酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「断捨離パラダイス」~喪失の哀しみがごみ屋敷を生む?

2023-07-12 13:55:45 | 映画、ドラマ
 PANTAさんが亡くなった。享年73。話し込んだのは一度だけだったが、至福の時間は心に刻まれている。日本の音楽シーンに変革をもたらしたロッカーの冥福を祈りたい。次稿で思い出を綴るつもりだ。

 訃報に触れるたび、皮膚が剥がれるような痛みを覚える。断捨離は<不要な物を断ち、物への執着を捨てること>だが、66歳にもなると、時を共有した人々が召され、記憶の箱から物事が消えている。断捨離≒終活といえなくもない。新宿武蔵野館で先日、「断捨離パラダイス」(2023年、萱野孝幸監督)を見た。全編福岡ロケで2週間限定公開とインディーズ色が濃い作品だった。6篇からなるオムニバス形式のヒューマンコメディーである。

 第1篇と第6篇は主人公の白高律稀(篠田諒)に照準を定めている。律稀は有望なピアニストだったが、原因不明の手の痺れでキャリアを断たれてしまう。恋人にも去られ、追い詰められた律稀は、たまたま手にしたビラを見て、清掃業者「断捨離パラダイス」で働くことになる。全くの異業種で務まるはずがなさそうだが、社長の市木(北山雅康)は適当そうに見えながら慧眼の持ち主だ。律稀の資質、いや絶望の深さを見抜き採用する。

 最初の現場で嘔吐するなど前途多難な律稀だが、市木だけでなく温かなスタッフにフォローされ、ごみ屋敷清掃の手順を掴んでいく。第2篇の舞台はシングルマザーの青原明日華(中村祐美子)の汚部屋だ。元AV女優という設定で、息子のネグレクトを心配した担任教師の岸田万莉子(武藤十夢)の家庭訪問に備えて清掃を依頼する。万莉子の部屋は第5篇の舞台だった。

 明日華と万莉子は一見、対照的なキャラだ。水商売に従事している明日華はだらしなく、熱心な教師の万莉子は世間体を保っているが、通じ合う部分が大きいのは第6篇でも窺える。律稀は業後、「息子さんに見られないよう、DVDは処分した方がいいのでは」と明日華に話したが首を振った。負のイメージがあるAVだが、明日華にとって〝存在証明〟だったのだろう。出演しなくなったことによる喪失感がごみ部屋の理由だったのか。

 万莉子の部屋で作業中、律稀は恋人が贈った指輪を見つける。万莉子の目をのぞき込んだが、そばにいる恋人を意識して首を横に振ったので、律稀は指輪をごみの中に投げた。〝まじめでつまらない婚約者〟の未来の喪失が、万莉子の脳内にインプットされていたのかもしれない。第3篇に登場するヴォン・デ・グスマン(関岡マーク)はフィリピン出身の優秀な介護士だが、母の死以来、片付けをしなくなる。喪失の哀しみがいかに人を苦しめ、整理整頓への意志を奪うのかわかった気がした。

 多くの時間を割いていたのが第4篇だ。ローカル局の報道番組でも取り上げられるゴミ屋敷の住人、金田繁男を演じるのは泉谷しげるである。通学路であるため、見回りしている万莉子が取材に対し、無難なコメントを残しているのが楽しかった。喪失の哀しみという点で、繁男は妻を亡くし、息子とも疎遠になっている。ごみの中にお宝(盗品?)が埋もれているらしく、欲に目がくらんだドタバタも演じられていた。

 コミカルだけど、どこか人生の本質を突いている。そして、登場人物のさりげない言葉やしぐさに自分を重ねてしまう。そんな優しい作品だった。俺もまた断捨離出来ず、本、CD、映画のパンフレットがたまった部屋で暮らしている。明日華にとってAVは〝存在証明〟だったが、俺にとって本、CD、映画は自身を形作ってくれた欠片たちだ。処分することは自分を棄てるのと同義なのだ。
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