグル、そして香港と人権蹂躙が世界の耳目を集めている。いじめ撲滅なんて盗人猛々しい。「少年の君」は中国・香港合作の最後の灯かもしれない。
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「僕が死んだあの森」~死後を生きる青年の懊悩

2021-07-23 13:11:34 | 読書
 東京五輪・パラリンピックが開幕した。「アンダーコントロール」の嘘で誘致し、東北復興を犠牲にして準備した大会ゆえ、自業自得に思えるが、森前組織委会長の発言を筆頭に、この国の人権意識の低さを露呈する出来事が相次いだ。開会式の音楽を担当していた小山田圭吾が辞任し、小林賢太郎は解任された。

 小山田が障害者へのいじめを語った二十数年前のインタビューが波紋を呼んだ。聴いたことがないのでアーティストとしての小山田を語れないが、渋谷系に詳しい知人は「反省とは無縁では」と話していた。今回の件で、渋谷系と交流が深かったモーマスを思い出す。今でも「サーカス・マキシマス」、「ポイズン・ボーイフレンド」は愛聴盤だ。トランスジェンダー、無神論者として知られるモーマスだが、渋谷系はスタイルだけでなく、精神や志向性にも影響を受けたのだろうか。

 性善説論者だから、小山田はインタビュー後も今も、<犯罪といってもいい行為への悔恨を作品に生かしたい>と考えていると信じたい。幼い頃に犯した罪に苦しむ青年を主人公に据えた小説を読んだ。ピエール・ルメートル著「僕が死んだあの森」(2016年、文藝春秋)である。ルメートルを読んだのは「その女アレックス」、「天国でまた会おう」、「監禁面接」に次いで4作目だ。

 ルメートルはパリ出身で、55歳でデビューした晩成のミステリー作家だ。「天国でまた会おう」では、プルーストやマルローも受賞したゴングール賞の栄誉に浴している。スケールが大きく、仕掛け満載の作品に圧倒されてきたが、「僕が死んだあの森」は一風変わり、主人公の葛藤と懊悩を描いた作品だった。

 タイトルは「僕が死んだあの森」、そして帯には「あの子を殺すつもりなんて僕にはなかったのに」……。〝死んだ〟と〝殺す〟が逆転する展開を期待したが、読了した時、真逆の言葉が重なり、ミステリーと純文学の境界を行き来するルメートルの力量に感嘆した。映画化される可能性もあり、ネタバレは最小限にとどめることにする。

 起点は1999年12月、舞台はフランスの架空の村ボーヴァルで、村民たちは顔見知りだ。主人公のアントワーヌ・クルタンは12歳の少年で、離婚した母ブランシュ(クルタン夫人)と暮らしている。クルタン夫人は自らに課したルールを守って生きる人間で、生活の細かい部分まで万端遺漏がない。

 アントワーヌは鬱蒼とした森で、隣家の6歳のレミ・デスメットを殺してしまう。殺意はなくアクシデントともいえるが、通報しなかった。レミの行方不明は地域一帯のみならず、国全体を揺り動かす大ニュースになる。アントワーヌの元にも憲兵隊はやってきた。

 次々に容疑者が現れ尋問を受けるも、釈放される。子供たちの間で噂を流しているのはテオだ。父親はボーヴァルで企業を経営しており、村長でもあった。ガキ大将でアントワーヌと折り合いが悪く、美少女エミリーを巡って恋敵でもある。俎上に載せられた中のひとりに、母が務める精肉店の店主コワルスキーもいた。母は常々、コワルスキーへの嫌悪を隠さない。

 ボーヴァルは年末の台風と集中豪雨により、大規模な捜索も尻すぼみになる。異常気象はメタファーだったのか遺体は発見されず、アントワーヌは逃げ切った。時間は12年後のパリに飛び、医学生になったアントワーヌは恋人ローラと暮らしている。軛から逃れるため、アントワーヌは故郷から遠ざかり、福祉・慈善的な医療活動を目指している。ライフプランが現実になる直前、犯行現場(森)の再開発のニュースを知る。

 <人は自らの過去とどう向き合うべきか>考えてみた。アントワーヌほどではないにしても、もちろん俺も、消し去ってしまいたい言動を抱えている。アントワーヌは自分の夢や希望を<殺す>ことで、ボーヴァルで<生きる>道を選ぶ。ルメートルは登場人物を丹念に描写し、糸くずを残していた。全てが重なり煌めくラストに衝撃を覚えた。愛とは、そして家族の意味を問いかける作品だった。

 小山田について政府関係者は厳しい発言を繰り返していた。菅首相は小林賢太郎を「言語道断」と論じたが、弱者を鞭打ち、医療機関の経費を削減し、差別を助長してきたのは安倍-菅政権だ。彼らに小山田や小林を詰る資格はあるだろうか。
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「ソウルメイト 七月と安生」~炎暑とコロナを忘れる潤いと癒やし

2021-07-19 21:26:22 | 映画、ドラマ
 東京五輪が迫ってきた。当ブログで開催を批判してきたが、理由は二つある。第一は、五輪そのものに興味がないこと。ロンドン五輪(2012年)はロック色が濃かった開閉開式しか見なかったし、リオデジャネイロ大会も同様だった。

 さらに東京大会は〝復興〟という欺瞞にまみれている。安倍前首相の〝アンダーコントロール〟が嘘っぱちだったことは汚染水の海洋流出決定で証明された。3・11後、何度か訪れた東北では、五輪の陰に打ち捨てられたことを実感する。利権優先のコロナ禍の開催強行に腐臭は拭えない。

 東京では武蔵野館だけで3週間、1日1回の限定上映だった「ソウルメイト 七月と安生」(2016年、デレク・ツァン監督)を見た。先週末に同館で公開された同監督の新作「少年の君」の宣伝を兼ねていたようだ。デビュー作「ソウルメイト――」は個人的に年間ベストワン候補で、「少年の君」も楽しみにしている。

 本作の感想を記す前に、予告編について。武蔵野館で「復讐者たち」、「アウシュヴィッツ・レポート」、「ホロコーストの罪人」が近日公開される。3作の背景は、ナチスドイツによるジェノサイドだ。ユダヤ人弾圧は人類史以上、最大の汚点の一つだが、イスラエルは自らが受けた刃を反転させ、パレスチナ人に突き付けている。ツツ大主教はイスラエルが設置した分断の壁をアパルトヘイトになぞらえていた。

 本題に戻る。「ソウルメイト 七月と安生」の主人公は2人の女性、七月(チーユエ)と安生(アンシェン)だ。七月(マー・スチュン)と安生(チョウ・ドンユイ)は10代の頃、親友になり、毎日一緒に過ごす。七月は真面目でおとなしく、親の期待に沿おうとする。母と折り合いが悪い安生は奔放な性格だ。対照的な2人は<互いの影を踏むように生きる>ことで親友を超えたソウルメイトになる。

 冒頭、安生の元に映画プロデューサーが訪れ、ネットで話題になっている小説「七月と安生」の映画化のため、行方知らずの作者(七月)に連絡してほしいと依頼する。安生は「七月は知らない」と答えたが、小説を敷衍する形で、七月と安生の十数年がカットバックして物語は進行する。本作の肝ともいえるのは、2人の主演女優で、時に罵り合い合いながら、親愛の情を込めたハグを繰り返す。

 本作は中国・鎮江で、後半は北京に移る。監督は香港人で、中国・香港の蜜月期の作品だ。シャープな映像とテンポの良い音楽で、舞台を別の都市、パリやニューヨークに変えてもそのまま通用する、洗練されてハイセンスの作品だ。これから中国と香港の合作が可能なのか気になった。本作の台詞には「27歳」が頻繁に表れる。製作スタッフの中にロックファンがいて、ジム・モリソンやカート・コバーンを意識していたのだろう。

 七月、安生と三角関係を形成するのは蘇家明(トビー・リー)だが、作品での存在感は希薄で、物語の歯車、七月と安生がソウルメイトにまで心を寄せ合うための触媒といった役割だ。2人がなぜ友情を超越したソウルメイトになったのかを説明するためにはネタバレが必要だが、切ない余韻が去らぬ本作を全ての映画ファンに見てほしいので、後半については記さない。

 ヒントめいたものを示せば、〝わたしだけのもの〟の共有であり、生き方の交換だ。小説とリアルのズレが、本作をミステリー仕立てにしている。観賞後、映画館スタッフに尋ねたらパンフレットは作成していないという。再度見る機会があったら、残った謎を自分なりに解き明かしたい。

 炎暑とコロナで息苦しい夏だが、月3~4本の映画で潤いと癒やしを感じたい。次はもちろん「少年の君」だ。
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梅雨明け間近の雑感あれこれ~EURO2020、大谷翔平、藤井聡太、そして甲斐バンド

2021-07-15 22:03:22 | 独り言
 EURO2020 決勝はPK戦の末、イタリアがイングランドを破り13大会ぶりに優勝した。準決勝でスペインに支配されていたイタリアと対照的に、デンマークを圧倒したイングランドに分があると思っていたから、ウェンブリーに詰め掛けたファンも残念だったはずだ。試合後、PKを外したイングランドの3選手を誹謗中傷する書き込みが投稿される。後味の悪い出来事は、サッカーのみならずスポーツ界全般の深層を抉っている。

 イングランドリーグのみならず、世界のサッカーを紹介したのが「三菱ダイヤモンド・サッカー」で、関西でも近畿放送(当時)が放送していた。サッカー通の知人は「両ウイングがタッチライン沿いに走り、ゴール前にセンタリングしてヘッドで決めるのがイングランド流」と話していた。半世紀近く前の話だが、フィジカルにスピードとセンスをペイストした現在のイングランドは、遠からずW杯で優勝するだろう。

 大谷翔平が規格外の活躍で世界を震撼させている。前稿のサブタイトル風にいえば<内なるモンスターがいつ、大谷の皮膚を食い破ったのか>に関心を抱いている。高校時代、花巻東高の監督は「目標達成シート」提出を大谷に課した。目標を設定し、実現に向けて何を成すべきか……。大谷は肉体、頭脳、精神を10年以上に鍛え続けたことで現在に至る。といっても、凡人には遠い世界の出来事だけど。

 大谷以上に注目しているのは藤井聡太二冠だ。藤井が内なるモンスターを育てたのは、三段昇段を15年秋に決めてから三段リーグ編入まで待ちぼうけを食らった半年間、そしてコロナ禍で対局が延期になった昨年春の2回のブランクだったかもしれない。藤井の快進撃は続くが、最大の壁は対戦成績が1勝7敗だった豊島将之竜王だ。

 王位戦第1局で豊島に完敗した藤井は、先日の第2局もリードを奪われていた。そこで珍しく豊島の失着(6九銀)が出たと解説されていたが、実は少し前の段階でかなり難解な局面だったという。1勝1敗のタイに戻した藤井は同時並行で叡王戦、そして挑戦者決定戦を制したら竜王戦と、豊島と19連戦の可能性もある。AIも迷わせるような人知の極限に達した闘いに注目している。

 WOWOWでオンエアされた「甲斐バンド45周年ファイナルライブ」(横浜赤レンガ倉庫前)を見た。雨予想だったが好天に恵まれ、全23曲が演奏される。甲斐よしひろは3歳年上だが、老いを嘆く俺とは対照的な2時間半のパフォーマンスに感嘆した。1970~80年代、甲斐バンド日本屈指のライブバンドだったが、68歳の甲斐は声を振り絞り、当時と変わらぬアクションでステージを駆け抜ける。

 甲斐バンドは俺が高3の秋、「バス通り」でデビューする。俺が口ずさんでいると、好きだった女の子が笑いながらハミングしてくれた。青春の一ページを飾るこの曲もセットリストに入っていた。初期の甲斐バンドは多感な俺にフィットする叙情的な曲を発表していた。20歳を過ぎると洋楽ロック派になるが、ピートとリズムでセンチメンタルを漉し取っていたのだろう。還暦を過ぎて濾過したものが内部に沈潜し、感情の乱高下が激しくなった。

 WOWOWは来月、甲斐バンドのピーク時のライブ映像をオンエアする。それに合わせ甲斐バンド論を記したい。俺にとって今回のハイライトは「きんぽうげ」~「氷のくちびる」~「ポップコーンをほおばって」の流れだった。コンパクトな名曲の数々に、俺は時空を超え、青春期の思い出(殆どは愚行)が甦って涙腺が熱くなる。先祖返りしてすっかりセンチな初老男だ。
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「Mr.ノーバディ」~モンスターが皮膚を食い破った夜

2021-07-11 17:51:13 | 映画、ドラマ
 前稿で「本心」(平野啓一郎著)を紹介した。重要と思えない細部の描写や台詞にも、主題とリンクする表現が秘められていた。それを見つけることが、小説を読む楽しみのひとつでもある。だが、最近は〝レジュメ化〟が好まれ、かいつまんで中身を紹介するサイトが人気を博している。

 映画ではこの傾向が顕著だ。法律上の権利を無視し、10分ほどに編集してストーリーを紹介する「ファスト映画」では逮捕者も出だ。問題なのは需要があることだ。映画ではシーンの繋ぎ、俳優たちの微かな表情の動きを割愛したら、完成図は見えてこない。スポーツだってダイジェストでカットされるプレーが、試合の肝になるケースが多い。

 十進法で物事を考えるアナログ人間の俺は時代遅れで、二進法のデジタル思考についていけない。悩んだり迷ったりせず、敵か味方かの二元論が小泉元首相以降、社会を動かす軸になった。<五輪に反対しているのは反日>とのたまった安倍前首相が典型だ。

 10月に65歳を迎える俺は、感情が頻繁に乱高下する。居酒屋ランチを食べる時、店内に流れる1970~80年代の曲に涙腺が潤んだり、チャンネルサーフィンしながら時代劇に手を止め、お約束の結末に頷いたりしている。新宿で先日見た「Mr.ノーバディ」(2021年、イリヤ・ナイシュラー監督)にも観賞後、心の中で拍手を送っていた。

 上記のファスト映画風にいうと<平凡に見える男が、強盗に入られたことをきっかけに、過去の自分を甦らせる。バスでの出来事でロシアンマフィアと対決することになり、仲間とともにスリリングな銃撃戦を繰り広げる>……。中年男の内面の葛藤を描いた作品と勘違いしていたが、実際は秘めていたモンスターが皮膚を食い破り、ノンストップのアクションが展開する映画だった。

 主人公のハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)は妻ベッカ(コーニー・ニールセン)の親族が経営する工場にバスで通い、デスクワークを担当している。ルーティンは決まっているが、ゴミ出しにはいつも遅れ、収集車が目の前を走り去っていく。朝ご飯を作るなど家庭的だが、妻とはセックスレスで息子ブレイクには尊敬されていない。幼い娘アビーだけが親愛の情を示してくれる。

 オデンカークの実体験でもあったらしいが、マンセル家は男女2人組の覆面強盗に襲われる。ゴルフクラブを手にしたハッチは、強盗が向けたピストルに弾が込められていなかったため、彼らが逃げるに任せた。父の無力にブレイクは失望する。アビーの宝物が盗まれたことに気付き、タトゥーを手掛かりに犯人に行き着いた。老人ホームで暮らす父デビッド(クリストファー・ロイド)のFBI時代の身分証を用いての捜索だった。

 〝ノーバディ〟とは何者でもない、地味でありふれた人となる。平凡に見えるハッチだが、序盤で〝ただ者〟でないことが明らかになる。きっかけになったのはバスの中だった。屈強なギャング団が女性客に危害を加えそうになるや、ハッチは鮮やかに無法者を制圧する。

 想定外だったのは、ギャング団の一人がロシアンマフィアの大物ユリアン(アレクセイ・セレブリャコブ)の弟だったことだ。本作の背景にあるのは米露関係険悪さといえる。「FBI捜査班」など米国制作のドラマにはロシアンマフィアが頻繁に登場するからだ。ユリアンの暴力性と冷酷さはステレオタイプで、情報収集力は諜報機関並みだ。

 対峙する過程で、ハッチの〝正体〟も明らかになっていく。〝会計士〟と称されたハッチはFBI、CIAといった組織で汚れ役を任された腕利きで、公式データでは死者扱いされている。サンクチュアリで生息するハッチは、警察にとってもアンタッチャブルな存在だった。

 ハッチに拍手を送った俺だが、自分との差に愕然とする。秘めたる能力など持ち合わせない俺は、ポスト、いやウイズコロナ時代に対応出来そうもない。何か〝技〟を磨いておくべきだったと後悔しても後の祭りだ。
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「本心」~分人主義を邁進する平野啓一郎の傑作

2021-07-06 22:25:05 | 読書
 熱海の土石流で亡くなられた方の冥福を心から祈りたい。5年前に当地を訪れた際、旧日向別邸(ブルーノ・タウト設計)で文化の薫りに触れ、ライトアップされた熱海梅園で飛び交う蛍を鑑賞した。ジャカランダ遊歩道ではエキゾチックな花に魅了される。観光地の一刻も早い復興を願っている。

 都議選小金井選挙区で野党統一候補の漢人あきこ氏(緑の党東京共同代表)が圧勝した。<人に寄りそうグリーンな東京>を掲げ、セーフティーネットの拡充、ジェンダー平等、緑と環境最優先などを市議時代から訴えてきた実績が評価されたといえる。来る総選挙に向け、野党統一のモデルケースになる。

 前稿で紹介した映画「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」同様、今回紹介する平野啓一郎著「本心」(文藝春秋刊)も母と息子の絆が軸になっていた。読む進むうち、俺自身と母との関係にも重なってくる。「本心」の主人公である朔也の母は自由死を願いながら交通事故で亡くなった。俺の母も「尊厳死協会」に登録し、〝生き長らえないこと〟を希望している。

 本作の帯には<四半世紀後の日本を舞台に、愛と幸福の真実を問いかける、分人主義の最先端>と記してある。「本心」の舞台は2040年前後の東京で、主人公の朔也は30歳の青年だ。職業はアバターで、外観や設定を指定された依頼主の意思表示や行動を代行する。いわばプロの分身業で、〝リアルアバター〟と称している。

 平野は「決壊」以降、<分人主義>に基づいて小説を著してきた。<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。朔也は母が自由死を決断した経緯を知るために、AIが集積した情報を基に作製された〝母〟のVF(ヴァーチャル・フィギュア)と暮らすようになる。母の本心を知るためだ。

 混同してしまいそうだが、平野は亡くなったリアルの母を<母>、VFの母を<〝母〟>と使い分けていた。〝母〟の記憶は死の4年前までのもので、自由死についての認識はない。製造元は〝母〟の記憶を上書きしていき、老人施設で話し相手を務めて収入を得るまでになる。朔也は〝母〟に接するうち、母が自分に隠し事をしていたのではないかと訝るようになった。

 上記したように、母もまた〝人格を相手ごとに分化させていた〟と考え、母と勤務先(旅館)で同僚だった三好彩花にコンタクトを取る。朔也より少し年上でセックスワーカーをしていたことで、男性との性的な関係に忌避感を抱いていた。部屋をシェアするうち、朔也は三好に好意を抱くようになる。

 生と死の境界を追求してきた平野は、本作でも愛する人(母)の記憶の意味、死を分かち合う意義を読者に問いかける。70歳で亡くなった母の口癖は「もう十分」だった。その言葉の意味を考えるうち朔也は、母は何者だったのか、そして僕は何者なのかという迷路を彷徨う。母ひとりに育てられた朔也は、母の愛読していた小説の著者、藤原亮治と会い、自分の出生の経緯、そして藤原と母が相互に影響を与えていたことを知る。

 平野は政治的な発言を繰り返している。最近では五輪強行開催への批判が世間を賑わせた。「本心」に描かれた2040年の東京は絶望的な格差社会で、〝こちら〟から〝あちら〟に上昇するチャンスは皆無だ。ちなみに朔也と母、三好は〝こちら〟の人間だが、朔也は偶然、〝あちら〟の人間の下で仕事をするようになる。一回り以上も年下で、アバター・デザイナーとして名声と財を築いたイフィーである。イフィーは交通事故に遭い、車椅子で生活していた。

 内容を紹介するのはここでとどめる。仮想空間で起きることと現実が交錯する物語だが、全編を貫くのは時空を超えて移ろう愛だ。平野自身、<最愛の人の他者性>がテーマと記している。朔也が自分を再発見するラストが印象的だった。数年後に再読したら、別の骨格が見えてくるかもしれない。平野にとってキャリアの集大成といえる傑作だ。
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叛逆の燦めきに満ちた「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」

2021-07-01 21:49:06 | 映画、ドラマ
 先月上旬に録画した「新型コロナ全論文解読2~AIで迫る終息への道」(NHK・BS1)ではAIを用い、新型コロナ関連の25万本の最新論文が分析されていた。<ワクチンの有効性>と<変異株の脅威>が2大テーマで、冒頭で国民の6割がワクチン接種を終えたイスラエルの〝成功例〟が紹介される。ワクチンは「N501Y変異」(英国株)には有効だった。

 ところが、「デルタ株」(インド株)の猛威に感染が再拡大したイスラエルで、マスク着用が復活した。英国でもサッカー欧州選手権も相まって1日の感染者が1万人を超える。日本では400人以上の医療関係者がワクチン接種中止の嘆願書を提出したが、ネットで動画が削除された。ワクチンを巡り、不気味な事態が進行しているようだ。

 新宿シネマカリテで「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」(2019年、ジャスティン・カーゼル監督)を見た。19世紀にオーストラリアで名を馳せた〝史上最もパンクな男〟ネッド・ケリーの25年の生涯を追った作品だ。ピーター・ケアリーによる原作はブッカー賞を受賞している。

 ネッド・ケリーは欧米で英雄視されているらしく、ミック・ジャガー、ヒース・レンジャー主演で映画化されている。知識がなかった分、新鮮な感覚で映画に入り込めた。闇と光が交錯する映像に重低音が重なって、怒りや憤りに紡がれたネッドのパルスが浮き彫りになる。少年時代(オーランド・シュワルツ)、そして青年期を演じたジョージ・マッケイの双の目が、闇を舞う魂のように今も脳裏で揺れている。

 広大で荒涼としたオーストラリアの自然が神秘的に描かれ、神話の世界に迷い込んだ錯覚を感じた。本作の背景はイングランドとアイルランドの対立だ。支配階級のイングランド人、貧困状態にとどめられているアイルランド人……。欧州の構図がオーストラリアに敷衍していた。ネッドもアイリッシュの血を受け継いでおり、祖父は流刑者、父は家畜泥棒だ。

 ネッドの母エレン(エシー・デイヴィス)は多くの子を抱え、経済的な理由だけでなく、監視の目を緩めるため、オニール巡査部長に身を任せている。夫の死後、山賊のハリー・パワー(ラッセル・クロウ)にケリーを売り渡す。ネッドはハリーに非情な世界を生き抜く術を教わるが、若くして共犯として投獄されてしまう。出所後、娼館で暮らす子連れのメアリー(トマシン・マッケンジー)と恋に落ちた。

 ネッド、母エレン、メアリーとの間の経緯は後半で明らかになるが、それはともかく、本作は次稿で紹介予定の「本心」(平野啓一郎著)と共通点がある。母と息子の関係が軸になっていることだ。エレンは自分を捨てた淫蕩な母だが、ネッドと分かち難い絆で繋がっている。英雄視されたアウトローを、母、そして家族との絆から描いている。エレンを演じたエシー・デイヴィスがスクリーンに映えていたのは、夫である監督が魅力的に撮影していたことも大きかったはずだ。

 非情な世界観に則った本作は、叛逆の燦めきに満ちていた。ネッドの父だけでなく、ネッドが兄弟や仲間と結成したケリー・ギャングのメンバーはドレスを纏っていた。アイリッシュにとってドレスは戦闘服の一種だったのかもしれない。警官隊に追い詰められたケリー・ギャングの佇まいはユニークで、江戸時代前半、街を闊歩したかぶき者が重なった。彼らは反抗する意志と風俗紊乱で世の中を騒がせたのだ。

 香港、ミャンマー、そして世界中で人々が闘っている。かつて「造反有理」という言葉が世界を勇気づけたが、言葉の発祥国である中国が今や、抑圧者になっている。社会から不正と不公平がなくならない限り、ネッド・ケリーの輝きが失せることはない。
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