酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「容疑者Xの献身」~冴えない男の愛の形

2008-10-29 00:47:54 | 映画、ドラマ
 日経平均株価が82年の水準に下がった。俺は当時プータローで、今も似たようなものである。俺が無為に過ごした時間は、新自由主義が勃興⇒支配⇒凋落に至る四半世紀だった。

 高橋尚子が引退した。多くの日本人同様、俺も彼女のファンだった。容姿とかではなく、側にいたら間違いなく好意を抱くタイプである。まあ、相手にされるはずはないが……。とまれ、お疲れさまと言いたい。

 さて、本題。話題の「容疑者Xの献身」(亀山千広監督)を見た。「ガリレオ」(フジテレビ)との連動ゆえ、原作(東野圭吾/文春文庫)に登場しない内海刑事(柴咲コウ)が前面に出ていた。

 原作は心洗われる愛の物語だった。映画の方は石神哲哉(堤真一)と湯川学(福山雅治)の頭脳対決を軸に据え、見応え十分のエンターテインメントに仕上がっている。

 石神は高校で数学を教える傍ら、独自に研究を進めている。原作を忠実に再現するなら、髪を刈った六角精児(「相棒」の米沢鑑識員)が適役か。<孤独で冴えない中年男>に強いシンパシーを覚えた。

 石神は隣室の花岡靖子(松雪泰子)が経営する弁当屋に毎朝通い、「おまかせ弁当」を買う。食べる頃には冷めているはずだが、数学者は合理的ではない習慣を続ける。その心は、もちろん愛だ。ある夜、石神は異変に気付き、隣室のドアホンを押す。事態を把握した石神は一瞬にして、難解な方程式を編み出した。

 電話ボックスのシーンが印象的だった。靖子に指示を与えた石神は受話器を置いた後、恍惚とした表情を浮かべる。自分は愛する者の支えになっている……。そう感じた時の至福は誰しも経験済みだろう。世慣れた母より純粋な娘の方が石神に恩義を感じているという設定に、作者の女性への洞察力が窺えた。

 「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのでは、どちらが難しいか」、「幾何の問題に見せかけて、実は関数の問題」、「人間は時計から解放されると、時計のように正確になる」、「この世に無駄な歯車なんてない」……。石神と湯川の禅問答のような会話が、事件の全容を解く鍵になる。

 石神の自己犠牲は<靖子≒数学>を前提に成り立っている。後悔を避けるため罰に相応しい罪を犯し、自らに償いを科す。<X=愛する者は対価を求める>、<Y=対象が人間である限り無償の愛は存在しない>を組み入れた方程式は、愛のボールが返ってきた時、脆くも崩れた。

 原作は石神の通勤路で生活するホームレスの描写から始まっている。続編が書かれるなら、物語は同じ場所からスタートするだろう。刑期を終えた石神が、テント内で数式と遊んでいるはずだ。


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菊花賞予想&スポーツあれこれ

2008-10-26 00:13:20 | スポーツ
 「朝まで生テレビ!」に聞き入ってしまった。堀紘一氏が独特の表現力で議論をリードし、<竹中―小泉時代>はドアマットだった森永卓郎氏も気を吐いていた。

 コツコツ物作りに励む人が、投機ゲームに興じた者のツケを払う時代になっている。経済は門外漢だが、<泥船のアメリカ丸を見捨てよう>が俺の結論だ。

 大波乱に終わった秋華賞も、経済と無縁ではなかった。1着ブラックエンブレムと3着プロヴィナージュのオ-ナーは、倒産したリーマン・ブラザーズの元同僚という。金持ちはタダで転ばないものだ。

 自信度ゼロの菊花賞予想を。マイネルチャールズを駆る松岡は、4角先行の腹積もりだ。厳しい流れでスタミナが問われるレースになりそうで、母系にステイヤーの血が流れる伏兵馬が台頭するかもしれない。

 ◎⑱ダイワワイルドボア、○⑨マイネルチャールズ、▲⑭オウケンブルースリ、△⑥ロードアリエス、注①フローテーション。馬券は⑱から印4頭への馬連と3連複。3連単は⑱1頭軸で当日の馬体重と馬場状態を見て買い足したい。

 その他、スポーツ雑感あれこれを。巨人がクライマックスシリーズ(CS)を制し、日本シリーズで西武と相まみえる。今年は結果オーライだったが、リーグ覇者とCS勝者の2本立ては釈然としない、CSを継続するなら米メジャースポーツ同様、<CS勝者=リーグ覇者>に変更すべきではないか。

 混迷を深める大相撲の八百長問題だが、議論の前提に疑問を覚える。大相撲は<腹芸>、<あうんの呼吸>といった日本文化の象徴で、常に真剣勝負である必要はない。サッカーだってW杯グループリーグ最終戦は、納得づくの出来レースになるケースが多い。野球なら73年10月20日の中日対阪神戦だ。江夏と星野の両先発投手が舞台裏と内実を赤裸々に告白していた。

 デラホーヤ対パッキャオ戦が12月に実現する。ビッグマッチで苦杯を嘗め続けるデラホーヤだが、「パウンド・フォー・パウンド」(階級を超えた最強ボクサー)であるアジアの雄をKOして引退の花道を飾るだろう。それが階級制に基づく<ボクシングのセオリー>なのだ。

 フライ級(48・50㌔)でデビューし現在ライト級(61・23㌔)のパッキャオ……。Sフェザー級(58・96㌔)からスタートしミドル級(72・57㌔)まで上げたデラホーヤ……。パンチ力、耐久力、リーチなど両者のファンダメンタルは違い過ぎる。世紀の一戦どころか、結果が透けて見える茶番劇だ。

 金融不況はスポーツ界にも波紋を広げている。欧州サッカー、米メジャースポーツを支配してきた億万長者のオーナーたちは、打撃をモロに受け、チーム売却に動いている。サラリーダウン必至の選手たちは、モチベーションを維持できるだろうか。



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「相棒~シーズン7」スタート~亀山の去り方はいかに 

2008-10-23 00:20:47 | 映画、ドラマ
 杉下右京(水谷豊)と亀山薫(寺脇康文)のあうんの呼吸、脇役たちの予定調和的な登場とお約束の台詞、現夫婦と元夫婦しかいない「花の里」……。「相棒」のマンネリズムにどっぷり浸ってきたので、コンビ解散の一報にショックを受けた。

 昨夜「相棒~シーズン7」がスタートした。「環流~密室の昏迷」のタイトルで、次回で完結する2時間SPだ。ODAやNGOの在り方を問う骨太さは従来通りで、海外ロケを敢行するなどスケールアップが窺える。

 同局、同時間帯で7~9月に放映された「ゴンゾウ」は出色の刑事ドラマだった。心の闇に囚われ、浅からぬ因縁を抱える黒木(内野聖陽)と佐久間(筒井道隆)は、真相に迫るうちに互いへの信頼を回復する。コンビ解散を決断した松本プロデューサーはシーズン7で、「ゴンゾウ」を超える刺激的な<相棒の形>を用意しているはずだ。

 亀山はどのように番組を去っていくのだろう。制作の東映といえば何と言っても任侠映画で、DNAを受け継いでいるなら壮絶なお別れだ。杉下をかばって殉職する可能性が高いと考えていたが、冒頭のシーンで迷いが生じる。亀山の去就に関連する伏線なのか気になるところだ。

 新しい相棒も興味の的だ。スタート時の寺脇のように、“色”が付いていない俳優が選ばれるだろう。杉下にとって亀山は素直な“弟”だったが、新相棒には反抗的な“息子”を期待する。少し若い気もするが、松田龍平なんかどうだろう。

 ミステリーマニアの知人がいる。映画版が公開された頃、「相棒ってそんなに面白いの」と職場で尋ねた同僚が熱烈なファンだった。2時間SPを中心に見繕ってくれた十数本見て、知人はある結論に達した。

 即ち、特命係とは警察上層部直轄の特務機関で、杉下の実際の階級は警視長以上である……。

 彼が見たエピソードで特命係は、警察庁NO・2の小野田官房室長(岸部一徳)、瀬戸内元法相(津川雅彦)と昵懇で、外務省トップ、最高検検事、官房長官、次期首相を逮捕し、警察庁長官や地裁判事を辞職に追い込んでいた。そのように考えたとしても無理はない。

 「相棒」はリアリティーを重視した社会派ドラマだが、最大のネックは杉下の階級だ。警察キャリアは配属時に警部、30歳前には確実に警視になる。杉下のように昇進なしなんてありえない。

 その辺りの矛盾と謎をほぐすエピソードを期待していたが、今回のSPでは主任監察官や刑事部長が<特命係は余計者>を繰り返し強調していた。制作サイドの頑固な姿勢に、「相棒」初心者の知人は失望したかもしれない。



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「獅子座」の衝撃~“アウトボクサー”ロメールに食らったKOパンチ

2008-10-20 00:10:56 | 映画、ドラマ
 ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、アラン・レネ、ルイ・マル……。

 ヌーヴェルヴァーグで思い浮かぶ監督を挙げてみたが、エリック・ロメールを忘れるわけにはいかない。シネフィル・イマジカとWOWOWが相前後して特集を組んでくれたおかげで、未見だった作品に触れることができた。

 スタイリッシュで緊迫感ある恋愛心理劇の「モード家の一夜」(69年)、絶え間ない少女の会話に引き込まれる「レネットとミラベル/四つの冒険」(86年)に感銘を受けた。全体の印象は淡々としたアウトボクサーだが、デビュー作「獅子座」(59年)にKOパンチを食らう。主人公ピエールの転落が我が身とオーバーラップし、忘れえぬ作品になった。

 ピエールは自称作曲家の中年男で、気質が俺とよく似ている。その日暮らしの怠け者で、根拠のないプライドが時に人生の邪魔になる。旺盛なサービス精神は、他者依存の証といえるだろう。ピエールは伯母の遺産を相続し損ね、路上生活者になる。

 偶然出会った知人に「金持ちの友達が大勢いたろ」と嫌みを言われ、「バカンスか、死んだか、蒸発したよ」と答える。落ち目の者に近づかないのが古今東西、世の定めだ。唯一ピエールの身を案じた記者のジャンは、海外出張から帰国後、消息を尋ねて回る。

 ピエールがパリを彷徨う30分が長くて濃いハイライトシーンだ。自身の享楽的な生き方を許容してくれた街に、「何たる猥雑さ、汚らわしいパリ」と呪いの言葉を吐く。堅実な生活を嗤った罰なのか、飢えを癒やすために羞恥心を失い醜態をさらす。背景に流れるバイオリンの不協和音がピエールの不安と葛藤、世間への違和感を表現していた。

 精根尽きたピエールを救ったのは大道芸人のホームレスで、コンビで演じる寸劇はカフェで大喝采を浴びる。同業の老人から借りたバイオリンを奏でた時、ピエールの運命が一変した。

 お蔵入りした本作は完成3年後に公開された。当初は低評価に甘んじたロメールだが、その後は冒頭に記した監督たちを凌駕する足跡を映画史に刻んでいる。

 最後にあれこれ雑感を。POG指名馬ダイワバーガンディは4着に敗れ、大波乱の秋華賞にはため息を吐くしかなかった。競馬の不調は相変わらずだが、悪いことばかりでもない。大銀座落語祭で「居残り佐平次」に聞き惚れた柳家権太楼をBS-で満喫し、将棋竜王戦をネット中継で堪能する。充実した日曜日だった。

 次回はシーズン7を迎える「相棒」について記すことにする。




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放蕩中年、Uターンせず~沈む世に浮かぶ瀬もあり?

2008-10-17 01:33:32 | 戯れ言
 おととい(15日)、52歳になった。この間、Uターンが既成事実になっていたから、京都で誕生日を迎える可能性も高かった。

 今年に入って知人の編集者が配置換えになり、付き合いのあった出版社が業務を縮小した。次稿で記す「獅子座」(ロメール)を見て、俺もピエ-ル(主人公)のようにホームレスになるのかと暗い予感に苛まれた。同業の知人たちと情報交換するうち、不安は募る一方になる。

 俺のような新参者はともかく、長年トップランナーとして活躍してきた校閲者の多くが出版不況の煽りを食っている。集英社、講談社、主婦の友社、文藝春秋、マガジンハウスといった大手出版社さえ、雑誌が次々廃刊に追い込まれているご時勢だ。状況を総合的に判断し、ある結論に至る。

 即ち、京都に帰るしかない……。

 顔が利く従兄弟に職探しを頼み、履歴書を送る。いつ声が掛かっても対応できるよう準備を整えていたが、事態は急転回する。1カ月前、勤め人時代の後輩から電話が掛かってきた。担当している仕事に欠員が出たので、やってみませんかとのオファーである。月10日前後だが、収入のベースとしては十分な条件だ。

 母と従兄弟に電話で相談して東京残留を決めたが、遠からずUターンすることになるだろう。嫁ぎ先が実家に近いとはいえ、妹だけに母の面倒を見させるわけにもいかないからだ。

 新たな仕事の内容は20年間従事した新聞の校閲だ。校正と校閲の違いなど殆どの方にとってどうでもいいことだが、商業印刷(校正)と新聞・テレビ(校閲)を例に挙げ、簡単に説明したい。

 商業印刷の現場では原稿が絶対で、固有名詞の誤りを指摘して叱られたこともあった。俺のような悪筆はもってのほかで、「入力担当者が読めない」と文句を言われる。求められるのはマシンのような集中力と正確さだ。クライアント>印刷会社>校正者の図式が成立するが、ギャラは校閲の仕事より相対的に高い。
 
 新聞やテレビの現場で試されるのは、商業印刷で御法度の<越境力>だ。先月テレビ局で仕事をしたが、制作進行の若い女性は俺を一目でタコと見抜き、ネット検索に協力するだけでなく、体裁や用字用語の誤りまで指摘してくれた。入力担当者は共同ハンドブックを理解し、ディレクターの殴り書きを余裕で判読していた。優れた<越境者たち>に救われた5日間だった。

 校正者として偏差値40、校閲者としても並程度の俺だが、深刻な不況下で新たな機会を得た以上、しばし東京砂漠でデラシネ生活を続行するつもりだ。

 最後に秋華賞の予想を。蛯名の騎乗停止で吉田隼にエフティマイアが回ってきた。ドリームパスポートと同じくフジキセキ産駒で、3歳秋完成型だと思う。同馬を軸に馬連、3連単を買う予定だ。

 俺にとって日曜の“GⅠ”は、POG指名馬ダイワバーガンディが出走する東京9Rのサフラン賞だ。応援する牝馬が東西で勝ってくれれば、懐も心も温かくなるのだが……。



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「銀座カンカン娘」に見る映画黄金期の楽しみ方

2008-10-14 05:36:15 | 映画、ドラマ
 「おくりびと」で主人公(大悟=本木雅弘)の父を演じた峰岸徹さんが亡くなった。登場シーンは少なかったが、観客の涙腺を決壊させるエピソードに関わる重要な役柄だった。

 三浦和義氏が自らの生涯に幕を下ろした。メディアの端っこに潜り込んだ時、三浦氏は国民的ヒールとして耳目を集めていた。その存在感でスポーツ紙の社会面は見開きになり、ワイドショーは肥大化する。三浦氏の“罪と罰”を問う資格は俺にはない。峰岸さんと合わせて冥福を祈りたい。

 さて、本題。日本映画専門チャンネルは新東宝創立60周年を記念し、名作15本をオンエアする。白眉というべきは映画史に燦然と輝く「西鶴一代女」(52年、溝口健二)だ。

 録画した「銀座カンカン娘」(49年、島耕二)と「小原庄助さん」(同、清水宏)を続けて見た。ともに肩の凝らないエンターテインメントで、仕事で疲れた頭と心を癒やしてくれた。

 ♪あの娘可愛いや カンカン娘 赤いブラウス サンダルはいて 誰を待つやら 銀座の街角 時計ながめて にやにやそわそわ これが銀座のカンカン娘……

 映画のために書き下ろされた佐伯孝夫作詞、服部良一作曲のタイトル曲は、高峰秀子が歌って大ヒットする。高峰をはじめ、ブギウギで一世を風靡した笠置シズ子、人気歌手の灰田勝彦を配した歌謡映画だが、嬉しかったのは古今亭志ん生の出演だ。

 引退した落語家新笑を演じる志ん生は、台詞もバッチリ決めて作品に溶け込んでいる。恋あり、歌あり、喧嘩あり、笑いありの70分で、貧しい食卓や芸術論など、当時の世相も窺える。志ん生が「替わり目」を披露するラストは、落語ファンにとって垂涎物の映像だ。

 映画が一番の娯楽だった時代、おじいちゃんと孫、若いカップル、夕飯後の家族がスクリーンを眺め、ひとときの幸せを味わっていたに違いない。テーマ曲を口ずさみつつ、映画館を出て来る観客たちの笑顔が目に浮かぶようだ。

 「小原庄助さん」は人生の哀歓を感じさせる作品だった。朝寝、朝酒、朝湯を楽しむ杉本左平太(大河内傳次郎)は、村人から「小原庄助さん」と呼ばれている。頼まれたら嫌と言えず、借金してまで周囲に便宜を図るうちに身代は傾き、田畑と屋敷を手放す羽目になった。

 こういう生き方もありかな……が最初の感想だったが、ひねくれ者ゆえ制作側の意図を深読みしてしまった。本作が公開された49年、農地改革により日本全国で地主や名家が土地を奪われていた。左平太の没落と再出発は、当時の観客の目にどう映ったのか興味がある。

 新東宝は61年に倒産するが、俺に馴染みがあるのは名前だけ引き継いだ“新”新東宝の方だ。ピンク映画専門の制作会社として、高橋伴明、井筒和幸、滝田洋二郎、大杉蓮らを送り出している。70~80年代のピンク映画は修業の場でもあったが、最近はどうなのだろう。


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「イントゥ・ザ・ワイルド」~荒野からの道標

2008-10-11 01:30:37 | 映画、ドラマ
 “詐欺商法”を主導したリーマン・ブラザーズCEOの収入は、この10年で500億円を超えている。狂気の沙汰としか言いようがない。人間の貌を失くした資本主義には休息してもらい、反グローバリズム、環境保護、人権と平等を掲げる社会主義に、暫し舵取りを任せるべきだ。

 先月20日、ソロー著「森の生活」について記したところ、マイミクでもある映画ライターの佐藤睦雄さんから「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン監督、07年)を薦めていただいた。実在した主人公がソローの愛読者だったからである。

 1992年夏、アラスカでクリストファー・マッカンドレスが遺体で発見される。享年24歳だった。クリスの短い一生を追った「荒野へ」(クラカワー著)は、全米でベストセラーになる。映画化権を獲得したペンは、渾身の力でクリスの精神世界を表現した。

 クリスは保証されたエリートの道を捨て、放浪を選ぶ。最大の理由は父への反抗だった。クリスは不幸な家庭の思い出を、何度も一人芝居で再現している。クリスにとって放浪は、反抗期を脱し、社会の矛盾に気付く過程でもあった。クリスの妹カリーンの語りが、過去と現在を繋ぎ、兄不在による家族の変化を詳らかにする。

 終の住処になったバスの中、先賢の言葉に触れたクリスは、寛容、絆、共生の意味を知る。再生への鍵を手にしたクリスは荒野からの脱出を試みるが、荒れ狂う川に希望を砕かれる。自然の洗礼を受けたクリスは誤って毒性の植物を口にし、緩やかな死に至るまで遺書を綴っていく。

 クリスがロサンゼルスを訪ねた場面が印象的だった。クリスは窓越し、エリートとして生きるもう一人の自分の幻を見る。高層ビルとその足元に蹲るホームレスの残酷な対比に、クリスはロスが<荒野>より生き辛い<弱肉強食のジャングル>であると悟る。対照的だったのは熊が衰弱したクリスをやり過ごすシーンで、人間社会より優しい<自然の掟>が窺えた。

 興味深かったのは、アメリカに根付く放浪の伝統だ。クリスはヒッピー、ボヘミアンとの交遊で魂を磨かれていく。レイニーとジャンは仮想の両親であり、可憐なトレイシーは妹のような存在だった。

 ハリウッドのリベラリズムの継承者であるショーン・ペン、ゲバラの青春を描いた「モ-ターサイクル・ダイアリーズ」の撮影監督コーティエ、チケットマスターに闘いを挑んだパール・ジャムのエディ・ヴェダー……。この3者のコラボレーションは、クリスを演じたエミール・ハーシュの熱演でより煌きを増している。

 召されたクリスの安らかな表情が俯瞰で捉えられ、同じフレームに穏やかな夏の川が収まっていた。厳かで残酷、瑞々しく清冽な死を、ペンは見事に描き切った。本作は人生の意味を問いかける清々しい鎮魂歌である。

 「おくりびと」に続き、心を揺さぶられる作品に出会うことができた。あらためて佐藤さんに感謝したい。次は「容疑者Xの献身」の予定だが、究極の愛を描いた原作とトーンが異なっていないか心配だ。


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「CSI科学捜査班」が映すアメリカ

2008-10-08 04:49:49 | 映画、ドラマ
 緒形拳さんが亡くなった。来歴に触れ、改めて偉大さを知る。出会いは小学3年時の大河ドラマ「太閤記」だった。緒形さんと高橋幸治さんは史上最強の<秀吉―信長コンビ>ではないか。感銘を受けた出演作を挙げれば切りがないが、一本選べば「復讐するは我にあり」だ。名優の冥福を心から祈りたい。

 日本人研究者3人がノーベル物理学賞を受賞した。海外在住の南部氏は別にして、小林、益川両氏のコメントが<ノーベル賞の力学>を窺わせ興味深かった。この快挙をきっかけに、国内の研究者が置かれている厳しい環境が改善されることを期待する。

 前置きが長くなったが、本題に。「CSI科学捜査班シーズン7」(WOWOW)が先週末、最終回を迎えた。結末はシーズン8初回に持ち越しという“掟破り”の展開である。

 シーズン4までは同時進行する二つの事件を、グリッソム主任、キャサリン、ウォリック、ニック、サラがテンポよくクールに解決していた。シーズンを重ねるうち、深みのある人間ドラマに主音は変化し、一つの事件に全員が取り組むパターンが多くなる。

 欲望の街ラスベガスを舞台に、再放送さえ視聴率1位を獲得する怪物ドラマが抉るのは、異常性癖、暴力、DV、過剰な欲望、剥き出しの狂気といったアメリカ社会の闇だ。腐った遺体からわくウジ、検視で取り出される内臓など、リアルな映像が毎回のように登場する。

 日本なら抗議殺到するはずのシーンを、アメリカ人はなぜ許容するのだろう? 謎を解く鍵は戦争ではないか。アメリカの若者には戦場に送られ、目を背けたくなる現実に直面する可能性がある。「CSI――」とスピンオフ(マイアミ&NY)は、免疫として利用されているのだろうか。

 最も充実していたのはシーズン5後半だった。時間を逆回しする実験的手法の♯19「冷たい街」、確執を抱えていたブラス警部とウォリックが心を通わせる♯20「汚れたエリー」が記憶に残るが、白眉というべきはタランティーノが演出した「CSI“12時間”の死闘」(♯24、25)だ。緻密さ、エンターテインメント性、切迫感と、あらゆる点でパーフェクトな仕上がりだった。

 第7シーズンの特徴はダウナーなムードと実験的な手法だ。遺体安置所の死体に語らせる♯3「霊安室の声」,小児性愛者と向き合うグリッソムの憂鬱が浮き彫りになる♯6「虚ろな心」、ラスベガスに輸出されたホストクラブを舞台にした♯14「傘の骨」、斬新なオープニングから罪と罰の境界を描いた♯17「青春のあやまち」など、ハイレベルのエピソードが多かった。

 「CSI――」はスピンオフを含め、主題歌はザ・フーで統一されている。フーのファンにとって♯9「レジェンド・オブ・ベガス」はビッグサプライズで、ロジャー・ダルトリーが特殊メイクを駆使する伝説のマフィアを熱演していた。

 ♯7、♯10、♯16、♯20、♯24に描かれた殺人模型事件が、シーズン7を繋ぐビーズの糸になっていた。グリッソム不在の間、代役で奮闘したケプラーが後釜と思ったが、意外な形で姿を消す。シーズン7で顕著だったのは、グレッグの成長とホッジスの登場頻度だ。メンバー交代への布石かもしれない。

 グリッソムのシーズン9中の降板は残念でならない。シャイで無欲、寛容で洞察力に優れる昆虫学の権威だが、感覚は文科系だ。シェイクスピア、ワイルドら先賢の言葉を引用し、罪を犯す人間の本質を言い当てている。サラとの職場恋愛の行方も気になるところだ。

 次稿で紹介する「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公クリスと同じく、グリッソムはソローの愛読者という設定だ。弱肉強食のジャングルと化したアメリカ社会で、ソロー再評価の動きが進んでいるようだ。



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雑感あれこれ~羽生インタビュー、大阪、競馬etc

2008-10-05 01:44:31 | 戯れ言
 ネタ切れだし、不眠症で気合が入らない。脈絡なく雑感を記すことにする。
 
 まずは「100年インタビュー~羽生善治」(BShi)の感想から。集中を高める過程を潜水に例えるなど、羽生名人の表現力には毎度ながら感心させられる。知的サイボーグのイメージと異なり、<100年後へのメッセージ>として感情の大切さを託していた。

 クリエイティブであることを自らに課す羽生だが、自身が最先端を歩んでいるわけではないと語っていた。仲間内から“神”と呼ばれる羽生は、群れを作らぬ孤高の棋士だからこそ、精神の自由と謙虚さを維持できるのだろう。

 大阪の個室ビデオ店で悲惨な事件が起きた。やさぐれ中年男ゆえ、容疑者の荒んだ心情は想像の範囲内だが、あのような形で憤懣をぶつける幼児性は絶対に許せない。犠牲になった方々の冥福を心から祈りたい。

 解散総選挙は12月以降にずれ込みそうだ。リークに乗った大マスコミを向こうに回し、一貫して早期解散なしと主張して男を上げたのが上杉隆氏だ。上杉氏はここまで平坦な道のりを歩んできたわけではない。おとなしそうな外見と裏腹に野性を秘め、肝が据わった政治評論家だと思う。

 ACミランがロナウジーニョの決勝ヘッドでインテルを下し、ダービーマッチを制した。巨大戦力を誇り、チャンピンズリーグ制覇はノルマとさえいわれるインテルに、プレミアを変えた知将モウリーニョが加わる。新境地を期待したが、テンポは従来のセリエAのままで、肩透かしを食らった。

 欧州サッカー花盛りだが、試合の内容ではスピードとグルーブ感に溢れたプレミアが頭一つ抜けている。バンドに例えれば<グリーン・デイ+プライマル・スクリーム>だ。リーグの象徴を挙げるなら、ゲーリー・ルーニー(マンチェスターU)だと思う。

 秋のGⅠシリーズが開幕するが、俺の関心はPOGに移っている。週末最大のレースは、持ち馬フォーレイカーが出走した昨日の札幌2歳Sだった。ソエで回避の噂があった同馬は、離れた最後方から追い上げたものの8着に終わった。

 意気消沈状態で難解なスプリンターズSを的中するのは不可能だ。あれこれ考えず、4歳馬の勢いに期待したい。◎⑬ビービーガルダン、○⑭スリープレスナイト、▲⑦カノヤザクラ、△③ジョリーダンス、△⑨トウショウカレッジ。馬連は⑬から印の4点。3連単は⑬と⑭2頭軸で<⑬・⑭><⑬・⑭・⑦・③・⑨><⑬・⑭・⑦・③・⑨>の計12点。

 本日夜、メイショウサムソンが凱旋門賞に出走する。俺が血統うんぬんを語っても説得力はないが、サムソンは父系、母系とも欧州の重厚な血脈に彩られており、想定外の劇走もあるかもしれない。4~6着と予想しておこう。


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「オレンジの呪縛」が穿つオランダサッカーの本質

2008-10-02 01:34:51 | カルチャー
 フォスベリーの背面跳び、ビル・ロビンソンの人間風車、オリバレスを横転させたアルゲリョの左フック……。10代の頃に刻まれたスポーツ名場面は、50歳を過ぎても褪せることはない。

 とりわけ鮮やかに、痛みを伴って甦るのが74年W杯決勝戦だ。崩れた予定調和に多くのオランダ人は涙を流し、世界中のサッカーファンは悄然とした。俺もそのうちの一人である。

 美しく革新的だったオランダのトータルサッカーはなぜ敗れ、その後も負け続けるか……。この問いに一つの答えを示したのが「オレンジの呪縛~オランダ代表はなぜ勝てないか?」(デイヴィッド・ウィナー著/講談社)だ。歴史、風土、国民性、政治を読み解き、オランダサッカーの本質に迫った優れた文化論である。

 大麻所持、同性婚、低年齢層の性行為、安楽死への寛容な態度、女性の社会進出とワークシェアリングの推進……。オランダをリベラル国家に変質させたのは60年代半ばの<プロヴォ=アナキストのムーヴメント>で、革命の象徴と位置付けられたのがヨハン・クライフだ。クライフはトータルサッカーによって、変革のコンセプトを国民に明示した。

 <彼はスタンドから眺めているかのようにレースを進めている>……。これは松岡正海の三浦皇成への褒め言葉だが、サッカーでは競馬以上に複眼の天才がゲームを支配する。“空飛ぶオランダ人”と称えられたクライフは、絶対的な“空間の支配者”だった。

 ゴッホ、レンブラント、フェルメールといった画家だけではなく、オランダは優れた建築家、写真家を輩出してきた。国土の4分の1が海面下に位置し、人口増加に対応して干拓を進めてきたオランダ人にとって、空間を生かすことが永遠の命題といえる。独特の“空間感覚”は芸術だけでなく、クライフやベルカンプらサッカー選手によっても表現されてきた。

 アヤックスとオランダ代表がトータルサッカーで志向したのは、自由で対等な個が相互補完する民主主義ではなかったか……。著者はこのような仮説を立てながら、当時の選手たちにクライフの個人主義、独裁的傾向をも語らせている。

 オランダのメディアはクライフの影響で、醜く勝つことより美しく負けることに価値を見いだす傾向が強い。日本の“滅びの美学”に近似的だが、マイナス面も大きい。堅実なスタム、闘争心剥き出しのダーヴィッツは過小評価され、嗅覚で勝負するファンニステルローイはクライフに「二流のストライカー」と酷評された。

 かつてクライフは「ファシスト(フランコ)のチームに行くなんてありえない」と、レアル・マドリードのオファーを蹴ってバルセロナを選ぶ。その後、オランダとバルサの蜜月状態は続いたが、現在レアルには5人のオランダ人が所属している、クインテットの中心というべきファンニステルローイの本音は、「クライフのチームに行くなんてありえない」ではないか。

 UEFA08でオランダは、グループCでイタリアとフランスを一蹴しながら準々決勝で格下ロシアに敗れ、“らしさ”を存分に発揮する。クライフの愛弟子ファンバステンは芳しい成果を上げることなく、監督の座を退いた。「オレンジの呪縛」とは「クライフの呪縛」と同義かもしれない。
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