酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「忌中」~車谷長吉が描く破滅と救済

2012-10-19 13:12:42 | 読書
 「相棒~シーズン11」が始まった。杉下右京(水谷豊)と甲斐享(成宮寛貴)の新コンビは30歳差。杉下は甲斐の反抗的なところを楽しんでいる。警察庁NO・2で息子と折り合いが悪い甲斐の父(石坂浩二)が、小野田官房長(岸部一徳)の後継キャラだ。「相棒」は今後、〝2人の父〟を軸に展開するだろう。

 若松孝二監督が亡くなった。時代のパトスに敏感で、革命家の足立正生を世に出し、「愛のコリーダ」(大島渚)をプロデュースするなど、ノンポリを自任しながら常に反体制の側に身を置いた。船戸与一とも親交が深く、「海燕ホテル・ブルー」を映画化する。音楽を担当したのは、若松監督を尊敬してやまないジム・オルーク(元ソニック・ユース)だ。個性と才能で絆を紡いだ偉才の死を、心から悼みたい。

 荒戸源次郎もまた〝若松磁界〟の住人だ。代表作「赤目四十八瀧心中未遂」の原作者である車谷長吉は、別稿(10月5日)に取り上げた辻原登と同じ1945年生まれである。史実さえ虚構と思わせる辻原、リアル過ぎて親族から責められた車谷……。両者の方法論は真逆だが、車谷は04年、とある事情で私小説作家廃業を宣言する。帰省中に読んだ「忌中」(03年、文春文庫)は車谷にとり、最後の私小説集といえるだろう。

 <過去、そして現在と未来……。帰省中、絆について思いを巡らせた。老い、孤独、死は俺にも確実に迫っている>と前稿を締めた。単純な俺のこと、「忌中」にどっぷり浸かっていたからだ。水原紫苑さん(歌人)の解説にも感銘を受けた。<変死、横死、一家心中、夫婦心中――彼らの魂に捧げる狂哭の短篇集>の評は、「忌中」の本質を鋭く抉っている。

 水原さんが書かれた通り、車谷は純愛小説の匠でもある。「萬蔵の場合」(81年)の感想を別稿(07年5月)で以下のように記した。

 <詩的なイメージに彩られた本作は、ケシのように毒々しく、薔薇のように危険で、カタクリのように儚い。男女の深淵を描いた小説は数あれど、「萬蔵の場合」が白眉と確信した>……。ちなみに、俺が「萬蔵の場合」とともに恋愛小説のピークに挙げるのは夏目漱石の「それから」だ。

 収録作について、感想を記したい。「古墳の話」の冒頭、主人公(嘉一≒車谷)が死刑肯定論を延々と展開する。嘉一は10代の頃、初恋の少女を失う。佳奈子が強姦されて殺され、古墳でのデートは実現しなかった。犯人だけでなく死刑反対の国会議員にも、嘉一は怨嗟と憤怒をぶつけている。佳奈子追悼の小説を書くと誓ったものの果たせずにいた嘉一は、39年後に約束の場所を訪れ、往時の彼女の面影をなぞりながら祝詞を読む。その目に泪が溢れていた。

 「神の花嫁」は収録作中で唯一、死者が登場しない。主人公(生島≒車谷)は美貌と清らかな魂を併せ持つ茉莉子に心を奪われるが、彼女が結婚したのは別の男だった。壊れた生島は少女人形を抱いて寝るようになる。だが、本当に死んだのは――精神的な意味だが――俗物を選んで汚れていく茉莉子の方だと、生島は感じている。

 「鹽壺の匙」補遺は、親族の反対を押し切って書いた小説の後日談だ。代用教員を務めていた叔父は、純粋さとユーモア、型破りな教育方針で子供たちに慕われたが、失意に耐え切れず自ら命を絶つ。かつての教え子たちが目を輝かせて語る在りし日の叔父の姿に、作者は<さながら壺井栄「二十四の瞳」の現実版>と綴っていた。

 「三笠山」は一家心中の物語だ。京大医学部に合格しながら家庭の事情で入学を断念した田彦は、紆余曲折を経て蘆江と結ばれる。本作が典型だが、男女の情愛をこまやかに描くのも車谷の真骨頂だ。バブル崩壊で資金繰りに苦しむ現在と過去がカットバックし、悲劇が浮き彫りになる。心を揺さぶられたが、ツッコミたくなる点もあった。

 田彦は借金をチャラにするため菊花賞に50万円つぎ込むが、馬券は紙屑になり、一家の運命は決する。田彦が駅売店で「競馬エイト」を選ぶ場面は事実に反していた。名前の挙がった9紙の中に関西で購入できない新聞があり、逆に関西で高シェアを誇る「競馬ニホン」は含まれていない。リアルを追求する車谷だからこそ、関東と関西の専門紙事情にまで配慮してほしかった。

 「飾磨」は語られない心情とストーリーが行間で息を潜める、ミステリアスな構造になっている。朝美、姉、義兄との三角関係、朝美が亡き夫に抱く罪の意識がオブラートに包まれ描かれている。何かに導かれるように夫の墓を訪ねた朝美は、骨壺を抱くようにとぐろを巻く蛇を目の当たりにする。心中未遂の決着は、1年後の蛇に託された。「飾磨」の性的な生々しさは「キャタピラー」に通じるところがある。若松監督がインスパイアされていても不思議ではない。

 表題作「忌中」には,初老の男(修司)の非運と狂おしい愛が描かれている。辻原の「マノンの肉体」では主人公が発病した膠原病に、修司の妻(二三子)が苦しんでいる。死を望む妻の願いに応えた修司は、人生のピリオドに向け計画的に放蕩の日々を送る。細々と記される年金と借金の額、園まりの復帰が私小説の格好の道具立てになっていた。タイトルの意味が明かされるラストは爽快で、二つの愛に生きて死んだ修司が妬ましくなる。

 崩壊への道程を綴りながらも、車谷の筆致は乾いていて、読むことで救われた気分になる。「忌中」に刺激された俺は、良からぬ妄想に耽っている。破滅という名の終着駅で人生を降りるのも悪くないと……。
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