酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「脱成長ミーティング」で社会的連帯経済を学ぶ

2019-01-30 02:31:36 | 社会、政治
 アベノミクスの成果をでっち上げるため、毎月勤労統計調査が歪められていた。だが、多くの国民が〝成長幻想〟に囚われていることは朝日新聞の世論調査からも窺える。67%が<経済成長は必要>と答え、<必要ではない>は30%だった。一方で70%が<経済成長は困難>と答え、<期待できる>の20%を大きく上回った。

 前々稿で紹介した「欲望の資本主義~偽りの個人主義を越えて」(NHK・BS1)には、成長やGDPについて興味深い考察があった。チェコの経済学者トーマス・セドラチェクは「人間の自由より経済成長を優先するのは資本主義の本来の姿ではない。成長への偏愛はやめよう」と主張していた。

 多くの識者が中央集権的、独占的傾向に警鐘を鳴らし、権力と寄り添うGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)を<監視資本主義を主導するプラットホーム>と批判的に捉えていた。ビットコインについて、<技術が信用を担保する分散型システム」との肯定的な捉え方があることを知る。

 自由、多様性、公平に価値を置く俺は、ブログで脱成長、反グローバリズム、地産地消、分散型経済を推奨してきた。資本主義を超えるオルタナティブな方向性を学ぶため「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)に何度か足を運ぶ。17回目のテーマは「グローバル社会的連帯フォーラム(GSEF)」で、報告者は若森資朗氏だった。

 GSEFを提唱したのは朴元淳ソウル市長で、第1回総会は2014年に当地で開催された。「ソウル宣言」は世界が現在抱える課題――格差拡大、非正規雇用の増大、環境破壊etc――の原因は市場原理主義、新自由主義、グローバリズムであると明確に指摘し、対抗するために協同組合と草の根民主主義が連携し、公正かつ持続可能な社会を目指すと高らかに謳った。

 若者、障害者、非正規労働者に就業の道を開くなど、朴市長は多くの改革で成果を挙げた。日本では殆ど報じられないが、宇都宮健児氏(供託金違憲裁判原告弁護団長)は講演などで言及している。<ソウルの民主主義>は世界に波及し、GSEFの第2回(16年)、第3回(18年)世界大会がそれぞれモントリオール、ビルバオで開かれた。

 若森氏はビルバオ大会日本実行委員会代表で、現地の議論を紹介するだけでなく、社会的連帯経済のモデルとされ、知的障害者の雇用に取り組んでいるファゴール油圧機製造部門を訪問した際の印象も語っていた。若森氏はパルシステム連合会専務理事で、「のりこえねっと」代表者である。

 「脱成長ミーティング」には研究者、銀行家、官僚に加え、様々な運動の実践者が集う。今回も同様で、農業従事者、産地と消費者のネットワークづくりに携わってきた人、障害者やホームレスと向き合ってきた活動家、ビルバオ大会に参加した大学生が発言していた。日本で社会的連帯経済を推進するための障壁になるのが縦割り行政で、管掌する省庁が異なるため、手続きが煩雑になるという。

 肩身は狭いが一言居士ゆえ、俺も若森氏に質問した。いわく<社会的連帯経済が最も浸透しているのは韓国とスペイン。自由、独立、抵抗が社会に根付いていることが前提になるのでは>……。若森氏は韓国の民主化運動について語り、日本では革命の歴史がないと付け加えた。淡々と話す若森氏だが、パッションと反骨精神が言葉の端々に滲む熱い人だった。

 社会的連帯経済は資本主義と共存できるのか、資本主義の未来形なのか、それとも社会主義への橋頭堡なのか……。ビルバオ大会参加者にも方向性の違いがあるようだ。日本の協同組合でも同様で、高邁な理想を掲げても企業である以上、収益を上げるという命題に直面する。いかに折り合っていくかがが課題なのだろう。

 インターネットによって生産者と消費者の関係が大きく変わったことを、参加者は経験を踏まえて語っていた。「欲望の資本主義」でユヴァル・ノア・ハラリは「20年後、世界中でトマトを売っているのはアマゾンだけ」と予測している。社会的連帯のベースはコミュニティーであり人間同士の交流だが、GAFAといかに向き合えばいいのだろう。質問したかったがタイムオーバーになった。
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「メアリーの総て」~怪物はいかにして解き放たれたか

2019-01-26 12:21:36 | 映画、ドラマ
 同年齢の62歳男性が逮捕された。コンビニで100円用のコーヒーカップを買いながら、50円高いカフェラテを何度も購入していたという。窃盗の常習犯だが、逮捕に至るまで方法がなかったのかと考えてしまう。億単位の金(税金)を動かして友人に便宜を図った首相は居座ったままだ。〝法の正義〟とは弱者を鞭打つ便法なのか。

 コンビニは、別の犯罪の現場になった。Tカードから提供された情報を元に張り込んでいた刑事が、捜査対象者を拘束したケースが明らかになる。GAFA(グ-グル、アマゾン、フェイスブック、アップル)が主導する監視資本主義に警鐘を鳴らすユヴァル・ノア・ハラリの指摘を前稿で紹介した。GAFA改めGAFATか。

 新宿シネマカリテで「メアリーの総て」(17年、ハイファ・アル=マンスール監督)を見た。原題は「メアリー・シェリー」だが、名作「イブの総て」に着想を得て邦題を付けたに相違ない。封切り終了目前日だったが、サービスデー(水曜日)でもあり、まずまずの入りだった。

 本作は〝フランケンシュタインの生みの親〟に焦点を当てている。レンタル店でも人気アイテムにならないと思うので、多少のネタバレはご勘弁を。

 59歳で自殺したヴァージニア・ウルフ、心身の不調と闘いながら50歳で召されたカーソン・マッカラーズは、孤独、絶望、社会との疎隔感を濾し取るようにペンを走らせた。主人公のメアリー・シェリー(エル・ファニング)は女性作家の魁という先入観を抱いていたが、少しズレていた。本作と実際の年譜に異なる部分はあるが、メアリーが「フランケンシュタイン」を脱稿したのは20歳の頃である。

 メアリーはなぜ、若くして心の闇に潜むモンスターを描けたのだろう? 答えのひとつは、メアリーの父ウィリアム・ゴドウィン(スティ-ヴン・ディレオン)が主催した発刊パーティーのシーンに描かれている。夫パーシー(ダグラス・ブース)は「僕が与えた苦しみを糧に、メアリーは本作を完成させた」と語った。

 メアリーの父ウィリアム・ゴドウィンはアナキストとして名を馳せ、メアリー出産直後に産褥熱で亡くなった母メアリ・ウルストンクラフトはフェミニズムを主張してバッシングを浴びた。両親が社会と闘った先駆者で、父の影響を受けた夫パーシーは新進気鋭の詩人で、無神論者である。メアリーは父が営む書店で、幼い頃から怪奇譚に魅せられていた。王道とはいえない形で才能が開花する環境は十分に整っていた。

 産業革命のさなか、英国では科学への信仰と憎悪が相半ばし、死と生の狭間を追求する者は降霊術に傾倒する。一方で、アナキズムが台頭し、女性差別を提唱する者もいる。支配のツールに堕していた教会への蔓延していた。メアリーこそアウトサイダーたちの思想の結節点だったといえる。

 本作を観賞しながら、斎藤茂吉を巡るエピソードを思い出していた。斎藤茂太(精神科医)、北杜夫(作家)の兄弟は少年時代、茂吉ファン(特に女性)の言葉に戸惑ったという。<あれだけ素晴らしい歌を作るお父さんは、優しく温かい方なのでしょうね>……。美しい言葉を紡ぐ人間の心が決して美しくないことを、兄弟は身に染みて知っていた。

 夫パーシーは女蕩しの生活不適応者だが、心底悪い奴ではない。夫妻と交遊する著名な詩人バイロン(トム・スターリッジ)は手厳しく描かれていた。友人の作品(「吸血鬼」)を奪い、女性を冷酷に扱うなど、パーシーとは雲泥の差だ。

 本作は恋愛映画にカテゴライズされているが、本当の幸せはエンドマークの後という構成になっている。19世紀前半のイギリス文学史、思想史を下敷きにした佳作だった。
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「欲望の資本主義」の彼方にあるもの

2019-01-22 22:21:02 | カルチャー
  BSプレミアムで昨秋再放送された「ハゲタカ」(全6話)を録画し、12年ぶりに見た。時代設定はバブル崩壊後の90年代後半からリーマン・ショックまでの約10年。<誰かが言った。人生の悲劇は二つしかない。一つは金のない悲劇。そして、もう一つは金のある悲劇>……。冒頭のナレーションが、宿命に紡がれたドラマの本質を抉っている。

 堀江貴文氏や村上ファンドが耳目を集めた時期、メディアに躍った「ゴールデンパラシュート」、「プロキシーファイト」、「ホワイトナイト」、「バイアウト」がストーリーに織り込まれている。「ハゲタカ」と罵られる鷲津(大森南朋)、常にコストカッター担わされる柴野(柴田恭兵)……。恩讐を超えた両者が〝目に見えない価値(情と矜持)〟で結ばれる展開に熱くなった。

 「ハゲタカ」が格好の予習になったのが「欲望の資本主義~偽りの個人主義を越えて」(BS1、前後編)だ。世界7カ国の知のトップランナー12人の提言に学ぶことが多かった。今週末に第17回「脱成長ミーティング」に参加するが、そこで交わされる議論と重なる部分が大きいはずだ。本稿と次々稿で本番組について記すことにする。

 <ハイエクVSケインズ>がクローズアップされていたが、俺はフリードリヒ・ハイエクの名を知らなかった。新自由主義の提唱者と評され、著書「隷従への道」を愛読したサッチャーは、レーガンとともに市場の自由を提唱し、規制緩和、民営化、減税(富裕層)を推進する。小泉元首相もこの流れを引き継いだ。

 新自由主義は格差拡大をもたらした。〝諸悪の根源〟と見做されたハイエクだが、自由と民主主義に絶対的な価値を置いていた。「ハイエクはハイジャックされた」と語るトーマス・セドラチェク(チェコの経済学者)の分析は、恐らく的を射ている。「後継者を自任したフリードマンがハイエクの思いを歪めた」とハイエク信奉者が語っていたからだ。

 市場の自由が社会の自由をもたらすのか、それとも自由の抹殺に繋がるのか……。現状を見れば後者に理がある。その点について、ハイエクとケインズ、それぞれの後継者の間で論争が繰り返されてきた。メルクマールになったのはリーマン・ショックで、資本主義の暴走の前に鳴りを潜めていたケインズが脚光を浴びる。

 翻って今、日本で何が起きているのか。別稿(昨年11月28日)に記した研究所テオリア主催のシンポジウム「日本の政治と社会を立て直す」で杉田敦法大教授が、安倍政権を支える4本の柱を新自由主義、国家社会主義、排外主義、内閣中心主義と分析していた。新自由主義と国家社会主義(日銀の市場への介入)の混在は、乱暴に言えば、それぞれハイエクとケインズに溯る。
  
 <暴走する資本主義を止めるもの>は社会主義だと当ブログで記してきた。アメリカ、とりわけ民主党支持者に社会主義が浸透している。当番組でもそのことを感じた。ホワイトハウス前の反トランプ集会である参加者は、「この国で1億4000万人が貧困に喘いでいる」と嘆いていた。

 マルクス主義者の集会で、ムスリムの女性が「2017年で富裕層の資産は25%増加した」と訴えた。「今という時代は自由の罠に陥っている。社会主義的な政策で富を正しく分配することが自由への道>と説くヒスパニック系の若者の主張は、そのままトマ・ピケティだ。

 上記のトーマス・セドラチェクに加え、俺の心に最も響いたのはマルクス・ガブリエル(ドイツの哲学者)とユヴァル・ノア・ハラリ(イスラエルの歴史学者)だ。両者はともに<疎外>をベースに論を組み立て、欲望の資本主義を補強しているGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)を俎上に載せる。人間の欲望を操る司祭といえるGAFAの時価総額はドイツのGDPを超えた。スタートアップ企業を買収し、独占化を進めている。

 ガブリエルは「GAFAは我々に労働を強いる。フェイスブックの〝いいね〟象徴される無意味なことを、意味のあることに感じさせられている。それはまさに労働で、SNSは最もダーティーなカジノだ」と断言する。ハラリもまた、自ら作った技術や仕組み(パソコンやスマホ)に支配される人間に危機感を抱き、GAFAが形成する<監視資本主義>に警鐘を鳴らす。「20年後、世界中でトマトを売っているのはアマゾンだけ」と予言していた。

 次々稿では、「脱成長ミーティング」の報告に加え、本番組で提示された資本主義とGDPの関わり、分散型システムへの志向について記すことにする。
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「その先の道に消える」~聖と性の狭間を穿つ中村文則の新境地

2019-01-18 02:17:21 | 読書
 改元を控え、安倍政権に忖度したメディアは、護憲派の皇室について報道を控える可能性もある。神話に基づき建国記念の日が制定されたのは1966年。制定賛成派、反対派が2月11日にそれぞれ集会を開くのが、長年の〝お約束〟だった。右翼と保守が皇室支持で、左翼とリベラルが皇室に否定的……。この構図は半世紀を経て根底から覆った。

 天皇は繰り返し現憲法の意義を語り、美智子妃は規範として五日市憲法を称揚した。その一方、安倍政権御用達「新潮45」は〝リベラルな皇室〟への疑義を呈していた。今や皇室は護憲派のシンボルになった。俺は皇族の個々の思いを好意的に受け止めているが、天皇制を肯定しているわけではない。

 21世紀日本文学の精華といえる「無限カノン三部作」(島田雅彦著)に、皇太子夫妻がモデルとして登場する。三遊亭白鳥の「隅田川母娘」は皇太子一家を主人公にした新作落語だ。世が世なら、いや、むしろ数年後にこそ不敬の誹りを受けかねないが、中村文則も新作「その先の道に消える」(18年、朝日新聞出版)で、聖と性の狭間に天皇制を据えた。

 「私の消滅」の<このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない>の書き出しは、「その先の道に消える」のタイトルと対になっているのだろうか。緊縛がメインテーマで、ポルノグラフィーの要素が濃い本作だが、淫靡な感じはなく、欲望が濾過され、愛に昇華している。

 吉川という緊縛師の死体が発見される。捜査に加わった富樫刑事の夢(もしくは記憶)が起点になっていた。少年だった富樫は溺死寸前に助けられるが、沈んでいく女性は、複数の男に弄ばれた亡き母に似ていた。この設定に、自身の闇を抉った「わが母なる暗黒」(ジェイムズ・エルロイ著)が重なった。

 「母を救えなかった」という罪障に苛まれる富樫は、母の面影を写す桐田麻衣子と出会う。〝背徳の彼方の純潔〟を体現する麻衣子は吉川殺しの容疑者だった。心のプリズムで<愛>と<法の正義>が乱反射し、破滅した富樫を継いで主人公になるのが葉山刑事だ。

 葉山は冷静に痕跡を辿り、真相に近づいていく。手記とモノローグで物語を紡ぐのが中村の特徴だが、本作では6章から成る<吉川一成のノート>(遺書)が重要な役割を担っていた。吉川は緊縛の源流を神道に求め、天皇制に絶対的な価値を見いだす。神社の宮司に師事し、緊縛への理解を深めるうち、迷いが生じてきた。同志と見做していた者たちが改憲を声高に叫び、中国や韓国を罵る姿に違和感を覚える。

 現天皇との乖離に気付いた吉川は、緊縛の歴史をひもとき、ある結論に到達した。<多様性>を本作のテーマに掲げた中村の作意を表す部分を、以下に引用する。

 <日本国の根幹を成す一連の神話は、あらゆる神話が混ぜられて創られている。ギリシャ神話を吸収したユーラシアの騎馬民族達の神話や朝鮮半島の神話など、つまり大陸からのものや、南方のオセアニアからのものが、複数日本で融合されている。(中略)あらゆるものが入り込み、日本で混ざり合い留まっていく>

 中村は本作のために古代史を深く研究し、日本の本質に迫ろうとした。そして、縛る者、縛られる者、その様を眺める者……、この三つの位置を体験し、緊縛がもたらす真実に行き着く。縛られることは人間性の剥奪と同義だが、責任を逃れることが自身の解放、絶対的自由に繋がる。アンビバレントなベクトルを、中村は恐らく現在の日本に敷衍している。

 中村ワールドには構造と状況を把握する絶対者が登場する。本作では後半に葉山と対峙したYだ。「私と同じだよ。お前はこの世界に合わないのに、存在してしまったバグだ」とYは葉山に語り掛ける。この二人だけでなく、富樫と麻衣子、吉川と亜美もバグだ。他の作品では欠落した者たちが円を作り、ともに狂う。中指がないYに、初期の「遮光」を思い出した。主人公が持ち歩く女性の小指は弧絶と愛のメタファーだった。

 読了後、<その先の道に消える>のは何なのか考えた。罪と罰、善と悪、愛と欲望、そして普遍性と特殊性を分かつ境界線なのかもしれない。中村が仕掛けた謎が解けず、混沌のまま溶け合ったままだ。
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「それだけが、僕の世界」~家族の情を描いたヒューマンドラマ

2019-01-14 20:37:36 | 映画、ドラマ
 まずは訃報から。市原悦子さんが亡くなった。数多くの出演作を見たが、記憶に鮮明なのは「青春の殺人者」(76年、長谷川和彦監督)の主人公、順(水谷豊)の母親役だ。舞台で数々の栄誉に輝き、映画、ドラマ、語り手、声優として活躍された名女優の冥福を祈りたい。

 今年最初の稿(2日)で<ラグビー大学選手権は天理V>と予想したが、明治に敗れた。帝京を圧倒したことで、モメンタムをなくしたのかもしれない。NHK杯将棋トーナメントで藤井、深浦の強敵を連破した今泉健司四段だが、久保利明王将の壁は厚かった。両者は30年来の友人で、解説の菅井七段は今泉が編入試験を受けた際、参謀役を務めた。いずれも関西所属棋士で、温かい空気を感じた。

 久しぶりに鈴本演芸場に足を運び、正月二之席昼の部を楽しんだ。立ち見も出る盛況で、トリの春風亭一之輔は相変わらずキレキレ。俊英たちの〝楽屋ネタ〟とエリート意識に辟易して落語会を敬遠していたが、今年は〝復縁〟するつもりだ。何はともあれ、最晩年に差し掛かった柳家小三治を見ておきたい。

 ベテランは健在だったが、馴染みのなかったダーク広和(奇術)、米粒写経(漫才)、三遊亭歌奴らの芸に感心する。4時間の長丁場を堪能した午後だった。発見といえば、フェス総集編も同様だ。今朝、WOWOWがサマソニのダイジェストを放送していた。気に入ったのはシャーロックスで、オーソドックスなUKロックを奏でている。20歳前後というから将来が楽しみだ。

 当ブログは今年になって<家族>をメインに綴っている。4稿目の今回、日比谷で見た韓国映画「それだけが、僕の世界」(18年、ユン・ジェギュン監督)を紹介したい。母と兄弟の情を軸に据えたヒューマンドラマは現在公開中で、いずれレンタル店の人気アイテムになるだろう。

 前稿「色とりどりの親子」には、自閉症のジャックと家族の絆が描かれていたが、本作のジンテ(パク・ジョンミン)は自閉症と症状が近いサヴァン症候群の26歳の青年で、スマホをいっときも離さず、他者とコミュニケーションを取れない。サヴァン症候群を描いた映画なら、「レインマン」(88年、バリー・レヴィンソン監督)が有名だ。

 知的障害、発達障害と診断された患者の中で、特定の分野で能力を発揮する者がサヴァン症候群にカテゴライズされる。アートの分野で才能を開花させる著名人が多い。「レインマン」のレイモンド(ダスティン・ホフマン)は記憶力で周囲を驚かせた。ピアノで周囲を瞠目させるパク・ジョンミンの演技はホフマンに匹敵する。

 食堂を経営する母インスク(ユン・ヨジョン)は、何を聞かれても「はーい」としか答えないジンテを支えつつ、「自分が倒れたら、ジンテはどうなる」と不安に怯えている。同じアパートに暮らす女子高生スジュン(チュリ)は大家の娘で、保護者然と振る舞うジンテのゲーム仲間だ。インスクは偶然、夫のDVで手放してしまった長男ジョハ(イ・ビョンホン)と再会する。

 ジョハは憎悪する父譲りの短気がもとで人生を踏み外した。退役後、プロボクサーとして成功するが、レフェリーへの暴力事件で追放され40歳の今、ビラ配りで糊口を凌いでいる。行き場がないジョハは母宅で暮らすことになる、兄弟、そしてスジョンとのユーモアたっぷりのやりとりが面白い。

 サイドストーリーも充実している。ハン・ガユル(ハン・ジミン)はジョハの交通事故の加害者だ。ジンテが憧れるピアニストだが、演奏への意欲を失っている。ジョハと和解したガエルはジンテの才能に刺激され、情熱を取り戻す。韓国映画お得意の「泣け、泣け」の設定もあり、はなをすする観客が続出したが、輪を掛けたのは音楽がもたらす燦めきだった。

 韓国映画では、母の存在がクローズアップされる。インスクに重なったのは「母なる証明」(09年、ボン・ジュノ監督)でキム・ヘジャが演じた母だ。ちなみに同作でウォンビンが演じた息子は知的障害者という設定だった。一世を風靡したウォンビンだが、「アジョシ」(10年)以降、映画から遠ざかっている。
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「色とりどりの親子」が提示する幸せの無限の形

2019-01-10 22:03:34 | 映画、ドラマ
 将棋の順位戦C級1組で師弟の杉本昌隆、藤井聡太両七段が8連勝でトップを並走している。順位はそれぞれ7、31位なので、実質的に師匠が頭一つリードということか。次局が天王山で、杉本が船江六段、藤井は近藤五段と、ともに1敗で追走する強敵と相まみえる。師弟同時昇級の目が残る最終局は日本中の耳目を集めそうだ。

 別稿(12月16日)に記した映画ベストテンに抜けがあった。「Search サーチ」(18年、アニーシュ・チャガンティ監督)を忘れていたことに先日、気付いた。18年の俺を表す漢字は<衰>だったが、年が明けてもボケボケで、<劣>の方が相応しくなりそうだ。

 メディア、シンクタンク、調査機関は今年を<乱の年>と予測している。不安材料のトップはトランプ大統領だが、俺はアメリカに期待を寄せている。「華氏119」(マイケル・ムーア監督)、米中間選挙を経て、<保守-中道-リベラル-左派>の従来の枠組みで捉えられないことに気付く。民主党プログレッシブの躍動で、<多様性>という新しいリトマス紙が必要になっている。

 年明けに召集された米議会は、ヒスパニック、ネイティブアメリカン、100人以上の女性議員と史上最も多様な構成になった。地方議会ではこの傾向はさらに顕著で、LGBT、貧困者の代表も選出されている。アメリカの変容を象徴するドキュメンタリー映画「色とりどりの親子」(18年、レイチェル・ドレッツイン監督)を新宿武蔵野館で見た。

 原作「ファー・フロム・ザ・ツリー」の著者アンドリュー・ソロモンは300もの〝普通ではない〟家族を取材した。本作はその中からソロモン家を含め6家族をピックアップし、絆の意味を問い掛ける。観賞しながら自身の来し方、家族との関わりに思いを馳せた。

 各家族は我が子が〝普通ではない〟ことに戸惑い、自分のせいではと罪の意識を覚えながら、時間をかけて子供と向き合っていく。〝普通ではないこと〟に不寛容な世間との軋轢もあったはずだ。折々の子供たちの姿を写した家族ムービーが、本作に彩りを添えていた。

 製作も担当したソロモンは10代の頃、自分が〝普通ではないこと〟に苦悩した。ゲイをカミングアウトしたが母は認めてくれず、ソロモンは書くことで心の空白を満たした。同性婚のパーティーでは、和解した父が祝福の言葉を述べていた。

 ダウン症のジェイソンは幼い頃、「セサミストリート」に出演するなど、同じ症状を抱える子供たちの希望の星になった。成長するにつれ壁にぶつかり、現在はダウン症の2人の仲間とアパートをシェアし、〝三銃士〟を自任している。ジェイソンは「アナと雪の女王」のヒロインに恋していた。

 現実と仮想の区別がつかないジェイソンは、世間とズレているのだろうか。対戦型格闘ゲームに熱中するあまり、会社を辞めてフリーになった知人がいる。中国ではAIの女性と結婚する男性が続出中という。俺だって妄想と夢想に耽るのが最大の楽しみだ。

 自閉症のジャックは喋れないが、才能ゆえ級友たちにも一目置かれている。次稿で紹介する映画「それだけが、僕の世界」にも自閉症(厳密にはサヴァン症候群)と見做される青年が登場する。ジャックにザ・フーの「トミー」(69年)が重なった。他者とのコミュニケーションに苦しんでいるのはジャックだけではない。

 長男トレヴァーが少年を殺して服役中のリース夫妻に、俺の両親が重なった。大学卒業後、俺は定職に就かずフラフラしていた。「あの子(俺)は悪いことをして新聞に載る」と父母は覚悟していたらしい。トレヴァーは精神科医の分析も受けたが、犯行に及んだ理由がわからない。それでも両親は、刑務所のトレヴァーを精いっぱい支えようとする。

 低身長症のジョセフとリアのカップルが後半のメインだ。車椅子で暮らすジョセフは「自分がおまえみたいだったら自殺する」と言われたことがあるという。ジョセフとリアは沈黙せず、同じ症状の人たちと交流し、積極的に発言する。彼らの貴い言動は、自分を解放するだけでなく、多様性が社会に根付くことに寄与している。

 本作は、幸せの形が無限に存在することを教えてくれる。<人間は例外なく障害者。健常者と障害者の区別はない>と講演会(昨年12月)で語った辺見庸の言葉を思い出した。俺と彼らに違いはない。米オルタナ界の雄ヨ・ラ・テンゴが担当するサントラも本作にマッチしていた。
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「柔らかな頬」~奔放で狂おしい桐野ワールド

2019-01-06 21:58:20 | 読書
 前稿の続きになるが、従兄宅(寺)で年賀に訪れた親族たちと交流した。従兄の長男は名医の誉れ高く、次男は副住職兼サーファーだ。私鉄運転士と情報企業ITエンジニアの甥(兄弟)もいる。喧騒の紅白に呼ばれた友川カズキみたいに場違いだった俺だが、立場を弁えず進行役を担った。

 「ITとファーウェイ」、「AI」、「外国人労働者」、「ドローン」etc……。正月の歓談と思えぬテーマで会話が弾む。従兄は貧困救済活動を展開しているフィリピンだけでなく、アジア全般の事情に通じている。現地での日本への厳しい目を具体的に伝えてくれた。病院での珍事件、亡き父や叔父の変人ぶりを示す数々のエピソードなど、硬軟織り交ぜた話題に時が経つのを忘れた。

 絵に描いたような家族の幸せを感じた丹波で、家族の崩壊を描いた桐野夏生著「柔らかな頬」(99年、文春文庫、上下)を読了した。桐野の小説は「OUT」、「グロテスク」、「バラカ」、「ナニカアル」に次いで5作目。「魂萌え!」は映画で見た。本作の主人公カスミは、両親と寂れた海沿いの町(北海道)を捨てる。ラストを例えれば真冬の砂漠で、寂寥たる読後感を覚えた。

 カスミは上京して製版会社に勤め、経営者の森脇道弘と結婚する。2女をもうけた後、広告代理店でデザイナーを務める石山との心焦がす愛に身をやつす。道弘と仕事上のパートナーである石山もまた2児の父だった。全てを捨ててふたりで再スタート……。暗黙の了解の下、石山は購入した北海道の別荘に自身の家族、森脇一家を招いた。

 石山は逢瀬の際、「あなたは収まりっこないんだよ。すべてに」とカスミに囁く。この言葉はカスミの本質を穿っていた。道弘と石山は、野生動物の匂いをカスミに嗅いでいた。桐野作品には束縛を嫌い、自由を求めて漂流する女性が登場するが、カスミもまた本能に突き動かされ、節度と常識を逸脱して彷徨する。

 桐野は<女性の生理>を繊細に描く。「柔らかな頬」のタイトルにも女性の触感を覚える。上流の石山家、中小企業を細々と経営する森脇家と、両家は対照的だ。石山の妻典子は歯牙にもかけていなかったカスミが夫の相手と知り、愕然とする。カスミと石山は、互いの家族が滞在する別荘で体を重ねていた。高齢女性の欲望を生々しく描くのは桐野の常だが、本作では蔦枝が該当する。

 別荘、その周辺に不穏な空気が漂う中、自身と生き写しの長女有香が鬱蒼とした森で姿を消す。神隠しに遭ったのか、何者かに連れ去られたのか、殺されて埋められたのか……。カスミの行方は知れず、石山との不倫の〝天罰〟と感じたカスミは、喪失感と罪の意識に苛まれる。

 迷宮入りして4年経ち、石山家は壊れ、森脇家も修復不能になる。忘却を拒絶するカスミに協力者が現れた。道警で敏腕刑事として鳴らした内海は、末期がんに侵され退職を余儀なくされる。1日だけ有香の捜索に加わった内海は、自身が指揮を執っていたら解決に導けたと確信している。辞職後に手法を変え、。関わった人々の感覚と感性を軸にして謎に迫ろうとする。

 喘ぎつつ漂流するカスミ、死期を悟った内海……。愛と性を超越した心中にも似た道行きは、カスミの過去へと遡及する旅になる。カスミと内海はそれぞれ、事件についての悪夢を見る。現実と幻想は混濁するが、真実に行き当たらない。カタルシスや予定調和と無縁で、心の裡にある罪が形になる哀しいラストに余韻が去らない。

 「ナニカアル」の〝強い〟林芙美子と〝流れる〟斎藤に、カスミと石山が重なった。〝事件の円環〟に閉じ込められたカスミは、自我を捨てることで解き放たれた石山と再会し、愛に蓋をする。カスミは「ナニカ」を手にしたのだろうか。家族と愛の意味を問う読書初めに相応しい傑作だった。
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底冷えの丹波から年末年始の雑感

2019-01-02 17:06:54 | 独り言
 あけましておめでとうございます。時間が許せば、今年もお付き合い下さい。

 芯から冷える丹波から更新している。従兄宅(寺)に泊まり、母の暮らすケアハウスに通うパターンは年末年始も変わらない。テープレコーダーと化した母の話を聞く(聞いているふり)をするのも親孝行のひとつだ。従兄一家、年賀に訪れた親類たち、そして猫のミーコとも交流した。

 以下に、年末年始の雑感を簡単に記したい。

 広河隆一氏のセクハラ報道に愕然とする。ジャーナリスト、写真家としてパレスチナでキャリアをスタートさせ、国際的評価を得てきた。チェルノブイリと福島で被曝した子供たちを支援する保養施設を立ち上げる。<撮る対象としてではなく、傷ついた人たちに手を差し伸べる>というスタンスに敬意を表してきた。末節を汚したが、その功績が褪せることはない。

 <社会主義>が世界を動かしつつあることを端的に示したのが「華氏911」(マイケル・ムーア監督)だ。「18~29歳の若者の51%が社会主義を信じている」と語る青年に、民主党院内総務はあきれた表情を浮かべていたが、昨年の中間選挙で<民主党支持者の57%が社会主義を肯定している>事実を「国際報道」(NHK・BS)が報じた。

 高校生の大学入試改革反対デモに波及したフランスの燃料税反対運動を階級闘争と評した識者もいる。翻って日本では、格差拡大は深刻なのに、永田町の腐った地図に政治は塗り込められたままだ。格差社会を憂えるメディアや識者も、地殻変動の第一歩が選挙制度改革であることに気付いていない。

 年内結審の可能性大だが、今年も供託金違憲訴訟裁判を傍聴する。選挙制度の問題点は供託金だけではない。公職選挙法は政見が国民に届かぬよう候補者を縛っている。先進国標準に則り、貧困層やマイノリティーが自由に立候補し、国民に思いを伝えられるようにする……。これが貴族と奴隷に分化しつつあるこの国のベクトルを変える端緒になると確信している。

 新年を迎えるたびに誓いを立てるが、今年はやめておく。3・11直後、尾崎豊の歌詞になぞらえ、<俺はガラスを割らないが、石を投げた者たちを知らせたい>と書いた。その思いを忘れず、ブログを更新していく。そもそも俺は〝大志〟と無縁だ。10代の頃、高橋英樹演じる「ぶらり信兵衛」など、長屋の素浪人に憧れた。ルックスを顧みず、ヒモを夢見たこともあったが……。〝小志〟に相応しい現在に、さほど文句はない。

「相棒~正月スペシャル」は可でもなく不可でもなく。元相棒の神戸尊(及川光博)が活躍した。甲斐享(成宮寛貴)は無理だが、亀山薫(寺脇康文)の1話限りの復活を期待している。今シリーズ中、台詞に「亀山」が出てきた。伏線かもしれない。

 帝京の10連覇を拒むのは天理……。昨秋から予想していたが、現実になった。大学選手権準決勝で、天理が帝京を圧倒した。スクラムを支配し、好守に粘り強いのだから当然の結果といえる。決勝で明治に敗れることはないだろう。

 次稿は東京に戻って更新する。テーマはまだ決めていない。
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