酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」~ヒューマンドラマに心癒やされ

2017-09-27 23:21:11 | 映画、ドラマ
 連日の政治の動きに吐き気を催している。森友・加計隠しで解散に打って出た安倍首相の政治の私物化、既得権を守る小池知事が唱えるエセ改革……。ここまでは想定の範囲内だったが、民進党の新党合流に絶望する。

 代表選で右派の前原氏がベターと思ったのは、井手慶大教授らと協議を重ねた上で、民進党が<格差と貧困の是正>を掲げることを確信したからだ。共産、自由、社民と組むならともかく、弱者に冷酷な小池新党と合流するなんてあり得ない。10月22日以降、保守大連合で改憲に突き進む。

 猫ブームの日本では、キャットフードにデザートまで加わったという。俺も猫好きだが、「愛しているか」と問われると首を縦に振れない。<猫愛>の背景には、社会的な問題が横たわっているからだ。

 メディアに頻繁に登場する加藤一二三九段はかつて、野良猫を餌付けして近隣住民に訴えられた。「生きとし生きるものへの愛」がクリスチャンである加藤の信条だろうが、<正しい猫愛の形>とはいえない。多くのNPOは<捕獲→去勢・避妊→里親探し>に取り組んでいる。
  
 野良猫に餌やりする老人(主に女性)をよく見かける。孤独な人間と捨てられた猫との交流だ。江古田に住んでいた頃、ウオーキングの途中に立ち寄った哲学堂公園は、ホームレスと野良猫の憩いの場だった。なけなしの金をはたいて買ったキャットフードを手に、ベンチに座るホームレスの足元に、猫たちがじゃれていた。引っ越し後、久しぶりに公園を訪ねてみると、ホームレスと猫は消えていた。

 40年近く前、〝初代ひきこもり〟だった俺の部屋に牝猫(避妊手術済み)が迷い込む。部屋代を払うのを延ばしてもらうほど困っていたが、食費を切り詰めてキャットフードを買っていた。そんな思い出と重なる映画をシネスイッチ銀座で見た。「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」(16年、スポティスウッド監督)である。

 本作は実話に基づいている。「ボブという名のストリート・キャット」、「ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険」(邦題、辰巳出版)の原作者ジェームズ・ボーエンをルーク・トレッダウェイが、ボブを本人(本猫)が演じている。憂いや悲しみ、共感を人間並みに表現するボブはオスカーに値する名優だ。

 ヘロイン中毒のジェームズは、ロンドンの街角でギターを弾いている。職も家もなく、残飯漁りで糊口をしのいでいたが、誘いを断れずヘロインに手を出し搬送された。ジェームズに救いの手を差し伸べたのは更正担当者のヴァルで、部屋が提供される。そこに迷い込んだのがボブだった。

 ジェームズはボブに食事を与え、隣室のベティの勧めで去勢手術を施す。ケガをしたボブを病院に連れていくが、自腹になる薬の値段に茫然とする。ベティはビーガンで、ジェームズとボブに豆腐料理を提供する。ヘロインを断ちたいジェームズと、暗い過去を持つベティ……。近づいたり離れたりしながら相寄る2人の思いの行方も見どころだ。

 ボブ同伴のストリートライブが注目を集めていく。演奏シーンはロンドン観光案内の趣もあった。希望と夢を込めた前向きな歌詞、親しみやすいメロディーも魅力だが、人気の的はやはりボブだ。SNSやYoutubeで紹介され、知名度は上がっていく。ジェームズの安定と対照的に、人生を転がり落ちて死に至る友人もいる。名声を妬む者の嫌がらせで警察沙汰になり、路上演奏を禁止されて稼ぎの場をなくすなど、ジェームズの前に幾つもの壁が立ちはだかる。

 ヘロイン断ちを決意したジェームズに寄り添うのはボブとベティだ。疎遠だった父との絆も復活する。道を一度踏み外すと、連鎖的に逆の目が出るのが常だが、ジェームズにはボブだけでなく見守ってくれる者がいた。自身の経験を綴ってベストセラー作家になったジェームズは、ホームレス救済組織を立ち上げ、幸運と善意を還元している。

 ベタといえばそれまでだが、心温まるヒューマンドラマだった。DVD化されたら、猫好きの方はぜひご覧になってほしい。癒やされること請け合いだ。
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ジャームッシュが捉えたイギー・ポップの光芒

2017-09-24 23:44:59 | 映画、ドラマ
 ジム・ジャームッシュがイギー・ポップとストゥージズの真実に迫った「ギミー・デンジャー」(16年)を、新宿シネマカリテで見た。バンドに関わった人々の証言に加え、当時のライブ映像や映画、テレビ番組がインサートされている。アニメーションやCGにも監督の遊び心を感じた。

 イギーで思い出すのが第1回フジロック(97年、天神山スキー場)だ。暴風雨の下で開催された初日(2日目は中止)、ぐったりしている日本の若者と対照的に、肉食系白人集団が大騒ぎしていた。ハイロウズが登場すると、上半身裸の甲本ヒロトに向け、「イギー・ジャップ」と叫んでいた。

 本物のイギーを見たのは翌年、豊洲(市場移転予定地)で開催された翌年のフジロックである。多くの観客が上がり過ぎて、ステージが倒壊するのではと心配になった。モリッシーのライブでも同様の事態は起きるが〝神への謁見〟風。イギーの場合は〝同じ地平に立つ〟の表現だ。

 トレーラーハウスで育ったイギーは少年時代、嫌がらせに遭った。「奴ら(強者や金持ち)の仲間には決してならないと誓った」と振り返るイギーは、著作権もギャラも公平に分配する自称〝共産主義者〟だ。反骨精神は血肉化し、70歳になってもロックの肉体性を維持している。

 ロックとは何か? この問いの回答を「ギミー・デンジャー」は提示していた。<ある時代の前衛が10年後、メーンストリームになる>というロックの格言通り、キワモノ扱いされたストゥージズは全く売れず、ツアーで心身とも疲弊する。挑発的なイギーの言動と薬物も、バンド崩壊を加速させた。

 身売りが決まった米誌「ローリングストーン」は、<カウンターカルチャーの拠点>と評されてきた。同誌のイギーの評価をチェックしてみよう。レコードガイドブック(1982年版)ではソロ作「ラスト・フォー・ライフ」が★3つ、「ザ・イディオット」と「TVアイ」が★1つ。5つが満点だから後者の2枚は「聴く価値」なしといったところだ。

 米国内で廃盤になっていたストゥージズ時代のアルバムについて、「ところどころ輝きもある」評しているが、せいぜい★2つか★3つだろう。「イギーの狂信的なインスピレーションは消えた」が同誌の結論だったが、90年以降に発売されたガイドブックでシラッと評価を書き換える。上記のアルバムの評価は★4つ、★5つに変わっていた。発売当初、ゴミ扱いしたアルバムを、時代の趨勢に応じて〝名盤〟と推奨するのが権威主義の極致、ローリングストーンの常套手段だ。逆にいえば、同時代に価値に気付かないという鈍感さの証明でもある。

 「ギミー・デンジャー」でイギーの音楽的な素養を知った。ドラマーを目指していたイギーはハイスクール時代、仲間と渡英してマーキークラブでザ・フーを見てショックを受けた。フリージャズを含め様々なジャンルを聴いたが、「子供の頃、父と一緒にフォードの工場を見学した。あの時の金属音に影響を受けた」と冗談交じりに語っていた。

 イギーが育ったミシガン州はニューヨークとウエストコーストの中間点で、カウンターカルチャーの拠点だった。先輩格のMC5も同州デトロイト出身で、マネジャーは反戦運動で名を馳せたジョン・シンクレアである。ラディカルな空気が横溢していたが、イギーは論理としての思想には染まらず、抗議と怒りのブルーカラーの哲学を身につけた。

 本作に収録されたロックフェスの映像を見ると、観客席にダイブするのが当時のイギーのスタイルだったことに気付く。ニコやデヴィッド・ボウイとの交友など裏話も披露していたが、ストゥージズ再結成にJ・マスキス(ダイナソーJR)が尽力したことを知り、両者のファンである俺は胸が熱くなった。

 かつてのメンバーにうち4人が亡くなっているが、ジェームズ・ウィリアムソンの来し方に驚いた。ストゥージズ解散後、電子工学を学び、シリコンバレーで働いたジェームズは、ソニーで副社長を務める。再結成後に声が掛かると、イギーの横でヘビーなギターをかき鳴らしている。ストゥージズは波瀾万丈のバンドなのだ。

 音楽に造詣の深いジャームッシュは、ストゥージズの価値を正しく理解している。キャッチコピーにもなっているが、ストゥージズこそ<史上最高のロックンロール・バンド>なのだ。こう書くと〝史上最も有名なロックンロール・バンド〟のファンは気を悪くするかもしれないが、<ある時代の前衛が10年後、メーンストリームになる>の格言に照らしたら納得するだろう。

 ザ・フーとともに<パンクのゴッドファーザーー>の称号に相応しいのはイギー・ポップだ。MC5、ニューヨーク・ドールズ、ラモーンズら他の米国勢も忘れてはならない。ロックの奔流かつ本流はストゥージズに溯る。本作に真実を再認識させられた。
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「ビビビ・ビ・バップ」~デジタルもまた愛に狂う

2017-09-21 23:45:12 | 読書
 先日(17日)放映された将棋NHK杯で耳目を集めたのは解説の三浦弘行九段だった。冒頭のインタビューで豊島将之八段(対局者)の印象を問われた木村一基九段は、「豊島さんは隙がない。それに比べて三浦さんと藤田さん(綾、聞き手=女流二段)は多いですね」とユーモアたっぷりに話す。三浦も木村の気遣いに「反省しています」と苦笑いで返していた。

 小池都知事が関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼式典にメッセージを送らなかったことに、文化人が抗議の声を上げた。史実を隠蔽し、多様性を否定する小池氏は〝共生都市〟東京の知事に相応しくない。賛同人には当ブログで頻繁に紹介している島田雅彦、平野啓一郎、星野智幸も名を連ねている。文化と政治の距離がようやく縮まってきた。

 映画「ドローン・オブ・ウォー」(14年)で、教官が志願者に「おまえたちは格闘ゲームにはまってここに来た」と語りかけるシーンが印象的だった。ゲームは門外漢だが、ドキュメンタリー「格闘ゲームに生きる」(WOWOW、日台共同制作)に幾つもの発見をした。ヴァーチャル世界の魔力、〝伝説の男〟梅原大吾らトッププロ5人の情熱と苦悩をひしひし感じた。
 
 奥泉光の「ビビビ・ビ・バップ」(16年、講談社)を読了した。地霊の輪廻転生を描いた「東京自叙伝」(14年)を「無限カノン三部作」(島田雅彦)、「シンセミア」(阿部和重)に並ぶ21世紀の傑作と評した。色調が異なる小説を2年のインタバルで発表する奥泉の力量には感嘆するしかない。

 「ビビビ・ビ・バップ」の舞台は、リアルとヴァーチャルが分かち難く混在する今世紀末だ。主人公は通称〝フォギー〟こと34歳の木藤桐で、音響設計士とジャズピアニストを兼業している。語り手のドルフィー(猫アンドロイド)が飼い主フォギーの心を自虐的に表現している辺り、「クワコー三部作」を彷彿させる。デジタルに馴染めぬフォギーは20世紀のモダンジャズに憧れている。

 フォギーのお守り役は花琳だ。最先端のテクノロジーを理解している中国生まれの天才工学美少女は、「師匠」と呼ぶフォギーを窮地からたびたび救う。フォギーと恋人未満の芯城銀太郎はプロ棋棋士で、20世紀文化オタクだ。この3人にフォギー母、フォギー祖母(ジャズピアニスト)、芯城姉、猫のドルフィー、敵役の副社長が主なキャストだ。

 脚本兼演出兼助演男優は、超知能社会に導くのに貢献大だった山萩貴矢博士だ。電脳の粋を集めた医療技術によって生き永らえていたが、死期を悟り、架空墓の音響設定をフォギーに依頼した。山萩がフォギーに便宜を図る理由は後半に明かされる。フォギーは時折、「今の私って何」と戸惑っていたが、登場人物はリアル、アンドロイド、複数のヴァーチャル形を持っている。

 山萩が創造した架空墓は1960年代の新宿への入り口だ。フォギーはゴールデン街で大島渚や寺山修司らと出会い、国際反戦デー(69年10月21日)の騒乱と遭遇する。ウルトラマンや怪獣まで闊歩し、花園神社ではジミ・ヘンドリクスや頭脳警察(実際はデビュー前)に若者が熱狂していた。フォギーは「ピットイン」で山下洋輔のライブに触れ、芯城は立川談志の高座を堪能する。

 本作に描かれる東京の光景に重なるのは「メトロポリス」(27年、フリッツ・ラング監督)だ。格差と貧困は絶望的に拡大しているが、蜘蛛巣地区と呼ばれる貧民街の猥雑かつ無秩序な空気は1960年代の新宿に近い。ちなみに同地区は芯城姉がリーダーを務め、山萩とも気脈を通じる国際的反体制組織の拠点になっている。山萩は究極のデジタル、血と汗が匂うデジタルに、アンビバレンツに引き裂かれていた。

 人間対アンドロイド、即ち芯城と大山康晴アンドロイドの対局が起点になっていた。初日夜、奇妙な事件が起き、物語は猛スピードで展開する。フォギーとセッションする面々はエリック・ドルフィー、チャーリー・パーカー、マイルス・デイビスらモダンジャズの巨人たちのアンドロイド。古今亭志ん生と立川談志のアンドロイド同士のやりとりも軽妙洒脱で、奥泉の将棋、ジャズ、落語への造詣の深さが窺える。本作には作者の遊び心がちりばめられているのだ。

 ラスト近くで山萩とフォギーが交わす会話が本作の肝になっている。山萩が説く<二項体>と<N項体>の有史以前から続く対立を、デジタルとアナログの闘いと読むことも可能だ。全てを見通し、仕組み終えた上で、山萩はある提案をする。彼が囚われていたのは狂おしい感情だった。

 極大(人類の危機)と極小(個の遺伝子)の連なりを描く壮大なSFエンターテインメントのテーマは、アイデンティティー、アナログとデジタルの境界、そして愛だった。超アナログ人間たる俺が電脳万華鏡を覗き込んで発見したのは、普遍で不変の人間の魂である。

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文化的な週末~「さよなら原発さよなら戦争全国集会」、そして「コスタリカの奇跡」

2017-09-18 23:42:59 | カルチャー
 緑の党に入会して3年半、「空気を変えたい」と記してきたが、変化を導くのは〝空疎な言葉〟ではなく地道な活動だ。ちなみに、俺が変えたい「空気」とは、「同調圧力」に屈し、「みんな」という匿名性に潜り込む悪しき日本の伝統だ。典型的なのは、タコツボ化した社会空間だ。政治音痴を自覚した俺は最近、〝文化活動〟に専念している。

 台風一過の18日、「ともに生きる未来を! さよなら原発さよなら戦争全国集会」(代々木公園)が開催された。俺は「オルタナミーティング」のブーススタッフとして署名集め、チラシ&ビラ配布を担当した。主な展示物を、プロモーションを兼ねて以下に挙げる。

 まずはオルタナミーティング主催「平成世直し二人会~神田香織&松元ヒロ」(10月23日、座・高円寺2)だ。神田のイベントを扱うのは数度目で、知名度の高さは承知していたが、松元ファンの多さに驚かされた。衆院選投開票日の翌日(恐らく)、暴政に毒を吐く両者の熟練芸でケミストリーが生じ、会場は熱気に包まれるだろう。

 「大塚まさじ高円寺ライブ」(10月29日)、年末恒例の「友川カズキ阿佐ケ谷ライブ」(12月17日)も告知し、併せて「ソシアルシネマクラブすぎなみ」の年内の上映作品、「ビューティフル・アイランズ」、「ダムネーション」、「ハーフ」)のチラシもブースに置いた。

 緑の党の最重要課題である供託金違憲訴訟(宇都宮健児弁護団長)への反響は今回も大きく、ブ-スで多くの署名を頂いた。「武器輸出反対ネットワーク」(NAJAT)代表である杉原浩司さん編著「亡国の武器輸出」(合同出版)も発刊前に展示する。〝時の人〟望月衣塑子記者(東京新聞)もNAJAT発起人のひとりで、同書にも寄稿している。

 反原発、反戦、そして反基地を闘う人々の声が、スピーカーを通してブースにも届いてきた。山城博治氏(沖縄平和運動センター議長)の切迫感に溢れたアピ-ルと歌声も聞こえてくる。森友・加計隠し解散に言及する識者も多かった。実は同時間帯、「パレスチナと日本」と題されたシンポジウムが開催されていた。反戦と反核を軸に<パレスチナ-沖縄-フクシマ-ヒロシマ>が紐帯を形成している。

 日時は2日溯るが、高円寺グレインで開催された第21回ソシアルシネマクラブすぎなみに足を運んだ。上映作は「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方」(16年)で、前回ソールドアウトになったため、再上映になった。<国家の崇高な意志>に感銘を覚える作品で、非武装中立を実現し、現在まで維持するため、コスタリカが乗り越えた幾つもの困難が描かれている。

 <20世紀半ば、ホセ・フィゲーレス・フェレールが非武装を「制度化」した。その後継者たちは、教育や医療福祉を充実させることで、非武装を「文化」にまで昇華させた>(足立力也、映画HPから)……。

 コスタリカ研究の第一人者である足立氏は、緑の党創設メンバーでもある。「コスタリカの奇跡」で謳われていたのは反戦、教育重視、人と自然の調和、平等と公正である。〝乗り越えた幾つもの困難〟と上記したが、最初の関門はカルデロン大統領の裏切りだった。労働法を制定し社会保障の基礎をつくるなど社民的施策を進めたが、権力への執着で道を誤る。選挙で負けたのに居座ったカルデロンを倒したフェレールは大統領就任後、非武装を宣言する。

 フェレールに限らず、歴代大統領のしたたかさに驚嘆させられる。国内で影響力を持つカトリック教会や共産党と巧みに距離を取り、近隣の独裁政権(とりわけニカラグア)との軋轢に耐える。何より深刻なのは中南米を我がもの顔で闊歩するアメリカの脅威である。

 政権転覆を企てるアメリカの策謀で、平和主義と民主主義が絶体絶命の危機に追い詰められるたび、コスタリカは外交で圧力をかわす。欧州各国の首脳、国際的機関、アメリカ国内のリベラル派との連携を密にして、非武装を貫いた。アメリカに隷従して不戦を誓う憲法を踏みにじる安倍首相との差は何から生じるのか……。それは<矜持と理想>といえる。

 軍事費を教育と医療福祉に回したコスタリカは、<幸福度の高い国>として知られるが、〝理想郷〟に近年、歪みが生じつつある。グローバリズという悪魔がコスタリカを蹂躙し、麻薬もまた蔓延している。<民主主義最大の敵は格差と貧困>と説くピケティの主張通り、不満が充満しているコスタリカだが、公正と平等を掲げるソリスを大統領に選んだ。


 湾岸戦争への参戦を宣言した大統領に対し、一学生が訴訟を起こして勝利した経緯も紹介されていた。民主主義とは、自由と平和を志向する魂であることを本作は教えてくれた。かつて<民主主義成立の条件は人口1000万人以下>と記したことがある。コスタリカ(人口500万人)も北欧やアイスランド同様、条件をクリアしている。 
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エクソシスト、光棍児、大林宣彦の遺言~ドキュメンタリーに親しむ初秋

2017-09-15 11:36:02 | カルチャー
 先月放映された「われポン24時間スペシャル」で、決勝卓に進んだ萩原聖人に女性視聴者から質問が入る。「麻雀に興味を持ち始めた中学生の娘に、強くなる秘訣を教えて」という内容だった。萩原の答えは<麻雀は創造的なゲーム。強くなるためには映画やスポーツ、優れたドキュメンタリーを観賞して感性を磨けばいい>(論旨)……。

 土田浩翔プロが〝プロアマ問わず最強の打ち手のひとり〟と評する萩原らしい言葉だったが、相性の悪い見栄晴の驚異的な差し脚に屈した。運の要素が大きいのが麻雀というゲームである。以下に紹介する3本の秀逸なドキュメンタリー(いずれもNHK)を、萩原は見ただろうか。

 まずは世界神秘紀行「イタリア~エクソシストVS悪魔」から。映画でお馴染みの「エクソシスト」とは<悪魔祓いを行える上位階層の神父>で、法王庁は2005年から養成講座を開講している。英玲奈(女優)と島村菜津(ノンフィクション作家)が日本人で初めて講座に参加した。

 世界中から集う神父たちは自身の経験を踏まえ、悪魔の存在を確信している。「7年間で30人に悪魔払いを施した」と語るイタリアのエクソシストによる儀式に、英と島村は付き添うことを許された。俺は少し距離を置いて見ていた。<神が存在するから悪魔も存在する>という二元論、個の内面のみを問題にする点に違和感を覚えたからである。

 「尼僧ヨアンナ」などポーランド映画、そして韓国映画にも悪魔は頻繁に登場する。その背景にあるのは、<これほど祈りを捧げているのに、あなた(神)は私たちを見捨てるのか>という怨嗟に近い感情だ。何より強欲を戒めたイエスの言葉を敷衍すると、現在の悪魔が浮き彫りになる。発展途上国を収奪して疾病と餓死をもたらすグローバル企業、計画的に紛争をつくり出す軍需産業こそ、教会が向き合うべき悪魔ではないか。

 ノーナレーション・ドキュメンタリー「光棍児~中国 結婚できない男たち」も興味深い内容だった。一人っ子政策を36年続けた中国では、男女の人口バランスが大きく崩れ、結婚出来ない男(光棍児)が溢れている。本作は揚さん(長距離バス添乗員)と馬さん(整体師、仲人業)の中年男性2人の婚活に照準を定めていた。

 当ブログに記しているように、俺は趣味ライフを堪能している。でも、<結婚より自由>なんて格好つけるつもりはない。結婚願望はなかったが、それでも揚さんと馬さんの冴えない容貌と孤独に、親近感を覚えた。孤独こそ人間を最も苛み、時に暴発に導く悪性ウイルスであることは身に染みて知っているからだ。

 <改革開放以降、私たちはお腹いっぱい食えるようになった。でも、西側から〝不健康なモノ〟が流れ込んで、誰もが拝金主義に染まり、情がなくなった>(論旨)……。馬さんの独白が、日本社会にも似た当地の空気を言い当てている。男を経済力で測る女性に、揚さんも馬さんも翻弄される。絶滅危機に瀕した愛に、俺は思いを巡らせていた。

 ETV特集「青春は戦争の消耗品ではない~映画作家 大林宣彦の遺言」に感銘を覚えた。クランクイン直前、がんを宣告され、自身が遺作と位置付ける「花筐(はながたみ)」(檀一雄原作)の撮影風景を追ったドキュメンタリーである。

 デビュー作として企画した「花筐」を、40年後の今、なぜ撮るのか……。今稿は大林の作意に限定し、映画観賞後に再度、当ドキュメンタリーに言及するつもりだ。ちなみに「青春は――」のタイトルは撮影当日朝に閃き、大林が急きょ書き加えた台詞である。唐津で撮影された「花筐」は太平洋戦争直前、出征する若者たちを描いた青春群像劇だ。

 6歳年下の辺見庸と同様、大林が戦争を語る際、父(軍医)がフィルターになっている。戦争の記憶を語らなかった父、そしてGHQが尾道に進駐する前夜に見せた母の決意が、大林の心に去来する。<敗戦(軍国)少年が戦争を描くことが過去、未来に対する責務>と、がんと闘いながら過酷な撮影を継続した。

 <意図的にノンポリを演じてきた>と語る大林は、戦争出来る国になった日本の現状に強い危惧を抱いている。事ここに至るまで座視してきたという悔恨が、「花筐」を撮る理由ともいえる。<現在の空気に怯えた方がいい>と繰り返し語る大林の思いは、若い俳優たちにも伝わったようだ。

 初心に帰ったのか、インサートされた「花筐」の映像はシュールかつ実験的で、初期の大林作品を彷彿させる。「花筐」が公開される師走が待ち遠しい。

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「ファウンダー」~エンドマークの後に生じたドラスチックな波

2017-09-11 22:17:48 | 映画、ドラマ
 昨日の朝刊は1面で「桐生9秒98」の大見出しを打っていた。桐生祥秀の快挙は序章に過ぎず、サニブラウンやケンブリッジ飛鳥が後に続くだろう。スポーツ界では若い世代の躍進が目立つが、〝モンスター〟井上尚弥(WBOスーパーフライ級王者)もカリフォルニアで挑戦者ニエベスを6回終了TKOで下し、スターダムの階段を上り始めた。

 だが、井上の鮮烈な全米デビューは、続くWBC同級タイトルマッチの衝撃で褪せることになる。パウンド・フォー・パウンドと謳われたローマン・ゴンザレス(ニカラグア)が、現王者シーサケット・ソールビンサイ(タイ)とのリマッチに挑み、4回1分18秒、マットで大の字になる。井上とシーサケットとの統一戦が新時代の扉を開くだろう。
 
 「プラージュ」(誉田哲也原作、全5回/WOWOW)を見た。偶然が重なって前科者(覚醒剤取締法違反)になった貴生(星野源)は、職も住まいも失ってシェアハウス「プラージュ」に潜り込む。そこには、友樹(スガシガオ)、美羽(仲里依紗)、彰(眞島秀和)、紫織(中村ゆり)、通彦(渋川清彦)のいわくありげの面々が暮らしていた。偏見の壁に跳ね返され、傷ついた6羽の雛を、オーナーの潤子(石田ゆり子)が母鳥のように慈しんでいた。

 潤子を軸に、淡いが芯のある糸が紡がれ、余韻が去らぬラストに繋がっていく。友樹と彰が関わる事件がミステリーの味付けを添えていたが、テーマは<罪を犯した者に社会は再生へのきっかけを与えるのか>だ。共生と絆の意味を問い掛け、見る者の心を和ませる秀逸なドラマである。

 角川シネマ新宿で「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」(17年、ジョン・リー・ハンコック監督)を観賞した。俺が見た回はキャパの小さいシネマ2だったのでほぼ満席。口コミで人気が広がった作品は、マクドナルド創業者の真実に迫っている。

 レイ・クロック(マイケル・キートン)はマルチミキサーを売って国中を回るセールスマンだ。自己啓発のレコードをかけて唱和するなど、50代になっても夢を失わない。挫折続きのレイがなぜ頑張れたのか。本作には描かれていなかったが、身近に成功者がいた。第1次大戦時、同じ衛生隊に所属し、大成功を収めていたウォルト・ディズニーの背中を、レイは追いかけていたのだろう。

 大量にミキサーを注文したマクドナルド兄弟をカリフォルニアに訪ね、衝撃を受けた。〝真のファウンダー〟が経営するハンバーガーショップはモータリゼーションの発達を背景に、<清潔・管理・分業>の最新形を提示していた。レイはその場で協力を申し出る。

 後に兄弟が「鶏小屋に狼を入れてしまった」と述懐したように、両者は対照的だった。兄弟はハンバーガーを安く早く提供することを目指したが、何より重視したのは品質と材料、そして手作り感だった。効率と事業拡大を志向するレイは、策謀を巡らして母屋を乗っ取る。まさに〝フード界の斎藤道三〟だが、真の物語はエンドマークの後に始まる。
 
 歴史的名著「ファストフードが世界を食いつくす」(01年、エリック・シュローサー著/草思社刊)、同書にインスパイアされたドキュメンタリーやノンフィクションにも詳述されているが、マクドナルドに代表されるファストフードは、社会の仕組みを根底から覆った。レーガン政権下で反トラスト法が棚上げされ、農業で寡占化が進行する。追い詰められた家族経営の農場は、食肉メジャー傘下に入らざるを得なくなる。ファストフードと提携する養鶏業者の年収は、1万2000㌦前後に抑えられた。

 共和党が最低賃金を維持したことで貧困が拡大する。移民の最初の働き場所は大抵ファストフードだ。共和党への莫大な献金は、公的機関による補助金としてファストフード業界に還流する。全米の公立校でファストフードが店舗を構えることは、今では当たり前になっている。

 本作に描かれたレイ・クロックは〝残酷な子供〟だが、マクドナルド兄弟から奪い、欲望に純化して築いたシステムは、アメリカ、いや全世界を席巻した。マクドナルドは自由の女神に代わって、今やアメリカの象徴になった……。なんて書いているうち、無性にマクドナルドを食いたくなる。期間限定の満月チーズ月見にしようかな。

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「時間」~堀田善衛が問う南京大虐殺の真実

2017-09-08 13:02:23 | 読書
 〝戦争が出来る国〟に邁進する過程で、「侍」や「サムライ」が代理店の仕掛けもあり、プラスイメージに変わった。〝侍ジャパンが負けられない戦いに挑む〟なんて、出征兵士を送る戦前と重なり、寒気がする。<理想の武士道>を追求したのが「子連れ狼」で、拝一刀は「士たる志を持つ者こそが武士」と言い放ち、一揆に立ち上がった農民の側に立つ。

 だが、<武士の実像>は理想から程遠い。お上に従い、下と見做した者への残虐行為を繰り返す。侍の負の側面を受け継いだのが日本兵で、アジアに甚大な傷痕を残した。<侍=日本兵=スポーツ選手>と否定的に受け取る外国人も多いはずで、五輪に向けてこのキャッチを撤回するべきだ。

 80年を経た二つの情景が、脳内でショートしない。まずは現在……。日本各地を旅すると、中国人の群れと遭遇する。日本人客が減った観光地にとって、中国からのツアーが命綱になっているようだ。中国にはスケールの大きさと美しさに言葉を失う景勝地が無数に存在するという。それでも来日するのは、日本旅行がブランドなっているからだろう。中国人による爆買いも、商業施設を潤した。

 翻って1930年代……。日本軍が中国を蹂躙した。中国は<反日教育>で歴史認識を植え付けようとするが、効果は疑問だ。中流以上によるツアーだけでなく、映画「牡蠣工場」(15年、想田和弘監督)では、貧しい労働者や農民がブローカーの仲介で出稼ぎする構図が示されている。

 1959年、広島の原爆資料館を訪ねたゲバラは、「日本人はなぜ、アメリカを許しているのか」と同行したジャーナリストに詰め寄った。アメリカに従順な日本人が奇異に映ったようだが、中国人もまた、キリスト教徒やイスラム教徒の理解を超えた〝アジア的寛容〟を共有しているかに見える。

 南京大虐殺を直視した「時間」(堀田善衛、1953年/岩波文庫)を読了した。「海鳴りの底から」、「橋上幻像」、「方丈記私記」を読んだのは20代前半だった。距離を取って戦うアウトボクサーというイメージを抱いていたが、35年ぶりに堀田作品に接した「時間」は息詰まるインファイトで、日本人の罪障を突く兇器だった。

 海軍部に勤務する陳英諦の目を通して南京虐殺を描いている。日本軍が南京入りする直前、司法官の兄は「この家の財産を守れ」と厳命し、漢口に逃れた。ちなみに兄は東大で学士号を得たという設定だ。出産を控えた妻、幼い息子と家を守る陳の元に、従妹の揚が危険を顧みずやってきた。

 還暦の身に、「時間」は苦行だった。殺戮と強姦を繰り返す日本兵の振る舞いに、ページを繰る手は止まり、思念が小説の外に飛んでいく。日本人とは何か、戦争とは、戦争が育む狂気とは……。そして自問自答する。「その場にいたら、俺は同じことをしたのだろうか」と……。

 身重の妻は強姦されて殺され、息子も虫けらのように命を奪われる。揚もまた集団強姦の末、業病をうつされ、痛みを和らげるために打ったヘロインの中毒になる。生き延びた陳は同胞の死体処理に従事し、接収された自宅で諜報担当の桐野大尉の下僕になる。

 陳が正気を保っているのは、任務を負っていたからだ。スパイ網を活用し、桐野のファイルから得た情報を、地下室から国民政府に発信する。そして、日本、日本軍を怜悧に分析する。<天皇という神が現存するからこそ、称えることで残虐行為が許される>……。あるいは、<全世界の征服と全世界からの逃亡は、日本にとって同義ではなかろうか>……。

 <この時間は、われわれが普通想っているように、生から死へと向うだけのものではなくて、死への方からもひたひたとやって来ている、そして現在の時間は、いつもこの二つの時間が潮境のように波立ち、鼎の油のように沸き立っているという、そんな風に在るのかもしれぬ。その潮境には最初のものも終末も、戦争も虐殺も強姦も、一切が相接合し競合している>(251㌻)……。長々と引用したが、ここにタイトルの意味が集約されている。

 本作のテーマの一つはアイデンティティーの揺れだ。陳は国民政府の諜報員だが、共産党にシンパシーを抱き、抵抗→革命が正しい道筋と考えている。政府高官の兄は強欲な拝金主義者で、伯父は日本軍の協力者だ。長年の同志Kの心も、女性が原因で揺れていた。自軍の蛮行を知り尽くしている桐野は、陳の正体を知りながら捕らえない。回復すれば確実に敵になる揚の保護も受け入れた。

 病床の揚と、彼女を見守る刃物屋の青年が存在感を増していく。陳は繰り返し自殺を図る揚を〝真に闘う者〟と見做し励ます。その内発性に期待を寄せているからだ。一方で、何かに触発されてようやく闘う者をニヒリストと斬り捨てていた。

 読了後、「その場にいたら、俺も同じことをしたのだろうか」と再度、自問自答する。同調圧力に耐える自信はないから、恐らく「しただろう」……。だからこそ、自分を、そして全ての日本人を獣にしないためにも、不戦を謳う憲法9条は必要なのだ。

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W杯予選、「東京ブラックホール」、レイシズム、民進党、藤井聡大~初秋の雑感あれこれ

2017-09-04 23:39:22 | 独り言
 涼しかった夏が終わった。今回は初秋の雑感をあれこれ記すことにする。

 「国を挙げて」が嫌いな俺は、W杯や五輪に全く興味がない。とはいえ先月31日、〝飯の供〟としてオーストラリア戦を観戦した。若手抜擢で成果を見せたハリルホジッチ監督は翌日、「一部の人には残念かもしれませんが」と前置きして続投を宣言する。どこの世界にも〝政治屋〟が蠢いているらしい。

 1974年ドイツ大会以来、応援してきたオランダはフランスに完敗(0対4)し、本戦出場が絶望的になった。欧州トップリーグにタレントを輩出してきたオランダだが、ここ数年、目立つ選手が減っている。育成システムが老朽化し、機能不全に陥っているのだろうか。

 録画しておいたNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」を見た。リストラされたタケシ(山田孝之)が祖父の亡霊?に導かれ、戦後ゼロ年(1945~46年)にタイムスリップするという設定だ。デジタル技術を駆使し、タケシもまた〝事件の現場〟に組み込まれる。米軍カメラマンによるカラー映像は、〝東京租界〟贅沢を記録していた。

 タケシは買い出し列車に乗り、闇市でフライパンを売る。浮浪児と交流し、皇居前デモにも参加した。原動力は凄まじい飢えである。バンドマンの一員として進駐軍クラブで演奏し、戦後日本のエンターテインメント界の萌芽に触れた。示唆に富む内容だったが、以前から関心を抱いていた<政官軍>の犯罪が映像で明かされていた。

 「日本近現代史入門」(広瀬隆著)を紹介した稿(17年4月21日)で<敗戦の日の1日前、1945年8月14日に何が起きたかを詳らかにすれば、日本の支配層の実態が浮き彫りになる。この動きに、岸信介も一枚噛んでいた>(要旨)と記した。権力者は戦時中、国民から徴用した物資の数々を隠匿し、一部を闇市に流していた。大掛かりの官製窃盗団である。摘発したGHQは無能かつ冷酷な政府に代わって国民を飢餓から救った。

 モノとカネが吸い込まれる欲望の坩堝に人々は群がった。その中には児玉誉士夫、田中角栄、清水信次らが含まれる。<それにしても、東京ブラックホールはどこにいったのか。消えてしまったのか。見えなくなっただけなのか>と現在に戻ったタケシは独白する。先日、レイシズムとう名のブラックホールのポッカリ口を開けた。関東大地震時、多くの朝鮮人が虐殺された。流言飛語を意図的に流したのが後の読売社主、正力松太郎(当時は警察官僚)である。

 慰霊式典(9月1日)に追悼文を寄せなかった小池都知事への非難が高まっている。慰霊碑は1973年、美濃部知事、自民党を含む各党区議団など幅広い団体が協力して建てられた。石原氏を含め、歴代知事は追悼文を送っている。いつ地震が起きても不思議ではない〝多民族都市〟東京で3年後、オリンピックが開催される。「民族差別による暴力を許さない」というメッセージを発信しないことの意味を、小池知事は理解していない。

 東京新聞以外、小池知事への本質的な批判は見当たらないが、同じく扱いが小さいのが民進党だ。中村文則の「私の消滅」を紹介した稿(7月28日)の枕で、<前原誠司氏と長妻昭氏が手を携えて公正と平等の旗を掲げれば、支持率上昇のチャンスはある>と記したが、前原新代表は長妻氏を選対委員長に据える。

 自民党に先駆けて武器輸出に動くなど、前原氏が右派であることは言うまでもない。だが、格差と貧困の解消を訴える井手英策慶大教授をブレーンに据え、小沢自由党代表や山口二郎北大名誉教授(市民連合)とも席を設けるなど変化の兆しもある。前原氏のリベラルシフトに期待したい。

 先週末、藤井聡大四段に耳目が集まった。土曜は加古川清流戦準々決勝(井出集平四段)、日曜はNHK杯2回戦(森内俊之九段)と対局が生中継される。加古川清流戦では前期覇者の井出相手に中盤まで優勢だったが、定評ある終盤で「形勢を損ねた」(本人談)。

 AIの活用で序盤でも進境が窺える藤井だが、唯一の欠点は井出戦でも見せた〝粘り強い相手に弱い〟かもしれない。永世名人位の資格を持つ〝鉄板流〟森内にカウンターを食らって連敗濃厚とみていたが、NHK杯では落ち着いた差し回しで押し切った。優れた大局観だけでなく、解説の佐藤康光九段が「緩手かも」と評した△8八歩(2度)の小技も光っていた。3回戦の稲葉陽八段戦も生中継を期待している。゙
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NAJAT講座で示された道筋~市民の力が北東アジアの非核化を導く

2017-09-01 11:44:05 | 社会、政治
 今年1月、「アイ・イン・ザ・スカイ」(15年)の感想を、武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司さんに尋ねた。英米の政治家、軍と情報機関が、ドローンのターゲット付近で戯れる少女を救うか犠牲にするかで議論を闘わせるドキュメンタリータッチの作品だった。

 <良質な映画だけど、軍や情報機関は少女の命に拘泥しない>が杉原さんの答えだった。杉原さんお薦めの「ドローン・オブ・ザ・ウォー」(14年)を先日、イマジカBSで見た。戦争の真実が描かれた作品で、非戦闘員の犠牲など気に留めないCIAの酷薄さ、良心の呵責に苛まれる軍人の苦悩が浮き彫りになっていた。

 先月29日、第4回NAJAT講座「朝鮮半島の危機~外交交渉こそ解決の道――北東アジアの非核化に向かう」(文京シビックセンター)に参加した。報告者は田巻一彦氏(NPO法人ピースデポ代表)で、杉原さんが補足する形で進行した。

 くしくも当日朝、北朝鮮がミサイルを発射する。菅官房長官が明かした通り、官邸は情報を早い段階でキャッチしていた。高度500㌔(宇宙ステーションより上)を飛来したため危険はなかったが、12道県でJアラートが鳴り響く。北朝鮮を利用した国民統制という政権の下心が窺える。安倍首相は夜、仲間内で豪華フレンチに舌鼓を打っていた。切迫しているのは言葉だけなのか。

 ジャーナリストやメディア関係者を交えた質疑応答を含め、講座の内容は多岐にわたる。ポイントを絞って記したい。  

 現在の北朝鮮を戦前の日本に重ねる識者も多い。〝何をしでかすかわからぬ狂犬〟というイメージで、国体護持――日本は天皇制、北朝鮮は金王朝――に邁進するが、北朝鮮の方が明らかにリアリスティックだ。166カ国と国交があり、アメリカとはニューヨーク(国連本部)で頻繁に席を設けている。

 ロシア、中国に次ぐ鉱物資源大国で、ビジネスを進めたい国や企業も多い。〝狂ったふり〟は異常に映るが、北朝鮮の目的は三つある。第一は国体護持で、水面下の米朝会談で言質を得ているという。第二は朝鮮戦争終結→アメリカとの平和条約締結、第三は核保有国としての認知だが、この二つは矛盾を孕んでいる。

 平和条約が結ばれれば理屈上、核は不要になる。したたかな北朝鮮を核廃棄に向かわせ、<北東アジアの非核化>を実現するには、膨大な時間を要するだろう。世界トップクラスの軍縮専門家が包括的安保合意によって核の脅威を取り除くため共同で提案したプランを、田巻氏は紹介していた。

 <怖さを感じたら交渉する>と田巻氏は繰り返し語っていた。ユダヤ系資本と結びつくアメリカは、イスラエルを脅かすイランが怖い。<ヒトラーの動機は正しかった>発言で麻生副総理とペンス副大統領との会談が中止になったのも、イスラエルへの配慮だ。

 一方で、アメリカは北朝鮮が怖くない。だから、北朝鮮は怖いと思わせ、正式な交渉のテーブルに着かせたい。それが、ミサイル実験の目的なのだ。田巻氏は29日のミサイルの延長線上にハワイが位置することを示していた。仮に、アメリカに向けたミサイルが発射されたら? 三沢基地と京都経ケ岬基地にサイル迎撃システムが配備されている。

 自衛隊には出る幕がないはずなのに、小野寺防衛相が就任以前から<敵基地先制攻撃>を主張している。さすがに安倍首相もブレーキをかけたが、いずれにせよ交渉とはベクトルが真逆だ。閉会中審査でも安倍政権と北朝鮮の〝阿吽の呼吸〟を指摘する声が上がったほどだから、本当は怖くないのかもしれない。

 射程距離を踏まえ、「日本が怖がるべきミサイルはスカッドERとノドン」と田巻氏は話していた。真の目的が朝鮮戦争終結と国体護持である以上、北朝鮮がソウルや東京を火の海にするはずがない。その後に起こることを〝狂ったふり〟の金正恩は十分理解している。

 杉原さんは質問に答える形で、軍需産業の深謀遠慮を説明する。兵器産業の頭目というべきロッキードのCEOは「これからは日本が最大のお得意さん」と公言した。武器輸出を競う常任理事国や死の商人は、自国の武器が回り回って自国民を殺戮しても罪の意識を覚えない。

 ヒューマニズムと無縁の武器コングロマリットに対峙するために市民の力が必要と、田巻、杉原両氏は言葉を結んでいた。若者が軸になって空気を変えた韓国がヒントになるという。日本では統制と洗脳は進んでいる。ミサイル発射後、都合のいい部分だけ繋いだ街の声に愕然とする。メディアのアシストで内閣支持率はアップするだろう。
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