「天皇と東大」(立花隆著)に触発され、2・26事件(1936年)について記すことにする。テーマがテーマだけに昨日中に更新するつもりだったが、夕飯後に不貞寝し、目が覚めたら日付はとうに変わっていた。
30年代前半、浜口首相襲撃(30年)、3月事件、10月事件(31年)、5・15事件、血盟団事件(32年)、神兵隊事件(33年)、永田軍務局長斬殺(35年)とクーデター未遂や要人テロが相次いだ。対する左翼も負けてはいない。度重なる弾圧でインテリ層は意気阻喪状態だったが、鐘紡、東洋モスリン(30年)、住友(31年)、東京市電(34年)など大規模な労働争議が頻発していた。
左右の活発な動きの前提は、飢饉による農村の疲弊と都市での格差拡大だった。当時の政府は、<先軍政治>を掲げる現在の北朝鮮同様、国家予算の多くを軍備増強に割き、民衆の喘ぎに頬かむりしていた。「天皇と東大」にも記されていたが、左右両極は「蜜月状態」にあり、右翼青年は生命を賭すマルキストたちを<憂国の同志>と見做していた。主義主張は180度異なるが、ともに平等な社会を目指していたからである。
騒然とした状況は「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)からも伝わってくるが、字面だけで当時のパトスをつかめるはずもない。例えば一昨年の郵政解散。<05年総選挙では、格差拡大政策で恩恵を受けなかった若年層や地方有権者からも支持を得て、小泉自民党が圧勝した>……。こんな記述を後世の人が読んだら、奇異に感じるはずだ。時代の空気とは、事実の積み重ねを超えたものなのだろう。
2・26で決起した青年将校たちは、平泉澄東大教授ら国粋主義者の影響を受けた天皇教信者だった。平泉は<天皇退位⇒秩父宮即位>の動きにも一枚噛んでいたとされる。「天皇と東大」で、「一億玉砕」のスローガンや特攻隊が<平泉美学>の具現化であったことを知った。戦前の日本では、大義に身を捧げる「自爆攻撃」が国是だった。
理論的指導者として銃殺された北一輝は、10代の頃から天皇制否定論者、社会主義者として名を馳せていた。大逆事件の連座を免れ、中国革命に奔走する。誇大妄想家、山師など否定的な声も多い北だが、岸信介が心酔したように、怜悧なリアリストとしての側面も併せ持っていた。<クーデター成功後、木偶である天皇を使い捨て、民主革命の道を開く>という青写真を描いていた北だが、天皇崇拝を強める将校たちと乖離しつつあった。
2・26とは明治以降の二大潮流、国家主義と社会主義が交錯した、同床異夢の大事件といえるだろう。理念と純粋な思いは、正しく美しいゆえに敗北する。実利を得たのは、「天皇神聖化」を推進しつつ、面従腹背で統帥権を干犯し続けた軍上層部だった。
当時と現在の相似点を指摘する識者は多い。<小泉=竹中ライン>が下層社会を拡充し、排外的ナショナリズムに適した土壌を造成した。「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍首相に、立花隆氏、辺見庸氏、佐野眞一氏、姜尚中氏らは警戒の念を表明したが、失点を繰り返し、支持率は下げ止まらない。
排外的ナショナリズムが下火になったのは結構だが、俺を含めた下層社会の声を代弁する政治勢力も弱体のままだ。この国では、パトスや情念、理念や思想も死語になりつつあるのかもしれない。
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30年代前半、浜口首相襲撃(30年)、3月事件、10月事件(31年)、5・15事件、血盟団事件(32年)、神兵隊事件(33年)、永田軍務局長斬殺(35年)とクーデター未遂や要人テロが相次いだ。対する左翼も負けてはいない。度重なる弾圧でインテリ層は意気阻喪状態だったが、鐘紡、東洋モスリン(30年)、住友(31年)、東京市電(34年)など大規模な労働争議が頻発していた。
左右の活発な動きの前提は、飢饉による農村の疲弊と都市での格差拡大だった。当時の政府は、<先軍政治>を掲げる現在の北朝鮮同様、国家予算の多くを軍備増強に割き、民衆の喘ぎに頬かむりしていた。「天皇と東大」にも記されていたが、左右両極は「蜜月状態」にあり、右翼青年は生命を賭すマルキストたちを<憂国の同志>と見做していた。主義主張は180度異なるが、ともに平等な社会を目指していたからである。
騒然とした状況は「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)からも伝わってくるが、字面だけで当時のパトスをつかめるはずもない。例えば一昨年の郵政解散。<05年総選挙では、格差拡大政策で恩恵を受けなかった若年層や地方有権者からも支持を得て、小泉自民党が圧勝した>……。こんな記述を後世の人が読んだら、奇異に感じるはずだ。時代の空気とは、事実の積み重ねを超えたものなのだろう。
2・26で決起した青年将校たちは、平泉澄東大教授ら国粋主義者の影響を受けた天皇教信者だった。平泉は<天皇退位⇒秩父宮即位>の動きにも一枚噛んでいたとされる。「天皇と東大」で、「一億玉砕」のスローガンや特攻隊が<平泉美学>の具現化であったことを知った。戦前の日本では、大義に身を捧げる「自爆攻撃」が国是だった。
理論的指導者として銃殺された北一輝は、10代の頃から天皇制否定論者、社会主義者として名を馳せていた。大逆事件の連座を免れ、中国革命に奔走する。誇大妄想家、山師など否定的な声も多い北だが、岸信介が心酔したように、怜悧なリアリストとしての側面も併せ持っていた。<クーデター成功後、木偶である天皇を使い捨て、民主革命の道を開く>という青写真を描いていた北だが、天皇崇拝を強める将校たちと乖離しつつあった。
2・26とは明治以降の二大潮流、国家主義と社会主義が交錯した、同床異夢の大事件といえるだろう。理念と純粋な思いは、正しく美しいゆえに敗北する。実利を得たのは、「天皇神聖化」を推進しつつ、面従腹背で統帥権を干犯し続けた軍上層部だった。
当時と現在の相似点を指摘する識者は多い。<小泉=竹中ライン>が下層社会を拡充し、排外的ナショナリズムに適した土壌を造成した。「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍首相に、立花隆氏、辺見庸氏、佐野眞一氏、姜尚中氏らは警戒の念を表明したが、失点を繰り返し、支持率は下げ止まらない。
排外的ナショナリズムが下火になったのは結構だが、俺を含めた下層社会の声を代弁する政治勢力も弱体のままだ。この国では、パトスや情念、理念や思想も死語になりつつあるのかもしれない。
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