酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

チームの意味を問い掛ける「第二警備隊」

2018-06-30 23:32:19 | 映画、ドラマ
 サッカーW杯は決勝Tに突入した。応援したアイスランドとコスタリカもそこそこ頑張ったし、ベルギーは最も勢いを感じるチームだ。アジアのチームも見せ場をつくった。最たるものはドイツを破った韓国だが、イランもスペインとポルトガルを苦しめた。ラッキーもあったが、日本はアジアで唯一、決勝Tに進出する。

 興味なしと言いつつ、時間が合えばついつい見てしまう。俺のような定年世代は<自分はどのようなチームに属していたのか>と来し方を重ねて観戦しているはずだ。トルコ系選手が独裁者エルドアン大統領を表敬訪問したことがドイツ不振に繋がったのか、メッシ頼りがアルゼンチンの不振の原因か、ポーランド戦のメンバーはなぜメディアに洩れたのかetc……。意見を闘わせている中高年もいるだろう。

 会社が生かすのはせいぜい10%……。この分析が正しければ、殆どの社員は〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟でフラストレーションをためたまま退職する。ちなみに、社会的不適応者の典型で野垂れ死にを覚悟していた俺は、拾ってくれた会社に感謝している。社会と遠い場所における非生産的な仕事(校閲)は〝天職〟だったが、辞めてから15年近く経った今、情熱を傾けて励んだかと問われると、答えは「NO」だ。

 帰属意識を拒否しつつ、「プロジェクトX~挑戦者たち~」に描かれた一体感に羨ましさを覚えたこともあった。スポーツや刑事ドラマを好むのは、<チーム>に惹かれているからだろう。ひねくれ者と体育会系のアンビバレンツが、心の裡に混在している。

 前置きは長くなったが、<チーム>の意味を問う映画を新宿武蔵野館で見た。期間限定(2週間)上映の「第二警備隊」(18年、柿崎ゆうじ監督)である。柿崎監督は警備会社経営者で、経歴のみならず台詞にも〝右派〟らしさが滲んでいた。本作は20年近く前に柿崎自身が経験した事件がベースになっている。

 主役は警備会社エステック社長、大崎(筧利夫)だ。肚の据わった体育会系で、包容力を併せ持っている。柿崎の元に、大学時代の先輩、小泉から身辺警備の要請が入った。名刹の住職である小泉は指定暴力団真政会の別働隊、護国大憂党による迷惑行為に苦しんでいた。クビにした僧侶、取引を停止した石材会社に真政会が接近したのが発端である。

 大崎は第二警備隊を結成し寺に常駐させる。高城隊長(出合正幸)と中本(野村宏伸)を軸に、紅一点の佐野(竹島由夏)も加えた精鋭を揃えたが、暴対法施行(2008年)以前ゆえ、彼我の差は歴然としていた。街宣は小泉の妻(伊藤さつき)の実家、娘の学校、総代の勤務先(大学)にも及ぶ。小泉の腰はふらつき、金で手を打とうとするが、大崎は寺の経営権奪取を目論む真政会の意図に気付いていた。

 大崎は一計を案じたが、挑発と脅迫はエスカレートする。暴力団と所轄署の癒着、本庁への栄転を目指す幹部の打算も背景にあって警察は動かない。依頼者の生命や権利を守るため、昼夜兼行で防弾チョッキを着用しての危険な業務は、今風に言えば〝ブラックの極致〟だ。中本が糾弾に斃れたことで警察は突然、軸足を市民の側に移す。

 華々しいアクションシーンはなく、キャスティングが地味だからこそ、リアリティーと臨場感が増している。数々のドラマや映画で見た〝暴力団の横暴〟が画面に溢れていたが、第二機動隊は耐えに耐える。〝自分を殺し、目的遂行のために粉骨砕身する〟ことに、共感と違和感がない交ぜになる人も多いはずだ。

 低予算のインディーズ作品だが、海外の多くの映画祭で高評価を受けたのは、〝日本を写す鏡〟と捉えられたからだろう。大崎は中本の命日を会社創立日とし、社員全員による墓参が恒例になった。〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟にされたと感じている人の心に響く作品だ。
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「遊動亭円木」~クリアな視界でブラックホールに迷い込む

2018-06-27 22:56:30 | 読書
 三遊亭圓生の高座を時折、TBSチャンネルで鑑賞している。まさに貴重な文化遺産で、目の表現力に感嘆させられる。自分にも周りにも厳しかった圓生だが、「落語家は気楽な商売」と枕で語り、〝人生の落伍者〟を装うこともある。落語が庶民の息抜きであることを弁えていたのだ。

 噺家崩れを主人公に据えた「遊動亭円木」(99年、文春文庫)を読了した。先日購入した読書&パソコン専用眼鏡で最初に読んだ小説で、辻原登の凄みを再認識させられる。クリアな視界でブラックホールに迷い込んだ。

 辻原ワールドは現実と創作が交錯するメタフィクションで、「枯葉の中の青い炎」には、<物理世界と精神世界を秘かに結ぶシンクロニシティは、日常世界にいくらでも起きていることではないか>と綴られていた。「遊動亭円木」もまた、無数の謎がちりばめられたパラレルワールドである。

 有望な噺家だった円木は真打ち昇進前に落語界を去る。糖尿病を不摂生で悪化させ、視力を失ったのだ。幸いなことに円木にはセーフティーネットがあった。妹由紀と義弟が経営するマンション「ボタン・コート」の一室で居候生活を送っている。タニマチだった明楽から大相撲夏場所のチケットが4枚送られてきた。

 不動産業で財を成した明楽はバブル崩壊で負債を抱えたが、苦境を跳ね返して会社を再興する。〝最後の高等遊民〟といった赴で文化全般に造詣が深い明楽は、作者の代弁者の役割を果たしている。

 同行するはずだったボタン・コートの住人3人は、後ろ暗い過去を抱えていた。テレビに映りたくないので観戦をドタキャンし、鈴本演芸場で小三治を見た。円木は余った弁当を抱え、3人の同居人に振る舞ったが、彼女たちは食中毒で入院する。金魚を呑み込んでいた円木は難を逃れたが、怒った男たちは円木を金魚池に放り込む。

 冒頭で主人公が死ぬのは意外だったが、円木はどっこい生きていた。明楽はボタン・コートの近くに、いったん埋め立てられた金魚池を再度造ろうと試みる。念頭にあったのは、視力を失う前にモネが描いた「睡蓮」だ。

 中国も重要なキーワードになっていた。訃報を信じて弔問に訪れた円木のかつての同棲相手は、中国に渡り、希少な茶葉を生成する仙人に影響を受けた。中国宮廷金魚ハマトウも物語に彩りを添えていた。中国から不法入国した陳と安莉の清冽な愛も胸を打つ。難病に冒され全身麻痺になった安莉は、瞬きだけで意思を示し、瞼に手をかざした円木と会話する。

 三遊亭歌笑、初代柳家小せん、桂文楽らのエピソードが挿入され、「つるつる」、「立切れ」、「白銅」、「へっつい幽霊」、「明烏」といった演目が回転軸になっていた。明楽は「落語というのはなんたって、噺家の人柄、人徳だ」と語り、円木について「まず自分で聴いている」と評する。両者の落語論は示唆に富んでいた。 
 
 〝甦った〟円木は不思議な力を秘めている。飄々した佇まいが和みと癒やしをもたらすだけでなく、時に異界とコミュニケーションする。父の墓参に訪れた秋田で寧々と結ばれる経緯は、起こり得ない偶然の連続だ。円木は彼の地で上人扱いされ、奇蹟の数々が目撃される。

 死期を悟った明楽は「生と死は、昼と夜のように扉一枚でつながっているのではないか」と漏らしつつ、「死とは、あらゆる絶対的な不可能性の比喩」で「最後にひとりになればいい」と語る。明楽と亜希子、そして円木と寧々……。2組の愛の形が本作のベースになっている。

 土方巽の「舞踊とは、命がけで立っている死体である」は陳の死を暗示して印象的だったが、チェーホフ、ジャコメッティ、アインシュタインらへの言及が各章を引き立たせていた。一方で、「わたしのこと、忘れたりしない?」と寧々に問われ、「忘れたり、思い出したり……」と円木が返すさりげない会話も魅力的だ。

 「暗闇で落とした鍵を捜し続ける」という明楽の言葉に触発され、円木も「落語になる=落語の図書館になる」ことを決意する。鍵を捜すための街灯になるのは寧々だ。一方で、明楽と「べけんや」たる亜希子の糸は……。喪失の哀しみ、再生への希望を感じたが、正しい理解に至った自信はない。

 辻原ワールドでは、真実とは幻想の淡い影の如くだ。俺はまだ、魔物(辻原)が虚実のあわいに構築した空中楼閣を彷徨っている。
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「タクシー運転手」に初心が熱く甦る

2018-06-24 17:09:52 | 映画、ドラマ
 ♪我らはプリパだチョッタチョワ ともに死にともに生きチョッタチョワ 膝をついて生きるよりは立ったままで死のうじゃないか 民主主義を我らに……

 軍事独裁政権が誕生した韓国では、民主派が一斉に逮捕、拘束された。金大中の死刑判決に抗議し、出身地の光州で学生や民衆が立ち上がる。日本でも連帯の機運が高まり、俺も抗議に加わった。冒頭に記したのは、光州で歌われた抵抗歌の日本語版である。

 この曲が繰り返し流れる韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」(17年)を見て胸が熱くなった。チャン・フン監督作は「義兄弟~SECRET REUNION」、「高地戦」を紹介したが、「タクシー運転手」に受けた感銘は両作を上回る。学生時代の〝初心〟を甦らせてくれたからだ。原題「LAMP」には絶望の底で見上げた灯という意味が込められているのだろう。

 レンタルDVDでご覧になる方も多いと思うので、ネタばれは最小限に、作品の背景を記したい。

 「義兄弟」では北朝鮮工作員と韓国諜報員、「高地戦」では朝鮮戦争の最前線で睨み合う両軍と、ともに対峙する者たちの絆が描かれていた。ソン監督の志向性は「タクシー運転手」にも窺える。タクシー運転手、キム・マンソブ(ソン・ガンホ)とドイツ人ジャーナリストのピーター(トーマス・クレッチマン)には実在のモデルがいる。
 
 「タクシー運転手」は政治的メッセージとエンターテインメント性を併せ持つ作品だ。「義兄弟」で韓国諜報員を演じていたソン・ガンボは、意志、ユーモア、ヤサグレを同時に表現出来る名優で、そのキャラが本作にも彩りを添えている。マンソプと娘との絆、ピーター、そして光州のタクシー運転手と紡いだ友情を軸に、公安部との息詰まる攻防がスリル満点に描かれていた。

 光州を取材するため、ピーターは東京からソウルに渡る。交通網は遮断されていたから移動手段はタクシーで、運転手はマンソプだ。サウジで出稼ぎしていたマンソプは、片言の英語でピーターとコミュニケーションを図る。軍隊による虐殺に、ピーターは怯まずシャッターを押し続ける。当地のタクシー運転手、学生、市民と交流するうち、マンソプは軍や国家への怒を抑え切れなくなった。

 文在寅大統領はピーターのモデルになったユルゲン・ヒンツベーター(故人)の妻と本作を観賞し、「光州事件は我々が解決すべき課題で、本作がきっかけになると信じている」(論旨)と語った。歴史修正主義者が跋扈する日本ではあり得ない政府の対応だが、中国当局の判断も興味深い。光州事件が天安門事件を連想させることを懸念し、本作は観賞不可能の状態にある。

 冒頭で抵抗歌の日本語版を紹介したが、〝民主主義を我らに〟は〝民主主義を彼らに〟だったかもしれない。歌った者の本音<日本は民主主義国-韓国は独裁国>は世紀を越えて覆る。ジャック・アタリの「21世紀の歴史」(06年)は新自由主義の負の側面を軽視したため名著になり損なったが、的を射た部分はあった。<民主主義と自由>をリトマス紙に各国を測り、近未来のアジアの盟主に韓国を据えたのだ。

 朴前大統領と安倍首相はともに国家私物化の罪を犯した。朴大統領は連日の数十万規模のデモで政権の座から追われ、20代の熱烈な支持を得た文在寅が大統領に就任する。一方の安倍首相は3選に邁進し、同調圧力に屈した若者は沈黙している。両国の民主主義度の違いは決定的だ。

 ピーターが身を賭して撮った写真の数々で、世界は光州の真実を知った。俺が光州事件に教えられたことは二つある。第一は<想像力の重要さ>だ。発禁になり自主製作された白竜の「光州CITY」(1981年)に、「楽しそうに街を歩く君たちは、笑いながら誰かを殺している」という歌詞の曲が収録されていた。隣国で流される夥しい血を一顧だにしない日本の若者の想像力の欠落を抉った曲である。

 第二は<収奪される者、差別される者の側に寄り添うこと>。俯瞰で世界を眺めれば、イエメン、パレスチナ、シリア、そして沖縄とフクシマが同じ視座で繋がっていることに自ずと気付く。光州事件は俺にとって最高の教科書だった。

 「満腔の怒りをもって権力と対峙するぞ」とアジっていた全共闘世代は、保守化と集団化を主導する。一方の韓国では、「膝をついて生きるよりは立ったままで死のうじゃないか」を実践した活動家の貴い屍の上に民主主義が築かれた。日本がアメリカに与えられた<民主主義の殻>は本家ともども腐りつつある。
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映画「フォークス・オーバー・ナイブズ」&NAJAT講座~キーワードは「ミート・イズ・マーダー」

2018-06-20 23:00:25 | 社会、政治
 地震、雷、火事、親父とはおっかないものを語呂良く並べた言葉だが、地震の恐ろしさを日本人以上に知る国民はない。大阪で先日、震度6弱の地震が起きた。亡くなられた方の冥福を祈るとともに、一日も早い復旧を願っている。

 東日本大震災後、被災地に頻繁に足を運んだ池澤夏樹は「春を恨んだりはしない」で<災害と復興がこの国の歴史の主軸ではなかったか>と綴っていた。地震は無常観、死生観、諦念を育んだだけではない。日本人は政権の腐敗や無策まで天災として受け入れるようになった。底を打った安倍内閣支持率は上昇しつつある。

 ブログに繰り返し記してきたが、老眼の進行で小さい字が読みづらくなっていた。読書&パソコン専用の眼鏡をようやく購入し、この10日余り、POGドラフトの突貫工事に没頭した。会議の前後、極度の睡眠不足で映画会と講座に参加した。両イベントを繋ぐキーワードは「ミート・イズ・マーダー」である。

 第30回ソシアルシネマクラブすぎなみ上映会(高円寺グレイン)は、グリーンズジャパン会員発プロジェクト「アニマルハッピー! ミートフリーマンデー」のオープニングパーティーを兼ねていた。「東京ヴィーガンミートアップグループ」(TVMG)との共催で国際色豊かな会になる。約半数がヴィーガンで、俺のようなメタボ体形は少数だった。

 上映作品「フォークス・オーバー・ナイブズ」(米、11年)は動物性タンパク質と加工食品の過剰摂取に警鐘を鳴らし、菜食生活を奨励する内容で、膨大なデータには説得力があった……、こんな通り一遍の感想しか記せないのは、上記の睡眠不足に加え、座った位置の関係で字幕が殆ど見えなかったからである。

 終演後、プレゼンテーション、大久保幸菜さんのライブと続く。TVMGとの質疑応答では、「肉食は人の言動にも悪い影響を及ぼすのでは」という質問が寄せられていた。配られた特製ヴィーガン弁当を隣で食べていたのは、TVMGオーガナイザーで日本語が堪能なナディアさん(間違っているかも)である。

 英国出身と聞き、「スミスの頃からモリッシーを聴いてます」と言うと、「『ミート・イズ・マーダー』、私も好きです」とスミスのアルバム(1985年発表)のタイトルが返ってくる。ほんの少しロック談義を楽しんだ。ちなみにモリッシーは言葉の戦争を好む攻撃的なキャラだ。

 「日本のヴィーガンは大きな壁に直面している」とナディアさんは言う。職場でヴィーガンであることを公表出来ないのだ。この構図は思想信条、性的アイデンティティーにも通じる。異物をチェックし、〝空気を読め〟と同調圧力を求める空気が、この国の保守化を支えている。

 武器とは言うまでもなく、大規模な殺人(戦争)のツールだ。昨日(19日)は武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)講座「武器貿易条約(ATT)第4回締約国会議にむけて」(明大グローバルフロント)に参加した。報告者は明大研究・知財戦略機構の榎本珠良専門研究員で、司会を知人でもある杉原浩司NAJAT代表が務めた。

 立憲民主党の国会議員、消費者運動のリーダーなど参加者の多くはATTを理解していたが、俺には初めて聞く言葉だった。8月には日本で第4回締結国会議(CSP4)が開催される。ATTには130国が署名し、批准は82国、締約国は日本を含め90国前後という。高見沢議長が政権に忖度して審議を進めないか訝る声もある。

 常任理事国が武器輸出大国という国連は信用出来ないが、その枠内にあるATTも同様で、榎本氏いわく「細部に悪魔が宿り」、締結国が恣意に解釈するケースもしばしばだ。会を通して頻繁に名前が挙がったのが、イエメン空爆連合軍の軸になっているサウジアラビアとUAEだ。潘基文前国連事務総長も批判していたが、軍需産業の影響力を排せず、英米だけでなく、〝マトモ〟と思える国も武器を輸出している。

 パレスチナ人を虐殺するイスラエルについての質疑もあったが、榎本氏はジュネーブ条約で裁かれるべきと語っていた。中古武器流出、無人兵器についても8月の議題に挙がっているという。CSPを牛耳るのは武器輸出大国だが、それでも研究者や市民に門戸は開かれている。

 散会した頃、日本対コロンビア戦がキックオフした。サッカーを戦争の如く伝えるメディア、選手たちを出征兵士のように応援する風潮にうんざりしている。、榎本氏によれば、ATTで正論を吐いて孤軍奮闘しているのがコスタリカとメキシコという。コスタリカに加え、メキシコも応援国リストに入れることにした。
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ワールドカップを政治的に楽しむ

2018-06-16 11:18:45 | スポーツ
 安倍政権に忖度する官僚は不起訴になり、首相の知人である記者は強姦罪を免れた。刃向かった籠池夫妻は下獄する。東京高裁が11日に下した袴田巌元被告の再審請求棄却も、この国の司法の歪みを端的に示している。静岡地裁が再審開始の根拠とした本田克也筑波大教授の最先端技術による鑑定に、高裁は疑義を呈した。

 別稿(今年4月9日)で紹介した映画「獄友」(18年、金聖雄監督)では、獄中で精神を壊された袴田さんが石川一雄さん(狭山事件被告で再審請求中)、桜井昌司さん(布川事件で無罪確定)らの励ましによって回復し、将棋をツールに周囲と繋がっていく過程が描かれていた。仲間と支援者に囲まれている〝不屈のボクサー〟が挫けることはないだろう。

 この10年、国を挙げて応援するスポーツイベントに忌避感を覚えるようになった。出征兵士のように選手を送迎する風潮に我慢がならないから、夏季も冬季も五輪は殆ど見ない。ロシアW杯が開幕したが、〝サッカーの祖国〟が出場しないので白けている。オランダが精彩を欠いている理由を考えてみた。

 第一に、アヤックスの選手育成ノウハウが模倣され、常識になってしまったこと。バルセロナがその典型だ。第二に、〝多民族〟がトレンドになったこと。スリナム系選手の運動能力が貢献してきたが、ドイツにしてもゲルマン魂なんて今は昔、ポーランドやトルコからの移民が多く招集されている。優勝時のフランスも旧植民地出身選手がチームの核になっていた。

 多様性が重要な意味を持つのはサッカーに限らない。日本でも陸上、柔道、テニス、卓球と躍進著しい競技では、様々なDNAを受け継ぐ選手が台頭している。今回の代表はフレッシュさに欠けるが、いずれ目に見える変化が起きるだろう。

 臍曲がりゆえ、世間と別の視点でW杯を楽しむことにして出場国をチェックした。オランダの代わりというわけではないが、隣国ベルギーのダイナミックなサッカーは魅力的だ。バルガス・リョサの出身国ペルーにも頑張ってほしい。

 政治とスポーツは切り離せない。思想信条で二つの国をピックアップした。俺はグリーンズジャパンの会員だが、友党グリーンズレフトのヤコブスドッテイル党首が昨年11月、アイスランド首相に就任した。民主度ランキングで世界2位に評価されており、オルタナバンドの最高峰シガー・ロス、そしてビヨークを生んだロックの聖地でもある。外交力を駆使してアメリカの軛を逃れ、非武装中立を宣言した〝奇跡の国〟コスタリカにも共感を抱いている。

 ベルギーはFIFAランキング3位、ペルーは11位で下馬評も高い。〝負けるな一茶。これにあり〟の心境で応援するつもりだったアイスランドとコスタリカだが、〝やせ蛙〟ではなかった。アイスランドは22位、コスタリカは23位だから、決勝トーナメント進出の可能性は十分だ。
 
 応援したくない国の筆頭は、アメリカと並ぶ横綱クラスのテロ国家ロシアだ。開幕戦でそのロシアに惨敗したサウジアラビアも然りで、アメリカを後ろ盾にイエメンで非人道的な無差別空爆を行っている。出場していないイスラエルと並ぶ大関クラスのテロ国家といえるだろう。

 1974年ドイツW杯決勝は、俺の人生に絶大な影響を及ぼした。革新性と美しさで心を鷲掴みされたオランダがドイツに敗れた時のショックは今も消えない。勝ったベッケンバウアーはその後も、「勝った者が強いのだ」と主張している。敗れたクライフは「美しく負けることを恥じるべきではない。無様に勝つことこそ恥なのだ」と美学を語り続けた。

 あれから44年……。来し方を振り返れば、俺は無様に負け続けた。だが、ピリオドを打つのは早い。美しくは無理だが、溌剌と老いていきたい。ポルトガルとスペインの死闘を観戦しながら本稿を書き終えた。政治抜きに楽しめる素晴らしい内容だった。
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「ザ・ビッグハウス」~見る側が紡ぐアメリカ像

2018-06-12 22:50:57 | 映画、ドラマ
 米山前知事の辞任に至る経緯、安倍政権の目に余る私物化……。〝負のシーソーゲーム〟になった新潟知事選での与党勝利で、原発再稼働の動きは加速するだろう。残念としか言いようがない。

 エンターテイナー同士による第1回米朝会談に世界中が大騒ぎだ。北朝鮮に眠る鉱物資源に興味津々のグローバル企業、新たな発火点を探す軍需産業が裏でシナリオを書いているに相違ない。兵器を売り歩いた〝死の商人〟オバマに続き、トランプと金正恩にノーベル平和賞授与……なんて心配していたが、中身の薄さで批判を浴びている。

 想田和弘監督の最新作、観察映画第8弾「ザ・ビッグハウス」(2018年)をイメージフォーラム(渋谷)で観賞した。想田といえば前作「港町」(18年)を紹介したばかりで、今月末にも「選挙」、「選挙2」について記すつもりでいる。

 ビッグハウスとはミシガン大フットボールチーム、通称ウルヴァリンズの本拠地だ。同大に客員教授として招かれた想田は、学生ら16人とともに16年秋、7連勝を懸けたウィスコンシン大との一戦に照準を定める。当日の観客数は11万超だった。

 日本ではBS、CSとも放映権を失ったので見る機会はないが、以前はボウルゲームを中心にカレッジフットボールを観戦していた。ミシガン大はディビジョン1に認定される約80校のひとつで、4年前の統計ではNFLに35選手を送り込んでいた(21位タイ)。ちなみに政治家、ノーベル賞受賞者らを多く輩出しているミシガン大は世界大学ランキング(英タイムズ社)で21位に評価されている。ちなみに東大は46位だ。

 9月以降、毎週土曜にディビジョン1の対戦が組まれ、時間差で各局が全国中継する。高視聴率を誇り、放映権を含めた強豪校の収入は巨人、ソフトバンクを除くNPBチームを上回っている。ビッグハウスで起きていることは、週末のハイライトのひとつに過ぎないのだ。

 ドキュメンタリーと観察映画の違いはどこにあるのだろう。ドキュメンタリーでは完成したジグソーパズルをぶちまけ、ピースの数々を埋め込んでいく。一方の観察映画は、予定調和ではなく、散乱するピースをディレクターが填め込んでいく。観客もまた、自身の感性でパズルを組み立てるのだ。

 試合当日の警備、放送体制のチェック、食材の搬入、途轍もないバーガーの大きさ、可愛いチアガール、大多数が白人の客席、清掃ボランティアの奮闘、会場外でチョコレートを売る黒人父子、空き缶を運んでいるホームレス、信仰を説く福音派、トランプ支持者の宣伝カー……。カメラは試合ではなく、グラウンド内外の喧噪を追っている。

 <本作にミリタリズムとナショナリズムの広がりを感じる。トランプ登場の前兆を体感出来た>と指摘する識者もいる。〝観察映画に作意はない〟が前提だが、膨大なフィルムを編集する過程で、想田も危うい空気を感じたはずだ。そもそもアメフトは戦争に擬せられるゲームで、専用ブースにスタッフが陣取り、相手チームの戦術、戦略を事細かに分析し、コーチ陣に伝える。〝盗み〟も勝つために許されているのだ。

 特殊部隊が試合前のセレモニーで空から降下し、軍人への感謝が場内アナウンスで〝強制〟される。マーチングバンドの行進は北朝鮮の軍事パレードの如く勇ましい。卒業生だけでなく、ミシガン大は郷土愛のシンボルになっている。郷土愛→愛国心という不可視の道筋がアメリカを支えているのだろう。

 試合後、大学構内で開催された高額寄付者の懇親会も興味深かった。ミシガン大だけでなく、有名校には年間1000億円レベルの寄付が寄せられる。企業からの助成金も莫大で、産学協同、軍学協同は当然なのだ。大学とは教育機関ではなく大企業であることを改めて実感した。負け組もまた、ビッグハウスの一日を支えていた。格差の実態も本作で浮き彫りになっている。

 俺は学生時代、周囲が大騒ぎするスポーツイベントに一度しか足を運んでいない。〝みんなと一緒〟が性に合わない俺は、想田が危惧する同調圧力に距離を置いているが、代価として孤独を味わうことも少なくない。
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「夜空はいつでも最高密度の青色だ」~還暦男の心をも揺さぶる恋愛映画

2018-06-07 23:33:01 | 映画、ドラマ
 小島武夫さんが亡くなった。対局姿に接するようになったのはこの10年、主にMONDOTVで、飄々かつ恬淡とした雰囲気と華麗な打ち筋に魅せられた。借金王、そして艶福家……。波瀾万丈の来し方で、温かいオーラと男の色気を身に纏ったのだろう。享年82、〝永遠の放蕩児〟の死を心から悼みたい。

 麻雀シーンが毎回挿入されるドラマといえば「ドクターX~外科医・大門未知子~」だ。俺は第5シリーズ後半から見始めた〝初心者〟だから、GWに一挙に放映された全作品を録画して消化中だ。テーマ曲からマカロニウエスタン、主人公の個性から「木枯し紋次郎」を連想している。「あっしには関わりのないことでござんす」が口癖の紋次郎だが、大門未知子と同じく心はホットだ。

 日本映画チャンネルで「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17年、石井裕也監督)を見た。美香(石橋静河)、慎二(池松壮亮)がW主人公だ。主な舞台は渋谷で、美香は看護師とガールズバーのバーテンダーを掛け持ちしている。左目が見えない慎二は工事現場で働く作業員だ。

 美香いわく「どうでもいい奇跡」が重なって、二人の距離は縮まっていく。原作は同名の最果タヒの詩集で、美香のモノローグが心象風景を映し出し、ちりばめられた光が夜空を彩っている。とりわけ印象的だったフレーズを以下に記す。

 <都会を好きになった瞬間 自殺したようなものだよ 塗った爪の色は 君の内側に探したって 見つかりやしない> 
 <君が可哀想と思っている君自身を誰も愛さない間 君はきっと世界を嫌いでいい そしてだからこそ この星に恋愛なんてものはない>
 <君に会わなくても どこかにいるのだからそれでいい みんながそれで安心してしまう 水のように春のように 君の瞳がどこかにいる 会わなくてもどこかで息をしている 希望や愛や 心臓を鳴らしている>

 瑞々しさに心を濾し取られつつ。俺自身の青春期の湿度と温度を探っていた。現在の20代はどんな風に恋しているのだろう。美香と慎二は、ツールとしてスマホを用いているが、恋愛の進め方はアナログだ。ともに孤独で、自分をヘンテコだと感じている。

 美香にとって母の死がトラウマで、慎二は「死」という言葉に忌避感を抱きつつ、「死」を引き寄せてしまう。〝あらかじめ失われた恋人たち〟は互いの瞳を鏡にして、自分の欠落を見ている。喫煙者は肩身が狭いご時世、美香も慎二もヘビースモーカーという設定は、疎隔感のメタファーかもしれない。

 慎二の仕事仲間は、借金(100万円)の形で研修生として連れてこられたアンドレス(ポール・マグサリン)、彼らフィリピン人に同情するリーダー格の智之(松田龍平)、そして岩下(田中哲司)だ。智之の唐突な死に驚いたが、「舟を編む」で石井とコンビを組んだ松田にとって友情出演だったのだろう。

 存在感が際立っていたのは、ダメ中年を演じた田中哲司だ。腰が悪く、手も痺れてズボンのチャックが閉められない。仲間は自殺まで心配するが、「死んでしまうことを不幸と思うのなら、生きていくことも出来ない」などと詩人風に嘯く。ボロボロな体でデートに駆け出していくシーンは本作のハイライトのひとつだ。

 美香と慎二にはコミュニケーション下手という共通点がある。黙りこくったと思ったら、沈黙を倍返しするように話し始める。二人が初めて微笑みを交わした直後、慎二が「俺に出来ることがあったら」と言うと、美香は「死ねばいいのに」と返す。「死ねと言えば簡単に孤独を手に入れられていた」というモノローグが重なった。

 恋愛とは? 幸せとは? 噛み合わない会話と象徴的なエピソードで、美香と慎二の魂は相寄っていく。見る者はもう一人の主人公に気付くだろう。二人が通り過ぎる渋谷や新宿で演奏するストリートミュージシャン(野嵜好美)の歌声は、不器用な二人を紡ぐキューピッド役を果たしていた。

 抗議の声を上げるわけではないが、美香も慎二も閉塞感と不安を覚え、何らかの形で社会と繋がっていたいと感じている。東京五輪を控えた空虚な喧噪から距離を置く本作は、還暦を過ぎてアンテナが錆び付いた俺の心をも揺さぶる恋愛映画の傑作だった。
 
 石橋の両親は石橋凌と原田美枝子で、表現者としての才能を受け継いでいる。決して美人ではなく、鈍で骨太な感じの23歳に、俺は「青春の門」(1975年)で衝撃を受けた大竹しのぶを重ねていた。年内に主演作が2本公開されるという。飛躍を期待したい。

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「サムライと愚か者-オリンパス事件の全貌」が抉る日本の病根

2018-06-03 13:56:41 | 映画、ドラマ
 前稿で阿部和重著「クエーサーと13番目の柱」を紹介した。キーとなる登場人物はQ(クイーン)と称されるミカで、国内外で大ブレーク中のガールズトリオ(エクストラ・ディメンションズ=ED)の唯一の人間だ。

 チャンネルサーフィンしていて、EDと重なるバーチャルアーティスト「IA」を発見した。ボーカロイドのIAは、「PARTY A GO-GO」ツアーで2人の生身の女性を従え、歌い、踊っている。「クエーサー――」は12年発表だから、阿部は時代を先取りしていたのか。

 国有地の大幅値引き売却を巡って告発されていた佐川前理財局長は不起訴処分となった。安倍首相は様々な疑惑から逃げ切り、内閣支持率も30%で底を打ったこともあって3選に邁進している。悪の構図は明々白々だが、首相夫妻は生き延びるだろう。

 日本と先進国との乖離を、死刑と供託金制度を例に挙げて指摘してきた。残念なことに、戦争法に反対する人たちの多くは死刑制度に賛成で、自称リベラルも民主主義の根幹に関わる選挙制度に無関心である。財界は果たして? 日本の特殊性を抉った「サムライと愚か者-オリンパス事件の全貌-」(15年、山本兵衞監督)をシアター・イメージフォーラム(渋谷)で観賞した。

 欧州各国が共同製作に名を連ね、ZDF(独)、BBC(英)などのニュース映像が流れる。カメラが追ったのは、オリンパスを解雇された元社長兼CEOの英国人マイケル・ウッドフォード氏だ。同氏は社長就任後、「月刊FACTA」に掲載された記事(著者は山口義正氏)で自社の不透明な企業買収を知った。

 原発事故後、東電や電通の威光に怯えたのと同様、国内メディアは沈黙した。真実を明るみに出そうとして解任されたウッドフォード氏は、集めた資料を英フィナンシャル・タイムズ紙に託し、FBIにも協力する。ウッドフォード氏が帰国の際に慎重を期したのは、買収の背景に暴力団が絡むファンドが介在していたからだ。

 企業買収に至った経緯はプラザ合意(1985年)に溯る。バブル崩壊、株価低迷に直面した歴代社長は粉飾決算に手を染めた。ウッドフォード氏は長年の友人の和空ミラー氏や元専務らとHPを立ち上げ、オリンパス再生に向け社長復帰を目指す。現役の5人の部長が名を連ねるなど試みは成功すると思えたが、有形無形の圧力によって頓挫した。

 山口氏はこの事件により「一人一人は優秀だが、集団になると腐敗し暴走するという日本人像が海外で出来上がった」と語っていた。森友、加計問題を巡る官邸と官僚の癒着とそのまま重なる。本作のタイトルはウッドフォード氏の「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)に極端に分かれてしまうのか」という述懐に基づいているが、俺は少し違和感を覚えた。

 武士道を知るための最良の教科書は「子連れ狼」だ。拝一刀は「士たる志を持つ者こそが武士」と言い放ち、一揆に立ち上がった農民、高い志を抱く商人の側に立つ。身分としての武士は上意下達を受け入れる。財務省の官僚やオリンパスの社員たちこそ、日本伝統のサムライなのだ。即ち、サムライ≒愚か者……。

 サムライには二通りある。個を捨て組織に殉じる「便法としてのサムライ」と、信じるものを追求する「生き様としてのサムライ」だ。日本を闊歩しているのは前者だ。対米従属を恥じない日本政府、官邸に蹂躙される官僚たちに怒りを覚える人たちは、自ら属する組織で後者として不条理を正しているだろうか。

 孤立を恐れず会見した日大の宮川選手は、後者の希少なサムライ像に近い。上にへつらい、下と見做した者への残虐行為を繰り返したサムライの遺伝子を受け継いだのが日本兵だ。<サムライ=日本兵=スポーツ選手>と否定的に受け取る外国人は、とりわけアジアで多いはず。全ての競技で〝サムライ〟の冠を外すべきだ。


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