酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

2・26から71年~パトスと情念は何処へ

2007-02-27 04:41:06 | 社会、政治
 「天皇と東大」(立花隆著)に触発され、2・26事件(1936年)について記すことにする。テーマがテーマだけに昨日中に更新するつもりだったが、夕飯後に不貞寝し、目が覚めたら日付はとうに変わっていた。

 30年代前半、浜口首相襲撃(30年)、3月事件、10月事件(31年)、5・15事件、血盟団事件(32年)、神兵隊事件(33年)、永田軍務局長斬殺(35年)とクーデター未遂や要人テロが相次いだ。対する左翼も負けてはいない。度重なる弾圧でインテリ層は意気阻喪状態だったが、鐘紡、東洋モスリン(30年)、住友(31年)、東京市電(34年)など大規模な労働争議が頻発していた。

 左右の活発な動きの前提は、飢饉による農村の疲弊と都市での格差拡大だった。当時の政府は、<先軍政治>を掲げる現在の北朝鮮同様、国家予算の多くを軍備増強に割き、民衆の喘ぎに頬かむりしていた。「天皇と東大」にも記されていたが、左右両極は「蜜月状態」にあり、右翼青年は生命を賭すマルキストたちを<憂国の同志>と見做していた。主義主張は180度異なるが、ともに平等な社会を目指していたからである。

 騒然とした状況は「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)からも伝わってくるが、字面だけで当時のパトスをつかめるはずもない。例えば一昨年の郵政解散。<05年総選挙では、格差拡大政策で恩恵を受けなかった若年層や地方有権者からも支持を得て、小泉自民党が圧勝した>……。こんな記述を後世の人が読んだら、奇異に感じるはずだ。時代の空気とは、事実の積み重ねを超えたものなのだろう。

 2・26で決起した青年将校たちは、平泉澄東大教授ら国粋主義者の影響を受けた天皇教信者だった。平泉は<天皇退位⇒秩父宮即位>の動きにも一枚噛んでいたとされる。「天皇と東大」で、「一億玉砕」のスローガンや特攻隊が<平泉美学>の具現化であったことを知った。戦前の日本では、大義に身を捧げる「自爆攻撃」が国是だった。

 理論的指導者として銃殺された北一輝は、10代の頃から天皇制否定論者、社会主義者として名を馳せていた。大逆事件の連座を免れ、中国革命に奔走する。誇大妄想家、山師など否定的な声も多い北だが、岸信介が心酔したように、怜悧なリアリストとしての側面も併せ持っていた。<クーデター成功後、木偶である天皇を使い捨て、民主革命の道を開く>という青写真を描いていた北だが、天皇崇拝を強める将校たちと乖離しつつあった。

 2・26とは明治以降の二大潮流、国家主義と社会主義が交錯した、同床異夢の大事件といえるだろう。理念と純粋な思いは、正しく美しいゆえに敗北する。実利を得たのは、「天皇神聖化」を推進しつつ、面従腹背で統帥権を干犯し続けた軍上層部だった。

 当時と現在の相似点を指摘する識者は多い。<小泉=竹中ライン>が下層社会を拡充し、排外的ナショナリズムに適した土壌を造成した。「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍首相に、立花隆氏、辺見庸氏、佐野眞一氏、姜尚中氏らは警戒の念を表明したが、失点を繰り返し、支持率は下げ止まらない。

 排外的ナショナリズムが下火になったのは結構だが、俺を含めた下層社会の声を代弁する政治勢力も弱体のままだ。この国では、パトスや情念、理念や思想も死語になりつつあるのかもしれない。

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「自然体の魔女」が創出した小宇宙

2007-02-24 04:07:03 | 音楽
 繰り返し聴いたアルバムを、思いつくまま挙げてみる。

 濾過された清らかな絶望が、透明な刃になって突き刺さるジョイ・ディヴィジョンの「クローサー」。情念と潔癖のアンビバレンツが<音の麻薬>を生成したスミスの1st。エキゾチックな開放感に満ちたマーラーの交響曲1番「巨人」(ショルティ指揮、シカゴフィル)。絶対零度を現出させたマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」……。

 上記4枚の魅力を併せ持つNO・1の愛聴盤は、ポーティスヘッドがニューヨークフィルと共演した「PNYC~ライヴ・イン・ニューヨーク」(98年)だ。俺が死んだら――行旅死亡人になる可能性も十分あるが――葬送のBGMにぜひ使ってほしい。お経ともマッチしそうな気がする。

 9年前、歌姫ベスの喉の不調で日本公演がキャンセルになり、愕然とした記憶がある。ライナーノーツ(井上貴子記)で「トリップホップの始祖鳥」と評されたポーティスヘッドは、本作でピークに到達した後、シーンからフェードアウトした。ライブ映像を収めたDVDを購入しなかったのは、作り上げたイメージを守りたかったからである。

 ニコ、パティ・スミス、マリアンヌ・フェイスフル、スージー・スー、PJハーヴェイ……。ポピュラーミュージックは「正統派の魔女」を輩出してきた。ベスもエキセントリックで棘のある女性と想像していたが、ようやく買ったDVDで意外な姿に驚いた。マイクスタンド前に佇むベスは、カレッジの講師といった雰囲気で、「暗黒の天使」とは程遠い「自然体の魔女」だったからである。

 トリップホップはヒップホップ、アシッドジャズ、ロック、テクノ、ハウスなど様々な要素を土台に90年代、英ブリストルで産声を上げる。ポーティスヘッドとニューヨークフィルの共演は、伝統と前衛の邂逅だった。バンドのメンバー、数十人の音楽の匠、ミキサーがクリエイトしたサウンドに、ベスはたった一人、煙草をクールにくゆらせ、両手でマイクを握って対峙していた。

 CDを聴く限り、濃密で混沌とした無明長夜、呪術的祝祭というイメージが強かったが、大編成のステージが映し出されたDVDでは、開放感とジャンルを超えた奇跡の調和も堪能できる。目を閉じ、端正な貌を歪めたベスは、音楽の渦に身を委ねているかのように艶かしく、肉声と意志で<小宇宙>を創出していた。

 来し方を振り返る。身近な女性がある日突然、「魔女」に変身したのは一度や二度ではない。いわゆる「恋の病」というやつである。心身のパワーが失せた今、「魔女」と出会うのは期待薄だが、幸いなことに代償はある。ベスの官能的な声にトリップしながら眠ることにしよう。
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長島と王~交錯する太陽と月

2007-02-21 02:13:12 | スポーツ
 <長嶋が太陽なら、王は月>……。世間に浸透したONのイメージは、世紀を経て逆転したようだ。

 「豪邸ひとり暮らし」の見出しが、宙吊り広告に躍っていた。「週刊文春」には北京五輪監督の座を逸した長嶋茂雄氏の落胆ぶり、孤独なリハビリの日々が記されていた。発売翌日(16日)、報道を否定するかのように巨人キャンプを訪れ、明るさをアピールした長嶋氏に痛々しさを覚えた。一方のホークス王貞治監督は夫人の他界、WBC制覇、胃の摘出手術と交互に禍福に見舞われたが、現場復帰を果たした今、自らを慕う選手とともにV奪還を目指している。

 1956年生まれの俺にとり、王こそが野球の華だった。王が打席に入ると、日本中が固唾を呑む。一閃されたバットが放物線を弾き出すと、凍った時が一気に溶け、心身を駆け巡った。あの一瞬が、少年時代の最高のカタルシスだった。一方の長嶋は衰えが隠せなくなってからも、桁外れの勝負強さで何度も打点王を獲得していた。

 「噂の真相」や「日刊ゲンダイ」を信じるわけではないが、長嶋氏の輝きの源は、深く濃い闇かもしれない。南海入団が決まっていた長嶋が態度を翻したのは、<政財界が一体となって君を守る>という読売側の提案を呑んだことが理由とされている。

 「プロ野球三国志」(大和球士著)に興味深い逸話が紹介されている。甲子園東京予選の情報を得るため上京した北海道の社会人スカウトが、総武線沿線のキオスクで新聞を買った。ところがその駅は都内ではなく、スカウトは渋々千葉県の展望に目を通す。佐倉高の大型遊撃手の高評価に目を留めたスカウトは、自チームではなく母校の立大野球部に獲得を勧めた。この偶然がなかったら長嶋は埋もれたままだったろうと大和氏は記していた。

 一方の王はスター球児として脚光を浴びていたが、台湾籍ゆえ国体出場を逃すなど差別に苦しんでいた。日本近現代史の影が少年王を覆っていたが、両親の苦難に満ちた半生が明かされるや、一家は美談の主人公になる。立大入学以前が話題になることのない長嶋氏は対照的だ。

 長嶋氏は終生「読売の囚われ人」で、巨人軍終身名誉監督なる肩書を頂戴しているが、王氏は読売の軛から解放された。南方の飢餓戦線から帰還し、国家への不信をバネにダイエー王国を築いた中内氏。王氏同様、アイデンティティーの問題で苦悩したに相違ない孫氏。王氏は昭和と平成を象徴する起業家に最大級の敬意を払われている。

 少年時代は熱烈な巨人ファンだったが、上京後はアンチ巨人に転向した。今では全くの無関心でひいきチームもないが、今季は「死に場所」福岡で王監督が最後の花を咲かせることを期待している。痩せ細った王監督の体が高く舞えばジーンとくるに違いない。その時、俺の胸を去来するのは長嶋氏の姿だろう。

 王が悪童から更生し、荒川教室で血の汗を流したのは長嶋の存在があったからだ。<代表監督で金メダル>の積年の夢が潰えた今こそ、長嶋氏に国民栄誉賞を贈るべきだ。茶番にしか思えない国民栄誉賞だが、孤独の晩年を送る長嶋氏には、最高の癒やしになるはずだ。<太陽と月には同時に輝いてほしい>……。かつての野球少年の、ノスタルジックでセンチメンタルな願いでもある。

 長嶋氏は昨日(20日)、71回目の誕生日を迎えた。独りぼっちの豪邸でささやかな宴は催されたのだろうか。

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閃きと妄想のGⅠ予想~第24回フェブラリーS

2007-02-18 00:24:12 | 競馬
 フェブラリーSの出馬表を見て、「うーん」と唸ってしまった。展開、天候、馬場、馬体重と不確定要素が多く、消せそうな馬がいない。ならばと美浦トレセンの調整ルームに盗聴器を仕掛け、騎手たちの本音を聞いてみた。

○調整ルーム・サロン(昨夜)
 窓際のテーブルで武豊、幸、福永、安藤ら栗東所属騎手が歓談中。
武豊(ため息交じりに)「今年は張り合いないな。ビギニングもオーシャンもアカンかったし」
幸(暗い顔で)「僕なんかまだ1勝ですよ。名前、不幸にしょうかな」
福永「今年はアンカツさんが、(ホウオーとメジャーで)ええとこ全部もってきますよね」
武豊(マジな口調で)「あしたは遠慮してください」
安藤(含み笑いで)「(バッカスは)後ろからゆっくり行かせてもらうわ」
福永(安藤に)「カワカミ乗るいうの、ホンマですか」
 安藤、曖昧に首を横に振り、一同、疑心暗鬼の表情で互いを見た。
 ドアが開き、タオルを巻いた武幸が兄たちに近づく。
武豊「またサウナか」
武幸「減量、きついんで。(幸に)コンコルド、前売り1番人気ですよ。硬うならんでくださいね」
福永「ルメール(フィールドルージュ)が外から被せてくるんとちゃいます?」
武幸「その時は内に寄ってください。(トウコンを)下げますから」
幸(うつむいて)「へぐったら乗り替わりや。5年後には調教助手やな」
武幸「幸・幸コンビで、調教師試験、一緒に受けましょ」
福永(武幸の頭を叩き)「また、心にもないこと言うて」
武豊「幸四郎は本気や。おやじ(邦彦師)もそろそろ定年やし、後釜狙うとる。こいつを先生呼ばなアカンようになるで」
 福永と幸、顔を見合わせ爆笑する。

 音声はここで途切れた。判明したのはブルーコンコルド鞍上の幸騎手が絶不調で、プレッシャーに弱いということ。1番人気5連勝のデータに逆らうことにした。アジュディミツオーは重め残りとスタート地点の芝、メイショウトウコンは調教の動き、シーキングザベストはこの1年で11戦と、それぞれ不安を抱えている。メイショウバトラーのピークは昨夏(重賞3連勝)だったし、ペリエの最近の騎乗ぶりを不安視する声も強い。5頭まとめて切ることにした。

 などと屁理屈を並べてみたが、早い段階でビッググラスとシーキングダイヤの2頭軸と決めていた。<大きな眼鏡でダイヤを捜す>のサインに気付いて悦に入っていたが、馬名が”Big Glass”ではなく”Big Grass”(冠+芝生)であることを先刻知る。勘違いも恋のうち、初志を貫くことにした。

 結論。◎⑮ビッググラス、○④シーキングザダイヤ、▲⑫サンライズバッカス、△⑧フィールドルージュ。馬連4頭BOXの計6点。3連単は安定性を重視し、④1頭軸の4頭BOXで計18点。馬体重次第だが、連闘で絞れていたら①サカラートを上記4頭とのワイドで買い足すつもりだ。、鞍上が先行得意の吉田豊でもあり、不良馬場なら粘り込みもある。

 昨秋のGⅠシリーズはそこそこだったが、年明け以降、馬券は幸騎手並みにドン底状態。ブルーコンコルドが勝って、俺ひとり取り残されるような気がしてくる。 悪い予感だけ的中というのが俺の常。今さら遅いが……。


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「オール・ザ・キングスメン」が抉る権力の本質

2007-02-15 01:10:19 | 映画、ドラマ
 オバマ上院議員(45)が米国初の黒人大統領に向け、キャンペーンを開始した。民主党の候補指名争いは、女性初を目指すヒラリー・クリントンとの一騎打ちが予想されている。オバマの動向も気にはなるが、それ以上に注目しているのは反グローバリズムの旗手、ベネズエラのチャベス大統領だ。

 「キリストは史上最高の社会主義者」「社会主義か死か」……。刺激的な発言を繰り返すチャベスが最も物議を醸したのは、国連総会での演説だった。米ブッシュ大統領にチョムスキーの著書を薦めた後、「ブッシュは悪魔」と痛罵した。チャベスは<唯一の強大国アメリカ>に対峙する<南米=アラブ諸国=中ロ連合>形成を模索し、積極外交を展開している。

 1年半の期限付きとはいえ、議会を超越した権力を大統領に保障する「授権法」がベネズエラ国会で成立した。<米資本追放⇒石油&天然ガスのプロジェクト国営化⇒民衆への富の還元>という道筋は絶対正しい。だが、独裁的手法が目立ってきたチャベスに、ある映画の残像が重なってきた。

 ある映画とは、アカデミー作品賞に輝く「オール・ザ・キングスメン」(49年、ロッセン)だ。下層階級の代弁者として政界に打って出たウイリー・スタークが、<権力という玩具>に溺れる過程を描いた作品である。本作でスタークを演じたブローデリック・クロウフォードは武骨さと傲岸さを巧みに演じ分けていた。ショーン・ペンがリメークでいかなスターク像を作り上げたのか興味がある。

 上流階級という出自に負い目を抱く新聞記者ジャック・ハーデンが、語り部を演じている。ハーデンはスタークの不器用さと情熱に打たれ、陣営に加わった。純粋だったスタークは敗北を重ねるうち<力学>を身に付け、知事に当選した頃、既に汚れた政治屋だった。手法に対する批判に、スタークは<善を生むのは悪しかない>と言い放つ。<悪が生む善>を肯定していたハーデンだが、自分にとって掛け替えのない者たちまでスタークの<悪>に冒されていることを知り、愕然とする。<権力への執着=人間性の喪失>であることを、ラストが象徴的に描いていた。

 ロッセンは本作でナチスドイツを戯画化し、ソ連のスターリン信仰を風刺しているが、非米活動調査会に目を付けられた。理想に燃えていた頃のスタークの演説は、明らかに社会主義的であり、ロッセンがかつて共産党員だった事実も明らかになる。召喚されたロッセンは証言を拒否してハリウッドから追放されるが、後に転向し、友人の名を挙げた。ロッセンもまた、赤狩りに翻弄された映画人の一人だった。

 「オール・ザ・キングスメン」の意味を知りたくて検索していたら、「YOMIURI ONLINE」に興味深い記事を発見した。ヘザー・ハワードさんの分析を要約して引用する。

 <童謡集「マザーグース」に、擬人化された卵が落ちて割れ、王のすべての家来 (all the king's men)が努力しても元に戻せなかったという寓話がある。一度堕落したら永遠に元に戻らないことの隠喩ではないだろうか>

 <スターク卵>が割れた時、辺りに腐臭が漂った。<オバマ卵>は棚の上で無傷のままだろう。<チャベス卵>は果たして? 

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「天皇と東大」~日本式ファシズムの源流とは

2007-02-12 01:10:09 | 読書
 立花隆著「天皇と東大」(上下巻)を読了した。「文藝春秋」に連載された原稿に修正を加えた1600㌻に及ぶノンフィクションで、「大日本帝国の滅びの道筋」が描かれていた。立花氏はアカデミズムとジャーナリズムの分水嶺に位置し、両者の優れた面を併せて提示できる稀有の存在である。

 「朝まで生テレビ」などで、以下のような趣旨の発言を頻繁に耳にする。即ち<日本のファシズムは民衆の排外主義に根差し、メディアの煽りもあって広まった。軍部や政治家だけに戦争責任があったわけではない>……。

 定説化しつつある上記の論調が全くの的外れであることを、本書は明確に示している。大正デモクラシーとマルキシズム支持の広がりに危惧を覚えた軍部、政治家、民間右翼が一体となり、<チーム>を形成した。彼らの思想的支柱になったのは戸水寛人、上杉慎吉、平泉澄、土方成美ら東大教授だった。

 上杉は天皇神格化を目指しながら、精華を見ることなく他界した。元老の山形有朋や当時の原敬首相、平沼騏一郎検事総長(後の首相、赳夫氏の養父)らと親交が厚く、アナキズムの研究論文を発表した森戸辰男ら進歩派教授の排斥を主導した。憲法学の講義を独占するなど東大での地位も揺るぎなかったが、美濃部達吉の前に次第に影が薄くなる。上杉が後継者として期待を寄せたのは、岸信介(元首相、安倍首相の祖父)だった。北一輝に心酔していた岸は、上杉のファナティズムと距離を置き、大学には残らなかった。

 「天皇機関説」について多くのページが割かれていた。本書では「天皇機関説」を、以下のように簡潔に説明している。<主権は国家そのものにあり、天皇はその代表者(機関)として、憲法の定める範囲で、決定の自由、行動の自由を持つにすぎない>(下巻152㌻)。美濃部は伊藤博文以降、政官界、法曹界で主流になっていた解釈を体系化したが、1935年に入るや<チーム>が刃を剥き、凄まじい攻撃にさらされる。<チーム>の一員として2年前(33年)、滝川幸辰事件でマッチポンプ役を演じた宮沢裕代議士は、喜一元首相の父である。タカがハトを生んだということらしい。

 「天皇主権説」を強硬に主張した軍部はその実、筋金入りの「機関説」論者であり、天皇の意思を無視して中国侵略を推し進める。天皇親政を視野に入れたテロで「君側の奸」として命を奪われたのは、天皇の信望厚い重臣たちだった。「天皇主権説」を煽った保守派は敗戦後、たちまち「機関説」論者に転向し、天皇の戦争責任を否定した。「天皇機関説」はかくのごとく、様々なパラドックスに満ちている。

 学生運動の曙、河上肇と共産党、法曹界における左翼シンパの存在、経済学部の内紛と平賀粛学、河合栄治郎という巨人の実像など、立花氏の筆力により、本書はエンターテインメントの域にも達している。とりわけエキサイティングだったのは若きテロリスト群像だった。右翼青年たちは弾圧に屈しないマルキストにも、「憂国の同志」としてのシンパシーを抱いていた。

 <一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは(中略)とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転機にさしかかっているのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない>(下巻173P)。立花氏は「天皇機関説」で混乱した時期を<社会をおおうひどい知力の衰弱>と分析し、現在と重ねていた。

 本書の全容を拙ブログで紹介するのは、当人の実力からして無理がある。日本の近現代政治思想史に関心のある方には一読を勧めたい。後日<ニ・二六事件>をテーマにする際、本書を再度取り上げるつもりでいる。
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「突然炎のごとく」~25年で失くしたものは?

2007-02-09 02:16:59 | 映画、ドラマ
 「突然炎のごとく」(62年、トリュフォー)は、青春期の終わりを告げる作品だった。再会をためらっていたが、シネフィルイマジカで放映されたのを機に封印を解く。傷口が開いて蒼い血が噴き出すはずが、心身に漣さえ生じない。四半世紀の光陰が、体温と湿度を変えてしまったようだ。

 ある女性と本作を見た。俺は秘かに<恋人=彼女=俺>という三角形を描いていたが、カフェでの感想会で妄想を打ち砕かれる。「あたしもカトリーヌよ」と切り出すや、彼女は奔放な異性関係を語り始めた。恋人、写真家、中年実業家のパトロン……。自分の居場所が八角形の外、ポツンと付いたシミであることを思い知らされた。驚き、嫉妬、やるせなさといった感情は坩堝の中で業火になり、俺の恋を灰にした。彼女はその後、恋人の公務員と結婚し、複数の子の母になる。柳沢厚労相が拍手しそうな「健全な人生」は、波瀾万丈を期待していたギャラリーを少なからず失望させた。

 とまれ、本作がヌーベルバーグの金字塔であることに変わりはない。カトリーヌ(ジャンヌ・モロー)は公開当時33歳だったが、少女のようにしなやかで、かつエキセントリックだった。トリュフォーとクタール(撮影)が創出した「オール・アバウト・ジャンヌ」の趣さえある作品だ。歯切れ良いテンポで物語は進行し、会話はウィットに富んでいる。ストップモーションや画面サイズの切り替えを多用するなど、映像的な工夫も凝らされていた。

 作家志望のジュールとジムにとって、カトリーヌは挿入歌「つむじ風」の詩にある「ファム・ファタール」(宿命の女)である。アドリア海の公園で彫像に魅入られた二人は、謎めいた笑みを生き写しにしたカトリーヌと出会い、たちまち恋に落ちる。第三の情人アルベールも音楽家で、刹那的なカトリーヌの愛情を受け入れる素地があった。本作に描かれた恋愛は、現実から浮遊して形而上の価値を求める者のみが享受できる形といえるだろう。

 原題は“JULES et JIM”、即ち「ジュールとジム」である、一人の女性を愛することで友情が深まる三角関係は、「こころ」(漱石)が描いた深淵や絶望と異なり、フランス的で救いがある。確かにラストは悲痛だが、ジュールは「つむじ風」をバックに、安堵感を漂わせて坂を下っていった。

 私的な思い出と重なるからこそ、「突然炎のごとく」は俺の中で「神話」であり続けた。<蒼い情熱>や<女性への幻想>を失くした今、「出来のいい青春映画」に格下げになったが、次に見た時、いかなる感想を抱くか分からない。25年後なら75歳。生きていればの話だけれど……。

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雨に咲いた非運花~第41回スーパーボウル

2007-02-06 00:48:16 | スポーツ
 コルツが29対17でベアーズを下し、頂点を極めた。絶望と屈辱を味わい続けた非運コンビのダンジー・ヘッドコーチとQBマニングが、涙の轍に咲かせた大輪の花である。相次ぐ家庭の悲劇をも乗り越えたダンジーは、アフリカ系アメリカ人初のスーパーボウル優勝コーチに輝いた。

 コルツは今季、茨の道を歩んだ。シーズン後半、マニングが調子を落とし、ラン守備も崩壊(リーグ最下位)した。暗雲が漂ったものの、プレーオフに突入するやチームは変身する。Sサンダースの復帰で守備が整備され、パス軸の空中戦からラン重視の地上戦に戦術をシフトさせた。今季のベストマッチといえるAFCチャンピオンシップでは、天敵ペイトリオッツ相手に18点差を逆転し、「淡泊」のイメージを払拭した。

 個人的予想はコルツ圧勝だったが、強い風雨に胸騒ぎを覚えた。開始4秒、悪い予感は的中し、新人ヘスターの92ydリターンTDでベアーズが先制パンチを食らわせた。マニングは浮足立つことなく、ランとパスを織り交ぜ、強力なベアーズ守備陣の隙を突く。守備陣もベアーズのランを抑え込み、点差以上にコルツが圧倒した内容だった。NHK解説者の高野氏が指摘した通り、ベアーズQBグロスマンは、スーパーボウルに相応しいレベルに達していなかったと思う。

 今季あらためて認識したのは、<システムの力>だった。コルツはエースRBジェームズを失ったが、新人アダイとローズが補って余りある活躍を見せた。絶対的存在のマグナブがリタイアしたイーグルスも、ベテランQBガルシアが穴を埋め、チームを地区Vに導いた。チームのシステムに適合すれば、ドラフトやFAで新加入した選手でも、いきなり真価を発揮できるのだ。

 変化の兆しも至るところに現れていた。戦力均衡で接戦が増えた結果、キッキングの重要性が認知され、開幕前には<キッカーシャッフル>が起こった。コルツVの最大の功労者は、ペイトリオッツから獲得したKビナティエリかもしれない。安定した決定力がチームに安心感を与え、マニングの自滅を防いでいた。ラグビーのスクラムトライのように、固まりになった攻撃陣がエンドゾーンに殺到するシーンを何度も見た。NFLの戦術は試行錯誤を重ね、日々進化している。

 シーズンごとの放映権料が4400億円と、アメリカ資本主義の象徴といえるNFLだが、ロースター入りにあと一歩まで迫った河口正史氏は、興味深い分析をしている。いわく、<リーグを貫徹するのは社会主義である>……。サラリーキャップ徹底とウエーバー式ドラフトによって戦力は拮抗し、シーズン最終盤まで多くのチームがプレーオフ進出の可能性を残している。意識的に創出された機会均等が、至高のエンターテインメントを実現させるのだ。

 自己犠牲や和が重視され、サラリーキャップに悩むチームのため、自らの年俸引き下げを提案するQBもいる。RBたちはヒーローインタビューの第一声で、お約束のようにチームメートへの感謝を口にする。言葉だけでなく、ラインメンに豪勢な贈り物をしたり、食事を奢ったりと気配りを欠かさない。

 スーパーボウルに出場したヘスターやアダイだけでなく、ルーキーの活躍が目立ったシーズンでもあった。<フォーク⇒トムリンソン>を継承する万能型RBのブッシュ(セインツ)、機動性QBとして頭角を現したヤング(タイタンズ)など、綺羅星の如くである。最も魅力的なチームはチャージャーズとセインツだった。QBをめぐる因縁もある両チームが来季スーパーボウルで対決したら、史上に残るエキサイティングな試合になることだろう。

 放送体制や番組の中身で他局を圧倒していたのは、今年もスカパーのガオラだった。上記の河口氏と村田斉潔氏の2枚看板だけでなく、解説陣、実況担当者の知識や話術に感嘆することが多かった。

 とまれ、俺の「シーズン」は終了した。寂しくもあるが、満足いく結末ゆえ、当分は心地良い余韻に浸れそうだ。

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ロック最前線の音

2007-02-04 01:40:41 | 音楽
 昨年来、話題になっていた新作をタワレコで買い漁った。ブランクと年のせいで、審美眼ならぬ<審ロック耳>は衰えている。以下の評は的外れの連続に違いない。

 まずは、オアシスの後継者と喧伝されるアークティック・モンキーズの1stアルバム“Whatever People SayⅠAm,That' WhatⅠ'm Not”から。ドライでシャープ、ストイックで切っ先鋭い音は、UKメーンストリームという感じはしない。<ベルベッツ⇒NYパンク⇒ガレージロック⇒ストロークス>の系譜に連なるバンドといえるだろう。

 レイザーライトの2nd“Razorlight”は、60年代の匂いがする。ボーナス映像(パソコン対応)ではロジャー・ダルトリー(フー)をフューチャーし、「サマータイム・ブルース」を演奏していた。<ジャムの息子=フーの孫>といえる音に触れ、ロックに目覚めた頃の感覚が甦り、ノスタルジックな気分に浸れた。

 マイ・ケミカル・ロマンスの2nd“The Black Parade”はロマン主義的情熱に貫かれた作品で、70年代のグラムロックの薫りもブレンドされている。デヴッド・ボウイの“Ziggy stardust”を髣髴とさせる曲調に、シアトリカルな展開、ロマ風の郷愁も織り込まれていた。いかにもUK的な音だが、出身はアメリカ東海岸だ。ロックとは、時代や国境を循環しつつ進化するものなのだろう。

 中心メンバー脱退など紆余曲折を経て陽の目を見たのが、クーパー・テンプル・クロースの3rd“Make This Your Own”だ。80年代のニューウェーヴ、とりわけ“Pornogrphy”の頃のキュアーの影響が窺える。04年のキュアーの全米ツアーにはミューズらとともに帯同していた。本作は1stのダークな衝撃と2ndのポップな部分が適度に混ざり合い、バンド復活を告げる内容になっている。恵比寿リキッドルーム(4月11日)でのライブが楽しみだ。

 ブロック・パーティーの2nd“ A Weekend In The City”は、上述のクーパー・テンプル・クロースと志向性を共有している。1stの猛々しさを保ちつつ、UK独特の陰翳を深化させていた。来日公演のチケットは早々に売り切れたという。狂おしい<円月殺法>の切れ味に触れることができる人たちが羨ましい。

 嬉しいニュースが飛び込んできた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがコーチェラフェス最終日、大トリとして1日限定で復活する。レイジとはラディカルなメッセージ、音楽的革新性、超絶パフォーマンスと、ロックの理想をすべて備えたバンドだった。逆さまの星条旗、ゲバラの写真、トム・モレロのギターに記された「ホ-ムレスよ、武装せよ」の文字、飛び跳ねながらアジるザック……。暴風雨下で決行された第1回フジロックでの名演が甦った。

 NHK-hiでフー・ファイターズatハイドパーク(昨年6月)を見た。極上のポップチューンが次々に繰り出され、8万5000の大観衆がデイヴと合唱する。別稿(12月2日)に記したが、俺は凄い奴と握手したものだ。

 上記のバンドでレイジやフーファイに迫る可能性があるとすれば、ブロック・パーティーではないか。3rd以降の課題は、内向きのベクトルから自らを解き放つことだと思う。

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寄らば大樹の陰~フリー1周年の感想

2007-02-01 02:35:49 | 戯れ言
 労働週間の真っ只中ゆえ、今回も書き殴りブログになる。テーマは「フリー1周年」だ。

 勤め人時代、部員を考課する立場にあったが、<お手本>ならぬ<反面教師>でしかなかった。人事制度に根本的な疑問を抱いていたから、吐く言葉の多くは自分を偽るものになる。あらゆる面で「クチクラ化した幹」であることを自覚した02年末、「2年後に辞める」と宣言し、その通り実行した。

 1年以上のブランクを経て昨年2月、校正・校閲関係の事務所や編集者にコンタクトを取った、巷に溢れる<デジタル日雇い>として、「冴えん」という口癖ままの事態に何度も直面したが、裃を着ていた社員時代より快適な日々を過ごしている。

 校正・校閲に限定だが、この1年の体験を基に、フリーを目指している人にアドバイスしたい。

 【大きな事務所に所属せよ】…複数の事務所に登録して仕事をしてきた。先日の「朝まで生テレビ」でも話題になっていたマスコミ業界の深刻な格差は、フリーにも波及している。同じ質量の仕事をこなしても、ギャラが倍以上違うケースは少なくない。大きな事務所は印刷会社と繋がりが深く、営業活動も活発だ。<量が質を規定する>の法則通り、優秀な人材も多い。結果として<金が金を生む>好循環で回転していく。

 【若いうちに決断せよ】…校正・校閲といっても、手順や留意点は作業によって異なる。同じ仕事を20年続けたことがマイナスに作用したことが頻繁にあった。フリーになるなら、柔軟性と体力を維持している30代半ばまでがベストだ。

 【都内に住め】…小規模の事務所では交通費は一切出ないし、大きな事務所でも現場によっては自腹のケースがある。深夜作業でタクシー代が発生する場合、家が近いだけでメンバーに選ばれることもある。都内に住むに越したことはない。

 【在宅は避けよ】…オンとオフの切り分けが難しい在宅は避けた方がいい。テレビやパソコンが近くにあると気が散るし、事実関係をことごとくネットで調べたりして時間がかさみ、ギャラに見合わぬ作業になるからだ。

 【人との繋がりを大事にせよ】…人間関係が大切なのは、会社員もフリーも変わらない。認知度が高まれば、仕事の機会はおのずと増える。

 いまだ輪の外の老ルーキーだが、個性的な人たちと出会うことができた。俺と同じ素浪人風、多彩な趣味人、ボランティアから労働運動まで様々な分野の活動家、プロの著述家、仕事の鬼……。年齢を問わず人格者も多い(変人も多いが)。女性が占める率が高い業種だが、彼女たちの丁寧な仕事と細やかな気配りに救われることも多かった。

 能力(正確さ&スピード)は必要条件として、a体力、b気力、c営業・企画力、dシステム(パソコン)の知識、e人に好かれる資質、f運のうち三つの要素を満たしていれば、思わぬ高収入を得ることも可能な世界といえるだろう。
コメント (4)
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