湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/16 「わーくNo.066 6&7ページ」(8は省略) 他

2016-08-17 05:59:36 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/16 記
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「わーくNo.066」6~7ページ

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6ページ

<東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから
 ~被災障害者の困難テーマのビデオ作品「逃げ遅れる人々」   他・上映(完了)>

 2013/12/13 「逃げ遅れる人々」・「生命のことづて」+資料の組み合わせで上映会を企画した。東日本大震災では特に在宅障がい者の津波避難が立ち遅れ健常者の3倍弱に及ぶ死亡被害が起きてしまった。特に医療支援の必要な障がい者は、長時間停電や酸素ボンベ補給遮断によって命を落としていく事件は災害の残酷さを支援者たちに突きつけた。映画のなかの医療遮断の絶望から、「もうあきらめましょう」と当人が語るシーンは忘れられない。

車椅子がガレキによって痞えなくなってしまったり、常備薬が補充されなかったりと、障がいの状況によって困難も様々だが、ろうの方は健常者と勘違いされてトラブルがおきるという話も、改善が求められた。ろうの団体の方々の手話支援感謝。


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<東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから/茅ヶ崎懇話会設置と参加>(継続中)

 東日本大震災被災者への訪問・仲介支援を行うために、岩手県の気仙地方を巡回しているうち、災害ボランティアのエネルギーの違いを感じさせられた。ガレキ撤去や援農などの復興補助の活動と、仮設集会所企画と個別訪問を中心としたコミュニティ育成を心身の保健活動の医療・ケアと生活支援の質的な違いだった。

 いまやれることを提供するという善意と余力提供活動と、ひとの心に伴走するケア支援は長期支援が必要で、ここには、専門職以外の外部支援者の仕事の形とチーム活動への引継ぎの受け皿が描けないために、結局は地元専門職の双肩に委ねるという過負担を強いることになる。必要であるにもかかわらず、特に要援護者の支援は急性期から慢性期には手厚い支援が必要であるにもかかわらず、リレーとチーム支援の中に、外部ボランティアの立ち入る隙間は無いのかと思う。実効的な企画の絵を描く基礎作業が、各地に必要なのだと思う。

 こういう気持ちをもとに「茅ヶ崎懇話会」は微力だが、現場の体験エピソードを吟味して行く場を、年3・4回、被災地からゲストを招待して懇談している。ゆえに一般向け講演ではなく、ケア関係者の懇談なのだが、その必要性は徐々に広がっているというのが現状だ。

 「わーく」の青少年にはボランティアとしての役割を描くことは難しいが、指導者育成を目指す場であると考えて提案した。現場経験を分かち合う現場主義の懇談会という個性を持っている。

(ゲスト講師一覧 略)


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P.7より
<東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから/椿油搾油販売福祉作業所の支援活動~大洋会青松せせらぎ作業所との仲介企画~>(頓挫)

岩手県大船渡市は、栽培椿の北限となり、発災以前は化粧品会社に椿油を卸す産業があった。

しかし時代の趨勢で搾油業者は石川製油さんだけになっており、そこに震災が起こった。搾油技術を継承する方の見通しがたたない状況を受けて、(社福)大洋会青松館作業所がその役割を
引き受けたものの販路がつかめない困難が課題となっていた。

隣の市の陸前高田の青松館作業所に飛田が通い、原料としての椿油の販路仲介が出来ないかということで、利用例を探っていった。椿油は非常に安定した高級油で、化粧品や刃物錆び止め
や、つげの櫛の保存用に使われた。しかし等級のやや低いものは、伊豆大島では天ぷら油として日常生活に入っており、長崎五島うどんでは、製麺時、油を練りこんでいる。また揚げ菓子の配合油として、名物販売していた。無味無臭の油なので、調理パンには、椿油の花びらを装飾に使い被災者支援の企画商品を考えた。茅ヶ崎の障がい者団体に話を持ち込んだが、全く相手にされないという情けない結果となった。その後、横浜のフェア・トレードを行っていたネパリ・パザーロさんが、より窓口を広げた被災者就労支援の中に組み込む形で、独自にも陸前高田側に「椿の道」工房を開き、商品販売に取り組んでいる。

●「就労継続支援B型事業所・大洋会青松館せせらぎ作業所」
●「ツバキ油搾り/陸前高田「椿油工房」で始まる 「今年は実のなりが良い」/岩手」
●「陸前高田のうまいもの・たがだ屋」
●「石川精油」
●「私の森.jp(ネパリ・パザーロ製油工房・椿の道)」

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<東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから/高齢者移送用車を移住ボラに寄付>(完了)

2012新聞紙上では、中古車販売のガリバーが、宮城県を中心に、
震災復興地元団体や、行政に中古車を提供しているという話があった。

当時、陸前高田市広田町は路線バスが一日2本しかなく、広田側から盛駅までの朝の一便と、この逆の夕方の1本しかない自家用車社会があった。ただこの車も、通勤用に使われており、主婦や高齢者の買い物や通院などは、この路線バスを利用しているという。現在は地域に定期市がたったり、Maiyaという大型スーパーの送迎車が1往復しているとのことで、買い物の便利さ
は高まってきている。ただ通院は保証されていないこともあって、茅ヶ崎の災害ボランティアさんに中古車提供を呼びかけた。車検ぎれの1台の提供があり、20万円かけて、支援団体に贈った。

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P.8は、No.065と同じ「金曜災害ミニ・カフェ」の9月予定なので、省略。


----- ここまで ------

台風7号が近づいているとのことで、「わーくNo_066」を市行政、市社協、老人クラブ、地区自治会、地区社協、サポセン所属団体の事務所まわりだけ配布を行う。

ビッグイシュー配布、半数。

「わーく」の校正を行ったが、それでも誤字が出てきた。以下の通り。


p.2 16行目
「全く反応、数年かけて、」>「全く無反応、数年かけても」
p.6 7行目「痞えなくなって」>「使えなくなって」
p.8 8行目「7/8」>「9/9」
  10行目「7/22」>「9/23」

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夜間傾聴>開店休業
     塾長(邪魔)

(校正1回目済み)

 

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8/15 「わーく No.066 3~5頁」β版/終戦記念日の路上活動と「ビッグイシュー」販売活動

2016-08-16 04:59:51 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/15 記
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「わーくNo.066」のβ版が完成した。今、校正に入っている。今回は、3~5ページを載せる。


----- ここから -----

3ページ

<「災害その時☆ハイティーンズの仕事」(04)継続中>

~在宅避難者支援の地元「御用聞き」自転車部隊~
★障がい者や介護度の高い高齢者は、避難所の集団生活のストレスには耐えられないことが多く、
行政が設置する福祉避難所だけでは災害弱者を収容できなかったり、環境に無理が出る場合もあって、家屋に危険があっても、自宅避難や、熊本地震のときのように自家用車生活を選ぶ方々が必ず生まれてしまう。私設避難所(寺社や町内会館・個人宅など)を含んで、未登録の避難場所に移る方は、公共サービスやボランティアの支援がなかなか届かない不利益を被ってしまう。119を含む医療サービスが届かぬことは、命に関わります。

★指定避難所を離れた避難生活には、健診医療情報や物資配給情報などの生活情報や、物資・食糧配給などが届かないこともあって、行政の仮設窓口や行政に連絡の取れる指定避難所、そしてボランティアのボラ・センなどとの連絡や、物資・食糧仲介の仕事は、重要な仕事となる。これを中高生世代に任せられないだろうか。発災直後は学校は休校になり、授業が始まっても部活の時間を使って、いわゆる「御用聞き」ボランティアを行うことは可能だろう。

★中高校生世代は土地勘があり、フォーマットの決まった仲介用紙を持ち歩けば、経験の未熟さも軽減できる。しかし、発災直後の外出は道のガレキや陥没、側溝やマンホールの蓋がないなどの危険が伴うので、1)日中活動 2)二人組 3)組織行動 4)自転車利用 が不可欠であり、感染症や衛生の簡単なレクチャーも受ける必要がある。また配食サービスが始まれば、弁当の配達と回収(必須)を通じて、地域の大人や災害弱者の交流体験は、必ず当人の人生に無形の影響を残してくれるだろう。これは特に都市型の地域について、裏の意義は大きい。勿論、先方とのトラブルも予想されるため、チームの相談役兼苦情係の大人がバックアップする必要がある。(図版)

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4~5ページ

<東日本大震災のなかで提案した「わーく」のアイデアから/被災ペットの仲介・新しい飼い主さん探し~引きこもり青年達のチラシ配布~(完了)>

●皆は、たかがペットと思うかもしれない。しかし単身高齢者や、家族を失った単身者にとって、犬猫は同居人を越えた「大事な家族」なのである。家畜と異なり、ペットは「家族」扱いされる動物であり、私が被災者支援活動を始めた雲仙普賢岳噴火以降の被災者の話には、ペットの喪失感が何度も話題となっていた。

●避難所にはペットは連れていけない。「ひとと動物とどちらが大切か」と問われる。自分達の感覚は少数派であるだろうか、笑われても、叱られても「大事な家族」なのだ。そこに「ペットの保護」と「預かり仲介」のペット・レスキューのボランティア活動が生まれる。動物愛護の視点のものもあるが、ひとの心に寄り添いたい。だがその善意の活動の殻をかぶった詐欺が横行するのも、この活動なのだ。

●「わーく」編集部の、社会参加活動としての災害ボランティア活動では、念頭にあるのが引きこもり青年たちの社会復帰の契機を見出すというバイアスがかかること、そこに役立つことが優先する。被災者の私生活レベルから捕らえ直し、社会貢献の道を探る。ひとを知り、ひととなる。それが要援護者支援である。

●動物愛護の団体は、被災地の近くに開設されるペットのシェルターの運営や、全国の一時預かりの飼い主さん探しを行うが、私達は被災者さんとのつながりを意識し、私達が地元ならばその強みを活かし、元の飼い主さんとシェルターのペットの様子を報告する活動をしたり、外部支援者ならば被災地外の飼い主さんを決定後、ネットを介して様子をつなぐ活動を行えれば合流できると考えた。

●そこで福島県の原発避難で、取り残された大量のペットの保護飼育を行っている3つの団体関係者と相談をし、被災地外支援者として、飼い主さん募集協力活動を始めた。2つの団体とは「にゃんだーガード」・「ねこひと会」という福島と東京の動物愛護団体であり、そこの募集リストの一部を紹介させてもらうことになった。

●「被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会」を設立し、隔月刊のポスター型募集紙を18回発行し、地元の獣医さんとペットトリマーさん、市役所・郵便局等の外来や玄関口21ヶ所に貼り出してもらった。申込をした希望者さんのところには、シェルターとの間の仲介者が適格審査に伺い、合格すると預けられるという形をとった。厳格だが生き物を途中放棄されてはならないし、被災者「家族」を預けるのだから転売は防がなければならなかった。

●活動の形を得た引きこもり青年たち3名は、編集印刷した募集ニュースの巡回掲示と、A5簡略版の街頭チラシ配布を始めた。しかし、この活動はすぐに暗礁に乗り上げた。もともとハンデを背負い対人恐怖と対決する気持ちが固く、臆した彼らから1枚もチラシを受け取ってくれる方がいなかったのだ。また掲示版ニュースは、巡回中,獣医さんたちの質問にフリーズしてしまい、結局彼らは編集作業のみとなり、配布は私が請け負うことになってしまったのだった。

●その結果、簡略版チラシは一部手直しが入った。飼い主募集が退き、義援金募集を前面に出した。送金先は2つの団体の正規口座宛であり、相談先のみ飛田のところにおいた。しかし、この簡略版も再び問題が起きた。個人宅へのチラシ投函は犬に吼えられたり、不審者として詰問されたりすることが起き、足がすくんでしまうというのだった。このことから、茅ヶ崎・藤沢の団地関係への投函に投函先が絞られた。ところが団地ではペットを飼えないという矛盾があった。効果は見こめないが挫折させたくない。そのために義援金募集中心となったのだった。

●私を含んで3人で、のべ5万枚のチラシを、内容空転覚悟で投函した。応答は「あなたたちは、どこの政党のものか」という問い合わせが何回かあっただけ。飛田のところには、知人ルートが2件、問い合わせが獣医経由で1件あっただけだった。収穫は、3人で投函作業を行った達成体験と、獣医推薦の魚市場近くの方の1件があるだけ。しかもこの方は高齢ゆえ、家族の反対があって成立しなかった。

●私の知人ルートでは、某病院の看護師さんが楢葉町の猫を飼ってくださったことと、同じ楢葉町の病猫を某団地内で内緒で見送ってくださったことだ。1年後、看護師さんは寮に入るとのことで、猫は再び飛田が引き取った。

●活動としては始め易い災害ボランティアとして始めたものの、対人恐怖がある方は段階参加のステップがなければ無理という結果で、3年に及ぶ活動は終止符を打った。「命の旗」関連チラシの、のべ1万枚と合計6万枚のチラシ投函は誇っていいと彼らに言ってはいるのだが。

●もともと引きこもり青年の就労希望先に、ペットトリマーさんや、ペット看護師さんが昔からあり、これらの活動は、ペットの散歩活動(散歩中、地域の方との緩やかな出会いがある)などのバイトを含んだペット関連職の方と知り合う契機を作るものとして、実は裏の目的を飛田は設定していた。これは職場先開拓として、一歩進められたと考えている。

●また、湘南の支援者さんを拡げるため、市議さんにも声をかけ、組織化に協力してもらった。取り組み易い活動として、後援会の方に活動参加してもらうことになったが、Pet Trust という3番目の団体(新子安駅前)代表の笹部圭以氏(ペットのしつけのプロ・日本動物福祉協会会員)の被災ペットの引き受けをテーマにした講演会を開いたが、市議さんからは信じられない言葉が届いた。「明日は都合があって行けません」というものだった。後援会協力話はとうに失せ、私たちの準備した会合に顔を出すだけという議員の付き合い型の関係に変質していたのだった。私たちからは、遠方の久里浜からひとり、初めて一般会合に参加したHさんが凍りついて席に座っていた。あとの方は、某県議の関係者の方と、とんでもない勘違いをしている方々と十数名が参加した。

●とんでもない勘違いとは、当時、寒川にペットのシェルターを構えていた団体があり、元ヤクザ系の方が、ペットの愛らしさに動物愛護活動を始めたという団体が、大型トレーラーを使って仲介活動をしていた。そのHPはおどろおどろしい鬼が踊るアニメが本来の活動画面を塞いでいたり、寒川町行政とトラブルを起こしていた。そのシェルター見学をしてきた熟年の奥さんたちが、シェルターで乱暴な扱いをうけたのでと謝罪を求めて講演会にきていたのだった。全く無縁な活動であることの説明で、雰囲気は壊れ、笹部さんには失礼な会合になってしまった。

●予兆はあった。この講演会の前に、寒川町町議会事務局にチラシを持っていったところ、警察が相手と思われる電話がその場で始まり、「事務局は受け取れない」という晴天の霹靂のような事態を経験していた。その何日か前に、町議の**さんに、協力を求めたが、険しい顔で、「私はあなたの活動と全く関係がない」とお叱りをうけて、面食らって帰って来ていた。その後の誤解は全く解けていない上、他の活動にも信用問題となって噂が尾をひいていった。

●私たちの活動は動物愛護活動ではなく、被災時要援護者支援活動のひとつとして考えている。また湘南若年者の災害ボランティアとして、引きこもり青少年の社会参加の災害ボランティア活動として考えていた。「家族」としてのペットという被災者個々人との契約を重要視した活動である。

●引きこもり青少年たちの対人恐怖には、本来会のスタッフがアシストすべきこと。訪問支援活動を基礎とする引きこもり青少年支援は、居場所という拠点ができない。ゆえに社会活動としては、成り立ちにくい難点がある。進学や就職できると家族も活動から身を引き、疎遠になっていく。そういう通過点の活動であり、万年定着できない。そこを越える活動、居場所を前提にしないでもやっていける活動を作らねばと苦戦している。また、障がいを持つ引きこもり青少年の支援活動は、手帳を持つ障がい者の活動の依然外側にあり、一方、挫折回復型の引きこもり青少年支援活動からもアウトローとなっている。やっと発達障がいの知見が拡がり、市民権を得てきたが、そのふたつの活動の谷間にいて、傷口は広がっている。湘南に大災害が起きたとき、若者が支えるべき活動の一分野がペット保護活動だが、活動論は多様性を含めたかたちで提案できるように、整理しておく必要がある。それが今後の「わーく」の仕事、経験を残すことである。(掲示用ニュース・タイトル図版)

------ ここまで -------

墓参が延期となった。陸前高田行が後期夏期講習に重なって、9月初めになってしまった。正直言って憮然たる思いでいる。母の様子見は母の介護度の限界もあって、浜見平の友人に覘いてもらうことになったが、先方の都合の制約を受けた。

「わーくNo.066」の配達と「懇話会ニュース」配達と説得、「ビッグイシュー」誌配達をこの間に行う。

母はデイに出かけているが、庭師の**さんに、庭の雑草刈りと松の手入れを頼み、「ビッグイシュー」の販売員さんから冊子を買い取った。買い物を済ませ、早く家に戻らねばならなかった。

終戦記念日のため、ビッグイシュー販売の場所を政党のアピール活動に占領されて、1冊も売れないと販売員さん。食費を稼いでいるのに、道路使用許可をたてに追い出されたと怒り。全く冊子の役割を理解してくれないと怒る。気になったので、主催者に仲介談判するも、販売員さんの言うとおり、全く聴く耳をもっていなかった。政党の市支部に連絡を取り、抗議。やっと、一部を販売員さんのスペースに空けてくれたが、納得はしていないのが伝わってきた。

明日、民生委員さんたちの集まりに「懇話会ニュース」を紹介する。雨が降らないといいのだが。

夜間傾聴:ひとり(傾聴復活)

(校正1回目済み)

 

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8/14 「わーくNo.066 1&2ページ」より

2016-08-15 05:25:21 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/14 記
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「わーくNo.066」を書いている。8ページ構成で、あと1ページ。「災害その時☆ハイティーンズの仕事(4)」が終われば、β版完成。

書き終えている部分を数回にわけて公開する。

----- ここから ----

☆津久井やまゆり園事件の手をつなぐ育成会MSGに賛同

☆防災ボランティア活動の総括から、大切な活動の継続を

●7月26日未明、津久井やまゆり園で起きた惨事は、障がい者の人権を踏みにじる悪意が私達、福祉に携わる者の胸に突き刺さりました。被害に遭われた方々の無念に、胸がつまります。ナチスの悪夢を見るようでした。「社会の役に立つか否か」という発想の落とし穴から、ひとがともに生きていくことへの共感に、しっかり足元をすえ直しさせてくれたのが、手をつなぐ育成会連合会の久保厚子会長の声明文でした。懸命に生きるひとへの共感と、「障害のあるなしにかかわらず人格と個性を尊重しながら共生する社会づくり」に、賛同します。

●前号から3回にわたり、東日本大震災以降の「わーく」が行った災害ボランティアの諸企画を総括しています。「わーく」は、心身のハンデを伴う引きこもり青少年の社会参加を目指すという活動との接点を探りながら、健常者の背後に隠れ易い要援護者支援を継続していきます。そこにこそ、深い意味でのひととの交わり、交流があると信じます。引きこもり青年はなかなか被災地に出向くようなことが出来ません。しかし、発災時、災害ユートピアという共助の社会が現出します。この急性期のタイミングで被災地に入った彼らは、「ひとに必要とされる」経験をするでしょう。それが扉の鍵になるのです。

●ただ、私達は個人の集まりであり、賛同した活動に共同行動を取ります。被災者にしてみれば、支援団体ではなく、支援者個人に見える難もあるのです。そのために中間支援という活動のつなぎ屋を行い、湘南の地元で賛同者を得るという構造を持っています。そのために、被災障がい者支援の活動を提案しても、障がい者相互の活動というより、外側から「役に立つ活動」を提案するような企画の立て方をします。連携の接点に立つために、当事者からは選択肢のひとつでしかない弱さを持っています。そうであるがゆえに、これからの防災にとって重要な意味を持つ活動を精選して継続していきたいのです。とくに要援護者への若者の活動、ローティーンズの立場の防災活動確保、自己表現できぬ者への医療・生存確認手法、外出時発災の時の災害弱者連携法などの提案は、継続して活動していきます。しかし、そこからはずれた過去の取り組みも、他の災害ボランティアの参考になるものがあると思います。その意味で、総括を一度しておこうと思うのです。


●「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について」〈声明文)
●「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について」〈障害のある皆さんへ)

 

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<連載025>
<個人医療情報 QRカードの検討/立ち返るカード携帯の必要性>

☆「お薬手帳」の電子版は、携帯スマホの中に医療個人データを保存更新できるメリットがあります。しかし、デジタル・デバイドという世代問題や、乳幼児・重症障がい者・認知症患者・重症傷病者のように自己表現が難しい人々の自己保険には向いていないこと、急性期の手術時・応急措置を終えた時点のカルテ整理の面倒を考えると、災害対策を考えて作られたものとは思えず、マイナンバーカードも、個人情報の盛り込み過ぎによって、常時携帯には不安が伴います。
☆この意味において、「自主制作制」・「QRコード化によるカード化」・「治療経歴更新シール」・「カンマ区切りフォーマット・データ」を特徴とする医療個人データカードを推薦するものです。

☆カードを常時携帯していれば、発災時、医師・看護師・救急救命士等の慰留関係者が、身近な携帯スマホ・アプリを使って、医療データを読み取ることができ、それは表計算ソフトに直接送ることができる形ゆえ、カルテ作りの手動入力から解放されます。第一に乳幼児や傷病者等自己表現が困難な人々が、治療経過・処方薬・病歴などを伝えることのできる防災ツールなのです。

☆試作品は何回か作り、茅ヶ崎市に提案を何回かしています。有用性は認めてもらえましたが、それを実行に移す環境にないということで、支援者もなく企画どまりになっているのが現状です。また障がい者関連団体の方にも「わーく」を通じて、協力を求めていますが、全く反応、数年かけて、応答がありません。

☆こうした状況の中、ふたつの道を考えています。ひとつは実行できる方々に、現状までの工夫の経過を伝え、それぞれに実現してもらうという方向。営利活動ではない社会活動ですから、「誰もが真似ができることに価値がある」のです。もうひとつは、医療サイドの方に有用性を伝えて行くこと。これは届ける方策も含んで、考えていかねばなりません。しかし災害時要援護者に当てはまる方々には、被災時、命綱になる可能性が強いので、その方面の方々へのアピールは続けていきます。従来の「お薬手帳」は日常活動について、医師・薬剤師さんが直接は利用するもので、それをQRカード化することによって、防災カード化していこうという提案なのです。

☆カード設計のヴァージョン・アップの現段は、複数医療機関からの医療データ更新をどう反映するかということと、各障がい団体から発行されている障がいコミュニケーション手帳との共存の課題です。同時に簡素有用化を目指し、項目精選を繰り返しているのです。

(別ページあり・続く)


------ ここまで ---------

<<気になった記事より>>

●「防災情報収集「忘れがち」53%」
●「<南海トラフ>東北の経験基に対策考える」

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

 

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8/13 お盆休みに、くすぶっています

2016-08-14 05:08:34 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/13 記
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シングルタスクのBDチューナーを頼んだ。いよいよ本体内蔵のディスクプレヤー部は、録画とフォーマットができなくなった。予約システムの本体連動がどうなっているのか店員に聞くが、機種によって違うのでという言い方で全くつかめなかった。水準が低い。茅ヶ崎も藤沢もだめだった。配送センターに在庫があるとのことで、取り寄せを依頼した。

弟夫婦が先方のお盆を優先するとのことで、明日の墓参が流れた。母の機嫌が悪いが、先方は全く理解していない。後期夏期講習が始まってしまうので、期間中にしたいのだが、墓苑がバス停から離れている上、坂の上なので、母の足の状態からは、弟の車が不可欠。しかし弟の昔からの携帯嫌いは徹底していて、いつも電源が切れており、留守電もメールも、数日後返事があるという具合。今もこの手の人間がいる。困ってしまう。

私の大船渡行は、日程が追い込まれた。9月に入ってからになるかもしれないが、とにかく母の見守りがないと問題化しそうだ。電話で済むという状態なのだが、ひとりで風呂に入るのがこわい。

「わーくNo.066」が8ページ中、5ページまで仕上げた。津久井やまゆり園の件と育成会メッセージ支持の話がトップの記事の中にはいる。今回は鶴嶺高ボラ塾と市民トリアージ、被災地の障がい者FM、高校生への率先避難誘導者講習会資格作りを次号折り込むことになる。

今回の「中高生の仕事」は、在宅避難者の御用聞き・配食補助ボラの可能性を石巻のCSWさんに問いかけている。応答があれば、記事に反映できるのだが。この活動の価値を障がい者団体関係者に伝えているが、応答が鈍い。お盆の時期に暑苦しいかなと思いつつ、とにかくレッテル貼りと無視の壁が厚い。準備していかなくては、また中高生たちは学校主導の被災地校交流とか、交流試合に押さえ込まれて、社会体験の契機を絶たれてしまう。

また避難所が使えないために、障がい者家族は在宅避難となり、情報や物資ネットから孤立することを繰り返してしまう。ここを改善する方策を議論の中に入れていかないといけない。通じないことは、粘り続けて道を拓く以外ないだろう。

夜間傾聴>サンパウロにいる**君への嫉妬のメールが届く。
     その発想の醜さを指摘したことが怒りにつながった模様。君の光を消すな。…今夜は静かだ。


(校正1回目済み)

 

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8/12 Yさんを偲びつつ 他

2016-08-13 05:25:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/12 記
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辻堂駅構内で寝泊りしていたYさんが路上病死して3年になる。用件が無くなって、辻堂駅にでたとき、ふと彼のことを思い出した。

重症の糖尿病を患っていたので、様子を見続けてきたが、最後の日、辻堂駅の歩道橋上の、今はコインロッカーがあるあたりに倒れていた。目が瞳を残して白濁しており、それでも医療を強く拒否するので、警察巡回依頼を電話して、翌日藤沢市行政につないだ。その判断が甘く、彼は息を引き取っていた。そのことで、藤沢市行政に彼の埋葬地を質問したが、個人情報を盾に全く教えてくれなかった。その前のHさんもそうだが、辻堂駅は藤沢・茅ヶ崎の路上生活者支援活動の援助を嫌う方の居場所になっていた。

母に言えば、家族の墓参よりも早く他人の墓参りをするとはなにごとかと悲しませることになるが、私以外、彼を記憶する者はいない。おそらくと予想をたてて、市の大庭墓苑の共同墓地に行ってきた。あの日、有無を言わさず救急車を呼ぶべきだったと悔いが残っていたのだ。一日早い墓参である。

彼の最後の職歴は工場の職人で、足の怪我で解雇されたという話の断片が残るだけだった。アルコール中毒で、簡易宿泊所からも逃げ出してしまうという福祉嫌いの方だった。

辻堂駅は本当に強烈な生が散ったところだ。ボーダーの方が飛び込み自殺してところも、ふらり日立市に出かけ早朝のひき逃げ事故に合い植物人間化、現地の病院職員と縁故者探しをしたものの、探し当てた都内の遠縁の方のもとで、脳内出血で亡くなった方もここにいらした。茅ヶ崎の中央公園とともに、強烈な印象が残る場でもある。

今日は金曜災害ミニ・カフェの日と勘違いしていたが、26日の間違いだった。そんなこともあって、ふと辻堂駅に出て、何事もない雑踏の床に彼が見えた。それで酒を買い、大庭に向かう気になったのだった。

それなら墓苑出口で塩振ってから帰りなさいよという、墓参に来ていた地元の老婦人に清めの塩をもらって、ぶらり辻堂駅に戻って、新盆の永(六輔)さんも大庭かななどと思いつつ買い物。母が友人の車に乗せられ、辻堂駅のファミレスにいると電話をかけてきたので、外食しようということになった。

これは先日のハモのことを延々説教するなと思いつつ、覚悟の食事をしてきた。日曜日に母を乗せて墓参ということになりそう。案の定、この歳になって、ハモの節約、ウナギを食うなと説教された次第。災害ボランティアをしているから、ナマズを食うかと冗談を言いつつ、小言を聞き流しながら、BDチューナーを明日にまわし、帰宅した。

サンパウロからは、得体の知れない魚を食わされたとメールあり。誤字脱字が増えている。薬を飲んでいないなと感じる。魚を調査せよと返信かきつつ、薬飲めよと最期に書いて送った。

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「わーくNo.066」を書いている。ペットレスキューの記事がすんだところだ。8ページ編成


夜間傾聴>(8/13~15はお休み)

(校正1回目済み)

 

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8/11 「山の日」の徘徊について

2016-08-12 05:55:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/11 記
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定年退職してから、特に曜日・休日に疎くなった。お盆直前でも、できるだけ「懇話会ニュース」を配布しておこうと、包括支援センター回りを始めて、異常に気がついた。休みなのである。スマホを見ると「山の日」とある。8月後半は後期夏期講習がある。先にまわっておこうとおもいきや、休日。

結局、個人宅1軒まわって帰って来てしまった。ベッドから落ちて腰が痛いと騒いでいた母がいなかった。稽古事の浴衣会があるとメモがあり、夕飯はいらないと書いてあった。平塚まで出て仕込んだハモが宙に浮いてしまった。下手だが学生時代のバイトを思い出し、切れない包丁で骨切りをして、引いてぼろぼろになったハモを、結局はひとりで食べた。口ざわり最悪である。母がいなくて幸いだったのかもしれない。

「わーくNo.066」の枠組みを仕上げ、はみ出した「市民トリアージ」と「鶴嶺高校ボラ塾」の総括記事は、「No.067」で扱うことにした。いずれも大事な活動である。今年8年目に年に1度の授業をやめた。三者調整がない授業は、真意が伝わらない。このような理由であることが、悲しくもある。

TVの内蔵BDプレヤーが壊れた。フォーマットが出来ない状態が続いていたが、録画中、ディスクが壊れ、ためておいた番組も読めなくなった。読めなくなったディスクは「金曜災害ミニ・カフェ」で使っているチューナーのないプレヤーでも読みとれなくなる。修理に出すとTVごととなるので、外付けBDチューナープレヤーを買うことにした。活動が滞る。明日買い込むことにした。

「山の日」ではなく、なんとも「闇の日」であった。

夜間傾聴>ふたり

p.s.リオに閉会式の券を買い込み、ひとり出て行った**君、メールが来た。早々と現地についていた。当日しか中に入れないから、親戚のいるサンパウロにいるという。引きこもり青年には、いろいろな奴がいる。彼の場合は、学校制度や職場制度の「制度」が彼のサイズに合わなかったのだと思っている。強烈な偏りがあるが、行動力は抜群。帰国したら顔を見たいと思っている。

(校正1回目済み)

 

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8/10 母の転倒/「わーくNo.66」記事原稿作成中 他

2016-08-11 04:17:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/10 記
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明け方、母がベッドから落ちた。トイレに行こうとして、起床時、足を滑らせた模様。故・祖母は廊下に落ちていた新聞紙に足を滑らせて大腿骨骨折で、寝たきり生活が始まった。だから転倒はこわい。幸い、肘の軽い打ち身で済んだが、半年前に肋骨を折って通院治療を続けていた。ひやりとした。日の出過ぎまで毎日私は起きているので、即座に対応できたが、午後、母を念のため近所の整形外科に付き添った。こうして「懇話会ニュース」配布は、包括支援センター1ケ所と、訪問看護センター1ヶ所だけに終わった。

「わーくNo.066」の記事を書いている。先月号から過去の諸企画の総括を行っていて、発案自身は今後の参考にしてもらうつもりで、概要を入れている。

「椿油搾油販売障がい者福祉作業所の支援活動」
「被災地に障がい者FM番組を(陸前高田にて実験放送)」
「中古自転車による被災地見学ツアーの実現(大船渡準備後・頓挫)」

ここまで記事を手がけたが、サポセンでは南三陸以外は取り組まない、土台準備を進めて提案したが茅ヶ崎側が応答なしという空転に曝されたものばかりだ。4ページのうち1ページ半が振り当てられた。その後に続く「鶴嶺高校ボラ塾」関連は、今年ついに一時停止となった。原因は「準備の三者調整」の場が無いことと、「高校側の取り組み風化の傾向」がある。「鶴嶺高校ボラ塾」は3.11以降の災害への取り組みに限り、その前の「貧困とはなにか」という課題の授業は省略。それで1ページを振り当てる。とすると8年目になるのかと思う。

のこり1ページ半は、現在継続中の「お薬手帳QRコード版」や、「率先避難者育成講習会資格創設」「中高生による在宅避難者配食御用聞き部隊創出」と続く。

被災地精神科関係の連絡先のヒント資料を発見。ただ認知症高齢者が社会的隔離されている話が中心なので、施設生活していた障がい者の方々の被災を取り上げられないか、資料の再構成を計っている。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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8/9 懇話会ニュース配布続く/内視鏡検査 他

2016-08-10 05:19:51 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/09 記
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「懇話会ニュース」の配布を続けている。高齢者地域包括支援センター3カ所、訪問看護センター1ヶ所、特養1ヶ所の計5ケ所。お盆休み中は交互に休むので、顔見知りがいるところは3ヶ所きり。広告並みにゴミ箱行きだろうと考える。説明時間をもらっても、「自分にはわからないから預かりますという判断停止対応」なのだ。虚しさを噛み締めつつ、9月に再度、「No.021」を配布する。

行政にしてもそうなのだが、いつも他課からまわってきた若手が対応して、話はいつも振り出しに戻る。経過を説明しても「自分にはわからないから預かりますという判断停止対応」に阻まれていく。しつこく顔見知りに出会うまで、繰り返し巡回する以外ない。それはもともと組み込み済みのことだから、昨日のような知人に出会えるときは、やはり嬉しい。

県立鶴嶺高校のボラ塾の参加締め切りとなり、担当者の***さんから電話が入り、今回初めて参加を見送った。昨年の「マイクロFM避難所放送」の授業が、教室に無造作に脱ぎ捨てられていた衣服の山や、電源不備など学校側の無理解や、学校側への要望が、サポセン担当者の仲介を経ずに伝えられないため、机の配列や、機材ひとつとっても担当者の理解に委ねられ、年に一度しかない授業が成立しない空転がなにも解決していないからだった。授業が成立していないにもかかわらず、生徒さんから+の感想が届く形式的な行事に変質していると判断したためだった。

被災時、ハイティーンズに支えてほしいことを、まとめることは喫緊の課題だが、それを実用・冊子化していく仕事を行うが、学校側担当者・サポセン側担当者そして企画当事者の三者の話しあい調整の場が設けられない限り、本意は伝わらないと判断した。

2011年の授業時、寄せ書き色紙を被災者に贈っても、対話がうまれない限り、高校生の認識は深まらないという意味で、高校生が自分の意思で調べて、例えば毛糸の帽子を編んで贈る位の気持ちが欲しいと話したことが、学校では、「いらない毛糸の帽子を集めて被災者に贈る」という具合に変質して解釈されてしまった。この例ひとつすら、仲介者を通じてしか伝えられないために、歪んでしまう。私は宇宙人のようなわけのわからないことを伝えようとしているのか、常に三者調整が出来ない矛盾を抱えてきた。高校生に考えて欲しいと願うことを伝えるには、この形式優先の形を超えてほしいと願うばかりだ。

--------

母の食道と大腸内視鏡検査は、私を足止めするために、初めて地元病院で検査を受けるのに、北里大附病院と嘘をついたことがわかった。母の突然のめまいは、先月風呂の中と地元眼科外来で起きていた。だからひとりにしておくのは心配ではあった。この件は、地域包括支援センターのケア・マネさんと相談して、見守り巡回の形で外出中だけ、やってもらえないかと話していた。熊本と聴き、東北のときよりも不安になったのだろう。

医師と話した上、検査終了後は、私が戻るまで外来で休ませると約束した。検査が始まってすぐ、私は「懇話会ニュース」の配布を始め、2時間半後、病院に戻ってみると母がいなかった。急ぎ携帯に電話すると、家のほうが休まるので、タクシーで帰ったと母は語った。めまいんことがあるから、病院外来で待たせるという約束は反故にされていた。

状態を確認し、再度巡回。食材を仕込んで帰宅したが、これでは大船渡も石巻も出かけられない。浜見平の懇意にしている方に相談したが、今年は海外旅行の割安コースに乗れたので、後期夏期講習前にお留守であることがわかった。こうしてケアマネさんと明日会うことになった。

13日午後に「ぷれジョブ」の例会がある。我が家の墓参と見事に重なり、急遽14日に調整し直しを始めている。懇話会チラシを渡したいし、困ったなと思っている。明日判断する。炎天下、めまいを起こされても困るが、母には来年がわからないという思いがある。

除草剤を買ってきた。日が翳って、再び庭の雑草刈り。蚊との闘い。祖父が欲しいといった庭、私はいらないと思う。母に罰当たりといわれるが、当たる罰はさんざん飛んできている。いまさら減っても意味が無い。松の剪定も入れて庭師に連絡。

福島から預かった猫の調子が悪い。暑さのせい。母と猫の世話。舌平目のムニエルでカロリーを稼ぎ、私はシラス茶漬けと野菜ジュース。ストレスフルである。

夜間傾聴>ひとり(オリンピック閉会式に出かける模様)

(校正1回目済み)

 

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8/7 懇話会ニュース配布・行政他/郵送&メール分ご挨拶文 他

2016-08-09 05:39:10 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/08 記
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「懇話会ニュースNo.020」の配布を続ける。市と県の行政関係課&市議会と高齢者の地域包括支援センター2ヶ所、訪問看護関係事務所1ヶ所、茅ヶ崎サポセン・訪問介護営業所1ヶ所、通所施設1ヶ所が終了。今回は高齢者関係のところを重点にまわる。

防災対策課と市民自治推進課に旧友が何故かいて驚いた。勿論CMしてきた。お盆休みを交互に取るのだろう。担当者留守が多かった。古参に手渡した。


----- ここから -----

障害者・高齢者支援団体 各位

<はじめに>
直接は災害というより人災ですが、津久井やまゆり園の犠牲者の方々に哀悼の意を表します。手をつなぐ育成会のメッセージに共感を覚えます。同時に、精神障がいの方々への偏見・差別が強まらないか、不安を感じます。

   ☆☆☆

被災時要援護者支援の懇話会は、今回で10回目になります。熊本地震の際、2回に及ぶ激震と長い体感余震によって、被災者の「こころと健康」の課題は、大きくクローズアップされました。車中生活家族の多さは、避難所集団生活に困難を感じる要援護者の方々の実情を見るようで、医療・生活支援の大切さが改めて問われました。地元、そして全国の支援者との有効な仕事分担予測を大災害時の構えとして育てていかなくてはと感じています。

東・南海トラフ地震予測と熊本地震の活断層地震の活発化や、地震の巣といわれる茨城・千葉県沖、伊豆熱海沖の活発な群発地震があっても、私たちはそれを防災関係者の仕事として委ね、急性期の対応を医療とケアの専門職に預けて、専門職の仕事を、地元市民の連携できる部分を切り出す作業を行っていません。

懇話会は、被災障がい者と高齢者の課題を現場を支えたゲストと懇談する試みを、障がい・高齢交互に取り上げてきましたが、課題は、ひとつの特色を持たせています。いわゆる「被災体験健常者が抱え込む困難」のもう一層影に潜む部分に、スポットを与えていることです。ここに要援護者の課題があります。

常時医療サポートが必要な方々や、身体介助が必要な方々や、環境変化に弱い障がい者の方々、高い介護度や認知症の特に高齢の方々等の保護の課題です。懇話会ではシリーズ型のテーマ選びを行っています。

今回は仮設住宅に移動後から、いわゆる全国支援者の引き上げる災害公営住宅入居時以降も、「孤立」防止と長期訪問支援に関わっている方を招待しました。

阪神淡路大震災と東日本大震災を通じて、体験から「のぞまれる地域支援体制」を懇談します。今回は被災単身高齢者や成人障がい者の訪問を続けている神戸長田の牧秀一さんを招待しました。

「現場の実情」を被災現場の支援者から、支援と防災の手がかりを得る有効な懇談に体験を引き出していただきたいと思います。

チラシ用資料を添付します。ご覧下さい。

長文失礼しました。


世話人・飛田 拝

------ ここまで -------

配布巡回が始まると、母の庭清掃が始まる。雑草をなんとかしろというご託宣。夕方から雑草取りを始めて、全身ヤブ蚊の猛攻を受け、汗びっしょり。

母の食事を整えて出すと、明日、腸の検査を予約してあるので、食べられないと拒絶された。明日は、以前、雲仙普賢岳の時の知り合いに合流して、熊本地震被災地に行く話をした日だった。この話は取りやめになったが、やめてよかったのだ。北里大病院往復はひとりでは無理だ。家庭に引きとめたい母。私の目が見える間の最期の仕事と思う私との綱引きである。

ゲートキーパーのレッテル貼り遮断を切り抜ける説得巡回は不可欠。10余年の勝負である。

--------

塾長から電話が入る。試験を受けたひとりがオリンピックの閉会式を観に出かけたという。大丈夫か心配らしい。(しかし金がある。私は足元にも及ばない。アルバイトだと直感。)その自由さがあるから、進学高にあてはまらなかったのだと思う。私の担当の子たちは、競争挫折や認知の偏りがある社会復帰戦のハイティーン・メンバーだが、その手の軽さはない。

高校野球とオリンピックばかりで、TVはろくなものをやっていない。天皇のメッセージが流れ始めたら、携帯に三越のご案内なる母の固定電話からの転送CM電話が入った。今、どういう時間か分からないのか、放送の話を聴け、非国民と冗談で脅した。二度とかかってこないだろうというのは甘いか。お盆休み周辺は、家が留守か否かのチェックのために、CMに化けて電話が来る。要注意ではある。

カビ防止でドイツパンを使っている。母の怒ること。戦時中のパンみたいだと。


夜間強調>ひとり

(校正1回目済み)

 

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8/7 「懇話会ニュースNo.020」印刷終了/陸前高田の障がい児者絵画展 他

2016-08-08 05:41:39 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/07 記
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「懇話会ニュースNo.020」の印刷を行った。USBメモリからプリントアウトするために、辻堂北口セブンイレブンのコピーを利用した。ところがマスターを作るには、濃度設定が薄く、店員に濃度設定を直してもらおうとしたが、USBメモリからのプリントアウトには、濃度設定の機能がついていませんということで、辻堂駅西口セブンイレブンでやり直した。若干濃くなるがまだダメ。メインテナンス係に電話をつないでもらうが、基今日は日曜日なので技術的応答はできないと、かわされてしまった。このことは、先ほど奈良**ML(SNS)に出したところ、コピー利用者が新聞や雑誌などの地が白ではない原稿のことが多いのではないかという。地の影が映りこんでしまうのだ。

結局、平塚駅西口セブンイレブンで、一応満足できる濃度を得た。いままで、こんなトラブルはなかったので、茅ヶ崎・藤沢のメインテナンス係の調整の趣味が出ているのだろうと思われた。

マスターができたことで、これを増刷、紙折りを済ませ、平塚の市民活動センターに投函するところで時間切れとなった。ともあれ、印刷が完了した。明日から配布を始める。

--------

陸前高田で、障がい児者の絵画作品展が行われている。様子をいりたいと思った。作品を観たいと思った。陸前高田・大船渡の用件が複数でてきたので、出かけられないか調整を始める。内容が、非被災地一般市民の心に届くか見極めたい。絵画作品展が可能なら、ゲートキーパーの拒絶があっても、実現したい。

●「障害乗り越え 描く震災…陸前高田で作品展」

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<気になった記事>

●8/2読売熊本版「仮設の孤立防止へ専門家 県、市町村研修会などに派遣」
●7/30朝日「被害者の匿名、障害者や関係者どう思う? 事件に寄せて」

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夜間傾聴>久々に「ふたり」

(校正1回目済み)

 

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8/6 茅ヶ崎は花火大会だったが…

2016-08-07 05:56:54 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/06 記
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茅ヶ崎は花火大会だった。教材屋の仕事も昨日終了し、休みに入ったので、でかければでかけられたが、ひとり海岸をうろつくのも無粋の極み。変な爺ぃにされたら災難。留守中、ひとり風呂に入りそうな母をけん制して、懇話会ニュースの印刷だけをと生協の5円コピーを狙いにでかけた。B4カセットが紙詰まりを連発し、目的を達成せずに帰宅した。案の定、母は風呂に入っていた。目が離せないのだ。

大船渡の末崎と吉浜、陸前高田の希望が丘病院(精神科)と気仙沼の自閉症親の会**さん、石巻蛇田と女川などと出かける3ルートを考えるが、1ルートでも、1日ではこれだけで用件が終わってしまう。バス泊2日入れると、母の様子を覘いてくれる人がつかまらないと頓挫してしまう。

長崎雲仙の**さんと、以前鎌倉で煎餅汁開拓に協力してもらっていた##さんにメールを出した。##さんは最近斎藤宇開さんたちのところに出入りしているという噂が入ってきている。

煎餅汁は、私が煎餅作りを鎌倉の煎餅屋さんに教わりつつ、##さんとは、障害者就労の相談室兼喫茶・溜まり場作りをと話に乗ってもらっていた。ところが資金提供先が、地元障がい団体の協力を条件に出してきた。ゲートキーパーの厚い壁に阻まれ、実現しなかった。煎餅汁は意外な喫茶メニューになる予定だった。頓挫。

生ハムのサラダ、あさりのピザ。それを生ハムを全て残し、あさりをすべてつまみだし、スパゲッティーを半分残した。大丈夫なのか。ため息をつく。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

 

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8/5 「懇話会ニュースNo_020」β版完成>校正へ

2016-08-06 05:18:46 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/05 記
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試験が無事済み、私のほうも、やっと休みに入った感じだ。この隙に、「懇話会ニュースNo.020」を書き上げた。これから校正に入る。月曜日から配布する。

----- ここから -------


<大震災被災要援護者への長期訪問活動>

 ~阪神・淡路大震災と東日本大震災の経験から、訪問活動活性化と地域の拡がり作りを考える(単身高齢者・被災障害者訪問を中心に)~

 

●私たちは数十年の間に、地域が壊滅してしまうような大きな災害を体験してきました。阪神・淡路大震災の「都市型」災害では火災が、「地方型」といわれる東日本大震災のときは、津波と原発事故が、そして同じ「地方型」の熊本地震の時は、2回の直下型地震と長期にわたる余震を体験しました。その都度、私たちは全国からの支援を送ってきましたが、20数年経つ神戸の街は復興していますが、家族と生活を破壊され孤立した単身高齢者が、公営災害住宅で孤立死をしていたり、福島の原発避難者がいまだに数万人、帰宅できずに生活しています。熊本地震では長期余震と避難所運営の問題が、高齢者や障がい者などの「要援護者」にしわよせがきています。

●いわゆる「災害ボランティア」は、仮設住宅が撤去されれば役割を終えて帰ってしまいます。避難所から仮設住宅入居までは、被災者の命は、行政とケア専門職の奮闘によって支えられます。この方々も被災しています。その無理が陸前高田では行政職員の自殺となって現れました。それぞれの行政の縦割り実践によって、訪問支援は多重の地元看護師・地元保健師・ソーシャルワーカーと全国支援専門職・民生委員・被災者臨時雇用制度下の巡回相談員が巡回するという状況があり、東日本大震災で、やっと地域のネットワークと仮設ごとの連絡員の配置が始まったというところです。しかしそれも、熊本地震のように短期の集中した関わりが求められる状況には、結局は、行政・医療・施設のケア専門職の奮闘に委ねる状態はかわりません。

●牧さんは、地元長田の火災から20数年経った災害公営住宅巡回を続け、東日本大震災の訪問支援も経験している方です。南海トラフや東海地震、茨城千葉沖や伊豆の群発地震に予兆を感じる首都直下地震を前に、専門職を潰さない地域協力と長期支援のヒントを懇談の中から、探ってみようと思います。地方と異なる生業の多様化と地縁の希薄な「都市と都市近郊」型の防災に、生業一致の地方型の絆を対置するだけで解決できるのか、なにより健常者の被災の影で沈黙する、一番困難が集中する要援護者の下積み状況をどう支えて行くのか、もう一度、防災をその目から見直してみましょう。

●牧さんは、被災時の負傷によって、身体障害者となった方の持続支援もされています。世話人の飛田は、避難所に入れない寝たきりの高齢者・障がい者の在宅避難生活者を支える提案をします。一般講演ではなく、ケア関係者の懇談ですから、交流しましょう。ご提案があればお話下さい。

●今回は重い問いが多いのですが、地域基幹病院のパンク状態のなかで、命の淵にたちかねない方の支援は、どこかでしておかねばなりません。その契機になればと思います。予測される話題を以下に書きとめます。牧さんの詳細はQRコードの先をご覧下さい。

--------------------------------------------------------
1)単身要援護者の孤立防止

2)「避難所>仮設>災害公営住宅」という
  連続転居の「篩(ふるい)」によって孤立する
  被災要援護者(特に被災単身高齢者)の問題

3)被災によって負傷し身体障がいを抱えることに
  なった被災障がい者の方々の課題


------- ここまで ----------

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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8/4 高認試験は無事済んで…/秋の懇話会呼びかけ号を書いていて

2016-08-05 05:23:39 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/04 記
--------------
高認試験は無事終わった。これで仕事上は、実質的に休みに入る。実際は、塾長と交代で待機して、引きこもり青年たちの危機に当るが、今年からは私の爺ぃ化を踏まえて、私の代わりに塾長の奥さんが入ることになった。地域が県北と八王子で、車が使えないのでは、実質役に立たないのだ。

そういうわけで、地元の成人当事者を抱えていないのは、今年が初めて。定年の影響が可視化した感じだ。他の子はローティーンなので、私の特徴である就労とか社会参加という働きかけは、活きてこない。ならば被災地へと思うのだが、私の視力では先方のレンタカーが使えない。事前に根回ししたところ以外は、訪問巡回に限界がある。かと言って、母を数日以上、ひとりにしておける状態ではないからだ。

今年は同行できるハイティーンズはいない。大船渡・末崎町には行きたいが、躊躇している。東京・神奈川の災害ボラの支援者巡回をしながら、出かけるタイミングを計ることにした。

---------

「懇話会ニュース」を書いていて、3つの論点

1)単身要援護者の孤立防止

2)「避難所>仮設>災害公営住宅」という
  連続転居の「篩(ふるい)」によって孤立する
  被災要援護者(特に被災単身高齢者)の問題

3)被災によって負傷し身体障がいを抱えることに
  なった被災障がい者の方々の課題

2)のところで、地方型と都市型の構えの差をどうまとめるか思案している。地方型では生活を地縁依存の絆が強い。だから、この問いはそのまま意味を持ってくるが、都市型の場合、生業の多様化や、地方からの流入家庭の多さなどから、地縁がもともと希薄だ。だから、向こう三軒両隣りの一部や、生活圏に散った友人のような不確定な形をとるため、もともと家族以外は切り離され易く、地縁復活のような形では、間隙が埋まらないという問題がある。家族が被災して孤立した場合、単身男性は埋めようが無い孤立のなかにおかあれてしまう。

3)については、倒壊した建材の下敷きになったり、中には土砂崩れ・津波に溺れることによって、酸欠による神経障害が起きることもあり、障害未経験の被災者家族を含んで、アドバイスのないまま、生活の壁にぶつかる話だ。被災前との落差が大きく、ここを手がけている方は少ない。情報も不足しており、秋の懇話会の貴重な情報を交流することになる。

どう呼びかけ号にまとめるか、頭が痛いところである。

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特定健診の時期となった。母は秋にはいってからだが、私は毎月、糖尿病の血液検査を受けている。特定健診も毎年受けている。癌のマーカーで反応が出てくる頃は、ステージがかなり上がってからだが、一応検査を受けておくことにした。申込を済ませた。

母は胃がん切除者だから、定期検査を受けてきた。だから急変はないだろうが秋には、健診を受けることに。

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夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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8/3 今回はかなり私的なお話ですが…

2016-08-04 04:42:28 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/03 記
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高認試験初日、無事終了。数名終了。教科ごと潰して行く方法を選んだ者がいるため。あと1日。いまのところ、Voice TEL や、Mailなし。しかし、前任校を退職したので、受験生の年齢層が上がっている。

「ビッグイシュー」誌の配達を済ませてきた。**さんのお店でに立ち寄り、惣菜を買いつつ雑談。1日の緊急地震速報誤報の話、システムが危ういものだねえと話しあった。今朝の北朝鮮のノドン発射無対応の件もそうだ。うすっぺらだねえと。しかし、我々には現状アクセスは無理。ブラインドされている。

**さんは、息子さん誕生時、新生児の内臓障害で一日の命で、息子さんを失った。まるまる1年余、仕事が手につかなかったという。営業職をやめ、自営業に。しかしその思いは、本当に親しい人以外に、誰にも話せないできたという。津久井の事件はそういう思いは届かないだろう。犯人が許せないという気持ちが、胸の中にちろちろと燃え続けている。激しい憎しみだ。どうしたものかと思ったという。同感だった。

厚切りの鮭の切り身を焼く。食べたくないと母は拒絶。怒り出すから直接聞けないが、便秘と感じ取る。長い付き合いでないと、この辺はわからないだろう。大和芋のトロロが胃に持たれて懲りたことで、ねばねば全般を拒否するようになっていたんで、虚しいとは思いつつ、オクラをみじん切りして叩いて粘りを食卓に出すが、箸をつけない。根気合戦という冷戦が続いている。23時過ぎ、母の居室で音がするので奇襲をかけると、煎餅1枚を食べていた。

訪問看護団体への依頼の応答がきた。熊本の外部支援者を当ってくれることに。話は期待薄だが、誠実に当ってくださったことに感謝を伝えた。8月下旬に応答するという。

なんとも宙吊り感がたまらず、「懇話会ニュース」を書いている。

読売の寄稿記事に、津久井やまゆり園の犯人の極端な言説を持って、薬物影響下の精神障がいとするのは早計ではないかという。社会の現状や、反社会思想の批判を抜け落ちさせるなという話。ちょっと気になった。

●「植松容疑者はそもそも精神疾患なのか?」
●「「首都圏に震度7」緊急地震速報を誤報 落雷が原因?」
●「紺碧の日本海にオレンジの物体 ノドン落下? 上空ルポ」


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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8/2 今日から高認試験が始まる/次回の懇話会のテーマを懇話会ニュースに

2016-08-03 05:19:25 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/02 記
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いよいよ高認試験だ。私の担当している子を含む塾の受験生は、いまのところ無事受験を迎えそうだ。塾長の奥さんによる送迎は、受験生**君から抗議を受けた。(拍手)やるなあ…それが感想。

昨日は不安なのか、五月雨のようにメールが飛び込んだ。Skypeに向かい、結局はただ落ち着かせるだけ。先ほど2回、激しい通り雨が降った。会場までの道、雷雨で交通機関が乱れないことを祈るのみだ。

「懇話会ニュースNo.020」は、両面刷りになりそうだ。ただ今回の牧秀一さんとの懇談は、単身要援護者の孤立防止ということだけではなく、「避難所>仮設>災害公営住宅」という連続転居の「篩(ふるい)」によって孤立する被災要援護者(特に被災単身高齢者)が生み出される制度の問題、被災によって負傷し身体障がいを抱えることになった被災障がい者の方々の課題など、情報不足の課題も懇談することになるからだ。

●「7/29 釜石の災害公営住宅 鍵かけモデル地区に」読売岩手版

最近、このような記事が出た。地縁の解体と希薄化する"絆"の象徴的な「鍵かけ」習慣つくりの危うさ。

明日から「ビッグイシュー」の配達を始める。関連というわけでもないが、東京で初心者向けのような路上生活者調査が、今日から始まる。

●「8/2 ホームレス調査 ボランティア募集」読売東京23区版

 

たいしたことは書いていませんが、前日の中断記事を載せて起きます。暇だねえという内容ですが。

2016/08/01(続)
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昨日は一日中、にわか雨に振り回されていた。折りたたみ傘は突風に弱いので、安物の大きな傘を持ち歩いたが、なんとも自己主張が強い。邪魔で邪魔で、それが原因の小さな事故が続出した。今は突風にあっても、変形するが原型に戻る傘がある。折りたたみ傘で、そのタイプを高くても購入すればいいのだろうが、現場に立たねば後回しになる…防災の際、平常性バイアスを指摘している身にとっては、しょうもない話ではある。

しかし一昨日、予見しにくい突然の豪雨があったにも関わらず、天気図に大きな変化があるようには見えないのだが、傘を持ち歩いている方を見かけなかった。バッグを持ち歩いていなくても、傘を持っていない。つまり、一昨日とは無関係に観天望気して自己判断しているのだろうか、それとも頻繁な天気予報情報をチェックしているのだろうかなど、日中のスマホ利用頻度管理が裏目にでているのだろうと暇人思考で、バス停を乗り過ごしていた。

------ ここまで -------- 

夜間傾聴>3人

(校正1回目済み)

 

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