前稿の冒頭、「週刊文春」に掲載された<被災地児童2人に甲状腺がんの疑い>のスクープに触れた。「話した内容と異なる」との医師の抗議を受け、文春とおしどりマコ氏(自由報道協会)が会見を開く。大筋で事実に即しているというのが現時点の結論で、マコ氏は記事掲載を了承する情報源からのメールを提示した。
マコ氏は「迅速かつ広範囲にエコー検査を実施し、セカンドオピニオンを形成するシステムが必要」と強調する。福島で現在、ファーストオピニオンを牛耳っているのが山下俊一氏だ。ちなみに山下氏の師匠、重松逸造氏はIAEA調査委員長として1991年、チェルノブイリの安全を宣言した。まさに悪魔の系譜だが、彼らに公害や放射能被害を隠蔽させてきたのは、この国の政官財だ。悪魔より悪い輩を、何と呼べばいいのだろう。
正常性バイアスに歪められた日常に痛い現実を突き付けてくれた朝日ニュースターが、3月末に閉局する。「ニュースの深層」と「愛川欽也~パックインジャーナル」も、新しい局に引き継がれるという。上杉隆氏は降板するようだが……。この1週間、広河隆一氏(DAYS JAPAN編集長)が「ニュースの深層」、小出裕章氏(京大助教)が「パックイン――」に出演した。3・11からここまでの両氏の総括は、奇妙なほど一致していた。
広河氏は<フリーランスや良心的な人たちが明かりを少しずつ灯してくれたことで、影の部分に少しは光が射したが、もう一度すべてを覆い尽くし、何事もなかったことにしようとする国の動きが凄まじい>と語る。一方の小出氏は<3・11以降、反原発の動きに明るさは見えたが、国は猛烈な巻き返しを始めた。40年で廃炉にすると言い出したら、メディアは一斉に支持した>と憂えていた。
広河氏はパレスチナとチェルノブイリで、ジャーナリストとしてだけでなく、支援の輪の中に自らを置いている。小出氏は公安の盗聴や尾行など圧力に晒されながら信念を守り通した。冷たい逆風の中、絶望を克服してきたからこそ、ペシミスティックな言葉にも魂の揺らぎを覚える。広河氏は静謐な蒼い焔、小出氏は無限の情念をオーラとして纏っている。
<ガイガーカウンターが3台とも振り切れた。こんなことはチェルノブイリでも経験がない>……。地震発生から2日後に福島入りした広河氏のリポートは衝撃的だった。政府やメディアはフリーランスの報告をデマとこき下ろし、数カ月にひっそりと追認していく。チェルノブイリの実情を日本で最も知るのは広河氏だが、3・11以降、助言を求める政府関係者や学者は皆無だった。
<日本の原発事故を想定した対策を十分に用意できなかったことが悔やまれる>と語る広河氏、集会や講演会で<私たちが無力だったせいで、原発を止められなかった>と聴衆に頭を下げる小出氏……。何に最大の価値を置くかを決め、退路を断っているからこそ、人は謙虚に、真摯になれるのだろう。
小出氏の説得力ある言葉に再度触れ、心が洗われる。未来を生きる子供たちの健康が何よりも重要なテーマだから、「一基の原発もいらない」「莫大な補償費用や核燃料の処理を考えれば、原発はむしろ割高」と明快に語る。小出氏が感銘を与えるのは、科学的な根拠と同時に、人間としての原点を示すからだ。
職場の整理記者Yさん(恐らく)が、前稿のコメント欄に鈴木邦男氏(一水会)のリポートを貼ってくれた。杉並の集会とデモ(2月19日)にはラディカル、「素人の乱」、共産党、新社会党、社民党、民主党、保守派の西尾幹二氏、そして鈴木氏と、相容れないはずの人々が反原発の旗印の下に結集していた。可能性を示唆する形だと思うので、ぜひ一読を。
このままなら次回総選挙は、<民主VS自民VS橋下グループ>の不毛の構図になる。反原発側には、坂本龍馬のようなオルガナイザーが必要だ。シンボルとしての代表に小出氏を据え、スポンサーは孫正義氏ら脱原発の財界人、アート系や文化系の支持者(候補)には事欠かない。政党縦断的に緩やかな集団を形成できれば、原発のみならず、政治の仕組みを変えられるのではないか。
マコ氏は「迅速かつ広範囲にエコー検査を実施し、セカンドオピニオンを形成するシステムが必要」と強調する。福島で現在、ファーストオピニオンを牛耳っているのが山下俊一氏だ。ちなみに山下氏の師匠、重松逸造氏はIAEA調査委員長として1991年、チェルノブイリの安全を宣言した。まさに悪魔の系譜だが、彼らに公害や放射能被害を隠蔽させてきたのは、この国の政官財だ。悪魔より悪い輩を、何と呼べばいいのだろう。
正常性バイアスに歪められた日常に痛い現実を突き付けてくれた朝日ニュースターが、3月末に閉局する。「ニュースの深層」と「愛川欽也~パックインジャーナル」も、新しい局に引き継がれるという。上杉隆氏は降板するようだが……。この1週間、広河隆一氏(DAYS JAPAN編集長)が「ニュースの深層」、小出裕章氏(京大助教)が「パックイン――」に出演した。3・11からここまでの両氏の総括は、奇妙なほど一致していた。
広河氏は<フリーランスや良心的な人たちが明かりを少しずつ灯してくれたことで、影の部分に少しは光が射したが、もう一度すべてを覆い尽くし、何事もなかったことにしようとする国の動きが凄まじい>と語る。一方の小出氏は<3・11以降、反原発の動きに明るさは見えたが、国は猛烈な巻き返しを始めた。40年で廃炉にすると言い出したら、メディアは一斉に支持した>と憂えていた。
広河氏はパレスチナとチェルノブイリで、ジャーナリストとしてだけでなく、支援の輪の中に自らを置いている。小出氏は公安の盗聴や尾行など圧力に晒されながら信念を守り通した。冷たい逆風の中、絶望を克服してきたからこそ、ペシミスティックな言葉にも魂の揺らぎを覚える。広河氏は静謐な蒼い焔、小出氏は無限の情念をオーラとして纏っている。
<ガイガーカウンターが3台とも振り切れた。こんなことはチェルノブイリでも経験がない>……。地震発生から2日後に福島入りした広河氏のリポートは衝撃的だった。政府やメディアはフリーランスの報告をデマとこき下ろし、数カ月にひっそりと追認していく。チェルノブイリの実情を日本で最も知るのは広河氏だが、3・11以降、助言を求める政府関係者や学者は皆無だった。
<日本の原発事故を想定した対策を十分に用意できなかったことが悔やまれる>と語る広河氏、集会や講演会で<私たちが無力だったせいで、原発を止められなかった>と聴衆に頭を下げる小出氏……。何に最大の価値を置くかを決め、退路を断っているからこそ、人は謙虚に、真摯になれるのだろう。
小出氏の説得力ある言葉に再度触れ、心が洗われる。未来を生きる子供たちの健康が何よりも重要なテーマだから、「一基の原発もいらない」「莫大な補償費用や核燃料の処理を考えれば、原発はむしろ割高」と明快に語る。小出氏が感銘を与えるのは、科学的な根拠と同時に、人間としての原点を示すからだ。
職場の整理記者Yさん(恐らく)が、前稿のコメント欄に鈴木邦男氏(一水会)のリポートを貼ってくれた。杉並の集会とデモ(2月19日)にはラディカル、「素人の乱」、共産党、新社会党、社民党、民主党、保守派の西尾幹二氏、そして鈴木氏と、相容れないはずの人々が反原発の旗印の下に結集していた。可能性を示唆する形だと思うので、ぜひ一読を。
このままなら次回総選挙は、<民主VS自民VS橋下グループ>の不毛の構図になる。反原発側には、坂本龍馬のようなオルガナイザーが必要だ。シンボルとしての代表に小出氏を据え、スポンサーは孫正義氏ら脱原発の財界人、アート系や文化系の支持者(候補)には事欠かない。政党縦断的に緩やかな集団を形成できれば、原発のみならず、政治の仕組みを変えられるのではないか。