湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/12 Yさんを偲びつつ 他

2016-08-13 05:25:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/08/12 記
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辻堂駅構内で寝泊りしていたYさんが路上病死して3年になる。用件が無くなって、辻堂駅にでたとき、ふと彼のことを思い出した。

重症の糖尿病を患っていたので、様子を見続けてきたが、最後の日、辻堂駅の歩道橋上の、今はコインロッカーがあるあたりに倒れていた。目が瞳を残して白濁しており、それでも医療を強く拒否するので、警察巡回依頼を電話して、翌日藤沢市行政につないだ。その判断が甘く、彼は息を引き取っていた。そのことで、藤沢市行政に彼の埋葬地を質問したが、個人情報を盾に全く教えてくれなかった。その前のHさんもそうだが、辻堂駅は藤沢・茅ヶ崎の路上生活者支援活動の援助を嫌う方の居場所になっていた。

母に言えば、家族の墓参よりも早く他人の墓参りをするとはなにごとかと悲しませることになるが、私以外、彼を記憶する者はいない。おそらくと予想をたてて、市の大庭墓苑の共同墓地に行ってきた。あの日、有無を言わさず救急車を呼ぶべきだったと悔いが残っていたのだ。一日早い墓参である。

彼の最後の職歴は工場の職人で、足の怪我で解雇されたという話の断片が残るだけだった。アルコール中毒で、簡易宿泊所からも逃げ出してしまうという福祉嫌いの方だった。

辻堂駅は本当に強烈な生が散ったところだ。ボーダーの方が飛び込み自殺してところも、ふらり日立市に出かけ早朝のひき逃げ事故に合い植物人間化、現地の病院職員と縁故者探しをしたものの、探し当てた都内の遠縁の方のもとで、脳内出血で亡くなった方もここにいらした。茅ヶ崎の中央公園とともに、強烈な印象が残る場でもある。

今日は金曜災害ミニ・カフェの日と勘違いしていたが、26日の間違いだった。そんなこともあって、ふと辻堂駅に出て、何事もない雑踏の床に彼が見えた。それで酒を買い、大庭に向かう気になったのだった。

それなら墓苑出口で塩振ってから帰りなさいよという、墓参に来ていた地元の老婦人に清めの塩をもらって、ぶらり辻堂駅に戻って、新盆の永(六輔)さんも大庭かななどと思いつつ買い物。母が友人の車に乗せられ、辻堂駅のファミレスにいると電話をかけてきたので、外食しようということになった。

これは先日のハモのことを延々説教するなと思いつつ、覚悟の食事をしてきた。日曜日に母を乗せて墓参ということになりそう。案の定、この歳になって、ハモの節約、ウナギを食うなと説教された次第。災害ボランティアをしているから、ナマズを食うかと冗談を言いつつ、小言を聞き流しながら、BDチューナーを明日にまわし、帰宅した。

サンパウロからは、得体の知れない魚を食わされたとメールあり。誤字脱字が増えている。薬を飲んでいないなと感じる。魚を調査せよと返信かきつつ、薬飲めよと最期に書いて送った。

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「わーくNo.066」を書いている。ペットレスキューの記事がすんだところだ。8ページ編成


夜間傾聴>(8/13~15はお休み)

(校正1回目済み)

 

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