湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/12 病院医の盆休み/寿町夏祭りに野宿者招待提案は通るのか?

2010-08-17 09:49:08 | 引きこもり
2010/08/12 記
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昨日は母の受診日。北里東病院の神経内科まで、母に連れ添った。母は小田急線を使った藤沢経由の道を嫌がる。座れないし、相模大野から更にバスに乗るのが負担だというのだ。そんな関係で相模線を使う。茅ヶ崎は始発駅なので座れるし、二人連れなら、原当麻からタクシーを奮発しても高い買い物ではないというのだ。実際計算してみると、ひとり換算して片道380円高くなる。連れ添う側にとっても楽だが、小田急の車内で嘔吐騒ぎを考えれば1,500円/日は善しとすべきところだろう。

こんなせちがらい計算をしているにも関わらず、午後整形外科受診予約は、先方の都合で18日に勝手に変更されていた。経費節約のために2段重ねを依頼し、神経内科と整形外科双方の当日受診の予約を取っておいたものは、事務員の指令の形で一方的に変更させられ、通告は変更できないという。整形外科は初診を済ませ、検査の結果を聞くことになっていたが、神経系統の専門医に引き渡すための中継ぎの受診だった。病院では電子カルテが共有されているので、母の頚部・腰椎部のMRI画像は、神経内科でも既に使っていたから、この日の整形外科受診は大きな意味がなかった。直接専門医受診というわけにはいかないのかと、初診時、その医師に質問したが、一度診断をする必要が有ると断られていた。そこで決まった予約が、あっさり変更通告されていた。地元医でさえ予約変更は慎重だ。日程が「お盆休みかな」と神経内科で言われれば、腹も立つ。

それはそうと、神経内科では、平衡検査の結果を11日に聞くことになっていた。北里東病院では眼科外来がない。診断をするために眼科医がいるのだが、ここでも7月26日に受けた検査の結果が「お盆なので」出ていなかった。2週間以上前の検査結果である。結局MRI画像を使った2回目の説明があって、ここが怪しいので整形外科をという話の繰り返しを聞いて帰ってきた。次回は9月初め。検査で引き延ばされて3ヶ月を越そうとしている。まだ治療方針が立たない。どういう感覚をしているのかと腹立たしくもなる。自然に治ってしまうのを待っているみたいだと母が言い出している。血流をよくする薬を出すとのことで診察が終わろうとしたので、母の四肢のアザが出やすくなっていると母の腕を見せて、バファリン処方は続けていていいのかを質問。中止になった。北里東病院受診前に神奈川歯科大附横浜センターで、同一の医師にロキソニン処方の副作用を質問したとき、処方をやめた経過があり、今回もバファリンもやめておきましょうとなった。軽いなあと思う。改善薬なのだなとはっきりわかる。

母が気分替えの食事をしたいと言い出した。足元が酔っ払っているように安定していない。食べるといいつつ、いざ食事が出れば箸をつけただけで終わるなと予感がしたので、わざと原当麻経由で帰ろうと私は提案した。明日、私は墓参であり、帰りに父の入所する老健に立ち寄る。そのとき、菓子を差し入れるとの話があったので、茅ヶ崎駅ビルで買い物をしようと母を誘った。

母はそんなものいらないよとあっさり拒否。言い出したのは母である。まだ一日も経っていない。全く意外なという表情をされてしまった。医師といい母といい夏ボケではあるまいしと思った瞬間、玄関自動ドアにぶつかってしまった。まったく…厄日である。

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茅ヶ崎駅ビルの上階レストラン街は不況丸出しの閑古鳥が鳴いている。カツ重が食べたいという母の希望を、絶対に食べられないからだめだと遮った。常習犯なのである。全く手をつけず椀物をすすって終わりにするだけではなく、勿体無いから食べろとお鉢が回ってくる。私は糖尿病、とんでもないと母を叱って店を出ることが何回もあった。今回はカウンターパンチを用意していた。以前食べられなかったでしょう、「お百姓さんに謝りなさい」である。母は戦時中、子どもの頃、そういわれて育った。しかしあっさり切換されてしまった。「お前、いくつだい」である。

結局洋食をつついて食事を終えた。この日、18時半から湘南あすなろ会の定例会があった。路線バスを嫌がる母をタクシーに乗せて、私は茅ヶ崎図書館に向かった。本を読みにではなく、涼みにである。通り雨がありそうな曇り空であるが、こうしたことも想定して、JHC板橋会とクラブハウス関連の資料目録を仕上げるためにポメラを用意していた。テキスト入力専用機に何事かというと、iPHONEで検索し、結果をポメラで打ち込んでいくのだ。ノートPCは重い。母の付き添い時、持ち歩きたくなかった。しかし茅ヶ崎図書館も全く役にしない図書館だ。まだ辻堂図書館の方が、たまに関連情報にヒットする。配本担当者にセンスがないのだ。予算が少ないと担当者が以前説明していた。嘘である。辻堂・平塚には勘所を得た新刊が入っている。茅ヶ崎の新刊目録を見てみるといい。配本ポリシーが全く感じられない。読書人の配本ではないのだ。茅ヶ崎は某書店といい、書籍について後進圏である。

しかしポメラも石頭機である。メーラーだけでもいい、通信機能を付けて通信端末にしてくれれば、打ち込んだファイルを取り出しやすい。iPHONEともBluetoothで結んでくれると助かる。ポメラ後続機ではQRコードによるデータ取出しが可能になったが片通行である。

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図書館で間をつぶして、サポセンの湘南あすなろ会の定例会に向かう。

今回の定例会は、果たして許してもらえるか怪しい案件がかかっていた。14日の寿町夏祭り見学への参加者に、野宿者を招待する提案だった。茅ヶ崎<>石川町間の11枚つづりの回数券5,700円を買ってしまい、当日参加支援者会員のOさんと私は自腹で参加し、当事者2人以外に、3・4人の野宿者の往復の交通費を私が肩代わりして、祭りに招待するというものだった。拘束するのは出掛けの集合から現地まで。後は祭りを楽しんだら、配った回数券の断片を使って、自分の好きなときに帰ればよいというもの。どのみち真っ赤、赤字の企画であり、一見無駄遣いに見える。祭りをもっと前に伝え、酒代を貯蓄に回させ、1,140円を作らせろというお叱りも出そうな内容だった。しかしこれでは、実際に貯蓄するかどうかは難しいところだった。

あすなろ会は、支援活動後発活動である。ビッグイシュー販売活動から始まった活動で、当事者個々人への支援は踏み出したばかりで、支援者と当事者はまだ一部の方以外は、日常的な接点が出来ていなかった。この試みは、祭りに出かけるというところで、会話の場面を作り、当事者の方にも、日常に変化をつけてもらう試みだった。

プログラムちらし配布後、参加希望の当事者はたちまち集まり、定例会前に準備が整ってしまっている状態だった。

定例会では、私がメーリングリストで、事前に提案していないことに注意を受けたものの承諾してくださったばかりか、Oさんが進めているカンパから全額出資してくれることになった。こうして当日の参加者は支援者2名を含む合計9名に膨らんだ。経過は追って紹介する。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)
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8/11 都社協「福祉職場における障害者雇用推進フォーラム」に参加して

2010-08-16 08:55:25 | 引きこもり
2010/08/11 記
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都社協のフォーラムがあるので参加してきた。福祉職場の就労支援関連指導者向けの講習で「福祉職場における障害者雇用推進フォーラム」(飯田橋の都社協にて)という名前そのものの内容。例えば小規模作業所とか、保育園、高齢者の特養ホームのような福祉系職員として、障がい者雇用の機会を広げるにはという話。

福祉系特に高齢者福祉系の雇用は年々膨らむ一方だが、ここは低賃金長時間不規則心理負担の多い職場でも有る。しかしこの世界の中でも、無資格でも参加できる周辺労働がある。この職を障がい者に開けないかという問題意識が中心になっている。この職場は障がいに対する理解度が深い一方、有資格者の仕事区分が入り組み、その辺の事情が障がい者自身のモチベーションを維持する際の障害となってしまうことも多い。

例えば保育園の園内清掃や食事配膳の仕事を請負ったとしよう。当事者は子育てに参加したいと保育園に飛び込んだ。ところが一緒に遊んだり、話したりしようとすると、職員がこの方をはずしてしまう。子育てと勢い込んだこの方は、なぜ子どもと一緒の場にいながら、子どもに接することができないのか悩むことになる。資格の説明をすれば、自分も資格を取ると言い出す。実際には、この方には無理だが、無理ともいえないという形に職場の問題化する。

清掃や配膳の仕事がいかに職場にとって必要な仕事であるかということを、まずは説得することが多いが、そのことを持ってしても、子どもと直接関われない矛盾は解決しない。

フォーラムでは多摩地区の事例紹介として、面白い話が紹介されていた。まさに苦肉の策だが、「昼食を子どもと一緒に食べる」というものだった。子どもの世話をするのではなく、ともに食事をすることで、一体感を味わってもらうという話。こういう見えない資格の壁に対する配慮が前提になれば、福祉系職場の障がい者雇用は、理解者が多い分道が開けるという。

高齢者施設のベッドメイク、洗濯、移動補助、清掃と器具メインテナンスなどの仕事を割り振ったとき、その仕事に対する高い集中力を維持できる方も障がい特性を理解し配置、職場メンターを彼らに配置すれば可能となる。ヘルパー2級なら取得可能な方もいるので、資格取得を推進し参加の枠を広げることも大事になる。

しかし、仕事の切り出しや無資格者参加の新たな職種を生み出すことは出来ないか。いつも清掃と配膳、洗濯というバックヤードの仕事以外にも仕事はないかという問題意識が今回のフォーラムに流れていたものの、行政による障がい者雇用が、例えば教育委員会などでは法定雇用率が達成できていないというような現状では、なかなか職種の拡張は実現できていないのが現状だ。

また障がい者雇用には、彼らの相談役を配置する必要があるということで、費用がかかるという発想をする職場も多い。ともに日録を付けて、時には親御さんの協力を得て、就労を支える生活支援と接するサポートを行ったり、職員ミーティングを毎日行ったりと責任分担を散らす工夫をしている職場も有る。

現に地域の特別支援校や地元事業所では、作業所などへの障がい者雇用を始めているところも多い。その経験交流が構想を広げていく上でますます必要となっているが、ここをどうネットワーキングしていくかその辺の話がでたところでフォーラムは閉会となった。

職種を育てるといういう意味では、就労支援の民間ボランティアも出番が生まれており、それを現実の職場に還元する回路も作っていく必要を感じている。アイデアは受け取っても、内部事情は出さないという非対称的な関係を貫くなら、いつまでたっても地域ネットは出来ない。それを越えるだけのアイデアを生み出していくのは、発明家の知力のような場に追い込んでいくナンセンスな発想だ。現場の必要性を一歩距離を置いて考えるところに地域支援者の意味が有る。そのバランスを取るのが地域ネットだろう。ここが育たないと、事業所の懐の中の自由発想に限定され、他の事業所の経験が反映しないなどの限界が出てくる。事業者間の交流促進、触媒のような機能をネットに、ネット活性化を民間ボランティアに持たせていくことで、職域開拓は進んでいくと思うのだ。

いくつかの職場事例紹介を経て、湘南に役立ちそうな独自発想をしている事業所を見つけることが出来た。しかしこの辺を地元講演会にふくらませて招待するのは、内容からして露骨な空転が見える。見学会の形かなとも思う。今回の講演会の参加者40名は関東圏に散っていた。地元の様子も分かればいいのだが、懇親会に出るほどの団体ではなく、個人には参加費が負担なので、延長戦をせずに帰ってきてしまった。

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父の入所先に、墓参の帰り親戚と立ち寄ることになった。12日である。今日もゲリラ局地豪雨があって、天候が心配。

母、エビチリを嘔吐。生臭いという。乳製品もじわり削られてきており、体力維持のメニューを見ていかないと、いずれ病状悪化が目に見えている。健康管理の粗さが目立ってきた。要注意。特にボトックス療法の激しい後遺症。

深夜0時の洗濯。母の家事をあてにできなくなった分、なかなか作業と家事がうまくかみ合わない。これも課題。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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8/10 観光地茅ヶ崎駅南口の攻防/校長先生は咳払いをするのか?

2010-08-16 05:48:12 | 引きこもり
2010/08/10 記
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昨日の午後、茅ヶ崎駅南口の野宿者たちの前を通ると、市生活支援課若手職員のふたりが、ビッグイシュー元販売員のTさんや、レギュラーIさんたちと、大論争をしていた。何事かと職員Kさんの隣に近づいても、激論は中断もしなかった。話は要するに生活保護を受けて働けということのようだった。

話を聞いていると、Tさんは50代になると正規雇用の口が全く無く、短期や日雇いの仕事で食いつないできたが、部屋を借りると生活保護抜きには家賃に食いつぶされて、仕事の無い月など生きていけないという。仕事を見つけるための生活保護といわれてしまうと、そんな条件と現実は違うというのだった。結局生活保護を頼りにすることになる。正規雇用の仕事を紹介しろというもののようだった。

これに対して、実際に中高年が生活保護をもらって、仕事を得ている例が有る。雇用の口がないと断ぜずに、ハローワークを紹介するから相談せよというもので、ともかくここでたむろしているのではなく、仕事を探せという内容だった。

茅ヶ崎は海岸を財源とする観光地である。表玄関に彼らがいることは汚点であり、解決しなければならない問題である。だから毎年夏が来るとこの激論が繰返されるということだ。

私は引きこもり青年の就労支援の活動の一環として、ハローワークへの付き添いなどを行っている。資格技能の無い中高年の肉体労働の職探しをしていると、契約社員やパートを除いてしまえば、正規採用は選べない状況だし、低賃金である。50代ともなれば、私は藤沢北部の最低賃金以下のラインを知っている。留学生という名の在日外国人の低賃金非正規雇用の現場では高齢男性ではなく高齢女性を雇っている。賃金が安くても女性労働は安く買い叩ける。違法行為だが、これが高齢労働者のひとつの受け皿となっているという闇の状態を知っているのだろうか。あなたたちは、働く意志がないから仕事が無いのだといいたげな口論は、彼らの遍歴を知っての上の話なのかと、聞いている側も黙ってはいられなくなってきていた。野宿者の中には多重債務者もいる。闇金や連帯保証人の罠から破産した者もいる。放蕩の果てというなら、寿町を歩いてみるといい。車椅子で路上に投げ出された高齢者に放蕩の末路と言い切るだろうか。

彼らは人目を避けて夜間、空き缶集めをしているものが多い。だから彼らは昼間ごろごろしている。昼間それをやれば熱中症というようなことだけでなく、盗人として追われることもある。資源ごみを町の余剰として彼らに譲っていた時代はもう過去のものだ。自治会費という形で、資源ごみを持ち去れば窃盗の罪状がつく。社会問題解決の一助として、彼らの廃品回収を組織する動きは聴いたことが無い。住民の意識の中から彼らは消えている。早朝、金属回収業者のところに持ち込み、一日2千円ほど稼げばいい方だ。風呂に入ることすら公衆浴場で差別を受ける現状で、仕事探しのためのモラトリアムとしての生活保護ということが、いえるのは勉強不足である。歩いてみればいい。一度なりと寿町・山谷などの寄せ場を歩いているのだろうか。

私は男性職員Aさんに、尿失禁のある女性の荷物が急になくなったがと問いかけて言葉が終わる前に、Aさんが「本人の同意を取ってあります!」と、言葉を断ったことに驚いた。彼女は精神の病を持っている。長いこと保護を繰返しても逃げ出してしまうことも知っている。「同意」という言葉に介入拒絶の意志を感じていた。Aさんは私の身元を確認してので「湘南あすなろ会」と名乗り、「ビッグイシューの販売を請負っている団体だ」と答えると、イメージがあったのだろう「ああ」とあごで納得して横を向いてしまった。何喧嘩調子になっているのかと不快に思った。

私は認知症高齢者入所の「同意」や、障害が残ったり失敗が生死に関わる手術の「同意」書のように、弱者を乗り越えていく語感を「同意」という言葉に感じている。最近の話でも労働協約書を交わさずに採用しておきながら、トライアル雇用を通告せずに、経営者が噂を聞いて一週間も経ずに解雇するという零細企業の出来事が起きている。縁故採用だったので、当人は泣き寝入りしている。そういう信じられないような事態が、底流では日常茶飯事のように起きている。

野宿者のひとりは、夏場の追い出しだとあっさり断じた。中央公園では夏場、中高生学齢の世代の子たちによる花火や熱湯を使った襲撃が起きており、人目があり交番が近い駅前は身を守れるところでもある。簡易宿泊所とて無料ではない。私は親分肌の中小企業経営者の包摂力には限界を感じている。彼ら自身の仕事作り(地域起業)が始まってこないと、企業はあてにならないと思う。

行政への提案も道のりは遠い。市長の身近なある職員さんは「あまりホームレスへの待遇がよくなると茅ヶ崎がたまり場になっては困る」と語った。それは施策が進んで行われた後でいうべきこと、社会政策としてはまだ具体的な活動が始まっていない。全く逆ではないかと思う。他市町村の施策から突出せず横並びで進みたいという行政職員の根強い意志は捨てるべきだろう。

実は、この日、Tさんに用が会って駅前を覘いたのだ。我が家の庭仕事を請負っている高齢者事業団の*さんが、体調不良、他の事業団の方も9月半ばまで予約が一杯とのことで、Tさんに庭掃除(草取り)を頼みに来たのだった。

母からは、仕事が巧ければこれからもとの話があった。私は我が家の庭仕事が雇用非雇用の上下の目線が忍び込むことが嫌だった。母には今回限りと伝え母は不可解な言葉を聴いた風の戸惑いを感じたようだった。しかしこれは節操というものだ。Tさんは快諾してくれた。時給千円程度の賃金として準備することになった。

私は右ひざの粉砕骨折の後遺症で、しゃがむことが出来ない。だからべたりと地面に座り込まないと草取りが出来ない。だからというわけでもないが、我が家には鎌や移殖ゴテがない。12日、私が墓参に出る日、母は目の調子が悪いので留守番となっていたので、Tさんには12日に来てもらう事にした。12日作業用に鎌と移植ゴテを買った。

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巡回、海老名。
行きの相模線車内にカナー型自閉症の青年と同席。突然大きな咳払いや、起立。騒々しい。同伴の初老の男性と話をした。同伴者は厚木の方だった。海に行った帰りなのだと言う。もしかして咳払いや起立って、先生の模倣?と私が聞くと、ワンテンポ言いよどんで、校長先生らしいとの話。意味があった。どうやら私が偉そうなのらしい。厚木で彼らが降りるまで、彼は咳払いを繰返していた。彼は私のバッグからはみ出していたアルコールティッシュのアルミパックを欲しがったので、あげます!と言葉にして渡した。あげます!のエコーが何回響いただろうか。嬉しそうな表情をしながら、起立だけは治まった。

就労実習を彼も受けているという。ご苦労様と別れの背後に声をかけた。彼は猛然と小田急線ホームに駆け上がっていき、彼も追いかけていった。今の私にはフォローできないこと、駆け足である。就労支援のときに、いずれ問題になるなと言葉を飲み込んだ。

夜間傾聴:小田急相模原君(仮名)



(校正1回目済み)

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8/9 8月の基礎作業は/北里東病院の医師の休暇?

2010-08-16 01:09:52 | 引きこもり
2010/08/09 記
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相模大野の本校に立ち寄り、後期の夏期講習の日程の再調整をしてきた。25日から後期が始まるが、26・27日両日、職リハ学会が横須賀で開催されるため、私の担当をはずしていた。27日の夜に巡回の関係で演習指導を復活させた。父の在宅介護のときは、巡回先の都合と重なって変則的な状態が続いていたが、父の手間の要素が無くなった分落着くものと思っていたが、巡回先の状態もあって、なかなかそうはいかないのが現実だ。

残りの8月の時間帯を使って、県立保健福祉大の図書館の資料漁りをしておくことにした。16・23日の両日を当てたが、普通の図書館なら休日の月曜日である。資料には2本視聴覚資料が入るので、在館時間は多めに取っておかなくてはならない。焦点は地域セイフティネットの形、実現への道のりのヒント先行事例の探索にある。

大原社問研にも労働運動資料の一部が重なって所蔵が確認されているが、切り口がずれているので、そのうちにと後回しになった。一方で心理畑の学部図書館もまた接していて切り口が違う。

県立保険福祉大の最寄り駅「県立大学前」の駅階段の横には、京急の特例子会社経営の「スワンベーカリー」があるので、立ち寄って取材してこようと思っている。

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とにかくひとに会えないまま、時間がどんどん過ぎ去っていく。母の調子が悪いので、釜ヶ崎に飛び出すことも出来そうにない。

就労支援畑の企画作りは、あとIPSリカバリーの当事者懇談会があるが、少人数の出会いセットも茅ヶ崎側の反応が鈍そうだ。このIPSリカバリーの切り口も、地域起業の協働の可能性の裏づけとして意味があるが、そのままでは精神障がいの方の企業就労バックアップのジグソーパズルに飲み込まれてしまう。しかし、実態を様々な切り口で浮かび上がらせる彫刻式の方法の企画は、それぞれの企画と単発の会合が共感を得られるかは、その単発の切り口が開く世界の新鮮さまたは一定程度の定番的集客力を併せ持つものを選ばないと先験的になって空転してしまう。

正直言って先方への失礼覚悟で呼び込まないと、ことが始まらないことも確かだが、連続空転を繰り返していると臆病になる。

その危険を避けるために、地元関係者にコンタクトを取っているのだが、8月は会えない。本当に誰もいない。やきもきしても仕方ないのだが。

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北里東病院の整形外科の診療予約を初め11日に取っておいたものが、整形外科の事務員から急に連絡が来て、11日がダメなので18日にしてくださいと通告があった件、11日に神経内科を重ねて日程が散らないように調整してもらったものが一瞬にして反故になったということで、抗議していた。事務員は予約を反故にした件を棚において、その日は出来ませんの一点張り。一回行くとふたりで5千円弱が無くなっていく。急な日送りの理由が、同じ整形外科受診者に偶然知り合いが通っていて、母が地元医のところでその方に話を聞いたら、医師が「お盆休み」だという。地元医診療感覚で、軽く変更していく失礼な対応、次回18日のときに抗議をする。大学病院は理由があるから、そこを選んでいるという患者の事情が全く無視されている。

次回は神経内科が11日。整形外科が18日である。治療は内服薬で引き伸ばし、検査詰めと、たらい回しで引き伸ばし、もう3ヶ月を越えているというのに原因もつかめない。ひどいものだと思う。

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「わーく」画像放送のコンテンツを企画書化できないかと不審している。放送スタッフの取材企画を提供していく形の放送と違い、当事者の情報提供を促進紹介していく形の交流支援は、非常に企画書にまとめにくい。既存の交流例があって、それを改革していくのではなく、全く未知の部分に踏み込んでいくので、可不可の予想判断が空中戦になってしまう。テストをふまえることも不可能なので、関連を持った既存活動(オンライン・ネットワーキング事例)から接点を浮かび上がらせていく。しかしそれをオンライン交流は非人間的と言い切るひとたちにどう説明したらいいか。湘南のハードルは高い。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)
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8/8 茅ヶ崎は花火だったが…/母の四肢のアザが気になって

2010-08-14 02:40:33 | 引きこもり
2010/08/08 記
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7日(土)は茅ヶ崎の花火だった。といっても私の家から見えるわけでもなし、市民活動系の世古一穂氏の「参加と協働のデザイン -NPO・行政・企業の役割を再考する-」が図書館到着との連絡を受けて、図書館に取りに行ったら、土曜日17時をすぎていたという空転無駄足は相変わらずだったから、花火は混雑する駅頭に閉口した程度の意味しかない。珍しく、TOTOドロノワ倶楽部の不登校の子向けの陶芸PJ当時の親御さんと、みずほ銀行の前で出会った程度の一日だった。巡回先の相模大野の相手から翌日にしてほしいという連絡が本校に入り、突然予定がなくなってしまっていた。

お盆の周辺は、この宙づりが多い。先方も来客や、現れた親戚の説教の影響がでて、この時期、引きこもり青年が逃げ出したり、態度を硬化させていたりして、予定が思い通りに動いてくれないのだ。しかし、逃げ出すのは正解だと本人には言っている。普段関わらない人間が常識や正論を盾につっこむのは迷惑でしかない。嵐と戦う必要はない。

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この日、父の小学校時代の同級生から連絡が入った。同窓会の連絡網の様だが、他の方が亡くなったという連絡だった。同窓会連絡網もかなり小さなものに縮んでしまったとその方は語った。父の体調と老健入所の話を伝えたものの、父に連絡すべきものであるのかどうか悩ましい話だった。父には同窓会や、その前は職場のOB会などの連絡がくる。しかし私は学生当時、社会運動・労働運動(学生なのに学生運動ではないのだ。)に関わっていた関係で、危ないおじさんになってしまっている。私塾関連や教研関係の個人的な誘いが、たまにあるだけである。若気の至りなどというほどセンスは悪くないつもりなのだが。

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「発達障害の人の就活ノート」が届いていたので、とりあえずつまみ読みをし、適性判断と適所配置の発想ではあるが、石井京子氏を湘南に呼ぶメリットがあるか検討をしておいた。内容ではGo! 民間就労支援企業の主宰者ゆえに謝金が高いだろうと、だから様子見というつまらない結果に落ち着いた。

もうひとつは「貧困研究No.2-流動社会における新しい貧困のかたち-」を小分けに読んでいる。若年層の不安定雇用と野宿者化の実態に関心をもつからだ。地方都市ではネットカフェに予感を感じさせる程度で、まだ定住中高年の課題ではない。しかし、この若年者の登場は大都市では支援活動の質に転換を求めるほどに膨らみつつある。私の考える地域起業活動の芽を育てるためには、この不安定雇用&野宿の中で、形をまさぐっている若年者の参加が不可欠だからだ。(ちなみに「貧困研究」は6月に「No.4」が出ている。)

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8月中のふたつめの作業は「町田赤い屋根」の予約販売の豆腐配達業務の見学の話をまとめる話。前回おじゃましたときは。豆腐の製造部門の見学をさせてもらった。そのとき要と思われたのが、町の配達。リアカーを引いて、予約の高級豆腐を宅配することによって、町の中に顔見知り(知り合い)の輪を広げていくという地域起業の肝のような質の仕事だった。

この宅配が様々な障がいの方の協業、チーム就労が始まっており、この協業と地域定着のテーマに絞った見学企画は、果たして見学を呼びかける先方の関心を呼び起こすことが出来るか心配でもある。お盆の時期に入ってしまったので、実施は9月にもつれ込んでしまったが、町田周辺のもうひとつの見学先を組んでいかないととも思うのだ。私の企画の仕方が先方で、関係者混じりの懇談を重視するので、単独の方が焦点が分散しないですむとも思うのだが。

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母が眼の異常を訴えて、深夜私の部屋に入ってきた。私は明け方に寝るので、平気では有る。それは眼が閉じなくて、風がしみて痛くて眠れないという訴えだった。母の四肢には溶血性貧血を疑らせるアザがいくつも出ているので、処方されているロキソニンや別の医師から処方されているバファリンが入った薬の袋を持ってきたが、ロキソニンを避けて、残っていたノイロトロピンを飲ませて様子をみるように言ってベッドに戻した。この四肢のアザは、母が子どもの頃からアザが出来やすかったというバイアスがかかっているが、地元医に伝えるようにと母に言い、飲み合わせがないように、現在服用している薬をそのまま医師に見せろと言ってあった。複数の医師にかかる時、注意しなくてはならないことである。

明日は日曜日である。症状が悪化しないといいのだが。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)


(校正1回目済み)

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8/7 巡回再開/就労の意味とベーシックインカムの基底

2010-08-11 06:01:22 | 引きこもり
2010/08/07 記
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巡回集中日。中央林間、相模大野、JR相模原の巡回。

高卒認定試験とは直接関係なく、訪問指導が主にキャッチアップの方の中だるみが目立つ。わからないではない、とにかく蒸し暑い。彼らは教室通学が当座の目標になっている。相模大野の相手は通う時が自転車。バス停にして極端に遠いわけではないが、私は路線バスを使うので、説得成功していざ通学となると、どうもゴールのタイミングがよくない。私が先に着いているときは、自転車は宇宙遊泳しているらしく、初めはコースのたどりなおしをして、コンビニで休んでいる彼を見つけて一日が終わっていた。学習指導やカウンセリングだけではない。敷居の高い浦島教室は、近づくほど結界が貼られているように感じるから、外周のコンビニでガス欠となる。こんなことから、無理強いはしないことにした。

専門学校に行った年の若い先輩(?)の先行事例を紹介しながら、彼のまさぐれる可能性の存在を伝えたり、就労が椅子取りゲームや生存「券」確保になってしまう貧相な仕事観を超えるものが、人と出会いともに生きることであることを伝えていく。仕事自身の面白さということは、圧倒的多数の人々が熟練や発見を賃労働に砂粒のように吸収され押し流されてしまうという現実の中では、専門性は目の前に下げられたニンジンに化けてしまうので、技能の語りは副次的になる。露骨には居場所の問題、彼がなしうる手がかりと自由度の問題なのだと伝えている。

大上段振りかぶって就労観を論じたりはしないが、その話が出たときの反応はにぶい。しかしそれは、あなたがあなたであることを幻惑されることなく、歩き続けること。少なくともここにひとり、あなたの歩いていることを知っている人間がいるという事実。それを知ることは、現実を生きていく痛みを越えていく大事な要素だと思っている。ゆっくりと自縛を解いていく孤独な仕事なのだと思う。

「ベーシック・インカム」の提案は面白い。全員に家族が生きていくための基礎所得を配分してしまう。生物的に生存を保ち、生活保護並みの賃金を確保する労働から解き放たれたとき、人はどうなるだろう。「ベーシック・インカム」では、ここに人が本来生み出したいと願う活動が社会を潤すという。食えれば人は遊興に流され社会は壊れていくという考えとの衝突が面白い。ここには人間への信頼が背景に有る。様々な行政上の援助を束ねて基礎所得配分した方が、結局は社会政策としては安上がりになるという計算上の利点から引き出された施策という側面は有るが、労働をめぐる人間観が社会構想の背景に浮かび上がる面白い論議だ。私は「新しい公共」へと連なる人間観の転換、労働の本源的価値へとひとが問われる時代になってきていると思う。

●「ベーシックインカム Wikipedia」
●「ベーシック・インカム構想 Kyodo Weekly」

私の右眼が急に視力が落ちているので、今まで見たいにPC表示や、印刷物上の手書きは協力避けて、ハンディなホワイトボードに書いて、卓上の共有紙面(黒板)の代わりにしている。沢山の文字は書ききれないから、ワードを使って大きなフォントで表示することも考えている。

いずれにせよ、教室や自宅の机上を除くと、本当に落着いて対面学習出来る場が無い。私の声は聞き取りにくいから、なおさら感じてしまう。3つの巡回で結局コーヒーやらドリンクバーで時間居座っている私たちは、店にしては迷惑千万な客だろうと思う。粘らねばと思いつつ、2つ目のドリンクバーとコーヒーは嫌気がさす。貧乏性だから飲まないで放置するのは、なかなかできないからいけないのだが。

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町田赤い屋根の高級豆腐宅配の見学の件で、メールで打診。ここまでくると9月実施にずれ込まざるを得ない。桜ヶ丘病院のIPSリカバリー関連は26/27両日、職業リバビリテーション学会の分科会で調整する。

「わーく」画像放送の端末ダミーを調整中だが、茅ヶ崎養護に提案した携帯電話の副次機能を利用したスキルアップの企画書を作ろうとしているが、中邑賢龍・近藤武夫両氏からソフト面の指導を得られないかと日程を探っている。先端技術研の会合が見つかったが、なぜか石頭氏が名を連ねていてうんざり。別の機会になった。喧嘩早いし。基本的に親分肌のひととはうまく行かないのだ。先方は私を○○党だと思い込んでいる。○○党には失礼だろう。

橋本で食事した。駅の近くはいい店がない。いつものガラス通路の行き止まりで食事。相模線で帰宅した。

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夜間傾聴;******君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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8/6 高卒認定試験が終わり/祖母の介護時代と父の時代のヘルパーさんの違いは

2010-08-09 15:26:32 | 引きこもり
2010/08/06 記
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この時期は、ふだん連絡を疎にしてしまっている方からひょんな電話が飛び込んだりする。愛知県新城市の黄柳野高校の関係者の方だ。「全国合同教育講演・対話集会」のが近々名古屋会場であるが、平塚市の方からの問い合わせがあるが、話し合いのときに、私の名前が出たので、懐かしくなってとのこと。

フリースクールをつくろうということで、教科の全国大会の場で何回か協力させてもらったとき、顔なじみになった方だった。黄柳野高校創設当時の話だ。しかし何で平塚の方がと話を伺ってわかった。親御さんが私のもとの塾生。そのお子さんが不登校で苦しんでいた。すでに途絶えてしまった私の通信の読者さんだった。転居かなと思いつつ、黄柳野高校が全寮制の高校であることを思い出した。

この方は、黄柳野高校の牽引の一線から退いている方だが、お話は相変わらずエネルギッシュに各地を回っておられることがわかり、残念ながら横浜にいらっしゃる日程が合わなかったが、9月に入って、東京で再会することになった。

私は不登校・引きこもり関係の活動は、広汎性発達障がいとか、鬱・社会的挫折などの心の問題がらみの方とか、活動領域が就労支援に絞った形の変則的な活動に変わっている。というか、手帳を持っている方との境界線を媒介する活動をしている。だから再会は身が引けるところも、実はある。

夏期講習を通して、学齢期の子と対話すれば、その世界は豊かに脈打っていることを感じていたから、行き詰って言葉を奪われた青少年に伴走する場と、ちょっと違う。授業と教育という世界があるからだ。個別指導の世界に授業は無いかといえば、確かにある。しかし複数のインタラクティブな世界ほど、重い岩は転がらない。講師の麻薬の飢えみたいなものかなとも思う。

平塚の**さんに早速電話をしたが、私の古い連絡簿の電話は既に閉じていた。まあ黄柳野高の++さん仲介にすれば連絡が取れるので、直接紹介すると個人情報で問題になるといけないので、説明会の会場に**さんと私に声をかけてくださいとお願いした。懐かしい話。大会会場の温泉の湯気まで思い出してしまった。

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母の眼科は茅ヶ崎駅北口からバスに乗っていく。大丈夫だという母を路線バスに押し込んで、母が診察を終えるまでの時間、イトーヨーカ堂などで買い物をしようと地下に降りていって気がついた。今日は木曜日、休診日なのだ。曜日の感覚がなくなっている。まずいなと思って、母の携帯に電話を入れると同時に母から電話がかかってきた。休みではないかという。実はこの日は手術日となっており、医者は閉じてはいないのだが、母は駐車場の様子がおかしいので気付いてバス停に戻って電話をしていた。

歩行が不安定な母は、歩くことを嫌がる。食事でつるのも、胃切除しているので喜ばない。どうしたものかと、とりあえず駅に戻ってきてもらうことにした。喫茶のような場もコーヒーというわけにも行かないので、女性だらけの苦手な甘味喫茶で休ませる段取りを思いついた。目に付いたものを餌食に話題を拾うおしゃべりが蔓延している雰囲気は長時間いると頭痛がしてくるのだ。まあ静かな方をと企みつつ、母を待った。

母が戻ってきたとき、なんと故祖母の件で我が家のヘルパーさんだった方と駅ビル前でばったり出くわした。すでに退職されていたが、結局その方の誘導で、私が一番避けたかった駅ビル*階の小さな喫茶に誘い込まれてしまった。母がいる以上放置するわけにもいかず、母を家に戻した後、巡回が待っているしなどと心ここにあらずで話をしていた。

しかし介護の話も、こうも違うものかと思う。女性の場合ひとと出来事が話題の大半を占める。私は車椅子を変えたとき、祖母の自分の力では回転してしまった動きが治まって、なんとかまっすぐ進むようになったときの驚きのように、その記憶の断片は裏方技術の発見と祖母の笑顔が結びついたような切り口が多い。話すと簡単にあしらわれて、次の話題に行ってしまう。ツボが違うというか。冷や汗をかきつつ、なんとか安宅関を越えて、家に戻った。いや弁慶が打った相手はハゲてはいなかったが。

しかし、2000年頃の状況と最近の状況では、ヘルパーさんの自由度が全く違う。祖母の部屋の隣が私の部屋だったが、物置き状態の部屋にため息をつき、畳が沈んでしまうと、本の山に掃除機の先をぶつけては、私に本の山の移動を迫っていた。大丈夫、部屋全体が沈むからと言い訳をしていたが、祖母の願いの物置解消の尖兵をやって、祖母の居室からはみ出した範囲の掃除をしてくれた。母の渡したおすそ分けの粕漬けの変わりにと、遠藤地区の実家の完熟トマトを持ってきてくださった。今、こうした私的交際はご法度だし、分刻みで動くのでゆとりも無い。

日送り補填分の巡回だったが、本来の分が移動。結局小田急相模原君と相模大野で会ってきた。小田急相模原駅前は飲み屋街、ほんとうに限界を感じる。この前は知らないで市立図書館の相武台分館を使った。駅から遠い遠い、彼は自転車だから大差ないのだが。

藤沢駅から茅ヶ崎駅行きの終バスが間に合ったので、バス停でバスを待つ間、地下道の野宿者の人たちの様子を見てきた。まだ2名の常連さんが眠りこけていただけだったが、そこに辻堂のネットカフェで見かける若手が通り過ぎた。彼の本拠が藤沢なのかとも思ったが、何回かアクセスしたが全く応答してくれなかった。藤沢のカトリック教会と「きずな」が、どのように支援しているのかよく知らないので、それ以上のことはわからなかった。父の体調が悪化して、茅ヶ崎・辻堂・藤沢のネットカフェ巡回を中止してからもう数年経つ。また再開しなくてはと思う一方、巡回していたときに感じた、誘い出し先の無い悲しさはあいも変わらず引きずっている。人生の果てに流れ着いている人に対して、今・ここの出会いの価値を生み出すには、まだ自分が技量不足。世の中捨てたものではないということを絵空事で語るのではなく、彼を巻き込んだ状況として語れなければ、物事は動かない。ぶつぶつ言いながらバス停に戻り、がらんとしたバスに乗り込んだ。少しずつネットカフェ巡回を再開していこうと思う。

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帰ってみると高卒認定試験関連のメールが何通も溜まっていた。無事済んだ内容のメールばかりで、まあ、よかったのだが、速報解答を流すときに、いつものことだが、合格圏内だがわかっていて誤答を書いてしまったという落胆の声もいくつかあって、そのインタビューを専任たちが束ねていた。もう少し待つとチラシにその声が反映する。私は今回は沈黙している、行かなかったから来年を確約させらえるからだ。前半期のひとくぎり。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目)

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8/5 父の居室整理と逝った家族のこと/湘南あすなろ会定例会は早く上り

2010-08-07 18:25:15 | 引きこもり
2010/08/05 記
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高卒資格認定試験が4・5日の両日に有る。東京会場の明大和泉に行けと指示されていたのを断ったのだが、神奈川会場の相模女子大では、他の同業者の方で、会場に入れない青年が出たようだと、夜に電話がかかってきた。試験ともなると引きこもり青年は、不安の化け物を作ってしまう。勿論無理強いする同業者はさすがにいなくなったが、試験が年一回だった昔は支援者にもダメージが残った。今は年二回挑戦が出来るので、傷が拡がらないで済んでいるが、やはりお疲れさんといいたくなる。結局は自分のペースでやっていく以外ないのだが、初日、誰も大きなトラブル無しに、二箇所とも済んだことは、半分ほっとしている。

JR相模原の方は、通学者の場合より早く単位を取り、大学受験にじっくり時間を振り当てようとしている若い方で、神奈川会場、母親同伴だったはずだ。

父が体当たりで壊した部屋の修理をやらされつつ、父の部屋の「大ゴミ」を出す準備をしていた。蒸し暑いが何よりも、押入れをあけると糞尿の染み付いた匂いがする。例え部屋を空っぽに清掃しても、この部屋を使う気にはなれない。拭き掃除をして匂いぬきをしても、おそらく数年は押入れを使うことも出来ないだろう。父が老健で暴れて、怪我や病気で病院経由で一時帰宅となる可能性がある。そのとき、2階にあげられないだろうなあと母と話す。臨時にどこかで預かってもらえるか、不安である。というのも現在の老健の担当者が、規則がそのようになっているという言い方で、融通が全く利かない人だからで、一度出たから入るには基準を持たしていないと言い出さないか不安なのだ。

祖父母以外は在宅介護ではなかったが、叔父は病院を抜け出して帰ってきた。事業に失敗しアル中に身をやつした人で、移送中の私の背中で死に、救急のベッド上で心臓マッサージのかいも無く、どす黒い血を吐いて他界した。長い失踪後突然現れてから1年、私と母の在宅介護となったが、徘徊者の介護の容易ではない状態を身をもって教わった。今の野宿者支援のイメージには道を転げ落ちていった叔父の寂しい生涯が貼りついている。

このときも、曾祖母・祖父母のときも父は一切手伝わず、自分への母の世話する労力が落ちたと大声で怒鳴り散らしてきた人だ。その人の介護を私と母はやってきた。そのときの思いが古い家具や品物が出てくるたびに思い出されるのだ。捨てると当人の命が縮まるというよと母は言う。還暦爺ぃに命が縮まるもないよねと応答を返す。いつ死んでも悔いないようにと思う世代に、私も足を突っ込んできたのだと母に言う。父の部屋のエアコンの屋外機の下から雀の遺体が干からびてでてきた。埋葬するロマンチシズムもなく、新聞紙にくるんでゴミ袋に捨てた。

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湘南あすなろ会の定例会の前に、巡回を入れていたが、昨夜の連絡があり、出かけるのだとの話で日延べとなった。お盆付近はあらゆることが空転してしまう。母の「眼」と「四肢の火照りとつり」の関連で「漢方薬がある」という母の友人親子の薬局紹介で、母が漢方薬局に出かけていった。あまり飲み合わせは感心しないので、母に思いとどまるように一応説得したが、一度思ったことは曲げないひとなので、帰りに一度連絡するようにと条件をつけて、ふらつく母をバスに乗せた。

あすなろ会の時間まで、ゆとりの無い時刻になっても連絡が無かった。タイムリミットで、バス停に向かうと、駅から逆方向のバスがやってきて、母が下りてきた。母が荷物を抱えているので、やむなく家に送り、私はバスに乗り遅れて、タクシーを呼んだ。ジッと庭木からセミが飛び立った。夏日は死が貼りついている。全く、しょうもないなと、根拠の無いひとりごとをつぶやいて、影を払いつつタクシーを待った。

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ジャスコの前には予想外に早く到着した。駆け足で買い物を済ませて、サポセンに飛び込んだ。母の友人親子にパンのおすそ分けを駅前改札口で渡す約束を忘れていた。どうも調子が悪くて用事を忘れるのだ。Oさんに送ってもらって車から降りてすぐこの方から携帯に電話が入った。皆、猛暑ボケと言ってくださったが、恐縮している。

湘南あすなろ会のモードも夏休み風。振替口座はまだ正式に通帳が来ておらず、基本情報カードの配布も、慎重派の方と会って内容について相談することにした。また私がプリントアウトした「寿町夏祭りプログラム」と「湘南パトロール日程表」を配ったものの、8/14の集合時間も決まらなかった。これはMLで相談することになる。「舫(もやい)」の会議にEさんが行き、今回は彼に迷惑が行かないように、私の参加は自粛した。放置傘再販の件で、東京の活動同士を仲介する話があった。「あうん」の活動では、店舗型の活動なので、傘はピンと来なかったようだ。「舫」も活動の部分に該当する露天販売活動があるか怪しいので、困っているが、あすなろ会の未熟な活動状態よりは、可能性がある方と結び付けやすいだろう。あらためて会ってもらう場を設定しようと思う。

新規の話無し。ビッグイシューの新企画で販売者さんと支援の様子などのスナップを誌面掲載するのでと、スナップ送れの連絡メールが入っていた。定例会終了時、Oさんが愛機でメンバーを撮った。カメラマンが入らないのは常だが、Oさんが入らないのは、ちとずるいのだ。

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《発注した書籍から》

●「十七歳の自閉症裁判-寝屋川事件の遺したもの」
●「アスペルガー症候群への解決志向アプローチ―利用者の自己決定を援助する」
●「社会的企業の主流化-「新しい公共」の担い手として」


夜間傾聴:相模大野3君(仮名・夏休み中のみ)
     ******君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)
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8/4 領域横断をする者をどう募ったらいいのかと

2010-08-07 15:33:47 | 引きこもり
2010/08/04 記
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湘南あすなろ会の便りの残りを配りに藤沢の知人宅を訪ねる途中、偶然ダイエーの前で、市議の**さんに会った。この人には不登校の子のことで昔協力してもらったことがあった。私の活動が引きこもり青年や、心の障がいを持つ青少年のことに活動の重点が移り、接点が薄れて現在に至っていた。5年近いブランクがあったが、店の中のマックに移動し、話をした。私の話を聞くなど、よっぽど暇だったんだなと思うが、私の活動が教育現場から就労支援にシフトしていることを語ったが、先方はチラシを投函している関係で、ある程度は知っているため、意外な顔でもなかった。

宙吊りの時代は、引きこもり青年にとって通り過ぎて欲しい通過点の時代だ。企業にいれば定年間際の私は、今頃、一度の私の決算をしなくてはならない年齢だろう。しかし、この方に不登校の子のことを話して、やむない承諾をしてくださった時点からしてみても、語る切り口は変わっても、何が私の本筋が変わっただろうか。所属を持たない私は、引きこもり青年の宙吊り感覚と同質の空転を味わっているという意味で変わっていないと思うのだ。ただ引きこもり青年は、今を忌む闇と感じているところで、私は自分が光ればいいと考えている。紙一枚の裏表の大きな違いと思っている。だから通過点(トンネル)ではない。

この方に昔話を語る気にはなれなかった。領域は違うが聞いて欲しいのだがと前置きして、私の取り組んでいる(表面を撫で回しているだけだが。)就労困難な方の横断的な就労の地域セイフティネットの話の概括をして、学齢期の子たちの教育畑との接点がありそうで、無いと、しょうも無いくくりをつけた。

突然、先方が腕時計を見て話に興味が無い風の素振りを見せたと思って話をやめたところ、それは会わせたい人がいるとの話。名前を聞いて、なんだ知り合いというわけで、新境地は開けなかった。世界は狭いのである。ただ就労支援の件までの5年の溝は埋まったように思う。私とはだいぶ価値観の違う政党関係の方である。それでも、さらに資料提供したビッグイシュー販売活動と野宿者支援の活動には唖然とされていたが、「便り」と「わーく」に必ず眼を通してくださることになった。響けば一緒にやればいい、これが大原則である。ひとり熱心な読者ゲットである。

「わーく」の画像放送を実現するには、構想の大枠の賛同者である、HPデザイナー風な絵を画ける者、技術相談に応じられるような技術畑の者の探し出しが必要だ。宙吊りということに返って言えば、所属を裏切っても当事者たちと連携できる宙吊り世界の住人がいい。このことをこの議員さんの背中に思念を突きつけていた。

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母は大船の観劇の疲れが眼に来ていた。ボトックス療法の副作用は、瞼が閉じられなくなったり、引きつれ、嘔吐などがある。母は瞼が閉じなくなって、地元医に通いなおし始めていた。角膜が乾燥して膜に傷が付きやすくなる。自由なたち歩きが阻害されて、湿ったタオルを顔にあててベッドで一日中名転がっていた。

ボトックスの効果は3ヶ月という。とすると8月一杯はこのままなのかもしれない。炊事を任せると、雑巾の端を焼いてしまったり、取っ手のついた鍋をひっかけ、危うく火傷をするところに立ち会って肝を冷やしたりしていた。

私は今月は自分の活動の下準備に集中する。先方にはお盆が過ぎないとなかなか会えないが、「わーく」端末の動作の件で大森海岸君(仮名)、あすなろの基本提案の調整の件で、藤沢と茅ヶ崎HL支援の会の方たちとの話、古物販売の関係者と警察交通課関連の方と会う。

あとは、セイフティネットの事例の資料調査である。またぞろ「新しい公共」の話が出ているが、それは困難を抱える当事者の活動で媒介されないと、一般的な「市民」の「より良い社会」論の陥穽に落ちてしまう。

しょうが焼き用の上等の肉を少量買って、私はなか卯の親子丼で終わりなのである。混ぜると酵素が死んでしまうので、さてどうしようと思いつつキウイを買った。キャベツは胃切除の者には火を通さないと負担なので、包菜を買った。家には有機栽培の人参がある。茹でて出せばいい。これで買い物は終わりだとぶつぶつ言って、市議の方と立ち寄った知り合いの御宅近くのスーパーからバスに乗った。

昨日はジュンク堂書店に頼んでおいた絶版リストも出来上がっていた。1点ジュンク堂に在庫している書があったので注文を出した。教育現場レポートは賞味期限が身近い。古書店にだしても二束三文になってしまう。ただ原形が「わーく」につながっているので、手元に資料を置きたかった。

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配信した7/15の懇談会レポートメールが、なぜか講師の勝田俊一さんのアドレスが見当たらないと戻ってきていた。困ってしまった。時期逸して送信する内容ではないからだ。今月職リハ学会が横須賀で有るが、そこで紙メディアで渡すのもなあと、ラブレターではあるまいし、妙なところで戸惑っているのだ。

訪問、相模大野1件。高卒認定試験応援にはいかないぞと。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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8/3 HL便りNo.8 を配布の一日/寿町夏祭りのプログラムと参加について

2010-08-06 04:23:26 | 引きこもり
2010/08/03 記
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丸一日かけて、茅ヶ崎・平塚・藤沢・寒川・横浜・伊勢原の行政や公共団体・学校関連と知人の職場を回って「ホームレス便りNo.8」を配布してきた。この二日間で、ほぼ全体の訪問配布が終わったのは、先方に知人がいなかったせいだ。年休をとっているのか、全く知人に出くわさなかった。話し込まなかったから早かったのだ。少々悔しい気分ではあるが、それでも受け付けてくれるのは、先方への知名度が上った証拠でもある。

さすがに息切れがして、北茅ヶ崎から茅ヶ崎サポセンに向かった。一休みにはならないが、家に戻って家事の底無し沼に飛び込むよりはよかった。偶然Eさんと出会い、東京事務所の噂話を聞いた。そういえば、7月は1回しか事務所にお邪魔していない。5日の父の老健入所とその後始末に日がすぎていた。

ビッグイシューの7月下旬分入金を済ませたが、今月の活動の夏枯れ時期をそのままにしておくわけにはいかなかった。相手は人間である。支援者に休みは合っても、当事者に休みなど無い。この感覚の差異が怖くもある。

寿町夏祭りの予定表も入手してプリントアウト。

●「寿にきて・ふれて・考えて/寿夏祭のお知らせ」(07/18)

8月12日のフリーコンサートのポスターを借用し貼り付けた。上記のブログは最近パトロールでお世話になっている素直さんのところのブログだ。

湘南あすなろ会は、8月14日(土)に参加の予定。お盆の最中なので、行ける者は限られてしまうが、昼には寿町に入ろうと思う。集合日時は次回定例会にて。

定例会に出しても通るかなと思いつつ、茅ヶ崎のHL諸氏に参加を募ってみたい気もある。関内より高くなるが、石川町往復570×2(円)の回数券提供で2名、合計570×2×(2+2)のHL参加支援を考えてみたらどうか。私の分の2枚を入れれば、5700円の回数券で570円片道分が残る。障害者リハビリテーション学会参加費と東京社協セミナーも払わなくてはならないので、2万5千円弱は出費となりそうだ。個人出費はちと痛い。寿町参加者は、到着後は自由行動。ただで渡すのも逆に変な関係だから、エマルジョンフィルムの使い捨てカメラ(450円×2)を渡して、行事1枚、スナップ2枚の最低撮影数3枚をノルマにして取材料が交通費とすれば、現物支給(切符)の仕事の対価となる。撮ったらあとは勝手に飲み食いすればいい。帰りもご自由にという話。

要は寿までの往復、話が出来れば関係も変わるだろう。それが高いか安いかは評価は違うだろう。しかし出費に異論もでるだろう。問題は従来の支援組織の判断だ。必ずしも善しとは思ってくれないだろう。さて定例会、通すかどうか思案中。

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どうかしている。私のPASMOを入れたカードケースをシャツの胸ポケットから落としてしまった。2千円弱の損。中に渋カサの名刺と、あうんの中村さんの名刺が入っていた。悪用は考えにくいが、注意力が散漫になっている。PASMOを小田急藤沢駅で購入し直した。夏場、何かがまだ起こるぞと思っていたら、バネ式の傘をしまおうとして爆発した。傘ご臨終である。

「貧困研究2」のつまみ読みを始めている。若年層HLの関連特集。こちらはボケでいないと思っているのだが。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)


(校正2回目済み)
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8/2 父入所後の体制の取り直し、大風呂敷の繕いを

2010-08-06 02:26:52 | 引きこもり
2010/08/02 記
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母の状態を心配して母の趣味の関係の友人が、母を大船芸術館の観劇に連れ出してくれた。行きは駅改札口合流、帰りは息子さんが運転する車で我が家まで送ってくださった。行きがけだけ、改札口までともあれ母を送り出した。突然の眩暈(めまい)や、足のしびれがこなければ母は大丈夫なのだが、転倒事故が怖いので、雑踏には連れ添うことにしている。

私も夏期講習が終わり自由になったので、障がい者就労支援関係者や、教員関係と会おうとして前日から電話やメールを入れていたが、全員留守や家族サービスということで、しょうもない話だが、私を「かまって」くれない。

1日は日曜日なので「便りNo.8」を配ろうにも先方が休みではどうしようもない。

というわけで、早めだが借りていた図書館の書籍更新をして、ジュンク堂書店藤沢店に調査資料の絶版チェックリストを持ち込んだ。書店の検索機は在庫の有無以外はわからない。だから絶版か否かは、ジュンク堂の元DBを調べてもらう以外ない。紀伊国屋書店のDBならわかるが、点数が少ないので頼むことにした。嫌な顔を抑えていた。すみません、店員さん。結果、1冊はさすがに古書店で探す以外ないが、あとの2冊は絶版ではないことがわかった。まあ、再刊は絶望的ではあるが。

クラブハウス関連の資料はJHC板橋会や明学大の八木原律子氏にコンタクトとれば、視聴覚資料にも接することができる。しかし、夏休みである。毎年のことだが、夏期・冬期講習が休み中の前後に入り、予約をしておくことをつい後回しにしてしまうのだ。予備校や私塾の講師は因果な商売で、皆が休みのときに忙しくなり、ひと息つく頃には、皆は出払っている。公共サービス利用も思うに任せない。とりあえず県立保健福祉大の資料チェックだけすませておくことにした。テーマは、地域の社会的企業を兼ねた就労支援センターの形を探っておくことだ。

精神障がいの領域では、IPSやリカバリーの場面で、すでに検討が進んでいるテーマだが、この構想が医療モデルの適材適所主義とでもいうか、個人適正モデルを超える横断と協働の就労の社会的モデルとして、就労のパラダイム転換の鍵になるという意味をもっている。

ひとは出会いと環境によって大きく変容を遂げていく。知的障がい・発達障がいの方にもなしうることが開けていくという能力特性の壁を超える試みであり、引きこもり・社会的挫折の方にも、ケアする側に誘い、自己変革の契機を提供する試みとなる。

今のままでは、そのセンターを実現・運営していく資金をどこで調達するのかという問いに明快な応答をすることができない。しかし、世界のセンター作りの実例は、協同組合や第三セクターの形で社会的企業として実現されている。資金を準備して、ある日を境にセンターが生み出されるという形のモデルは、資金調達の壁から実現の可能性が低い。関係者もまた、資金がないからできないという常識判断から、実現を不可能と思っている。その構想を、少ない原資からスタートできる社会的企業として、営業活動をもとに成長させる道を見いだすことによって超えたいと願い、その糸口となるモデルを捜している。それには、すでにその可能性を持った個々の国内実践例を探ることと、海外の実践紹介資料を当たる必要がある。ドンキホーテ的な試みではあるが、おそらく私の方向性は正しいと思う。

3月に世界の動静に詳しい日本ソーシャルインクルージョン協会の炭谷茂氏を、何としてでも呼びたいと考えているが、引き寄せは孤立無援の説得になる。茅ケ崎に出向く価値があるか、その辺が勝負どころとなる。実際には、海外の話などいらないから茅ケ崎の活動を進めようと、地元の関係者から説得されたこともあった。しかし、この方を別としても、世界の領域横断モデルは、検討する必要のある現実的な課題だ。今私たちが行っている活動は、現状打開のために一度鳥瞰してみる必要があるという意味で、無縁の活動ではない。独立王国の時代ではない、今必要な構想なのだと思う。この辺は地元のコンセンサスが得られるとは思っていない。講演を通して考えてもらいたいと願うばかりだ。

そのためにも、地域の協働の形、構想に関連する基礎的な資料には当たっておきたいと考えている。幸い県立保健福祉大の図書館には、いくつかの手がかり資料があるので、8月中、できる限り横須賀詣しておきたいと思っている。これはひとりで出来るし。(笑)

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高卒認定試験の2日間、私は明大和泉キャンパスに出向く必要はなくなってほっとしている。厄介な爺さまだと思っているだろうが、当人が元気がでなければ仕方がない話なので、「これでいいのだ」なのだ。今は少しずつ、父の介護中心の生活から、次の計画的な生活へと形を移していくこと、これが8月の自己課題となっている。

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「わーく」の地元技術サポートの関係で、地域FM関連の方にラブコールをかけていた。まったく反応がなかったが、その方の知人の方が情報を知りたいと今年の春先に連絡が入っていた。メールで話し合っていたが4ヶ月ほど連絡が途絶えていた。もしやと思って連絡をしたら、藤沢でなら会ってくださるということになって、やっと「かまって」くれる人を得て、藤沢に出向いた。ところが話は無残な結果となった。先方は私がしっかりとした企業基盤を持って、営業としてのオンライン放送を始めようとしていると思い込んでいた。手探りの市民活動と知り、一気に興味を失ってしまった。苦い別れとなった。東秀のナスの炒め物で夕食を済ませようとしている人間を勘違いしてもらっては困るのだ。

母は満足げに家にもどってきた。観劇も久々のことだった。お茶を出して母の喜々とした説明を聞きながら、私の笑顔は引きつっていた。しょうもないなあと思いつつ、駒は進めなくてはと思っていたのだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)





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8/1 夏期講習終了、**君の車でドライブを/8/14寿町見学参加者募集

2010-08-04 11:51:58 | 引きこもり
2010/08/01 補記
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夏期講習の前期が終わった。父の入所前からの予約が効いて私は夕方か夜間が中心になったので、炎天下の熱気にやられずに済んだ。私の教え子も横須賀が本拠地の予備校の契約講師をしている。私の苦手な教科の講師なのでときどき訪問の助言のバックアップを頼んでいる。生徒には見栄はらずに、教えてもらったことをばらしている。ここから先は○○さんに聞けという具合。彼を紹介するわけにはいかないところが難。

******君(仮名)は、バイトを初めて珍しく続いている。夏期講習最終日、突然教室に現れた。自販機の缶交換の仕事である。コンビニと比べれば、対人交渉が少ない分、喧嘩早い彼には向いている。家業を継ぐため経理が出来ないとと、日焼けした顔で進学の話を語る。昨年経理系の専門学校に合格したが、不満を感じて大学進学を目指している。

帰りに回転寿司まで載せていくというので、彼の車に乗った。延々と車を飛ばすので、どこの回転寿司までいくのかと聞くと、「海の近くまでいく、江ノ島の近くで店を知らないか」という。彼は、藤沢の駅前に江ノ島があってその展望台の隣が我が家というような空間の歪んだ地図を持っているので、大和・江ノ島線の路上で彼の車を止めさせた。話は進学問題だった。彼のバイト代では自前の寿司代も怪しいので、改めて会う時間を決めて、とりあえず湘南台に送ってもらった。「海がないじゃないか」という彼の文句には、「彼女と行け」とばっさり反論。なんとか終バスに間に合った。

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湘南あすなろ会のOさんはパワフルである。「ホームレス頼りNo.8」を仕上げ、我が家のポストに投函してくださった。あすから本格配布である。とりあえず、平塚・藤沢の市民活動センターに置かせてもらった。

8月上旬に東京の「舫(もやい)」の会合があって、会代表兼販売員のEさんが出席する。社会活動は各自が自分の世界を切り開くことによって活性化する。この日私も交流見学会の件だけでなく、放置傘再販の件で相談したいと思っているので実は参加したかった。渋カサの方たちが都内の活動との接点を探していたから、まだあすなろ会では対応が取れないが、東京の分を先に仲介したかったのだ。これはEさんが不本意な顔だったので、別の機会にしようと思う。

8/14(土) には、寿町の祭りがある。この日は覘きに行くので、参加希望の方はコメントにどうぞ。

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夜間傾聴;橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)


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8/1 ☆7/15「映画『輝く未来へ Stepup』を観て、勝田俊一さんと語ろう」レポート☆より

2010-08-04 11:00:27 | 引きこもり
7/15 の「映画『輝く未来へ Stepup』を観て、勝田俊一さんと語ろう」懇談会レポートを関係者に配りました。映像を観ていないとわかりにくいと思いますが、ご覧下さい。


2010/08/01 文責:「わーく」編集部
飛田
------ ここから -------

勝田俊一さんがプレゼントして下さったCD「ATARIMAEクロストーク はたらく ちから」を今頃になって拝見し、「しまったなあ、これは会場で上映しておけばよかった」と、遅ればせに勝田さんの仕掛けに気付きました。いただいたCDの数が数枚だったので、主催者の私が開封してしまうのはどうかと、妙な気をまわしたのが仇となりました。

ここには、就労インタビューのエッセンスが込められていて、働くということが単純に賃金を得ることなのではないのだという就労体験が、現場実感を込めて語られています。

その語りが意味するものは、働くことが「ひととつながる方法」であったり、「ひととつながる出会い・体験」であったりしています。働くことを通じて社会に自分が意味づけられたり、知り合いが出来て支えあう、つまり「ともに生きる」ということがそこで始まっています。「今、自分がいる」、「自分の居場所と役割」が見える、語りはそういう喜びの告白なのです。この作品には、言葉の表現が難しくても働く喜びを身体で感じているというような方々も、そ画像の背後に広がっています。働ける方の喜びの告白というより、その背後の方の実感も代弁しているように聞こえます。「働くこと」というように、一般化した語りも聞こえてくるからです。

なんともまあ、ATARIMAE プロジェクトの見事なプロパガンダ映像だなあと思いつつ、今回の勝田さんの就労支援懇談会は、これを上映していたら、結論の先取りのようではありますが、テーマがもっとすっきりしていただろうと思うのです。

DVDに登場する方々は明確に自分を語れる方たちです。就労に困難を抱えている方たちが、社会の中で「当たり前に働く」ということを支え、契機を提供する活動の大切さを語りの裏側で伝えていると私は受け取りました。就労支援活動の基本的なことです。

今回の就労支援懇談会は、子どもの頃からの、いわゆる公的支援からこぼれ落ちてしまった、「地域に潜在し制度の狭間にある方たちの就労支援」にテーマが置かれていました。それは、いわゆる軽度発達障がいと呼ばれる方々であったり、精神障がいの方々、社会的引きこもりや就労挫折等の方々の就労支援の連携活動に手がかりを探る、連続企画の口火となるつもりの会なのでした。

私は引きこもり青年たちと出会います。そこでは「挫折」「生き下手」というような、まるで棍棒というか、または、もつれた糸にからまったような若者と話します。彼らにとって就労は、生きるためやむをえず行う「苦行」なのです。同じ「就労」と言っても、今回登場した知的障がいの方たちとは、ずいぶん風景が違うなと思います。実際私は、ハローワークへの付き添いや、専門学校の窓口に、何やら彼の保護者顔をして連れ添いますが、彼らは、気持ちを懸命にかき立てつつも、かすれかすれ、やっとの思いでぎごちなく面談のゲートを越えるのです。

この挑戦が、就業によって彼らの劇的な転換点になることは、現実には稀です。しかし一年もすると出会ったときの顔が、知的障がいなどの方の就労経験告白のときと同じような自信と喜びの顔に表情が変化しています。対人関係に弱点がある方ですから、再びいじめられて苦労していることもあります。しかしながら、彼らはよほどのことが無い限り、今の立場を手放そうとはしません。就業の痛みの中にも生きていく手ごたえを見つけているからです。

ここに共通している「働くこと」の価値を、なかなか形が作れない「制度の狭間の方々の多様なニーズを抱えた就労支援」を形作っていく、「エンジンのような企画」を作りたいと思うのです。

「輝く未来へ StepUp」(企画:教育庁 製作:都教委 2008)は、企業就労レポートですが、「傷がいがあっても、ここまですごいことがやれるのだ」という成功事例が次々に語られています。しかし面白いのは、特別支援校やジョブコーチ、企業の担当者等の裏方の力が背後に透けて見える、いわば表舞台の映像でした。それと同時に「働くって何なの」ということが喚起される映像でもありました。

しかし、ハローワークでバイトを探して、上司や客の無理難題に転職を重ねて疲れている方には、作品そのものは違和感のある映像です。「だからって何なんだよ」というところです。私たちがまさぐっている協同の支援活動には、現状の違うさまざまな人がいますから、その人たちが連携することを考えるには原点的なところをまさぐる必要があります。それぞれの領域の方がそれぞれの世界で適所さがしをしてきた従来の就労支援活動からすれば、社会的挫折組と知的障がい組との課題は接点のないものに見えていても当然と思います。

今回は企業就労している方々から、就労が社会参加であることを語ってもらうことを通して、就労の支援者の裏方のなしてきたこと、何を実現させていこうとしているのか、それを懇談の中で引き出したかったのでした。

つまり、ダイレクトにテーマを訴える会ではないという、わかりにくさがありました。もし賛同が得られるなら、次回は「地域起業の立場からの懇談」を重ねたいと思います。異質なように見える各領域の就労支援の活動が就労企画のネットワーキングによって媒介される、そんなもうひとつの就労をまさぐっていきたいと思います。

就労がジグソーパズルのピースをはめるような静的な能力認識の活動から、動的な及ぼし合いを推進する協業のチーム的な活動へと、就労基本単位を変える就労の転換が出来ないものかと考え、これが協業という接着剤によって、領域を超えた共通の検討課題になりうるのではないかと思うのです。それは一から十まで完成した出来あがった構想を実現するのではなく、当事者と試みを作り支援していく体制を実現していくようなメタ就労の「たまり場作り」を浮かび上がらせてくれるような、起業構想の芽の実験の場を想像出来るような地域の試みです。

就労を軸とした地域のたまり場が、一方では就労困難者の合流セイフティネットとなりながら、新たな起業や、チーム就労を生み出していく、そんな絵が描けないか、そう思うのです。店舗開設型の活動では、店舗に抱えられた方のための活動として(従来の施設は想定された有限の当事者のためのものでした。)搾り出されたものでした。入れ物と運営資金調達の壁がそこにあって、篤志家の資金が初動資金として存在しなければ、始まらないことでした。しかし、職種によってはこの資金の壁を低く出来る。そういう試みが実際にいくつかあります。鍵は地域の社会的ニーズに乗るという社会的企業の手法を前提にするということ。私たちが通勤し私的生活・家族を営んでいる場、つまり地域の消費社会のニーズに乗るということです。これには行政や、求める側の有志の参加も必要です。そうした大風呂敷の地域構想を練る企画に育てられないでしょうか。

当事者は集団の中で自分の持ち場を意識し支え、自分の技量を変容させていきます。この変容を支える社会システム(出番作りと居場所の底支え)の端緒を生み出していくのです。

今回の企画は、企業就労という切り口から、働くという事の意味の源流を探る意味をもっていました。次はそれぞれの領域の活動の合流の可能性を探ってみたいと思います。地域起業です。勝田さんの提供してくださったDVDは、私の手元にあります。ストレートパンチのような内容ですが、ご要望があればお届けします。

夏期講習もあって、ずいぶん遅ればせのレポートになりましたが、せっかくあちこちでセンターの芽が出来てきた状況です。有効な活用法もその構想検討企画の先に見えてくると思います。資金と構想と人材、その構想の側から人材への道を見通したい。是非「何、空想をこね回しているんだ」といわず、検討してください。
以 上

----- ここまで ------

勝田俊一さん:障がい者就業・生活支援センター サンシティ所長
       (平塚のセンター活動と同時に、県下の就労支援活動に
       活躍されています。)

----- この懇談会は、「スペアちがさき」「NPOサポートちがさき・地域就労支援PJ」「『わーく』編集部」の共催で行われました。

(校正1回目済み)

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7/31 あのときの人は、私には、わからないという構造

2010-08-04 10:05:54 | 引きこもり
2010/07/31 記
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父の勤めていた同業者協会から時々立派な冊子が送られてきていた。その経理担当者から連絡が入り、未納分の支払いをと料金請求の話。父と同年輩の方のようで、何回も脱会のことを伝えてきたが、今回は4回目。どうして話がこうも伝わらないのかと思いつつ、前回の脱会届郵送の件などを説明した。

やっとわかってきたことがふたつ。ひとつは存命中の脱会者が他にいないということ。脱会届が届いて、この担当者の方が確認電話を入れたところ、父に「出した覚えが無い」と叱られてしまったというのだ。後者は一見正しそうに見えた。父が電話に出れば、やりそうなことだからだ。届けは父の確認を取っていた。それでも、思い出す前に、「止める・はずす」には内容を考えずに父が反発することは予想されたからだ。しかし、届けを出した頃には、父は茶の間の親機を使うために階段を降りてこられるはずがなかった。父の居室の枕元の子機を父は使えない(外線ボタンがわからない。)ので、父が電話応答するはずがなかった。

いい加減な話をするなと先方に根拠を伝えると、先方の語気があらくなった。先方は父の同僚で、父のことは知っているというのだ。カレンダーをチェックしてみて、先方の言い分が明らかにおかしいことがわかった。父はその日ショートステイに出ていて不在だったのだ。先方にその旨を伝えると、昔話までしたのだから父に間違いないという。この議論は結局脱会で処理したのだが、その昔話の怪が残った。おそらく会員名簿のどこかちがうところにかけたのだろうが、年始の挨拶電話のとき、私は間違い電話の相手と10分も話しこんでしまったときのことを思い出し、可笑しかった。しかし、この話、どう説明しても母に伝わらなかった。何が起きたか、そのこと自身が伝わらないのだ。人称がからまってくると、最近、母との話が空転することが多くなった。

私の参加していないある場面を話題に、母が私に対して説明する話は、その言葉が誰が言った言葉なのかを明確にしてくれないと、母の話は混乱する。その場にいたAさんの発言の話なのか、Bさんの発言の話なのか、急に変わるからわからない。このわからなさが、話し手になぜわからないのかわからないという事態を生み出す。

子どもの話がよく、この問題を起こすのだがを、「あれが」「それだ」の「あれ」「それ」が指し示す物事共有されているものとして語るから、一層わからなくなる。田舎に出かけたときなど、「何とか松のなんとかチャン」がどうこうと語る語り口は眩暈がするのだ。突然歌舞伎だが、観客は役者の仕草のひとつひとつに約束事が合って、ある時代には常識の形をとって、仕草が自然と観客の共感へとつながっていた。同様の対話への同一コミュニティよりかかりは、ミクロには語り手の脳裏に浮かぶ光景への空想参加と再現の言い放ちに見られるが、語り手は出来事順に発言を再現するが、その場面を共有していない私がなぜこんなにはっきりしている光景がわからないのかわからない。わかる人としか話していないからわからない。母との対話で、母が話に熱を帯びてくると、これが始まる。

それではと、私は話す場面のいわば登場人物と場面設定をまず語って、その上に場面の出来事を話そうとする。ところがこれも、なぜそのようなことをしなければならないのかわからない方には、理屈っぽい苦行でしかない。

同業者組合の担当者の方が、果たして行き違いの怪奇をどう理解したのか、なんとも暑苦しい話だったのだ。しかしこれ、対面カウンセリングするとき、人称の激流を渡っていかないと沈没してしまうのだ。私もあなたも話の糸口(プラットフォーム)探しに苦労する。その断ち切られた糸口の間隙に精神症も潜んでいる。

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夏期講習に間に合わなくて、買い物袋を職員室に持ち込んだ。いつも誰か生徒が出入りしている部屋なので、たちまち話が教室に広まった。枝豆とビールの話が時間つぶしに生徒側からちょい掛けしてくる。ビールを授業後に飲むのかとしょうもない話。私は生徒に「ズンダもち」を作るのだとうそぶいた。「ビール」と飲酒の話題で授業を流されまいと話をはずしたつもりだった。妙な沈黙が走り、「ズンダって何?」と生徒。笑いが出たが笑った本人もわかっていないだろう。ちょっと悲しい。あと一日。

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7/15の上映懇談会のまとめレポートを仕上げている。明日関係者に流すが、もうひと息。…たしかにビールを飲みたい。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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7/30 湘南あすなろ会定例会と/絶望と風化に対峙すること

2010-08-04 08:18:39 | 引きこもり
2010/07/30 記
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28日夜、湘南あすなろ会の定例会があった。あすなろ会の活動を支えるワンコイン基金を作る件で、振込口座を新設することが決まった。今の口座は総合口座で、現金支払いで振り込む手数料が高く、振り込めない場合も出てくることがわかった。ゆうちょ銀行の説明が総合口座を利用する前提に立っての話だったので、混乱が拡大した。

振替口座を開く手続きをしたOさんは、窓口の優柔不断、定型にはまらない部分をそのつど、何回もセンター問い合わせを重ねる様に、爆発したらしい。そう、自己責任を回避するその徹底した逃げぶりは、私も総合口座作りのときに味わったものと同様だった。私は日参し粘り勝ちしたのだが。

ホームレス便りNo,8には、新設口座が正式に戻ってこない限り、まだ載せないことになった。まだ何が起きるかわからないからだ。

前任販売者の++さんを買い物兼夏期講習の出掛け茅ヶ崎駅南口駅前で発見した。明らかに酒気帯びの状態で座り込んでいた。あすなろ会の定例会には出席しているが、気力が抜けているのが気になっていた。路上生活者の方は、事情があるから路上に押し出されてきたのだ。しかし、飲酒が飲まない私には必須という気持ちがわからない。冬場は寒さしのぎと彼は説明した。しかし炎天下、彼はじっとりと汗をかいて眠りこけている。ビッグイシュー販売は、酒気帯びを認めない。販売収益を酒代に使っているという誤解を与える行為も、禁止している。

彼は販売時の酒気帯び禁止の規則違反で販売資格停止となった。様々な事情があったが、彼は販売部数を増やし、収入を拡大しても自分が抱える問題の解決には直結していなかった。茅ヶ崎は中高年定住組がほとんどで、自助組織をたちあげようとしても、彼らの腰は重い。彼の行動に関心を示す同輩がいないこともしんどさを加重していたに違いない。

横浜・寿町を歩くとすぐ目に付くのが、車椅子に乗った高齢者がひとりで往来の端にぽつねんと佇んでいる姿だ。障害年金や生活保護暮らしだろう。入れ歯を作ることが出来ず、熟年者がちょうどポパイ(古いかな?)のような顔しているひとも多い。しかしここには、鬱屈した熱がある。この熱が茅ヶ崎には感じられない。酒宴の声もすぐに消える。寿町の高齢ホームレスのような終着駅感覚もない。この見えない閉塞感は抵抗すれば更に立ちはだかる。

彼はリーダーになって引率するタイプではないので、彼の活動の場脱皮の必要性を感じてならない。湘南は今の状況が延々と続くことを前提に従来の支援活動が組まれているように見える。私は高齢化と、通過する若手の表面化が二極分解して変化するような気がしてならない。

若手は仕事を求めている。そのためには地方ではなく、横浜・川崎などの都市部に流れ、再び押し出されて一部が還流するような流動をますます特徴にするだろう。通過点としての地方都市の活動論が求められているように思っている。この点については、地域の就労支援セイフティネット構想の中でも検討していかなくてはならないことで、先進地域の、それこそ事例を探っているところだ。

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夏期講習に併行して巡回指導が入ってくる。高卒認定試験とは直接関係が無いひとは、むしろ自分の抱えている課題を定期的にチェックしていった方が、私との接触の意味がある。しかし夏場はファミレスも落着かない。図書館が午前中が苦手な彼らには席を確保することが難しく、ましてや対面指導などの場にはならない。公民館ロビーなどを使うこともあるが、暑い。テーブルがないなどの条件があって、彼らがいい顔をしない御宅にお邪魔することが多くなる。

昨日は普通ではない夜間の訪問となった。橋本からバスなのだが帰りは多摩境に出ないとバスが無い。夏期講習の終了後、短時間だが御宅に回ることになって、橋本23:21(20)の終電に間に合わせて帰って来る。橋本2君(仮名)のように駅前で会うことが多い方とは違って、自宅訪問はバスの時間制約が大きい。今回のように夜の訪問は、駅に出ると正直言ってほっとする。それでも今回は、茅ヶ崎駅から自宅までは歩きとなる。自転車を買わなくてはと思いつつ、片目夜間運転の怖さを感じてしまう。

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勝手なものだが、父の介護の戦争が終わって、私が外出すると母は時間を持て余してしまう。体調が悪いので思うに任せないことも影響しているが、父の介護の隙間に付き合っていた友人が歯が抜けたように他界したり、腰を患って出かけられなくなったりして、交際範囲がいつの間にか狭くなっていたことを感じているようだ。我が家に場合は、軟着陸のために、やり残しを解消するために生きるような虚無と向き合う日々となる。引きこもり青年と向き合うとき、ニンジンを目先に下げるような希望を語ることは欺瞞と思っている。意味があるから生きているというレトリックも危うい。いまここに生きてあること、それはともに生きることの中に開ける視界だと思う。説教ではなく母のQOLを低下させない注意を払う必要が出てきている。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名・Aさん専属お初)
     □□君(仮名・こちらから)


----- ●「反貧困学習」(大阪府立西成高等学校著) が茅ヶ崎市立図書館に入庫。私が何回か他館貸し出しを繰返した成果だろうか。一応歓迎。


(校正1回目済み)

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