家に前に住んでいた方宛の封書が届くので、近くの郵便局にもっていった。局長は、新居の町内会の会長をつとめているのでご挨拶してきた。彼はぷれジョブの自閉症スペクトラム児の就労体験の場に、郵便局を利用させて下さったり、障害児者の社会参加に協力している方だったから、なおさらの事だった。
----------------------
2020/10/21 記
----------------
私が1960年代後半という60年も昔の時代から執拗に論をたてているのは、不登校・引きこもりの伴走活動の視角からみているが、より普遍的に社会運動が、複数の割期を持って、大きな質的転換をとげているからであり、社会状況がのれんに腕押しの構造に墜ちる理由の手がかりをあたえてくれるように思うからだ。大枠の話からはいるが、ぜひ目を通して下さい。
日本が高度経済成長期を終えて、私たちの生活は、1973年の第一次オイルショックを境に、生活水準は上昇を終え、停滞の時代へとすすんでいく、1979年の第二次オイルショックの時には、産業も重工業から、家電や自動車にシフトし、産業構造の転換は、経済危機回避策を内包した終身雇用型から職務職能の能力型へと転換し、職場一掃フットワークの軽量化効率化をすすめていく。これは就職できれば安泰という、生活安全保障の確かさを価値として、大企業や公務員、高額所得職を狙って受験競争をしてきた者にとって、常に失職のリスクを負うことであり、職の流動化というマルチな能力を要求されることになった。高度な専門職化と、自営継承者を除く、自主目標を見失った圧倒的多数の流動層の誕生があった。階層は二分岐しはじめる。受験進学の先にエリート化を望む3割(現在は2割)と、そこそこの生活水準継続の流れに身を任せる現状肯定の若者層が生み出された。
オイルショックの激震があったものの、消費社会は飽和から欲望誘導の商品(娯楽・観光・スポーツ等を含む)の取得と消費に主眼が向き、学習は価値空洞化し、手形化、手段化、呪文化していく。ここに「身の回り2mの実社会」と「マスメディアの消費誘導」、情報機器普及による「自己仮想化」に生きるいわば「ジャイロスコープ」的小型化生活感が蔓延していく。
90年代を通して、やがて迎える2008年のリーマンショックまでの期間、その階層分極と、低所得層の崩壊は、中間層の底辺を脅かし、むしばんでいく。日常の混迷、漠とした鬱屈といういじめの土壌がこうしてうみだされていった。
----悠長な話になっているが、不登校・引きこもりは、時代背景によって姿を変えており、また、発達障害の活動との出会いと質の差を明確化していきたいとも考えている。
(つづく)
-----------
夜間傾聴:開店休業
(校正1回目済み)