酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

懐かしさと新鮮さ~映像で楽しむフジロック

2013-07-31 23:56:57 | 音楽
 麻生副総理はシンポジウムで、「日本はワイマール憲法を骨抜きにしたナチスを見習うべきだ」(要旨)と発言した。自民党の腰巾着である国内の大手紙やテレビはともかく、欧米のメディアは放っておくまい。自浄能力はないが、外圧に屈してクビになるという全柔連上村春樹会長と同じ経過で、麻生氏は辞任に追い込まれるのではないか。

 「国中が喪に服している」、あるいは「祝賀ムード一色」なんて報道は眉唾だが、ジョージ王子が誕生した英国はどうだろう。10年12月、チャールズ皇太子が乗るロールスロイスが学費値上げ反対を訴えるデモ隊に襲撃されたニュースは記憶に新しい。チャールズ皇太子は学生たちに「おまえの母ちゃん(エリザベス女王)が法案にサインしたから、こんな事態を招いた」と窓越し罵られた。

 勲章や称号が欲しい者を除き、大抵のロッカーは無関心だと思うが、俺は反王室の姿勢を隠さないモリッシーのコメントを心待ちにしている。スミス時代、「クイーン・イズ・デッド」というアルバムタイトルで物議を醸したモリッシーは今、LAで休暇中だ。飲み歩いているのがノエル・ギャラガーとラッセル・ブラントというから、お互いが吐く言葉の毒を肴にしているに違いない。

 フジロック'13のハイライトをスカパー!で見た。ライブで体感するのとは100倍も衝撃度が違うことを前提に、印象を記したい。商業主義のサマソニと対照的に、今年のフジも温故知新とリスペクトに溢れていた。

 丸々太った大江慎也に、いきなり目が点になる。ルースターズ時代の盟友、池畑潤二が中心になったルート17ロックンロールオーケストラをバックに、「ロージー」を歌っていた。「φ」(84年)録音中、花田裕之らが神経を病んだ大江を抱え、病院とスタジオを往復したという。悲運と孤高のロッカーは、後世に与えた絶大な影響でロック史に輝くレジェンドになった。54歳のカリスマは今、ステージを心から楽しんでいる。

 当ブログで繰り返し絶賛しているローカル・ネイティヴスに、インディーズの悲哀を感じた。ローカル・ネイティヴスは1st「ゴリラ・マナー」(10年)の国内盤発売前、ホワイトステージに抜擢され、俺も現地で音楽性と演奏力に圧倒された。2nd「ハミングバード」(13年)も秀作で、ビルボード11位とまずまずのチャートアクションだったが、実力と比べるとブレークとは言い難い。

 渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)はブログに、「見るたびにスケールアップしている」と記していたが、今回のフジではレッドマーキーだった。メジャレーベルや大手プロダクションは、NMEなどメディア対策費として莫大な額を計上している。資質だけで闘うインディー勢には頭打ちになるバンドも多い。3年前、レッドマーキーで演奏したダーティー・プロジェクターズも、スケール感がなくなった気がして心配だ。

 俺の錆びたアンテナでもビビッときたのが、フォールズとサヴェージズだ。フォールズの最初の2枚は内向的で濃密な作品だったが、開放感のあるパフォーマンスが意外だった。ガールズバンドのサヴェージズは、えもいわれぬ狂おしさと切迫感で尖がっている。前者の3rd、後者のデビューアルバムを合わせて購入することにした。

 欧米のビッグフェスではリアルタイム中継が常識になった。今回のフジではわずかなタイムラグで、初日のヘッドライナーであるナイン・インチ・ネイルズのパフォーマンスが配信された。現地でご覧になった方は、映像と音のコラボに麻痺と覚醒を覚えたに違いない。契約の問題もあったのか、2日目のビョーク、3日目のキュアーはオンエアされなかった。

 キュアーの全36曲には驚きだが、ロッキンオンのHPでは一行も触れていない。取材拒否に遭って意趣返しした可能性もあるが、真相はわからない。キュアーは今週日曜(4日)、ロラパルーザ(シカゴ)でヘッドライナーを務めるが、その模様はリアルタイムで配信される。ちなみにキュアーは、コーチェラ'09で主催者が時間切れを宣告して電源を落とした後も、自前のPAで演奏を継続した(Youtubeでも視聴可能)。

 ツアーやフェスで40曲以上演奏することもザラというキュアーのサービス精神は称賛に値する。翻って同世代の俺は、体力と気力の衰えを理由に苗場行きを断念した。ロバート・スミスの奇跡の声は、枯れることはないのだろうか。
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雷雨に負けた風物詩~隅田川で感じたこと

2013-07-28 20:11:31 | 戯れ言
 民主党幹事長に大畠代表代行が就任した。原発容認の細野氏から推進の大畠氏へのリレーに、党の本音が透けて見える。民主党がリベラルを結集して反自民の対抗軸になるという期待は完全に潰えた。この際、集団で自民党に吸収された方が構図がはっきりする。

 日本郵政とアフラックの提携が発表された。大手メディアは<TPP交渉へ追い風>と歓迎しているが、<日本の属州化が遂に形になった>と怒りを表明する識者も多い。発端は郵政民営化で、小泉首相は猛々しく日本をアメリカに売り渡して支持を得た。350兆円といわれる預金は食い散らかされるだろう。ローマに牙をむいたスパルタクスは、今の日本に現れるだろうか。

 昨夜(27日)は〝歴史的体験〟をした。隅田川花火大会の現場にいたからである。家を出た時、暗雲は既に垂れ込めていた。駅構内や車中で見かけた浴衣姿の女性たちのためにも「降るな!」と願ったが、結果はご存じの通りである。

 知人が協賛金(1人5000円)を払って第二会場(7時半開始)の観覧席(座席指定)をキープしてくれた。隅田川の花火に長年親しんできた人々の思いを嗤うように、冷たい風が頬を撫で、彼方で稲光が闇を裂くや、雨が落ちてきた。風物詩も自然には勝てない。この日のために身を削ってきた花火師の無念はいかほどであろうか。

 書くことがなくなったので、花火に纏わる思い出を記したい。まずは、30年前の隅田川……。俺はある女性に誘われ足を運んだ。彼女は今風でいう〝ヤリマン〟で、男を取っ換え引っ換え消費するタイプだったが、それを十分承知で俺はまじめに惚れていた。

 自分の顔越しに花火を見る俺が気に入らなかったに違いない。新宿の居酒屋で彼女にキツい一言を浴びせられる。「勘違いしちゃだめよ。わたしが見たかったのは花火で、相手は誰でもよかったの」と……。俺はこの年(56歳)になっても、映画であれ、ライブであれ、紅葉であれ、イベントそのものより共に感じることに価値を見いだしているが、女性の多くは違うらしい。だからこそ〝アッシー〟〝メッシー〟と男を器用に分類できるのだろう(現在はどうか知らないが)。

 風流や粋とは無縁だった亡き父だが、亀岡に引っ越してからは地元だけでなく園部町、八木町(現在はともに南丹市)の花火大会をハシゴしていた。PL花火大会(富田林市)に遠征していたぐらいだから、根っからの花火好きである。

 伏見桃山に住んでいた頃、観月橋近くで家族4人、遠目に花火を眺めていた。宇治川花火大会だったに違いない。光のページェントから闇に転じ、切ない気持ちで視線を下ろした時、川べりに仄かな光が幾つも灯っていた。花火から蛍へ……。あの美しい光景は、後付けで形成された記憶だろうか。

 夢で読んだ<出身校が共学になる>という記事を、〝事実〟として同級生に伝え、嘘つき呼ばわりされたことがある。利根川進教授(マサチューセッツ工科大)のチームは、誤った記憶が生成される過程を再現したというが、妄想や夢が現実と混濁する俺の脳は、格好の研究材料かもしれない。

 〝打ち上げ花火に終わる〟という常套句がある。跡形もなく消え去るという意味だが、闇夜の今、微かな光が射してきた。17万票余を獲得した三宅洋平氏(緑の党比例区候補)は選挙戦後半の盛り上がりに、「決して一過性のムーヴメントではなく、パラダイムシフトが起きつつある」と語っていた。その言葉通り、脱原発、護憲、反貧困、反差別を闘う勢力が結集し、新たなうねりが起きることを願っている。

 雨は花火の天敵だが、ロックにとって伝説のきっかけになる。雷雨の下でのグランド・ファンクのライブ(71年、後楽園球場)は語り草になっているし、台風襲来のさなか開催された第1回フジロック(97年)でのレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンのライブは、俺にとって生涯ベストだ。今年もフジは雨に見舞われたようだが、映像(スカパー!)を通した感想を次稿に記したい。
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「青い花」~日本を穿つイメージの刃

2013-07-25 23:39:31 | 読書
 <日本に今、求められているのは、斬新でインパクトのある地図を描けるオルガナイザーだ>……。前稿をこう結んだ俺は、寄せられた二つのコメント(動画クリック付き)で三宅洋平氏を知る。くしくも同氏は俺が一押しする緑の党の公認候補(比例区)で、17日間の選挙運動で17万票を獲得した。〝斬新でインパクトのあるオルガナイザー〟は既に降り立っていたのだ。

 反貧困ネットワーク主催の集会で高坂勝氏(緑の党共同代表)に魂を潤され、三宅氏の演説に魂を揺さぶられた。緑の党、畏るべしである。クチクラ化した俺の魂に、常に痛い刺激を与えてくれるのが辺見庸だ。今回紹介する新作「青い花」(角川書店)の帯には<現代黙示小説の大傑作>と記されている。

 真実を冷徹に見据えるジャーナリストとしてキャリアをスタートした辺見だが、<具象と写実>から<抽象とイメージ>へと重心を移してきた。自らを抉る銛を反転させ、血が滲む言葉の切っ先で世界を穿つから、その言葉は唯一無比の説得力を持つ。

 「青い花」の主人公(わたし)は最初から最後まで、ポラノン(薬物)を求めてひたすら線路を歩いている。亡霊が三途の川を彷徨う如くで、記憶の断片が脳裏を去来する。モチーフは「眼の海」と同様、大震災と原発事故で、過去と近未来の戦争と円環で繋がっている。わたしは闇の中、夥しい屍を踏みながら歩いている。

 大岡昇平や奥泉光の小説に現れる南方戦線で敗走する日本兵ほど、わたしは疲弊していない。ジャコメッリの写真やタルコフスキーの映画に漂う悲愴感や孤独ともタッチが少し異なり、本作には猥雑でエロチックな夢想がちりばめられている。毒とユーモアを体現する登場人物が松本父子だ。父は凄まじい放屁音で建前や儀礼を嗤い、息子は自己内有声対話で周囲を混乱させる。

 哲学に疎い俺には敷居が高い作品だが、「青い花」に二つのテーマを見いだした。第一は「現象と本質の乖離」である。以下に本作から引用する。

 <あらゆる現象と言葉から、骨が融けるように、本質が融けおち、本質にせまろうとする意思がすっぽり抜けおちてしまった>
 <現象はあるものの、その本質が消失し、実体はあるのにそれにともなう概念がなくなり、もしくは概念はあるのに付随すべき実体を喪失してしまった>

 第二は<正気と狂気の曖昧な境界>だ。タイトルの「青」に辺見が託したのは「狂気」だと思う。<ひとのこころの底にはひとつの例外もなく「青い錯乱」の海がある。正気と狂気に境目はない。それらは裏も表もありゃしないリバーシブルである>という〝真実〟にわたしを導いたのは叔父だった。

 壁は水色で、庭には透けるように青いコスモスが咲き誇る精神病院に、叔父は収容されている。患者の多くはヒロポン中毒だ。10代のわたしにとって、叔父の明晰な言葉の数々が人生の指針になった。「尊厳を汚し続けた人間に最期の拠り所があるなら、目の前で起きている事態を疑うこと」(要旨)と叔父は言う。

 医師、看護師、患者を動員し、叔父は「暗視ホルモンの夜」と題された芝居を演出した。わたしが病院関係者と踏んだ出演者はすべて患者、患者とみた出演者はすべて病院関係者だったというエソードが興味深い。絶え間ない災害や戦争を経て、わたしは今、<悲しみの最たるきわみに狂いがある。狂いとはすなわち悲しみだ>と感じている。

 患者だったきょうこは、狂いの象徴であり、究極の愛の対象だった。<青い花=きょうこ=狂気=ポラノン>のイメージが絡まり合い、わたしの心は飛翔しつつ沈潜する。ちなみにポラノンとは、かつて国策として奨励されたヒロポンの隠喩だ。ドイツから輸入したとされる「暗視ホルモン」とは実はヒロポンで、ポラノンもまた国民を飼い慣らす権力者のツールとして描かれている。本作では薬物中毒者であるわたしの錯乱や妄想が、効果的に表現されていた。

 辺見は胚胎しつつあるファシズムに警鐘を鳴らしている。本作にも玉音放送をまね、袋叩きに遭う傷痍軍人(補償を受けられなかった朝鮮人兵士)が登場している。現在の天皇はリベラルで、自民党の憲法改正案を苦々しく思っていることは確実だが、辺見は個としての天皇と制度としての天皇制をどう位置付けているのか興味がある。

 来月末、辺見庸の講演会に参加する。タイトルは「死刑と新しいファシズム~戦後最大の危機に抗して」だ。全身から絞り出される尖がった言葉を、真摯に受け止めたい。講演会後に読み返したら、本作は俺の中で、別の像を結んでいるかもしれない。
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希望病患者が夢想していること~参院選後に日本地図を描くのは誰?

2013-07-22 23:04:05 | 社会、政治
 <わたしたちは税金をはらって、エテ公や卑しい道化たちを飼うだけ飼って、飽食させ、なにもしつけなかったから、見てみろ、このざまだ。主と奴(つぶね)、主従が逆転して、いまやこちらが飼われているじゃないか>……。日本で今、起きていることを、辺見庸は「青い花」で穿っていた。

 参院選直前の世論調査の数字が、何とも奇妙だった。「アベノミクスの恩恵を受けていますか」という問いに、「いいえ」が過半数を占めている。多くの国民は憲法改正(改悪)を望まず、与党の原発政策に疑義を呈していた。<政策によって投票先を決める>が前提なら起こりえない自民圧勝劇が、なぜ現実になったのだろう。

 自民党が政権を奪回した昨暮れから、先進国で例を見ない政府とメディアの談合が公然と行われてきた。政権トップが大手メディア幹部と頻繁に会合を持っている。自民党が野に下った08年夏、〝A級戦犯〟と名指しされた安倍氏と麻生氏は、保守派の「週刊文春」にも辛辣な記事が掲載されるなど、メディアで悪役を演じてきた。

 その両者を2トップに頂く自民党は、万全の対策を用意していた。飯島内閣官房参与、世耕官房副長官らの仕切り(恫喝)で政権に取り込まれたメディアは、<政策>と<投票先>を巧みに分離する。ちなみに鳩山元首相は在任時、一度もメディア関係者と会わなかったという。

 選挙は一票を投じた側が勝つと気分がいい。昨夜も今夜も乾杯している人は多いはずだが、喉越しの良さは一瞬で、いずれ悪酔いと嘔吐に苦しむ日が来る。<権力が国民を縛る改憲>が現実になり、<倫理と良心を嘲笑う原発推進>、<99%が1%に尽くす奴隷制>にも弾みがつくだろう。エーリヒ・フロムではないが、日本人は<自由からの逃走>のスタート台に立ったようだ。

 投票率(52・61%)に国民の意識の低さを重ねるのは誤りだ。自民に効率的にブレーキを掛ける党が見当たらない以上、棄権も一つの選択である。民主党は5年前、〝自民と真逆のベクトル〟を掲げた。俺も閉塞感の払拭、社会の活性化に期待したが、民主党の変節はご覧の通りである。

 野田政権はいわばプレ安倍政権で、<民主党=リベラル>の構図(ポーズ)をぶち壊した。原発政策では首相を筆頭に、枝野、仙谷、海江田、細野ら各氏が再稼働に舵を切り、脱原発のデモ隊は「野田政権を倒せ」とシュプレヒコールを叫んだ。参院選で<脱原発>を謳うなんて二枚舌もいいところで、今回の参院選で最初に当確が出た民主党候補は、電力総連(原発推進派の牙城)の代表だった。

 <希望とは、人間が罹る最後のそして不治の病である>……。これは寺山修司が繰り返し引用したアンドレ・マルローの言葉だ。既成政党は馬脚を現している。躍進した共産党にしても、唯我独尊的な体質は変わらない。俺が今回の参院選で光明を見いだしたのは、山本太郎氏の当選とメディアから無視された中での緑の党の健闘だった。

 宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク)が都知事選で獲得した約97万票の多くは、両者の近い関係もあり、山本氏に流れたはずだ。〝希望病〟を患う俺が切に願うのは脱原発、反貧困、護憲、反基地、反差別を闘う運動体が緩やかに合流し、理念と生活実感に根差した集団を結成することである。日本に今、求められているのは、斬新でインパクトのある地図を描けるオルガナイザーだ。
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「真夏の方程式」~ガリレオが惑う心の迷路

2013-07-18 21:32:56 | 映画、ドラマ
 G紙(仕事先の夕刊紙)の書評欄に、「原発事故と甲状腺がん」(幻冬舎ルネッサンス新書)が紹介されていた。著者の菅谷昭氏はチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に従事した後、松本市長を務める(3期目)。菅谷氏は医師の立場から、現在の日本人を<難治性悪性反復性健忘症>と診断していた。

 チェルノブイリの現状を日本の狭い国土に置き換えると、福島原発事故による体内被曝は将来、深刻な形で現れる可能性が高い。今回の参院選で自公に投票する人は、「あなたはあの選挙で、私たちに投票しましたね」と〝自己責任〟を突き付けられることになるだろう。子供や孫が甲状腺がんを発症しても、政官財に逆らえない司法機関は「原発事故と無関係」と門前払いを食らわすはずだ。一票の意味は極めて重い。

 原発のセールスマンと化した安倍首相と真逆の姿勢(脱原発)を貫くのが昭恵夫人だ。高坂勝氏(緑の党共同代表)の著書に感銘を受け2年前、同氏が経営する居酒屋で歓談している。〝獅子身中の虫〟を許せない保守派の意を受けたのか「週刊文春」は先々週、<鳩山元首相と首相夫人を操る中国人スパイ>の存在をスクープした。名指しされたのは音楽家の呉汝俊氏である。

 呉氏と親しい〝歌舞伎町案内人〟こと李小牧氏は、G紙の連載で文春の記事に疑義を呈していた。見出しになった2人がいかなる情報を流したのか具体的に書かれていないからだ。ちなみに、呉氏自身も一笑に付しているという。〝中国のスパイ〟は指弾され、〝アメリカのポチ〟が称揚されるこの国のナショナリズムは、明らかに歪んでいる。自民党や民主党にゴロゴロいる〝CIAの代理人〟たちは、安倍嫌いのオバマ大統領から安倍潰しを命じられたらどう対応するのだろう。

 ようやく本題……。新宿で先日、「真夏の方程式」(13年、西谷弘監督)を見た。原作(東野圭吾)は今もベストセラーで、映画も公開直後ゆえ、ストーリーの紹介は最低限にとどめ、大雑把な感想を記すことにする。

 湯川学(福山雅治)はシンポジウムに参加するため美しい海辺の町を訪れ、殺人事件と遭遇する。苦手なはずの子供(少年)との交流が、ストーリーの歯車になっていた。テレビの「ガリレオ」シリーズと比べると岸谷刑事(吉高由里子)の出番は少なかったが、その分、普段より濃い化粧で存在をアピールしていた。

 「ガリレオ」人気の理由を俺なりに分析してみる。といっても、結論は平凡だ。第一は主人公の孤独、第二はノンセクシュアルな男女関係といったところか。ミステリーの基本は〝孤独な探偵〟で、原像はもちろんシャーロック・ホームズだ。「相棒」の杉下右京(水谷豊)も、「CSI科学捜査班」(第9シーズン半ばまで出演)のグリッソム主任も、明晰であるが故に、孤独オーラが滲み出ている。

 「トリック最終章」(来春劇場公開)では何らかの進展があるかもしれないが、上田(阿部寛)と奈緒子(仲間由紀恵)は互いを「巨根」「貧乳」と貶しつつ、ノンセクシュアルな関係をキープしている。「ガリレオ」も同様で、岸谷も前任者の内海刑事(柴咲コウ)も仄かな思いを寄せているが、湯川の心を掴めない。美男美女が演じるちょっぴり痛い純愛に、新鮮さを覚える人が多いのだろう。

 <女より数式>がテレビドラマでの湯川で、「感情なんて関心がない」と言い切るが、映画になるとキャラが変わる。「容疑者Xの献身」に続き、「真夏の方程式」でも湯川は事件に関わった者たちの心に潜り込む。その語り口や気遣いに杉下が重なった。

 <善悪の彼我>と<罪と罰>を追求した点で、俺は「容疑者Xの献身」より「重力ピエロ」(森淳一監督)を評価していた。湯川は前作で<法を超えた真理>と葛藤したが、愛、自己犠牲、悔恨に満ちた「真夏の方程式」に、余韻が去らない解を提示する。杏、前田吟、風吹ジュン、白竜、塩見三省らの熱演も見事だった。

 人間には限られた時間しかないから、ミステリーは原作を読まず、映像で楽しむことに決めている。東野圭吾、横山秀夫、伊坂幸太郎、誉田哲也らの作品の映画化、ドラマ化を心待ちにしている。
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「立候補」~空気に挑むドン・キホーテたち

2013-07-15 22:52:27 | 映画、ドラマ
 参院選の投開票まであと6日、朝日新聞やNHKの報道姿勢に怒りを禁じ得ない。俺が支持する緑の党(グリーンズジャパン)の扱いが小さ過ぎるからだ。

 「同盟90/緑の党」(ドイツ)らと連携する緑の党は、脱原発と環境主義を前面に掲げているが、日常の実践に基づいて護憲、反貧困、反TPP、反差別を語っている。自公政権や民主党に絶望し、教条的な共産党も「NO」という有権者の目に緑の党は新鮮に映るはずだが、あらかじめ選択肢から排除されているから出合うチャンスは限られている。

 先月末、参院選を控え各党の姿勢を問う反貧困ネットワーク主催の集会に参加した。際立っていたのは高坂勝氏(緑の党共同代表)の哲学に裏打ちされた言葉で、他党関係者が早退したり遅刻したりする中、出ずっぱりで討議に加わっていた。最後に残った宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)、小池晃氏(共産党)とアットホームな雰囲気で議論が進む中、宇都宮氏は供託金問題を提示する。

 宇都宮氏は都知事選での没収を免れたが、共産党や緑の党にとって供託金は死活問題で、参院選を例に挙げると地方区で300万円、比例区で600万円だ。先進国では英国の9万円が最高額で、米、仏、独、伊には供託金制度はない。死刑制度とともに〝日本の常識は先進国の非常識〟の最たる例といえるが、日本の供託金制度は明らかに民主主義の原則を逸脱している。

 <立候補するには金と組織が必要で、普通の市民が公の場で意見を述べるのはまかりならぬ>というこの国で民主主義を育むなら、まずは供託金廃止から始めるべきだ。「市民」というフレーズを好む大江健三郎氏ら知識人には、「縛られた市民」の解放を優先すべく尽力してほしい。

 長い枕の後、ようやく本題に……。先日、ポレポレ東中野で「立候補」(13年、藤岡利充監督)を見た。俺が見た土曜夜は深夜帯に追加上映されるなど連日フルハウスの大盛況である。11年の大阪府知事選に挑んだ4人の〝泡沫候補〟にスポットライトを当てたドキュメンタリーで、メーンに据えられたのはマック赤坂氏だ。同知事選に立候補していなかった外山恒一氏、がんの手術で断念した羽柴秀吉氏のインタビューも興味深い内容だった。

 外山氏の政見放送はネットで数十万回再生され、知名度は大いに上がったが、当人は<ネットの欠点は、全てがネタになってしまうこと>と至ってクールだ。視聴者はネットで外山氏の言動を消費するが、そこで終わりだ。同氏のアナーキーで奔放な思想信条に立ち入ることはない。

 一方の羽柴氏は、青函トンネル建設工事の砂利運搬で巨額の富を築いた。政財界とのパイプを利用し、まずは県議からという地道なルートを拒否し、いきなり〝アタマ〟を狙っている。羽柴氏に重なるのがマック赤坂氏で、京大から伊藤忠商事を経て独立し、レアアースの交易で財を成した。その経歴は順風満帆を思わせるが、政見放送と選挙運動は笑いを取るパフォーマンスに終始し、「まじめにやれ」と街頭で怒鳴られることもしばしばだ。

 撮影が進行するにつれ、憂いがマック氏の表情に滲んでくる。当時絶頂期にあった維新の演説場所に陣取った際の経緯に加え、昨年の都知事選で安倍首相と麻生副総理の最後の一声に乱入したシーンも収められていた。日の丸を振る自民党支持者から「ゴミ」といった辛辣な言葉が浴びせられる。ちなみに、府知事選で熱心に運動に取り組んだマック氏は最下位で、期間中ずっと家にいた岸田候補が〝泡沫候補〟中トップの4位という皮肉な結果に終わった。

 マック氏が空気に挑むドン・キホーテなら、マネジャー兼運転手の桜井氏はサンチョ・パンサというべきか。マック氏に代わって経営する商社を運営する息子の健太郎氏は府知事選当時、父について厳しく論じていた。ところが1年後の都知事選で、両者の関係は劇的に変化していた。父を罵倒する自民党支持者に、健太郎氏は「おまえら一人じゃ何もできんだろ」、「意見があるなら一人でやってみろ」と攻撃に対峙していた。闘いによって父子の絆が強まったのだ。

 「選挙で世の中は変わるだろうか」と撮影隊はあいりん地区でインタビューした。投票権のある人はなく、否定的な答えが大半だったが、変わってほしいという希望は窺えた。貧困は今、中流層の足元にも迫っている。自公がもくろむ<99%>が<1%>に奉仕する社会はごめんだ、参院選は生活実感に基づいて投票先を決めるべきではないか。
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「ジャスミン」~影絵が照らす宿命の恋

2013-07-12 13:20:37 | 読書
 2年前を思い出そう。脱原発派のジャーナリストや科学者はデータを掲げて「節電も原発も必要ない」と主張したが、民主党、財界、永田町、メディアが一体となった節電キャンペーンに掻き消される。不思議なことに、ここ数日の炎暑にも節電の声が上がらない。<原発は不要>という真実が、ひっそり証明された。

 麻雀の「モンド王座決定戦」(全4戦)で、魚谷侑未が錚々たる男性プロを後方一気の鬼脚で差し切った。最終戦南4局まで全員にVチャンスがある史上希な大激戦を堪能しただけではなく、魔物が潜む気宇壮大なゲームに痺れた。中国、畏るべしである。

 枕とどことなく繋がっているが、本題に。「ジャスミン」(04年、文春文庫)を読了する。4冊目の辻原登は、初めての長編だった。俺は別稿で、<虚実の皮膜で空中楼閣を築き上げる魔物>と辻原を評している。ささやかな個人の一生でさえプリズムで屈折させる辻原が、20世紀の日中関係を背景に剛腕を振るった。本作は物語の領域を優に超え、果てのないブラックホールへと俺を誘う。

 虚実、正邪、聖と俗、激情と冷淡、素顔と仮面……。辻原は常に、多面性を登場人物に付与する。辻原当人も純文学(芥川賞作家)とエンターテインメントの境界線を行き来する作家だ。文学史的には、南米の巨人たちからラシュディなどインド系作家に継承された<マジックリアリズム>への、日本からの独自の回答といえる。

 辻原の唯一無比の世界を育んだのは、熊野古道の要衝である出身地(印南町)の風土ではないか。熊野は神々が宿る霊地として古来、民俗信仰の対象になっている。常識と対極にある辻原の<物の見え方>を譬えるなら、星飛雄馬にとっての魔送球だ。複層的な本作を貫くのは、魔球ではなく〝恋の直球〟といえる。主人公の脇彬彦は外資系シンクタンクに勤めるエリートで、対中国ODAの専門家として日本政府にも影響力を持つ。ヒロインは中国の新進女優、李杏だ。

 彬彦と李杏の宿命的な恋を影絵として照らすのは、上海在住時(1930年代)の父の言動だ。当時の父を主人公に据えた映画が製作中と知り、彬彦は上海の撮影所を訪ねる。日中戦争とスパイ活動、文化大革命、日本における華僑社会、日中国交回復とODA、天安門事件、中国における反政府組織、ウイグル問題と地下茎が張り巡らされているが、最重要のキーワードは周恩来だ。

 時空を超えたイリュージョンを下支えしているのは、辻原の精緻な筆致だ。天安門事件直後の上海が、政治から距離を置いて描かれている。価値が常に顚倒し、善悪が瞬く間に入れ替わる中国社会の実相を、辻原は理解しているのだろう。李杏だけでなく、登場する中国人は魅力的だった。アンビバレンツを抱える公安トップの蔡舫こそ、辻原にとって理想の個性といえるだろう。

 阪神淡路大震災直後の神戸の街が、彬彦と李杏の目を通して描かれていた。再生への希望を紡いだのは、国境を超えた思いである。崩壊した街で血族が奇跡の再会を果たし、大きな喪失が彬彦と李杏を結ぶ新たな絆になった。巨大なジグソーパズルは完成の域に近づく。最後のピースを残して……。

 背筋が寒くなるラストに「地獄の黙示録」(79年、コッポラ)を重ねる読者も多いだろう。それも当然で、辻原は「地獄の黙示録」の原作「闇の奥」(ジョセフ・コンラッド著)にインスパイアされ、3年前に同名の小説を発表している。老人の呼びかけは狂気の症状なのか、幻に向かってのものなのか、史実の捏造に周恩来が手を貸したのか、そもそも真実とは淡い影なのか……。魔物が提示した迷路から抜け出せそうにない。

 辻原は俺にとって、日本で、いや世界で今、最も面白い作家だ。打ち止めといっていいほどの文学賞を授与されているが、世間的には無名のようだ。純文学が不人気なことは、ブロガーとして重々承知している。当稿のアクセス数はガタ落ちになるだろう。
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落語と蛍~下町でジャパネスクに浸る

2013-07-09 23:49:07 | カルチャー
 米政府の違法な情報収集を告発したスノーデン氏が、ベネズエラに亡命する可能性が出てきた。映画「マラドーナ」(08年、エミール・クストリッツァ)では、反グローバリズム集会で故チャベス大統領とマラドーナが壇上で肩を組み、数万の参加者の歓呼に応えるシーンが挿入されていた。スノーデン氏を受け入れたら、ベネズエラは<反グローバリズム>と<反管理>の2本の御旗を掲げて、アメリカを挑発するだろう。

 彼の地の反骨精神に比べ、日本人はナショナリズムを喪失した。TPPも原発もアメリカの言いなりで、属州民であることに誇りを見いだしている。参院選は州下院選みたいなものだが、俺は山本太郎氏の当選と、彼を推す緑の党の支持拡大を願っている。山本氏は<脱原発―護憲―反貧困―反TPP>を一つの環で論理的に語れる希有な候補者だ。卑劣な保守メディアの中傷を跳ね返してほしい。

 先週末は落語と蛍を堪能し、ジャパネスクにどっぷり浸る。「古今亭志ん陽・古今亭文菊W真打昇進披露興行」(シアター1010)では手練れの芸に痺れ、夜は「ホタル鑑賞の夕べ」で闇を舞う煌めきに魅せられた。

 今年3月、紀伊國屋寄席で古今亭文菊を発見する。半年前まで二つ目だったことにむしろ驚いた。会場はほぼ満席で、昇進した2人と同門の古今亭菊之丞、披露口上を仕切った三遊亭多歌介に柳一門から柳家権太楼、柳家三三と、豪華な顔ぶれが脇を固めていた。

 落語初心者が言うのもおこがましいが、笑いを取るのは大変だ。同じ演目でも、噺家によって反応がまるで違う。円生、志ん生といった伝説の噺家、現役最高峰の柳家小三治や権太楼は「落語家は楽な稼業でして」……と涼しい顔でのたまうが、陰で血の滲む修業に励んでいる。観察眼と臨機応変さも修養すべき重要な課題といえる。「釜泥」を演じた三三は、客席の音を瞬時に噺に取り込んでいた。

 志ん陽の演目は「火炎太鼓」だった。力強さと親しみやすさがチャームポイントだが、CDや「落語研究会」で触れた名人クラスの芸と比べると改善の余地はあると感じた。剛の志ん陽と好対照の柔の文菊は「子別れ」でトリを務めた。テンポの良さ、間の取り方、声色の使い分け、艶っぽさに改めて感心する。

 披露口上で興味深いエピソードが紹介されていた。文菊は〝梨園の問題児〟だった市川海老蔵と幼なじみで、高級中華料理店で〝しごき〟に遭う。「この上で演れ」と食卓の回転テーブルに座らされ、「つまらない」とグルグル回されたという。当時は決定的な差があった両者だが、今はジャンルこそ違うが将来を嘱望されるホープ同士だ。文菊の襲名披露には海老蔵も夫婦で駆けつけ祝福したという。

 余韻が去らぬまま、荒川自然公園に向かう。「荒川区ホタルを育てる会」の熱心な取り組みが成果を収め、想像を遥かに超える光のページェントが用意されていた。同会が育てているヘイケボタルは、成虫の時期は20日ほどだ。儚い美しさは日本人の美意識にマッチしており、蛍観賞は静かなブームになっている。

 子供の頃、身近に蛍に接した思い出はあるが、映画や小説によって記憶が後付けで形成された可能性もある。マグネシウムの臭いが〝現実〟に近づけていたのだが、次稿で紹介する「ジャスミン」(辻原登)に俺の記憶を裏打ちする記述があった。俺は6歳の頃から10年間、京都市伏見区に住んでいて、宇治川まで歩いて10分ほどだった。同書で主人公がヒロインを伴って淡路島で人形浄瑠璃を鑑賞する下りがあるが、その演目は宇治川での蛍狩りの故事にちなんでいた。

 家族とともに宇治川のほとりで蛍を見て、幼心に感慨を覚えたのだろう。おぼろげに甦った記憶が、目に前の微かな光と重なって、ノスタルジックな感傷が染み出した。父と妹亡き今、目はおのずと潤んだが、暗闇のおかげで同行者には悟られなかった。

 春は梅と桜、夏は蛍と花火、秋は紅葉と、五十路になってようやく四季折々の移ろいを楽しめるようになった。俺は今、安倍首相が見据える先とは真逆の、柔らかく情感に満ちた日本に帰りつつある。
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真夏の読書の友に~ダフト・パンク、ザ・ナショナル、そしてシガー・ロス

2013-07-06 23:39:07 | 音楽
 ブログなどを運営する各社は、特定候補を中傷する書き込みに対し、削除申請を受け付ける専用HPを設けた。例えば、渡辺美樹氏……。ワタミの劣悪な労働環境を正しく批判しても、中傷とみなされかねない。同氏は何せ、報道内容が気に入らないとTBSに取材拒否を通告する自民党の公認候補だからだ。

 本音と建前が乖離している民主党は、反自民の受け皿になり得ない。原発ゼロを掲げる大河原雅子氏は公示2日前(4日)、民主党の公認を剥奪された。代役として反貧困集会(6月30日)に出席した小川敏夫議員は、「志が近い大河原氏とは、今後も連携していく」と語っていた。奇妙な決意表明に違和感を覚えたが、裏側では醜い政争が進行していたのだろう。大河原外しは原発推進(党の本音)を主張する電力総連の圧力とみる識者もいる。

 政治について記すと愚痴っぽくなるので、本題に。澱んだ俺の心身を活性化してくれるのが小説とロックだ。読書が主、ロックはBGMといった感じだが、音と言葉が感応して弾けた瞬間が、俺にとって至福の時だ。心地よいケミストリーをもたらしてくれた3枚の新作を、以下に紹介する。

 '13ロック界の最大の事件は、ダフト・パンクの大ブレークではないか。「ディスカバリー」以来、12年ぶりに購入した新作「ランダム・アクセス・メモリーズ」は、〝不毛の地〟アメリカでも1位⇒1位⇒2位⇒2位⇒6位⇒6位⇒5位とチャートアクションは凄まじい。評価と売れ行きが比例したレアケースといえる。

 ダフト・パンクは前衛精神に満ちたフランスの2人組で、バンドというよりユニットだ。多くのアーティストが参加した本作の捉え方は様々だと思うが、俺のツボは<ノスタルジックな哀愁>だった。全曲がメロディアスで、初期デペッシュ・モードに通じる湿感もある。〝大衆迎合〟に異を唱える声もあるが、気まぐれなポップの女神が、煌めく音の豪雨をダフト・パンクの頭上に降らせた。

 〝米インディーズの雄〟ザ・ナショナルの「トラブル・ウィル・ファインド・ミー」は、静謐でダウナーな作品だ。直喩を好む俺にとって、ザ・ナショナルは<スミスのような>バンドである。スミスの1stアルバム(84年)に針を落とすや、ズレと歪みに満ちた「リール・アラウンド・フォンテン」のイントロが流れ出し、俺を包む空間が鬱々とした気分と等質になった。

 鬱々というより淡々に近い今の俺の気分にフィットしたのが「トラブル――」だ。渋谷陽一氏(「ロッキンオン」編集長)は<ザ・ナショナルの新作は何度も繰り返して聴きたくなる。不思議な依存性がある>とブログに記していた。簡潔で的確な評だと思う。

 モリッシー(スミス)とアーロン・デスナー(ザ・ナショナル)は、前者がソプラノ、後者はテノールと声域は異なるが、佇まいがどこか似ている。ライブのクライマックスでモリッシーはキッズたちをステージに上げ、一方のデスナーはフロアに降りて観客とタッチを交わす。表現は異なるが、<ファンと同じ目線を保つ>という哲学は共通している。

 最後はシガー・ロスの新作だ。前作から1年未満のインターバルで、キャータン(キーボード)の脱退を経て発表された「クウェイカー」を一聴し、彼らの最高傑作と確信した。疎外と苦悩からの解放を音楽に託すシガー・ロスは、あらゆるジャンルを内包し、自然体でボーダレスを表現している。世界で今、シガー・ロスより崇高な音楽を創作しているアーティストは存在するだろうか。

 5月の武道館公演は、「彼らを見逃してはいけない」という義務感で足を運んだ。壮大で美しいシガー・ロスは、蜃気楼のように俺の外側で像を結んでいたが、「クウェイカー」を聴き込むうち、ヨンシーの声が通勤電車、新宿界隈、仕事先etcと、時と場所を構わず内側から響いてくるようになった。<読書が主、ロックはBGM>と上記したが、シガー・ロスの音楽は言葉を研ぎ澄まし、物語を神話に高める魔力を秘めている。

 ロックといえば、パティ・スミスが失踪した……といっても日本公演時に購入したTシャツのことである。最後に着たのは妹の一周忌で京都に帰省した5月後半で、その後は行方不明だ。家出するはずはないから、乱雑極まりない部屋のどこかに隠れているのだろう。あしたから本腰を入れて捜索する。
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反貧困集会に参加して緑の党に共感する

2013-07-03 23:54:49 | 社会、政治
 世紀をまたぐ頃、インターネットは<個人の自由と教養を拡大するツール>と識者に持ち上げられていたが、伝え聞いた大物政治家の認識は真逆だった。いわく<インターネットはいずれ、権力が国民を管理する手段になる>と……。後者が正しかったことは、スノーデン氏の告発が証明している。

 ネットが育んだのは他者への寛容ではなく、憎悪が毛羽立つタコツボ社会だ。現在の日本を闊歩しているのは、排他的な<ムラの論理>といっていい。あす公示される参院選で、ネット選挙運動が解禁される。投票行動にいかなる変化が表れるか未知数だが、メディアの情報操作もあり、〝自民党圧勝計画〟が進行中だ。

 世論調査では護憲と脱原発が支持されているが、勝つのは自公……。奇妙なねじれ現象を支えているのが公明党だ。女性蔑視的な表現にはご容赦願いたいが、公明党は<大悪党とつるむ一見まともな情婦>だ。護憲、弱者の味方、アジアとの友好を掲げつつ、中央では自民党、大阪では維新が旦那と、面妖なことこの上ない。理想などとっくに褪せているのだろう。

 先日、<どうする日本の貧困問題>(反貧困ネットワーク主催=築地本願寺)に足を運んだ。参院選前に各党に聞くという趣旨だが、集まりの悪さに愕然とする。各党に呼びかけたが、格差拡大に余念のない自公関係者が出てくるはずもない。他党も似たり寄ったりで、パネリストが別の用事を理由に次々に退席したり、大幅に遅れてきたりと、熱意が全く感じられなかった。

 参加者が書いた質問にパネリストに答えるコーナーがあり、<貧困、憲法、原発で考えの近い党が結集して闘うという考えはないのか>という俺の問いかけも採用された。その時、壇上にいたのは小池晃氏ともう一人(後述)だけである。「すべての課題に包括して取り組んでいる共産党に投票していただければ、解決に向けて前進します」(論旨)といういつも通りの答えに失笑してしまった。

 唯一、出ずっぱりだったのが緑の党(略称グリーン)の高坂勝共同代表だった。都議選では同党候補に票を投じたが、期待を上回る高坂氏の発言に深い共感を覚えた。脱原発とエコロジーを前面に出しているが、根本にあるのは多様性を認める柔軟な志向だ。貧困についても、高坂氏自らが関わる農業NPOの活動に基づき、芯のある言葉を発していた。憲法、障害者の現状、女性の地位向上、自殺問題など、語るすべてが哲学と実践に裏打ちされている。

 緑の党が東京選挙区で推す山本太郎氏が飛び入りで登場した。「ATMでお金を引き出したらマイナス3万円だった」と自身の経験をとば口に、反貧困、脱原発、護憲が分かち難く結びついていることを強調していた。「自分も貧乏です。困った時の後ろ盾として、反貧困ネットワーク、よろしくお願いします」と笑いを取っていたが、山本氏の気持ちは俺も十分に理解できる。

 「このままだったら、ホームレスだな」……。数年前、そう覚悟したことが、反貧困ネットワークの会員になるきっかけだった。状況が奇跡的に好転して今日に至ったのは、運が良かっただけである。俺より遥かに能力があり、人格が優れていても、厳しい日々を送っている同業者は多い。感謝の念で折を見て寄付しているが、集会参加は今回が初めてだった。

 俺は当ブログで、<日本の社会運動は1930年代がピークだった>と定説には程遠い仮説を綴っている。<食えない>ことへの怒りに基づき身を賭した人々を、川柳作家の鶴彬らパンク精神に満ちたアーティストが支援していた。現在の貧困と格差は80年前に近づいている。日本を変えるには、生活実感に根差した自由な闘いが必要だ。反貧困ネットワークと緑の党が核になり、様々な運動体が結集することを切に願っている。
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