酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「帰郷」&「いのちぼうにふろう」~仲代達矢をとば口に半世紀を振り返る

2020-04-28 22:55:07 | 映画、ドラマ
 休業要請に応じないパチンコ店に客が殺到したようだ。マスクなしを咎められ、口にタオルを巻いて入店した猛者もいるという。一方で、乗車率ゼロの新幹線も走っている。粛々と従う後者が〝一般的な日本人〟の姿を写しているのだろう。

 アメリカでロックダウン解除を求めるデモが広がっている。大半の参加者は<人命より経済>の価値観をトランプ大統領と共有し、インタビューに「感染したら自己責任」と答えていた人もいた。コロナに感染して死に至るのは富裕層ではなく、多くが黒人、ヒスパニック、貧困層である。個人主義に毒されたアメリカの現実に絶望を覚えた。

 当分は録りだめした映画を紹介していく。今回はともに仲代達矢主演作で、今年1月に公開され、製作した時代劇専門チャンネルで翌月オンエアされた「帰郷」(杉田成道監督)、「いのちぼうにふろう」(1971年、小林正樹監督)の2作について。両作をとば口に、極私的に半世紀を大雑把に振り返りたい。

 仲代は2月末、翌月の公演キャンセルを発表した。コロナ感染爆発を予期したかのような決断で、「何より命が大事」と後進の演劇人に理由を説明していたという。「帰郷」と「いのちぼうにふろう」のキーワードは、ともに<命>である。

 「帰郷」の主人公である宇之吉は、迫り来る死を意識し、30年ぶりに故郷(木曽福島)を訪れた。若き日の宇之吉を演じる北村一輝、中村敦夫、橋爪功、緒形直人、前田亜季、常盤貴子、田中美里、三田佳子ら錚々たる面々が脇を固めていた。肝の台詞は宇之吉が娘(常盤)の亭主(緒形)に語り掛ける「命を粗末にするんじゃねえ。命は人のために使うんだ」である。

 常盤の激情、田中の妖艶さが作品に彩りを添えていた。死出の旅で御嶽山を登る宇之吉の心に去來していたのは贖罪の念であり、未達の愛への悔いだった。87歳の涸れた演技に感嘆させられたが、39歳の仲代が煌めいていたのが「いのちぼうにふろう」である。

 舞台は江戸。深川の小島に安楽亭という居酒屋兼飯屋があった。主(中村翫右衛門)と娘おみつ(栗原小卷)が切り盛りし、八丁堀も寄りつかないサンクチュアリにアウトローが住み着いている。野性と優しさを併せ持つ定吉(仲代)と、〝仏〟の異名を持つ与兵衛(佐藤慶)をリーダーに仰ぎ、安楽亭は密貿易と関わっていた。

 主が「あいつらは人の情けを知らない獣たち」と評する悪党どもが情に目覚め、危険を察知しながら取引に加担する。無頼たちを待ち受けていたのは無残な結末だった。安楽亭の常連になった男を演じた勝新太郎に加え、個性的な面々が作品をもり立て、定吉とおみつの悲恋も織り込まれている。熱い時代が去った後の喪失感が全編に漂っていた。

 1971年と2020年……。この半世紀、仲代は舞台やスクリーンで存在感を示し続けた。中学生だった俺は〝命をぼうにふる〟ことなく、無為に生き長らえ、老いさらばえた。日本はどう変わり、いかに変わらなかったのだろう。

 日本は50年前、勢いに満ちていた。排ガス規制を軸に環境改善を目指したマスキー法(1970年制定)を日本の自動車メーカーが次々にクリアする。日産とフォードの好対照を詳述したのが「覇者の驕り」(デビッド・ハルバースタム)である。自動車のみならず、多くの企業がアイデアと情熱で<世界標準>を突破していく。

 別稿(3月31日)、マルクス・ガブリエルと張旭東ニューヨーク大教授、斎藤幸平大阪市大准教授との対談を紹介したが、3人の共通認識は<日本人はあらゆるものを受け入れる余地はあるが、心象は一定のまま。来る者は拒まず、されど受け入れず>だった。<先進国であり得ない供託金制度が民主主義確立を拒む弊害>、<戦争法に反対する者が死刑を肯定するのは自己矛盾>と当ブログで繰り返し記してきたが、賛意を得られず孤立したままだ。

 <世界標準>と<独自性>の両立が容易でないことは理解しているが、進取の気性を失った日本は明らかにガラバゴス化している。活気があった頃の日本なら、コロナ蔓延阻止で台湾、シンガポール、韓国に後塵を拝することはなかっただろう。

 仲代について個人的な思い出を。淀川長治の解説込みで「日曜洋画劇場」を楽しみにしていた父は壮大なスペクタクル、アクション、サスペンス、西部劇を好んだが、邦画で唯一、俺に薦めたのは「人間の條件」(1958年~、全6部)で、仲代の出世作である。近日中にスカパーで放映される「切腹」を紹介する予定だ。
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コロナ後の世界を生き抜くため、シェアする精神で民主主義を

2020-04-24 11:42:03 | 社会、政治
 「そして街から人が消えた~封鎖都市・ベネチア」(NHK・BS1)は新型コロナウイルス蔓延を克明に追ったドキュメンタリーだった。ベネチアの仮面カーニバル(2月8~25日)初日、イタリア全土の感染者は3人、死者は0だった。感染者146、死者3と発表された23日、カーニバルは打ち切られる。

 感染者7375人、死者366人に至った3月8日、ベネチアなどイタリア北部の都市がロックダウンされる。昨年11月、ベネチアの街の大部分が高潮によって水没し、市長は<気候変動の影響>と警鐘を鳴らした。「新型コロナの原因のひとつは地球温暖化」と説く研究者の分析を当ブログで伝えてきたが、〝ベネチアの二重の悲劇〟をもたらしたのは気候危機だった。

 アルベール・カミュ著「ペスト」が今、増刷を重ねている。30年ぶりに再読しブログで感想を綴ったのは、新型インフルの感染が広がった09年のこと。リウー医師の元に志の高い者たちが引き寄せられ、正義、倫理、自己犠牲、友愛を体現する。同作の登場人物同様、身を賭してウイルスと闘っている医療関係者に敬意を表したい。

 暗澹たる気分になったのは感染症対策会議の報告だ。尾身茂氏副座長は<院内感染が起こったことで医療従事者への偏見や差別が拡大し、家族にも影響が及んでいる。悩み抜いた従事者が辞職したり診療を差し控えたりするケースが増えている」(要旨)と指摘していた。付和雷同した同様の書き込みがSNSに溢れている。

 人は高潔さや使命感に基づき行動するのは不可能だが、「ペスト」を読まれた方は<自分一人が幸福になるのは恥ずべきことかもしれないんです」というランベールの言葉を噛みしめてほしい。<コロナ後の世界>と向き合うための指針といっていいからだ。
 
 自然と人間、先進国と途上国、貧者と富者……。個人主義を克服したシェアする精神こそ、コロナ後の世界を生き抜くための武器だ。もはや成長はあり得ず、労働者の給与は大幅に落ち込む。非正規(俺も)、自営業者、年金生活者には地獄の扉が開いている。弱者同士が既成の枠を超えたコミュニティーを志向するなど、様々な試みがなされるだろう。

 とはいえ、個人が意識を変えても世の中は変わらない。この期に及んで<人命より経済>を前面に出す米トランプ大統領、収賄・背任容疑を新型コロナで掻き消したイスラエルのネタニヤフ首相、危機に乗じて独裁体制を強化したフィリピンのドゥテルテ大統領……。世界を眺めても、ろくでもないトップは多い。彼らを退陣させることが喫緊の課題だ。

 日本も危うい状況だ。昨年、女性財務官僚が〝文春砲〟を浴びたが、不倫は取るに足らない。相手(首相補佐官)ともども官邸の意を受け、山中伸弥教授を恫喝するなど研究費削減に奔走したことが問題だ。医療崩壊を目前に〝主犯〟の安倍首相は<フェイクニュース>で国民の目を欺いている。

 <日本の支援は世界で最も手厚い>という首相お得意のフレーズが事実と反していることは、報道番組をご覧の方には自明だ。独仏は自営業やフリーランスを含め収入の70%保証、家賃・公共料金支払い免除に踏み込み、イギリスもEUの水準で国民を守ろうとしている。日本とは比べようもない手厚さなのだ。

 話は逸れるが、スウェーデンのTVクルーは1960年代後半、公民権運動や黒人解放運動を取材した。当時のフィルムを再編集した「ブラックパワー・ミックステープ」は貧困に喘ぐ黒人の実態を捉え、<福祉も医療も遅れたアメリカは、不自由で非人道的な後進国>(要旨)とナレーションを重ねていた。逆ギレしたアメリカは72年から2年間、スウェーデンと国交を断絶する。

 日本人は当時も今も<欧米=先進国>と一括りし、自分たちも裕福な仲間と錯覚しているが、事実に反する。日本の貧困率は高く、1人当たりのGDPも韓国に迫られているからだ。コロナ関連で多くの識者が考察しているが、秀逸なのは<パンデミックを生きる指針~歴史研究のアプローチ>(岩波新書HP)だ。著者の藤原辰史氏は方方(中国の作家)が武漢封鎖時に綴った日記を紹介している。

 <一つの国が文明国家であるかどうかの基準はただ一つしかない。それは弱者に接する態度にある>……。端折ってしまったが、遠からず藤原氏の論考について記す予定だ。シェアする精神に支えられた民主的な政府を選ぶことが最重要な課題であることを、新型コロナは教えてくれた。
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「最愛の子」~中国の光と闇が紡ぐ愛と慟哭

2020-04-20 11:53:32 | 映画、ドラマ
 新型コロナの影響は俺の生活にも及んだ。仕事は期間限定で2班体制になり、俺は午後スタートになる。これをきっかけにブログ更新時間も変わる。ついでに食事量を減らしダイエットしようかな……。

 米中覇権、気候危機、そして新型コロナ……。世界は今、この三つが回転軸になっている。新型コロナ感染が中国全土に広がった時、「中国は終わった」と俺は感じた。グローバリズムの時代、国境を超えて感染は広がり、今や〝主戦場〟は欧米になっている。

 FOXテレビは<新型コロナは武漢研究所が培養した細菌兵器の疑い>と報じた。トランプ支持者もSNSに同様の書き込みをしているが、フェイクニュースの類いかもしれない。中国は自国内のコロナ封じ成功を強調する一方、南欧や途上国を援助するため、莫大な資金を拠出している。<ポスト・コロナ>に向け態勢を整えているようだ。

 映画館の休館で当分の間、録りだめした旧作を紹介することになる。第1回は中国・香港合作「最愛の子」(原題「親愛的」、2014年、ピーター・チャン監督)で、09年に起きた誘拐事件をベースにしている。日本公開時(16年)はスルーしていたが、同年1位に選んだ「オマールの壁」に引けを取らない作品だった。

 中国は立ち位置によって見え方が異なる蜃気楼だ。人口1000万超のメガロポリスが5つあり、本作の舞台である深圳もそのひとつだ。軍事力や最先端技術がクローズアップされ、ブロックチェーンはドル本位制終焉を志向している。一方で、「苦い銭」(ワン・ビン監督)は3億人ともいわれる農民工のどん詰まりの状況を描いていた。

 眩い光に溢れた深圳、出稼ぎ労働者を供給する安徽省の農村……。本作は残酷なコントラストが紡ぐ愛と慟哭の物語だ。ティエン(ホアン・ボー)は深圳でネットカフェを経営している。ジュアン(ハオ・レイ)と離婚後、一緒に暮らしていた3歳の息子ボンボンが誘拐されたのが物語のスタートだ。

 原因が自身にあるため親権を持たないジョアンは週1回の面会後、追いかけてくるボンボンの姿をバックミラー越しに認めた。車を止めずにやり過ごし、その直後にボンボンが誘拐された。罪の意識に苛まれたジョアンと新しい夫との間に亀裂が生じる。

 拝金主義が荒みをもたらした中国では、<一人っ子政策>を背景に年間20万人の子供が誘拐され、売買されている。失意の親たちを騙す詐欺グループも無数に存在し、ティエンも翻弄される。ディエンとジョアンは行方不明の子供を捜す親たちのコミュニティーに参加した。リーダーのハン(チャン・イー)は、〝一懐の愁緒〟が含まれる漢詩を口ずさむなど知性派で、責任感と繊細さを併せ持っている。

 安徽省の村でジーガンとして育てられていたボンボンを見つけてからが第2幕だ。育ての親は自身を不妊症と信じているリー・ホンチン(ヴィッキー・チャオ)で、亡き夫ヤンは誘拐グループの一員だった。俺もそうだが、人は3歳以前の記憶をインプットしていないという。ボンボンにとって母はリー・ホンチンだから、ティエンとジョアンには反抗的に接する。息子の愛を勝ち取るための忍耐の日々が始まった。

 リー・ホンチンはジーガンだけでなく、夫が拾ってきたジーウォンまで失うことになる。彼女は服役後、深圳に向かいジーウォンを取り戻すべく行動するが、国を問わず行政は弱者に冷たい。良心的な弁護士のカオ(トン・ダーウエイ)が寄り添ってくれた。

 予定調和的な結末を願っていた。ティエンとジョアン、リー・ホンチンとカオ、幼いボンボンとジーウォンが血縁を超えた新しい絆を紡ぐハッピーエンドは木っ端微塵に砕ける。ラストのリーの慟哭に打ちひしがれた。失意、勇気、情熱、苦悩、絶望を表現したヴィッキー・チャオとハオ・レイの演技が本作の肝だった。

 ピーター・チャンの細やかな工夫が織り込まれていた。主調の赤は登場人物の激情と希望の、そして噴水のシーンはジョアンとボンボンの相寄る魂の暗喩だった。愛の本質を追求したという点で、同じ中国映画「妻への家路」に匹敵する傑作といえる。エンドロール前に当時のニュースフィルムが流れていた。事実は創作より救いがあったのではないか。
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サンダースの挑戦は未来に繋がる

2020-04-16 22:59:42 | 社会、政治
 自粛は生活だけでなく、人々の心をも蝕んでいる。不安、恐怖、同調圧力への忌避感が増幅し、家庭ではDVが蔓延している。ストレス、フラストレーション、プレッシャーと無縁のはずの俺だが最近、妙に苛立っている。

 先進国では例を見ない供託金制度に支えられ、<99%>の声が届かない〝貴族院(=国会)〟はテレワークを推進するため、登院議員の数を大幅に削減する。実態のないマヤカシの歳費カットで自民・森山国対委員長と同意した立民・安住国対委員長は「我々が範を示す」と宣った。おまえに示される範などない。上から目線に怒り心頭に発した。立民の本性もその程度だ。

 別稿(1月13日)に紹介した「未来への大分岐」(斎藤幸平編、2019年/集英社新書)は刺激的な内容だった。サブタイトルは<資本主義の終わりか、人間の終焉か?>で、知のトップランナーたちが今こそ時代の転換期と説く。大分岐は間違いなかったが、もたらしたのは想定外の新型コロナウイルスで、経済や文化の発進地ニューヨークは死の街になった。

 俺はサンダースへのシンパシーを伝えてきた。コロナを抑え切れないアメリカの現状を見れば、サンダースの公約――新型ウイルス発生の原因である気候変動への対策、国民皆保険、医療と福祉の充実――はアメリカ社会の矛盾を解決するための道筋を示していたが、広範な国民から受け入れられることは叶わず、撤退してバイデン支持を公言した。

 〝政治はベターの選択〟であるのは事実で、史上最悪の大統領の再選を阻止するために必要な判断だった。トランプは自らの判断ミスを糊塗するため、WHOを中国寄りと決めつけ資金拠出停止を発表した。発展途上国での感染爆発が危惧される時期に、自国第一主義を克服出来ない愚かさを全世界に露呈した。

 トランプの悪業を挙げればきりがない。「国連加盟国はエルサレムに大使館等を設置してはならない」(安保理決議478)に反してエルサレムを首都に承認するなど、イスラエルとの連携は常軌を逸している。ロシアとの癒着や北朝鮮との接近、中国への腰の据わらない対応はビジョンと世界観を持たない証しだ。

 メキシコ国境との壁建設を公約に盛り込むなど、憎悪、対立、分断を煽り、民主主義を崩壊の危機に追い込んだ。経済面では確実に中国に追い抜かれるアメリカが世界をリードには、自由と民主主義の理想を掲げられる大統領が必要だ。トランプ以外であることは言を俟たない。

 内外の識者はサンダース失速の理由をあれこれ分析している。民主党指導部の意を受けた<サンダースではトランプに勝てない>キャンペーンが奏功した点が大きかったが、優位に進めていた序盤のサンダースの演説は激烈で、紛うことなき社会主義者の姿だった。説得力はあったが、〝勇み足〟ではないかという不安を俺は感じた。

 日本ほどではないが、少子高齢化が進むアメリカでも若者の数は減っている。コロナウイルス蔓延が足枷になり、運動にダイナミズムと熱狂が失われた。ホームレスや車上生活者は投票所に向かわなかっただろうし、サンダースの思いは黒人層に伝わらなかった。

 サンダース支持の若き白人のインテリに対し、黒人は生理的反感を覚えたはずだ。フランス全土で盛り上がったイエローベスト運動に、格差と貧困に喘ぐ移民たちは冷ややかだった。社会正義を訴える運動が、人種や民族の不満と繋がることは簡単ではない。

 「デモクラシーNOW!」に結集するノーマ・チョムスキーやナオミ・クラインは、サンダースの挑戦に高い評価を与えている。暴走する資本主義に歯止めをかけ、公正で平等な未来を志向した試みは、民主党プログレッシヴに確実に受け継がれる。

 <大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくこと。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>……。

 当ブログで「忍者武芸帳」(1967年、大島渚)の影丸の台詞を紹介してきた。アメリカ、沖縄、パレスチナ、チベット、そして弾圧と闘っている世界の人々は、この言葉に共感するはずだ。
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「村に火をつけ、白痴になれ」~<心のロックダウン>を突き破るヒントとしての伊藤野枝

2020-04-12 22:31:53 | 読書
 まずは訃報から。大林宣彦さんが亡くなった。享年82である。俺にとって〝彼方の巨匠〟で映画館では3作しか見ていない。最も記憶に残るのは「異人たちとの夏」(1988年)で、人目を憚らず号泣した記憶がある。「花筐/HANAGATAMI」(2017年)には安倍政権への強い警戒感が窺えた。反戦の思いを抱き続けた映像作家の死を悼みたい。

 営業自粛でネットカフェ難民は行き場を失い、シングルマザーたちも悲鳴を上げている。貧困率が高い日本で<補償なき自粛>は国民を追い詰める。〝板子一枚下〟の地獄への恐怖、同調圧力や集団化を促す空気が精神を苛む。<心のロックダウン>を食い止める手段はなく、〝突破者〟に学んで気持ちを切り替えるしかない。例を挙げるなら、女性、労働者、弱者の側に立った伊藤野枝だ。

 野枝は関東大震災の半月後、憲兵隊司令部で大杉、大杉の甥とともに惨殺された。短い半生に迫った「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」(2014年、栗原康著/岩波現代文庫)を読了する。著者の栗原はアナキズムに造詣の深い政治学者、いや、感性はそのままアナキストだ。ポップな筆致で綴られた本作は。野枝に送ったラブレターといっていい。

 冒頭、栗原は野枝の墓を訪ねる。野枝の魂は封印されていた。妖怪のような扱いで、「二度と地上で暴れるな」という恐怖の表れといえるだろう。世紀が変わっても、故郷の人々は「あの淫乱女」と野枝を罵っていた。しかし、それは事実と異なる。親が決めた婚家を8日で出奔して辻潤と結婚し、その後、大杉栄の元に走る。一本気な純愛が野枝を突き動かしていた。

 不明を恥じるしかないが、大杉、そして辻と野枝の関係を〝主客〟と見ていた。野枝はダダイストで翻訳家だった辻、アナキストの大杉と接することで思想的バックボーンを形成する。「青鞜」発行人で「元始、女性は太陽だった」で知られる平塚らいてうの影響も絶大だった。本作にはこの3人と野枝との経緯が詳細に描かれている。だが野枝は、驚くべきは吸収力で〝主〟に追いついていく。

 17歳で論壇デビューを果たした野枝は28歳で召された時、3人の〝先生〟と匹敵する表現者だった。ジョン・レノンがヨーコ・オノにインスパイアされ「女は世界の奴隷か」を発表する60年前、野枝は女性解放、男女同権、買売春禁止を訴え、封建制度に刃を突き付ける。怒りと情熱を支えたのは自由への希求だった。
 
 野枝は女性解放活動家、作家、編集者で、10年間で3男4女を産む。常に生活苦で、出奔したにもかかわらず、親族に愛嬌を振りまいて金を工面する。著者はこの調子の良さに呆れ、楽しんでいるが、野枝は子供のため、夫のために生きなくてはならず、官憲の弾圧にも耐えねばならなかったのだ。大杉と野枝は伝を頼って後藤新平を訪ねて金を無心し、300円(当時)をゲットする。懐の深さを示すエピソードとされるが、後藤は左翼人脈の一員だった。

 面白いのは各章のタイトルだ。<貧乏に徹し、わがままに生きろ>、<夜逃げの哲学>、<ひとのセックスを笑うな、<ひとつになっても、ひとつになれないよ>、<無政府は事実だ>……。野枝の破天荒さ、楽天主義、攻撃性、波瀾万丈、情熱、ユーモア、ナイーブさを言い当てている。

 野枝を惹きつけたのはミシン(機械)で、次のように記している。<みんな、それぞれの部分が一つ一つの個性をもち、使命をもって働いています。(中略)必要な連絡の部分を超してまで他の部分に働きかけることは決して許されてありません。そして、お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現われてくるのです>……。これは野枝の理想とする運動論、友情、恋愛の形を表現している。

 <中心>、<上下>という概念を嫌う野枝は心底からアナキストであった。彼女を刺激したのは米騒動における主婦たちの闘いで、女性解放の曙と見做していた。現地のメーデーに参加出来ずフランスから帰国し、東京駅に降り立った大杉は、徹底的な取り締まりに逆らう800人もの出迎えを受けた。時代の寵児だったのだ。

 アナキズムにシンパシーを抱いていたバートランド・ラッセル(後にノーベル文学賞受賞)は1921年に来日し、多くの活動家や文化人と交流した。そのラッセルは離日する際、「好ましいと思った日本人はたった一人。伊藤野枝という女性で、ある高名なアナキストと同棲していた」(趣旨)と語っている。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかない。

 本作では惨殺事件の首謀者は甘粕大尉という〝定説〟を踏襲しているが、佐野眞一は「甘粕正彦 乱心の曠野」で<甘粕が命令体系を逸脱するはずはなく、無実でありながら罪を被った>と主張していた。本作と関係はないが、満州の実効支配者になった甘粕は、冷酷というパブリックイメージとは異なる貌を持っていたのではないか。

 別稿(3月23日)で記した石牟礼道子と野枝に共通点を覚えた。それは〝狂い〟である。道子はひめやかな、野枝は燃えるような色調で、封建的な家族を否定している。道子は〝火宅の人〟だったが、野枝は意外に家族と密接だった。表現は対照的だが、素晴らしい2人の女性と知り合えて幸せだった。
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緊急事態宣言?~泉谷しげるをハミングしながら徘徊する非国民

2020-04-08 18:40:56 | 独り言
 今稿は別のテーマで記すつもりだったが、怒りが抑え切れなくなったので、予定を変更した。怒りが度を超すと〝何か〟しでかしかねないからだ。

 ある男が会見していた。自身と妻、仲間内のためにのみ便宜を図る安倍首相である。「国民の生命を守る」なんて宣う前に、<忖度の回路>でもがき苦しみ自死に至った財務官僚とその奥さんに向き合い、身を処すべきだったのだ。「緊急事態宣言」を訝しさを覚える俺は<非国民>なのだろう。

 怒りを鎮めるため、マスクを着用せず街に出た。予約した本を紀伊國屋で受け取り、その足で向かったタワーレコードは本日(8日)から臨時休業だった。ドラッグストアでお菓子とアイスクリームを買って帰宅する。いずれも不要不急だ。

 頭で泉谷しげるがガンガン鳴っている。「黒いカバン」(1971年、「春夏秋冬」収録)は黒いカバンを手にしていた男と、呼び止めた警官との丁々発止を描いている。泉谷と岡本おさみ(作詞)は管理社会の入り口を直感していた。♪黒いカバンをぶらさげて歩いているの冒頭を、♪白いマスクを着けないでと替え歌にし、ハミングして歩いていた。

 「国旗はためく下」(74年、「光と影」収録)は同調圧力に弱く、たやすく集団化してしまう日本を辛辣に批判した曲だ。リフレインされる♪国旗はためく下に集まれ 融通のきかぬ自由にカンパイの歌詞が印象的で、40年後の今こそ聴かれるべき名曲だと思う。

 先進国は日本政府に冷ややかな目を向けている。在日アメリカ大使館は日本に滞在する同国民に「幅広く検査しない日本政府の決定で、新型コロナウイルスの有病率を正確に把握することは困難」と帰国を促した。在日ドイツ大使館も同胞に注意喚起し、独有力紙は外交官の臆測と前置きした上で、「日本ではマトモな検査は殆ど実施されていない」とする記事を掲載している。

 この推察を裏付けているのは、<たらい回しにされ、ようやくPCR検査を受けたら陽性が判明した>という国内での幾つもの証言だ。<従来のインフルエンザや肺炎とコロナ感染者との作意的混同>を疑う記事も目にした。公文書の改竄と隠蔽と繰り返し、民主主義の土台を破壊した安倍政権が発表する数字をうのみにするのは無理な話だ。

 フランスやアメリカのメディアは日本の緊急事態宣言について、自粛要請と変わらない〝程度の変化〟と伝えている。感染者数への疑義に加え、安倍首相についても「宣言を主導した」から「やむなく出した」まで幅がある。国民の安全より五輪開催、経済(株価)が最大の関心と断じる識者もいる。

 3月以降、反原発集会、ドイツ緑の党との交流会、落語会、野球など、規模を問わず予定していたイベントは全て中止になった。本日以降、映画館も休館になり、護憲集会(5月3日、有明防災公園)も取りやめになった。母の暮らす老人施設も出入り禁止で、ゴールデンウイーク中の帰省はなしだ。

 40年来の馴染みの理髪店オーナーは休業要請が出ないか心配している。国と都は今も調整中だ。30回近く足を運んだ高円寺グレイン(イベントスペース)も今年9月末をもって閉店する。オーナーのKさんとは年も感性も考え方も近い。Kさんへのリツイートに<国民に「減収を証明する書類を提出しろ」と言うなら、首相はモリカケなど数々の疑惑に関与していないことを示す書類を提出せよ>(要旨)と綴られていた。

 強制と補償はセットにするべきだが、安倍首相は国会で否定していた。一方で大企業には「特定投資業務」の枠組みでまず1000億円を拠出するという。<相対主義・冷笑主義・ニヒリズム>の蔓延で、この国は閉塞状態に陥っている。「風穴をあけるのは怒り」などと書くと嘲笑されそうだが、マルクス・ガブリエルは<人間の思考が感覚だったら>との仮説を立てている。感覚≒感情だとしたら、怒りが正しい思考への第一歩だとしても不思議はないのだ。

 将棋名人戦まで延期になって寂しい限りだが、不要不急のはずの競馬が無観客とはいえ開催されている。無聊を慰めるため、ドラマを見る機会が増えた。新作では貧困ビジネスを背景にした「パレートの誤算」(連続ドラマW)が秀逸だった。橋本愛の目力は魅力で、刑事役の北村有起哉の存在感も際立っている。

 次稿のテーマは順延した伊藤野枝だ。この人がタイムスリップして現在の東京に降臨したら、どんな風に行動するだろう……。こう想像するだけで胸がわくわくする。怒りも吹っ飛びそうだ。
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「黒い司法」~高邁な意志が正義を導く

2020-04-04 18:53:38 | 映画、ドラマ
 「デモクラシーNOW!」のHPに、<新型コロナの一番の被害者は人種差別と貧困に喘ぐコミュニティー>と告発する医師の声が掲載されていた。トランプ大統領のコロナ救済措置(235兆円)は最も支援を必要とする層に行き渡らない<企業のための、企業によるクーデター>……。識者たちはこう批判していた。

 新宿ピカデリーで「黒い司法 0%からの奇跡」(2019年、デスティン・ダニエル・クレットン監督)を観賞した。スクリーン1のキャパは600人弱。封切り1カ月後とはいえ、客席は俺を含めて3人。通常の映画の日(1日)ではあり得ない〝奇跡〟を目の当たりにした。東京でもコロナ禍は深刻さを増している。

 個人的に本作は年間ベスト5候補だ。1980年代後半にアラバマ州で起きた事件をベースにした重厚なヒューマンドラマで、主要キャストは実在の人物だ。ハーバード出身の黒人弁護士ブライアン・スティーブンソン(マイケル・B・ジョーダン)はエリートの道を選ばず人権保護に取り組んでいる。白人少女殺しの罪で投獄された黒人労働者の弁護人になる。

 主役のジョーダンを支えるのはオスカー俳優たちだ。死刑囚ウォルター・マクミリアンを演じるジェイミー・フォックスと、助手として真相究明に奔走するエバ役のブリー・ラーソンだ。ストーリーの紹介は最小限にとどめ、四つのポイントに絞って記したい。まずは<黒人差別>から。

 俺はオバマ前大統領を〝史上最悪の武器商人〟と厳しく評してきた。別稿(3月19日)に紹介した「わたしは分断を許さない」で堀監督は、オバマの決断でイスラエル国防軍に追加援助された300億㌦がガザ虐殺に用いられたことを、抗議デモ参加者の視点で描いている。

 裏の顔はともかく、ノーベル平和賞を受賞したオバマは黒人たちに神格化されている。副大統領を務めたバイデンはアラバマ州の民主党予備選で60%超の票を得た。本作にも凄まじい差別の実態が描かれていた。弁護士のブライアンでさえ、警察や刑務所で屈辱的な扱いを受ける。〝犯人は黒人であれば誰でもいい〟という捜査方針の下、白人だけの陪審員によってウォルターは死刑を宣告される。

 次なるポイントは<死刑と冤罪>だ。ブライアンはウォルターと同じ刑務所の死刑囚棟に収監されているハーブ(ロブ・モーガン)の弁護にも携わっている。ベトナム戦争時の経験でPTSDを発症したハーブは想定外の事件を引き起こした。死刑反対論者のブライアンは再審を求めたが叶わなかった。それでもブライアンは執行までハーブに寄り添う。

 黒人コミュニティーではウォルターのように見込み捜査で有罪になり、死刑判決を受けるケースが少なくない。実在のブライアンはその後も冤罪裁判と死刑問題に取り組み、白人のエバもEJS(イコール・ジャスティス・イニシアティブ)の運営に関わっている。

 三つ目は<正義>だ。何が正義で、何が善かは、無意識下でコントロールされていると見えづらくなってくる。アラバマの多くの白人は〝黒人は存在自体が悪〟という集団意識に毒され、疑いを持たない。ブライアンは個としての突破力で風穴をあける。

 本作にはブライアンの含蓄ある台詞がちりばめられている。心に響いたのは<貧困の反対語は裕福ではなく正義>だ。前稿で紹介したマルクス・ガブリエルは、SNSと距離を置いて〝哲学〟することが自由、善、正義といった普遍的価値に近づく道と説く。前提は個に立脚することだ。本作のハイライトは、マクシミリアンが正義に向き合い、法廷で改心を表白するシーンだ。屈折した内面を巧みに表現したC・J・ブラウンの演技に瞠目した。

 最後は<司法の意味>だ。真っ黒なのはアラバマだけではない。現在の日本にも目を覆いたくなる。供託金違憲訴訟裁判傍聴のため何度も東京地裁に足を運んだ。国会が貴族院になり、<99%>の声が届かなくなった最大の理由はOECD加盟35カ国ではあり得ない莫大な供託金(選挙区で300万円)だが、政権に忖度した司法は〝国際標準〟を無視した判決で、日本が先進国になる道を閉ざした。

 河村夫妻にはメスを入れた検察だが、森友、加計、桜、レイプ記者には寛容で、人事介入も受け入れている。残念ながら、〝司法は時代、国を問わず黒い〟。絶望的な状況を打破するために闘った、いや、今も闘っているブライアンとエバの高邁な意志に敬意を表したい。
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