サッカーW杯は決勝Tに突入した。応援したアイスランドとコスタリカもそこそこ頑張ったし、ベルギーは最も勢いを感じるチームだ。アジアのチームも見せ場をつくった。最たるものはドイツを破った韓国だが、イランもスペインとポルトガルを苦しめた。ラッキーもあったが、日本はアジアで唯一、決勝Tに進出する。
興味なしと言いつつ、時間が合えばついつい見てしまう。俺のような定年世代は<自分はどのようなチームに属していたのか>と来し方を重ねて観戦しているはずだ。トルコ系選手が独裁者エルドアン大統領を表敬訪問したことがドイツ不振に繋がったのか、メッシ頼りがアルゼンチンの不振の原因か、ポーランド戦のメンバーはなぜメディアに洩れたのかetc……。意見を闘わせている中高年もいるだろう。
会社が生かすのはせいぜい10%……。この分析が正しければ、殆どの社員は〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟でフラストレーションをためたまま退職する。ちなみに、社会的不適応者の典型で野垂れ死にを覚悟していた俺は、拾ってくれた会社に感謝している。社会と遠い場所における非生産的な仕事(校閲)は〝天職〟だったが、辞めてから15年近く経った今、情熱を傾けて励んだかと問われると、答えは「NO」だ。
帰属意識を拒否しつつ、「プロジェクトX~挑戦者たち~」に描かれた一体感に羨ましさを覚えたこともあった。スポーツや刑事ドラマを好むのは、<チーム>に惹かれているからだろう。ひねくれ者と体育会系のアンビバレンツが、心の裡に混在している。
前置きは長くなったが、<チーム>の意味を問う映画を新宿武蔵野館で見た。期間限定(2週間)上映の「第二警備隊」(18年、柿崎ゆうじ監督)である。柿崎監督は警備会社経営者で、経歴のみならず台詞にも〝右派〟らしさが滲んでいた。本作は20年近く前に柿崎自身が経験した事件がベースになっている。
主役は警備会社エステック社長、大崎(筧利夫)だ。肚の据わった体育会系で、包容力を併せ持っている。柿崎の元に、大学時代の先輩、小泉から身辺警備の要請が入った。名刹の住職である小泉は指定暴力団真政会の別働隊、護国大憂党による迷惑行為に苦しんでいた。クビにした僧侶、取引を停止した石材会社に真政会が接近したのが発端である。
大崎は第二警備隊を結成し寺に常駐させる。高城隊長(出合正幸)と中本(野村宏伸)を軸に、紅一点の佐野(竹島由夏)も加えた精鋭を揃えたが、暴対法施行(2008年)以前ゆえ、彼我の差は歴然としていた。街宣は小泉の妻(伊藤さつき)の実家、娘の学校、総代の勤務先(大学)にも及ぶ。小泉の腰はふらつき、金で手を打とうとするが、大崎は寺の経営権奪取を目論む真政会の意図に気付いていた。
大崎は一計を案じたが、挑発と脅迫はエスカレートする。暴力団と所轄署の癒着、本庁への栄転を目指す幹部の打算も背景にあって警察は動かない。依頼者の生命や権利を守るため、昼夜兼行で防弾チョッキを着用しての危険な業務は、今風に言えば〝ブラックの極致〟だ。中本が糾弾に斃れたことで警察は突然、軸足を市民の側に移す。
華々しいアクションシーンはなく、キャスティングが地味だからこそ、リアリティーと臨場感が増している。数々のドラマや映画で見た〝暴力団の横暴〟が画面に溢れていたが、第二機動隊は耐えに耐える。〝自分を殺し、目的遂行のために粉骨砕身する〟ことに、共感と違和感がない交ぜになる人も多いはずだ。
低予算のインディーズ作品だが、海外の多くの映画祭で高評価を受けたのは、〝日本を写す鏡〟と捉えられたからだろう。大崎は中本の命日を会社創立日とし、社員全員による墓参が恒例になった。〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟にされたと感じている人の心に響く作品だ。
興味なしと言いつつ、時間が合えばついつい見てしまう。俺のような定年世代は<自分はどのようなチームに属していたのか>と来し方を重ねて観戦しているはずだ。トルコ系選手が独裁者エルドアン大統領を表敬訪問したことがドイツ不振に繋がったのか、メッシ頼りがアルゼンチンの不振の原因か、ポーランド戦のメンバーはなぜメディアに洩れたのかetc……。意見を闘わせている中高年もいるだろう。
会社が生かすのはせいぜい10%……。この分析が正しければ、殆どの社員は〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟でフラストレーションをためたまま退職する。ちなみに、社会的不適応者の典型で野垂れ死にを覚悟していた俺は、拾ってくれた会社に感謝している。社会と遠い場所における非生産的な仕事(校閲)は〝天職〟だったが、辞めてから15年近く経った今、情熱を傾けて励んだかと問われると、答えは「NO」だ。
帰属意識を拒否しつつ、「プロジェクトX~挑戦者たち~」に描かれた一体感に羨ましさを覚えたこともあった。スポーツや刑事ドラマを好むのは、<チーム>に惹かれているからだろう。ひねくれ者と体育会系のアンビバレンツが、心の裡に混在している。
前置きは長くなったが、<チーム>の意味を問う映画を新宿武蔵野館で見た。期間限定(2週間)上映の「第二警備隊」(18年、柿崎ゆうじ監督)である。柿崎監督は警備会社経営者で、経歴のみならず台詞にも〝右派〟らしさが滲んでいた。本作は20年近く前に柿崎自身が経験した事件がベースになっている。
主役は警備会社エステック社長、大崎(筧利夫)だ。肚の据わった体育会系で、包容力を併せ持っている。柿崎の元に、大学時代の先輩、小泉から身辺警備の要請が入った。名刹の住職である小泉は指定暴力団真政会の別働隊、護国大憂党による迷惑行為に苦しんでいた。クビにした僧侶、取引を停止した石材会社に真政会が接近したのが発端である。
大崎は第二警備隊を結成し寺に常駐させる。高城隊長(出合正幸)と中本(野村宏伸)を軸に、紅一点の佐野(竹島由夏)も加えた精鋭を揃えたが、暴対法施行(2008年)以前ゆえ、彼我の差は歴然としていた。街宣は小泉の妻(伊藤さつき)の実家、娘の学校、総代の勤務先(大学)にも及ぶ。小泉の腰はふらつき、金で手を打とうとするが、大崎は寺の経営権奪取を目論む真政会の意図に気付いていた。
大崎は一計を案じたが、挑発と脅迫はエスカレートする。暴力団と所轄署の癒着、本庁への栄転を目指す幹部の打算も背景にあって警察は動かない。依頼者の生命や権利を守るため、昼夜兼行で防弾チョッキを着用しての危険な業務は、今風に言えば〝ブラックの極致〟だ。中本が糾弾に斃れたことで警察は突然、軸足を市民の側に移す。
華々しいアクションシーンはなく、キャスティングが地味だからこそ、リアリティーと臨場感が増している。数々のドラマや映画で見た〝暴力団の横暴〟が画面に溢れていたが、第二機動隊は耐えに耐える。〝自分を殺し、目的遂行のために粉骨砕身する〟ことに、共感と違和感がない交ぜになる人も多いはずだ。
低予算のインディーズ作品だが、海外の多くの映画祭で高評価を受けたのは、〝日本を写す鏡〟と捉えられたからだろう。大崎は中本の命日を会社創立日とし、社員全員による墓参が恒例になった。〝飼い殺し〟もしくは〝使い捨て〟にされたと感じている人の心に響く作品だ。