酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

アベノミクスという「フェイク」~脱成長ミーティングで感じたこと

2016-06-30 23:32:52 | 社会、政治
 大橋巨泉さんには様々な思いを抱いている。集中治療室でがんと闘う老リベラリストに心からエールを送りたい。

 サッカー欧州選手権決勝トーナメント1回戦で、イングランドは小国アイスランド(人口30万人強)に逆転負けを食らった。EU残留派も離脱派も等しく打ちひしがれているに相違ないが、EU諸国がわがままな英国の離脱を歓迎しているのは明らかだ。

 意外といえば、スペイン総選挙でポデモスが伸び悩み、第3党にとどまった。英国離脱を踏まえ、バランス感覚が働いたとみる声がある。格差と貧困の是正を訴えるポデモスは、EUを<グローバリズムの象徴>と捉えている。一方でスコットランド国民党は、EUが掲げる<排外主義の克服、調和と公正>を支持し、UKからの離脱を表明した。理想と現実が錯綜し、ラディカルとリベラルが対立するパズルは、難解というしかない。

 前々稿で「FAKE」(森達也監督)について記したら、貴重なコメントを頂いた。俺は違和感を覚えながら、大団円に引きずられていった。森は同作を〝壮大なフェイク〟として提示した可能性もある。「FAKE2」を期待したいが、騙されていることが心地良さをもたらすこともある。「アベノミクス」もまた、麻薬的フェイクの一種なのだろう。

 先週末、高坂勝、白川真澄の両氏が主宰する第11回「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)に参加した。大河慧氏と高坂氏の報告に続いてディカッションとなる。大河氏ら経済学者、メガバンク行員、官僚、自営農家らの言葉に説得力を覚えた。

 「この経済政策が民主主義を救う」(松尾匡著/大月書店)に反論しつつ、脱成長とアベノミクスについて考えるというのが今回のテーマだった。<現政権を超える大胆な金融緩和と財政出動策こそ、反安倍の結集軸になる>との松尾氏の主張を、大河氏は綿密に分析していた。松尾氏の志向と与党が準備しているヘリコプターマネーとの差別化は難しく、巨額の財政負担が若い世代に先送りされるだけというのが、大河氏の結論だった。

 松尾氏の大目標は民主主義の実現(≒憲法改悪阻止)だが、脱成長と方法論が真逆だ。その点を説いたのが高坂氏である。〝成長すること、成功すること、お金を得ること〟の呪縛から解放され、会社を辞めて自営農家になる若者が取り上げられるようになった。ミニマリズムの浸透につれ、高坂氏のメディア露出は増えている。

 高坂、大河、白川の3氏は、アベノミクスの数々のフェイクを提示した。安倍首相は事あるごとに「有効求人倍率は24年ぶりに1・34の高水準」と自画自賛するが、生産年齢人口はバブル期の8600万人から7600万人に減少している。分母が大きくマイナスになれば、指標が押し上げられるのは当然なのだ。「100万以上の雇用を増やした」が首相の口癖だが、この3年で増えたのは170万弱の非正規雇用である。

 「2012年度から税収が21兆円増えた」らしいが、これもまやかしだ。12年度はリーマン・ショックと東日本大震災の影響で税収がダウンした。そこから増えるのは自然の成り行きだが、第1次安倍政権時から増えた7・5兆円は消費税アップ分である。何より最悪なのは郵貯とGPIFから計15兆円が株式投資に回され、国民の年金資産が消失したことだ。北欧やアイスランドなら実刑を食らってもおかしくない失政を、首相は恥じる様子もない。

 実質賃金は下がり続け、トリクルダウンなど不可能だ。消費増税延期の会見で、首相の本音=「増税を前提にした社会保障費の充実は難しくなった」が明らかになる。日本政府は韓国の1・5倍以上の金額でイージス艦を輸入している。2艇減らして3000億円を浮かしたら、介護に携わる人たちの賃金を5万円アップできる。軍事費から福祉をキーワード゙に、税金の使い方をチェックすべきだ。

 脱原発、反戦争法、脱成長とミニマリズム、反差別、IターンとUターン……。多くの日本人の意識が変化しつつあるのに、政治は変わらない。そんな風に議論が進行したので、俺は持論を述べた。<永田町の地図に収斂させようとするから、ダイナミズムが失われてしまうのだ>と。では、誰が変化を吸い上げるべきか……。「本来なら緑の党もその役割を担うべきなのに」という忸怩たる思いが、高坂、白川氏の表情に窺えた。

 脱成長は経済の在り方だけでなく、ライフスタイルの転換にも関わってくる。論理と情念、冷徹と情熱のアンビバレンツによって、ケミストリーを起こすことが求められている。格好のお手本というべきはピケティだ。
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英国EU離脱を極東から眺める

2016-06-26 11:24:17 | 社会、政治
 世界では直接民主主義が議会制民主主義の壁を壊しつつある。スペインではポデモスが急速に支持を集め、スコットランドではリベラルな国民党が英国からの独立運動を主導した。10代が大きな役割を担った反組合法への抗議(2011年)は「ウォール街を占拠せよ」に受け継がれ、サンダース革命に繋がった。

 奔流が昨夏、日本にも波及したかに思えたが、夢は潰えた。一昨日(24日)、新聞各社が参院選の序盤の情勢を一斉に公表したが、<自民+公明+おおさか維新の改憲勢力が3分の2に迫る>で一致していた。欧米のみならず、台湾や香港でも街頭での抗議が議会に波及したが、日本ではなぜ、<永田町の薄汚れた地図を破棄し、新しい潮流をつくろう>という動きが起きないのか。最大の要因は不自由な選挙制度にあると考えているが、別稿で……。

 日本のことさえ理解できないのに、海外の動きを把握するなんて不可能だ。それは承知の上で、EU離脱が決まった英国について感じたことを記したい。マトモな分析は溢れているので、視点を少し変えて論じることにする。

 EUといえば国連とともに、〝正義の象徴〟と見做されてきたが、化けの皮が先に剥がれたのは国連だ。自国が輸出した大量の武器が、ISの元にたどり着き、結果として自国兵を傷つけても痛痒を感じない……。倫理も良心もない国が常任理事国を務める国連に、平和を訴える資格はない。

 EUは「調和と統合」と「強欲なグローバリズム」を併せて掲げる双頭の神殿だ。加盟国間、加盟国内の格差を拡大させており、〝高邁な理想〟は接着剤たり得ない。離脱への動きを象徴するのは、当ブログで頻繁に取り上げてきたスペインのポデモスだ。「プエルト・デル・ソル占拠」(11年)の活動家が2年前に結成したラディカルなポデモスは、26日の総選挙で第1党に躍進する可能性がある。

 反EUを掲げる新党が圧勝したイタリア統一地方選、英国の国民投票、そしてスペインと、重要な選挙と軌を一にサッカー欧州選手権が開催されている。ナショナリズムを高揚させるサッカーが、選挙の結果を左右するのではという声もあった。EUへの距離が異なる国同士の対戦が続くが、ベルギー(EU本部所在地)とイングランドが決勝でぶつかったら、サッカーを超えた事件になるはずだ。

 18~24歳の若者の75%は残留に投票し、選挙権のない17歳以下ではさらに高い数字という。投票前に英国の大学を取材した映像を見たが、若者たちは余裕を滲ませ「残留が勝つだろう」と話していた。グラストンベリーフェスが開催中だが、英国の学生の夏休みの最大の楽しみは欧州中のサマーフェス巡りだ。他国からの留学生とも親しく交流している。

 <若者は英国籍を持つご老人より、スペインやオランダの若者との方に多くの共通点を持つ。職場やSNSでの経験から、国境を超えると信じてきた未来は奪われてしまった>……。こんな若者の怒りの声が配信されている。〝一つの欧州〟を壊された若者が叛乱を起こせば、結果を覆す可能性もなくはない。ちなみに、日本で自公政権への支持が高いのは、65歳以上と18~22歳だ。この国では老若が同じ夢を見ている。

 EU残留派の牙城というべきスコットランドでは、独立の動きが加速しそうだ。2年前、モリッシー、ビョーク、モグワイらがスコットランド独立を支持し、ポール・マッカートニーとミック・ジャガーの両サーが残留を支持した。ロック界は騒がしかったが、今回は結果が出るまで静かだった。異彩を放ったのはノエル・ギャラガーである。ロッキン・オンのHPには以下の記事が掲載されていた。

 ノエルは投票直前、「何で国民なんかに決めさせようとするんだよ? 国民なんてのは99%が豚のうんこくらい頭が悪いんだぜ」と毒を吐いた後、珍しく? 正論も述べている。即ち「イラク戦争への参加を巡ってこそ、国民投票が行われるべきだった」と……。保守党内での意思統一を放棄したキャメロン首相だけでなく、理想と現実の狭間で指導力を発揮出来なかった労働党コービン党首も厳しい視線にさらされている。

 〝イギリスのトランプ〟ことボリス・ジョンソン前ロンドン市長ら排外主義者が唱える離脱に、貧困に喘ぐ労働者も耳を傾けた。この構図は英国のみならず世界中で広がっている。あたかも1930年代のように……。次回はアベノミクスを軸に、日本の現状について記したい。

 最後に、4時間後に迫った宝塚記念……。予想とうより願望で、3年前のPOG指名馬⑧ステファノスを応援する。もちろん本命は⑨ドゥラメンテで、両馬を軸に馬連、3連複、3連単を買う。
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「FAKE」~心の渦は鎮まらず

2016-06-22 23:50:37 | 映画、ドラマ
 きょう22日、参院選が公示された。東京選挙区から立候補した佐藤かおり候補(女性と人権全国ネットワーク共同代表)は宇都宮健児、井筒高雄両氏の応援を受け、有楽町で第一声を上げた。俺は前日まで中野区でポスティングを担当したが、統一地方選(昨年4月)時より、「ポスティングお断り」の貼り紙が明らかに増えた。今後は多少の戦略が必要だと感じた。

 佐藤さんは国を相手にセクハラ訴訟を闘って勝利した。自身の経験から、あらゆる差別の撤廃と格差の是正を第一に訴えている。彼女の声に耳を傾けるのはどんな人たちだろうか。偏見や逆差別を責められても仕方ないが、救いを求めている可能性が強いと判断した世帯を中心にポスティングした。

 「ポスティングお断り」の貼り紙は回路の封鎖、意見を闘わせることへの拒絶といっていい。不自由な選挙制度に馴らされているうち、お上に逆らわず、左右を見渡して〝空気を読む〟ことが日本人の生き方になった。安倍政権を分析するキーワードは混然一体となった<保守化>、<アメリカ化>、<集団化>だが、<集団化>こそ最大の病根と論じてきたのが森達也だ。最新作「FAKE」を渋谷で観賞し、心を強く揺さぶられた。

 書物や講演会などで何度も森と接し、ブログにも記してきたが、本業というべき映画を見るのは「FAKE」が初めてだった。試写会で本作を見た仕事先の夕刊紙記者Mさんによると、森は「最後の12分間については誰にも言わないで」と客席に念を押したという。公開されて間もないし、人気沸騰の作品だ。ネタバレもあるので、ご覧になりたい方はここで読むのをやめてほしい。

 2スクリーンの時間差上映で対応していたユーロスペースだが、俺が見た回でアクシデントが起きる。本編が始まってすぐ、画面が暗転し、声だけがスクリーンから漏れてくる。「凝った演出だな」と感じていたが、映写機の不調が伝えられ、館内が明るくなる。アナウンスに従って別階に移動し、最初から見た。こんな経験は初めてである。

 オウムをテーマに据えた映画「A」と「A2」、死刑廃止を論じる著書や対談など、森は〝少数者〟や〝社会の敵〟の側に立って、作品を世に問うてきた。結果として日本の<集団化>を穿つことになる。「FAKE」では佐村河内守に寄り添い、その心の闇を照らそうと試みる。森、佐村河内、奥さんの香さんとの関係は、作中の言葉を借りれば心中で、ある種の共犯関係といえる。想田和弘監督の「牡蠣工場」(15年)でも猫が効果的に描かれていたが、本作では佐村河内家の飼い猫が夫婦の心象風景をビビッドに反映していた。

 ワイドショーの類いは一切見ないし、週刊誌もめったに読まない。騒動の経緯を知らなかったので、本作を新鮮な気持ちで見ることができた。ちなみに、ゴーストライターとされる新垣隆のピアノは、「チェルノブイリ30年・福島5年救援キャンペーン~小出裕章講演会&チャリティーコンサート」(4月23日、練馬文化センター)で聴き、天然ボケ風のキャラに好感を抱いた。世間でも、<佐村河内=悪辣な詐欺師、新垣=耐え抜いた被害者>の図式は動かし難いものになっている。

 一分の隙もない<真実>や<正義>に対峙するのが森の真骨頂だ。森は夫妻の住居に入り浸り、言動を追う。テレビ局や外国人ジャーナリストの取材をカメラに収め、歯切れの悪い佐村河内の表情を捉える。まさに〝心中〟で、森も佐村河内とともに沈むのかハラハラしていたが、景色が少しずつ変わっていく。一つは、メディアがあえて無視した佐村河内の聴覚を巡る診断書で、聴覚障害者の証言が興味深かった。

 新垣、佐村河内を追及した神山典士も、なぜか森の取材から逃げまくっている。森はマイケル・ムーアさながら、新垣の出版記念サイン会に突撃し、神山の授賞パーティーにプレゼンターとして登場するが、何と当人が欠席というあり得ない事態に直面する。法律事務所では対応しない新垣に痺れを切らした弁護士が、「著作権は佐村河内氏にある」と断言する。

 メディアが作り上げた正義はどこまで正しいのか、正邪は常に100対0の形を取るのか、日本人はどうして強者の側に立って叩きたがるのか……。様々な思いが脳内を飛び回る。ポイントは次第に夫妻の絆に移り、愛の賛歌が高らかに奏でられる。実は2人の見えざる心の内が、本作の最大の謎といえる。作品のHPには、森と対談したことのある平野啓一郎をはじめ、多くの識者が称賛の言葉を寄せている。俺が最も敬意を寄せる星野智幸のコメントを以下に紹介する。

 <よもや森さんのドキュメンタリーで泣くことになろうとは思わなかった。この作品を見た後では、世界の実態が違って見えるだろう。普通の善人だと思っていた人が、知らない生物に見えてくるだろう。見たらもう戻れないという覚悟を決めて、劇場に来るべし!>

 俺と上記のM記者だけでなく、本作を見た人は<何か見落としているかもしれない。自分は真実に辿り着いたのだろうか>と自問自答している。〝裏読み〟せず劇的なフィナーレを受け入れるべきかもしれないが、森の最後の佐村河内への問い掛けに「FAKE2」への匂いを感じた。心の中に生じたさざ波は、渦になって収まる気配がない。

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熱海、旧友との再会、参院選~梅雨時の雑感あれこれ

2016-06-19 22:53:27 | 独り言
 数日前から浴室の蛇口が水漏れしている。俺自身の老化は甚だしいが、家も同様なのだろう。焦ったことといえばGooのメンテナンス終了後、ブログが見られなくなったことだ。「まさか言論弾圧」と訝ったが、俺の弱小ブログなど政権にとって屁ほどの意味もない。開設以来、基本情報を変更していないことに思い当たり、現在のメールアドレスを送ったら、「パスワードを8字以上に」との通知が届いた。このようなケースが最近増えている。

 「世界侵略のススメ」(15年、マイケル・ムーア監督)では男どもがぶっ壊したアイスランド経済を、女性たちが立て直す経緯が紹介されていた。フレキシブルかつ緻密に物事に対応する能力は、女性の方が勝っているのだろう。例えば、旅行の計画……。母の最大の趣味で、時刻表やパンフレットとにらめっこしていたのを思い出す。父と全国を回り、父亡き後は妹夫婦がお供した。

 知人はインターネットを駆使して旅のプランを練っているが、女性らしい配慮にいつも感心させられる。先週末(11、12日)の熱海旅行も完璧なスケジュールだった。最初に訪れたのは旧日向別邸で、設計者はブルーノ・タウトだ。社会主義者ゆえナチスの弾圧を逃れたタウトは1933年に来日した。自然との調和を重んじる世界観、細部にこだわる意匠と、日本文化の粋を吸収したアイデアが隅々に行き渡っている。滞日期間は3年と短かったが、感受性の鋭さに才能の絶対値を感じた。

 ライトアップされた熱海梅園の蛍は衝撃的だった。源平合戦さながら宙を乱舞しつつ煌めきを競う姿は、まるで超小型ドローンである。どのように育てたら、あれほど元気になるのだろう。翌日は海外近くのジャカランダ遊歩道を散策した。姉妹都市であるポルトガル・カスカイシから贈られたジャカランダが植栽されており、他の品種を含めエキゾチックな花に魅了された。

 先日は大学時代の後輩F君が経営するビアバー(溝ノ口)を、先輩Kさん、同期U君と訪ねた。実権を握っているのは奥さんで、マスターと呼ばれていても実質は従業員らしい。ウリのクラフトビールは値が張るが、田園都市線沿線に住むリッチ御用達の立ち飲み店といった赴きか。外国人、サッカー選手、ミュージシャンも来店するという。

 2階のテーブル席で昔話に花が咲く。音信不通になった先輩を含め、メーンテーマは「あの人は今」である。昭和天皇が死んだ日、今回の4人はKさん宅に集まり、昭和と戦後について語り合った。昭和と俺自身の青春期の終焉が重なり、あの日のことを鮮明に覚えているが、あとの3人は「?」……。記憶の濃淡が個々によって異なることを知る。

 F君の奥さんは食や農業に関するライターで、高坂勝さん(緑の党前代表、脱成長ミーティング主宰)と面識があると聞き、人の縁の不思議さを感じた。緑の党は参院東京選挙区で、高坂さんも推薦人に名を連ねる佐藤かおりさん(女性と人権全国ネットワーク共同代表)を応援するが、キックオフ集会翌日(14日)、山本太郎参院議員と三宅洋平氏が記者会見を開き、三宅氏の東京選挙区立候補を発表する。

 3年前に比例区候補として擁立して以来、三宅氏は緑の党の〝内輪〟というべき存在だった。山本氏も統一地方選で緑の党の候補を積極的に応援してくれた。昨秋以降、三宅氏に東京選挙区での立候補を要請してきたが、三つの説得力ある理由を挙げて固辞した。俺も三宅氏を交えた会議に参加したので、立候補の報に驚くしかなかった。「大親友(山本氏)に恋人(三宅氏)を奪われた気分」と仲間は話していたが、俺も同感である。

 山本氏が「霞が関が最も恐れる男」と評し、三宅氏とも親交のある杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク=NAJAT代表)と昨日会い、話がクリアになった。<自分は古いかもしれないけど、政治家、いや人間にとって最も大切なのは信・義・情であり、筋ではないか>と俺が言うと、杉原さんも同意してくれた。俺の感想は正しかったのだ。

 山本、三宅両氏は類い希な天才であると、俺はブログで繰り返し称揚してきた。山本氏は〝日本のサンダース〟になり得る逸材だし、三宅氏の圧倒的な表現力は仕組みを根底から覆すための起爆剤になるはずだ。そして両者には、共通のプロデューサーがいる。山本氏は会見の冒頭、「妖怪がはびこる永田町から来ました」と話したが、山本氏自身も理・知・利を重んじる妖怪になりつつあると感じた。だが、それは政治家として責められるべきではない。〝大物〟になるための必然の道筋なのだ。

 三宅氏は「自民党の改憲草案を読んで愕然とした。今しかない」と切り出したが、俺は納得出来なかった。2月の会議で、三宅氏の憲法、戦争法を巡る発言は明快で、「今まで違和感を抱いていたけど、あなたのことが好きになった」とある参加者が話すほどだった。

 今回の件で暗い気分になったが、「緑の党は当てにならない」という両氏の見方は残念ながら的を射ている。接着剤、緩衝材的に機能するのではなく、脱成長とオルタナティブをキーワードに力を蓄えることが課題といえる。
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「佐藤かおりキックオフ集会」で考えたこと

2016-06-16 23:52:46 | 社会、政治
 独ソ不可侵条約調印(1938年)の報を受け、平沼騏一郎首相は辞職する。その時残した「複雑怪奇」は、政治の面妖さを表す言葉として刻まれている。俺も先日、「驚天動地」としか言いようのない出来事に直面する。感情を整理して、次稿で記したい。

 最終回になる「アリ枕PART4」から。マンデラ、キング牧師と並び立つ存在であるアリだが1960年代、反逆者、パブリックエネミーと見做されていた。別稿(12年6月8日)で紹介した「ブラックパワー・ミックステープ~アメリカの光と影」(11年/スウェーデン・アメリカ)は、ブラックパワーにスポットを当てたドキュメンタリーの映画版である。

 スウェーデン人のクルーは黒人差別の実態をフィルムに収め、<福祉も医療も遅れたアメリカは、不自由で非人道的な後進国>とナレーションを重ねた。マルコムXに影響を受けたアリは、<ナチスに匹敵する暴虐>と「ブラックパワー――」が断罪したベトナム戦争に加担せず、徴兵を拒否する。同作に逆ギレしたアメリカは72年から2年間、スウェーデンと国交を断絶した。

 「キンシャサの奇跡」以降、アリに淀みが滲んでくる。取り巻きを引き連れ、いや、逆に首根っ子を押さえられていたのだろうが、腐った金の臭いがプンプン漂っていた。熱心なボクシングファンは70年代後半から80年代にかけ、中南米に注目していた。サラテ&サモラのZボーイズ、ウィルフレド・ゴメス、サルバドル・サンチェス、アレクシス・アルゲリョ、そしてロベルト・デュラン……。彼らはストイックな蒼い炎に包まれていた。

 ボクサーとしては晩年、反面教師になっていたアリだが、リング内外に残した光芒が失せることはない。偉大な革命家の死を改めて惜しみたい。

 参院選東京地方区から立候補する佐藤かおりさん(女性と人権全国ネットワーク共同代表)のキックオフ集会(文京シビックホール)に参加した。佐藤さんは日本で初めてセクハラ労災裁判を闘い、12年かけて勝訴した。「DV防止法」改正にも寄与し、パープルユニオン委員長として女性たちの声を反映している。集団への埋没を強制する男権社会で傷つきながら闘い抜いた佐藤さんは、空気を変えるパワーを秘めている。

 会の冒頭、米フロリダで起きたテロ事件の犠牲者に黙祷が捧げられた。あらゆるマイノリティーの権利を保障し、人間の尊厳を守る……。これが参加者の共通の思いで、軽い言葉が飛び交う政治の現場と対照的に、崇高なムードが覆っていた。選挙を目前にして、政治は密度を薄めていく。参院選では自公と民進の阿吽の呼吸で、原発が争点から外された。

 俺が属する緑の党は、脱原発、安保関連法制反対、反TPPを三つの軸――格差と貧困も加えるべきと考えるが――に、比例区では福島みずほ(社民党)、大河原まさこ(民進党)両候補を推薦し、選挙区では野党候補を推薦、支持、応援する。接着剤、緩衝材的な緑の党の役割は変わらないと思うが、永田町の数合わせではなく、社会の構造を本質的に変えることを志向している。

 次稿で改めて記すが、東京選挙区での出馬に向け、三宅洋平氏と市民グループは膝を詰めて半年余り協議してきた。緑の党の国際会議、総会にオブザーバーとして参加した三宅氏だが、説得力ある理由を幾つか挙げ、立候補要請を固辞する。そこで手を挙げてくれた佐藤さんを推すのは、当然の成り行きである。

 今回のキックオフでは、宇都宮健児、三浦まり、井筒高雄の3氏がそれぞれの立場でスピーチした。宇都宮氏は様々なポイントを挙げていたが、違憲訴訟を起こした供託金問題について時間を割かれた。治安維持法と併せて施行された普通選挙法が現在も生きている。貧困率は16%で、年収300万以下の世帯が増え続ける今、地方区での供託金が300万円ということは、「中下流層は選挙に出るな」という〝お上〟の意志の反映だ。先進国並みの供託金(0~数万円)で意思表示できる制度を作ることが、自由と民主主義のスタートラインといえる。

 上智大教授の三浦氏は女性差別を前面に語られ、元自衛隊レンジャー部隊の井筒氏は戦争の痛みを心身両面から語る。その後も女性問題に取り組んでいる方々が壇上に立ち、メッセージが読み上げられる。永田町の地図でしか政治を語れない人は、〝コップの中の嵐〟と嗤うかもしれない。かくいう俺も、女性問題についてさほど考えたことがなく、自身の不明を恥じるばかりであった。意志の力が伝播すれば、コップは次々に割れるだろう。

 佐藤さんのチャレンジが女性たちの共感を呼び、ひいては俺みたいな〝意識の低い男性〟を変えていくことになれば幸いだ。あらゆる差別や偏見を克服し、公正で調和が取れた社会に向け歩んでいきたい。

 マイケル・ムーアいわく、<民主主義を維持するためには、全ての市民は活動家になるべき>……。能書きは垂れる俺だが、ぬるい市民生活に埋没してきたことに後ろめたさを覚えている。仲間と共にまずは供託金問題から〝活動〟に取り組もうかと考えている。
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「罪悪」~シーラッハが問い掛ける人間の尊厳

2016-06-12 19:27:19 | 映画、ドラマ
 「アリ枕PART3」から。今回のテーマは、なぜキンシャサの奇跡が起きたか……。キーワードは<敬意と畏れ>だ。徴兵拒否で王座を剥奪されたアリは、充実期(25~28歳)の3年7カ月、ブランクを余儀なくされる。明らかにスピードと切れを失っていたが、引き替えに最良の武器を得た。

 フォアマンはフレージャーを2回KOで下した〝キングストンの惨劇〟を、「怖かったから早い決着を目指した」と振り返っていた。だが、アリを苦しめたノートンを2回KOで下したこともあり、<敬意と畏れ>が薄らぎつつあった。一方のアリは己の弱さを知っていた……。「何回もつか」の下馬評をアリが覆したのは、神の配剤といえぬこともない。

 前稿で紹介した「世界侵略のススメ」で、欧州諸国の民度の高さを痛感した。憎悪の連鎖を断ち、人間の尊厳を守る手段として、死刑廃止が位置付けられている。アイスランドではマネーゲームで国を傾けた財界人たちが国外追放処分になり、ドイツでは首脳が過去の反省を繰り返し表明している。

 翻って日本では、甘利前経再相が免罪され、舛添都知事も「法的に問題はない」と逃げ切りを図っている。法の下の正義も、法を超える正義(良心や倫理)も壊れてしまったから、刑事ドラマも総じて薄っぺらい。もちろん、例外はある。「警視庁捜査一課9係」の「追憶の殺人」(6月8日放送)は、人間の心の深奥に迫る秀逸なストーリーだった。

 「AXNミステリー」で再放送された「罪悪~ドイツの不条理な物語」(全6話、フェルディナント・フォン・シーラッハ原作)の録画を一気に見た。シーラッハは刑事弁護士としての経験を踏まえたデビュー作「犯罪」(2009年)で、世界で最も注目を浴びる作家になった。別稿(14年6月)で感想を記した「犯罪」と「罪悪」に、微妙なトーンの違いを感じた。ともに原作を読んでいないから、ドラマ限定の話になるが……。

 「犯罪」のレオンハルト弁護士は冷静かつ狡猾で、依頼人が無実かどうかなど気に留めず、黒を白と言いくるめる。「罪悪」のクロンベルク弁護士は対照的にナイーブな性格だ。自省と悔恨が表情に滲み、<法を超える正義>に価値を置いている。その信条は<罪を量るのは難しい。人は幸福を追い求めるが、時に道を踏み外す。その時、無秩序(カオス)を防ぐのが法律。しかし法は薄氷、下は冷水。割れれば死ぬ>のラストのモノローグに表れている。

 「故殺」=一時的な感情で人を殺すこと、「謀殺」=計画的に人を殺すこと……。後者の方が厳しく裁かれるが、境界は必ずしも明快ではない。故殺であれば正当防衛と見做され、無罪判決を勝ち取ることも可能だ。第1話「DNA」で、クロンベルクは夫婦の贖罪意識に踏み込めず、〝法という薄氷〟が割れてしまった。逆に、第5話「清算」では、結審後に目の当たりにした真実で、勝利の美酒はたちまち苦い泡になる。

 第2話「ふるさと祭り」は駆け出しの頃のエピソードで、クロンベルク自身の青春の痛みが描かれている。親友ヤコブとともに集団暴行犯の弁護団に加わったクロンベルクだが、自らの提案が結果として、法の下、そして法を超える正義を併せて汚すことになった。容疑者である楽団員たちは普通の家庭人で犯行時、ペイントで素顔を隠していた。集団に埋没して少女を暴行する行為に重なったのがファシズムだ。匿名性に紛れ込めば人が悪魔になり得ることを、作者は示したかったに違いない。

 美術教師の死を巡る第3話「イルミティ」で、クロンベルクは友人の依頼で寄宿学校の弁護を担当した。近い将来の悲劇を見越したクロンベルクは結審後、禁忌を破る。〝家族という牢獄〟から天才少年を救おうと試みたのだ。第4話「間男」は「藪の中」(芥川龍之介)を彷彿させる内容で、中年夫婦のセックスが描かれる。クロンベルクは殺人未遂犯の妻(弁護士)にあしらわれた感もあるが、結末は冷水ならぬ暖流だった、

 全編を通して感じたのは、クロンベルク役のモーリッツ・ブレイブトロイを筆頭に、俳優陣の表現力だ。登場人物の心象風景も巧みにちりばめられていたが、典型的なのが第6話「雪」だ。売人の罪を被る老人、別れが運命付けられたレバノン人とポーランド人の若い男女が心を紡ぐ。余韻が去らない物語だった。

 司法と警察による容疑者、被疑者への温かさの背景にあるのは、人間の尊厳という価値だ。警察と刑務所の在り方こそ、国の自由と民主主義を量る物差しだ。日本とドイツとの差に暗澹たる気分にさせられたドラマだった。
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「世界侵略のススメ」~マイケル・ムーアに勇気づけられる

2016-06-08 23:55:24 | 映画、ドラマ
 まずは「アリ枕PART2」から……。アリ、フレージャー、フォアマンが3強を形成した1970年代前半は、ヘビー級の黄金期だった。当時を思い出すと、ノスタルジックな気分になる。亡き父、そして今はケアハウスで暮らす母とテレビ観戦した記憶が甦るからである。

 高1の冬、フレージャーがフォアマンに6度マットに這わされ、王座から転落する。父は「こんな強い奴は見たことない」と、攻防のバランスが取れたフォアマンに驚嘆していた。高3の秋には、母と「キンシャサの奇跡」を観戦した。アリの個性を嫌っていた母だが、あまりに一方的な展開に同情していた。一転した結末に、母は絶句していた。 

 先週末、荻窪で参院選東京地方区に立候補する佐藤かおりさん(女性と人権全国ネットワーク共同代表)の街宣に参加した。各党エース級に加え、田中康夫氏もおおさか維新から出馬する。厳しい闘いになるが、セクハラ裁判で労災認定基準の改善に風穴をあけ、女性のための労組を立ち上げた佐藤さんこそ、今の日本に必要な人間だと確信している。

 アメリカを牛耳る1%の意を受けたAP通信とNBCが選挙戦のさなか、特別代議員を個別に取材し、<クリントンで決まり>の流れをつくった。1%にとってトランプは与しやすいが、構造を根底から覆しかねないサンダースは極めて危険な存在だ。主要メディアもその主張を取り上げることは少なかった。

 サンダースの同伴者といっていいマイケル・ムーアの新作「世界侵略のススメ」(15年)を先日、日比谷で見た。鋭い刃を毒とユーモアでくるんでいるのはお約束といえる。タイトルは仰々しいが、<侵略>の目的は、各国の優れた制度と発想を持ち帰り、<改革>のきっかけにすることだ。現在の日本に違和感を抱き変革を志す方には、示唆に富んだ作品である。

 ムーアが最初に訪ねたのはイタリアだった。膨大な日数の有給休暇を享受する労働者に、生きること、働くことのバランスを考えさせられる。労使協調という意味では、週36時間労働が厳守されているドイツも同様だ。上司は休暇中の部下に連絡することを禁じられ、経営への労働者参画が制度化されている。〝バラ色過ぎる隣の芝生〟というべきだが、発想の根底にあるのは水平思考だ。お互いの尊厳を守り、共生することが人生の最大の価値とする考えが根付いている。

 ムーアはフランス、フィンランド、スロベニアの教育現場で衝撃を受けた。フランスの小学校で、ムーアは子供たちと一緒に給食を食べる。アメリカでは学校にもファストフードが進出しているが、フランスでは健康に留意した料理がリーズナブルに供される。給食の時間はマナーと文化を学び、多民族が交流する場になっている。

 世界最高の教育レベルを誇るフィンランドでは授業時間が極めて短く、個々の創造性と想像力を伸ばすべく工夫されている。人間性を涵養する課外活動も奨励されていた。学費が無料のスロベニアの大学で、ムーアはアメリカからの留学生を取材していた。日本でも卒業後の負担が大きい奨学金がクローズアップされているが、若者の貧困こそ戦争する国(徴兵制)への前提と指摘する声もある。舛添都知事を筆頭に、日本では学歴と教養の乖離が夥しい。フィンランドに学ぶべき点は多々ある。

 ムーアはポルトガルとノルウェーで、罪と罰の在り方を見据える。ポルトガルではあらゆる薬物が合法だから、清原も無罪ということになる。その結果、薬物使用は急激に減った。ノルウェーの凶悪犯専用刑務所では、人権尊重が徹底されていた。アメリカでの看守の凄まじい暴力がカットバックされ、その国の民主度を測る最適の物差しが監獄であることを端的に示していた。ちなみに両国では、犯罪者にも投票権がある。ポルトガルの警官3人が別れ際、ムーアを待ち受けて、「死刑廃止が民主主義の条件」と話しかけた。戦争法案に反対している人たちの何割が死刑廃止論者だろうかと、ふと考えた。

 チュニジアの女性進出、アイスランドの男女平等も重要な問い掛けだった。アイスランドでは経済破綻に導いた責任者を追放処分に科す。再建に貢献した女性たちは「男性的な投機的発想が国を滅ぼす」と話していた。自由と民主主義にとって女性が果たす可能性の大きさを実感した。

 ムーアの最高のお土産は<自身の罪を見据え、二度と過ちを犯さない>と繰り返し誓うドイツの姿勢だった。俺は本作を見て、「日本はどうにもならないか」と暗澹たる気分になったが、ラストで希望を抱いた。ムーアは友人とともにベルリンの壁を訪ね、「絶対に倒れないはずだったのに、みんなの力であっけなく壊せた」と述懐する。意志あるところに道は開けると勇気付けられた。
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「バラカ」~PJハーヴェイを聴きながら、桐野夏生の濃密な世界に浸る

2016-06-05 22:42:20 | 読書
 モハメド・アリが亡くなった。享年74歳である。ブログ冒頭で、アリへの思いを数回にわたって記したい。今稿は「アリ枕PART1」で、まずは不世出のボクサーで、同時に革命家だった男の死を悼みたい。瞠目させたのは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」スタイルだった。ローマ五輪ライトヘビー級の金メダリストだったアリは、体格的に分が悪くなることを想定した上で、距離を取って闘う戦略を確立したのだろう。

 <不利を被ることが確実でも、自らの信念を伝え、貫く>アリの姿勢に世界が共感する。日本ではいまだに集団への埋没、空気を読むことが求められる。自身を顧みても、20年の勤め人時代、政治集会やデモに参加したのは数回だけで、そのことを職場では話さなかった。個として考え、行動することを体現したアリに、日本人が学ぶべき点は多い。

 還暦間近ともなると、ロックアンテナの感度は鈍る。馴染みのアーティストの作品を読書のBGMとして聴くのが、最近のロックとの接し方だ。今年になって購入したCDは数枚だが、そのうちの一枚がPJハーヴエイの新作「ザ・ホープ・シックス・デモリッッション・プロジェクト」である。

 「ストーリーズ・フロム・ザ・シティ、ストーリーズ・フロム・ザ・シー」(2000年)は私的「オールタイム・ベストテン」に入る作品だが、「レット・イングランド・シェイク」(11年)に明らかな変化が窺えた。英国の歴史と現状を俯瞰し、ロックという形式から解放されたPJは、自然体で問い掛けていた。

 延長線上にあるのが「ザ・ホープ――」で、アフガニスタン、コソボ、ワシントンDCを巡る旅で感じた世界の矛盾と混沌を、ルーツミュージックに根差した実験的な試みで軽やかに表現している。エキセントリックかつスキャンダラスな女性シンガーとして登場して25年、PJは深化、進化し、独自の世界観を獲得した。

 PJの全アルバムを聴きながら、桐野夏生の「バラガ」(16年、集英社)を読んだ。PJと桐野の情念、憤怒、悲しみ、心象風景がシンクロし、相乗効果となってページを繰る指が軽くなった。とはいえ、桐野は馴染みの作家ではない。読んだのは「OUT」と「グロテスク」で、映画「魂萌え!」を見た程度の付き合いだから、作家の本質を論じるには無理がある。「バラガ」の下敷きと思しき「ポリティコン」が未読なのが悔やまれる。

 作品の背景は、東日本大震災と原発事故だ。放射能汚染は現状より甚大という設定で、首都圏も過疎になり、首都が移転した大阪で五輪が開催される。「バラガ」はアラビア語で「神の恩寵」と意味だが、主人公の本名ではない。ある。編集者の沙羅、テレビ局ディレクターの優子、両者と旧知の川島……。群馬県O市で暮らす日系ブラジル人、パウロとロザの若夫婦と「聖霊の声」教会のヨシザキ牧師……。放射能危険区域でバラカを発見した「爺さん決死隊」の豊田と村木、そして反原発活動家の双子の兄弟……・

 三つの人脈が交錯し、横軸は東京、横浜、O市、三陸沖、福島、岩手、宮古島、さらにブラジル、ドバイへと広がっていく。大震災の数年前から8年後に縦軸が伸びる過程で主人公の名はミカ、バラカ、光、薔薇香へと変わり、物語は濃密になっていく。読み進むにつれ、作品、いや作者への親近感が増していく。俺自身の国家、組織、集団への距離感、日本で進行中の様々な出来事への絶望と重なるからだ。

 「バラカ」では棄民国家日本の実相が抉り出されている。被災地復興より五輪開催が優先され、被曝の真実は機密扱いになる。反原発活動家は徹底的に弾圧され、移民への暴力は看過される。国の尖兵として原発再稼働を推進するのが川島だ。前半で悪魔的に描かれる川島は、人間的な感情を持たない。

 幼くして流浪を余儀なくされ、辛い別れを幾つも経験してきた薔薇香は、物事と人間の本質を見抜く力を、まさしく神の恩寵として備えていた。甲状腺がんと闘う美少女は<反原発のシンボル>としてネット上で拡散する。薔薇香が元気に暮らす姿は、「放射能の安全性」を唱える政府にとって格好の宣伝材料だ。川島の悪魔性は、国家という〝巨大な悪のシステム〟に組み込まれることによって、次第に褪せていく。

 ロザ、沙羅、優子、サクラ、シイラなど本作を彩る女性たちは、恐らく作者自身の生理を反映している。むろん、薔薇香に愛情を注ぐ者、愛情を覚えず捨て去る者、利用する者、管理する者、手に負えなくなって見放す者たちが、回転軸になって物語を加速させる。女性に憎悪を抱く川島は、実は男という存在に不信を抱く作者自身の裏返しではと、深読みしてしまった。

 読了後、様々な感情が混淆して沸き立ってきた。高揚感にデジャヴを覚えが、誰の作品だったろう……。手を打ったのは高村薫の小説だった。桐野と高村は同世代の女性で、ある時期まで<ミステリー作家>に括られていた。両者はともに深化、進化し、現在の異なる高みに到達した。高村の最新作「空海」も年内に読むことにする。
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「カラヴァッジョ展」を文学的に鑑賞した

2016-06-02 21:53:01 | カルチャー
 佐藤天彦八段が羽生善治名人を4勝1敗で下し、14年ぶりに新名人が誕生した。佐藤は竜王1期の糸谷哲郎八段と奨励会時代からのライバルで、年齢も同じ28歳だ。王位1期の広瀬八段、稲葉八段、豊島七段ら同世代の俊英も、負けじと牙を磨いている。活性化は将棋界のレベルアップに繋がるはずだ。名人陥落から中2日、羽生3冠は棋聖戦で永瀬六段(23)の挑戦を受ける。若手のターゲットになるのは第一人者の宿命だ。

 オバマ大統領の〝広島訪問効果〟で内閣支持率がアップした。当ブログで繰り返し<オバマは死の商人>と記してきた俺など絶句するしかない。「デモクラシーNOW!」ではカイ・バード(歴史家、ピュリツァー賞受賞)が、オバマの核戦略を批判していた。今後30年、保有核兵器をダウンサイズし精密にするプロジェクト(総額1兆㌦)を置き土産に、ホワイトハウスを去るという。

 Youtubeで「ノルマンジー上陸作戦70周年記念式典」の映像をご覧になった方も多いだろう。原爆投下シーンへの各国首脳の反応が印象的だった。独メルケル首相はうつむき、露プーチン大統領は哀悼の意味を込めて十字を切る。笑みを浮かべて拍手していたオバマ大統領の本性に愕然とする。

 先週末から今週にかけて、カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)、モグワイ(EX シアター六本木)とアートに親しんだ……と書くつもりが、とんでもない勘違いをしていた。チケット申し込み時からモグワイのライブを31日と思い込んでいたが、1日前の30日だったことに当日夜、気付く。

 〝史上最高のポストロックバンド〟と評されるモグワイの昨年のライブでは、予習不足で音が染み込んでこなかった。次回(即ち今回)は聴き込んでチャレンジすることを誓った。最新作「アトミック」(16年)は、BBCでオンエアされたドキュメンタリーのサントラをリワークした作品で、スクリーンに流れる映像に合わせ、バンドが演奏するスペシャルライブと予告されていた。

 オバマ大統領が拍手した原爆投下シーン、チェルノブイリと福島の原発事故、放射能汚染の現実、反原発デモの映像がメーンで、モグワイはメッセージを伝えることを主眼に、劇伴演奏に徹した70分だったと「ロッキング・オン」誌のHPに記されていた。今回の失敗はここ数年で一番の痛恨事といえるだろう。

 当初は枕がカラヴァッジョ展、メーンがモグワイだったが、入れ替えるしかない。とはいえ美術はチンプンカンプンで、何を書いても的外れになる。しかも、鑑賞したのが先週末だから、記憶は剥げ落ちている。仕方ないから、〝文学的〟に印象を綴ることにする。

 会場にはカラヴァッジョが影響を与えた画家たちの作品と合わせ、51作が展示されていた。作品と向き合った2時間弱、モグワイが俺の脳内に流れていた。混沌と昇華、闇と光、静謐と狂おしさ……。これらのアンビバレンツが両者の共通点といえる。作品の解説を読むうち、カラヴァッジョそのものに興味が湧いてきた。自画像は、三國連太郎に似ている。三國が演じた「飢餓海峡」の犬飼は殺人者であり、逃亡者でもある。まさしく、カラヴァッジョのように……。

 カラヴァッジョは若い頃から地獄を見てきた。ペストで家族を失い、宗教改革を巡りプロテスタントが処刑される血なまぐさいシーンを目の当たりにしている。短気な暴れん坊で、殺人(偶発的とも思えるが)だけでなく数多くの刑事事件で逮捕されている。今風にいえば、パンク、いや、ギャングスターのラッパーといった趣だ。反逆を体現する青年が、写実を追求する宗教画家たりうるだろうか。教会やリッチなパトロンに絵を捧げながら、心の中で「アッカンベエ」していたのではないか……。

 そんな思いつきに囚われると、俺の妄想は止まらなくなる。全てが怪しくなるのだ。「バッカス」や「メドゥーサ」など、描かれている人物はどこか中性的だ。聖者の表情に狡猾さが滲み、その肉体は決してストイックではない。キリストは意外なほど地味に登場する。今回のハイライトになった「法悦のマグダラのマリア」は官能的でエロチックだ。

 醸し出す空気は、別稿(3月29日)に記した「フェルメールとレンブラント~17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」展(森アーツセンターギャラリー)で展示された絵と混淆していく。カラヴァッジョを読み解くキーワードは、レンブラントと同じく<光と闇>で、前者の影響がイタリアからオランダに伝わった可能性もあるのではと、素人なりに考えた。

 慟哭、祈り、絶望、救済、不可視と可視の曖昧な境界、そして内なる神と悪魔……。カラヴァッジョは葛藤を抱えながら、生と死の狭間で絵筆を執り続け、38歳で逃亡生活のさなか、熱病で斃れる。その人生と作品が謎めいているからこそ、人々を惹きつけるのだろう。俺はようやく、迷路の入り口に立ったばかりだ。
コメント (2)
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