湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/14 私の生育歴から見える世界は、個的なものにすぎないのか(2)

2020-10-15 04:03:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/10/14 

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ネットワーキングとは、小学生の理解だから、統計と推論とか、企業活動の総合性とか、教科の断片を実社会ルポにパズルの断片をあてはめていたに過ぎないのだが、新聞写真は点の集合に過ぎないが、その集合から異次元の意味がこめられているような、各教科のパッチからは抜け落ちてしまう、知らされない次元のような、つまらない分割学習の展望の欠陥を感じとっていた。


私立中進学のためと、私には私立高の地学系の教員が家庭教師についた。彼は私を瑞浪等の化石のフィールドに連れ出してくれたり、名和昆虫館の研究員と出会わせてくれたりした。それは広く地史的な時間との出会いであった。一方、ひとの歴史の転換点を新聞の読み方からコーチしてくれた。これも後になってわかったことだが、彼は60年安保の活動家であり、大学の研究者の道をはずれて私学教員になっていたのだった。私は彼から知の世界の広がりの入口を教わったのだと思う。高級なことではない、生きた知識の手応えを伝えてくれたのだと思う。


私立中入学後、私は地学部とアマチュア無線に凝り始め、大学受験を見据えた高校先取り指導がある、猛烈な進度の学習の日々につまらなさを感じ、成績が落ち、喘息と過敏性腸炎の身体の拒絶が激化、また1年留年した。


塾の近くの夜の成願寺川で死を願い茫然と立ち尽くしていた。白い陶土質の無人の川原が満月に照らされ、あたかも死の世界を見ているような不思議な体験に、自殺の無意味さを味わった。仏教に言う悟りのようなものかもしれない。


2年目の五月、父の転勤から、曽祖母、祖父母の店引退と介護の始まりから、茅ヶ崎に移住。市立中編入後、

成績は再び学年3位内にもどり、中3のとき、元の家庭教師の紹介もあって、ひとり日韓条約反対のデモに参加。そこから、生と差別がわかる人物探しを開始した。


(つづく)


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