2020/10/10 記
----------------
母の不調続く。にわか雨の中、嫌がる母をタクシーに押し込んだ。荒療治と思ったが、茅ヶ崎駅前の眼鏡屋につれて行き、眼鏡を新調させた。駅ビルのトンカツ屋で、夕食を済ませた。
出費だった。しかし、母の活気ある表情は久びさだった。しかし、母の「めまい」は心因性のものではないので、同伴に注意が必要だが、帰りのタクシー(メーターが変わる前に到着)を降りて歩く足取りは、しっかりしたものになっていた。
-----------
「コロナ禍下の要援護者支援の防災活動ランダムメモ」を書いていて、私の社会活動の原点に発想が拡がっていくのを感じた。それは「ひとの生死をめぐる命の等価性と一回性」をめぐるものと、「個的体験と標準という差別に晒される多様性の発見」という基調があり、それは「閉ざされた対話環境」の、天の岩戸をこじあけるような、または無残な片思い。
そんなことが被災地訪問体験や、生育歴の諸相の背後にうかんではきえた。
また、「階層と慈善活動(隠蔽される私)の壁」という影の軋轢。
そして、不登校、引きこもり活動の定形家族と家族制度批判のベクトルと、障害児者活動と「子育て」をめぐる対立という切り口も見えてきた。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)