酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」~愛と宿命のスペクタクル

2021-11-29 20:14:46 | 映画、ドラマ
 人は老いて先祖返りするという。週1でランチを食べる居酒屋では、有線から1970~80年代の歌謡曲やフォークが流れている。吉田拓郎や甲斐バンドに心潤むことは度々だが、最近では「ざんげの値打ちもない」や「喝采」に涙ぐんでいる。ロックで剥ぎ取ったウエットな感性が、クチクラ化した表皮に漏れ出しているのだ。
 
 ヤクルト、オリックスの健闘に野球少年だった頃の熱が甦った。両チームのポイントは育成力で、とりわけオリックスには今後数年間、チームを支えていきそうなメンバーが揃っている。今回はヤクルトの分析力が上回ったが、息詰まる接戦に野球の面白さを再認識した方も多かったと思う。

 「ドクターX」の予定調和的なストーリーに、かつて楽しんだ時代劇の爽快さを思い出している。年金生活間近の俺はともかく、テレビでドラマを見ない若い世代への対応は進んでいるはずだ。世代、国・地域によって好まれるエンターテインメントの質は変わると思う。

 映画界も普遍的なエンターテインメントを追求している。新宿で先日、英米合作「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(21年、キャリー・ジョージ・フクナガ監督)を見た。俺はブログで「2人の10代の女の子、グレタ・トゥーンベリとビリー・アイリッシュが世界を牽引している」と記したことがあるが、主題歌を担当したのはビリー・アイリッシュだった。

 トゥーンベリについては肯定的に言動を紹介してきたが、アイリッシュの曲は聴いたことがなかった。あまりのもてはやされ方にひねくれ者の俺は〝怪しさ〟を感じていたが、自身の不明を恥じた。先祖返りは時に、アンテナが錆び付いたがゆえの劣化に通じる。俺の感性は摩耗していたのだ。

 アイリッシュの歌唱法を〝オルタナ風脱力感〟と勝手に想像していたが、兄フィニアスと共作する彼女は、繊細でソプラノのハスキーボイスを操る〝大人の歌手〟だった。世界をシンクロする本作のテーマは歌詞に刻まれた通り、宿命的な愛と絆であり、人間に潜む不信と疑惑だった。

 俺が映画館で「007」を観賞したのは、ジェームズ・ボンドをロジャー・ムーアが演じた「死ぬのは奴らだ」が最初で、その後は「スカイフォール」、「スペクター」、そして本作が4作目になる。つまり、ダニエル・クレイグこそが俺にとってのジェームズ・ボンドといえる。

 封切り終了間近だが、DVDやテレビでご覧になる方は多いと思うので、ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。ボンド(クレイグ)は引退し、マドレーヌ(レア・セドゥ)と風光明媚なイタリア・マテーラを訪れた。ボンドとマドレーヌは秘密を抱えていた。ボンドはかつて愛したヴェスパー・リンドの存在、一方のマドレーヌはかつて敵スペクターの娘であること。当地にあるヴェスパーお墓を参った時、襲撃される。

 残念だったのは「スペクター」から6年のブランクがあったこと。前作のラストでボンドはマドレーヌとロンドンを去っていく。本作の冒頭でマドレーヌの幼い頃の記憶が提示され、本作は次回作の予告編になっている。M16で新たに「007」の番号を割り当てられ、次回作以降、クレイグを引き継ぐノーミ(ラシャーナ・リンチ)が登場する。エンドタイトルの最後に「ジェームズ・ボンドは帰ってくる」……。

 アクシシデント続きで、ダニー・ボイルと脚本家が降板した。コロナ禍で、シナリオも変更されたと推察され、細菌兵器を巡り、ボンド、M16トップのマロリー(レイフ・ファインズ)、ボンドの盟友ライター(ジェフリー・ライター)、敵役のサフィン(ラミ・マレック)、プロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)ら豪華なキャスティングで盛り上げる。007御用達の中南米が頻繁に事件の現場になる。

 国としての〝ヒール〟はロシアで、マッドサイエンティストはロシア出身という設定だ。最終決戦の舞台が北方領土なのは興味深い。グローバルな舞台設定と心の迷路……。極大と極小のアンビバレンツで紡がれたエンターテインメントを堪能した。

 あしたは朝に仕事をした後、2泊3日で入院する。本作のタイトルを和訳すれば「死ぬ暇などない」だが、俺いは死ぬまでどれほどの時が残されているだろうか。
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星野智幸著「植物忌」~浸潤と循環の果てにある多幸感

2021-11-25 22:03:53 | 読書
 来し方を振り返ると、俺は口舌の徒、嘘つきで、話を盛り続けてきた。〝瞬間ごまかし器〟を自任しているし、周囲を不快にさせたこともある。遠からず地獄に堕ちて閻魔様に舌を抜かれることになるだろう。ブログにも怪しい点だらけだ。「自然との調和」や「生物多様性」を説いているが、果たして本音は?

 幼い頃、のどかな園部町(現南丹市)から京都市内に移り住んだ俺は、自宅近くの広大な団地群に未来を見た。<自然>より<人工>が俺に刻まれた瞬間である。上京して新宿の高層ビル群を見上げながら歩いた時も、気分が高揚するのを覚えた。

 心身ともボロボロなのに、サラリーマン的な<効率>に縛られている……、そう実感させてくれる小説を読んだ。〝小説界のファンタジシスタ〟こと星野智幸著「植物忌」(2021年、朝日新聞出版)だ。キャッチフレーズに相応しい実験的かつ前衛的な手法を用いた例を挙げれば、読む者を出口のない迷路に閉じ込める「無間道」(07年)だ。単行本と自選コレクションⅢ「リンク」収録時では章立てが入れ替わっていた。星野が<循環>を志向していることの表れといっていい。

 俺が現在の日本作家で最も星野に魅せられているのは、<循環>に加え、<アイデンティティーの浸潤>を志向しているからで、今回紹介する「植物忌」にも星野ワールドの神髄が隅々に瑞々しくカラフルに行き渡っている。11作からなる短編集だが、興味深いのは番外編「あまりの種――あとがき」だ。全編にちりばめられた「からしや」と作家自身を擬した青年が登場する。

 8作は10年以上も前に発表されており、そのうち5作は植物雑誌「PLANTED」(既に廃刊)に掲載された。同誌の編集長だった縁で、いとうせいこうは帯に<植物へ植物へ、ヒトが溶けて滲み出す。これは多方面的で悦ばしい『変身』の群れ。>と綴っている。 俺は<自然との調和>とかもっともらしく書いてきたが、その前提は<自然とは意識的に育まれ、保護されるべき>との〝思い上がり〟に他ならない。星野にとって人と植物は同じ地平で浸潤し、互いを補完するべき存在なのだ。

 ♯1「避暑する木」、♯2「ディア・プルーデンス」、♯11「喋らん」はコロナ禍を背景に最近発表された作品だが、他の作品と併せて読んでも違和感はない。「避暑する木」に描かれた人-植物-犬の輪廻、一体化に重なるのが「アルカロイド・ラヴァーズ」(05年)だ。同作では人間への転生は罰でしかない。ビートルズの曲名をタイトルにした♯2「ディア・プルーデンス」はコロナ禍の反映で、疫病が蔓延した世界で引きこもる少女と、人間から青虫に生まれ変わった主人公との距離を描いたメルヘンだ。

 人間界は限界を超え、滅びへと向かっている……。これが本作の基調になっている。人間と植物の間で〝綱引き〟が行われるが、植物化した人間は性欲を喪失し、多幸感に耽溺し、死ぬのではなく枯れていく。脳と心臓によって生かされるのではなく、枯れることで子孫を残していくのだ。

 人間と植物の境界が曖昧になっていく。♯4「スキン・プランツ」では草木を皮膚に植えるうちに人間が植物化する。植物系というとサラサラ淡泊なイメージだが、本作では濃密で積極的だ。♯10「桜源郷」では近未来、かつての花見を追体験しようとした恋人たちが桜の木に吸い込まれていく。

 ♯7「ひとがたそう」と♯8「始祖ダチュラ」では浸食してくる植物を食い止めようと結成されたネオ・ガーデナーが奮闘するが、敗色濃厚だ。♯11「喋らん」では喋る植物によって人間が言葉を失い、優位のはずの人間が溶け出して零れていく。狂気、生命の連なり、人間と植物との対話とバラエティーに富んでいるが、ユーモア溢れる民話のような♯9「踊る松」が印象的だった。

 星野は現在の日本に危機感を抱き、<主体であることを放棄した社会では、民主主義は維持できない>と考えている。本作のように、個としての人間ではなく、層や相としての植物として連帯して生きることが、日本人に適しているのかもしれない。
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アメリカの闇を穿つ「モーリタニヤン 黒塗りの記録」

2021-11-21 21:19:25 | 映画、ドラマ
 古葉竹識さんが亡くなった。小学生の頃から巨人ファンだったが、同郷の衣笠に魅せられ、10代最後の年から広島に肩入れするようになる。高橋慶、山崎、正田をスイッチヒッターに育てるなど機動力を重視した古葉さんは1987年、大洋監督に就任する。結果を残せず3年で退任したが、俺は居残って今もベイスターズを気に掛けている。俺の野球ファン歴に関わる野球人の死を悼みたい。

 旧聞に属するが、NFLレイダースのジョン・グルーデンHCが辞任した。黒人、女性、同性愛者への差別的な表現を含むメールを10年間、知人に送ったことが原因だった。ペイトリオッツのベリチックHDとQBブレイディ(現バッカニアーズ)はトランプ支持を公言していたが、戦争に擬せられるNFLに熱狂するファンの多くは保守的(共和党支持)なのかもしれない。

 新宿で先日、英米合作「モーリタニヤン 黒塗りの記録」(2021年、ケヴィン・マクドナルド監督)を見た。10月末に公開されたばかりなので、ストーリーの紹介は最小限に、感想と背景を記したい。

 起点になるのは米国同時多発テロの2カ月後だ。モーリタニア人のモハメドゥ・オールド・サラヒ(タハール・ラヒム)は現地警察に連行され、米国に送られる。行き先はブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官肝いりのグアンタナモ収容所だった。サラヒはアルカイダのリクルーターとして活動したとの疑いを持たれていた。

 ラヒムは俺が2012年度ベストワンに挙げた「預言者」(ジャック・オーディアール監督)に主演し、その名を世界に知らしめたアルジェリア系フランス人だ。ベネディクト・カンバーバッチは黒塗りのまま出版されたサラヒの手記に衝撃を受け、映画化に着手する。協力したのはジョディ・フォスターだ。

 カンバーバッチは海兵隊検事スチュアート・カウチ中佐役で、サラヒを死刑に宣告することを軍上層部に義務付けられている。フォスターは人権派として知られるサラヒの代理人ナンシー・ホランダー弁護士役だ。ラヒムは微妙な心情を表現する演技で、英米トップスターと渡り合っていた。ホランダーの事務所の後輩テリ・ダンカン(シェイリーン・ウッドリー)は<正義とは何か>を自問自答しつつ揺れていた。

 政府、軍、司法省、ペンタゴン、諜報部門が複雑に絡み合っていることが窺えるが、俺の知識では明快に解きほぐすことは出来ない。超法規的で非人道的な同収容所がアメリカの闇というべき存在であることは、様々なデータが示す通りだ。囚人の多くは証拠不十分で訴追されず、結果的に釈放される。サラヒが執拗に尋問されたのは、飛行機乗っ取り犯を組織に誘ったという容疑を掛けられたからだ。

 アメリカは中国・新疆ウイグル地区の弾圧を非難するが、グアンタナモについては沈黙している。後半に真実が明らかになるが、オバマ元大統領もサラヒに冷たかった。民主、共和を問わずアメリカの支配層は冷酷で執念深い。前々稿で紹介した「夜の谷を行く」(桐野夏生著)の主人公の啓子は40年前、米軍施設に放火した。啓子は姪の結婚式でサイパンに向かうことを諦める。米国内に足を踏み入れれば確実に逮捕されるという周囲の忠告に従ったからだ。

 対極に位置するカウチとホランダーには共通点がある。憲法に則り、日本の官僚のように忖度はしないことだ。加えてカウチは敬虔なクリスチャンでもある。周囲の者も良心に従い、自身への圧力を恐れずカウチとホランダーをサポートする。国家の闇を照らすことを恐れぬ人々の勇気に希望を覚えた。

 「MINAMATA」はジョニー・デップ、そして「モーリタニヤン 黒塗りの記録」はカンバーバッチとフォスターによって日の目を見た。俳優たちは演じるだけでなく、志で映画に関わっていることを再認識させられた。
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「花椒の味」~痛みと辛さが混ざり合ってマイルドな舌触り

2021-11-16 20:34:42 | 映画、ドラマ
 世界でコロナ新規陽性者数が急増している。欧州では先週、死者数が2万7000人以上を記録したが、東京では一昨日22人、昨日7人、今日15人……。あらゆる点で世界標準と真逆の日本だが、第6波に向けた推移を見守りたい。

 藤井聡太3冠が豊島将之竜王に4連勝して4冠を達成した。俺もABEMAでチェックしているが、AIを超える藤井の強さに解説陣が感嘆する場面を目の当たりにする。NHK杯では深浦康市九段が藤井を一気に押し切ったが、持ち時間の長いタイトル戦や順位戦では修正が利く。終盤の切れ味に加え、序中盤での進境が著しい藤井を止める棋士は現れるのだろうか。

 新宿で先日、香港映画「花椒の味」(2019年、ヘイワード・マック監督)を見た。民主化を要求するデモが香港で初めて起こったのは19年3月で、本作が公開されたのは同年9月だ。舞台は香港、中国(重慶)、台湾で、後景に政治的な作意が織り込まれているかもしれないが、俺の知識では理解するのは難しかった。ちなみにタイトルの〝花椒〟は「ホアジャオ」と読み、中国料理に使われる山椒の一種である。

 火鍋料理店を経営するリョン(ケニー・ビー)の死を知らされた3姉妹を軸に物語は進行する。主人公は長女ユーシューで旅行代理店社員だ。演じたのは俳優・歌手として絶大な人気を誇るサミー・チェンだ。音信不通だった2人の異母妹と葬式で出会う。父リョンの波瀾万丈の人生の産物だった。

 母3人はリョンとの確執もあり参列せず、3姉妹は心に隙間を抱えていた。ユーシューは父、そして元婚約者クォック(アンディ・ラウ)と。次女のルージー(メーガン・ライ)は母(リウ・ルイチー)、三女ルーグオ(リー・シャオフォン)は同居する祖母(ウー・イエンシュー)と折り合いが悪い。

 ユーシューは仕事に行き詰まっており、ルージーはビリヤードプレーヤーとして壁を感じている。ルーグオは定職と結婚から外れていた。孤独と焦燥に囚われた3姉妹はそれぞれ個性的だ。知的で落ち着きのあるユーシュー、意志の強さが滲み出るルージー、そして髪を赤く染めたルーグオは、父リョンが残した店を継承するため力を合わせる。3人の心をを結び着けたのは〝父の生まれ変わり〟であるかのようなゴキブリだった。

 デレク・ツァン監督の「ソウルメイト 七月と安生」と「少年の君」にも感じたが、同じく香港人がメガホンを執った「花椒の味」もシャープな映像とテンポの良い音楽で、都市、とりわけ香港の魅力を切り取っていた。に家族の絆をペーストした洗練されてハイセンスなヒューマンドラマといえる。

 本作のテーマのひとつは<相手に思いをきちんと伝えること>……。ユーシューは父に愛されていなかったと思い込んでいたが、残されたテープに深い愛が刻まれていた。小さな行き違いで離れてしまったクォックとも打ち解けていく。ルージーは母、ルーグオは祖母と笑顔で話せるようになる。ラスト近くのユーシューとリョンとの〝再会〟に感銘を覚えた。

 余談になるが、言葉というのは本当に難しい。俺はお喋りが過ぎて、無用な言葉をまき散らして、周囲を不快な思いをさせてきた。なのに、伝えるべき言葉で他者と絆を紡げたという自信はまるでない。人生とは悲しいものだ。

 料理には隠し味が付き物で、リョンの味を再現しようと試みたユーシューは、偶然にもヒントを得る。台詞にもあったが、脳内で<痛さ=辛さ>と認識されているという。3姉妹の痛みは花椒の辛さと混ざり合い、マイルドな舌触りに至る。ラストは少し意外だった。監督は暗示したのだろうか。中国、香港、台湾は相寄ることが出来ないと……。
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桐野夏生著「夜の谷を行く」~時代と絆に紡がれた血色のミステリー

2021-11-11 21:17:30 | 読書
 前々稿で選挙について記した。メディア、識者の結果分析は殆ど的外れだ。毎度の話で辟易される方もいると思うが、第一の問題点は先進国であり得ない高額の供託金制度。年収400万円以下が約40%の日本で、選挙区の供託金が300万円、比例区が600万円だ。貧困層が国政選挙に立候補するのは不可能といえる。

 環境問題、格差に関心がある若者は増えている。供託金がなければ、全国的なネットワークをつくって打って出ることも射程に入るだろう。現実はといえば、1925年に治安維持法とセットで成立した普通選挙法の精神が100年後も残り、制限選挙の下、国会は貴族院になった。

 1960年代後半から70年代前半、街頭で闘いが繰り広げられていたが、国政選挙では自民党が過半数を占めていた。石川啄木が「時代閉塞の状況」を著わしたのは1910年のこと。大衆運動が社会を変革した経験がない日本では、人々、とりわけ若者はいつもの曇天を見上げて嘆いてきた。

 半世紀前、<革命>によって厚い蓋を持ち上げようとした集団があった。凄惨なリンチが明らかになり、<革命>は児戯に等しかったというのが定説になっている。連合赤軍に加わった女性を主人公にした桐野夏生著「夜の谷を行く」(2017年、文春文庫)を読了した。

 桐野の作品を紹介するのは6作目だが、鋭い切っ先は俺のふやけた脳に深い傷を印してきた。「夜の谷を行く」の主人公、連合赤軍は赤軍派、革命左派、京浜安保共闘が合流して結成される。主導権は赤軍派の森恒夫と永田洋子が握っており、指導部と被指導部の間に壁があった。

 革命左派に属していた啓子は山岳ベースに赴く。小学校教諭だった啓子、教育や看護に携わる女性たちがなぜ集められたのか……。桐野は一つの推論を提示している。永田の試みは成就せず、残酷な像を結ぶ。美貌の女性たちへのコンプレックスが総括に繋がったというのが通説で、そのうちのひとりが金子みちよだった。

 米軍施設に放火したことが評価されたのか、啓子は永田のお気に入りと見做されていた。そのことで同志たちが啓子に複雑な思いを抱いていたこと啓子は知ることになる。どうして永田にブレーキを掛けなかったのと……。啓子は君塚佐紀子と山岳ベースを脱走するが逮捕され、栃木刑務所に収監される。出所後、塾を経営し、数年前に畳んで現在は年金生活者として影のように暮らしている。

 50年前はインターネットの普及前だったが、啓子の事件との関連が明らかになるや、両親は追い詰められ、妹の和子は離婚することになる。他の同志も同様で、家族と切り離され、名前を変えて過去を清算した者もいた。啓子は他者をシャットアウトして生きている。ジムの会員になってヨガやダンスに興じ、図書館で本を借りる毎日だ。

 寡黙な生活に変化の兆しが表れる。姪・佳絵の結婚で日の当たる場所に引っ張り出されそうになるが、記憶の扉が開く気配がする。過去のメタファーとして現れるのは蜘蛛だった。永田洋子の死と3・11が過去との再会をもたらす。かつて〝政治結婚〟した久間が伝をたどって姿を見せ、新宿の喫茶店で話している時、東日本大震災が起きる。

 久間は体を壊しホームレス同然だが、死に場所を求めている。3・11が波乱の日々を呼び覚ましたのだ。啓子もまた記憶が甦り、40年前と現在がカットバックして物語は進行する。革命とは、現在の日本は、絆とは……。連合赤軍について知識はなくとも、桐野の問い掛けに対峙せざるを得なくなる。

 連合赤軍事件は一定の普遍性を持っている。オウム真理教が凶行に突き進んでいく経緯と重なるし、隠蔽や汚職を看過した官庁や企業に繋がる部分がある。なぜ啓子は永田を止められなかったか、自身への総括の波及を恐れて沈黙したなら、殺人と同義ではないか。佳絵の「おばちゃんは人を殺したの?」の問いが啓子を追い詰める。

 本作で再認識させられたのは、桐野が優れたミステリー作家であることだ。終盤に進むにつれ、啓子が意識的に封印していた事実がドラマチックに明らかになっていく。悔恨と贖罪に秘められた思いに光を当てたのは、啓子自身の血と肉だった。
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「空白」~荒野から出て白い雲を見た

2021-11-06 22:42:31 | 映画、ドラマ
 30年以上前、帰省するたび両親の健忘ぶりに驚いた。「刑事コロンボ」を何度見ても感心している姿に、「ああはなりたくない」と心の中で呟いたが、同じ年齢に達した俺の方がもっと酷い。NHKのキラーコンテンツ「岩合光昭の世界のネコ歩き」は再放送、編集版を含めBS、Eテレで週に数本オンエアされる。チャンネルを合わせ、「この猫、確か?」と記憶を辿りつつ、癒やしと和みに浸ってしまう。

 「十津川警部シリーズ」(渡瀬恒彦&伊東四朗)、「相棒」も中盤に差し掛かるまで結末を思い出せない。TBS系スカパーで発見した「隠蔽捜査」は杉本哲太&古田新太W主演の緊迫感ある警察ドラマだが、繰り返し楽しめそうだ。古田といえば「劇団☆新感線」の看板役者で、連続ドラマWの「闇の伴走者」、「闇の伴走者~編集長の条件」が記憶に残っている。

 古田と先日、初めてスクリーンで接した。蒲郡を舞台にした「空白」(2021年、吉田恵輔監督)である。「隠蔽捜査」ではユーモアラスな警察官僚、「闇の伴走者」では博覧強記の漫画編集者、そして「空白」では熟練の漁師、添田充を自然体で演じていた。言動が荒っぽい添田は、弟子の龍馬(藤原季節)に厳しく接している。前妻の翔子(田畑智子)は再婚しており、添田は一人娘の花音(伊東蒼)と暮らしている。

 「充さんが親父だったらキツイな」と龍馬の台詞にあるように、添田は花音に対し、頑固を通り越し不寛容で高圧的な態度を貫いている。花音は美術部に所属しているが、顧問の今井(趣里)に消極的な態度を注意されている。ちなみに趣里は水谷豊と伊藤蘭の娘という。

 ある日、悲劇が起きる。花音が万引を疑われ、「スーパーアオヤギ」店長の青柳直人(松坂桃李)に腕を掴まれた。逃げ出した花音を青柳が追うが、不幸なアクシデントが重なり、トラックに引きずられた花音は無残な死を遂げた。絶望に囚われた添田は「娘が万引をするはずがない」と青柳を問い詰める。

 刑事事件ではなく、学校にいじめはない。教師の対応にも過失はなかったが、添田は納得しない。誰も罰を受けていないが、人間としての罪はあるはず……そう考えた添田は青柳に迫る。ワイドショーは添田の暴力的な対応にスポットライトを当て、花音は本当に万引したのか、青柳の追跡は正しかったのかを視聴者に問う。前後を切り取った青柳の言葉が放映されたことで、スーパーアオヤギに閑古鳥が鳴く。

 英題は「イントレランス」即ち不寛容だ。企画・製作担当の河村光庸はパンフレットに<我々は〝生きづらさ〟や〝閉塞感〟とも違う、「からっぽ=空白」な時代を生きているのではないでしょうか?>と一文を寄せている。添田は娘の死でぽっかり広がった空白に戦く。青柳は父が倒れた時にパチンコに興じていて携帯の着信を無視した。

 青柳は添田に対峙出来るような自己を確立しておらず、〝からっぽ〟な自己に直面する。強弱、硬軟と好対照な添田と青柳に加え、歯車役を担っていたのが父の代からのバイト店員、草下部(寺島しのぶ)だ。草下部は「直人君は悪くない」と青柳を励まし、添田やメディアからの防波堤を買って出る。青柳への思いは母性愛と欲望の中間だろうが、青柳は<正義>を説く草下部に辟易する。草下部は社会活動、ボランティアに熱心だが、根底にあるのは恐らく孤独だ。

 添田が自身を顧みるきっかけになるのは、花音とぶつかった車の運転手とその母(片岡礼子)だ。母娘によって、添田は来し方の不寛容に気付き、生き方に変化が表れる。翔子との確執は消え、龍馬とは疑似父子になる。青柳とも和解の道筋が見えた。ラストには花音との絆、<白い雲>が浮き彫りになる。

 添田の台詞「どうして折り合いをつければ……」が印象的だった。人は誰しも近しい者の死に直面する。苦しくても、死者の記憶とともに生きていかなければならない。死と生、そして絆について考えるヒントを与えてくれる秀作だった。
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民主主義の夜明けは遠く~総選挙の結果に感じたこと

2021-11-02 22:53:40 | 社会、政治
 衆院選投開票日の前日(10月30日)、藤井聡太3冠が豊島将之竜王を破り、4冠に王手を掛けた。天下無双の藤井を翌日放映のNHK杯で完膚なきまで叩きのめしたのが深浦康市九段である。研究に裏打ちされた積極的な手順で終始攻め抜いたベテランの底力に感嘆した。

 将棋と政治とは関係ないが、何かの予兆では……。そんな風に感じたが、衆院選の結果は想定内の中でも最悪で、暗澹たる気分に沈んだ。自民党は議席を減らしたが、安倍-菅政権下の私物化にお灸を据えられた程度。深刻なのは立憲民主党で、野党統一候補で自公に挑んだ枝野代表は辞任に追い込まれる。大幅増の維新と国民民主党が手を携え、いずれ自民党の補完勢力になるだろう。

 永田町の地図には関心がないが、<多様性と国際標準>がこの国に根付くことに希望を抱いている。<多様性と国際標準>の指標を具体的に示せば9月末に投開票されたドイツ連邦議会選挙になる。投票率が77%(衆院選56%)、当選者の平均年齢は47歳(同56歳)、女性議員は33%(同10%)で、移民系議員が11%を占めた。

 日独両国、いや日本と先進国との差はどこから生じるのか……。何度も記しているので最小限にとどめるが、選挙制度が大きい。先進国ではあり得ない供託金制度(選挙区300万円)は、治安維持法とセットで成立した普選法を継承した制限選挙だ。

 2世、3世議員が幅を利かせ、衆参両院は貴族院の如きだ。格差は拡大の一途をたどるのに、貧しい者は立候補出来ない。国会の金満体質を批判する識者はいるが、根底にある供託金制度、候補者をがんじがらめにする公職選挙法に異議を唱える声は小さい。土壌が痩せているから、民主主義が育つ道は平坦ではない。

 欧米の移民への差別は話題になるが、上記したドイツに加え、フランスでは移民が市民権(参政権、被選挙権)を得て、政治に参加している。難民申請者への酷い対応、実習生の悲惨な状況と表裏一体になっているのが代用監獄、刑務所の非人道的な環境と死刑制度だ。EU加入の条件の一つは死刑廃止だから、被害者遺族に寄り添った厳罰主義に固執する日本は先進国とは見做されない。

 「週刊金曜日」は10月22日号で総選挙のテーマとして<多様性と国際標準>を測るリトマス紙として「選択的夫婦別姓」を挙げていた。戦前回帰を志向する憲法草案を掲げる自民党が認めるはずがない。ジェンダー問題や個人の自由に関していえば明らかに後進国だが、〝ガラパゴスで結構〟という開き直りが日本の主音だ。

 65歳のやさぐれ男らしい暴言を。「日本よ、俺がくたばるまで生きていてくれ」……。日本の国債の格付けは下がる一方で、1人当たりのGDPもアジア各国に追いつかれている。貧困率は先進国の中で4位というデータもある。何より厳しいのはエネルギーと食糧の自給率で、それぞれ約12%、37%と低水準だ。辞任するとはいえ甘利幹事長は〝原発ムラ〟の村長で、日本はエネルギー問題で後塵を拝している。

 八方塞がりの日本で、岸田政権はGDPを指標にした成長と新しい資本主義を志向するという。少子高齢化の日本では価値観の転換、即ち脱成長と共生が求められている。米民主党プログレッシブは〝資本主義より社会主義〟に価値を見いだす若年層に支持されているし、欧州では〝グリーン(緑の党)+レッド連合〟が勢力を拡大している。

 ペシミスティックな論調になったが、日本のどこかで新しい風がそよいでい
るはずだ。俺の心の中で、希望はまだ死んでいない。コロナ禍もありひきこもり気味だったが、アクティブな年金生活者になりたいものだ。
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