酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「さがす」~再構成された時間が紡ぐ父娘の物語

2022-02-27 23:01:02 | 映画、ドラマ
 ロシアのウクライナ侵攻が世界を震撼させている。ウクライナのNATO、EU加入を阻止したいロシアの暴挙に、世界が「NO」を突き付けている。両国を巡る歴史的な経緯は知らないが、資源大国ロシアとグローバルな軍需産業の思惑が、背後で蠢いているのだろう。

 コロナ禍のさなか、世界はおぞましさを纏っているが、それは日本も変わらない。福井県の高校演劇祭で福井農林高の女子部員2人が演じた「明日のハナコ」がケーブルTVでオンエアされなかったことが、「週刊金曜日」、ラサール石井のコラム(仕事先の夕刊紙)で紹介されていた。「週刊金曜日」は脚本中に再現された元市長や北野武の原発礼賛発言に、高校演劇連盟が忖度した可能性を示唆している。教育現場における言論抹殺に愕然とするしかない。

 テアトル新宿で「さがす」(2022年、片山慎三監督)を見た。舞台は大阪で通天閣近くである。主人公の原田智(佐藤二朗)と娘の楓(伊東蒼)、山内照巳(清水尋也)の3人の主観がカットバックしながら、目に見える世界と裏側にある真実が暴かれる。別稿(21年12月22日)で紹介した「悪なき殺人」と手法が近い〝タイムトリップムービー〟で、再構築された時間で真相に誘われる。智がハンマーを振り回す謎めいたシーンは、後半に繋がっていた。

 楓が夜の街を必死に走る姿で物語は始まる。行き先はスーパーの管理室で、智が店長と警官の前で力なく座っていた。少額の品を万引したという。普通の父娘と逆の構図で、料金を払った楓は智をボロクソに詰る。仕事をしないだけでなく、食べ方が汚く臭い。でも、心は通じている。

 ストーリーの紹介は最小限に記したい。智は楓に<指名手配犯の顔を偶然見かけた。賞金300万円がかかっている>と打ち明けた直後、姿を消した。警察はまともに対応せず、楓は担任の蔵島先生(松岡依都美)、楓に思いを寄せている豊(石井正太朗)の協力で父を捜し始める。楓は父と同じ「原田智」の名前で工事現場に派遣されている青年を見つける。身長が高いやせ形で、父とは似ても似つかない。その男こそポスターで見かけた通称名無しこと山内照巳だった。

 時間は遡り、自殺願望のある女性で自称ムクドリ(森田望智)と山内との関わりが描かれる。逃走中の山内を保護したのは果凛島でみかん栽培を営む老人(品川徹)だった。論理を弄び狂気を秘めた山内を演じた清水尋也の存在感に瞠目させられる。22歳だが、映画やドラマで実績を積んでいることを知った。智役の佐藤二朗に注目したのは「ひきこもり先生」(21年、NHK)で、楓役の伊東蒼も出演していた。

 一歩引くと、破綻しているような気もする。「相棒」の杉下右京なら、事件の全容をたやすく解明しただろう。だが、細かい点は別に、作品を疾走させるシーンの数々が記憶に残っている。第一は、楓が通天閣の近くで山内を自転車で追跡するシーンだ。街の人情も描かれ、楓は父に繋がる痕跡を入手する。伊東の目力と豊かな表情に魅せられた。

 智の妻、そして楓の母である公子(成嶋瞳子)は筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っていた。死を望む公子と智のやりとり、そして2人が交わすキスシーンに心を揺さぶられた。そして、ラストの智と楓の卓球シーンで、物語の真相が明らかになる。楓は単に智をさがしていたのではなく、父の心の奥深くに入り込んでいた。パトカーのサイレンが、エンドマークの後を暗示している。

 余韻が去らない作品だが、肝というべきは感情を殺した佐藤の演技だったのか。佐藤二朗、伊東蒼、そして清水尋也の今後に注目していきたい。
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「焼跡のイエス 善財」~石川淳の自由でシュールな原点

2022-02-23 21:34:10 | 読書
 西郷輝彦さんが10年以上の闘病生活の末、召された。母は西郷さんのファンで、俺が小中学生の頃、歌番組の西郷さんに見入っていたのを思い出す。ドラマでの活躍も記憶に残っている。同居していた祖母は同じくご三家の舟木一夫を贔屓にしていた。歌が織り成す昭和の家族の光景がノスタルジックに甦った。享年75、昭和の大スターの死を悼みたい。

 石川淳の短編集「焼跡のイエス 善財」(講談社文芸文庫)を読了した。「山桜」(1937年)、「マルスの歌」(38年)、「焼跡のイエス」(46年)、「かよい小町」(47年)、「処女懐胎」(48年)、「善財」(49年)の6作が収録されている。いずれも再読のはずだが、江戸時代の戯作にインスパイアされた独特の語り口は刺激的で、石川の世界観に改めて魅せられた。

 別稿(1月16日)で紹介した「最後の文人 石川淳の世界」では、江戸文学と石川の関わりが言及されていた。「マルスの歌」が発禁処分を受け、作品発表の場を失った石川は「江戸に留学する」と語っていたというが、「焼跡のイエス 善財」には、<江戸>以外のキーワードが作品に滲んでいる。それは<フランス文学>と<キリスト>だった。一作ずつ簡単な感想を記したい。

 「山桜」は現実と異界が交錯する怪奇小説で、主人公は亡くなったかつての恋人と再会する。〝「雨月物語」とエドガー・アラン・ポーの影響が濃い〟と解説されているが、既視感を覚え、辿り着いたのが梶井基次郎である。「檸檬」の一節<私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた>と綴られていた。石川は1932年に夭折した梶井をリスペクトしていたのかもしれない。シュールレアリズムは当時の文壇の空気だったのか。

 発禁になった「マルスの歌」は<同調圧力>を批判する際、言及される作品だ。「マルスの歌」は好戦気分を高揚させる流行歌で、石川は発表前年に発表された「露営の歌」に重ねている。街角や車内で唱和される同曲に耳を覆う主人公は、<私が狂っているのか、それとも社会が狂っているのか>と自問する。冬子と帯子の従姉妹の時代への対応が対照的だ。

 カメラマンと結婚した冬子は現実から逃避し、西欧の戯曲の世界に閉じこもっている。聴覚と視覚に障害を持つ戯曲の登場人物を夫の前で演じることで、暗い現実との折り合いをつけていたが、自ら死を選ぶ。妹の帯子は「マルスの歌」に過敏に反応し、街で流れたら窓を開けて〝同調〟する。召集令状を受けた冬子の夫も、社会に同化していった。主人公は最後に、「マルスの歌」に、そして社会に明確な「NO」を突き付けた。

 重ねたのは「100分deパンデミック論」で栗原康が取り上げた「大杉栄評論集」だ。大杉は<行進する軍隊の歩調に自らを合わせていく庶民>に疑義を呈したが、そのまま「マルスの歌」を唱和する人々に重なった。絶対的な自由を志向する石川はアナキストとも交流があった。戦争に迎合した多くの表現者たちと一線を画していた。

 石川はクリスチャンではないが、江戸文学、アナキズムに加え、キリスト教の薫りも作品に滲んでいる。「焼跡のイエス」、「かよい小町」、「処女懐胎」に通底していたのはキリスト教だ。石川はクリスチャンではないが、価値観が顛倒した混乱期、欲得を超越したキリスト教に関心を抱いたのだろう。

 「焼跡のイエス」に登場する少年は襤褸を纏う聖者の如くで、「かよい小町」では主人公が業病に罹患した染香との結婚を決意する。二人が駅頭で出会った染香の友人よっちゃんは共産党の活動家だが、主人公は冷ややかだ。<アナキストの最大の敵は共産党>はスペイン戦争で実証されている。石川の思いは作品にも反映していた。

 「善財」にも戦前と戦後の断絶と連続性を背景に描かれていた。主人公の秀でた舌の感覚は、思想や言葉の真贋を見極める才能のメタファーといえるだろう。興味深かったのは恋愛観である。これは「処女懐胎」にも表れていたが、男女問わず純潔に価値を置かれていた。アナキズムへの傾倒、無頼派と括られることもある石川だが、恋愛観は意外に古風だったのかもしれない。

 石川淳には幾つもの貌がある。いや、作家自身、研鑽を重ねて過去の自分を超えていった。今後も機会があったら、石川の作品を再読していきたい。
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厳冬期の雑感~オミクロンと母、スーパーボウルと北京五輪、そしてグリーンズジャパン

2022-02-18 23:40:24 | 独り言
 先週、ケアハウスから電話が入った。母がオミクロンに罹患したという。高齢者は重症化しやすいといわれるが、95歳の母に基礎疾患はない。俺よりはるかに健康体なのだ。日々発表される新規感染者数は他人事だったが、ぐっと距離は縮まる。ようやく通じた電話で「最初は風邪だと思った」と母は話していた。喉が痛い俺も、罹っているかもしれない。

 「国際報道2022」(NHK・BS)によると、新規感染者が5万人超のデンマークで、コロナ関連の規制が全て解除された。街行く人もマスクを着用していないし、学校も通常の体制で授業が進んでいる。<オミクロン株はインフルエンザと同じで、ワクチンさえ接種していれば大丈夫>というのが政府の見解で、ワクチン追加接種率は約62%(日本は11%)だ。コロナ禍の対応で、国の形が見えてくる。

 今季はNFLをしっかり見た。ディビジョナルプレーオフ4試合、チャンピオンシップ2試合の密度の濃い内容に魅せられたし、ロサンゼルス・ラムズVSシンシナティ・ベンガルズのスーパーボウルも息詰まる接戦だった。ラムズが23対20で22年ぶりに制覇を果たす。セントルイスに本拠を置いた当時のラムズの記憶が鮮明に甦った。

 QBのカート・ワーナーは前年のスーパーボウルをバイト先の倉庫で見ていた。そのワーナーが幾つもの奇跡が重なってラムズの先発QBとしてチームを頂点に導き、シンデレラボーイともてはやされた。その後も2度スーパーボウルに出場し、リーグMVPにも計3度輝いたワーナーは慈善活動でも知られている。

 今回のスーパーボウルのハイライトというべきはハーフタイムショーではなかったか。LAという土地柄、ヒップホッパーたちがステージに立ったが、エミネムはコリン・キャパニックへのリスペクトを込め、ステージで長い間ひざまずいた。キャパニックは49ersのQBで、<黒人や有色人種への差別がまかり通る国には敬意を払えない>と国歌斉唱時の起立を拒否した。

 事実上、この一件で解雇されたと見做されているが、ブラック・ライヴズ・マターの先駆けになった。NFLのファン層は保守派が多く、今季限りで引退したトム・ブレイディもトランプ支持者である。今回のスーパーボウルはNFLを取り巻く空気を変えるきっかけになるかもしれない。

 スポーツといっても、冬季五輪はチラ見している程度だが、中国における羽生結弦の人気には驚かされた。中国の金メダリストを称えるドローンのイベントで、他国の選手で唯一、羽生への祝意も表現されていた。フィギュアで世界を震撼させたのはカミラ・ワリエワのドーピング問題だ。15歳の彼女に責任を被せるには無理があるし、10代の原石を使い捨てにするロシアのフィギュア界の体質が背景にある。

 政治とスポーツが不可分の関係であることが浮き彫りになったのは、ロシアのウクライナ侵攻問題だ。俯瞰すれば米国とEU、ロシアと中国との対立と捉えることも出来るが、民主主義、自由の価値、そして自然と人間の調和について考える時機に来ている。そんな折、グリーンズジャパンの総会がリモートで開かれた。

 これまでも総会について記したことは何度かある。2014年入会の俺は、何度も挙手して発言したこともあった。だが、コロナ禍と年齢、そして体の不具合で様々な活動に接することがなくなった。会員発の映画や音楽のイベント、研究会や講演会も激減した。だから、気分も引き気味になっている。

 EUではフランスが原発稼働に大きく舵を切り、再生可能エネルギーを志向するドイツと亀裂が生じている。<原発は二酸化炭素削減に効果的>との主張は、日本にも飛び火している。こんな時こそ、グローバルグリーンズの力が試されるのだ。GDPに縛られない脱成長と<コモン=共有材>に価値を置く試みは、バルセロナなど欧州の各都市で実践されているが、グリーンズジャパンで意見の一致を見たわけではない。

 欧州の自治体選では<グリーン&レッド連合>が支持を伸ばしている。ドイツでは緑の党=左派と位置付けるメディアもある。参院選に向け、維新+国民民主+都ファの自民党亜流グループが形成され、立民も揺さぶられている。グリーンズジャパンは軸足をどこに置くべきなのか。今月いっぱいで仕事も終了するので、少しずつ体をならし、発言する場にも加わっていきたい。
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「コーダ あいのうた」~聞こえない歌声が家族を紡ぐ

2022-02-14 21:44:22 | 映画、ドラマ
 藤井聡太竜王が渡辺明王将を4連勝で下し、最年少(19歳6カ月)で5冠を獲得した。強靱な精神力の持ち主として知られる渡辺だが、失冠直後のインタビューには憔悴と落胆が滲んでいた。藤井は昨年以降、タイトル戦で〝棋界2強〟の豊島将之九段に11勝3敗、渡辺に7勝1敗……。衝撃という表現では凄まじい進化は語れない。

 藤井はディープラーニングで序盤を研究し、中盤でリードするとジワジワ差を広げていく。史上最高の詰将棋解答者であることから、終盤では対局者の諦めを誘う。5冠獲得後のインタビューでは30回も「そうですね」を連発するなど〝不気味なほどの謙虚さ〟は、対局者を気遣っているからだろう。「頂上はまだ遠い」と語る藤井は今、〝将棋山〟の何合目に到達しているのか。

 新宿で先日、「コーダ あいのうた」(2021年、シアン・ヘダー監督)を見た。原題「CODA」は“Children Of Deaf Adult/s”の略で、訳せば〝聴こえない(聴覚障害者)、聴こえにくい(難聴者)の親を持つ健聴の子供〟となる。手話を通じて聴覚障害者と交流している知人に誘われ足を運んだ。

 公開は先月下旬なので、ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。舞台は米マサチューセッツ州の港町グロスターで、主人公は漁師一家に生まれた10代の少女ルビー・ロッシ(エミリア・ジョーンズ)だ。父フランク(トロイ・コッツァー)、母ジャッキー(マーリー・マトリン)、兄レオ(ダニエル・デュラント)は聴覚障害者で、家族唯一の健聴者であるルビーは家族に頼られ……、いや、犠牲になって、通訳として家族の思いを周囲に伝えている。

 知人は手話のボランティア活動で、聴覚障害者への偏見が差別を助長していることを知っている。同級生から「話し方が変」と言われることもあったルビーだが、天与の才能があった。歌である。合唱クラブの扉を叩いたルビーの声に瞠目した顧問のベルナト(エウヘニオ・テルベス)は、バークリー音楽大学への進学を勧める。だが、家族を守らなければならないルビーは決断出来ない。

 「コーダ――」には三つの要素がある。第一に聴覚障害者の現状で、さらに本作には行政の無理解が加わった。漁師たちへの搾取を強め、管理下に収めようとする。立ち上がったのはレオで、仲間と一緒に組合を立ち上げた。もう一つはハイスクールを舞台にした青春ドラマの側面だ。合唱クラブの一員で、コンサートで共演するマイルズ(フェルディア・ウォルシュ)との恋もストーリーの軸になっている。

 そして第三の、最も大きな要素は音楽だ。ベルナトの創意と情熱がルビーの原石の輝きを磨いていく。圧倒的なルビーの声が父、母、兄の心に届き、愛に紡がれた家族は次のステージへ進んでいく。バークリー音楽大学には商業音楽全般を学ぶ若者が進学する。ジャズを中心にレゲエやヒップホップのコースもあるという。米ポピュラーミュージックの隆盛を支えているのだ。

 飛び入りで参加したベルナトの伴奏でルビーが歌うのはジョニ・ミッチェルだ。他にもデヴィッド・ボウイ、クラッシュの曲が流れるが、異彩を放っていたのはカート・コバーンが愛したというシャッグスだ。監督や製作サイドはマニアックな音楽通に相違ない。

 本作もまたオスカー候補といわれている。多様性を希求するヒューマンストーリーだけにチャンスは大きいのではないか。
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「前科者」~ハグで相寄る魂たち

2022-02-10 22:21:35 | 映画、ドラマ
 今月いっぱいで仕事が契約切れになり、年金生活者になる。ハローワークに足を運んで担当者に相談し、状況を確認した。俺は無資格、無能のアナログ老人で、満身創痍だから医療費も嵩む。悲観的にならざるを得ない。
 
 俺ぐらいの年(65歳)になると、柴田恭兵、草刈正雄、舘ひろしら同世代か少し年上の俳優たちに注目してしまう。シフトチェンジを重ね、成熟と陰影を滲ませる彼らの演技に魅せられる機会が多い。そのうちの一人、舘ひろしが主演を務めた「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」(全8回/NHK・BSプレミアム)はひきこもり問題、格差社会の真実、受刑者への偏見が描かれたシリアスなドラマだった。

 同時期、同じく保護司に焦点を当てたドラマ「前科者-新米保護司・阿川佳代-」(全5回/WOWOW)も匹敵する好内容だった。保護司を演じた有村架純は、主演作を一本も見ていない俺にとって〝発見〟だったが、その輝かしい実績は数々の映画賞が示す通りで、若くして大女優の域に達していた。

 両ドラマを併せて見て、<保護司>が脳内にインプットされた。温情と悪運だけで東京砂漠の片隅で棲息してきた俺は、〝社会に返さなければならない〟身でもある。無償だけど、<保護司>もありかと一瞬考えたが、深谷善輔や阿川佳代のように出所してきた前科者に親身に接する自信はない。流れに従って映画「前科者」(2022年、岸善幸監督)を見た。テレビ版でも演出を担当していた岸監督には、寺山修司原作の「あゝ、荒野」で示した力量に圧倒された。

 映画版も期待にそぐわぬ内容だった。保護観察官の高松(北村有起哉)、佳代の最初の対象者であるみどり(石橋静河)、佳代が働くコンビニの店長(松山友樹)がテレビ版に続き佳代を支えていた。対象者は保護司宅で面談する。佳代が手作りの牛丼でもてなすという設定も同じだった、訪ねる前に牛丼を食べていた工藤誠(森田剛)は困ったはずだが、黙って平らげていた。

 公開後2週間なので、ストーリーの紹介は最小限に、以下に感想を記したい。工藤は仕事先で同僚を殺して服役し、出獄してきた。彼の前に実(若葉竜也)という若者が現れる。誠と実の関係に、交番襲撃事件と奪われた拳銃を用いた連続殺人事件が交錯する。佳代が保護司を目指すようになった理由も、中学時代とカットバックして明らかになる。佳代が再会した初恋相手の真司(磯村勇斗)は連続殺人事件を追う刑事だった。

 佳代は冒頭、対象者の部屋のガラスを割るなど積極的な行動に出るが、目の優しさは変わらない。記憶から消えない傷に苦しみ、もがきながら、対象者に寄り添おうとする。苦しみの多い人生を抱えながら生まれ変わろうとする男を森田は表現し切っていた。佳代と森田を衝き動かしていたのは<贖罪>の意識である。リリー・フランキー、木村多江、正名僕蔵ら実力派が物語を引き締めていた。

 テレビ版を見たし、岸監督への期待もあった。だからといって甘い点をつけるつもりはなかったが、細かい点――例えば中原中也の詩集の使い方など――まで配慮が行き届いた作品だと思う。テレビ版でもそうだったが、本作ではたびたびハグのシーンが現れる。佳代と誠のハグは物語のクライマックスだし、肝というべきはキャラが真逆の佳代とみどりのハグだ。

 「弱いから、いいんだ。佳代ちゃんの弱さは武器だから。(中略)佳代ちゃんが隣にいると落ち着ける」……。みどりは佳代をハグしながら、こう囁く。佳代は弱いから、強くて優しい。だから、何があっても対象者を、本作でいえば誠を信じ切ったのだ。

 二つのキスで繋がった佳代と真司はエンドマークの後、果たして……。そんなことを想像してしまったが、佳代は信じる者、真司は疑うのが仕事だ。人生がクロスするのは難しい。切ない余韻が去らない作品だった。
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「サボる哲学」に迸る栗原康の情熱

2022-02-06 19:55:43 | 読書
 将棋界はドラスティックな転換期を迎えている。B級1組で藤井聡太竜王が阿久津主税八段を破って9勝2敗としたが、A級昇級は最終戦に持ち越された。3敗で追う稲葉陽八段と千田翔太七段は藤井より順位が上で今期、藤井を破っている。最終局の相手は30連勝を阻止された佐々木勇気七段だから、予断を許さない。

 羽生善治九段はA級順位戦で永瀬拓矢王座に敗れて2勝6敗になった。B1陥落がこれほど早く来るとは誰が予想し得ただろう。斎藤慎太郎八段が豊島将之九段を破り、8連勝で渡辺明名人への挑戦を決めたが、豊島には悔いの残る対局だった。最終盤にAIの評価値が90を超えながら逆転され、再度勝勢になりながら投了に追い込まれた。失着が重なった豊島は眠れぬ朝を迎えたに相違ない。

 栗原康の「サボる哲学~労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)を読了した。栗原の著書を読むのは別稿で紹介した「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」以来、2冊目になる。前々稿で<俺は今、栗原の「サボる哲学」を読んでいる。次々稿で番組の内容と併せて紹介することにする>と告知した通り、まずは「100分deパンデミック論」で栗原が解説した「大杉栄評論集」について記したい。

 アナキズムというと<無政府主義>と訳されているが、栗原はギリシャ語の語源に遡り<無支配主義>が正しいという。その上で栗原は番組で〝アナキスト〟を公言していた。大杉栄はパートナーの伊藤野枝とともにアナキストとして労働運動に関わった。関東大震災直後、野枝、幼い甥とともに憲兵隊の甘粕大尉に虐殺されている(甘粕は罪を被っただけとの説もあり)。

 大杉は軍人一家に生まれたが吃音持ちで、軍人にならず思想家になる。下獄するたび外国語を習得し、〝一犯一語〟で「世界中の言葉でどもってやる」と広言していた。大杉は社会を考察する際、奴隷制度を基本に据えた。<支配-被支配>の構図で、権力者に阿ねれば、必然的にヒエラルキーで下位の者に高圧的に振る舞うようになる。それは奴隷根性で、従属がやがて快感に転じ、宗教的崇拝に変わっていく。

 栗原は「サボる哲学――」の冒頭、年収が200万円であると明かしていた。大学での講座は週1回で、〝売れそうもない〟本を数冊出しているだけではリッチは難しい。「100分deパンデミック論」でアナキストを自任し、「暴れるのが好き」というと、安部みちこアナから「見かけと違う」とツッコまれていたが、言葉はポップで軽やかだ。「サボる哲学――」は自身の日常とアナキズムを混淆したエッセー集といえる。

 根本にあるのは限りない自由への希求だが、当の栗原は<自発>を好む。<自由>という言葉に、フレーム枠内の〝不自由さ〟を覚えるからだ。おとなしそうに見える栗原を支えているのは怒りと情熱だ。そして栗原は、人間の正直な心の交錯が、確実に形――恋愛や友情を含め――になって表れると捉えている。

 栗原は二項対立でがんじがらめになっている空気を打破するための武器として笑いを据える。<権力がまとめる閉ざされた体系を崩すのは支離滅裂さ>という鶴見俊輔の「アメノウズメ論」を援用していた。本書を読んで感心したのは栗原の知識量と嗅覚で、自身を高みに引き上げる言葉を探している。

 「100分deパンデミック論」で共演した斎藤幸平は栗原に共感の笑みを送っていたが、栗原の持論は<資本主義は現在の奴隷制で、賃労働の原型は奴隷労働>だ。古来、人々は奴隷制に抵抗してきた。栗原は海賊たちの奮闘、逃亡するハリエット、ポストフォーディズム(失業者による労働統治)、ラッダイト(機械破壊運動)、ブラック・ライブズ・マターと連携した警察アポリョニシズム運動に言及する。

 大杉栄は<生の拡充>と<自律>を説く。障害にある仕組みを壊すこと、即ち乱調(抵抗)に価値を置く大杉の心情を凝縮したのが<美は乱調>にありだ。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかないが、大杉はナイーブさを併せ持った詩人でもあった。スペイン革命でもアナキストの目前のたちはだかったのは共産党だった。

 支配なき共同の生を紡げ、道路を踏み外せ、あらゆる労働はブルシット……。本書には夢破れたアナキストの叫びがちりばまれている。栗原の叫びには血が滲んでいるのだ。
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「こんにちは、私のお母さん」~観客と紡ぐ柔らかくて温かな物語

2022-02-01 21:56:32 | 映画、ドラマ
 先日、「三遊亭白鳥 柳家三三 二人会」(北とぴあつつじホール)に足を運んだ。長年にわたって開催されてきた「白鳥 三三 両極端の会」とは別ブランドで、今回が第1回となる。創作落語の第一人者の白鳥が古典に、柳家の本流である三三が創作落語に挑むという趣向は引き継がれていた。

 冒頭で舞台に立った両者は「師匠を亡くした者同士」と切り出した。白鳥の師匠である円丈、三三の師匠である小三治はともに昨秋、召されている。立ち位置は対照的な2人だが、息が合ったやりとりで客席の笑いを誘っていた。今回は雪を背景にした季節感、夢と現実、強欲な登場人物と周到な打ち合わせが窺えた。

 白鳥の「夢金」は強欲な船頭の熊蔵が、結果として町娘を助ける噺だ。快哉を叫ぶ熊蔵だが、冴えないオチにがっかりする。三三が選んだ白鳥作の「メルヘンもう半分」にはムーミンが登場し、自身の業の深さを思い知って夢から覚めた。素晴らしい出来栄えで、2時間は瞬く間に過ぎた。

 王将戦第3局は挑戦者の藤井聡太竜王(4冠)が渡辺明王将(名人、棋王)を下して3連勝し、最年少5冠に王手を掛けた。序中盤と拮抗したねじり合いが続き、所要で外出した俺が帰宅した2日目終盤、渡辺72%-藤井28%がAIの評価値だった。ところが後手渡辺の指した手で形勢は逆転し、藤井がリードを広げて押し切った。

 池袋で先日、「こんにちは、私のお母さん」(2021年、ジア・リン監督)を見た。母娘の繋がりを描いた「こんにちは――」は観賞後、柔らかく温かい風が客席を包んだ。全世界で本作は、女性監督作としての興行記録を更新した(昨年末で1000億円弱)。

 監督のジア・リン自ら、主人公ジア・シャオリン役を務めている。撮影時は30代後半だから、20歳下の高校生役だ。太めのコメディエンヌゆえ、違和感は覚えなかった。伸び伸び育ったシャオリンは母リウ・ジア(リ・ホワイエン)を喜ばせた記憶がない。ドジばかり踏んできたし、成績もイマイチで母が学校に呼び出されることもある。友達の協力で一流大の合格証書を偽造するが、ばれてしまう。

 物語のスタートは2001年で、母娘で2人乗りしていた自転車が車に激突し、意識をなくした母は病院のベッドに横たわっている。ショックを受けたシャオリンはテレビ画面を見入っているうち、20年間にタイムスリップしてしまう。

 「自分の知っている母はくたびれた中年女性だった」とモノローグで語っていたシャオリンは、若かりし頃の煌めいた母(チャン・シャオフェイ)と出会う。従姉妹という触れ込みだった。鄧小平が推進した改革解放の時代、バレーボール、流行歌、人気の映画やドラマと当時の中国の空気が織り込まれていた。

 タイムスリップの原則は<改変しないこと>……。母の苦労を知るシャオリンは、禁じ手を考える。自分の存在が消えてもいいから、実際とは違う母の幸せな縁談を後押しした。相手は工場長の息子ジエン・グアンリン(シェン・トン)で、自身もロン・ター(チェン・フー)といい雰囲気になる。母の恋の行方は果たして……。

 中国映画というと「薬の神じゃない!」や「少年の君」(香港と合作)のように、エンドロールで中国政府のプロパガンダが流れるケースもあるが、普遍的な物語である「こんにちは――」には共産党の〝策謀〟が入り込む余地はなかった。本作が観客の心を震わせたのは、映画の内容が自身の記憶の扉を叩いたからだ。

 母、そして父は、家庭の中で慎ましい姿を子供に見せる。では、両親はどのような青春時代を過ごし、いかなる恋をしたのだろう。本作のシャオリンは若かりし頃の母リウ・ジアと仲良くなる。美しく、溌剌と輝いている母と出会い、娘への思いを知った。

 俺も本作を見て、郷里の母に思いを馳せた。耳が遠く、電話では会話が成立しなくなった母に手紙を書くことにしよう。絆の意味を再認識させてくれた作品だった。
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