アサンジ(ウィキリークス創設者)とスノーデンは正しかった。「米情報機関、メルケル首相の携帯を盗聴」という見出しが27日付の独各紙に躍り、怒りが世界を駆け巡る。盗聴は02年から始まり、オバマ大統領公認の下、他のEC諸国首脳にも及んでいたという。秘密保護法成立に邁進する安倍首相の携帯もとっくに盗聴され、公私の秘密はワシントンにだだ漏れになっているはずだ。
アムネスティ・インターナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチが米軍の無人機による攻撃を国際法違反と告発し、戦争犯罪に当たる可能性を指摘した。国連の潘基文事務総長も苦言を呈するなど、国際社会におけるアメリカの威信失墜は甚だしい。それでも〝アメリカの正義〟にしがみ付く、ナショナリズムを失くした国の行く末を案じている。
「相変わらず反米的だな」とあきれるムキもいるだろうが、俺が異を唱えるのは、アメリカを、そして世界を牛耳る<1%>である。<99%>は善良な人々で、その中には社会に、そして自身に鋭い刃を向ける者もいる。その代表格といえるルー・リードが亡くなった。享年71歳である。
<ある世代の前衛は、次の世代のメーンストリームになる>というロック界の格言を証明したのがルー・リードだ。R・I・P、即ちレスト・イン・ピース(安らかに眠れ)……。アンダーテイカーの決め台詞と思っていたが、一般的に用いられているようで、多くのロッカーがこのフレーズで哀悼の意を表している。
絆が深かったNY派のジョン・ケイルやデヴィッド・バーンを筆頭に、列挙していけばページが埋まってしまうが、中には気の利いた弔辞もある。「ワイルドサイドを歩け」にちなみ、同世代のザ・フーはHPで「これからは穏やかなサイドを歩け」と記していた。意外なようで当然とも思えるのがモリッシーとの交遊だ。モリッシーはファンサイトに、リードと肩を組んだツーショットと合わせ、追悼文を投稿している。
誰よりも打ちひしがれているのは、異端視されながら共に新地平を切り開いた戦友のデヴィッド・ボウイだろう。ヘロイン中毒などで苦境に陥ったリードを、ボウイは陰に日向に支えていた。リードが「ベルリン」を発表したのは73年だが、ボウイは3年後にベルリンに拠点を移し、「ロウ」と「ヒーローズ」を制作している。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1st「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」は67年3月に発表された。アンディ・ウォーホルのジャケットで有名な本作だが、セールス的には大失敗だった。67年といえばドアーズの「ハートに火をつけて」(1月)、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」(6月)が世界に衝撃を与えた。この3枚により、ロックは無限の可能性を秘めたアートになり、歌詞は詩へと飛翔する。
リードのキャリアで一枚選ぶなら「ベルリン」だ。リード自身が封印を解き、曲順通り演奏したNYでの初演を収録した「ルー・リード/ベルリン」(07年)は感動的なドキュメンタリーだった(08年11月13日の稿)。
多くの人が追悼のコメントを記しているが、渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)のブログは興味深い内容だった。ぎこちない雰囲気でインタビューを終えた翌日、リードは関係者を通して海苔を渋谷氏に贈る。「このアルバムは日本の海苔のようなもの。あのジャーナリストなら理解してくれる」とのコメント付きだったが、渋谷氏にとってリードの真意は謎のままという。
ロックは形式ではなく、精神であり魂である……。これこそが、リードが後生に遺したことだった。冥福を祈るだけでなく、現在のロッカーの中に、リードの高邁なDNAを見つけていきたい。
アムネスティ・インターナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチが米軍の無人機による攻撃を国際法違反と告発し、戦争犯罪に当たる可能性を指摘した。国連の潘基文事務総長も苦言を呈するなど、国際社会におけるアメリカの威信失墜は甚だしい。それでも〝アメリカの正義〟にしがみ付く、ナショナリズムを失くした国の行く末を案じている。
「相変わらず反米的だな」とあきれるムキもいるだろうが、俺が異を唱えるのは、アメリカを、そして世界を牛耳る<1%>である。<99%>は善良な人々で、その中には社会に、そして自身に鋭い刃を向ける者もいる。その代表格といえるルー・リードが亡くなった。享年71歳である。
<ある世代の前衛は、次の世代のメーンストリームになる>というロック界の格言を証明したのがルー・リードだ。R・I・P、即ちレスト・イン・ピース(安らかに眠れ)……。アンダーテイカーの決め台詞と思っていたが、一般的に用いられているようで、多くのロッカーがこのフレーズで哀悼の意を表している。
絆が深かったNY派のジョン・ケイルやデヴィッド・バーンを筆頭に、列挙していけばページが埋まってしまうが、中には気の利いた弔辞もある。「ワイルドサイドを歩け」にちなみ、同世代のザ・フーはHPで「これからは穏やかなサイドを歩け」と記していた。意外なようで当然とも思えるのがモリッシーとの交遊だ。モリッシーはファンサイトに、リードと肩を組んだツーショットと合わせ、追悼文を投稿している。
誰よりも打ちひしがれているのは、異端視されながら共に新地平を切り開いた戦友のデヴィッド・ボウイだろう。ヘロイン中毒などで苦境に陥ったリードを、ボウイは陰に日向に支えていた。リードが「ベルリン」を発表したのは73年だが、ボウイは3年後にベルリンに拠点を移し、「ロウ」と「ヒーローズ」を制作している。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1st「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」は67年3月に発表された。アンディ・ウォーホルのジャケットで有名な本作だが、セールス的には大失敗だった。67年といえばドアーズの「ハートに火をつけて」(1月)、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」(6月)が世界に衝撃を与えた。この3枚により、ロックは無限の可能性を秘めたアートになり、歌詞は詩へと飛翔する。
リードのキャリアで一枚選ぶなら「ベルリン」だ。リード自身が封印を解き、曲順通り演奏したNYでの初演を収録した「ルー・リード/ベルリン」(07年)は感動的なドキュメンタリーだった(08年11月13日の稿)。
多くの人が追悼のコメントを記しているが、渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)のブログは興味深い内容だった。ぎこちない雰囲気でインタビューを終えた翌日、リードは関係者を通して海苔を渋谷氏に贈る。「このアルバムは日本の海苔のようなもの。あのジャーナリストなら理解してくれる」とのコメント付きだったが、渋谷氏にとってリードの真意は謎のままという。
ロックは形式ではなく、精神であり魂である……。これこそが、リードが後生に遺したことだった。冥福を祈るだけでなく、現在のロッカーの中に、リードの高邁なDNAを見つけていきたい。