酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「森は知っている」~過酷な運命を清冽に生きる男の原点

2015-09-30 23:28:56 | 読書
 FBは幽霊会員だが、知り合ったばかりの7人目の友達が自身のページにドラマチックな映像を貼り付けていた。台湾のひまわり学生運動(立法院占拠)を支持した50万の民衆が総統府を包囲したデモの空撮である(昨年3月末)。以下をコピペすれば3分間の感動を味わえる(https://www.youtube.com/watch?v=Or8GwHY-2O8#t=27)。

 警察車両は見当たらず、人々は笑みを浮かべている。<主権者は国民>という信念は昨秋の地方選で結実し、国民党は大敗を喫した。総統選では高校生が先頭で叫んでいるし、反原発デモでは多くの人気俳優やタレントが参加している。有形無形の圧力は一切ないという。日本が民主主義度で台湾に追いつく日は来るだろうか。

 緑の党に入会して1年半、尊敬できる人たちと繋がることができた。とりわけ刺激を受けた高坂勝さんと杉原浩司さんが、相次いでメディアに登場した。多様性重視、アイデンティティーの浸潤、自然との調和を説き、循環型社会の志向する前共同代表の高坂さんは、千葉で有機農業を実践し、東京で週休3日のオーガニックバーを経営している。

 「未来へつなぐ。土曜スタジアム」(BSTBS)に出演した高坂さんは仕事をテーマに、錚々たる面々と語り合っていた。「脱成長」で羽田圭介氏(芥川賞作家)を驚かせたり、大宅映子さんと親しく言葉を交わしたりで、〝トークの名人〟らしく包容力を発揮しつつ、「(仕事で)構造的暴力に加担したくない」など刃を時折、キラリ煌めかせていた。

 高坂さんが柔なら、山本太郎参院議員が「霞が関が最も恐れる男」と評する杉原さんは剛だ.でも、性格はとても優しい。その名が活動家の間に浸透しているのは喜ばしい限りだ。明日(1日)は慰労会を企画したが、当の杉原さんは戦争法案成立後も立ち止まらない。インターネット番組「FFTV特集」に出演し、武器輸出と防衛装備庁への抗議を表明した。

 帰省中に京都で読んだうちの一冊、吉田修一著「森は知っている」(15年、幻冬舎)の感想を記したい。映画化された「悪人」は見たが、吉田の小説を読むのは初めてだ。ちなみに、「悪人」は過剰なほど情緒的と感じ、<在日朝鮮人3世で「フラガール」の監督でもある李相日は〝日本的〟の呪縛から自由になれば、さらなる高みに到達できる>(論旨)と記した。だが、俺は明らかに勘違いしていた。

 韓国映画を観賞していくうちにわかってくるが、日本人と朝鮮人はメンタリティーとエモーションを共有している。「悪人」の熱さに、吉田の小説も情緒的に違いないと想像していたが、「森は知っている」は純水のように爽やかで瑞々しい作品だった。

 主人公の鷹野は沖縄の架空の島、南蘭島で暮らす高校3年生だ。友達の柳、知的障害を持つ柳の弟寛太とともにビーチハウスの女子更衣室を覗くなど、ありふれた17歳の少年に思える。だが、鷹野と柳は、過酷な運命に首根っ子を掴まれていた。AN通信という組織により、イーサン・ハントの卵として訓練を施されていたのだ。体内に小型爆弾を埋め込まれる直前、柳は逃亡し、鷹野は微妙な立場に追い込まれる……。

 伏線が張り巡らされている本作を読み進めながら、俺は確信した。続編が用意されているに違いないと……。ところが、実は続編は既に存在していた。3年前に発表された「太陽は動かない」で、鷹野はイーサン級の活躍を見せていると知る。本作は前景に当たる作品で、〝メーキング・オブ・鷹野〟の位置付けか。時を遡って続編を読むことにする。

 丁寧でオーソドックスというのが、吉田作品初体験の印象だ。本作の肝というべきは、餓死した弟を抱いて発見されたという棄てられた記憶であり、転校してきた詩織との仄かな恋だ。クールなはずの教育係が鷹野に寄せる父性にも感銘を覚えた。明日のことは考えられないけど、目の前の一日を精いっぱい生き抜く……。これが、鷹野の身に染みた教訓だ。ナイーブな心情と破天荒な出来事を違和感なく紡いでいく力量に、連作「カオスの娘」、「英雄はそこにいる」を著した島田雅彦を重ねていた。

 「太陽は動かない」では太陽光発電、そして本作の後景に聳えていたのは、水道事業の民営化を見越した水資源を巡る暗闘だった。テーマ設定にも作者の俯瞰の視点が窺える。代表作と目される「怒り」は映画化され来年公開される。「悪人」同様、李監督というから、情念が滾る作品になるかもしれない。
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「天空の蜂」~玉虫色にからめとられた情念と憤怒

2015-09-27 21:46:13 | 映画、ドラマ
 シリア難民受け入れに消極的な安倍首相は、イラク戦争が発端である以上、道義的非難を免れない。師匠の小泉元首相によるイラク派兵は、解釈改憲に道を開いた暴挙だった。ファルージャでは米軍が投下した劣化ウラン弾によって無残な遺体の山が築かれ、DNAを破壊された無数の赤ちゃんは生後間もなく亡くなった。唯一の被爆国とされる日本だが、イラクにおける被爆と被曝の責任を負っている。

 被爆者の怒りと悲しみに衝き動かされてキャリアをスタートさせた福島菊次郎氏が亡くなった。弾圧に屈せず真実をネガに焼き続け表現者の冥福を心から祈りたい。ピュアな魂は「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳」(12年、長谷川三郎監督)に描かれている。

 <日本は平和憲法下でも、常に戦場にあった>と認識していた福島氏は、闘いの現場を撮り続けた。<勝てなくても抵抗して、未来のために一粒の種でもいいから撒こうとするのか、逃げて再び同じ過ちを繰り返すのか>……。講演会のパンフレットに記された氏の遺言を真摯に受け止めたい。

 反原発、反戦争法案、反辺野古移設を訴える集会が23日、代々木公園で開催された。来夏の参院選というより、数年後を見据えた意義あるステップだと思う。永田町の尺度で政治を捉えても無意味だ。世界を見渡せば、2011年を起点にした地殻変動が起きている。高野孟氏は<リベラル・シフト>と規定していたが、正確には<ラディカル・シフト>と呼ぶべきか。

 スペインでは15M運動がポデモスに連なり、バルセロナとマドリードの市長選で勝利を収めた。英労働党党首に最左派コービンが選出されたが、底流にあるのはロンドン蜂起だ。米大統領の民主党指名争いで民主社会主義を掲げるバーニー・サンダース上院議員が健闘しているが、反組合法への抗議→ウォール街占拠運動の延長線上にある。日本で今年起きた抗議運動は数年後、うねりとなって永田町の腐った地図を押し流すかもしれない。

 ようやく本題。新宿ピカデリーで先日、原発をテーマに据えた「天空の蜂」(東野圭吾原作、堤幸彦監督)を見た。公開直後ゆえ、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。ポリティカルフィクションだが、絆を巡るヒューマンドラマの色彩が次第に濃くなっていく。

 反原発派のステレオタイプの描き方などツッコミどころ満載で、ハリウッドや韓国発と比べアクションは数段劣る。だが、ヘリ開発者の湯原(江口洋介)、原発技術者の三島(本木雅弘)、ヘリを奪った雑賀(綾野剛)が織り成す情念と憤怒が、細部の欠点をカバーしていた。仲間由紀恵、柄本明、國村隼、竹中直人ら豪華な面々が脇を固めている。

 話は逸れるが、シールズの奥田愛基、諏訪原健両氏が出演したこともあり、先週末の「朝まで生テレビ!」をご覧になった方も多いだろう。話は噛み合わなかったが、<結論を出してはいけない>が番組の方針だから致し方ない。奥田氏は来夏参院選までのシールズ解散と、特定の党を応援しないことを明言していた。上記の福島氏の言葉を借りれば、<シールズは一粒の種を撒いた>……。個々が彼らの熱をいかに受け継いでいくかが試されている。

 閑話休題……。「ヒミズ」と「希望の国」(ともに園子温監督)、「あいときぼうのまち」(菅乃廣監督)には<反原発>という明確な核があった。反戦と反原発を同一の視座で捉えている方は「天空の蜂」に不満を覚えるはずで、「朝生」同様、玉虫色、総花的の印象は拭えない。だが、松竹配給という縛りを勘案すれば、問題提起した点を評価したい。原発推進側の非情、反対側の憤りが対置されているが、政府が垂れ流す安全神話を鵜呑みにする国民の〝沈黙という狂気〟を本作は抉っていた。。

 高村薫は91年、本作と同じ敦賀を舞台に、「神の火」を発表している。ラストで2人のやさぐれ中年は、破壊すべく侵入する原発近くに水仙の球根を埋め、「おい、お前さん、人間の代わりに、時代をしっかり見るんやで」と語りかける。ヒューマニズムを逸脱した禁断の書が映像化される日は決して来ないだろう。

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初秋の京都にて~シルバーウイーク雑感

2015-09-23 20:45:14 | 独り言
 まずは訂正を。共産党の独善的体質を嫌う俺は、往々にして悪く書く。<来夏の参院選は単独で闘う>という情報を鵜呑みに何度か記したが、共産党は民主党に選挙協力を呼びかけた。紆余曲折はあるだろうが、独善に陥らぬよう自身を戒めたい。

 シルバーウイークは京都に帰省し、従兄宅(寺)に泊まって母が暮らすケアハウスに通った。朝晩は冷えるが、昼間は少し歩けば汗ばむ陽気で、爽やかな初秋の京都を満喫する。この間の最大の話題はラグビーW杯で、ワイドショーでも南ア戦勝利が繰り返し報じられていた。もうすぐ始まるスコットランド戦を楽しむことにする。

 NFLに浮気してから20年、ラクビーと縁が切れていた。驚いたのは交代枠が8人に増えていたこと。戦術、展開、当日のマッチアップ状況を見据え、フレッシュな選手を投入して流れを変えられる。地味なラグビーがNFLばりのエンターテインメントになっていた。東京にいたら結果を知った上での観戦になったはずだが、帰省中はネットから遮断されている。テロップで結果は予測出来たが、最後までワクワク感を保てた。

 俺も他のネットサーファー同様、タコ壺の住人で、自分と意見が近いブログやフェイスブック等をチェックして安堵を覚えている。<安保法案=戦争法案>で強行採決を暴挙と見做しているが、立ち位置が異なる人との対話は難しい。例えば母……。安倍首相は嫌いだが、それ以上に民主党と共産党に忌避感を抱いている。言葉は強固な壁に跳ね返されてしまうのだ。

 従兄宅でも戦争法案に関する会話が多かった。自民党の元参院議員で、現在はフィリピンの貧困救済と環境保護をライフワークにしている従兄は、自民党から一人の造反も出なかったことが残念だったようだ。来夏の参院選はあくまでステップで、自公の勝利は動かないとみている。実際、各社の世論調査で、受け皿になるべき民主党の支持率は横バイもしくは微減だ。

 従兄の次男(30歳)は副住職を務めながらサーフィンを楽しむノンポリ青年だが、直感は鋭い。「参院選でシールズは三宅洋平を応援するでしょう。匂いが似てるもん」と話していた。19日未明、シールズはひとり牛歩を敢行した山本太郎議員に声援を送り、採決後に正門前に登場した福山哲郎参院議員(民主党)には冷ややかだった。山本議員は三宅と同志だ。シールズを含めた連携が成立すれば、数年後の地殻変動が現実味を帯びてくる。

 母と俺の絆はこの2年、ぐっと深まった。ケアハウスでは食事その他、家事の負担は殆どない。そもそも母は非社交的な質で、耳は遠くなる一方だ。ならば読書と、施設の本棚から次々に借りていたが、琴線に触れる作品は少なかった。そこで俺が帰省に合わせ、数冊ずつ送ることにした。

 俺は芥川賞タイプ、母は直木賞タイプと趣向は異なる。自分が読んでいない本をピックアップするのは骨が折れるが、これまでとりわけ好評だったのは大崎善生著「聖の青春」、沢木耕太郎着「テロルの決算」、三浦しをん著「風が強く吹いている」だった。佐野眞一と横山秀夫もおしなべて受けがいい。本を縁に米寿の母とドラ息子の距離が縮まるとは思いもしなかった。

 敬老の日(21日)、80歳以上の人口が1000万を超えたと報じていた。メディアを賑わせている「下流老人」もアラカンの俺にとって他人事ではない。正規雇用ではない俺など、いつ雇い止めを言い渡されても不思議はないからだ。

 CIAの日本ウオッチャーは<少子高齢化が進む日本では軍事大国化は不可能>と語っていたが、<軍隊=日本人、労働力=外国人>が政権の方針か。熊谷の事件で容疑者とされているペルー人は伊勢崎市在住だが、同市では人口の20%が南米からの移民だ。門戸開放は既に国策になっている。多様性を認めアイデンティティーを重視することが、現在の日本人に求められている。
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永田町の海図は棄てて、新しい船を漕ぎだそう

2015-09-19 12:18:31 | 社会、政治
 WOWOWで録画したシティボーイズの最新公演「燃えるゴミ」を観賞した。〝ファイナルPART1〟と銘打たれているように、トリオでの活動もカウントダウンを迎えているのだろう。かつて不条理劇の要素が濃かったが、最近は大竹まこと、きたろう、斉木しげるのキャラを前提に芝居が成立している印象がある。

 大竹は66歳、きたろうは67歳、斉木は65歳……。普通に生きていれば孤立を深めている年齢だ。俺がシティボーイズを欠かさず見ているのは、彼らの絆に心が和むからである。公演のラスト、3人がハグするシチュエーションにジーンときた。

 REMが大統領選の共和党指名レースでトップに立つトランプ候補に抗議した。差別的言辞で物議を醸す最右派のトランプが、リベラルで知られるREMの曲をキャンペーンに無断で使用したからだ。ちなみにトランプは立候補表明集会でニール・ヤングの曲を流している。スプリングティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を選挙戦で使ったレーガンを筆頭に、英米では頻繁に政治家の〝意識的な誤用〟が起きている。

 シールズのテーマに相応しい曲って何だろう。まず思い浮かぶのはミューズの「アップライジング(叛乱)」だ。10年9月、ウェンブリースタジアム2日間公演(16万人動員)のオープニングで、フードで頭を覆い棍棒を手にした数十人の若者をステージに上げる。〝権力との対峙〟と呼ぶべき寸劇に続き、ミューズは同曲を演奏した。翌年8月のロンドン蜂起の映像にデジャヴを覚えたが、その精神は海を渡り、「ウォール街を占拠せよ」に波及した。

 戦争法案が本日未明、参院で可決された。特別委員会で強行可決された17日夜、俺は国会前集会に足を運んだ。集まった人たちに連帯感を覚えるが、アピールが始まると、雨のせいだけでなく心はどんどん冷めていく。俺は別稿で<政治運動の盛り上がりに不可欠な要素はエモーション、イマジネーション、そしてリアリティー>と記した。シュプレヒコールはエモーションに満ちているが、「安倍を倒せ!」と「戦争法案を廃案へ」の現実的な道筋を想像出来ない。

 政治家、学者、識者、各グループのリーダー、文化人のメッセージが心に響かないのは、俺の怒りが足らないから? それとも理解力に欠けるから? 悩むうち、脳裏にある考えが像を結んでくる。即ち<彼らの言葉は真実を穿っていない>……。

 <憲法9条を守れば平和は維持出来る>という〝正論〟に、俺は疑義を呈してきた。これまでも従犯の形で、日本はアメリカの戦争を支援してきた。手はべったり血で汚れているが、小泉元首相が解釈改憲によってイラク派兵を決めたことで、今日までの流れが決まる。日本は共犯に昇格したのだ。

 強行採決は確かに<憲法と民主主義の破壊>といえるが、別の捉え方も可能だ。4年前、全米各地で反組合法への10万人規模の抗議運動が若者を軸に広がった時、「デモクラシーNOW!」でノーマ・チョムスキー、マイケル・ムーアらは<アメリカでようやく民主主義が誕生した>と語っていた。プラス思考の俺も今回のムーブメントに、民主主義の曙を感じている。

 「怒れ! 憤れ!―ステファン・エセルの遺言―」(トニー・ガトリフ監督)は、アフリカから欧州にやってきた少女の目を通した秀逸なドキュメンタリーだった。カメラが捉えた街頭闘争は現在、議会制民主主義に浸透中だ。スペインの「15M運動」はポデモスに連なり、バルセロナとマドリードの市長選で勝利を収めた。労働党党首に最左派のコービン氏が選出されたことも、クランクアップ後のロンドン蜂起の延長線上にある。
 
 高野孟氏は仕事先の夕刊紙に、<「リベラル・シフト」の世界潮流から置き去りの日本>と題された論考を寄稿した。米大統領選で上記のニール・ヤングが支持する民主社会主義者のバーニー・サンダース上院議員(民主党候補)の健闘を紹介していた。

 広範に広がった反戦争法案のムーブメントは、来年の参院選にいかなる影響を与えるのだろうか。キーワードは〝焦りは禁物〟だ。欧州でも大衆運動の広がりが議会を変えるのに数年かかった。この間の世論調査で、自民党の支持率は落ちていないし、維新大阪組も敵陣に馳せ参じるだろう。

 第一野党の民主党について高野氏は<リベラルの看板を下ろして「リベラル・シフト」に乗り損なったこ以上、ジリ貧に陥るしかない>(論旨)と綴っていた。共産党も単独候補擁立に向けて進んでいる。国会の内側は、外側の人たちの心をキャッチできていない。なのに、利用しようとしている。新しい船には、既成の永田町の海図はいらない。数年後の地殻変動に向け、人と人を紡ぐというのが、繰り返し記してきた俺の目標だ。

 これから、俺は京都に帰省する。ケアハウスで暮らす母、この世にいない父と妹、温かく迎えてくれる親戚との絆は、俺にとってかけがえのないものだ。
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断熱と伝導~渋谷と国会前で感じたこと

2015-09-15 23:57:41 | 社会、政治
 竜王戦挑戦者決定3番勝負は渡辺棋王が永瀬6段を2勝1敗で下し、糸谷竜王に挑むことになった。俺の一押し棋士で、野性と知性(阪大大学院で哲学専攻)を併せ持つ糸谷が、永世竜王の称号を持つ強豪を迎え撃つ。来月の開幕が待ち遠しい。

 週をまたいで硬軟取り混ぜたイベントに足を運んだ。〝軟〟は三遊亭天どんがトリを務めた鈴本演芸場夜席だ。新作派の円丈一門は古典ファンが集う鈴本と相性が悪い。兄弟子の白鳥が代演になったことも響いたのか、4割弱の入りだった。今やソールドアウトにする白鳥でさえ、「鈴本で30人相手にトリを務めた時……」と今も枕にしている。

 天どんの魅力は型と逸脱の微妙な色合いといっていい。脇を固めた柳亭市馬、春風亭一朝、隅田川馬石ら正統派と対照的に、脱力感と自虐がウリの春風亭百栄は相変わらず怪しかった。トリ前の女性音楽コメディアン、のだゆきのパフォーマンスに魅せられる。寄席の楽しみは訪れるたびに発見があることである。

 〝硬〟はといえば、渋谷・ハチ公前の「ONE PEACE FEST」(13日)と国会前集会(14日)に参加した。ともに<戦争法案反対>を掲げているが、場を覆う対照的な空気にあれこれ考えさせられた。

 ONE PEACE FESTには、沖野修也、山本太郎、三宅洋平、喜納昌吉の4人に土日1組ずつ交代出演というラインアップだ。三宅は2日前に出演を打診されて沖縄から上京したというから、ゲリラ的なライブだ。世間への告知も前日という慌ただしさで、来夏の参院選に向け、選挙フェスの予行演習という意味合いもあるだろう。

 俺は先月、同場所の「WORLD PEACE FESTIVAL」に、スタッフとして参加した。ロープを手に内と外を区切る役目だったが、今回は後方に立ち、ステージと街の反応を併せて眺めていた。俺の目には、ロープが断熱材と思えるほどで、行き交う人に熱が伝わっているとは思えなかった。

 熱い政治スピーカーといえば、山本太郎、三宅洋平、そして奥田愛基さん(シールズ)が代表的な存在だ。そのうちの2人が魂を放射しているのに、反応はいまひとつだ。三宅は「足を止めてくれないとしたら、俺たちの伝え方が足らないということ」と語っていた。三宅は緑の党臨時総会でも「シールズに背を向けている大半の若者との回路を繋ぐことが今、求められている」論旨)と強調していた。

 国会での追及、討論番組での鋭い指摘など、山本は今や〝反安倍の象徴〟といっていい。安倍首相と山本の任期はあと3年とピタリ重なる。メディア操作が巧みな現政権のこと、山本抹殺に向け策を講じているに違いない。三宅でさえ前回参院選の終盤、有形無形の圧力を覚え、空手道場に身辺警護を依頼したと映画「選挙フェス!」で語っていた。

 翌日訪れた国会前では、それぞれの思いが相互に伝導し、蒸気のように夜空に立ち昇っていた。知人と偶然出会って8時前に場を離れたが、10時過ぎまで多くの人たちが行動を続けた。渋谷で<どうして街行く人に伝わらないのだろう>と打ちひしがれた俺だが、<これだけ多くの国民が拳を振り上げているのに、どうして強行採決するのか>という国会前での抗議の声にも馴染めず、自己嫌悪に陥る。

 残念ながら、内閣支持率は右肩下がりとはいかない。時事は微減、NHKは微増で、山形市長選では自公候補が辛勝した。自民系の勝利は半世紀ぶりというから、安倍首相もほくそ笑んでいるだろう。<これだけ多くの国民が>という前提が、数字の上で成り立たなくなる可能性もある。しかも、自公側に橋下新党も馳せ参じ、敵はさらに強大になる。

 参院選に向けての目標設定に焦点が移りつつある。闘いは端緒についたばかりだからだ。来夏の参院選、次期衆院選……、国政選挙を数回繰り返した後に変化を起こすというのが正論だろう。星野智幸は<1999年が右傾化元年>と位置付け、是枝裕和は<小泉元首相の解釈改憲によるイラク派兵が始まり>と長いスパーンで捉えていることは、当ブログで紹介した通りだ。15年の時計を巻き直すのは簡単ではない。メディアを含め、〝最終決戦〟と煽るむきには失笑せざるを得ない。政治という祭りはエンドレスに続くのだ。

 三宅はONE PEACE FESTのMCで、英国労働党の変化を話していた。スペインのポデモスと立ち位置が遠くない最左派のコービン氏が新党首に選ばれたことに、三宅は注目している。同志である山本の演説は、明らかに反資本主義に則っていた。10年後を見据えつつ、まず野党の連携をというのが、両者に共通する短期ビジョンのようだ。

 一寸先は闇だが、政局に惑わされ踊っていては自分を失う。俺は目標通り、人々を意識と文化で地道に繋いでいきたい。
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WWEと「ミッションːインポッシブル」~米国発エンターテインメントが追求する普遍性

2015-09-12 13:47:28 | 映画、ドラマ
 鬼怒川の堤防決壊が深甚な被害をもたらした。ニュース映像に言葉を失くしてしまう。亡くなられた方の冥福を心から祈りたい。池澤夏樹は3・11後に著わした「春を恨んだりはしない」で、<災害と復興がこの国の歴史の主軸ではなかったか>と綴っている。天災は無常観、死生観、美意識だけでなく、悪政までも諦念とともに受け入れる習慣を育んだ。

 嘉田由紀子氏(前滋賀県知事)は昨年9月、仕事先の夕刊紙でインタビューを受け、<水害は社会現象(人災)の側面が強い>と指摘していた。欧米諸国では災害危険区域を示した「ハザードマップ」を基に、水害保険を設定し、不動産取引を行っている。翻って日本では、地価下落に繋がるとして、土地所有者の声を代弁する自民党がハザードマップ導入に消極的だ。嘉田氏が「流域治水条例」を県議会に諮った際も、多くの自民党県議が反対したという。

 地域によって事情は異なるから同一に論じられないが、嘉田氏は<歴代の政権与党は、支持者である地主と業界団体のために人命軽視で非効率な防災政策を続けてきた>と語っていた。安倍首相が繰り返す「日本人の命を守る」が虚しく響くのは俺だけだろうか。

 エドワード・スノーデンの半生を描いた「スノーデン」(オリバー・ストーン監督)が年末に公開される。非民主的体質と暴力性を告発したスノーデンとジュリアン・アサンジ(ウィキリークス創設者)を、アメリカ政府はテロリストと認定している。アメリカ支配層の意識を体現するドナルド・トランプが、大統領選の共和党指名争いでトップを走っているから驚きだ。

 政財界はともかく、アメリカのエンターテインメントは普遍性を追求している。WWEは先日、娘の恋人に対する過去の差別発言を理由にハルク・ホーガンと絶縁した。現役ではないので、グッズ販売を取りやめる等の措置が取られている。

 トランプはマクマホンWWE会長と懇意で、何度かストーリーラインに組み込まれてきた。だが、多民族、多人種が活躍し、ロシア、中国、中東でもオンエアされているWWEにとって、〝差別発言を確信的に繰り返すトランプと近い〟という印象は、興行的にもマイナスだ。トランプを応援しないという方針を、WWEはホーガンを利用して知らしめたのだろう。

 WWE上層部は、ファンの意識を操作出来なくなってきた。ここ数年、最もファンの支持を集めたのはジェフ・ハーディー(薬物使用の疑いで解雇)、CMパンク(退団)、そしてダニエル・ブライアン(ケガで欠場中)だった。インディー色が濃いレスラーによってファンの志向は様変わりし、10~20代のコアな男性ファンのチャントが空気を変えている。

 反骨精神旺盛の若者は贔屓されている者を嫌い、予定調和を好まない。この傾向はフィラデルフィア、最新のPPV「サマースラム」が開催されたニューヨークで顕著になる。ロマン・レインズがブーイングを浴びるのも、彼をトップに据えたいという団体の意図が露骨だからだ。ファーム組織「NXT」が1万数千人(ソールドアウト)を集めるのも、変革を好むファンの気持ちの表れといえる。

 新宿で先日、「ミッションːインポッシブル/ローグ・ネイション」(15年、クリストファー・マッカリー監督)を見た。雨の夜の最終回(9時半スタート)で客席はまばらだったが、評判に違わぬ傑作である。レンタル店の超人気アイテムになるはずだから、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 スリリングなシーンがスピーディーに繋がり、息つく暇もない。不死身のイーサン・ハント(トム・クルーズ)、麗しきイルサ(レベッカ・ファーガソン)、冷酷と内向を併せ持つソロモン・レーン(ショーン・ハリス)を軸に物語は進行する。峰不二子風のイルサと、ハント、レーンが形成する朧な三角関係も興味深い。気を逸らさぬ展開には感嘆するしかなく、伏線が巧みに織り込まれ、ユーモアもちりばめられている。WWEでは拒絶されつつある予定調和も心地良かった。

 ハイテクを駆使するせめぎ合いだが、肝になっているのはイーサンのフィジカル、イルサとの恋未満、危機に瀕したIMFの仲間意識、心理戦というアナログ的要素だ。痛快なラストに、「スパイ大作戦」(1966~73年)へのオマージュが窺える。

 スカパーの再放送で全エピソードを見ているうち、「スパイ大作戦」の製作意図が透けて見えてきた。ベトナム戦争が泥沼化し、国内では公民権運動が広がっていた当時のアメリカは、絶対的ヒールだった。シリーズが進むにつれ、<アメリカは正義の国>の偽りを喧伝するための国策ドラマに変化していく。

 南米某国のとある組織(政府、反政府グループ)の実態は、兵器と麻薬を売買するシンジケートだ。君たちの任務は彼らの企みを暴いて民衆の支持を失わせ、資金源を断つことにある……。こんなミッションでIMFチームが現地を訪れると、リーダーの風貌はカストロやゲバラにそっくりだ。東欧が舞台になる時も、共産主義の独裁者が悪役になっている。

 「ミッションːインポッシブル――」はどうか……。米英諜報機関のトップは正義など糞食らえだ。国連常任理事国が先頭に立って武器を輸出し、欧米各国と連携する世銀や企業がグローバリズムを領導し、途上国に疲弊をもたらす……。この構図を踏まえたレーンに、先進国のテロと反体制側のテロを対置させる台詞を語らせることで、本作は普遍性を獲得している。

 「CSIː科学捜査班」シリーズもスピンオフを含め、アメリカの病理や闇を描いている。だから、世界中で支持されたのだ。政府も少しはハリウッドに学んだ方がいい。
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「未来の記憶は繭のなかで作られる」で星野智幸の初心に触れる

2015-09-08 23:52:24 | 読書
 一昨日(6日)の午後3時過ぎ、知人Aから「今、どこ?」と電話が入った。「家にいる」と答えたら、「凄いことになってる、近いんだから来いよ」と誘われた。体調不良を理由に行かなかったが、シールズと学者共催の集会で、1万2000人が伊勢丹前を埋め尽くしたという。

 俺をなじるような口調のAだったが,昨年春、アルタ前の反安倍集会に誘った時はにべもなく断った。集まったのは150人前後で、鬱陶しい国会議員など来るはずもない。基地、原発、貧困、秘密保護法、介護と医療など、厳しい状況下、各の拠点で闘う人たちのアピールに感銘を覚えた。1万2001人目になるより150人のうちのひとりになることを選ぶのが、俺の哀しい習性だ。

 昨夏の対談(BS―TBS)が印象的だった保阪正康、半藤一利両氏ら、立ち位置を問わず安倍首相の姿勢に不安を抱く識者は多い。<読書と無縁だから言葉が軽く、物事を論理的に考えようとしない>が共通認識だが、政権の粗暴なパンチにカウンターを返す側も、同じ陥穽にはまっていないだろうか。

 俺が<人と人を文化と意識の糸で紡ぐ>ことを目標に据えたのも、政治の場における二進法の言葉の応酬に危惧を抱いているからだ。1960年代から70年代にかけ、谷川雁、吉本隆明、高橋和巳、大島渚、寺山修司、フォークシンガーたちが、政治と文化を分かち難く結んでいた。だから、政治の言葉も豊饒だったのだ。それでは、現在はどうだろう。

 星野智幸の評論集「未来は記憶の繭のなかで作られる」(岩波書店)を読了した。帯の<小説界のファンタジシスタ、その言語と思考のキセキ>が本書をピンポイントで抉っている。1998年から2014年までの論考が、14年を起点に時系列を遡る形で掲載されている。

 星野は辺見庸と並び、日本を最も深く洞察している文学者だ。小説「ロンリー・ハーツ・キラー」(04年)には安倍首相を連想させる人物も登場する。星野は「戦争を必要とする私たち」(01年)の稿で、<国旗国歌法が誕生し、通信傍受法が成立し、日米防衛のためのガイドラインが改訂された1999年を右傾化元年と捉えている>と記し、小泉首相(当時)が風穴をあけた解釈改憲に異議を唱えている。個人の公への屈服を是とする風潮に、<徴兵制を幻視する>と述べるなど、10年後を予見した慧眼に驚くしかない。

 日本社会の歪みを察知し、ファシズムの到来に警鐘を鳴らしてきた星野だが、認知度は極めて低い。メディアを含めて政治に携わる人々に「星野智幸の作品を読みましたか」と尋ねたが、「読んだ」と答えた人は皆無だった。更に挙げれば、反原発を訴える人の殆どは映画「あいときぼうのまち」(13年)を見ていない。文化と乖離した政治の言葉は潤いをなくし、やがて、いや、既に干からびているのではないか。

 朝日新聞(13年12月25日付)で反響を呼んだ「宗教国家日本」も本書に掲載されている。星野は第2次安倍政権以前から、<自分であることをやめて「日本人」に加わり、安心を得る>傾向に違和感を覚えていた。だが、辺野古移設や戦争法案に異議を唱える運動の広がりは、星野の危機感――主体であることを放棄した社会では、民主主義は維持できない――を少しは和らげたに相違ない。

 本書を読みながら、星野の小説と重ねていた。一番のお薦めは、<寓意と想像力に満ちた本作は、小説を超え、神話の領域に達している。(中略)ちりばめられた幾つもの断片が後半になって発光し、迷宮のプリズムを歩く道標になる>と当ブログで絶賛した「夜は終わらない」(14年)だが、難解といえぬこともない。入門編なら映画化された「俺俺」が最適か。

 本書は上記したように、遡上方式を採っている。そのことで星野の初心と決意が鮮明になるという効果が生まれていた。メキシコ留学経験があり、南米文化、とりわけサッカーに造詣が深い星野は。デビュー以前からマジックリアリズムの手法を意識的に用いている。併せて星野は、現実の社会に対峙するというバルガス・リョサやガルシア・マルケスの影響も受けている。現実と幻想の相反する志向を、坩堝で沸騰させ昇華させているのだ。

 星野は中南米だけでなく、台湾、韓国、インド、中東へと足繁く旅をする。本書の肝というべきは「自我を突破せよ」(02年)か。<個人の自我など粉砕するような視線、しかも全体からの視線というのでもない、あらゆる個でありうる視線とでも言うのか、そのような位置から言葉が発せられるのでないと、言葉に最大のコミュニケーションの力を与える文学は機能しない>と記している。

 星野ワールドの最大の特徴は、<多様性の追求>と<重層的でシュールなアイデンティティーの浸潤>で、小説の隅々に瑞々しく行き渡っている。星野は反貧困、反差別といった現実の運動にも個として参加している。俺は政治の場での単純化した言葉に距離を感じているが、その辺りは星野も同様だ。全共闘世代への不信感など、多くの点で親近感を覚えてしまった。

 上記したように、<人と人を紡ぐこと>を目指しているが、重要な軸として勝手に星野を想定している。星野作品のさらなる浸透が、この国を根底的に変革することに繋がると確信しているからだ。14日に店頭に並ぶ新作「呪文」も楽しみだ。
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「ナイトクローラー」が描くミッドナイト・ランブラーの愉悦と冷酷

2015-09-05 22:03:48 | 映画、ドラマ
 国会前集会に関する様々な感想を読んだ。コメントを頂いたBLOG BLUESさんお薦めの清義明さんの論考は、タイトル<国会議事堂前の「敗北主義」――最後に笑うものが最もよく笑う――>からして刺激的だった。

 自公+維新大阪組で敵はさらに強くなる。共産党は独自候補で臨む方針だし、民主党+維新東京組も信用できない。ならば、目盛りを数年後に定めよう。高坂勝さんの言葉を借りれば<まずは5%を変え、地殻変動に繋げる>のだ。来夏の参院選はイマジネーションとリアリティーを併せ持つビジョンで臨み、〝最後に笑う〟準備を整えるべきだ。

 菅官房長官は国会前に集まったのは警察発表(3万人)程度で主催者発表(12万人)は水増しと語り、産経新聞と週刊新潮が補強する。仕事先の夕刊紙に掲載された記事が、御用メディアの企みを論破した。野党関係者が国会周辺の最寄り3駅に当日の乗降客数を問い合わせると8万人台。利便性で人気アップの桜田門駅は回答を拒否したが、バスなど別ルートで訪れた参加者を足せば、最低でも10万人になるだろう。

 新宿で先日、「ナイトクローラー」(14年、ダン・ギルロイ監督)を見た。ニュース報道の内幕に迫った作品で、緊張は2時間弱、絶えることはなかった。夜のロサンゼルスを舞台に、社会の歪みを抉ったシャープかつリアルな衝撃作である。小さな箱(シネマカリテ)で少ない客とともに観賞したが、DVD化された暁にはぜひレンタルしてほしい。自信を持って推奨できる作品だ。

 主人公のルー(ジェイク・ギレンホール)は孤独なミッドナイト・ランブラー(夜の徘徊者)だ。定職も友もなく、ネットサーフィンで社会と繋がっている。真っ赤な愛車で街を飛ばすルーは、事件現場と遭遇し、惨たらしい遺体を撮影する。これがパパラッチ(ナイトクローラー)という天職に出合うきっかけだった。

 背景にあるのはテレビ業界の実態だ。ケーブルネットワークには無数の局がひしめき、視聴率戦争を繰り広げている。ルーが動画を持ち込んだ下位局にしても伽藍の趣がある。敏腕女性ディレクターのニーナ(レネ・ルッソ)の口癖は、「視聴者が求めているのは刺激。望ましいのは被害者が裕福な白人で、犯人がマイノリティーか貧困層であること」……。ルーは教えを実践し、頭角を現していく。

 ヒスパニック系が多く暮らすロスは格差と貧困が夥しく、資本主義の矛盾を象徴する街だ。ルーの自己アピール、ニーナへの接近に、他者の目で相対的に自身を捉えること出来ない欠落が窺えるが、そのことが逆に武器になっている。〝やらせ〟をためらいなく実行し、スクープのために他者が犠牲になっても心は痛まない。

 助手として雇ったリック(リズ・アーメッド)は表情がどこかルーに似ていた。ルーに取って代わる存在になるのかと想像したが、リックは人間的で優し過ぎた。ストーリーが進むにつれ、ルーの目に狂気と酷薄が宿るようになる。<デ・ニーロが演じた「タクシードライバー」のトラヴィスの再来>とはタイム誌の激賞だが、俺がルーに重ねたのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」でアル・パチーノが演じたマイケルだった。

 ルーを動物に例えれば獰猛な夜禽類といったところだが、良心、矜持、倫理の埒外で拝金主義を追求する悪魔が、紳士の装いで世界を闊歩している。典型例を挙げれば原発コングロマリット、そして戦争法案と繋がっている軍需産業である。

 ネットにアップされた小林よしのりと奥田愛基さん(シールズ)の対談を斜め読みした。「もっと遊びたい」が奥田さんの本音かどうか知らないが、インプットの時間は必要だと思う。政治は取材する側も含めて消耗をもたらす。だから、言葉は時に惰性に流れるのだ。まあ、30年以上も遊び続けて復帰した俺の言葉なんか、何の説得力もないことは重々承知している。
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祭りの後はもう嫌だ~国会前で感じたこと

2015-09-01 23:47:57 | 社会、政治
 一昨日(30日)、国会前に足を運んだ。へそ曲がりの感想を以下に記したい。

 当ブログで<政治における言葉の貧困>と記してきたが、俺の捉え方が一面的であったことに気付いた。各自が十進法で安倍政権打倒、戦争法案を廃案に追い込む道筋を考える。だが、メッセージを共有し血肉化するためには、単純かつ直截的な二進法で伝えるしかない。誰しも二つの記数法を使い分けていることに、俺はこれまで思い至らなかった。

 当日は先輩のYさん(元整理記者)のお誘いで、反原発集会(12年7月29日)以来、PANTA隊の一員になるチャンスがあった。制服向上委員会の同行を知って臍を噛んだが、後の祭り。俺は緑の党の旗持ちという地味な〝任務〟を、膝の痛みを堪えながらこなしていた。

 20万人が集まった3年前と同様、今回も熱気に溢れていた。だが、俺はどこか冷めていた。人が集まることに馴染めないのが第一の理由である。俺は学生時代(80年前後)、外務省や法務省への抗議活動に加わっていた。1桁しか集まらないことも何度かあり、公安関係者は「寒いのにご苦労なこった」といった表情でこちらを眺めていたが、ヒリヒリする緊張感が心地良かった。

 立ち位置が変わったことが第二の理由である。政党、いや、形態はサークルに近いとはいえ、緑の党に入会した俺は、人々の思いを来年の参院選にいかに繋げるか考え、途方に暮れていた。高揚感は微塵もなく、責任感が重くのしかかっている。

 戦後、何度も起きた大衆運動(直接民主主義)は選挙(議会制民主主義)に直結せず、闘った人々は<祭りの後>の虚脱感に苛まれる。近々の例は反原発運動で、<国民がこれほど抗議しているのに、どうして何も変わらないのか>という失望から、<誰が悪かったのか>という犯人捜しが始まる。俎上に載せられるのは大抵、独善的な共産党だった。

 政党が機能不全に陥っているのは、日本に限ったことではない。3・11と相前後し、全米では10万人規模の「反組合法」の抗議運動が吹き荒れていた。10代、20代が主力で、マイケル・ムーアやノーマ・チョムスキーが〝民主主義の誕生〟を「デモクラシーNOW!」で熱く語っていた。だが、資本の双頭の奴隷が牛耳る不毛な構図で、具体的な変革に直結する可能性は皆無だった。

 ポデモス(スペイン)が象徴的だが、欧州ではようやく、直接民主主義と議会制民主主義が繋がり始めた。翻ってこの国で、地殻変動は起きるのだろうか。政党レベルでいえば、様々な動きが明らかになっている。自公政権に大阪維新が馳せ参じ、橋下大阪市長は遠からず入閣して安倍首相の念願(憲法改正)達成に協力するだろう。民主党は大阪組が抜けた維新と合併し、共産党は独自路線を決めている。

 来年の参院選で安倍首相と志位委員長の笑顔が画面で弾ける……。確度の高い〝悪夢〟にストップを掛ける手段はあるだろうか。俺はこの上なく甘美な夢を見ているが、明かせば砕けてしまうからやめておこう。心が躍るようなコラボが成立し、東京から変化の兆しが現れる……。こう書けば、勘の鋭い人はわかるだろう。

 安倍首相の祖父である岸元首相は、安保闘争の盛り上がりに「後楽園にも多くの人が詰め掛けている」と冷水を浴びせた、だが、この暴言に一定の真実が含まれているように感じる。俺は土曜日、横浜を訪れ、野球と観光を楽しんだ。帰りの湘南新宿ラインで馬券を購入し、国会へ向かう。俺の行動に、〝不真面目〟と目くじらを立てる方もいるかもしれない。ちなみに日曜日、プロ野球は5試合で17万人を集めた。

 あの場にいた人、いなかった人。シールズと、彼らに距離を置く多くの若者。両者の回路を見いだすことが、変革へのスタートだ。失敗すれば何度目かの〝祭りの後〟の虚しさを味わうことになる。俺はアラカンになってようやく<人と人を紡ぐ>という夢を見つけた。身近なところから始めるしかないが、悲しいかな、人生の目盛りは限られている。
コメント (6)
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